2010年07月27日

夏休み特別企画ラジオドラマによる連続大学講座「メディアってなに?」第2話

◆声の出演 
ナニ:三木華子 
教授:内屋敷保 
ヤン:金千秋
原作/脚本 山中速人
構成/編集 金千秋
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第2話
それは一九三〇年代のドイツで始まった。〜政治とメディアの危険な関係〜

○ モノローグ
初めての番組収録がやってきた。オンエア*1するラジオ番組の収録は、今回が初めての経験。ドキドキしちゃう。台本はきちんと準備してきた。でも、「噛む」*2かもしれない。どうしよう。そう思うとますます心臓がドキドキしちゃう。
ナニ「おはようございます」*3
○ モノローグ
スタジオに入ると、ミキサー卓の前には、すでにヤンさんと教授がスタンバイしていた。第一回のタイトルが印刷されたキューシート*4と構成台本*5をチェック。 
ヤン「それでは、本番いきましょうか」
ナニ「えー、もう本番? そんな!」
ヤン「マイクはいります。マイク・オン*6!」
ヤンさんがミキサー卓にずらりと並んだ、マイクの音量を調整するレバーを静かにアップ・スライドさせながら、ナニに向かって手を差し出すような仕草でキューを送った。本番が始まった。
○オープニング音楽
ナニ 今日から始まる新番組、「ナニの連続ラジオ講座・メディアってなに?」の時間がやってきました。わたしはこの番組のキャスターを務める、ハワイ生まれで日本育ちのナニです。どうぞよろしく。今の若者にとって、メディアは、それなしでは生きていけない生活の必需品だよね。メディアといえば、テレビ、インターネット、携帯電話といろいろあるけれど、便利だからってふだんは漠然と使っていることが多いと思うの。そこで、この番組では、そんなメディアについて、メディアはどんな働きをしているのか、マスメディアの影響力って何なのか、といった問題について、深く考えていきたいと思っています。みなさん、聴いてね。
さて、第一回目の今日は、「それは一九三〇年代のドイツで始まった。〜政治とメディアの危険な関係〜」というテーマでお送りします。今日の番組のコメンテータ、教授をご紹介します。
さて、教授! 一九三〇年代ってどんな時代だったのですか? そして、それがメディアとどう関係しているの? ナニたちが生まれる半世紀以上も前の時代のことだから、まずその辺からお話をお願いしますね。
教授 一九三〇年代の話をする前に、近代のメディアの歴史について、すこしまとめておこうね。新聞や書籍は、グーテンベルク*7が十五世紀に最初に発明した印刷技術に支えられてきたわけだけど、十九世紀後半から二十世紀に入ると、電気を使った新しいメディアが登場してきたんだ。音声メディアでは、電話、蓄音機とレコード、ラジオなどが実用化された。また、映像メディアでは、スクリーン型の映画が普及していった。それは、活字とは違って、感覚を直接刺激する感覚系メディアのデビューだった。その中でもっとも早く登場したのは、ラジオだった。一九〇〇年にフェッセンデン*8によって発明されたラジオは、当初は、無線通信機として利用されていた。それが音楽やニュースを聴く受信専用になったのは、一九二〇年代だった。日本では、一九二五年に東京放送局*8が開局されたんだ。
ナニ それって今のNHKだよね。
教授 そうだよ。映画もラジオと並行して発展していった。十九世紀末にフランスのリュミエール兄弟*9によって発明されたスクリーン型の映画は、一九一〇年代に入ると、アメリカ西海岸のハリウッドに映画製作会社が集まるようになり、映画産業を生み出していった。こうして、つぎにやってきた三十年代には、ラジオや映画のような感覚系メディアが、社会に大きな影響を与えるまでに成長を遂げたんだ。
ナニ 今の時代に当てはめてみると、当時の映画やラジオは、ちょうど現代のテレビくらいのパワーがあったわけね。
教授 そう、そのとおり。そして、この感覚的メディアを政治に利用しようと考えた政党がドイツに現れたんだ。そう、ヒトラー率いるナチス党*12だよ。一九三〇年代は、世界が経済不況にあえいでいた時代だったんだ。ニューヨークのウォール街で起こった株の大暴落をきっかけに経済恐慌に陥って、アメリカだけでなく、ドイツでも、日本でも、世界中が不況のどん底でもがいていた。
ナニ 経済恐慌? それならハイスクールで習ったよ。リーマンショックみたいなものね。
教授 今で言えばそうだね。そのような混乱の中で、ナチスは、社会主義でも自由主義でもない「国家社会主義」をかかげて政権獲得に向けた闘争を進めていった。そして、その闘争のための最大の武器がプロパガンダ*13、つまりメディアによる大衆操作だったんだ。ヒトラーは自分が書いた『我が闘争』という本の中でこう言っている。
「真実であれ嘘であれ、いかなる強固な観念も、プロパガンダによって新しい観念に取り替えることができる。人々の心理を読み、なんどもくりかえすことで、四角形を円だと証明することも不可能ではない。そもそも四角形とか円とかいうのは、ただのことばにすぎない。だから、ことばによって、それにいつわりの衣を着せてしまうこともできる」*
ヒトラーにとって、感覚系メディアを徹底的に利用して1933年に政権をとった。そして、政権を取ってからは、さらにラジオや映画を徹底的に活用した。
まず、ナチスの放送だけしか受信できない国民ラジオ*14というラジオを大量に製造して、レストランや工場など、人びとの集まる場所に配備したんだ。さらに、国内だけじゃなく、国際的な場面にも利用した。周辺の国に住むドイツ系の市民にむけて、ナチスのドイツがどんなにすばらしいかを宣伝するドイツ語放送をおこなった。
映画の利用を積極的に進めたのは、ゲッベルス*16という宣伝大臣だった。

