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[28341] Summoner’s Stein(STEINS;GATE シュタインズゲート)
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:036f1c3c
Date: 2011/06/15 22:00
 前書き。

 STEINS;GATEの二次創作(長編)です。
 物語の終盤から、とある世界線へと移動した岡部の話です。
 内容を一言でいえば、シュタゲの学園ものです。
 ネタバレ全開なのでアニメ視聴中の方、もしくはゲーム未クリアの方は閲覧にご注意下さい。
 わりと気長に続けていく予定です。

 6/15 第二話を掲載



[28341] Summoner’s Stein <1>
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:036f1c3c
Date: 2011/06/16 21:06
 俺は繰り返す。
 出来る限り、永遠に。
 この一瞬を無限に引き伸ばす。

 ――さて、俺は次に何をするべきだったろうか?
 
 過去でも未来でもない永遠の世界。
 ここはそんな終末の袋小路。
 その中でできる行動は限られている。
 タイムリープ。
 俺はタイムリープをしなければならなかった。
 プログラムめいた思考順序で、そのために必要な一連の行動を決定する。
 ヘッドセットを被り、記憶データをコピーして電話をかける。
 意識が過去に飛ぶ。
 時間が経って、またヘッドセットを被り、記憶データをコピーして電話をかける。
 意識が過去に飛ぶ。
 時間が経って、またヘッドセットを被り、記憶データをコピーして電話をかける。
 意識が過去に飛ぶ。
 リピート。以下省略。
 リピート。以下省略。
 リピート。以下省略。
 リピート。以下省略。
 リピート。以下省略。

「――――」
「――――」
「――――」
 
 ――他に何かをするべきことがあっただろうか?

 俺に出来ることはそれだけで、それ以外の何もできない。
 いつからこうなったのだろうか。
 普通の生活を送っていてはこんな珍しい事態に陥らなかったはずだ。
 そこには、決して忘れることのできない――忘れてはいけない過程があった気がする。
 それさえも壊れてしまったのか。
 繰り返し続けるうちに全部零れてしまったのか、今の俺には何も見つけることができない。
 何か新しいものが手に入ることはないから、何かを失っていくばかり。
 永遠の無益さは、人の心を容易に狂わせる。
 その中で、より上手く自然に行動するための試行錯誤を重ねた。
 結果として、一連の行動は限りなく安定したものに近づいた。
 あまりにも刺激が乏しいと人間はそれに適応するように進化できるらしい。
 生物から無機物に。
 リープによって無駄に増え続ける新規の情報を、俺の脳はいつからかカットし始めた。
 別に問題はない。
 どうせただのパターン化された日常なんだ。
 個人の脳の保存容量の限界か、度重なるリープマシンの使用による弊害か、俺の過去の記憶は段々と朧になっていった。
 そのあたりから、俺はリープによって起こる出来事のほとんどをまともに記憶しなくなった。
 聴覚も、視覚も、嗅覚も正常なのに、短期記憶から長期記憶へと移行するプロセスが遮断されたのだ。
 つくづく人間の脳とは上手くできたものである。
 環境に慣れるための機械化が進み、無駄なもの、不要な情報は自動的に処理される。
 見えないのなら、感じられないのであれば、それは存在しないのと同じだ。
 出口を失くした時間と同じように、俺という存在もやがて完全に閉鎖された。
 後は少しずつ、風雨によって削られる岩のように――

「――――」
「――――」
「――――」
 
 誰かが、俺に繰り返し語りかけてくれた気がする。
 タイムリープを繰り返す俺を止めようとしてくれた誰かがいた気がする。
 どちらも大事な二人だったような気がする。
 忘れてしまったけど。
 既に世界の色が俺には見えない。
 繰り返し続けたビデオが劣化していくように、限定した時間範囲内における完全知を得た世界はどんどんと色褪せていく。
 その中で俺の意思はほとんど失われたと思っていた。
 脳内にタイマーをセットして、規定の時間がきたらリープして、またタイマーをセットしなおす。
 カチ・カチ・カチ。
 カチ・カチ・カチ。
 カチ・カチ・カチ。
 まるで時計のような生活だ。
 時間を計っている時間が一番多い。
 簡単で単調極まる作業の遂行に何も考えないようになるまで時間がかかったけどもう慣れた。
 ずっと繰り返してきた。
 何度も繰り返してきた。
 最近はずっと調子にブレはなく、今日も規定の行動を俺は繰り返すだけだったはずだ。

 だが――今日の俺は少し調子がいいらしい。
 プログラムされた思考にほんの少しばかりのノイズが混ざる。
 最初の頃はずっと忘れまいと足掻いていた感情が久方ぶりに蘇った。
 思い出す。
 確か、これは苦悩という刺激だった。
 今のこの世界においてはとても珍しい刺激だ。
 動きの鈍った俺にときどき動力を注入するためのカンフル剤のようなものかもしれない。
 だから俺はその苦悩の源泉にメスを入れた。
 刺激にはいつだって餓えている。
 もっと刺激が欲しい。

