閉じたまぶたの裏に光を感じる。目を閉じている・・・ってことは、どうやら俺は寝てるみたいだ。
何でだっけ?と思い、何があったのかを思い出そうとした。
――ああ、そうだ。確か彼岸の閻魔様である四季映姫様と三途の川の渡し守の小野塚小町さん、それから霊夢の古い知人の風見幽香さん、連れ子(?)のメディスン=メランコリーがやってきたんだったか。
それで、何か険悪な雰囲気だったから昼ご飯に招待して・・・と順々に思い出し、その後に何があったのかも思い出した。
そうだ、弾幕ごっこ。途中までは思い出せたけど、最後がどうなったのか思い出せない。
寝てる――気絶してるってことは、俺は負けたのか?そもそも、俺は誰と何のために戦ってたんだっけ。
寝起きで判然としない思考の中で、「とりあえず起きよう」という結論が出る。
まぶたを開けようとするが、どうにも重い。体も重い。よっぽど疲れたんだな、俺。
それでも何とか気力を振り絞り、少しずつまぶたを開ける。
「あら?ようやくお目覚めね。ご機嫌はいかが?」
まず視界に飛び込んできたのは、今日知ったばかりの緑髪の女性。幽香さんだった。
彼女が、とても優しげで穏やかな表情でこちらを見ていた。
「・・・ええ、ぼちぼちです。た、あたたたた・・・。」
起き上がろうとすると、全身に筋肉痛みたいな痛みが走った。霊力使いすぎの状態か。
「まだ動くのは無理みたいね。しばらくはじっとしていた方がいいわよ。この私と真正面から打ち合って、引き分けに持ち込んだんだもの。無理もないわ。」
「引き分け、ですか・・・?」
俺の疑問に幽香さんが頷く。・・・ああ、だんだんと思い出してきた。
弾幕ごっこの最後に、俺は四季様が与えた課題の答えを見つけた。そして俺の意志を貫き通すために、フルパワーの『ロンギヌスの槍』を放ったんだったか。
いくらレミィの協力があるからって言っても、あれは元々俺に扱いきれる力じゃない。『スピア・ザ・グングニル』を使った後、しばらく動けないのは今も変わってないからな。
それの規模が大きくなれば、当然俺の無理も増す。それがこの結果ってわけだ。
けど、何とか引き分けには持ち込めたらしい。・・・ていうか、吸血鬼の本気で引き分けにしかできない幽香さんの力はどうなってるんだ。
しかも、幽香さんは今も涼しげな顔をしている。今回の引き分けは、相当おまけしてもらった結果だな。
「そうでもないわよ。私だってそれなりに疲れたわ。だから、あなたとの勝負は楽しかったわよ。満足したわ。」
「そう言っていただければ。」
戦ったかいがある・・・んだろうか。ちょっとわからない。
「誰か起きたのですか?・・・ああ、あなたですか。」
障子が開かれ、四季様が俺を見るなりそう言った。まだいらっしゃったんですか。忙しそうだし、てっきり帰ったとばかり思ってたんですが。
「そこで小町が伸びているでしょう。彼女を置いていくわけにはいきません。その子も彼岸の住人ですから。」
四季様に示された場所を見てみると、そこには確かに見知ったばかりの小町さんが眠っていた。・・・着崩れた衣服が非常に目の毒だ。
「あなただって大差ないじゃない。『月下美人』の余波で服は破れてるし。」
俺は男ですから。・・・今は女になってるけど。そういえば、気絶したときは女状態だったんだっけ。
「『願い』とは何処までも混沌とした存在ですね。考えるのが馬鹿らしく思えてきますよ、全く。」
この特性に関しては特に伝えていなかったので、四季様が知ったのはあの戦いの最中のはずだ。
どうやらこれも彼女的にはお気に召さないらしい。呆れたようにため息をついた。
「あら、いいじゃない。可愛いし。」
「否定はしませんが、男女を自由に入れ替えるなど、最早生物の摂理すら無視しています。是とするわけにはいきません。」
「せっかくだから最初の部分も否定してくださいよ、四季様。」
男は可愛いなんて言われても嬉しくないんだってば。
どうやら、ここにはあの勝負で気絶した面々が詰め込まれているようだ。俺達以外に、魔理沙とメディスンも寝こけていた。
メディスンだけ俺の布団が出されてその上で眠ってるんだが・・・まあ、子供に雑魚寝をさせるのもな。
俺が気絶するまでに動いていたのは、俺と勝負していた幽香さん。それから霊夢と四季様だけだったはず。
そうだ、霊夢と四季様の勝負はどうなったんだ?
