俺は繰り返す。
出来る限り、永遠に。
この一瞬を無限に引き伸ばす。
――さて、俺は次に何をするべきだったろうか?
過去でも未来でもない永遠の世界。
ここはそんな終末の袋小路。
その中でできる行動は限られている。
タイムリープ。
俺はタイムリープをしなければならなかった。
プログラムめいた思考順序で、そのために必要な一連の行動を決定する。
ヘッドセットを被り、記憶データをコピーして電話をかける。
意識が過去に飛ぶ。
時間が経って、またヘッドセットを被り、記憶データをコピーして電話をかける。
意識が過去に飛ぶ。
時間が経って、またヘッドセットを被り、記憶データをコピーして電話をかける。
意識が過去に飛ぶ。
リピート。以下省略。
リピート。以下省略。
リピート。以下省略。
リピート。以下省略。
リピート。以下省略。
「――――」
「――――」
「――――」
――他に何かをするべきことがあっただろうか?
俺に出来ることはそれだけで、それ以外の何もできない。
いつからこうなったのだろうか。
普通の生活を送っていてはこんな珍しい事態に陥らなかったはずだ。
そこには、決して忘れることのできない――忘れてはいけない過程があった気がする。
それさえも壊れてしまったのか。
繰り返し続けるうちに全部零れてしまったのか、今の俺には何も見つけることができない。
何か新しいものが手に入ることはないから、何かを失っていくばかり。
永遠の無益さは、人の心を容易に狂わせる。
その中で、より上手く自然に行動するための試行錯誤を重ねた。
結果として、一連の行動は限りなく安定したものに近づいた。
あまりにも刺激が乏しいと人間はそれに適応するように進化できるらしい。
生物から無機物に。
リープによって無駄に増え続ける新規の情報を、俺の脳はいつからかカットし始めた。
別に問題はない。
どうせただのパターン化された日常なんだ。
個人の脳の保存容量の限界か、度重なるリープマシンの使用による弊害か、俺の過去の記憶は段々と朧になっていった。
そのあたりから、俺はリープによって起こる出来事のほとんどをまともに記憶しなくなった。
聴覚も、視覚も、嗅覚も正常なのに、短期記憶から長期記憶へと移行するプロセスが遮断されたのだ。
つくづく人間の脳とは上手くできたものである。
環境に慣れるための機械化が進み、無駄なもの、不要な情報は自動的に処理される。
見えないのなら、感じられないのであれば、それは存在しないのと同じだ。
出口を失くした時間と同じように、俺という存在もやがて完全に閉鎖された。
後は少しずつ、風雨によって削られる岩のように――
「――――」
「――――」
「――――」
誰かが、俺に繰り返し語りかけてくれた気がする。
タイムリープを繰り返す俺を止めようとしてくれた誰かがいた気がする。
どちらも大事な二人だったような気がする。
忘れてしまったけど。
既に世界の色が俺には見えない。
繰り返し続けたビデオが劣化していくように、限定した時間範囲内における完全知を得た世界はどんどんと色褪せていく。
その中で俺の意思はほとんど失われたと思っていた。
脳内にタイマーをセットして、規定の時間がきたらリープして、またタイマーをセットしなおす。
カチ・カチ・カチ。
カチ・カチ・カチ。
カチ・カチ・カチ。
まるで時計のような生活だ。
時間を計っている時間が一番多い。
簡単で単調極まる作業の遂行に何も考えないようになるまで時間がかかったけどもう慣れた。
ずっと繰り返してきた。
何度も繰り返してきた。
最近はずっと調子にブレはなく、今日も規定の行動を俺は繰り返すだけだったはずだ。
だが――今日の俺は少し調子がいいらしい。
プログラムされた思考にほんの少しばかりのノイズが混ざる。
最初の頃はずっと忘れまいと足掻いていた感情が久方ぶりに蘇った。
思い出す。
確か、これは苦悩という刺激だった。
今のこの世界においてはとても珍しい刺激だ。
動きの鈍った俺にときどき動力を注入するためのカンフル剤のようなものかもしれない。
だから俺はその苦悩の源泉にメスを入れた。
刺激にはいつだって餓えている。
もっと刺激が欲しい。
――そういえば、紅莉栖とまゆりを助けようと思っていたんだっけ。
今更のように思い返すことができた。
この状況はカルネアデスの板と呼ばれる状況に似ている。
俺の手持ちの手段では、二人のうち一人しか救い上げることができなかった。
どちらも俺にとってはかけがえのない大事な人間なのだ。
選べといわれて、あっさりと決定を下せる人間はいない。
大昔の漫画で、この難問に対して『最後まで諦めず考える』と答えた名探偵がいた。
その通り。
俺は最後まで諦めず考え続けるための時間を求めた。
考える時間はいくらあっても足りない。
無限に欲しい。
何故なら、考える時間が尽きたときが決定を下す瞬間で、そうなればもう二度と取り返しはつかない。
考え続けた末に絶望という結論しか見えなかったとき、その名探偵はどうするかを答えていない。
俺も同じように答えを出せなかった。
だから答えが出るまでは考え続けなければならない。
時間を作ることができるんだから。
――ああ、そうだった。今はずっと考えるための時間だったのに、何をしていたんだろう?
