ナニ:三木華子
教授:内屋敷保
ヤン:金千秋
原作/脚本 山中速人
構成/編集 金千秋
第2話
それは一九三〇年代のドイツで始まった。〜政治とメディアの危険な関係〜
○ モノローグ
初めての番組収録がやってきた。オンエア*1するラジオ番組の収録は、今回が初めての経験。ドキドキしちゃう。台本はきちんと準備してきた。でも、「噛む」*2かもしれない。どうしよう。そう思うとますます心臓がドキドキしちゃう。
ナニ「おはようございます」*3
○ モノローグ
スタジオに入ると、ミキサー卓の前には、すでにヤンさんと教授がスタンバイしていた。第一回のタイトルが印刷されたキューシート*4と構成台本*5をチェック。
ヤン「それでは、本番いきましょうか」
ナニ「えー、もう本番? そんな!」
ヤン「マイクはいります。マイク・オン*6!」
ヤンさんがミキサー卓にずらりと並んだ、マイクの音量を調整するレバーを静かにアップ・スライドさせながら、ナニに向かって手を差し出すような仕草でキューを送った。本番が始まった。
○オープニング音楽
ナニ 今日から始まる新番組、「ナニの連続ラジオ講座・メディアってなに?」の時間がやってきました。わたしはこの番組のキャスターを務める、ハワイ生まれで日本育ちのナニです。どうぞよろしく。今の若者にとって、メディアは、それなしでは生きていけない生活の必需品だよね。メディアといえば、テレビ、インターネット、携帯電話といろいろあるけれど、便利だからってふだんは漠然と使っていることが多いと思うの。そこで、この番組では、そんなメディアについて、メディアはどんな働きをしているのか、マスメディアの影響力って何なのか、といった問題について、深く考えていきたいと思っています。みなさん、聴いてね。
さて、第一回目の今日は、「それは一九三〇年代のドイツで始まった。〜政治とメディアの危険な関係〜」というテーマでお送りします。今日の番組のコメンテータ、教授をご紹介します。
さて、教授! 一九三〇年代ってどんな時代だったのですか? そして、それがメディアとどう関係しているの? ナニたちが生まれる半世紀以上も前の時代のことだから、まずその辺からお話をお願いしますね。
教授 一九三〇年代の話をする前に、近代のメディアの歴史について、すこしまとめておこうね。新聞や書籍は、グーテンベルク*7が十五世紀に最初に発明した印刷技術に支えられてきたわけだけど、十九世紀後半から二十世紀に入ると、電気を使った新しいメディアが登場してきたんだ。音声メディアでは、電話、蓄音機とレコード、ラジオなどが実用化された。また、映像メディアでは、スクリーン型の映画が普及していった。それは、活字とは違って、感覚を直接刺激する感覚系メディアのデビューだった。その中でもっとも早く登場したのは、ラジオだった。一九〇〇年にフェッセンデン*8によって発明されたラジオは、当初は、無線通信機として利用されていた。それが音楽やニュースを聴く受信専用になったのは、一九二〇年代だった。日本では、一九二五年に東京放送局*8が開局されたんだ。
ナニ それって今のNHKだよね。
教授 そうだよ。映画もラジオと並行して発展していった。十九世紀末にフランスのリュミエール兄弟*9によって発明されたスクリーン型の映画は、一九一〇年代に入ると、アメリカ西海岸のハリウッドに映画製作会社が集まるようになり、映画産業を生み出していった。こうして、つぎにやってきた三十年代には、ラジオや映画のような感覚系メディアが、社会に大きな影響を与えるまでに成長を遂げたんだ。
ナニ 今の時代に当てはめてみると、当時の映画やラジオは、ちょうど現代のテレビくらいのパワーがあったわけね。
教授 そう、そのとおり。そして、この感覚的メディアを政治に利用しようと考えた政党がドイツに現れたんだ。そう、ヒトラー率いるナチス党*12だよ。一九三〇年代は、世界が経済不況にあえいでいた時代だったんだ。ニューヨークのウォール街で起こった株の大暴落をきっかけに経済恐慌に陥って、アメリカだけでなく、ドイツでも、日本でも、世界中が不況のどん底でもがいていた。
ナニ 経済恐慌? それならハイスクールで習ったよ。リーマンショックみたいなものね。
教授 今で言えばそうだね。そのような混乱の中で、ナチスは、社会主義でも自由主義でもない「国家社会主義」をかかげて政権獲得に向けた闘争を進めていった。そして、その闘争のための最大の武器がプロパガンダ*13、つまりメディアによる大衆操作だったんだ。ヒトラーは自分が書いた『我が闘争』という本の中でこう言っている。