「巫女の勝ちですよ。正味の話、弾幕勝負で彼女に勝てるのは、彼女の母君ぐらいしかいませんよ。」
「あ、やっぱりそうなんですか。」
あいつの最強っぷりは天井知らずにもほどがあるな。閻魔様より強いとかどうなってんだよ。
・・・それを言ったら、そんな霊夢よりも霊力が少ないのに強い靈夢さんはもっと「どうなってんだ」だが。
「そういえば、四季様は何故霊夢と勝負していたんですか。あいつはやる気なかったと思いましたが。」
「あなたのため――いえ、彼女自身の利益のためでしょうね。その辺りは、皆が目を覚ましてから正式にお話しましょう。」
そうですか。わかりました。
後で話してくれると言ってるんだから、無理に今聞き出す必要もないな。
「結局諦めたのね。それが懸命よ。」
「あなたには関係ありませんよ、風見幽香。あなたはあなたで、後ほどお話があります。心しておきなさい。」
「気が向いたら考えておくわ。」
クスクスと笑いながら、まるで中身のない言葉を放つ幽香さん。四季様は疲れたようにため息をついた。
・・・さっきまでは俺に対してもこんな感じだったな、そういえば。今はそんなことないみたいだけど。認めてもらえたってことなのかな。
だとしたら、無駄な戦いではなかったってことなんだろう。終わった今は、もうそれで十分だ。
「霊夢は何処に?大体想像はつきますけど。」
「恐らく想像通りでしょう。縁側でお茶を飲んでいますよ。」
やっぱりか。ほんと、何処までもマイペースだな。
「感謝なさいね。あの子と一緒にお茶を飲む時間を蹴ってまで、あなたの側に居てあげたのだから。」
四季様の言葉を受け、幽香さんはそう言った。そうだったんですか?
「すいません、何かご迷惑をおかけしてしまったみたいで。」
「謝罪はいらないから、感謝がほしいわ。」
「っと、そうですね。ありがとうございます、幽香さん。」
「どういたしまして」と言って、幽香さんは満足そうに微笑んだ。それを見て、四季様は三度ため息をついた。
・・・何なんだ一体?
程なくして、小町さんと魔理沙とメディスンも目を覚ました。その間に俺は着替えて男に戻っておいた。
これから真面目な話をするのに、ボロな格好で本来じゃない性別でいるなんておかしいだろ?
「いいじゃないかよ、別に。最近お前が女でいる率が減ってるから、私はあんまし見てないんだぞ。」
「その前に、性別を変えるということが異常なのです。日頃から気軽に入れ替えているから、周りがこういう認識になるのです。慎みなさい。」
俺としては礼儀を尽くしたつもりなんだが、魔理沙からも四季様からもダメ出しされる始末。非常に悲しくなってきた、どうしよう泣きそうだ。
「受け入れておきなさいよ、面倒だから。」
しょうがない、そうするか。
「・・・さて、関係者が全員目を覚ましたことですし、判決を下すことにしましょう。」
納得がいかない表情ながら、四季様は無理矢理話を進めた。まあ、いつまでもグダグダやってても仕方ないしな。
「まず、霧雨魔理沙。これが死後の裁判だったら、あなたは地獄行き確定です。もっと他人の立場に立って物事を考えるよう努力しなさい。」
「え~、何で私が地獄行き確定なんだよー。納得行かないぞー。」
いや、魔理沙。悪いんだが俺にもよーくわかるぞ。とりあえず、『一生借りる』癖はいい加減治せ。
「メディスン=メランコリー。あなたは白です。しかし、それはあなたが黒になるだけの人生を歩んで来ていないだけに過ぎません。自分が成すべきことを考え、健全に生きなさい。さすれば、あなたは白のままでいられるでしょう。」
「難しくてよくわかんない。とりあえず、よく考えて人形解放をしろってこと?」
「そもそも人形を解放することが必ずしも良いかどうかを考えなさい。・・・もっとも、この件に関して私が言う必要は特にないでしょう。」
幽香さんを見遣りながら、四季様は告げる。メディスンの指導者は幽香さんだから、任せるってことか。
「博麗霊夢。あなたが黒くては話にならないでしょう。もっと自分に依りなさい、自由の体現者。」
「面倒じゃなかったら考えておくわ。」
説明不要。こいつの怠惰っぷりを四季様は見抜いているようだ。
