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たまご入りのがんもどき美味し かった・・・ |
平澤さん・先生
コロッケどうも・・・
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井上さん・田辺さん
お酒、ご馳走様・・・
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26日スタート前
1日目40km
2日目30km参加
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大会で無料配布の冷蔵りんごが
美味しかった・・・
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「えーで、えーで」で盛り上がった、ふぉのライブ。その感激をあなたにも。
丹菊くんがかいて曲を2曲アップしました。かなり軽くしたため音は悪いです。
君に会いに行こう | 夏の思い出 |
三和建装さんの忘年会にて、オユンナさんのミニコンサートが行われた。その歌唱力に大感激でした。
鍋の会という治部坂を中心に活動するボランティアの仲間が「モンゴル孤児活動支援事業・オユンナ児童基金」に協力したところから交流が始まったものです。
一部動画 ヒロシマの折鶴 | 鍋の会のみなさんと | 二次会での懇談 |
掲載情報はデマでした。削除しました。申し訳ありませんでした。
ICQとは
ICQ(アイ・シ〜・キュ〜)はインターネットでの通信ツールの1つです。ICQの意味は英語の【
I Seek You 】=アイ・シーク・ユー!からとったもので、『あなたを探す』という意味。
その名の通り、ICQを使えば、インターネットにつないでいる間中、オンラインかオフラインか探して、手元のリストに表示してくれます。普段はデスクトップの隅に隠れているICQも、ひとたびネットにつなぐとサッと登場。簡単な操作で文字メッセージを送ったり、チャット、ホームページの場所、ファイルもやりとりできます。(ICQ道場「入門編」より)
ICQ道場●http://pockets.to/icq/
ICQ Factory●http://kazuyan.com/icq/
Macの方は、OSXは、3.02X。OS9.2は、3.02の方がいいようです。
平成14年8月24日
韓国で「日韓併合は祝福であった」と論ずる本が出版された。
著者は30代の作家金完燮氏である。
本書を貫く主張は近代に入っても体制改革できなかたった朝鮮にとって日韓併合は望ましいものであり、日本より朝鮮の側、とくに改革派勢力が併合を望んだとするものである。そして朝鮮は日韓併合によって飛躍的に発展したのであり、この関係を認識して今後の日韓関係も構築していくべきだと主張する。
荒木和博氏訳で7月頃草思社から発刊される予定だが、その序文の一部が正論6月号に掲載されている。
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1905年以降、日本にとって朝鮮は植民地というより拡張された日本の領土という意味が大きかったと思われる。当時日本人は朝鮮と台湾の統治にあたっておおむね本土の人間と同じ待遇をし、特に朝鮮に対しては大陸に連結されているという地政学的な重要性のためにむしろ本土以上の投資と産業施設の誘致など有利な待遇をしたと考えられるのである。ヨーロッパ列強にとって「植民地」が遠くかけ離れた所に農場を所有するような概念だったとするならば、日本において朝鮮と台湾は隣に店舗を買い入れ店を拡張するような行為だったと言えるのである。韓国人の反日感情はこの点に対する誤解から始まっているようだ。
ある人がソウルに住みながら遠く離れたオーストラリアやニュージーランドに農場を所有したとしてみよう。その人は現地に一定の資金を投資して収益を発生させることにだけ関心を持つだろう。しかし自分の住まいであり職場でもある商店を経営する貧しい商人が、苦労して隣にある店を入手することになったなら、その人は一生懸命新しく手に入った店を手入れし、既にある店と合わせて相乗効果を得るように努力するだろう。19世紀末と20世紀初め、台湾と朝鮮を合併した日本の立場はまさに商店の主人のようなものだったと言えよう。
