11月1日、 予定通り7時25分に家を出た。 いつもの通勤の道だが、 旅行となるとふだん見なれているものも違って見える。 餌をついばむ鳩やすずめを見る目も優しくなる。 葛西臨海公園から東京までの車中はがらがらで、 若い男がぐっすり眠っている。 夜通し遊んだ帰りなのだろう。 土曜日に夜通し遊んで日曜日を半日寝て過ごすのも、 若い頃にはまたひとつの楽しみだ。 東京からは、 いよいよ中央本線8時36分発の電車だ。 乗降口にはそれぞれ一人ずつ立っている。 乗降口の横の手すりのある席に着く。 周りを見ると山に行く格好をしている人は20人に1人位である。 これから1時間半ゆっくりできる。 まず、 つげ義春の 『貧困旅行記』を読み始める。 もう何回も読んでいるが、 何度読んでもあきない。 次は2度目の読みかけ中の 『三遊亭圓生集第5巻』、 さすがに5巻目となるといささか疲れてくる。 車内に空席が目立つ頃になると、 電車は八王子を過ぎ、 高尾、 相模湖、 藤野と進みぐんと山のボリュームが増してくる。 10時3分上野原に着く。 思った通り降りる人はあまりいない。 秋山村行きのバスは朝8時30分が始発で、 次は13時43分までない。 時間はうれしくなるほどたっぷりある。 まず、 駅の上の甲州街道に面している上野原の町を目ざす。 駅の跨線橋を山の方へ出ると小さなバスターミナルがあり、 そこにかぶさるように古い旅館が並んでいる。 旅館の横の石段を上っていくと自動車道につき当たる。 なんとなく左の方が町に近い感じがして歩きはじめると歩道橋があった。 渡ったほうが近そうな感じがするが、 いくら時間があるといっても無駄はいやなので引き返して地元の人に道を尋ねてみることにした。 どうせなら若い女性と話がしたいと思っていると23〜4才のスーツを着た女の人が上がって来たので、 早速聞いてみた。 「すいません、 こちらの方ですか?」 「はい…」 「大けやきにはどう行けばいいんですか?」 彼女は私の顔を見ないで前を見たままでしばらく考えてから、 「まっすぐ行くと20号にぶつかりますから、 そこを左に曲がればじきです」 急に声をかけられたのであわてている感じだ。 簡単な道順でも、 他人に分かりやすく教えるのは結構難しいものである。 「どうもありがとうございました」 旅行者なのでとてもていねいにお礼が言える。 しばらく歩いても全然町らしくならないので、 これは結構歩くことになるな、 まあ時間はたっぷりあるし、 気兼ねもいらないのだからのんびり行こう。 と思っていると後ろから人が走ってくる音が聞こえてきた。 女物のパンプスの音だ。 多分さっきの女の人だと思うが、 振り返るのもなんだか照れる、 相手も私をなんと呼んでいいか困っているのだろう。 やっと私と並ぶと、 息を切らせながら、 「この先を左に曲がった方が早いですよ」 と教えてくれた。 「いやあ、 ありがとうございます」 「どちらからいらしたんですか」 「東京です」 彼女は驚いたような顔をしていた。 東京なんて近いのだから、 珍しくもないだろうにと思うのだが、 東京から上野原にわざわざ降りる人はやはり珍しいのかもしれない。 「秋山村に行くんですが、 行ったことありますか。 いいとこですか?」 「……はあ……、 いいとこですよ。 最近温泉が出たんです」 「温泉?!」 秋山村に温泉が出たなんて初めて聞いた。 もう少し話をと思っているうち道が分かれ、 「じゃ、 私はこちらですから」 と言われ、 「ありがとうございました。 失礼します」 と言って、 別れた。 あっけないような、 ほっとしたような感じである。 やがて国道20号に出た。 教えられた通り左折し少し歩くと、 ガイドブックにでていた 『永井の酒饅頭』 の店があった。 