 ――そういえば、紅莉栖とまゆりを助けようと思っていたんだっけ。

 今更のように思い返すことができた。
 この状況はカルネアデスの板と呼ばれる状況に似ている。
 俺の手持ちの手段では、二人のうち一人しか救い上げることができなかった。
 どちらも俺にとってはかけがえのない大事な人間なのだ。
 選べといわれて、あっさりと決定を下せる人間はいない。
 大昔の漫画で、この難問に対して『最後まで諦めず考える』と答えた名探偵がいた。
 その通り。
 俺は最後まで諦めず考え続けるための時間を求めた。
 考える時間はいくらあっても足りない。
 無限に欲しい。
 何故なら、考える時間が尽きたときが決定を下す瞬間で、そうなればもう二度と取り返しはつかない。
 考え続けた末に絶望という結論しか見えなかったとき、その名探偵はどうするかを答えていない。
 俺も同じように答えを出せなかった。
 だから答えが出るまでは考え続けなければならない。
 時間を作ることができるんだから。

 ――ああ、そうだった。今はずっと考えるための時間だったのに、何をしていたんだろう?

 カンフル剤だなんてとんでもない。
 目的と手段が逆転している。
 もとはといえば、何か悲劇的な結末を防ぐための時間を稼ぐためだったのに。
 俺の中からは、その悲劇を悲劇と感じる心が失われている。
 何らかの打開策を考えるべきだったのに、そのために思索を巡らす心の余裕は既に埋まっている。
 ある意味で当然だった。
 プログラム通りにしか動かない日常の中でどうして新しい発想が出てくる道理がある?
 そもそも最初からリープそのものが自己目的化していた。
 単なる責任逃れ、逃避にすぎなかったのだと俺はとうに気づいていた。
 今ではもっと単調な何かに堕落してしまっていた。

 ――結局、何もできなかったんだな。
 
 それはいつかのあいつの言ったとおりの結末だった。
 元よりそういう仕組みのものだったのだ。
 俺は最初からその点に関して諦めてしまっていた。
 世界は俺の意思があろうがなかろうが全て決定した流れに沿ってしか動かない。
 決定された枠組みの中でのせめてもの抵抗は、最初からループを繰り返し続けることしかなかったのだ。
 故にここは終末の袋小路。
 誰かが指摘したとおり、これは緩慢な自殺に他ならない。
 でも、それの何が悪いというのだ。
 神のように命を取捨選択する罪悪から逃げることの何が悪いのだ。
 俺の行動パターンにブレがないかぎり、この世界はずっと続く。
 地球が規定の軌道を周回し、朝になれば太陽が昇るほどに当たり前の事実だ。
 それがずっと続けば。
 それを続けることができるならば。
 俺の主観においては普通に生きるよりもずっと延命させたことになるじゃないか。
 助けることはできなくても、見捨てることだけはないじゃないか。
 何一つ真新しいことなんて起こらなくても、何か一つを守っていることには変わりがないではないか。
 みじめな機械と成り果てた俺だけど、まだこの身には存在意義が残されている。
 そう思えばこそ耐えられる。
 そう思えるから生きている。

 だから俺は繰り返す。
 出来る限り、永遠に。
 この一瞬を無限に引き伸ばす。

「――――」
「――――」
「――――」






          ■ Summoner's Stein 







 耳慣れたチャイムの音が鳴り響く。
 何回かまばたきを繰り返して前を向くと、壇上の人影が目に入った。
 一言二言を連絡して人影が部屋から出て行くと、ガタガタと机を揺らして立ち上がる学生たちの姿があった。
 前の席の誰かが振り向いて俺に話しかけてきた。

「で、オカリンこの後はどうすんの? いつもと同じ場所に集合?」 

 マイ・フェイバレット・ライトアームズ。
 ダルだ。
 何故かいつもの服装ではなく、学生服を着ている。
 半袖のカッターシャツと黒色のズボン。
 白黒のバランスで、いつもの格好より心なしか痩せているように見えるな。
 なにより帽子をかぶっていないこいつの姿を久しぶりに見た気がする。
 で、ダルは俺に何を話しかけてきた?
 それ以前に、俺は何をしていたんだったか。
 なんとか思い出そうとするが、記憶自体が霞がかったような彼方にあるような感覚がある。
 まるで現実味がなかった。
 薄気味悪いほどに。
 なにより、俺は俺のことすらよく理解していないということに気づいた。
 俺は一体どこの誰で、いつからこの場所にいたのだろう。

「ダルよ。俺は――今まで何をやっていた。ここはどこで、そして俺は誰なのだ?」
「今度は記憶喪失系かよオカリン。いい加減厨二病卒業しろ」

 ダルは苦笑して答えた。
 オカリン。
 岡部倫太郎。
 そうだ。
 それが俺の名前だった。
 オカリンというのは俺の幼なじみがつけたあだ名で、その名で呼ばれることを嫌がっているにも関わらずこの二人はそう呼ぶことをやめない。
 この二人って、誰と誰だったっけ?
 ……まあいい。
 いずれわかることなんだろう。
 まだ長い夢の続きのように頭がぼやけてしまっているが、ダルのことはちゃんと思い出せた。
 他のことだってちゃんと思い出せるに違いない。

