東大工学部原子力工学科の第一期の同窓会を、毎日新聞が取材し報じている。残念なことに、認識がどうしてもゆるい。なぜ、彼等は、厳しい目で科学や技術を語れないのだろうか。これが日本で一番優秀とされている東大出身の原子力関係者だから、筆者は、無力感を感じる。事故が起きてしまったのは構わないが、そこで私たちは、絶対に学ばなくてはいけないはずだ。だが、取材に応じた人の言葉は、ゆるいのだ。

筆者は、これを個人の欠陥だとは思えない。原子力の世界の欠陥であり、それは人間の欠陥なのではないかとすら思ってしまいます。

冒頭で言及した、毎日新聞の記事は、以下のエントリーです。

ザ・特集:原発とともに歴史刻む、東大工学部原子力工学科 1期生の胸中は - 毎日jp(毎日新聞)

一箇所だけ引用します。

『福島第1原発の事故。山脇さんは「人を幸せにすると思っていた原子力が人を不幸にしている。無念を通り越し、むなしさを感じます」と語り、こう続けた。「それでも人は、科学技術は今度の事故を乗り越えて原子力をコントロールしなければいけない」』

これは、発言した山脇さんならではの個性的な発言でしょうか。

筆者はちがうとおもうのです。個性的ではなく、なんだかオーソドックスな原子力に関わる人の発想ではないかと思うのです。

彼等が、ここまで、頑張って、乗り越えようとするのはなぜなのだろうか。筆者は、原子力に限ったことではなくて、努力、とかそういった普遍的なことに関しても同じように思っています。

私は何かを乗り越えるのが好きじゃない人間です。だから、何かを乗り越えようと頑張る発想に対して嫌悪感がある。だけど普段は、人は人、自分は自分、と考えているので、あまり気にしないで生きている。

だけど、ことは原子力です。彼等が「努力」とか「頑張る」とかなんだかそういう発想で、乗り越えようとしているのに対して、いやいや、努力とか、乗り越えなくてはいけない、とか強迫観念的な発想で頑張るのはやめてくれ、と言わないといけなくなりました。

科学技術の発展が人間を幸せにする、という考え方はどこからきているのだろうか。これまでの歴史が科学や技術の発展の歴史であったから、だろうか。それとも、歴史的な経緯以外に、なにか根拠があるのだろうか。

筆者は、原子力について、夢や理想をほんとうにいだいている人は極少数なのではないかと思っているのです。恐らく、大半の人は飯の種です。原子力に寄生しているのです。この技術があるからこれで食べ抵抗と、芸は身を助けるという発想で、原子力に関わっている、わけです。

原子力にしがみつく人たちに対して私が嫌悪感を持つのは、彼等が、学問に寄生して、飯にありつこうとする人々だからだです。

原子力工学に関わる人達は、原子力の歴史を見るとどの位置にいる人だろうか。

すごく大雑把に、雰囲気で説明してみる。

【1】物理学が原子力を見出す。

【2】国が武器として原子力を利用しようとする。

【4】原子力技術者の登場。

【5】原爆として使う。

【6】武器ではなくて、「原発」として、エネルギー利用するという発想を持つ。

【6】原発が国策になる。

【7】原子力工学という学問が生まれる。

【8】原子力工学の学者が現れる。

【9】原子力発電所が作られる

【10】事故が起きる。

【11】原発政策に陰りが見える ←いまここ

原子力の歴史をたどると、原子力工学に関わった人々は、「原子力に夢をみた」という綺麗事以外に、原子力というもので飯にありつこうとしているとわかります。しかも、原子力の歴史の中では、かなり新参者だ。後でやってきて、えさに、必死にしがみつく寄生虫のようです。

寄生という言葉が気に入らない人もいるだろうが、筆者はそうは思っていません。どんな業界も寄生する人々によって成り立っているわけです。正しい例かどうかはわからないが、例えば、「ドラマ」について考えてみます。ドラマの製作過程は、何通りかあるだろうが、原作の小説を元にして作られる場合を考えてみる。

【1】小説家が小説を書く

【2】読者が買ってベストセラーになる

【3】テレビ局のプロデューサーが目をつけ、ドラマ化企画を通す。

【4】ドラマの制作スタッフが集められる

【5】ドラマ用の脚本が作られる。

【6】撮影スタッフ、俳優が集められる

【7】撮影が行われ、放映される

【8】映画化の企画が持ち上がる。(始めから企画されている場合がほとんどだろうが)

【9】映画化のスタッフが集められ撮影され上映される。

【10】DVD企画が立ち上がり、同様に制作される。

まあ、長々と書いたが、最初は、小説家が小説を書いたことから全てが始まり、寄生する人々が増えていくことになる。

原子力と似ているところは、

【1】学者と小説家が、最初の素材を作る。

【2】最初にそれを具体的な形にした人(TVプロデューサーとアメリカ合衆国)が大きな権限を持つ。

【3】そこに、どんどんと寄生する人々が集まっていく。

【4】遅れて集まってくる人であればあるほど、必死でしがみつく。

という感じだろうか。原子力工学に携わった人は、かなり遅れて参加した人だ。彼等が「続けなくてはいけない」といえばいうほど、1つしか取り柄がない人が、頑張って発言しているようだ。だから私は、ずっと、原子力に関わる学者や科学者は信用ができないと思っている。

原子力という学問は、物理学が発見したことに、寄生する学問なのです。

もしTOPが「原子力やんなくていいよ、なんかもうお金になんないし」と言ったとたん、彼等の技術は、今後役に立たなくなるわけですからね。だから、乗り越えられるよ、とはやし立てるわけです。

技術的に素晴らしい素晴らしくない、については私は、詳しくないので言及しませんが、寄生者ととして、醜い寄生の仕方をしているなあと思っているのです。

その醜さは、原子力の世界だけのものではないでしょう。どこの世界にもその醜さはあります。人間が生活を営む以上、この醜さは仕方がないとも思います。

しかし、彼等は、この、寄生虫としての醜さを分かっているのでしょうか。自分たちが寄生している自覚があるのでしょうか。何か、別の学問よりも立派なことをしていると思っていたりしないでしょうか。

私は、原子力に関わる人であっても、別の職業と何も変わらない、醜い寄生者である、と思っています。その醜さを、堂々と魅せつけられて、私は嫌気がさすのです。

優れた小説家や、記者、お笑い芸人は、社会の寄生者であることを自覚しています。人間の営み、社会の動き、に寄生してネタを見つけていることを自覚し、その醜さを理解しているのです。醜いという自覚こそが作品にペーソスを与え、一流に仕立て上げるのです。

原子力関係者は、寄生の醜さを理解しているでしょうか。

更にいうならば、私たちは、原子力関係者の寄生の醜さの中に、どこか、自分の姿を照らし合わせてみているのではないかと思っています。僕たちも自分の醜さを自覚するのはなかなか出来ないのです。

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