9時半から営業ということなので、 行ってみると店の中は女の人ばかり4人が忙しそうに働いていた。 まだ営業というよりも仕込み中という感じで、 ちょっと驚いたような顔をしていた。 たくさん買って、 もしまずいと困ると思い、 8個だけ買った。 「504円です」 と言われ安くて驚いた。 昔ながらの経木に包んでくれた。 「大けやきはどこにあるんですか」 と聞くと、 女の人は奥の世話好きそうな女の人に相談するように振り返った。 奥にいた女の人は慣れている感じで、 「大けやきはこの先のふたつ目の信号を右に曲がるとありますよ。 学校の中なんですよ」 と教えてくれた。 学校の中とは知らなかった。 観光地らしくなくて、 うれしくなってしまった。 5分ほど歩くと確かに小学校があり、 校庭のはじに大きなけやきがあった。 木の周囲8メートル位を柵で囲い、 2〜3本の添え木で支え裂け目をコンクリートのようなもので埋めてある。 いかにも大事に保護されているようだ。 木の説明も記念碑もなんにもないのも、 また観光地らしくなくていいものである。 校庭の脇の遊具では、 子供たちが遊んでいた。 写真を2、 3枚撮ってまた20号へ戻る途中で古いたばこ屋を見つけた。 赤い四角の看板に 「たばこ」 とななめに白抜きになっている、 半分畳、 半分土間の商店である。 畳の前方のガラスケースにたばこが並べられている。 店には誰もいないようだ。 多分客が来ると奥からおばあさんが腰を屈めて出てくるのだろう。 写真をそっと撮り、 振り返ると向かい側には古い自動車修理工場があり、 親子らしい2人の男の人が働いていた。 この辺りでは日曜日でも仕事をするのだろうか。 写真を撮りたかったが、 失礼な気がしてやめた。 20号に出ると古い商店や廃屋があちこちに見られた。 夢中で写真を撮っていると自転車に乗った2人の女子学生が不思議そうに見ていた。 駅前のバスターミナルに戻り、 もう一度バスの時間を確認しようと思っていたら、 バスの運転手と誘導員のおばさんに同時に、 「どこまで行くんですか」 と聞かれた。 「無生野まで行きたいんですけど」 「無生野行きは1時43分までないよ。 しかも釣場で乗り換えだよ」 1時43分までバスがないのは知っていたが、 乗り換えなければ無生野に行けないとは知らなかった。 暗くなっても、 夜遅くなっても無生野から穴路峠を越えて、 倉岳山に登り鳥沢に行くつもりでいたが、 ちょっと不安がよぎる。 3時に無生野から登り始めたのでは、 倉岳山を下る頃には真っ暗になってしまうだろう。 行くまでは、 真っ暗で道がわからなくなったらそれはそれでもいいと思っていたが、 それがにわかに現実になりつつあった。 まだ大分時間があるので、 駅の下に広がる新田の集落を歩いてみた。 そこにはまったく観光地ではない普通の町の営みがあった。 ワゴン車から降りる七五三の祝いの家族連れ、 床屋の椅子に掛けて新聞を読んでいるおじさん、 買い物帰りの奥さん…… 集落を南へ抜けると、 桂川につき当たる。 四方津の方から相模湖の方へ川はゆっくりと流れている。 川原には誰もいない。 対岸には御前山が見える。 左手には、 秋山村に続く桂川橋が見える。 橋の先はすぐに山の影になっていて、 時折通る車がおもちゃのようだ。 あと2時間もすれば、 バスに乗りあの橋を渡って未知の世界へ行けるのだと思うと、 橋の先がまるでタイムトンネルの入口のように思え、 なんとも言えない興奮を覚える。 しばらくそんなことを考えているうちに、 腹が減ってきたが、 人っ子一人いない川原で食事をするのも、 誰かに見られたら怪しまれると思い、 駅の上の見晴らしのいいところへ行くことにした。 