夢の中で「これは夢だ。」と自覚出来る人間は一体どれくらいいるだろうか?
少なくとも俺はそんな人間では無いつもりであった。
しかし、そんな事はなかった。間違いなく、これは夢だと断言できる。
だって、俺は今………
人形になっているのだから。
俺は今、猛烈に混乱している。混乱していると言っても発狂しているわけでもないし、自暴自棄になっているわけでもない。
嘆いて叫んでもいない。こと平坦に物事を順序良く頭の中で纏めて行く。自分でも呆れかえるくらい冷静にだ。
状況が状況。人間、とんでもない状況に陥ると、返って冷静になるのかもしれない。いや、冷静になるという表現は少しおかしいかもしれない。正確には、認識が追いつかない。感情がついてこない。
こんな所である。認識できないならば、身の回りの状況を把握できないし、感情がついてこなければ、何も湧きあがっても来ない。
茫然自失。
これほど今の状況にあった言葉は無いだろう。
しかし、茫然自失していられるのも束の間。時間が認識を、感情を呼びこんでくる。
ありとあらゆる情報を脳髄に強制的に入れてくる。
その情報吸収速度とは、まさに光速と行っても過言ではない早さである。
走馬灯だと思ってくださって結構。
まさにその通りなのだから。あの、インパクトの一瞬に人生の出来事が脳裏にフィードバックするあの現象。
まさにそれだ。
そして、大量の情報を受け取った脳はとうとう決断を下す事になる。
大量の情報を受け取り、最初に脳が下した答えは、
これは夢ではない。
という認識であった。
……………………
「なんだこれ?」
思わず、口にした言葉。
喋る。
ただの誰でも出来るこの行為自体に凄まじいほどの違和感を感じる。
俺は喋る時、活舌を気にしたりするような役作りな人間ではない。
舌の動きなど気にしたことが無い。だが、これは………
口は開くが、舌がまるで動いてない。
「あ、あ、あああ!?」
手足を見た。血管の通ってない木製の腕と足。
手を握る。
握る事は出来る。
でも、感覚が無い。
足を曲げてみる。
これも出来る。
でもこれまた感覚が無い。
凄まじく気持ちの悪い感覚である。
感覚の無い四肢。義手や義足を連想するが、あれは造りモノであって自分の手足では無い。
動かす事の出来ない偽物の手足。
だけど、
この手足は動かせる。
自分の意思で。
感覚が無くとも。
動かせるのだ。
これほど気味の悪い感覚は生まれて初めてだ。
冷や汗をかきたくとも汗を出すための汗腺など木材にあろうはずがない。
ふと、手に金色ブロンドの髪の毛がかかった。引っ張ってみるとそれが自分の髪の毛である事に気付く。
痛覚は無いが、髪の毛を引っ張ったら頭が動いたからだ。
あたりを見渡す。なんでもいい。なんでもいいから今の自分の姿を映す事の出来るモノ。
鏡。
鏡は無いかとあたりを見渡す。
あたりは真っ暗・時間が経つにつれ、夜目に慣れてきた。
尤も、まるでアクリル製を浮かべる心地よい音を奏でる自分の目に夜目等とは何とも言い難い感覚である。
まあ、それはともかくようやく目が慣れてきた。
どうやらここはどこかの家の一室。隣には人形。
そのまた隣にも人形。奥の方にも人形と、まるで人形屋敷である。
いや、まるでではなく本当にそのままに人形屋敷であった。
気味の悪い体を動かし、あたりを散策しようと思ったその瞬間、
「うわ!」
棚から落ちてしまった。
落ちるのに壱秒くらいかかった。体感的に、ビルの2~3階位から落ちたような感覚だ。
「あいたたた……。」
思わず、そんな事を言ってしまったが、実は全く痛くない。
というか、感覚が無いのだから。何かしらの名残で言ってしまったのだろうか?
そして、床に降りた俺は思わず気絶しそうなほどの衝撃を受ける事になる。
「な、なんだよこれ?………なんで、こんなに……。」
大きいんだ?
そう。棚の上から見ていた景色と間近で見る風景のあまりの違いに思わず絶句してしまった。
大きい。
椅子が。
テーブルが
窓が。
ドアが。
自分が知る家具のおよそ4~5倍はありそうな大きさ。
目を見張るとはまさにこの事である。
ふと、奥の方に鏡がある事を確認した。服屋にあるような等身大の鏡。
そこで見た姿は自分の姿に言葉に出来ない声を発する小さく綺麗な人形の姿であった。
……………………
(くそ!なんだよこれ!?なんで人形の姿なんかに!?)