ナニ 宣伝大臣か。すごく露骨な名前だね。今でいえば、広報担当大臣ってとこね。
教授 このゲッベルスのプロパガンダは、たいへん巧妙だった。かれは政治臭の強い宣伝映画は、ほとんど作らなかった。そのかわり、歴史物語映画や娯楽映画、おとぎ話を題材にしたファンタジー映画やアニメをたくさん製作した。そして、その中に、政治的メッセージを埋め込んだんだ。
プロパガンダ映画については、ゲッベルス以外にもうひとり重要な人物がいた。レニ・リーフェンシュタール*19という女性映画監督だよ。彼女は、さらに一九三六年にナチスが開いたベルリンオリンピックの公式記録映画「民族の祭典」「美の祭典」*20を製作し、その高い芸術性と同時にナチスのすばらしさを世界中に宣伝した。
ナニ 今のオリンピックに欠かせない聖火リレーは、ナチスのオリンピックのアイデアだって聴いたことがある。メディア受けするアイデアをいっぱい考えたわけね。
教授 ゲッベルスは、プロパガンダを輸送船団に例えた。一番遅い船、つまり一番理解力のない無知な人にあわせて、分かりやすく仕掛けなければならないということだろうね。そして、さらに、こんなことも言っている。プロパガンダによって、人々に新しい観念を注入することは難しいが、心の奥に眠っている観念を取り出し、強めることは可能だと。たとえば、ユダヤ人に対する偏見は、キリスト教徒が多数派を占めるヨーロッパの社会が歴史的に育んできたものだった。たとえば、シェークスピアの戯曲『ベニスの商人』*21に登場する卑劣な商人がユダヤ人であるようにね。これをナチスは利用したんだ。そして、ユダヤ人などを強制収容所に閉じこめ、大量虐殺を行った、これをホロコーストというんだよ。
ナニ ホロコースト。民族全体を消し去ってしまうような大量殺人のこと。けっして忘れてはいけない人類の歴史。
教授 ナチスは必死になって隠そうとしたけれど、ドイツ軍が敗走した東ヨーロッパの各地に残された強制収容所をみた連合国の軍人やジャーナリストは、大量虐殺が本当だったことを知って驚いたんだ。そして、戦後、どうしてゲーテやシューベルトの芸術家を育てたドイツ人が簡単にナチスに騙されたんだろうか、と考えた。そして、その原因の一つは感覚系メディアを使ったプロパガンダに違いないと直感したんだ。
こうして、マスメディア研究に対する研究が進められた。 そんな研究の多くは、マスメディアの強力な影響力を警告した。「マスメディアの力は絶大だぞ。マスメディアが発信する情報は、まるで皮下注射のように直接的に全面的に同時的にそれに接触した人びとに影響を与えるのだ」という学説が広がっていった。このような理論を強力効果理論、あるいは弾丸理論とか皮下注射モデルとか呼ぶんだ。
 そして、その研究にたずさわった人々は、ナチスのような独裁国家だけではなく、アメリカのような民主主義の国でも、マスメディアが大衆操作に利用されることに気づいていったんだ。
 たとえば、ハロルド・ラズウェル*25という政治学者は、こんなことを言ってるよ。
「民主主義体制においては、プロパガンダは特権階級が自己の利益にもとづいて決定したことがらに対して無知な市民の同意をとりつけるために必要とされている」とね。 だから、一九三〇年代のドイツで起こったことをきちんと批判的に受け止めることが、今日のメディアを考える上でもとても重要なんだね。
ナニ わたしたちの中にも、マスメディアはものすごい影響力をもっているのに、ほんとうのことを伝えてないんじゃないかって、そして、権力者がマスメディアを利用して、一般大衆を自分たちの都合のいいようにコントロールしようとしているんじゃないかって、漠然と疑問をもっている人は多いと思うの。でも、そのやり方はとてもずる賢いので、よく注意していないと気がつかないかもしれない。今日のお話は、その意味で、マスメディアをつかって国民を操作したナチスのやり方について、過去の歴史からしっかり学ぶことで、現代の問題についても、神経をとんがらせることができるんじゃないかって思うの。そういうスタンスを身につけることってとっても大切じゃないかな。歴史から学ぶって、こういうことなんだよね。 