だから日本が朝鮮を開発し発展させたことについて、豚を育てて食べるためだったとか大陸侵略のための兵站基地とする目的だったとかいって自らその意味を貶める必要はないだろう。日本が朝鮮を開発することがたとえ長期的な収奪や兵站基地確保が目的だったとしても、それが全てではなかったはずだ。朝鮮に来て苦労して農地を改良し、事業を興した日本人の中には朝鮮に近代文明を伝搬し、朝鮮を迅速に開発して日本と同じ水準に引き上げ同化しようとした良い意図を持った人も多かったはずだ。
したがって、過去日本が朝鮮におこなった善意をあるがままに受け取ったなら、韓国人が日本に対して悪い感情を持つことはなくなるだろう。韓国人に存在する反日感情は韓国政府の意図的な歴史歪曲から始まったものである。私は歴史を歪曲しているのは日本ではなく韓国だと思う。これは国際社会の一般的な視覚でもある。
私たちは歪曲された教育によって、韓日保護協約(1905年)と日韓併合(1910年)が日本の強圧によって締結されたものであると思っているが、事実は全く違う。日本と合併することだけが朝鮮が文明開化と近代化を達成できる唯一最善の道であった点については当時朝鮮の心ある改革勢力の間に暗黙の合意があったと思われる。この大韓帝国内部の強力な世論に従い、日本は合法的な手続きを経て統治権を接収したとみるのが妥当ではないだろうか。
その最も有力な証拠は1904年に結成された一進会である。この団体は東学と独立協会が連合して朝鮮王朝と守旧反動勢力を倒し、日本と連帯して文明開化という朝鮮革命の時代的課題を成し遂げるために結成された、我が国の歴史上最初の近代的な大衆政治組織であった。しかしこのような事実は韓国社会で徹底して隠蔽され、韓国政府は一進会に対して日本が少数親日派を糾合して結成した御用エセ団体と歪曲して教育している。
1904年初めに起きた日露戦争で、東学教徒は教主孫秉煕の指示により五万の兵力が参戦し日本と共に戦った。東学教徒と行商人たちは進歩会を結成し、初年だけで全国で38万の組織人員を数えるに至った。進歩会はその後名称を一進会と変え、独立協会系の開化勢力と連合して日韓合併と開化啓蒙運動を展開した。一時期百万人を超える膨大な組織を持った彼らは、自ら黒い服を着て髪を短く刈り、外見で簡単に区別がついたため、保守反動勢力の集中攻撃の対象となったのである。一進会は結成以来日本との合併を推進したが、それによって反革命勢力と内線で多くの会員が殺害され建物が破壊されるという犠牲を払わなければならなかった。今日韓国で一進会を「親日団体」だと非難し、反動暴徒を義兵と褒め称えることは歴史を逆に解釈する過ちといえる。
自ら韓日保護協定締結を主導し朝鮮の初代統監となった伊藤博文は政治的、財政的に日本に負担になる朝鮮合併を決して望まなかった。合併は一進会などの朝鮮の革命勢力が請願したことであったが、安重根の伊藤暗殺により日本の世論は急速に合併に傾いた。安重根は自分が望まない方向に愛国を実現したわけだ。
日本の統治により朝鮮は多くの発展を成し遂げた。30年余りの間に一千万人足らずの人口が二千五百万人に増え、平均寿命は24歳から45歳に伸び、未開の農業社会だった朝鮮は短期間に近代的な資本主義社会に変貌した。日本本土からは優秀な教師が赴任し朝鮮人を教育し、年毎に日本政府からの莫大な規模の資金が流入し各種社会基盤施設が建設されたのである。1920年代には日本へのコメ輸出で朝鮮には大金持ちが続出し、その基礎の上に民族資本が現れるようになった。
1920年代の朝鮮の文芸復興は日本とちょうど同じ時期に始まったものであり、今日、李光洙や崔南善から始まり金東仁、李孝石、金ヨンナン、尹東柱、洪蘭坡ら我々が記憶する数多くの作家と芸術家は大部分この時期に登場した人物である。
韓国人は日本のこのような貢献を認めようとせず、認める人でもそれが日本という外勢によって起きた他律的な成果だという理由でその意味を過小評価している。しかし振り返ってみると朝鮮は人類の歴史上唯一無二の儒教原理主義社会であった。その儒教的戒律の精巧さと厳格さは今日のイスラム原理主義など比較の対象にならないほどである。従って今日イスラム原理主義がイスラム社会に与えている悪影響について少しでも認識が及ぶ人であれば、朝鮮の儒教原理主義が外勢の影響が排除された状態で自発的に消滅しただろうとは言えないはずだ。
20世紀初め、外勢による改革、それも日本統治による徹底した精算作業がなかったなら、今日の朝鮮半島は世界中で最も未開な地域の一つに留まっていただろう。だから日本時代は私たちにとって幸運であり祝福であったとすることはできても、覚えておきたくない、あるいは認めたくない不幸な過去だと言えるはずはないのである。