「しかしここはどこだダル? なにやら見慣れた風景のような気がするが」
「学校に決まってんだろ常考」

 学校……だと?
 いや、まあ。言われてみればそんな気はしないでもない。
 昔懐かしの制服を着ているダル。
 そして周りにはクラスメイトとおぼしき数人の人影が立っている。
 夏の暑さに窓は全開になっていて、整然と並んだ机に、前には教壇と黒板。
 さっき出て行ったのは教師に違いない。
 ……なるほど。
 これで学校にいると思えないのなら、そいつはちょっとどうかしている。
 さらに付け加えるなら、俺が知っている高校の風景だった。
 だが、俺は高校生だったか?
 俺は確か既に大学生ではなかったのか?
 少し記憶を探ると、大学に入ってから設立したラボの映像が思い出される。
 悲しいこともあったが、あそこは俺にとってとても大事な場所だった。
 ふと視線を落すと、ダルだけでなく、俺も昔懐かしの学生服を着ていることに気づいた。
 なんで俺は制服なんて着ているんだ?
 どうして学校の教室などに来ている?
 いつもの白衣はどこへやった?

「ラボ……ここはラボではなかったのか……? いや、それ以前に俺はもう大学生だったはず……」
「おい。もう受験終わったつもりとか、成績悪くないって言っても油断しすぎだろオカリン。余裕だって言うなら任意参加の夏期講習とか来る必要ないお」

 ぼんやりとダルの話を聞き流す。
 よくわからない。
 あまりにも記憶に欠落が多すぎて、現在の状況を上手く把握できない。
 テレビの中で、ドッキリで担がれている芸人でも見ているような気分だ。
 落ち着かない気分で、俺は視線を左右にむけた。
 すると、そこには見慣れた人がいた。
 どういうわけだかいつもの姿ではなく、半袖のカッターシャツに赤いリボンタイ。
 下は校則から見て長すぎず短すぎない濃紺色のスカートをはいている。
 まるで俺の昔の高校の女子のような格好をしていたが間違えるはずがない。
 モデルのようなスラッとした身体に、長い髪。
 どこか刺々しく映る不機嫌そうな表情。
 そして優れた叡智をもって真理を探究する強い瞳。
 窓際の席で、物憂げに一人小難しそうなタイトルの分厚い本を眺めている。
 牧瀬紅莉栖だ。
 俺は何だかとても嬉しくなった。
 すぐさまに椅子を立ち上がって紅莉栖に声をかけた。

「助手よ! そんなところで何をしている?」
「……はあ?」

 俺に突然声をかけられて、わけがわからないという顔をした助手を無視して俺は続けた。

「いつもの改造制服はどうした? 新たなコスプレにでも目覚めたのか? 俺の昔の高校の女子制服まで調達して何かの潜入指令でも受けたか?」

 その瞬間、シンと教室が静まった。
 時が止まったかのような静寂が流れる。
 なんだ。
 この違和感は。

「ちょ、オカリンそれはマズい。いくらなんでもふざける相手を間違えてるって」
「何を言うんだ。別に知らない仲というわけでもあるまいに。俺が助手に話しかけて何が悪い」

 いつの間にか俺の近くに来ていたダルが珍しいくらいの必死さで俺を止めた。
 しかし俺はそんな忠告を無視して紅莉栖に話しかける。
 助手はといえば、うざったしそうな視線で俺を睨んでいる。
 思わず怯んでしまうほど冷たい視線だった。
 冷ややかな声で、紅莉栖は淡々と話す。

「確かにちゃんと名前を認識できることは確かね、岡部倫太郎。同じ学校でクラスメイト。それで『助手』って誰のこと? 私はあんたにヘンなあだ名で呼ばれるほど親しくなかったつもりだけど」

 馬鹿な。
 何をふざけているのだコイツ。
 お前は飛び級して院を卒業し、サイエンスに論文が掲載されるほどの天才少女だろうが。

「おいおい、何をふざけたことを言っている。よりにもよって俺とお前がクラスメイトだと? それは新手の冗談か?」
「なっ……」

 俺がそのつまらない冗談を笑い飛ばすと、紅莉栖の視線が厳しさを増した。
 その強い視線に少し驚いた。
 初めてタイムマシンのことを話したときのことを思い出す。
 あのときと同じ純粋な怒りに染まった表情を見て、俺はようやく気づいた。
 もしかして俺は、本気で間違ったことを言っている?

