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元原発作業員、故郷離れ三重に移住 国・東電に募る不信

2011年6月16日0時51分

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 東日本大震災の発生直前まで福島第二原発の作業員として働いていた緑隆さん(32)=福島県富岡町出身=が、2カ月半に及ぶ避難生活を経て、三重県いなべ市員弁町に移り住んだ。新たな仕事にも就き、「三重の人たちの温かさに本当に感謝している。ここで長く暮らしたい」と笑顔を取り戻した。

 緑さんは、妻の真貴さん(25)と長女桜ちゃん(1)の3人家族。高校卒業後、原発の下請け企業の作業員として働き続けた。点検時には制御棒の交換にも携わった。父と兄も原発で働いていた。

 「地元は経済的に原発に依存していた。働くことに抵抗はなかった」。ただ、震災直前の今年2月末、給与など待遇面の問題から仕事を辞めたばかりだった。

 自宅は福島第一原発から約9キロ。爆発事故があった3月12日から長い逃避行が始まった。「2、3日で収束すると思い、何も持たずに避難した」

 近所の人が集まって役場が用意したバスで内陸部の避難所をめざしたが、行く先々ではすでに満員状態。数カ所目の同県田村市内の小学校でやっと受け入れてもらえた。

 ここで約2週間、プライバシーのない生活を過ごした後、役場の紹介で同県大玉村のキャンプ施設にあるコテージに妻の両親と5人で移ることができた。

 自宅がある富岡町は、4月22日から「警戒区域」として立ち入り禁止に。それまでに10回ほど、生活用品などを持ち帰ろうと被曝(ひばく)を覚悟して立ち戻った。住み慣れた街には人影がまったくなかった。「しーんとしていて怖かった。まるでゴーストタウンだった」。自宅から戻って放射線量を測ると、200ミリシーベルトを超えていた。

 夏になれば、原発のある沿岸部から内陸側に風が吹いて、放射線の汚染地域がさらに広がるのではないか――。「放射線に追っかけられているみたいだ。迷いもあったが、子どものことを考え、いったん福島を離れた方がいいと決めた」

 知人の紹介で5月末、いなべ市に移り、同市内の自動車関連会社への就職が決まった。

 望郷の思いは今も消えない。しかし、「政府や東京電力が『もう大丈夫です』と言っても、もはや信用できない」と怒りを隠さない。「原発は安全とは思えない。なくしていった方がいい」(姫野直行)

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