♪:通信欄

2011年06月14日

7月のメジャーデビュー直前になって足元を掬われるような[♪:道]という楽曲の詩に対するパクリ騒動・・。濱野裕生の完成&未完成を含めた全117作品の中で唯一、他人が書いた詩が[♪:道]という作品でした。

2008年4月に発表した訳ですが、その当時には何も言われなくて、何故、今になって足元を掬うように・・、とは思いますが、確かにチャゲ&飛鳥のファンの皆様には"いい迷惑”な話だと思います。濱野裕生としてはパクリが事実なら堂々と公表するはずもない・訳ですから、その事は理解して欲しいと思います。


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この記事へのコメント

お返事ありがとうございます。
先ほどコメントした同志です。

ちょっと言葉が足りなかったので補足させてください。
私が謝罪するべきだと思ったのはパクリ云々に関してではありません。
これだけ音楽が溢れていたら意図しなくても
たまたま似たようなものが出来てしまう事もあるかもしれないし、
私個人は濱野さんの言葉を信じております。

ですが濱野さんの「道」の歌詞や昨日からの対応によって、
チャゲ&飛鳥のファンの方の気持ちを害してしまったのは事実です。
特にブログを削除するのは、残念ながら火に油を注ぐような行為だと思います。
濱野さんの言動で気を害した方がいる以上、どんな相手でもきちんと謝罪するべきではないでしょうか?

あと、音楽性の違いがあったとしても他の音楽家についてネガティブな事はあまり書かない方が良いかと思います。
私も濱野さんについて悪く書かれていたら、書いた人に良い印象は持てません。
ファンの心情も察してくださいm(__)m

本当に生意気なことばかり書いてしまい、申し訳ありません。
でもネットユーザーの力は、時には企業を潰すくらい強大なものです。
傷が小さいうちに出来るだけ早い対応をよろしくお願いします。
Posted by 同志 at 2011年06月15日 23:59
今回の一連の騒動では互いの衝動的な言葉の過激さだけが飛び交っている気がしてなりません。
デビュー目前の濱野さんにしたって今の騒動がマイナスにさえなっても何のプラスにもならないことにどうしてそこまでムキになって反論されるのか。私なりに分析してみました。

濱野さんがムキになられる理由は実際に濱野さんにとっては突然に降ってきた悪意のようなものに感じられたからだと思います。それにあの(道)という作品の原作詩は濱野さんが書かれたものではないからだろうと思うからです。

私が最初に言いたいことは、濱野さんの言われる通りにアンサーソングの初歩では1番の歌詞に沿う形で2番の詩を書いてアンサーすることですからたとえば(私は雨は嫌いです/歩くのが辛いから)という1番の歌詞があったとすれば2番では(君が雨が嫌いでも/歩くべきだよ)という1番によく似たの歌詞が成立します。

どなたかが濱野さんが書かれたいう2番の歌詞だってパクリですと言われていましたがそれは全く違うと思っています。私は2番の歌詞を書かれた濱野さんについては責めることはできないと思います。どうしてかというと濱野さんはTというご友人の方が書かれた1番の歌詞に沿う形でアンサーしているのです。アンサーソングの初歩では1番と2番の歌詞の多くは共用された上で意味が逆になるように書くものです。非難されている皆様はアンサーソングの意味が分かってらっしゃらないと思いました。アンサーソングでは原則的に1番と2番に使う言葉は共用されていないといけないのですから2番は1番に似ていてあたりまえなのです。濱野さんは素晴らしい能力を持った詩人なだけに非常に的確な手法で見事にアンサーされていたと思います。

第二点として申しあげたいのはやはり1番の詩を書いたとされるTさんがアスカさんの詩を本当に盗用したかそうではなくともTさんの意識の中に残っていたかもしれないと思われることです。恐らく濱野さんの心中にもTさんへの疑念はおありのはずです。

一連の騒動のなかで濱野さんが一切の謝罪をなさらないことは濱野さん流の受け方として立派な態度かもしれません。濱野さんはそこまでしてご友人のTさんをかばわれているし原作詞をされたTさんご自身から真実を引き出そうとされているのだと解釈しております。

第三点として申し上げたいこととして本当に詩がパクられて書かれたものだと濱野さんご自身がご存知だったとしたら約4年にも渡る長い時間[道]という作品をインターネットで配信し続けるはずがないと思いました。第一そのTさんの詩には曲をお付けにはなっていないでしょう。

この件以来、濱野さんはインターネット上から全ての作品を撤去なさっていますが私はそのことの方が寂しく感じられる思いです。これまでに一体どれほどの介護家族の方々が濱野さんの作品を聞いて泣き笑いをしてきたことか考えてみることも必要です。皆様、濱野さんの介護記録を読みましょう。その中に彼の真実がみえてくるはずです。濱野さんには今後もこれまで通りに著作権に関わらない作品だけでもインターネットで配信してほしいと願っています。
Posted by ひとりの濱野ファンとして at 2011年06月16日 15:33
結論は出ているよ。普通なら作詞をしたそのTを引き合いに出せばいいことです。歌というものは普通ならそうやって作られるんだろうし。貰った詩に曲をつけた濱野に対して幾ら詩がパクリだと言ったって通じないよ。濱野の言い分を聞けばTと友人は濱野が持っていたチームの主将だったんだから市か県の野球連盟かなんかで調べればすぐに分かると思うよ。濱野ファンの人が言ったようにアンサーソングな以上は濱野が書いた2番の詩が1番と同じ言葉を使って書くのは当然の事と思うね。俺は濱野の作品をyoumusicというサイトでずっと聞いていたけど濱野が普通に書いている詩はその〔道〕という詩の感じとは全然違っているから濱野はシロというよりむしろ一番の被害者だと思うね。
Posted by アゴアシ at 2011年06月16日 15:38
先日書きこんだ同志です。