私たちは戦後、朝鮮半島が二つに分断されたが、日本は運良く分断を免れたと考えてきた。統一を語るときにも南北朝鮮の統一だけを言うだけで、日本や台湾との統一を言う人はいなかった。しかし敗戦後日本帝国が五つの地域に分割占領されたのであり、南北朝鮮が分断されたのではない。戦勝国にとって朝鮮半島は日本の領土の一つに過ぎず、彼らは日本帝国を韓国、北朝鮮、台湾、サハリン、日本の五つに分離し、それぞれ占領したのである。この中でサハリンだけが未だにロシアの領土になっていて、残りの四つは独立国となった。日本帝国が明治維新以後獲得した領土を分離するということは戦勝国の論理であり私たちが選択したのではない。勿論日本が望んだのでもないからこれは明らかに強制的な分断と言えよう。
最近「パール・ハーバー」という映画を見ながら私は日本軍を応援している自分を発見した。60年も前に大規模な空母船団を率いて地球の反対側まで出征し米国の太平洋艦隊を叩き潰した日本という国の偉大さに私は感動と戦慄を覚えざるを得なかった。
そのときは朝鮮も日本の一部であったし、私たちの父祖も日本人として戦争に参加し応援したことが明らかなのに、なぜ今日韓国人は日本と米国の戦争で米国を応援しているのだろう。このような現実は日本帝国の領土だった韓国と日本が今日まで米国に占領されているため強要されたくびきに過ぎず、どう見ても好ましいとか当然だと思えたことではない。
私たちは韓国関係、特に私たちの日本に対する態度について全面的な反省にとりかかる必要がある。そしてこの作業は過去の歴史に対する冷徹な評価なしには成功するのが困難なのだ。本書で私は開港以降韓日合併までの時期を朝鮮のブルジョア革命期と設定し、近代史に対する新しい解釈を試みた。開港以降朝鮮の当面の課題がブルジョア革命だったとするなら、日本は概して革命の頼もしい支援軍であり、ときには主導的に介入し朝鮮の改革を推進した友好的な外勢と判断したのである。
朝鮮のブルジョア革命は朝鮮に進出した日本人をひとつの軸とし、開化党と独立協会を創設した知識人グループ、東学民衆勢力など三つの軸を中心に進行された。この三大勢力は時代につれ対決したり連合しながら朝鮮革命を導いてきた。そして韓日合併はその革命の好ましい帰結だったと考えられる。このような視角で開港期の朝鮮の歴史を眺めれば朝鮮革命はたとえ多少歪曲された方式で進められたとしても決して無力に外勢によって振り回された侵略の歴史ではなく、朝鮮内部の革命勢力の自主的な意志で進行された主体的な変革の過程であったことが分かる。日本と朝鮮の革命家たちは朝鮮王室とそれに取り入る守旧外勢と対抗しながら30年の間粘り強くブルジョア革命を推進した。朝鮮の文明開化は彼らの血と汗で得られた成果であるのだ。
今日の日本の問題は反省と謝罪がないということにあるのではなく、過去に対する清算が余りに行き過ぎたことにある。日本は戦後独立し新しい国家を建設し経済大国になったが、その精神においては依然米国の植民地の立場を抜け出られないでいる。私は少し前に会ったしある日本人の友人から「強大国」の日本人が口癖のように「こんなに小さい国で…」と語るという話を聞いて本当にびっくりした。彼らの考えでは日本は米国や中国、ロシアのような国に比べると国土も小さく人口も少なくいろいろな面でとても小さな国であるかのように考えているのだ。謙遜と言うよりは自虐に近いこのような思考方式は全て米国によって強要された植民史観と自己卑下作業の結果生じたものである。日本が経済だけでなく政治、文化、軍事的にも堂々たる自主独立国家となるためには歴史に対する自負心を回復することが何より急がれる課題である。
それゆえ最近進行している日本の「歴史立て直し」運動は間違ったことを正しい場所に置き直そうというだけの動きで、韓国で言う右翼の蠢動とは全く別のものである。彼らは右翼でもなくただ日本を愛する愛国者であるだけだ。最近の教科書騒動で韓国政府はこの運動に言いがかりをつけ分別のない振る舞いをすることで国際的な恥さらしを自ら招いた面があるのだ。これは政府当局者と韓国民の間にわき上がっている低劣な歴史認識と利己的思考方式に由来するものだ。韓国は日本がこのような無礼な言動に正面から対応しないといってこれを根拠に自らが正しいと信じる愚を犯してはならない。日本の柔軟な対応は正面から相手と敵対できない日本的文化から出たものであり、長い年月凝り固まった敗戦国としての自己卑下の習性の結果である。日本の意志表現方法がいっそ西洋式だったなら少なくとも今頃韓国関係の葛藤はその実体が現れているだろう(中略)。