カンフル剤だなんてとんでもない。
目的と手段が逆転している。
もとはといえば、何か悲劇的な結末を防ぐための時間を稼ぐためだったのに。
俺の中からは、その悲劇を悲劇と感じる心が失われている。
何らかの打開策を考えるべきだったのに、そのために思索を巡らす心の余裕は既に埋まっている。
ある意味で当然だった。
プログラム通りにしか動かない日常の中でどうして新しい発想が出てくる道理がある?
そもそも最初からリープそのものが自己目的化していた。
単なる責任逃れ、逃避にすぎなかったのだと俺はとうに気づいていた。
今ではもっと単調な何かに堕落してしまっていた。
――結局、何もできなかったんだな。
それはいつかのあいつの言ったとおりの結末だった。
元よりそういう仕組みのものだったのだ。
俺は最初からその点に関して諦めてしまっていた。
世界は俺の意思があろうがなかろうが全て決定した流れに沿ってしか動かない。
決定された枠組みの中でのせめてもの抵抗は、最初からループを繰り返し続けることしかなかったのだ。
故にここは終末の袋小路。
誰かが指摘したとおり、これは緩慢な自殺に他ならない。
でも、それの何が悪いというのだ。
神のように命を取捨選択する罪悪から逃げることの何が悪いのだ。
俺の行動パターンにブレがないかぎり、この世界はずっと続く。
地球が規定の軌道を周回し、朝になれば太陽が昇るほどに当たり前の事実だ。
それがずっと続けば。
それを続けることができるならば。
俺の主観においては普通に生きるよりもずっと延命させたことになるじゃないか。
助けることはできなくても、見捨てることだけはないじゃないか。
何一つ真新しいことなんて起こらなくても、何か一つを守っていることには変わりがないではないか。
みじめな機械と成り果てた俺だけど、まだこの身には存在意義が残されている。
そう思えばこそ耐えられる。
そう思えるから生きている。
だから俺は繰り返す。
出来る限り、永遠に。
この一瞬を無限に引き伸ばす。
「――――」
「――――」
「――――」
■ Summoner's Stein
耳慣れたチャイムの音が鳴り響く。
何回かまばたきを繰り返して前を向くと、壇上の人影が目に入った。
一言二言を連絡して人影が部屋から出て行くと、ガタガタと机を揺らして立ち上がる学生たちの姿があった。
前の席の誰かが振り向いて俺に話しかけてきた。
「で、オカリンこの後はどうすんの? いつもと同じ場所に集合?」
マイ・フェイバレット・ライトアームズ。
ダルだ。
何故かいつもの服装ではなく、学生服を着ている。
半袖のカッターシャツと黒色のズボン。
白黒のバランスで、いつもの格好より心なしか痩せているように見えるな。
なにより帽子をかぶっていないこいつの姿を久しぶりに見た気がする。
で、ダルは俺に何を話しかけてきた?