「オカリン、いくらなんでもそりゃ酷すぎる。記憶喪失設定で遊ぶにしても人を選べっつーの!」
「まて……ダルよ。これは本当なのか? 俺が紅莉栖とクラスメイトだというのは……?」
「いい加減にしろよオカリン。それ以上続けると本気で怒るぞ」

 珍しく怒っているダルの反応。
 その反応を見て、俺はますます確信を深めた。
 恐る恐る紅莉栖に尋ねる。
 
「な、なあ。俺は間違ったことを言ったのか? お前とクラスメイトではないと。それは、事実に反することなのか……?」 
「――別に。あんたなんかにどう思われてようと構わないわけだけど。それで……たったそれだけのことが言いたかったわけ?」

 突き放したような言葉と裏腹に、紅莉栖は悔しそうに目端に涙すら浮かべていた。
 俺に『お前はクラスメイトなんかではない』と言われて傷ついたのだろう。
 静まり返った周りの人間の反応も納得だ。
 客観的に見れば、俺はいきなり公然とクラスメイトの女の子をイジめている頭のイカれた男であるわけで。

「まさか、違うのか……」

 ようやく俺は確信できた。
 ここは違う世界だ。
 元の世界とは世界線変動率の違う別世界だ。
 だが、覚えていない。
 どういう原因で俺はこの世界線に迷い込んだのか。
 一体いつリーディングシュタイナーが発動したのか。
 何もわからない。
 ただ、世界線変動率がこれだけ違うということは……
 膝から下の力が抜けて俺は崩れ落ちた。

「あ、はははは、はは! なんだよ、おい! 違う、そうだ! まるで違ったのだ!」
「お、おいオカリン、大丈夫か?」
「わからない。わからないはずだ! なにしろ全部、この世界の全部が! 既に変わってしまっていたのだからな! はは、はははははっ!」

 改めて周囲の光景を省みて、俺は眩暈がした。
 俺はなんで気づかなかったのだろう。
 ここはまるで違う。
 俺の知っていた世界と何一つ違うではないか。
 教室。
 怪訝な目で俺を見るクラスメイトたち。
 よく見ればそれは一年前に見たような顔ぶれが混ざっていて――
 その中でやはり一年前の姿に戻ったダルと、紛れ込んでいる全く俺の知らない紅莉栖。
 その事実を認識した瞬間に、耐え難い嘔吐感がこみ上げてきた。
 なんて気持ちの悪い風景なんだ。
 違和感しか感じない。
 グラグラと頭が揺れて、廻る走馬灯のように俺の中に過去のラボでの思い出が蘇る。
 俺は祈るように目を閉じた。
 もう一度目を開けたとき、俺の見慣れた風景が帰ってくると。
 これは何か悪い夢に迷い込んだのだと、そう信じるかのように。
 だけど……目を開いても、そこはやっぱり教室のままだ。
 近くには制服を着たダルと、状況がまるで理解できていないという表情の紅莉栖が俺を見下ろしていた。
 全ては自然にあるがままに存在していて、されどそれは俺の知っていた世界とは絶対的に違う。
 あまりにも違いすぎたんだ。
 
「ああ、ああああ……うあああああああああああああああああああああああああっ!」

 ここまで来れば馬鹿にだってわかる。
 俺はようやく悟ることができた。
 自分が全くの別世界に流されてしまったことを。
 俺は今まで知っていた世界の全てを失った。



[28341] Summoner’s Stein <2>
Name: ASRISK◆d8dcf864 ID:036f1c3c
Date: 2011/06/16 21:04
 赤い日がまぶたの裏の眼球を刺激して、俺は目を開いた。
 茫然自失だった状態から復帰すると、まず真白い天井が目に入った。
 ほのかに薬の臭いもする。
 一瞬病院へ運び込まれたのかと思ったが、どうやらここは学校の保健室らしい。
 ……本当に全く違う世界線にきてしまったんだな。
 冷静に戻る過程において大方の記憶を整理できていた俺はあっさりとその事実を受け止めた。
 こんなデタラメな異変はありえないと否定したくもなるが、俺はフェイリスのときに秋葉原という都市がまるごと一つ変わってしまったのを目撃している。
 世界線変動率があれよりもずっと大きければ、世界そのものが俺の全く知らない形に姿を変えてしまってもおかしくない。
 一度絶望して見切りをつけてしまうと、立ち直りは案外冷静になるものだ。
 こんなトンデモ展開に慣れる人生というのも嫌なものだが。
 俺は周囲の状況を認識し始める。
 隣にいたダルが心配そうに覗き込んでいた。

「オカリン大丈夫か?」
「ダルか……さっきは取り乱してすまなかった」
「お礼なら牧瀬氏に言うべき。教室で倒れて気絶したオカリンを保健室に運ぶように言って、そのまま付いてきてくれたんだお」

 横のベッドを見ると、そこには不機嫌そうな表情をした紅莉栖が座っていた。
 なんとなく気まずい。

「て、手間をかけたな……」
「別にどういたしまして」

 それっきり会話が続かない。
 空気を読んだダルが俺に再び話しかけてきてくれた。

「それでオカリンは何があったん? なんか世界がどうとかよくわからんこと言ってたけど」
「俺は部分的な記憶喪失なんだ」
「……さっきからそれ新しい設定かなんか? いつもの鳳凰院なんとかはもうやめたわけ?」