19世紀末のヨーロッパ人の植民地征服に正当性を求めるのは難しいが、日本のアジア進出には明らかに世界精神の自己具現という側面が存在したといえよう。革命を通して非ヨーロッパ地域で最初に近代的な社会制度を構築し自律的にブルジョア革命を完成した日本の明治維新は世界の歴史上充分に奇跡と言えるものだ。そしてそれ以降、日本の東アジア進出は西洋帝国主義の侵略戦争とは違って搾取と収奪が目的ではなく、革命と近代精神を伝播しようという意図が前提とされている。このような点において充分な正当性を持つことができる。日本帝国は朝鮮と台湾で民衆を抑圧する古い体制を清算し近代的な法の統治を具現し、その結果日本統治地域の住民は文明の洗礼を受けより人間らしく生を享受出来たのである。
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急ぎ引用したので誤字・脱字はお許しください。
これが一番の問題だ。教育は百年の計というが、こんな教育を与えられた子供への責任は誰が負ってくれるのだろうか。それでなくても学力は低下し、九九や分数も分からない子供が増えているというのに。
しかも、これは歴史的にもアメリカで失敗した政策なのだ。
アメリカでは、日本の教育を学び、日本の強さの源泉である教育を自国に取り入れたというのに、わが国では、わざわざ失敗した教育法を後生大事にやろうとしている。
いったん決めると後戻りできない行政のバカな体質だ。
学校などにまかせているととんでもないことになる。日教組と文部科学省のダブルパンチは本当に恐ろしい。
これも恐れ入った考えだ。男でも女でもない人間を作ってどうしようというのだ。これ以上、出生率を低め、自分が男か女か分からない者を大量に作った後の社会はどうなるか、責任を取れるというのだろうか?
性的に活力のない社会は当然滅びるのだ。どう見ても、この国を滅びる方向に向かわせたい人の仕業として思えない。
女性は強い女性ができるぐらいでそう問題はないが、男は男として教育しなければ、どうしようもない者になってしまう。
馬鹿げているのは、花子や太郎という名前も男らしい女らしいというのがいけないのだそうだ。
これは、家族にかかわる問題だ。こんなものは、通称を使えばいいのにわざわざ法律化しようとする輩がいる。家族制度によほど反感をもった連中だろう。
現在の状態でも家族の状況は厳しいものがある。私の父は佐藤で母は吉田です。私は吉田風(ジェンダーフリー風)です。
私は、むしろ家族制度を復活すべきだと思う。長男に限る必要はないが、家を継ぐ者には他とは別の得点を与えるべきだ。そうしなければ、町は跡取りがなくなった空き家ばかりになってしまう。さらに公的な介護保険だけですべての老人の面倒が見られるわけでもない。
今、欧米で安定していて収益のいい会社を見ると結構、終身雇用の会社があるそうだ。労務の安定は仕事の質となって跳ね返ってくるという当たり前の見方が世界で通用するようになっている。
株主が一番という考えは確かに今風ではあるが、社員が一番でもいいのではないか。ドイツなどもそういう考えがある。株主優先はひいては利益優先ということになる。しかし、本当に質の高い生産性を上げるには終身雇用制を再評価するべきではないだろうか。
但し、年功序列とはいかないかもしれない。
韓国で寸前に秘訣された個人情報の保護案が現在審議されているが、あまり詳しくないので簡単ではあるが触れておきたい。
つまり、情報を一元管理して守っていこうという政府案だ。しかし、現実には一元管理することは、漏れたら全部漏れるということになる。
ここは分散管理にすることがベターな選択だと思う。管理できると思うのは勝手だが技術ははるかにそれを上回ってしまっている。
そうして集めた国民の情報をどうしようと言うのだろう。電子政府はたしかに便利なのだが、いろいろな情報とリンクされることは、収入やら保健やら病歴やらいろいろなことが全て一部の人に分かってしまうということだ。
面倒でも、住民票は住民票、保険は保険、と分けて貰いたい。リンクはなしだ。
写研書体をアウトライン化し、EPSファイルとしてメールで送信するもの。
出力には、DTPアプリケーションのCapACEを使用し、編集後EPS出力する。
Adobe SVG Viewer をプラグインすると、高精細の画像がWeb上で確認できる。
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