第6話
ナニのメディア研究レポート〜メディアは阪神淡路大震災をどう報道したか
声の出演
ナニ:佐藤まゆみ
ヤン:金千秋
お髭のディレクター:日比野純一
野生系美女のプロデューサ:吉富志津代
原作/脚本 山中速人
構成/編集 金千秋
今週は、ナニの研究レポート「メディアは阪神淡路大震災をどう報道したか」をお送りしまーす。聴いてね。
ある日、カモメFMに神戸のコミュニティFM局のスタッフたちが訪ねてきたの。災害が起こったとき、コミュニティラジオがどんな活動をしたのか、経験を交換しようというわけ。神戸も、一九九五年に阪神淡路大震災という大きな災害を経験しているでしょ。カモメFMと同様に、災害についてはとても関心があるのよ。プロデューサのヤンさんにお願いして、その交流会の隅っこにナニも座らせてもらった。言っておくけれど、神戸みやげのフロインドリーブのクッキー*0がお目当てだったわけじゃないよ。
神戸の局を代表してやってきた、長い黒髪が素敵な野生系美女のプロデューサ氏と巨体だけれど優しい目をしたお髭のディレクターさんは、とてもいいコンビだった。
♪野生系美女のプロデューサ「インタビュー録音」
お二人が報告してくれた話の中で、大震災が起こったときのテレビ報道についてのお話はとても興味深かった。普段、テレビは世の中の出来事の全部を見せてくれるって思っていたけれど、地震がおこったとき、それがウソだって分かっていったというの。ナニにとっては目からウロコ。それはこんなお話だった。
一九九五年一月十七日明け方、阪神・淡路をおそった地震*1は、五千を超える人命を奪い、大きな被害を出した。最初の震災ニュースはテレビからだった。地震が発生した時、ただひとつ生放送をしていた地元局は朝日放送(ABC)だった。地震のため、放送は数分間中断したけれど、すぐに回復。ADEESという自動速報装置から「東海地方に地震、震度、岐阜四」と最初のテロップが流れた。でも、おかしいでしょ、震源地は神戸なのに。その理由は、各地のデータの到着時間差のため、機械が震源地を間違えてしまったらしい。
でも、しばらくして、震源地は「関西」であると訂正が入り始めた。それでも、最大の被災地が神戸だとは伝えられなかったの。その原因は、NTT専用回線が不通になり、神戸海洋気象台の震度情報が送信されなかったから。その結果、テレビ画面の震度マップから神戸の震度が消えていた。テレビを観ていた人は、周辺の震度にまどわされ、肝心の神戸のデータが消えていることに気づかなかった。
その後、「神戸は震度六」の速報が全国に流れた。ところが、それを具体的に見せる神戸の映像が入らなかった。神戸ではテレビ局も被災して映像なんか送れなかったの。具体的な映像がないから、「神戸震度六」の情報もいつのまにか取り消されてしまった。被災地では、たくさんの人たちが命の危機に直面していたのに、テレビの中では、軽い被害のイメージが広がっていったの。
神戸から最初の映像が送信されたのは、地震発生から二時間が過ぎた六時五十分だった。最初に送られた映像は、NHK神戸放送局の室内を映した自動録画。民放も同じようなものだった。でも、地元大阪の各局は、直感的に関西が中心だと思った。関西テレビ(KTV)は、地震発生後数十分、テレビクルーを大阪の街に出したの。ところが、取材できた映像はイマイチだった。で、逆に被害を小さく見せてしまった。悔しかったよね。ポートアイランドという埋め立て島にある地元神戸のUHF局サンテレビは、連絡橋が壊れて職員が出勤できず映像を送り出せなかった。
ラジオ局は、もっと悲惨だったの。ラジオ局の大半は、大手テレビ局の子会社みたいだったから、独自取材ができず、昨夜作った、地震とは無関係なニュースの予定原稿を読んでいた。
テレビ局は混乱していた。被害の全体像がつかめない。情報網が寸断された今、気象庁や警察がくれる情報だけを放送するというふだんの体制が機能停止してしまったの。出勤途中で局員の多くが被災の現場を目撃していたのに、その情報を放送することができなかった。
八時台に入ると、多くのテレビ局が飛ばしたヘリコプターから映像が送られてきた。最初のヘリ映像は、大阪の毎日放送(MBS)が送った淡路からの映像だったの。NHKのヘリは、大阪から西へ飛びながら映像を中継し始めた。高速道路の橋桁にバスが引っかかっている映像が全国に流れた。しかし、レポーターを兼ねたカメラマンは、ファインダーを覗いたままだったから現在位置も答えられなかったの。
さらに、ヘリからの映像はとても偏っていた。崩れたビルや倒れた高速道路など大きなものばかりにカメラが向き、小さな庶民の家が倒れていることに気がつかなかった。その家の下にほとんどの犠牲者が埋まっていたのに。
暴風とか洪水とか、これまでの災害報道では、中継車からの映像は一番被害のひどい場所を映すことが多かったから、実際の被害より大げさなものになってしまうことが多かった。でも、阪神淡路大震災では、逆に特定の現場からの中継だけでは、実際より軽く見えてしてしまう恐れがあったの。ところが、テレビは、中継車の数やヘリの飛行ルートなどの制約のために、中継現場をいくつかの場所に限ってしまった。その結果、「震災名所」をリレー中継するパターンになっちゃった。その上、同じ映像を繰り返したから、ふだんの災害報道に慣れた視聴者は「なあんだ、いつもと同じだ」と錯覚してしまった。
正午をまわって、テレビが伝える死者の数は百人単位で増えていった。被災地では何万人という人々が避難場所を探して街をさまよっていた。被災者がほしかったのは、水や医療など、命と生活を守るぎりぎりの情報だった。でも、テレビにとっては、そんな被災者の個人的問題は、価値のないニュースみたいだった。刺激的な映像がほしかった東京キー局のレポーターたちは、燃え続ける神戸の街をバックにカッコよく文明批評を語ったりした。また、うるさい取材ヘリのせいで、生き埋めになった被災者の声がかき消され、救助の邪魔になったりした。そもそも、停電していた被災地では、テレビはただの箱で何の役にも立たなかった。
そして、ついに被災者のテレビへの怒りが爆発したの。現地入りした東京キー局の有名キャスターに石が投げられる事件*2も起こった。テレビ局には、抗議の電話が殺到したの。視聴者の厳しい反応に、テレビ局はCMを自粛。穴のあいたCM枠を埋めるために、「ゴミはゴミ箱に」みたいな空気の読めない公共福祉広告がテレビに流れた。で、テレビはますます視聴者の怒りを買ってしまったのよ。
神戸の人びとは、テレビがいかに現実とずれたメディアかということを知ったわけ。だから、地域に密着したコミュニティ・ラジオが必要なんだね。
神戸のコミュニティ・ラジオからやってきたお髭のディレクターはこんなお話をしてくださった。
♪お髭のディレクター「インタビュー録音」
わたしたちは、テレビが伝える情報が現実だと思いこんでいるのかもしれない。現実をテレビが伝えるのではなくて、テレビが逆に現実を作ってしまっているんじゃないか。大震災は、ふだんは気づかないテレビの素顔を人びとに認識させる貴重な機会になったんだね。
◆語句解説
フロインドリーブ*0 一九〇七年にドイツパン職人ハインリヒ・ブルクマイヤーが創設した神戸の老舗ベーカリー。
阪神・淡路をおそった地震*1 一九九五年一月十七日に発生した兵庫県南部地震。この地震による大規模災害で、六、四三七名の死者と四三、七九二名の負傷者を出した。