 ダルは俺の記憶喪失をまるで信じる気がない。
 どうやら俺はここの世界でも鳳凰院凶真をやっていたらしい。
 互換性があるのは助かると評すべきか、痛々しいというべきかどっちなんだろう。

「なんなの? ヘンな男子だとは思ってたけど、もしかして真性の人なわけ?」
「あながち間違いとは言い切れないのが恐ろしいお」
「誰が真性だ」
「話を聞く限りではそう聞こえたけど?」
「……なんで俺を助けてくれた?」

 俺の問いに紅莉栖は少しだけ意表を突かれたような表情を見せた。
 多分、助けたの意味を保健室に連れてきたほうにとったのだろう。
 この場で俺以外に、その外に込めた意味を気づく者はいない。

「私は病人を放っておくほど薄情じゃないわ。さっきのあんたとっても酷い顔をしてたもの。まるで明日にでも死にそうなくらいにね。そこの橋田もずいぶん心配してた」
「べ、別にオカリンが心配で気にしていたわけじゃないんだからねっ! 勘違いしないでよねっ!」
「これはひどい」
「これはひどい」

 思わず俺と紅莉栖の声がハモる。
 同時に同じ台詞を口にしてしまったことが恥ずかしいのか、紅莉栖は横に視線をそらした。
 そのよくわからない連携に、ダルが珍しいものでも見るような視線を向けた。
 本当に助手と俺がクラスメイト……か。
 にわかには信じがたいな。
 というか、この世界における俺は一歳若返ってしまったことになるのか?
 ここが本当に高校時代の俺だとすれば、未来ガジェット研究所がないのだからDメールもタイムリープマシンも存在しない。
 元の世界線に戻る手段はこの世界にはない。
 今は戸惑うばかりでも、最終的には受け入れざるをえないということか。
 たとえどんな結果でも……

どんな・・・結果でも?)

 そこまで考えたとき、ゾクリと悪寒が背筋に走った。
 嫌な予感がする。
 俺はまだ何か重大なことを忘れていないか?
 保健室を見渡した。
 壁にかけられた時計はある。
 時刻は夕刻を指していた。
 だが俺の知りたい情報はそれではない。

「ダルよ。今日は何日なんだ?」
「今日か? 今日は……」
「そうだ……携帯――」

 ダルの返事を聞く前に、俺は自分のズボンのポケットから携帯を取り出して画面を見る。
 俺はすぐに悪寒の正体を理解した。
 そこには2010年8月17日、と表示されていた。
 どう足掻いても乗り越えられなかった絶望の壁。 
 決定されたまゆりの死。
 この世界線でまゆりは生きているのか?
 ずっと生きていられるのか?

「馬鹿な。既に一日が過ぎてしまっているだと……? クソッ!」
「今度はどうしたんだお、オカリン」
「ダル、まゆりは今どこだ!? この世界にちゃんといるんだろう!?」

 知らない。
 あるいは世界にすら存在しないという回答は考えたくなかった。
 幸いにして、ダルからは否定的な返答はかえってこなかった。

「まゆ氏ならいつもの場所だと思うけど……」
「いつもの場所とはどこだ!」
「理科室――」

 聞くや否や、俺はベッドから飛び降りた。

「あ、ちょっと。すぐに動かずにここで大人しくしてろ!」

 後ろからの紅莉栖の制止の声を無視して保健室の扉を開け、そして駆け出す。
 校舎は俺の記憶するままの構造を維持していた。
 高校が別だったまゆりがここにいるというのは恐らく世界線移動に伴う変更箇所なのだろうが、今はそんなことはどうでもいい。
 確か保健室は一階にあって、理科室は同じ階の反対側にあったはずだ。
 呼吸を忘れて走る。
 予想通りの場所に理科室のプレートを発見した。

(……頼む! まゆり……無事でいてくれ!)

 俺はスライド式のドアを開けて中に飛び込んだ。
 理科室を見回す。
 ありふれたドクロの標本がまるで死神のように笑っていた。
 人影はない。
 どこにもまゆりの姿が見当たらない。
 まさか。
 俺はさっと床に目を落して血の気が引いた。
 リノリウムの床に俺のほうに背中を向けて転がっている女の子がいた。
 季節は夏なのに、そこだけは冷たい冬に彩られたように全てが停止していた。
 目に差し込んでくる赤い夕日が燃えるように痛い。
 見間違えるはずもない。
 俺の学校の女子制服を着ているが、それは俺の大事な幼なじみのまゆりの姿で――
 頭から背中に何度も味わった絶望の苦味が刺さる。
 不安が現実になった。

「う……あ……そんな、嫌だ……」

 何度も見た嫌な風景がフラッシュバックする。
 世界は殺し続けた。
 徹底的に、無慈悲にまゆりの生存を認めなかった。
 どんな手段を講じても、血の一滴も流さずに冷たくなった幼なじみの死体を何度も見た。
 ここでも、遅かったのか?
 ここでも、救えなかったのか?
 もう覆しがきかない決定的な形での幼なじみの死を受け入れなくてはならないのか。
 そんなのは認められない。
 認められなかったからこそ、俺は――