鏡を何度確認してもそこにいるのは、小さな人形であった。
(よく考えろ!俺は、どうしてここに………経緯を思い出すんだ!)
どうして。ここにいるのか?どうして、人形なのか?どうして、どうして……。そんな事を悶々と考えている時だった。
玄関の扉が開いたのだ。
(あ、あれは………この家の人かな?)
暗闇でよく分からないけど、大きな帽子をかぶっている女性であると言うのは分かる。
「あ、あの………。」
「うおぁ!!!」
声をかけた瞬間、思いっきり驚かれた。
後々冷静になってみると、フランス人形がいきなり声をかけてきたら、それってかなりのホラーだよな?
「……っ………な、なんだよ。蓬莱じゃないか。ビックリさせんなよ。」
(蓬莱?)
「ったく……アリスの野郎、こんな手の込んだ罠を仕掛けて置くなんて、人が悪いぜ。」
「あ、あの……ちょっと………」
「くそう……私が宴会を抜け出してここに来ることも読んでいたなんて……ここまで行動を読まれるとちょっと気持ちが悪いゼ。」
「は、話を……。」
「ふう。………さすがにバレバレの状態で、拝借させてもらうわけにはいかねえか……。仕方ねえな。出直すか。」
「ねえ、ちょっと~!!」
…………………行ってしまった。
一体なんだったのだろうか?この家の住人って感じじゃなかった。この家の人のお友達だろうか?なんか、アリスって言ってたし……。
そう言えば、気になる事を言っていた。
彼女、名前が分からないから彼女にするが、その彼女が俺をこう言った。
【蓬莱】
と。
一体、なんの事なのだろうか?俺の名前は………
………………………………
………………
……
「あれ?」
今しがた、重大な事に気付いた。
いや、本当ならば一番最初に気付かなければならないとんでもない重大な事。
自己を形成する重大なモノを俺は無くしている。
「俺は………誰だ?」
……………………………
容姿は、自己を確立する最大のアイデンティティである。
他者とは違う、自分だけの存在。それを真っ先に認識できるのが容姿なのである。
よくある話に、事故などで顔に大きな傷を負った少女が自分を認識できなくなる神経性の病気にかかる場合があるらしい。
容姿を失った事によるアイデンティティの崩壊。
時に、それは人間の心を壊してしまうほど大きな存在になってしまうのである。
では、最初から自分の容姿が分からず、違う顔を見た場合は。
簡単である。
これが自分なのだと新しいアイデンティティを構築する。ただそれだけ。
「俺は………誰なんだ?」
記憶が無い。
知識が無くなっているわけではない。
自分に関するあらゆる情報がすべて無くなっているのだ。自分が誰で、両親が誰で、兄弟が誰で、友人が誰で……。
何一つ、覚えていない。知識はある。最低限のコミュニケーションが取れるほどの。
でも………
何一つ、思い出せない。
自分が何者なのかが分からない。
自分が何モノなのかが分からない。
「俺は………一体……。」
またもや茫然自失。
今度は先ほどとは違う。
完全に自らを失っている。
これでは茫然自失ではなく、完全自失である。
無理もない。人は己が全である事を普通であると考えるものである。
俺は、全どころが零である。まるっきしのゼロ。無である。
プラスでもマイナスでもなくゼロ。
記憶があった場合、とりあえず自分の身が置かれている状況を整理すると言うのが冷静な人間のする対処方法である。
しかし、俺に限っては整理すべき状況があまりないと言うのが正直な所なのである。
整理すべき記憶が無くなってしまっているのだから。
整理することすらできない。
仮にいま、この状況で………状況なんてモノはほぼ無いに等しいけど、何らかの救いを見出すとするならば、とりあえず、俺の記憶が完全に無くなっている事である。
自分の容姿が分からないから。
自分がどんな姿をしていてもショックは起きない。
人形なのは驚いたけど………。
驚いただけ。悲観はしていない。
もしかしたら、自分は………本当は人なんかではなく……本当は……
バタン!
急に玄関の扉が閉まる音がした。
驚きはしなかったが、自失から目を覚ますには十分すぎる音であった。
「あっ!部屋が少し変わってる………。魔理沙の仕業ね。………でも、何も取られていないみたいだけど………。」
突然、明りが付いた。電球も蛍光灯も無いのに部屋が明るくなった。
「あら?蓬莱、どうして貴女がそこにいるの?」
思わず見とれてしまった。
一言、綺麗な女性であった。
人形よりも人形らしく。
人形よりもきめ細かく。
人形よりも繊細で。
人形よりも………綺麗だった。本当に……綺麗だった。
アリス・マーガトロイド【七色の魔法使い】
これは彼女と記憶を無くした人形のお話である。
続く