そして半ば処置なしということもわかっているようで、霊夢の気のない様子も仕方ないと流した。
「風見幽香。先程も言いました通り、あなたの判決は別口で下します。あなたの罪は大きすぎて、今この場で裁くには時間が足りません。」
「酷い言われようだわ。私が何をしたっていうのかしら。」
「獣や妖怪を気に入らないというだけの理由で消し飛ばす。嗜虐嗜好を満たすだけのために虐める。この間は、妖怪の山の渓谷の形を変えてしまった。数え始めたらキリがありませんよ。」
「大したことではないじゃない。むしろ私ほど妖怪らしく生きている妖怪はいないわ。」
「ある意味ではそうでしょうが、あなたの場合逸脱しきっている。裁くには相応の時間が必要になるでしょう。」
まるで水と油だな。ああ言えばこう言うの世界で、見てるこっちの神経が擦り減るぐらいの口論を繰り広げる四季様と幽香さん。
しかしそれはあまり長くは続けられなかった。四季様の方が退いたからだ。
本人が言っている通り、幽香さんの件は後に回すんだろう。
「小町。あなたにはこの『異変』での総括になりますが、普段からあれの3分の1で構いません。とにかくちゃんと働きなさい。」
一人だけ毛色の違う判決。まあ、小町さん相手に『裁判』をしてもしょうがないわな。死神だし。
たはは、と笑いながら頭をかく小町さんは、霊夢や魔理沙とダブって見えた。どうやら改める気は全くないようだ。
そういえば、四季様が前面に出てるせいで、あまり小町さんと話をしてないな。彼女に関してあまり理解していないことに気付いた。
四季様は事あるごとにに小町さんを『有能』と言っていたから、てっきりバリバリ働いて死人をあの世に連れていってるのかと思ったんだが。
けど、どっちかというと『息抜きをしながら気楽にやる』という方が小町さんのイメージには合っていた。本当に有能な人っていうのは、そういうものかもしれない。
俺にはとても出来ないことだ。
「他の皆に関してはこんなものでしょう。・・・さて。」
満を持して、というか何と言うか。そもそもあの弾幕ごっこは、四季様が肯定しか出来ない俺を断ずるために行ったものだ。俺がとりに持ってこられたのは当たり前だな。
それは取りも直さず俺に対する判決が一番厳しいということを示す。俺は心を構えるように、居住まいを正した。
「『願い』よ。戦いを通して、少しは己を理解出来ましたか?」
「ほんの少しだけ、ですけどね。」
しかし、しっかりと答える。少しではあるけど、前進したことは間違いないんだから。
俺の答えに、四季様は満足して頷いた。
「あなたの中にある存在は膨大です。その混沌は、秩序を保つ者としては是としかねる。・・・しかしもしもの話、あなたがそれを御することが出来るというのであれば。」
そこで四季様は一旦言葉を切った。目を閉じ、何かを考えているようにも思える。
いや、考えているわけではないか。何かを・・・恐らくは自分の『願い』を、心の中に浮かべているんだろう。
それそのものである俺には、そのことが何となく理解できた。
そして四季様は、万感の思いを込めて。
「あなたの力はきっと、人々を業から解き放つことすら可能でしょう。」
「だから、邁進しなさい」と、確かな『判決』を下した。
「はいっ!!」
俺もまた、はっきりとした答えを返した。
こうして、花に溢れる『異変』のあった春の日の事件は静かに終わり――
・・・って、待て。まだ終わってないだろ俺。何綺麗にまとめようとしてんだ。
「そういえばまだ聞いてないんですけど、四季様と霊夢が勝負してた理由って?」
結局疑問のままとなっていることを尋ねる。まだ疑問はいくつも残ってるんだ。ここで終わってどうする。
「そうですね、これからお話しましょう。そもそも今の判決は本題の前置きのようなものですから。」
しっかりとした判決を下されたと思うが。それで閻魔様的には前置きなんだ。
「簡単な話ですよ。私の下そうとした判決と彼女の利害が食い違ってしまった。それだけのことです。」
「まどろっこしい。『優夢さんを神社から追い出そうとしてました』ってはっきり言いなさいよ。」
「それだと語弊が生じるでしょう?」
俺を神社から追い出そうと・・・って、ええ!?