「馬鹿な……まゆり……!」
「あ、オカリンだ~」

 ぎょっとした。
 いきなり、倒れていたまゆりがむくっと起き上がったのだ。
 俺のよく知る微笑を浮かべ、暢気な調子で言った。

「えへへ、理科室の床は冷たくて気持ちがいいよ~。今日、暑いもんね~」
「は、はは……。ははは……」

 なんていうことだ。
 身体から全ての力が抜けそうになった。

「馬鹿者……紛らわしい真似をしやがって……!」
「きゃっ!」
「よかった……お前が生きていてくれて、本当に……」

 小さく悲鳴をあげるまゆりを抱きしめた。
 ああ、暖かい。
 まゆりは生きている。
 次第に冷たくなっていく骸と違うことを確信するために俺はより抱きしめる力を強くした。
 その鼓動はいつまでも暖かい。
 今日は2010年8月17日。
 この日を超えていることから見て、やはりここはα世界線でもβ世界線でもないということだ。
 牧瀬紅莉栖は生きていて、椎名まゆりもまたここに生きている。
 これは当たり前のようで、決してありえなかった奇跡なのだ。

「オカリン……その、嬉しいけど、ちょっと力が強いよ~」
「よかった……まゆり。本当によかった……」
「オカリン、どうして……どうして泣いているの? 不安? 何か悲しいことがあったの?」
「違う。違うんだ……」

 生きていてくれて。
 それにお前が俺の知っているものとかけ離れたまゆりでなくて、嬉しかったんだ。
 お前を救いたかった。
 そのために様々な時間の改変に手を染めてきた。
 こんな馬鹿げた話、とても信じられないだろうけど。
 未知の世界に漂流してきた俺が失ったものは多かったみたいだけど。
 この奇跡が在るなら、まだ俺は大丈夫だ。

「まゆり……」
「オカリン……」

 俺は溢れる涙をこらえることができなかった。
 何かを察してくれたのか、俺を慰めるようにまゆりの手が俺の頭を撫でてくれた。
 しばらくそのまままゆりを抱きしめたままでいると、扉のほうから声が聞こえてきた。

「ねえ。これは一体どういう反応すればいいわけ?」
「リア充爆発しろ、でいいんじゃね?」

 そこには俺をジト目で見ている二人がいた。
 どうやらあのまま出て行った俺を追いかけてきたらしい。

「おっ……お前ら、何を見ているのだ!」
「あれ? ダルくん? それと、もしかして牧瀬さん?」

 抱きしめられて俺の胸の隙間から顔を出したまゆりがもごもごと言った。
 それを見てますます二人がやれやれという表情を浮かべる。

「発作で倒れたと思ったら、次の瞬間には号泣しながら女の子を抱きしめに行ってるとか、彼の挙動はいつもこんな風なわけ?」
「さすがにここまでひどいのは僕も目にしたことないお」
「真剣に病院に行った方がいいと思うわよ。ちょっと値段は張るけど頭部MRI検査がお勧めね」

 いや、ひどいことを言っているのはお前らだろう。
 俺の頭は記憶を除いて全て正常のはずだ。

「えっと、とりあえずオカリン、いい加減に離してもらえないかな~」
「ぁ……すまない」

 とりあえず俺は抱きしめたままのまゆりを解放した。
 涙をぐっと制服の裾で拭う。
 妙に気恥ずかしかった。

「あーー、その、まゆり。本当に、突然すまなかった」
「う……うん。別にいいんだよ。オカリンに悲しいことがあったんじゃなかったんだよね?」
「あ、ああ……とても嬉しいことがあったからそうなってしまったんだ。驚かせてすまなかった」

 まゆりは、なんだかぽーっとした顔で妙に落ち着きがない。
 まあ、いきなり抱きしめられて号泣されたらそういう反応になっても仕方ないか。

「今のってもしかして彼なりの口説き文句? あの二人ってもしかして付き合ってるわけ?」
「いや……本人が言うにはただの幼なじみって話だったけど、今では限りなく黒に近いグレーといわざるを得ないお」

 いや、まゆりはただの幼なじみだ。
 しかしこの状況で説明して、果たして納得してもらえるだろうか。
 少し無理があるかもしれない。
 まさか死んでいるのか怖くて確認のために抱きしめましたとは言えないしな。

「全くもう。ちょっとは説教してやろうかと思ったけど気が抜けたわ。じゃあ私は帰るから」
 
 俺が困っていると、紅莉栖はやれやれとかぶりを振って言った。
 そして、さっさと踵を返してしまう。

「あ……」
「岡部は頭が心配なら本当に検査だけは受けときなさい。知らないところで怪我している可能性もあるんだからね」

 俺は呼びとめようと思って手を伸ばして、その言葉を思いつかなかった。
 微妙に失礼だかお節介なのだかわからない台詞を残して助手は去っていった。
 まゆりは去っていく助手を不思議そうな目で見ている。
 俺も今はクラスメイトだという少女をそのまま見送った。
 かける言葉が思いつかなかったというのが本音だろう。
 だが――

「いいのかオカリン?」

 確認するようにダルが尋ねてきた。

「だ、だが追いかける理由が俺には思いつかないのだが……」

 チッチッとダルがその太い指をかざした。

「先は調子が悪かったならしょうがないわけだが、オカリンは牧瀬氏に謝る必要があると思われ」
「謝ること?」
「牧瀬氏はクラスメイトでないとかなんとか言ってたお。覚えてないか?」
「あ……ああ」

 そういえば錯乱した挙句にそんなことを言っていたか?