さっき来た道を戻り、 駅の上の桂川の見えるところまで行こうと思ったが、 疲れて足が痛くなったので引き返し、 駅への近道のような道に入って行った。 しばらく歩くと、 上野原の駅が右に見えるところに出たが、 すぐ下が墓地なので、 もう少し行ってみると、 視界が開け、 桂川、 新田、 上野原の駅が見えるところに出たが、 細い道なので、 座る場所がない。 仕方がないので、 立ったまま、 さっき買った 『永井の酒饅頭』 を食べた。 ゆっくり噛んで食べると、 『減塩減糖無添加』 の素朴な味がした。 饅頭を食べてお茶を飲むと、 バスが出るまであと30分ばかりになったので、 駅へ戻った。 ベンチに座って待っていると、 仲間と競馬の話をしていた運転手が、 あわてて車を私の前までバックした。 期待させても悪いので、 立ち上がり桂川の方を眺めた。 まもなくバスが来たが、 別の行き先だった。 次に来た小型のバスが、 3回切返しをして、 行き先を 『秋山村営釣場』 に替えた。 乗客は私の他には地元の人が2人だけである。 誘導員のおばさんが私の顔を見て、 ずーっと待ってたんですかと言って驚いていた。 いよいよ発車だ。 小型のバスに初老の運転手と3人の乗客、 まるでマイナーなSF小説に出てくるタイムスリップの大道具のようである。 バスは桂川橋を過ぎるとぐんぐん坂を登り、 道はどんどん細くなり、 対向車が来たら、 すれ違えないほど細くなってきた。 『次は田野入、 お降りの方はございませんか』 テープの女の声が、 地図で見て知っている地名を順に知らせてくれる。 歓迎されているようで、 うれしくなった。 奥牧野、 一古沢、 桜井と、 バスに揺られながら見る渓谷は一層険しく見える。 古福志−地図にはコフクシとなっていたが、 テープではコブクシと言っていたので、 ますますうれしくなってしまった。 私のひそかな感動も知らずに運転手は、 淡々とバスを運転している。 30分ほどで、 『釣場』 へ到着、 乗客は私1人、 釣りをするようには見えない私に運転手が、 「どこへ行くんだね」 と怪訝な顔で聞くので、 「無生野まで行きたいんですけど」 と言うとバスの左前をあごで示して、 「そこにじきにバスが来るからそれに乗ればいい」 と教えてくれた。 が、 バス停なんてどこにもないのである。 降りて、 言われた所に立っていると、 じきに無生野の方からバスが来て私の目の前で方向転換をした。 乗降扉が開き、 乗り込み運転席の左の席に座る。 すぐに運転手が 「どこまで行くんですか」 ときくので、 「無生野まで行きたいんですけど」 と答えると、 「無生野行ってなにするの」 「無生野から倉岳山に登って鳥沢に抜けようと思ってるんですが」 「無生野にそんな道あったかなあ……」 「地図にはあるようなんですけどねえ、 宝積寺の横あたりから……ホウセキジというんですかねえ」 地図のコピーを見せても首をかしげるばかり、 宝積寺も知らないようである。 もしかしたら、 もうなくなっているのかもしれない。 「この辺は熊が出るから気をつけたほうがいいよ。 先月もとなり村で襲われた人がいたからねえ。 沢を40メートルも落ちて大けがして、 まだ入院してるよ。 今は冬眠前でたくさん食べる時期だからねえ」 そんなことを話しているうちに、 もう1人地元の人らしいおばあさんが乗り込んできた。 運転手は少し改まった口調で、 「2時30分に発車します」 と言った。 バスが動きだすと、 運転手はまた熊の話を始めた。 「この先の人で何を考えてんだか、 熊を飼ってる人がいるんだよ」 半信半疑で聞いているうちに、 「これだよ、 さっき言った熊の檻」 道路の右側に赤く塗った大きな檻が見えたが、 中に熊がいるかどうかは、 わからなかった。 やがてバスは、 無生野に着いたが、 人気のまったくない淋しい所である。 