「マジですか!?」
「真実ですよ。というか、本気で気付いていなかったのですか?」
全く気付いてなかった。だって四季様そんなそぶり全く・・・あ。
「そういえば、幽香さんが割って入る前に何か言いかけてましたけど・・・。」
「本来ならばそこで白黒はっきりつける予定だったんですがね。風見幽香、あなたは実に罪深い。」
「その程度で罪にカウントされちゃたまらないわよ。」
・・・結果的には、幽香さんに助けられたってことなのか。でも、幽香さんも俺のこと追い出そうとしてたんじゃ。
「私はあなたを見定めたかっただけ。まあ、気に入らなかったら追い出してただろうけど。結局あなたはそうじゃなかったでしょう?」
四季様の目的とは違ったってことか。けど、四季様は何故俺のことを追い出そうなんて考えたんですか。
「少し考えれば簡単に行き着く結論だと思いますが。念のために聞いておきますが、あなたは博麗神社が何のための場所であるかはわかっていますか?」
「えっと、確か紫さんから『博麗大結界の基点』って聞かされてますけど。」
「その通り。では、もしそこに『願い』などという不確定で膨大な要素が加わった場合、結界への影響を懸念しませんか?」
・・・まあ、確かに。俺自身にはまだまだ自覚がないけど。
「幻想郷は私の管理下ではありませんが、秩序を守る者としては見過ごせません。ですから、あなたという不安定要素を排除しようと思ったのですが。」
「んなことしなくても平気だっての。実際、この二年間優夢さんがいても今までと何も変わらなかったのよ。そもそもが神経質過ぎなのよ。」
四季様の論をばっさりと切り捨てる霊夢。実際そうだからか、四季様も反論はしなかった。
「実際のところ、私も越権行為は承知していました。ですから、霊夢に負けた今あなたをどうこうする権利はないのです。」
なるほど。弾幕ごっこは決闘だ。そこで取り決められたことを破ることは、四季様ならなおさら許せないことだろう。
「しかし命拾いしたな、映姫。もし優夢を神社から追放なんぞしたら、幻想郷中を敵に回したぜ。」
くっくっと笑いながら魔理沙が言った。けどそれはないだろう。何で俺を神社から追い出したら四季様が責められなきゃならない。
むしろ、話を聞いて納得の行く理由だった。もし俺が結界に負荷をかけてしまって破壊してしまったらということを考えたら、責められるべきは俺だろ。
「その辺は別にどうでもいいと思ってる奴が多いんじゃない?宴会のネタを潰されて怒る奴の方が多いでしょ。」
「それもどうなんだよ。」
大結界がなくなったら、幻想郷は幻想郷でいられなくなる。妖怪とかが認知されていない『外』に混じってしまう。
そうなったら間違いなく混乱が起こる。それは避けるべきだろう。
それだけでなく、幻想郷は妖怪達の最後の居場所だって聞いてる。なのに幻想郷の存続に無関心ってのは、ありえるんだろうか?
