2011/06/17

浅田真央 L'EQUIPE >mag

2011年6月11日に発行されたフランスのスポーツ週刊誌L'EQUIPE mag(レキップ・マグ)から。
『Japon, la vie après(日本、その後)』という6人の日本を代表するアスリートのインタビュー特集記事。
インタビューは、日本語 → フランス語 → 私流ヘタヘタ和訳でご勘弁を。

2人目はフィギュアスケート選手浅田真央。
2008年、2010年世界選手権金メダリストでバンクーバーオリンピック銀メダリスト。
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わたしは名古屋のリンクに練習に出るところでした。
緩やかに揺れて、でもいつもよりも長い間。わたしはそれが大きいものだったとは考えもしませんでした。
何が起きていたか想像もせず、練習をしていました。
家に帰ってテレビをつけると、東京付近海沿いの工業地帯の火事の映像を目にしました。
津波が全てを呑み込んでいるその映像に目が釘付けになり、恐怖に陥りました。
わたしは日本人なので、地震や津波はわたし達の宿命だとわかっています。それと共に生き、他に選択はありません。でもあの光景は忘れることができません。
わたしは、津波に呑み込まれる前に両親と共に車に乗って逃げた少年のことを思い出します。彼は車から出ることができ助かったけれど、家族とは離れてしまいました。
彼は家族を探すため皆が避難している体育館をさまよっていました。彼は泣いていなくて、毅然としていました。わたしは彼の表情をいまでも憶えています。
世界の人もこの少年の映像を見ていてくれたなら、と思います。誰もが忘れられないはず。この衝撃的な惨事を忘れられてしまう事、皆さんの助けが必要な時に取り残されてしまうことが怖いのです。
見放さないでください!助けてほしい。
わたしは世界のトップスケーターにこの夏日本に来てショーをしてくれるようお願いしました。
ブライアン・ジュベールとフローラン・アモディオにもお願いしました。
東北地方の復興には10年以上かかるでしょう。
わたし達一人では復興は成し遂げられません。
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わたしが浅田真央選手の存在を知ったのは、バンクーバーオリンピック直前。
日本のインターネットニュースでメダル獲得有力選手ということで名前が挙がっていた。
オリンピック、フリーの演技はフランス時間では確か朝4時頃だったと思う。
朝早く起きて観戦。彼女の涙にわたしももらい泣き。
ラフマニノフの「鐘」の演奏と、現在女子では彼女しかできないという3回転半ジャンプが見事に合っていてとてもエキサイティングで胸を打たれたことを今でも忘れない。
今のしなやかな浅田選手しか知らないけれど、子供の頃はもっと元気な女の子だったようだ。でも今も昔も自由にフワフワ飛んでいる妖精さんのようなかわいらしさは変わっていない。
ソチオリンピックでまた彼女に魅了されたい。