「ここでいいんだね、 人によく道をきいて行ったほうがいいですよ。 もし戻る時は5時2分が最終だからね」 運転手は念を押すように言った。 「はあい、 どうも」 元気に答えたが、 もう3時過ぎ、 これから2時間も経てば真っ暗だろう、 急に不安になる。 振り向くと、 背中に大きなかごを背負った母と息子らしい2人が来たので、 案外、 人がいるんだなあと思いながら、 「すいません、 倉岳山に行きたいんですが、 穴路峠に行く道はどこですか」 と聞くと、 「穴路はもっと先ですよ2キロ位先ですよ。 もっと先で降りればよかったのに」 と言われびっくりする、 無生野がバスの終点だとばかり思っていたのに、 まだ先まで行くとはまったく知らなかった。 後ろの2人が心配しないように、 元気に歩き始めたが、 内心はあせっているので足早になっていた。 しかし、 日曜日の3時頃に遊びたい盛りの若者が額に汗を流して母親と一緒に野良仕事をしているなんて、 信じられないものを見た。 まるで幻のようである。 20分ほど歩くと道の右側に案内板があった。 見てみると知らない間に穴路峠への道を過ぎてしまったようだ。 ここからは高畑山への道が左側に開けている。 高畑山から倉岳山へ行くことは、 全然考えていなかったが、 少し進んでみると、 道の真ん中に中型の愛敬のない犬が寝そべっていた。 刺激しないように、 さりげなく横を通ると、 犬は私の不安な心中を見透かすように大きな声で吠えてきた。 無視して通り過ぎれば大丈夫だろうと思い進むと、 道は左右を鬱蒼とした林に囲まれ先に行くほど幅が狭くなっている。 急に子供の頃見た 『無法松の一生』 で、 ぼんぼんが泣いているのを松五郎が慰めるシーンで、 松五郎が子供の頃に森で迷って怖くて泣いた回想シーンが連想された。 しかもさっきの犬が追いかけてきたらと思うと、 急に怖くなり、 引き返すことにした。 またさっきの犬の横を何気ない風を装って通るとまた大きな声で吠えている。 リュックに菓子があったのを思い出し投げ与えて懐柔しようとしたが、 ちょっと匂いを嗅いだだけで私の顔を油断なく見ている。 なんとか犬をやりすごしたが、 都会暮らしの人間の弱さをつくづく思い知らされた。 引き返すことに決めたが、 帰りのバスが来るまで、 2時間あるので乗り継ぎの 『釣場』 まで歩いて行くことにする。 途中 『雛鶴神社』 があったが周りに誰もいないのと、 神社の周囲になにか妖気が漂っているような感じがして、 足早に立ち去る。 ちらっと見た案内板に 『雛鶴姫の伝説云々………』 と書いてあった。 注意しながら歩いたが、 結局穴路峠へ行く道はわからなかった。 この辺りは秋山川のかなり上流で、 道に沿って流れる川も幅50センチ位のちょろちょろした流れだ。 しばらく戻ると、 またさっきの青年に会った。 今度は母親の姿は見えなかった。 この青年はさっき私と会ってからもう一度同じ道をかごを背負って歩いているのだ。 さっきよりさらに、 汗をかいていた。 「さっきはどうも、 穴路峠への道がわからないので戻ることにしました」 「そうですか、 そのほうがいいですね」 「釣り場まではどのくらいですか」 「5〜6キロじゃないですか、 歩いていけますよ」 「はあ、 じゃ歩いて行きますか、 どうもお世話様でした」 5〜6キロを2時間だから、 ゆっくり歩けばいいのだが、 もしバスに先に行かれたらと思うと、 自然に早足になってしまう。 しかし歩いてみると、 いろいろなものをゆっくり観察できるものである。 古くからある火の見櫓、 バス停のそばの小さな祠、 遠くの畑で1人で働く人、 人気のない道路で無心に自転車をこぐ幼児、 住む人のいなくなった廃屋、 『二十六夜山由来』 の看板等々。 