・・・ありえそうな連中もチラホラ思い浮かぶのが困るよなぁ。萃香とかミスティアとか。
「やっぱり俺が神社を去った方が・・・」
「しばき倒すわよ。そんな下らない理由で神社を出てったら、首輪つけてでも引きずり戻すわ。」
ちょっと考えの揺れた俺に、霊夢は遠慮なく言ってきた。恐ろしい巫女だ。
とりあえず、霊夢としては俺に去ってほしくないと思ってるみたいだ。ありがたいことだが、理由は家事全般その他諸々だろうな。素直に喜べん。
「そうね。私としても、あなたには神社にいてもらった方が都合がいいわ。被虐趣味があるなら止めないけど。」
それもそれで楽しそうね、と薄く笑う幽香さん。・・・神社から去ったらどうなるか、考えるのも恐ろしい。
揺れたのはほんの一瞬だ。ここで去ったんじゃ、何のために幽香さんに俺を認めさせたのかわからない。
「まあ、何とか大結界に負荷を与えないようにしますよ。どうやったら負荷がかかるのかもわからないけど。」
「その辺りのことは、八雲紫に直接聞けばいいでしょう。
――ちょうど聞き耳を立てているようですしね。」
四季様の言葉に、俺は驚きはしなかった。あの人が神出鬼没なのは、毎度のことだ。
いや、そもそもこれだけの騒動にあの人が関与してこなかったということが、今更ながらに不思議だ。
何を考えているのか、相も変わらずわからない。彼女の『願い』を取り込んだ俺にも、さっぱり読めなかった。
「お取り込み中のようでしたから、空気を読んで姿を現さなかっただけですわよ?」
神社の居間の空間に亀裂が入る。それはすぐに広がり、中から紫さんが現れる。
門としての役割を果たしたスキマは、今度は簡易の椅子代わりとなる。紫さんはそれに腰をかけた。
「減らず口を。まあ良いでしょう。私もあなたには聞きたいことがあったから、ちょうどよくはあります。」
「私程度で閻魔様にお答えできることがあるなど、とても思えませんわ。」
紫さんが現れた瞬間から、四季様が纏う緊張感が変わる。幽香さんと四季様の間の緊張感だけでお腹いっぱいだっていうのに、勘弁してもらいたい。
「そうねぇ。あなた程度、お呼びではないわよ。理解しているのなら二度と現れないでくれる?」
「あらあら、ただの妖怪程度がお調子に乗っちゃって。可愛いわねぇ。」
だけでなく、紫さんと幽香さんの間にも発生する緊張感。・・・というか敵意。
紫さんの登場により、神社の居間は一瞬にして魔境と化した。何これ怖い。
「うざい。空気汚染しに来ただけなら、あんたら全員外でやってなさい。」
その空気を、空気巫女が破った。三人の額にお札を投げつけ貼り付けたのだ。さすが霊夢。
「・・・話が進まないのでお互い下らぬ言葉遊びはやめましょう。私があなたに聞きたいことはわかっていますね。」
「『何故優夢を神社に置き続けるか』でしょう?」
紫さんの言葉に、四季様は首を縦に振った。
・・・そうか。確かに、考えてみれば俺の存在が結界にとって負荷になる可能性があるのなら、紫さんが俺をここに置き続けるはずはない。何かしらの対処をしているんだろうか。
四季様の問いに対し、紫さんは答えた。
「だって、面白そうじゃない。」
とても軽く、まるで歌うように。幽香さんが物凄く同意してた。
「妖怪の賢者がそれでどうするのです。幻想郷を維持するという役割持っている以上、あなたが享楽に走ることは許されません。」
「そんなことはないのではなくて?享楽に走りつつ役目を全うしているのなら、文句を言われる筋合いはありませんわ。」
「全うしているのですか。彼という不確定要素を神社に置き続けていて。」
斬りつける様な四季様の糾弾にも、紫さんは全く動じなかった。
「確かに彼は不確定要素だけれど、幻想郷の維持を危ぶませるものではありませんわ。『今の』彼では、常識と非常識の境界を一つにすることはできませんもの。」
『今の』と紫さんは言った。じゃあ、俺が成長すればそんなことが可能になるってのか?とても信じられなかった。
信じられなかったが、全く根拠のないことを言う人でもない。とすれば、真実なんだろうか。・・・俺にはわからん。
「今の彼は非常識寄り、むしろ結界を安定させてくれます。でなければ、いくら私でも気軽に膨大な存在を神社に置いたりしませんわ。」
「・・・嘘はありませんね。しかし、目的を話していない。私を誤魔化し通せるとお思いですか?」
そういえば、今紫さんは『俺が神社にいても平気な理由』しか話さなかった。『何故』俺を置き続けるのかという問いの回答にはなりえない。
まさか紫さんが、ただ単純に面白そうだからという理由で行動するとは思えないしな。
「今はまだ秘密にしておかせていただけませんこと?道化を見ることは好きだけど、自分が道化になるのは好きではありませんの。」