さて、みなさん、今日の番組をどう聴かれましたか? これからも、この番組ではメディアについてとっても興味深いお話をどんどんお届けしていきます。来週は、「金もうけの王国に亡命知識人がやってきた〜ビジネスとメディアのお熱い関係〜」です。ぜひ聴いてね。
◆語句解説
オンエア*1(on air)電波が空中に発信されている、つまり、放送が行われている状態。
「噛む」*2放送用語で、アナウンスがつまったり、言い間違えたりすること。
「おはようございます」*3放送局のあいさつ言葉。スタジオ入りするときなど、時刻に関係なく使われる。
キューシート*4番組の進行表。
マイク・オン*6録音が行われている状態。
ヨハネス・グーテンベルク*7(Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg)一三九八?〜一四六八年。ドイツの金属加工技術者で、ヨーロッパで初めて活版印刷機技術を実用化した。
レジナルド・フェッセンデン*8(Reginald A. Fessenden)一八六六〜一九三二年。カナダ生まれの電気技術者で、ラジオを発明した。
東京放送局*8 社団法人東京放送局。一九二五年に芝浦の仮放送所から最初のラジオ電波を送信した。社団法人日本放送協会(現NHK)の前身。
リュミエール兄弟*9 オーギュスト・リュミエール(Auguste Marie Louis Lumière)一八六二〜一九五四年。ルイ・リュミエール(Louis Jean Lumière)一九六四〜一九四八年。兄弟。ガラス乾板工場を経営し、劇場型映画であるキネマトグラフを発明した。
ナチス党*10 ナチス党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)一九二〇年にドイツで結成された民族主義と反ユダヤ主義を掲げる国家主義政党。一九三三年に政権を取ったが、敗戦によって一九四五年に壊滅した。党首は、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)一八八九〜一九四五年。第二次世界大戦を引きおこしたが、連合国軍に敗北し、ベルリンの地下壕で自殺した。
プロパガンダ*11 人びとの意識や心理を特定の方向に誘導したり、変容させたりするために行われる宣伝活動。とくに戦時下の心理・情報工作。
国民ラジオ*12 (Volksempfanger)一九三三年に政権を取ったナチスが政治宣伝のために各家庭に一台ラジオを普及させることを目標に製造したラジオ受信機。(写真)
ゲッベルス*13 パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(Paul Joseph Goebbels)一八九七〜一九四五年。ドイツの政治家。ナチスの国民啓蒙・宣伝大臣を務め、プロパガンダの天才と言われた。敗戦の直前にベルリンの地下壕で自殺した。
リーフェンシュタール*14 レニ・リーフェンシュタール(Leni Riefenstahl)一九〇二〜二〇〇三年。ドイツ、ベルリン生まれのダンサー、女優、映画監督、写真家。ナチスのプ「民族の祭典」「美の祭典」*15 一九三六年のベルリンオリンピックの公式記録映画「オリンピア」二部作のタイトル。一九三八年ヴェネチア国際映画祭で金賞受賞。
『ベニスの商人』*16 (the Merchant of Venice)ウイリアム・シェークスピア作の戯曲。ユダヤ人金貸しシャイロックの証文をめぐる裁判とベルモントの女相続人に求愛する若者の話。
ハロルド・D・ラズウェル*17 (Harold D.Lasswell)一九〇二〜一九七八年。アメリカの政治学者でコミュニケーション研究者。プロパガンダ研究の第一人者だった。
アメリカ議会図書館*26(Library of Congress)一八〇〇年にワシントンDCに設立された連邦政府立の世界最大規模の図書館。日本の国立国会図書館のモデルとなった。

