※「論議・講説等を好み、自余を交ゆべからざる事」(日興遺誡置文)
この日蓮大聖人の仏法は、自分の師匠から直接学び、それをそのままに伝える(折伏する)べきものであるというお示しです。
そこに自分の考えや発明が混じることがあってはならない、と仰せなのであります。
荒凡夫において、教学に優れ弁が立つとなると、つい気づかないうちにこの御誡めを犯すことがしばしばあるようです。
(そういう法があるということに)気づかないで犯した罪は、二度を犯さないことを誓えば(一度に限り)許されるべしとされてはいますが、己の過ちに気がつけないほど高慢にだけはなりたくないものです。
愚痴なる荒凡夫にあっては、実は御金言に違背しながら、「俺はそんなことないから!」など、平たく言えばあまりに馬鹿すぎて犯罪の事実自体を認めないということがしばしばあるのであり、それは邪教団員に限ったことではけっしてないようです。
つたなしつたなし。
恐るべし恐るべし。
「ひとのふりみてわがふりなおせ」。
2011年6月17日
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愚痴の壁
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