「真実であれ嘘であれ、いかなる強固な観念も、プロパガンダによって新しい観念に取り替えることができる。人々の心理を読み、なんどもくりかえすことで、四角形を円だと証明することも不可能ではない。そもそも四角形とか円とかいうのは、ただのことばにすぎない。だから、ことばによって、それにいつわりの衣を着せてしまうこともできる」*
ヒトラーにとって、感覚系メディアを徹底的に利用して1933年に政権をとった。そして、政権を取ってからは、さらにラジオや映画を徹底的に活用した。
まず、ナチスの放送だけしか受信できない国民ラジオ*14というラジオを大量に製造して、レストランや工場など、人びとの集まる場所に配備したんだ。さらに、国内だけじゃなく、国際的な場面にも利用した。周辺の国に住むドイツ系の市民にむけて、ナチスのドイツがどんなにすばらしいかを宣伝するドイツ語放送をおこなった。
映画の利用を積極的に進めたのは、ゲッベルス*16という宣伝大臣だった。
ナニ 宣伝大臣か。すごく露骨な名前だね。今でいえば、広報担当大臣ってとこね。
教授 このゲッベルスのプロパガンダは、たいへん巧妙だった。かれは政治臭の強い宣伝映画は、ほとんど作らなかった。そのかわり、歴史物語映画や娯楽映画、おとぎ話を題材にしたファンタジー映画やアニメをたくさん製作した。そして、その中に、政治的メッセージを埋め込んだんだ。
プロパガンダ映画については、ゲッベルス以外にもうひとり重要な人物がいた。レニ・リーフェンシュタール*19という女性映画監督だよ。彼女は、さらに一九三六年にナチスが開いたベルリンオリンピックの公式記録映画「民族の祭典」「美の祭典」*20を製作し、その高い芸術性と同時にナチスのすばらしさを世界中に宣伝した。
ナニ 今のオリンピックに欠かせない聖火リレーは、ナチスのオリンピックのアイデアだって聴いたことがある。メディア受けするアイデアをいっぱい考えたわけね。
教授 ゲッベルスは、プロパガンダを輸送船団に例えた。一番遅い船、つまり一番理解力のない無知な人にあわせて、分かりやすく仕掛けなければならないということだろうね。そして、さらに、こんなことも言っている。プロパガンダによって、人々に新しい観念を注入することは難しいが、心の奥に眠っている観念を取り出し、強めることは可能だと。たとえば、ユダヤ人に対する偏見は、キリスト教徒が多数派を占めるヨーロッパの社会が歴史的に育んできたものだった。たとえば、シェークスピアの戯曲『ベニスの商人』*21に登場する卑劣な商人がユダヤ人であるようにね。これをナチスは利用したんだ。そして、ユダヤ人などを強制収容所に閉じこめ、大量虐殺を行った、これをホロコーストというんだよ。
ナニ ホロコースト。民族全体を消し去ってしまうような大量殺人のこと。けっして忘れてはいけない人類の歴史。
教授 ナチスは必死になって隠そうとしたけれど、ドイツ軍が敗走した東ヨーロッパの各地に残された強制収容所をみた連合国の軍人やジャーナリストは、大量虐殺が本当だったことを知って驚いたんだ。そして、戦後、どうしてゲーテやシューベルトの芸術家を育てたドイツ人が簡単にナチスに騙されたんだろうか、と考えた。そして、その原因の一つは感覚系メディアを使ったプロパガンダに違いないと直感したんだ。
こうして、マスメディア研究に対する研究が進められた。 そんな研究の多くは、マスメディアの強力な影響力を警告した。「マスメディアの力は絶大だぞ。マスメディアが発信する情報は、まるで皮下注射のように直接的に全面的に同時的にそれに接触した人びとに影響を与えるのだ」という学説が広がっていった。このような理論を強力効果理論、あるいは弾丸理論とか皮下注射モデルとか呼ぶんだ。
そして、その研究にたずさわった人々は、ナチスのような独裁国家だけではなく、アメリカのような民主主義の国でも、マスメディアが大衆操作に利用されることに気づいていったんだ。
たとえば、ハロルド・ラズウェル*25という政治学者は、こんなことを言ってるよ。
「民主主義体制においては、プロパガンダは特権階級が自己の利益にもとづいて決定したことがらに対して無知な市民の同意をとりつけるために必要とされている」とね。 だから、一九三〇年代のドイツで起こったことをきちんと批判的に受け止めることが、今日のメディアを考える上でもとても重要なんだね。