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2010年07月21日

夏休み特別企画ラジオドラマによる連続大学講座「メディアってなに?」第1話

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◆声の出演 
ナニ:三木華子 
教授/紺田:内屋敷保 
ヤン:金千秋
原作/脚本 山中速人
構成/編集 金千秋

第1話
プロローグ ナニ、市民ラジオとその仲間たちに出会う

シーン1
○モノローグ
 私の名前は、ナニ。ちょっと変わってるでしょ。ハワイ語で「美しい」という意味。なにごとにも凝り性なお父さんがつけてくれたの。ナニは、日本人の両親がハワイで暮らしているときに生まれた女の子。だから、日本とアメリカの二つの国籍をもっている。それで、高校はハワイの学校に通った。でも、そのあと、また日本に戻ってきて、春からこの街の大学に通ってる。この街は、ホノルルに似て、国際的な貿易港として発展してきたの。そんな多文化で海外に開かれた街に似て、自由で格式ばらない大学では、一年生から教授を囲んだ少人数のゼミに参加することができる。ナニは、ゼミを選ぶときに、映画やメディアが専門の教授のゼミを選んだの。
 キャンパス生活がはじまってしばらくした日、ゼミの教授の研究室をたずねたナニに、教授はこんな提案をしたんだよ。
○研究室のなか
教授「この町に、カモメFMという小さなラジオ局があってね。ぼくは、そこで映画評の番組を担当しているんだ。それで先日、局に行ったら、プロデューサ*7から、今、若者向けの番組作りに参加する学生スタッフを募集しているんですけれど、いい学生さんを紹介してくださいませんかって聞かれたんだ。そのとき、瞬間的にナニさんの顔を思い出した。で、二つ返事で、ぴったりの学生がいるって答えちゃった。でね、ナニさん。ぼくも手伝うから、この番組企画にぜひ参加してみない?」

○モノローグ
 この若者向けの番組というのは、メディアについての番組らしかった。テレビやインターネットなどメディアに取り囲まれている現代の若者にとって、メディアはまるで空気のようなもの。そのメディアについて、あらためてどう発達してきたのか、そして、現代の生活の中でどんな役割を果たし、どんな問題を抱えているか、根本のところから考え直そうと企画されたらしいの。

