<福島第1原発>ブログで「子ども守れ」 愛知に避難の一家
毎日新聞 6月15日(水)14時11分配信
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笑顔をみせる廣田さん一家と大家の原田さん(左端)=愛知県蒲郡市で、中村宰和撮影 |
【福島原発周辺の累積線量も】福島原発 図説集
小学生の子ども3人がいる一家は東日本大震災が発生した3月11日、廣田さんが役員を務める双葉町内の会社事務所で一夜を明かした。翌12日に福島市内の友人宅に避難。福島第1原発3号機爆発のニュースを聞いたのは、スーパーで買い出し中のことだった。廣田さんはその場にうずくまって泣いた。
15日には兄の住むさいたま市へ移動。「生き残らなくては、という使命と福島を捨てる複雑な思い。でこぼこの道を跳びはねながら逃げた」。そして25日、妻愛理さん(36)の両親が住む蒲郡市にたどり着いた。
同市から無償マンションを紹介され、5月に入居した。マンションは同市竹谷町の原田憲治さん(63)が「着の身着のままで逃げてきた人にできることをしたい」と提供した。市は部屋の無償提供が公的補助対象になるか検討するが、原田さんは「補助が出ても義援金に回す。一人でも多くの人に助かってほしい」と話し、廣田さん一家に米を届けるなど被災者への支援を続ける。
廣田さんは震災と原発事故を「悪夢のようで、心にすっぽりと穴が開いた」と振り返る。5月末に双葉町に戻った時には「人の気配がなく、ゴーストタウンのようだった。見たくない光景だった。古里に未来はあるのだろうか」と思った。だが「復興を見届けたい」と考えている。
震災後に動揺していた小6、小4、小1の子どもたち3人にも笑顔が戻った。蒲郡の新しい学校に楽しそうに通い、友達も毎日、自宅に遊びに来る。愛理さんも「先のことは見えなくて不安だけれども、生きていけば未来につながる」と前を向く。
廣田さん夫妻は、ブログ「浜通りの風」で「原発は人の貪欲が生み出した化け物。人間の在り方の根本を見直す必要に迫られている」と指摘する。原発事故前の双葉町の写真も掲載し、「双葉町のことを忘れないでほしい」と願っている。
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最終更新:6月15日(水)14時50分
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