ナニ わたしたちの中にも、マスメディアはものすごい影響力をもっているのに、ほんとうのことを伝えてないんじゃないかって、そして、権力者がマスメディアを利用して、一般大衆を自分たちの都合のいいようにコントロールしようとしているんじゃないかって、漠然と疑問をもっている人は多いと思うの。でも、そのやり方はとてもずる賢いので、よく注意していないと気がつかないかもしれない。今日のお話は、その意味で、マスメディアをつかって国民を操作したナチスのやり方について、過去の歴史からしっかり学ぶことで、現代の問題についても、神経をとんがらせることができるんじゃないかって思うの。そういうスタンスを身につけることってとっても大切じゃないかな。歴史から学ぶって、こういうことなんだよね。
さて、みなさん、今日の番組をどう聴かれましたか? これからも、この番組ではメディアについてとっても興味深いお話をどんどんお届けしていきます。来週は、「金もうけの王国に亡命知識人がやってきた〜ビジネスとメディアのお熱い関係〜」です。ぜひ聴いてね。
◆語句解説
オンエア*1(on air)電波が空中に発信されている、つまり、放送が行われている状態。
「噛む」*2放送用語で、アナウンスがつまったり、言い間違えたりすること。
「おはようございます」*3放送局のあいさつ言葉。スタジオ入りするときなど、時刻に関係なく使われる。
キューシート*4番組の進行表。
マイク・オン*6録音が行われている状態。
ヨハネス・グーテンベルク*7(Johannes Gensfleisch zur Laden zum Gutenberg)一三九八?〜一四六八年。ドイツの金属加工技術者で、ヨーロッパで初めて活版印刷機技術を実用化した。
レジナルド・フェッセンデン*8(Reginald A. Fessenden)一八六六〜一九三二年。カナダ生まれの電気技術者で、ラジオを発明した。
東京放送局*8 社団法人東京放送局。一九二五年に芝浦の仮放送所から最初のラジオ電波を送信した。社団法人日本放送協会(現NHK)の前身。
リュミエール兄弟*9 オーギュスト・リュミエール(Auguste Marie Louis Lumière)一八六二〜一九五四年。ルイ・リュミエール(Louis Jean Lumière)一九六四〜一九四八年。兄弟。ガラス乾板工場を経営し、劇場型映画であるキネマトグラフを発明した。
ナチス党*10 ナチス党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)一九二〇年にドイツで結成された民族主義と反ユダヤ主義を掲げる国家主義政党。一九三三年に政権を取ったが、敗戦によって一九四五年に壊滅した。党首は、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)一八八九〜一九四五年。第二次世界大戦を引きおこしたが、連合国軍に敗北し、ベルリンの地下壕で自殺した。
プロパガンダ*11 人びとの意識や心理を特定の方向に誘導したり、変容させたりするために行われる宣伝活動。とくに戦時下の心理・情報工作。
国民ラジオ*12 (Volksempfanger)一九三三年に政権を取ったナチスが政治宣伝のために各家庭に一台ラジオを普及させることを目標に製造したラジオ受信機。(写真)
ゲッベルス*13 パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(Paul Joseph Goebbels)一八九七〜一九四五年。ドイツの政治家。ナチスの国民啓蒙・宣伝大臣を務め、プロパガンダの天才と言われた。敗戦の直前にベルリンの地下壕で自殺した。
リーフェンシュタール*14 レニ・リーフェンシュタール(Leni Riefenstahl)一九〇二〜二〇〇三年。ドイツ、ベルリン生まれのダンサー、女優、映画監督、写真家。ナチスのプ「民族の祭典」「美の祭典」*15 一九三六年のベルリンオリンピックの公式記録映画「オリンピア」二部作のタイトル。一九三八年ヴェネチア国際映画祭で金賞受賞。
『ベニスの商人』*16 (the Merchant of Venice)ウイリアム・シェークスピア作の戯曲。ユダヤ人金貸しシャイロックの証文をめぐる裁判とベルモントの女相続人に求愛する若者の話。
ハロルド・D・ラズウェル*17 (Harold D.Lasswell)一九〇二〜一九七八年。アメリカの政治学者でコミュニケーション研究者。プロパガンダ研究の第一人者だった。
アメリカ議会図書館*26(Library of Congress)一八〇〇年にワシントンDCに設立された連邦政府立の世界最大規模の図書館。日本の国立国会図書館のモデルとなった。