福島県相馬市で酪農家の男性が非業の最期を遂げた。暴走して放射能を吐き出す東京電力福島第一原発を前に、無為無策でいる政府への抗議だったのかもしれない。彼の死は重い問いを投げ掛ける。
「原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください。仕事をする気力をなくしました」
先週、酪農業の五十代の男性が首をつって亡くなった。現場の堆肥舎の壁のベニヤ板にはそう書き残されていた。
「ごめんなさい」と家族にわびる言葉もあった。突然、絶望のどん底に突き落とされ、途方に暮れていたのだろう。
知人によれば、男性は親の代から酪農を営み、約三十頭の乳牛を世話していた。ところが、原乳の放射能汚染が判明して三月に出荷を止められ、男性は乳を搾っては捨てていた。五月までに全頭を売り払ってしまった。
「子どもに跡を継がせたいと夢見ていたのに、一瞬にしてぶち壊された。無念だったろう」。知人は心中を推し量った。やり場のない気持ちへの同情を禁じ得ない。
おびただしい人生を台無しにした東日本大震災。それでも自然の仕業だと思えればこそ、あきらめもつくし、未来への希望も湧いてくる。その余地はあるだろう。
原発事故は人災だ。しかも、いまだに収束のめどが立たないとは怒りを覚える。それに原子炉が落ち着いたところで牧場も、田畑も、海原も、河川も広い範囲にわたって放射能汚染の恐怖が残る。
住み慣れた故郷で生業(なりわい)を再開できるのか。家族が共に暮らせるのか。先行きが一向に見通せないつらさは想像を超えている。
この男性だけではない。須賀川市では野菜の出荷を制限された農民が、飯舘村では避難した家族との別離を強いられた高齢者が、これまでに自ら命を絶った。
政府は原発事故に伴う損害賠償の範囲を検討しているが、自殺者や遺族をどう扱うのかはっきりしない。因果関係が認められれば賠償するのは当然だ。遺族の生活支援の仕組みも整えたい。
男性は牛舎の黒板にそんな辞世の句も残していた。原発事故への怨嗟(えんさ)の念が伝わってくる。
だが、今や政府と国会の惨状を眺めると「原発」を「政治」に置き換えられる。大勢が生死の境をさまよっている。与野党とも権力争いはいいかげんにして被災者の救済に力を振り向けるべきだ。
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