それ以前に、俺は何をしていたんだったか。
なんとか思い出そうとするが、記憶自体が霞がかったような彼方にあるような感覚がある。
まるで現実味がなかった。
薄気味悪いほどに。
なにより、俺は俺のことすらよく理解していないということに気づいた。
俺は一体どこの誰で、いつからこの場所にいたのだろう。
「ダルよ。俺は――今まで何をやっていた。ここはどこで、そして俺は誰なのだ?」
「今度は記憶喪失系かよオカリン。いい加減厨二病卒業しろ」
ダルは苦笑して答えた。
オカリン。
岡部倫太郎。
そうだ。
それが俺の名前だった。
オカリンというのは俺の幼なじみがつけたあだ名で、その名で呼ばれることを嫌がっているにも関わらずこの二人はそう呼ぶことをやめない。
この二人って、誰と誰だったっけ?
……まあいい。
いずれわかることなんだろう。
まだ長い夢の続きのように頭がぼやけてしまっているが、ダルのことはちゃんと思い出せた。
他のことだってちゃんと思い出せるに違いない。
「しかしここはどこだダル? なにやら見慣れた風景のような気がするが」
「学校に決まってんだろ常考」
学校……だと?
いや、まあ。言われてみればそんな気はしないでもない。
昔懐かしの制服を着ているダル。
そして周りにはクラスメイトとおぼしき数人の人影が立っている。
夏の暑さに窓は全開になっていて、整然と並んだ机に、前には教壇と黒板。
さっき出て行ったのは教師に違いない。
……なるほど。
これで学校にいると思えないのなら、そいつはちょっとどうかしている。
さらに付け加えるなら、俺が知っている高校の風景だった。
だが、俺は高校生だったか?
俺は確か既に大学生ではなかったのか?
少し記憶を探ると、大学に入ってから設立したラボの映像が思い出される。
悲しいこともあったが、あそこは俺にとってとても大事な場所だった。
ふと視線を落すと、ダルだけでなく、俺も昔懐かしの学生服を着ていることに気づいた。
なんで俺は制服なんて着ているんだ?
どうして学校の教室などに来ている?
いつもの白衣はどこへやった?
「ラボ……ここはラボではなかったのか……? いや、それ以前に俺はもう大学生だったはず……」
「おい。もう受験終わったつもりとか、成績悪くないって言っても油断しすぎだろオカリン。余裕だって言うなら任意参加の夏期講習とか来る必要ないお」
ぼんやりとダルの話を聞き流す。
よくわからない。
あまりにも記憶に欠落が多すぎて、現在の状況を上手く把握できない。
テレビの中で、ドッキリで担がれている芸人でも見ているような気分だ。
落ち着かない気分で、俺は視線を左右にむけた。
すると、そこには見慣れた人がいた。
どういうわけだかいつもの姿ではなく、半袖のカッターシャツに赤いリボンタイ。
下は校則から見て長すぎず短すぎない濃紺色のスカートをはいている。
まるで俺の昔の高校の女子のような格好をしていたが間違えるはずがない。
モデルのようなスラッとした身体に、長い髪。
どこか刺々しく映る不機嫌そうな表情。
そして優れた叡智をもって真理を探究する強い瞳。
窓際の席で、物憂げに一人小難しそうなタイトルの分厚い本を眺めている。
牧瀬紅莉栖だ。
俺は何だかとても嬉しくなった。
すぐさまに椅子を立ち上がって紅莉栖に声をかけた。
「助手よ! そんなところで何をしている?」
「……はあ?」
俺に突然声をかけられて、わけがわからないという顔をした助手を無視して俺は続けた。
「いつもの改造制服はどうした? 新たなコスプレにでも目覚めたのか? 俺の昔の高校の女子制服まで調達して何かの潜入指令でも受けたか?」
その瞬間、シンと教室が静まった。
時が止まったかのような静寂が流れる。
なんだ。
この違和感は。
「ちょ、オカリンそれはマズい。いくらなんでもふざける相手を間違えてるって」
「何を言うんだ。別に知らない仲というわけでもあるまいに。俺が助手に話しかけて何が悪い」
いつの間にか俺の近くに来ていたダルが珍しいくらいの必死さで俺を止めた。
しかし俺はそんな忠告を無視して紅莉栖に話しかける。
助手はといえば、うざったしそうな視線で俺を睨んでいる。
思わず怯んでしまうほど冷たい視線だった。
冷ややかな声で、紅莉栖は淡々と話す。
「確かにちゃんと名前を認識できることは確かね、岡部倫太郎。同じ学校でクラスメイト。それで『助手』って誰のこと? 私はあんたにヘンなあだ名で呼ばれるほど親しくなかったつもりだけど」
馬鹿な。
何をふざけているのだコイツ。
お前は飛び級して院を卒業し、サイエンスに論文が掲載されるほどの天才少女だろうが。
「おいおい、何をふざけたことを言っている。よりにもよって俺とお前がクラスメイトだと? それは新手の冗談か?」
「なっ……」
俺がそのつまらない冗談を笑い飛ばすと、紅莉栖の視線が厳しさを増した。
その強い視線に少し驚いた。
初めてタイムマシンのことを話したときのことを思い出す。
あのときと同じ純粋な怒りに染まった表情を見て、俺はようやく気づいた。
もしかして俺は、本気で間違ったことを言っている?