ネット上で気持ちを正確に伝えるのは本当に難しいですね。
濱野さんの本心がどうであれ、言葉を受けた側が傷ついてしまった以上、
しっかり謝罪して相手の不快感を取り除いておかないと、いつか必ず蒸し返されます。
おそらく削除されたブログの内容を保存しているファンの方もおられると思います。
今後の活動のためにも、今はきちんと頭を下げていただきたいのです。

また、レーベル側との話が以前からあったとしても、あのタイミングで削除したのは「逃げた」と捉えられても仕方ないと思います。

パクリ云々に関しても、作品が公になったのが飛鳥氏の方が早いので、
客観的に見ると濱野さん側が非常に不利になってしまいます。
まだ公表されていないTさんの作った詞を飛鳥氏が目にするよりも、
飛鳥氏の作品をTさんや濱野さんが目にする可能性のほうが遥かに大きいとみられるからです。
そういう状況で「飛鳥氏側が参考にしたのでは?」と指摘することは、名誉毀損になりかねません。


とにかく一刻も早く適切な対応をとられる事を願っています。
レーベルの方に相談されるのも良いかと思います。
私のような音楽業界に関して素人の者よりも、こういう事の対処に慣れているはずです。


「なんでデビュー直前になって?」とお考えのようですが、私はデビューが決まったからだと思っています。
デビューが決まり、濱野さんの事が徐々にメディアに取り上げられるようになり、今までとは桁違いに多くの人に見られるようになりました。
(私自身も数ヶ月前に新聞で濱野さんのお名前を久しぶりに見かけて、以前のブログにたどり着きました)
その中には他の歌手のファンも大勢いることでしょう。
そこで「飛鳥氏の作品に似ている!」となったと推測してます。

またまた生意気なことをたくさん書いてしまい、申し訳ありません。
この辺で失礼させていただきます。
このブログの趣旨に合わなければ、私のコメントは削除してください。
Posted by 同志 at 2011年06月17日 06:34
同志さん、貴方の祖父様が脳挫傷で要介護5に認定され3年前に他界され、今は要介護2の御祖母を在宅で介護されている事を知り、濱野へ対する暖かで配慮に満ちた文脈の意味がよく理解でき、ただ感心されられています。自らを若造と書かれていましたがそうではありません。若くして介護の辛苦を体験されている貴方にしか書けない濱野へのアドバイスと恐れ入っています。

一方、既に削除されたようですが文才豊かで明るい性格のはずの濱野裕生があのような激しい怒りを見せるのも珍しい事でした。その理由はこのコメント欄で数名の方が書かれたように(道)という作品は今回発売される濱野のCDとは無関係だからです。この事だけで濱野裕生からするとデビューに対する嫌がらせにしか見えていないんです。

それに(道)の作詞者のTさんが書いた原詞がアスカさんより前なのか後だったのかというのは濱野自身にも分からない事です。ただ分かっているのは1994年頃にTさんが濱野にその詞を渡したということだけで、その詞がTさんの手元に何年保存されていたかはブログ記事だけでは分かりません。
もし、仮にTさんが今は50歳だとするとその詞に濱野が曲をつけて(道)のネット配信を始めたのが2008年ですからTさんは35年前に書いていた事になります。また、アスカさんにしても29年前のアルバムに収録して発表していたとしても実際にプライベートで原詞を書かれていたのはもっと以前のことかも知れません。私が言いたいのは決め付けてはいけないということです。

濱野は既に削除したブログで返信していましたね。それによると、主将兼捕手だったTから詞を受け取ったのが1994年頃という事でした。濱野の返信では「Tの話ではTが小6の頃に兄さんが甲子園への道を絶たれて失意の日々を送る姿を見ていて書いたのが最初の原詞であり、こんどはT自身が中学高校と野球に挑戦したがやはり甲子園への道を絶たれ、その兄弟の悲しみをダブらせて書いて最終的に出来上がったのが(道)らしいとだけ書いていました。

また、貴方は濱野のデビューに合わせての嫌がらせだろうとも書かれていますが、その意味合いは確かに強いと私も思います。しかし濱野は学生時代から超硬派な社会派のシンガーでしたので濱野は皆さんが考えているような活動はしないはずです。ラジオでの介護トーク番組やTVでの介護特番などには出ることはあっても歌謡ショーなどの番組で濱野裕生が顔を出すことは学生時代の彼を知る私には到底考えられません。

彼の以前のブログを読んでいた人なら分かるはずですが彼は20代で1度、このことは同じ音楽同好会にいた私も憶えています。それに30代でも2度目のメジャースカウトを受けながら断っているようです。彼は学生の頃から商業音楽の世界を嫌っていました。今回のメジャーの誘いに乗ったのは同志さん同様に濱野もまた介護家族となって9年、その介護の辛苦のまっただ中に暮らすようになったからだと感じています。だから今回だけはメジャーの力を借りてでも介護族の思いを日本中の介護家庭に伝播させたい一心だと解釈しています。

皆さん、(道)=作詞:T/作曲.歌:濱野裕生と分けて考える事ができないものでしょうか?。濱野裕生が作詞作曲をしてメロディまでが誰かの作品を真似しているみたいな表現は慎むべきと思います。同志さんのお心広い中立的なご意見は理解しますが、2チャンネル系の訪問者の言葉使いの悪さ、中傷の短文しか書けない能力には濱野の同窓生としては怒り心頭です。
Posted by 大学での同窓 at 2011年06月17日 13:27
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