途中バスから見えた熊の檻の横を通ったので、 見てみると本当に熊が横たわっていた。 近づくと熊は頭をもたげて私を見つめた。 となりの檻には猟犬が2匹いた。 さっき道の真ん中で私に吠えた犬と同じ顔、 形をしている。 あの犬も猟犬だったのだろう。 やがて、 バスの乗り継ぎ場である 『釣場』 へ着いた。 バスが来るまで小一時間ある。 バス停から釣り場の駐車場が見えるので、 行ってみると、 品川ナンバーや練馬ナンバーが多い。 車で来たのでは本当の秋山村はわからないだろう。 車は便利だが、 車内の空間はいつも同じ東京のままなのだ。 橋のたもとから渓流に下りられるようになっている。 下りてみると何組かのグループが釣りをしたり、 バーベキューをしたりしていた。 彼らにはただ渓流と緑があればよいのだろう。 渓流のはずれに 『秋山村民俗資料館』 の看板があったので、 行ってみると建築後10年位のモダンな建物があったが、 玄関には鍵がかけられ、 ポーチのタイルの縁がはがれていた。 中を透かして見ると、 いくつかの陳列ケースが見えたが、 埃が積もり中は空だった。 静かな渓流沿いの里がバブルに踊らされ、 今またもとの静けさを取り戻したという感じである。 流れの淀みをぼんやり見ていると、 「魚見てるだけかね、 釣りはやらんのかね」 土手の上から長靴をはいた60才位の人に声をかけられた。 釣場の係員のようだ。 「上野原行きのバスを待ってるんですよ」 「バスは、 来ても人がいないと行っちゃうから、 待ってないとだめだよ」 「でも、 まだ1時間もありますから」 「……どこへ行って来たのかね」 「無生野から倉岳山に抜けようと思ったんですが、 道がわからなくてやめて歩いてきたんですよ」 「無生野から……へええ。 山道はちょっと人が通らないとすぐ埋まっちゃうからなあ。 この頃は陽が落ちるのが早いから気をつけた方がいいよなあ。 この間もこの村の人で山へ入って道に迷って何時間もかかって、 やっと道志へ出た人がいたからねえ」 「そうですか、 地元の人が迷う位じゃたいへんだ。 やめてよかった」 あまり話が長びいても面倒なので、 何気なく離れて橋の上から遠くの山を振り返ると、 夕暮れが近づいた山のところどころから煙りが立ち上り、 木々の間に漂っていた。 遠い昔に田舎で見た風景のようである。 遠くのバス停を見てみると、 若い男の2人連れがいた。 挨拶をするのも、 しないのも面倒に思えて、 バス停の裏側の道路に出てみると遠くに釣り客相手らしい大きな、 しかし古い旅館が2軒道に沿って見えた。 夕暮れ前の湿り気を帯びた空気の中に、 浮かび上がっているようだった。 近づいてよく見たいと思ったが、 最終バスの時間が迫っていたので、 後髪を引かれる思いでバス停に戻った。 さっきはいなかった中年の女の2人連れが大きな声で職場の話をしていた。 10分ほどでバスがヘッドライトを点けて走ってきた。 乗客は私の他に、 前から乗っていた若い男が1人、 釣場からはさっきの男が2人と中年の女の2人連れだけである。 来るときに見た、 富岡辺りの深い渓谷や集落の佇まいをもう1度見られると期待しながら、 窓の外を見ていると、 夕闇の速度はすさまじく、 あっという間に辺りは真っ暗になってしまい、 時折見えるのは、 そこだけぼんやりと照らす裸電球の街灯だけだった。 窓外の中空をゆらゆらと過ぎ去る明かりの群れは集落であろうか。 バスは6人の乗客を乗せて、 まるで夜空を漂っているような錯覚がした。 舞台の幕が下りたように、 そして静かな秋山村をこれ以上よそ者には見せないという、 なにか神秘的な力に包まれているような不思議な感覚が残った。 この紀行文は、1999年2月24日に寄稿されたものです。 |