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板東英二さん「不覚にも、ウルッときました」

2007年08月09日

 入場行進する、孫みたいな選手たちを見ながら、不覚にも、ウルッときました。僕は涙を流すことは、まずないんだけど。

写真ばんどう・えいじ 旧満州生まれ。徳島商のエースとして第40回大会準優勝。準々決勝の魚津戦で史上初の延長18回引き分け再試合。59年中日入団、通算77勝65敗。サンケイスポーツ評論家。67歳。

 49年前の夏。徳島商のエースで4番、主将でした。第40回の記念大会で初めて47都道府県から代表が選ばれることになった。そのニュースを聞いて、「甲子園に行けるかな」と。当時の四国はレベルが高く、甲子園は、月のように遠かった。

 ようやくたどり着いた甲子園。今でも、鮮明に覚えていますよ。「徳島県立徳島商業高校」とアナウンスが流れる。感激でね。ホームベースをすぎたあたりから、地方大会の優勝旗が重くて重くて。

 「あーあー、栄冠は君に輝く」。大会歌はいいですね。3年間頑張った君に、栄冠が輝いている。甲子園に出たこと、それが宝物なんですよ。

 練習は厳しかった。インフルエンザで休校になろうが、台風が来ようが、365日、朝から夜11時まで。部員がどんどんやめて、三塁手はマネジャーが転向しました。僕も2度、退部届を出した。でも、「立っとけ」と言われて、炎天下で立っていると、練習している方が楽でね。

 あの夏、試合前の投球練習は、球場入りする前に200球、ブルペンで100球。準々決勝の魚津戦で延長18回投げ終えた後も、疲れてはいなかった。練習よりも時間は短いし、水も飲める。翌日の再試合の前も、300球投げました。

 さすがに決勝は、疲れていたんでしょう。ベンチで、氷水を頭にずっとかけてました。野球人生を通じて7点取られた記憶はほかにない。今でも、言うんですよ。投球練習が70球だったら、優勝してたって。

 だけど、僕にとっては、史上初の引き分け再試合も、準優勝も、奪三振1大会83個の大会記録も、すべて付録なんです。入場行進で、校名を呼ばれた時の感動を超えるものはない。

 試合が始まると、多少、技術的なことを見てしまいます。福井商は8回の走塁がもったいなかった。「神様はちゃんとしたことをしたチームにほほえむ」。それを覚えたでしょう。開幕試合で戦えた。負けても、思い出は多いはず。僕も51年前を覚えています。1年の夏、出番はなかったけれど、開幕日に優勝した平安に負けました。

 実は甲子園で高校野球を見るのは、卒業してから初めて。今年は特待生問題が話題になった。長くやれば弊害も出ます。それは正せばいい。開会式のあいさつでも、きちんとそのことに触れられた。みんなで知恵を絞って、高校野球を大切にしていかないと。

 100回まで、あと11年。その時は78歳ですか。これからは、毎年1回はここに高校野球を見に来たい。選手たちの若さに負けないくらい、頑張ろう。勇気を、もらいました。




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