『お前がクラスメイトだと……それは新手の冗談か?』

 今までこの世界線にいなかった俺からすれば当たり前の話なのだが、あいつの主観で見れば俺はとんでもないイジメを実行した愚か者なわけで。
 そういえば泣かせかけてしまったことを今更ながらに思い出す。

「ねえねえ。オカリンは牧瀬さんに意地悪しちゃったの?」
「う……こっちとしてはそういうつもりではなかったけど、結果的にはそうなってしまったというか……」
「じゃあ謝ってきたほうがいいんじゃないかな~」

 実にまゆりらしい能天気な反応だ。
 しかし正論でもある。
 まゆりもダルも純粋に俺を心配して言ってくれている。
 謝る……か。
 本当を言えば、あいつにはそれだけで済まないほど伝えるべき言葉があって迷っていたのだが。
 しかし、何事もまず紅莉栖に伝えていかなくては始まらない。

「そうか……確かにそうだった。恩に着るぞ。まゆり、そしてマイフェイバレットライトアームズよ」
「いいんだよ~」
「報酬は口座に新作のエロゲ一本を振り込んでくれれば構わないお」
「じゃあ、まゆしぃはジューシーから揚げでいいよ」

 まゆりはともかく、ダルは微妙に高い報酬設定だな。
 しかもこの世界線の設定をよくよく考えると、俺はまだ十七歳なのではないだろうか。
 ……まあいい。
 俺は細かいことを置き去りにして紅莉栖を追いかけた。



「待て! クリスティーナ!」

 助手には校門のところで追いついた。
 さすがに俺の下駄箱の位置なんか覚えてはいなかったし、急ぐ必要から上靴のまま走ったおかげで若干俺が有利になった。
 俺の呼びかけが自分のことだと思わなかったのか、紅莉栖はそのまま無視して歩き始める。
 俺はもういちど呼びかけた。

「クリスティーナ! とまれ! 助手よ! そう、そこのお前だ!」
 
 俺の呼びかけにようやく助手は振り向いた。
 俺の顔を確認した瞬間に眉をひそめる。
 ムスッとした顔でいかにも不機嫌そうだ。

「それはもしかして私のあだ名か? もっと普通に呼べっての」
「いや。お前は助手だ。それかクリスティーナ」
「調子が狂うわね……まさか私にそんな口を叩く人間がいるとは思わなかった……牧瀬のほうで呼びなさいよ。クラスメイトらしく」
「だが断る」

 頭痛を抑えるような仕草で紅莉栖は頭を抱えた。

「はあ、もうどうでもいいけど。それで私に何の用事なの?」
「お前に謝ることがあったと思ってな」
「ああ……」
 
 それだけで何のことか悟ったのか、つまらなそうな表情で紅莉栖は言った。

「別に謝ってもらう必要なんてないわ。受験ノイローゼか知らないけど、あんた多分ストレスで記憶が混乱して一時的に調子を崩しているだけなのよ。私に言ったことなら忘れてあげるから気にしないで」
「ああ……そうだな」

 確かに通常の記憶喪失ならばそうだろう。
 俺はいつの日か何事もなかったように失われた記憶を取り戻し、違和感を覚えることなく世界に戻ることが出来る。
 だが、リーディングシュタイナーが認識した世界線移動に伴う記憶の喪失は二度と戻らない。
 なにをどうしようと、俺は二度と元の俺に戻ることはできないのだ。
 だから俺はそのことに関して謝ることはできない。
 もうこの紅莉栖には謝ることも、感謝を述べることもできないんだ。

「聞いてくれ。俺はお前をクラスメイトだとは思ってなどいなかったし、これから先そう思える日が来るのかわからない。それは確かに正しい」
「っ! そう……あなたがあくまでそう言うなら、それもいいわ」