教授「とにかく、一度、このFM放送局を訪ねて、プロデューサのヤンさんに会ってみてごらん。きっと、興味がわいてくるから。」

○モノローグ
 教授にすすめられて、ナニは、そのラジオ番組に参加することになっちゃった。ナニらしい、いつものパターン。手と足が頭より先に動いてしまうんだから。
ナニ「ま、いいか。」
シーン2
○街の雑踏音
 カモメFMの放送局は、港へと続く長い坂を逆方向に登りつめたところにあった。
○ ドアを開ける音 背景にラジオトークが聞こえる
○ モノローグ
 ナニがカモメFMの玄関のドアを開けると、防音ガラスで仕切った小さなスタジオがあった。スタジオでは、女の人が、マイクに向かって一人でおしゃべりをしていた。ナニは、放送局というからには、厳重に警備されているビルディングや、たくさんのスタッフであふれかえるスタジオを想像していた。ところが、このあまりにシンプルで小さなスタジオ。びっくりしちゃった。
○放送が終わり、スタジオのドアが開く。
ヤン「あなたがナニさん? 教授から聞いてるわよ。今度の番組を手伝ってくれるんだってね。はじめまして、わたしはこのカモメFMのプロデューサで、ディレクター*11で、パーソナリティのヤンです。よろしくね。」
○モノローグ
 長い髪をおまんじゅうにして頭のてっぺんにまとめ、それに中華料理のお箸をぐいっと刺した四十歳を少し越えたくらいの女の人。ヤンっていうんだ。ふーん。
ヤン「教授から聞いていると思うけれど、今日ほど、メディアが若者の生活に浸透している時代はないと思うのよ。テレビやインターネットなどをとおして便利で役に立ちそうな情報がどんどん流れてくるでしょ。でも、若者たちは、そんな情報を、受け身になって丸飲みしていることが多いように思うの。でも実際は、政府や企業は、そんなメディアを使って、人々の意見や考え方を都合のいいようにコントロールしようとしているかもしれないのにね。」
「だから、今度の番組では、現代のメディアを批判的に考えるきっかけを提供したいと思うの。ぜひあなたのような若い人の力を借りたいのよ。期待してるからね。」
ナニ「はい、そうですね。そうできればいいんだけれど」
○モノローグ
 なりゆきでこたえちゃったけど。期待してるって言われても困るよ。 でも、ナニは、ヤンさんの言葉が分からないわけじゃなかった。というのはね、ナニがアメリカで生活していたとき、イラク戦争*12が始まった。アメリカのテレビは、アメリカ軍といっしょになってイラクに侵攻する軍隊の様子を、まるで戦争映画のように現地から伝えた。軍艦からはミサイル*が発射され、敵のフセイン大統領がすむ宮殿につぎつぎに命中した。
 でも、よく観ていると、ミサイルはバクダッドの街にも落ちていった。街に落ちたミサイルは一般市民を殺さなかったのだろうか。ブッシュ大統領は、911事件のテロリスト*13とフセイン大統領とはグルだと演説していたけれど、本当だろうか。ナニは、そんな疑問をもってテレビを観ていたんだ。ところが、テレビは、ますますエキサイトして、アメリカ軍の勝利を自慢げに報道していった。ナニは、それからテレビを疑うようになった。ナニがそんなことを考えていると、白いタオルを首にかけ、頭を短髪に刈り上げた、道路工事の現場監督風のおじさんが現れた。