「オカリン、いくらなんでもそりゃ酷すぎる。記憶喪失設定で遊ぶにしても人を選べっつーの!」
「まて……ダルよ。これは本当なのか? 俺が紅莉栖とクラスメイトだというのは……?」
「いい加減にしろよオカリン。それ以上続けると本気で怒るぞ」
珍しく怒っているダルの反応。
その反応を見て、俺はますます確信を深めた。
恐る恐る紅莉栖に尋ねる。
「な、なあ。俺は間違ったことを言ったのか? お前とクラスメイトではないと。それは、事実に反することなのか……?」
「――別に。あんたなんかにどう思われてようと構わないわけだけど。それで……たったそれだけのことが言いたかったわけ?」
突き放したような言葉と裏腹に、紅莉栖は悔しそうに目端に涙すら浮かべていた。
俺に『お前はクラスメイトなんかではない』と言われて傷ついたのだろう。
静まり返った周りの人間の反応も納得だ。
客観的に見れば、俺はいきなり公然とクラスメイトの女の子をイジめている頭のイカれた男であるわけで。
「まさか、違うのか……」
ようやく俺は確信できた。
ここは違う世界だ。
元の世界とは世界線変動率の違う別世界だ。
だが、覚えていない。
どういう原因で俺はこの世界線に迷い込んだのか。
一体いつリーディングシュタイナーが発動したのか。
何もわからない。
ただ、世界線変動率がこれだけ違うということは……
膝から下の力が抜けて俺は崩れ落ちた。
「あ、はははは、はは! なんだよ、おい! 違う、そうだ! まるで違ったのだ!」
「お、おいオカリン、大丈夫か?」
「わからない。わからないはずだ! なにしろ全部、この世界の全部が! 既に変わってしまっていたのだからな! はは、はははははっ!」
改めて周囲の光景を省みて、俺は眩暈がした。
俺はなんで気づかなかったのだろう。
ここはまるで違う。
俺の知っていた世界と何一つ違うではないか。
教室。
怪訝な目で俺を見るクラスメイトたち。
よく見ればそれは一年前に見たような顔ぶれが混ざっていて――
その中でやはり一年前の姿に戻ったダルと、紛れ込んでいる全く俺の知らない紅莉栖。
その事実を認識した瞬間に、耐え難い嘔吐感がこみ上げてきた。
なんて気持ちの悪い風景なんだ。
違和感しか感じない。
グラグラと頭が揺れて、廻る走馬灯のように俺の中に過去のラボでの思い出が蘇る。
俺は祈るように目を閉じた。
もう一度目を開けたとき、俺の見慣れた風景が帰ってくると。
これは何か悪い夢に迷い込んだのだと、そう信じるかのように。
だけど……目を開いても、そこはやっぱり教室のままだ。
近くには制服を着たダルと、状況がまるで理解できていないという表情の紅莉栖が俺を見下ろしていた。
全ては自然にあるがままに存在していて、されどそれは俺の知っていた世界とは絶対的に違う。
あまりにも違いすぎたんだ。
「ああ、ああああ……うあああああああああああああああああああああああああっ!」
ここまで来れば馬鹿にだってわかる。
俺はようやく悟ることができた。
自分が全くの別世界に流されてしまったことを。
俺は今まで知っていた世界の全てを失った。