 奥歯を噛みしめて耐えるような表情で紅莉栖が俺を睨む。
 一瞬でもそんな辛い顔をさせたことに罪悪感を覚える。
 俺はしっかりと紅莉栖の眼を見据えて告げた。

「だが、俺はお前を大切な仲間だと思っている。絶対に」
「は?」

 紅莉栖の冷静な表情が一瞬崩れて、呆けたような表情になった。

「今なんて言った? よく聞こえなかったけど」
「俺はお前をかけがえのない仲間だと思っていると言った。ただのクラスメイトなんかには絶対に思ってやらない」

 紅莉栖は耐えかねたように笑い出した。
 クスクスとこちらを皮肉るような嫌な笑い方だった。

「ふふふっ……あんた本当にバカね。あれだけ嫌われるようなことをやっておいて、今度は友達認定? 冗談もほどほどにしておきなさいよ」

 その笑いがこちらの言うことをまるで信じていないことが伝わってきて、少し悲しかった。

「本当に気にしなくていいのよ? 私なんてクラスメイトなんかじゃないってあんたは言ったけど、あながち間違ったことを言われたってわけでもないから」

 自嘲するような調子でこぼす。

「私なんかと関わりたくないっていうほうが普通の反応なんだから……」

 まあ、こんな言葉を返されるような気はしていた。
 けれど、俺にはこいつの態度が不可解だった。
 前の世界線と同じなら、こいつの態度がただの強がりであることは確かなはずだ。
 無愛想で冷酷ともとれる人間であることは事実だけど、ここまでシニカルで穿った態度を見せることは少なかった。
 ツンツンしているようで、結局は困っている人間を突き放すことなんかできないお人よし。
 俺の知っている牧瀬紅莉栖はそんな心優しい人間だったんだ。
 人の好意がわからないやつじゃない。
 ここでもきっとそうだと信じている。
 少なくともまるで無視することなんかできるわけがない。
 こいつには俺の言葉が百パーセント嘘だと断定する理由がないはずだ。

「何か理由があるのか?」
「え?」
「俺とお前が知り合って友達になることになんの問題がある?」

 だいたい気にしないでと言われて気にしないやつがいるか。
 本当に毎度のことながら、そういう部分には隙だらけなのだ。

「お前がどんな人間であろうとそんなことは関係ない! 普通の反応? そんなものに俺が捉われると思ったら大間違いだ!」

 俺の言葉を吟味しているのか、助手はじっとこちらを凝視してきた。
 その視線を俺は正面から受け止めた。
 心の奥底を探るような紅莉栖の視線の意味を図りかねたからだ。

「あなた、もしかして私のことをよく知らないわけ?」
「え?」

 お前のことなら良く知っている。
 だが、それはこの世界線の紅莉栖ではない。 
 助手は大きなため息を一つはいた。
 そしていつの間にか知らず助手への距離を詰めていた俺の額を指でピンと張り飛ばした。

「一般常識まで欠落してるって救いようがないな。高校生なんだから新聞くらい目を通しなさい。その上で、もう一度同じ台詞が吐けるようになったら考えてあげるわ」

 謎めいた台詞を残して紅莉栖は去っていった。
 今度こそ、俺は黙ってその後姿を見送るしかなかった。
 失敗した……な。
 無理もないことなのだが、この世界の新参である俺にここでの常識など通用しない。
 なにも知らないで言っている俺の台詞があいつには軽く聞こえ、恐らくそこにこの世界の紅莉栖が俺を拒絶する理由があるのだろう。
 まずはそこからはじめろというあいつの台詞はもっともすぎた。

「だが、どんな事情があっても、それでもやっぱりお前しか考えられないのだ」

 お前は知らないけど、俺には絶対に放っておけない理由があるんだ。

(――冷静になって考えてみれば、俺がこの世界に移動して来たのは誰のせいだ?)

 あの状況で全ての事情を知っていたのは紅莉栖しかいないのだ。
 そして解決のためにとることのできる手段も限られている。
 恐らくDメールを使って何らかの改変を行ったのだろう。
 あのままSERNにハッキングしたのだとすれば、俺が移動したのはβ世界線だったはずだ。
 正直言ってどんなメールのおかげでこんな世界になったのか想像もつかない。
 そして、俺にはそれを覆すための手段はもうない。
 残された事実は単純だ。
 俺は紅莉栖によって救われ、この世界線に辿りつくことができた。
 過去を変えることを嫌っていたはずの紅莉栖が、自分の正しさを曲げてまで俺を救ってくれたのだ。
 俺では何もできなかったんだ。
 責任から逃げていただけだったんだ。
 何度も何度も助けてもらって、結局最後まであいつには救われるばかりだった。
 今更ながらにそんな後悔が胸を締め付けていた。
 なりふり構わずに俺を助けてくれた末に、紅莉栖がこの世界であんな寂しそうな顔をするなどということなど許してはならない。
 俺が不甲斐なかったせいで、お前に決断させたというのなら……その結果がこの世界を生み出したというのであれば、それは俺の背負うべき責任に他ならない。
 お前を独りになどさせない。
 絶対にさせてやらない。
 この世界線であいつが一人でいなければならない原因があるのなら、俺は再び世界を敵にまわしてでもその原因を打破してみせる。
 俺が謝らなければならない相手は、もうそのことを覚えていない。
 本当の意味で謝罪はできないから、代わりに報いる道を探したいと思った。

 ――必ずお前を幸せにしてやる。

 それは、この未知の世界線で生きていくことを決めた俺が誓った目的だった。


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