○ドアが開く音
ヤン「びっくりしたでしょ。こちらが局長の紺田さん。この白いタオルはね、紺田さんのトレードマーク。この局が放送を開始したとき、紺田さん自身が工事を指揮したときからのシンボルってわけね。」
紺田「このカモメFMは、いわゆるマスメディアじゃないんだよ。このラジオ局は、日本ではコミュニティ放送局*15と呼ばれているんだ。政府の免許が必要な放送局としては、もっとも小さな放送局なんだ。でも、この局の歴史はとても変わってる。以前、この町が大きな災害にみまわれたことがあった。そのとき、被災した市民たちは、被災者がほんとうに必要としている情報を提供してくれて、さらに、被災者の気持ちを代弁してくれるメディアが必要だと感じていた。被災者の中には、日本人とは違ったことばや文化をもつ外国籍の市民たちもいた。ヤンさんもそんな一人だった。そして、そんな被災者たちが災害の混乱の中、力を出し合って立ち上げたラジオ局が、このカモメFMだったんだ。だから最初は政府の許可を得ていない無免許の放送局だった。そんな放送局のことを海賊放送局*16っていうんだけれど、知ってるかな? この局は、そんな市民たちの独立精神に支えられて放送を続けているんだよ。マスメディアにまかせるのではなく、市民自身が自分の力で情報を発信することのできるメディア。それが、このカモメFMなんだ。この白いタオルは、自分たちがすすんで汗を流して手作りするという局の精神のシンボルなんだよ。ほら首に掛けてあげよう」
ナニ「ありがとうございます」
紺田「このタオルがすっかりよれよれになるまでがんばれば、一人前ってことかな。」
○ モノローグ
 日本には、放送法*17という法律があって、放送局を開設するには政府の許可が必要だという。ずいぶん不自由な国だなあと思っていた。でも、そんな国にも、カモメFMのような放送局があることを知って、ナニは、なんだかうれしくなってきた。
「がんばらなきゃ。」
「自分で言うのも変だけれど、わたしって、なんてケナゲな女の子なの!」
○モノローグ
 その後、ナニは、ヤンさんや紺田さんをはじめ、この小さなラジオ局にかかわるスタッフやボランティアたちと会議をかさね、担当する番組の構成案をねり上げたの。そして、最終的に、タイトルは、シリーズ番組「ナニの連続ラジオ講座・メディアってなに?」と決まった。毎回、メディアについて異なったテーマを取り上げ、若者を代表してナニが聴き役をつとめながら、教授やゲストにお話をしてもらう。ときにはヤンさんにも、話に加わってもらう。そして、番組の最後は、ナニがキャスターとしてしめくくる。そんなやり方で、番組を進めることになった。こうして、ナニのラジオキャスター*18としての奮闘が始まった。

◆プロローグ 語句解説◆
メリーモナーク・フラフェスティバル*1 (Merrie Monarch Hula Festival)ハワイ先住民族文化の復興をめざして、一九六三年以来、毎年春先にハワイ島のヒロ市で開催される世界最大のフラ・フェスティバル。
『娘と映画をみて話す、民族問題ってなに?』*2 拙著、現代企画室、二〇〇七年。
ロコ*3 ローカル(Local)のハワイ方言でハワイ地元出身者の意味。
グランドクルー*4 (Grand clue)空港地上職員
クムフラ*5 (Kumu Hula)フラの舞踏グループ(Hula Halau)を率いる師匠。
ホストペアレンツ*6 (Host parents)下宿生を引き受ける里親。
プロデューサ*7 (Producer) 一般的に、放送番組の総責任者として、企画、予算、制作など全行程の責任を負う役職。
海外移住者*8 一八六八年のハワイ移民を皮切りに、海外に仕事や農地を求めて移住していった日本人たち。戦前はアメリカ、戦後は中南米諸国への多数の移住が行われた。
パーソナリティ*9 本来のpersonalityは人格を指す心理学用語であるが、放送用語では、ラジオのトーク番組の司会者のこと。
ミキサー*10 (mixer)放送や録音スタジオなどで、異なった複数の音響信号のレベルや音質を調整し、混合するために使用する機械。
ディレクター*11 (Director) 一般的には、職種の異なるスタッフを統括し、番組全体の進行と構成を担当する職種。
イラク戦争*12  二〇〇三年三月十九日に、アメリカ合衆国が主導し、イギリス、オーストラリア、ポーランドなどが加わって、イラクの大量破壊兵器の保有による危機を口実に、同国に侵攻した戦争。その後、泥沼化した。
九・一一事件のテロリスト*13 アメリカ政府の捜査では、オサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織アルカーイダが犯行を行ったとされている。
ハリウッドスマイル*14 唇を横に開き、歯列を露出させながら口蓋を上げてみせる笑い方。ハリウッドスターの写真撮影の際に多用されたので、この名称がつけられた。
コミュニティ放送局*15 放送法施行規則別表第一号の定義では、一の市町村(政令指定都市については区)における需要にこたえるための放送をいう。
海賊放送局*16 正式な放送免許を持たず放送を行う放送局のこと、ラジオ局が多い。船舶に送信機を積んで、その国の領海外から放送するケースが多かったため、この名称が付けられた。
放送法*17 一九五〇年に成功された、放送一般、日本放送協会(NHK)、放送事業者全般を規制する日本の国内法。日本におけるすべての放送および放送を行う者は、この法律によって規制をうける。
キャスター*18 ニュース番組やトーク番組をリードする役割をもつ高度な権限と能力をもつ総合司会者。アメリカでは高い権限と権威が与えられているが、日本では、ただの番組の進行役を指すことが多い。

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2010年07月13日

関西学院大学総合政策学部地域検証番組第8回

100713_kitada.jpg「立ち上がれ、新長田」
担当者:北田知美、青柳裕之、佐藤あゆみ、東田望、槇野晴佳、美田さくら
・自己紹介
・新長田のイメージ
フィールドワークで新長田に初上陸した時の感想は?
田舎そう、鉄人がいる、震災で復興した町
・実際に新長田に行ってみた感想
三田より都会!、意外と人が多い、国道二号線から南がシャッター商店街化?
・フィールドワークで話を聞いた長田のおっちゃんの話(北田報告)なぜ鉄人プロジェクトを始めたのか?どのような商品を置いているのか?アイディアで商品を売る。土地の人々の力で商品を作る。誰にも優しい街づくり。皆が笑顔になれる街へ
地元の協力体制があるので、それを利用して街全体で街興しを出来れば・・・
・キャラクターによる商店街の活性化に成功した街、鳥取県境港市(佐藤報告)
1989年からスタート
鳥取県境港市出身、「ゲゲゲの鬼太郎」作者水木しげるとコラボレーション
水木しげるロードに、ブロンズ像を23体設置(1993年)⇒現在総数133体
商店街中にゲゲゲの鬼太郎と縁のあるモニュメントや街灯が!
頻繁にイベントも行われており、鬼太郎グッズもたくさん
元は漁業で栄えていた街だったが、不況のあおりをうけてシャッター商店街化。
ゲゲゲの鬼太郎とのコラボレーションによって復興に成功
・どうすれば新長田の商店街はより活性化するのか?(東田、美田、槇野提案)
新長田の観光大使に三国志好きの有名人を起用
親子でも楽しめる三国志コーナー(ビデオアニメ上映など)を設置
マニア向けの観光地化(例:戦国BASARAによる北陸地の活性化)
商店街全体を三国志一色に!(例:魏、呉、蜀のそれぞれのテーマカラーの商品展開や、競争化をはかる)
新長田の商店街の人々にも三国志検定を受けてもらうなどして、三国志を好きになってもらう!
・まとめ(青柳)
境港のように町全体が協力し、一丸となってプロジェクトに取り組む事によって、より新長田を活性化出来るのではないか?
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2010年07月06日

関西学院大学総合政策学部山中ゼミの新長田探訪(7)

100706_taiyo1.jpg◆新長田においての、三国志プロジェクトによる回遊性の有無
第7回目担当大洋慧実・朴史帆・石森圭・後田貴代・小原拓朗
◆トーク1新長田においての、三国志プロジェクトによる回遊性の有無、町全体の感想・混雑加減(朴)
◆トーク2各調査地点での詳しい情景・客観的な見解(石森)インタビュー結果報告といい点のまとめ(後田)
◆トーク3主観的な三国志エリアへの感想(石森)改善案提示1〜垂れ幕・三国志マスコット考案〜(小原)
◆トーク4改善案提示2〜マスコットキャラに絡めた商品などの販売〜(小原)改善案提示3〜三国志スポット専用の地図・鉄人と絡めた商品展開〜(小原)全体のまとめ(大洋)  
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