だが、紫さんははぐらかした。手応えからして、どうあっても答えたくないようだ。
四季様もそれを感じ取ったか、この件に関してはそれ以上の追求をしなかった。
「わかりました。では、もう一つの質問をさせていただきましょう。」
その代わり、一拍置いて別の質問を投げかけた。むしろ、普通はこっちが先だろう。
「何をしに来たのです。全ての裁判が終わった後に。」
「全ての裁判が終わった今だからこそ、ですわ。もうあなたも優夢のことを認めてくれたでしょう?」
四季様は否定しなかった。確かに、さっきの判決を聞く限りだと四季様も俺のことを認めてくれているはずだ。
「それが何か。」
「そうでなければ頼めないことですのよ。」
そう言って、紫さんは妖しく微笑んだ。あれは何かを企んでいるときの表情だ。
今度は何を企んでいるのやら。あまり俺を巻き込まないでほしいところだけど、多分俺絡みなんだろうなぁ。
半ば諦めにも似た感情とともに、特に貫き通すこともない俺は、それを受け入れ肯定することにした。
そして、紫さんは告げた。
「共に力を合わせて、彼の過去を暴きませんこと?」
長らく謎になったままのそれを、前へと進める一言を。
***************
八雲紫の意図は理解できた。彼女は、私の力を持ってしても彼の人生を見ることができないことを、初めから知っていたのでしょう。
彼女にはその力はなく、境界を操る力も彼の存在の大きさのために無意味となってしまう。
だが、もし彼女と私が力を合わせたならば。彼女が『願いと人間の境界』を操り、私が彼の『人間の部分』を見ることができれば、彼の名を知ることも可能かもしれない。
そして名がわかれば、浄玻璃の鏡に映し出せぬ功罪は存在しない。十王から与えられたこの鏡は、実のところ私の力などはるかに及ばぬものなのです。
しかし、だからこそ無闇に使っていいものではありません。大きな力には相応の義務が生じる。この力を使うには、妥当な理由が必要なのです。
「私は既に判決を下しました。故に、鏡を使う理由は存在しない。」
「過去の功罪を見ぬ不完全な判決で、あなたは満足なのかしら?」
「それを言ってしまえば、彼自身不完全な状態です。完全な判決は、彼が完全な状態となってからでも遅くはないでしょう。彼自身が思い出せるなら、それが最も良い方法なのです。」
「ならば優夢がずっと不完全なままであったとしたら、判決は不完全なままということ。閻魔として、それで良いのですか。」
「そも、『願い』に対する判例というものは存在しません。それはこれから作っていくもの。ならば、ひょっとしたらそれが妥当かもしれません。」
彼女が理屈で私を動かそうとするが、私の意志は不動を貫く。これは既に白黒はっきりついたことなのです。
彼女としたことが、タイミングを見誤りましたね。もう少し早く出てきていれば、判決は決していなかったというのに。
・・・いえ、あれより早ければ、私が彼を認めていない状態。どの道彼女が私の助力を得るタイミングはなかったと言えるでしょう。
仕方なく彼女は賭け、外した。そういうことなのです。
全く動こうとしない私を、八雲紫はなお説得しようとしていた。が、いくらやっても同じこと。白黒はっきりついた判決は、決して覆らないのです。
それを理解しているため、彼女は言葉を切り嘆息した。
「頑固なお方。禿げますわよ?」
「余計な心配です。」
「面倒ね。ぶっ飛ばして言うことを聞かせるっていうのはどうかしら。」
風見幽香が動く。彼女も彼の過去には興味があるのでしょうか。・・・『出来た』のでしょうね。
「あなたが返り討ちに逢うだけですよ、幽香。白黒はっきりついた今、あなたに負ける道理はない。」
「そんなこと、やってみなければわからないでしょう?」
特殊な能力を持たない『ただの妖怪』である彼女は、この手のことに反抗をしたがる傾向がある。
・・・仕方がありません。ちょっと揉んであげましょうか。
「落ち着きなさい、幽香。力ずくでどうにかできる相手ではないのよ。」
「あなたが指図しないで頂戴。どうして私があなたなんかの言うことを聞かなければならないの。まずあなたから血祭りに上げてやろうかしら。」
紫が止めようとするが、幽香は言うことを聞かない。紫にすら矛先を向けようとした。
度し難い。力を持ってしまった妖怪とは、かくも罪深きものか。
少し予定が早まったが、やはり幽香の裁判は今行おう。そう決め、私は立ち上がり。
「俺からもお願いします。」
私の動きを、彼が止めた。
彼は正座をした姿勢で土下座をしていた。その姿は、まさに嘆願でした。
すっかり思考の外となっていましたが、彼は当事者です。今見る見ないで議論しているのは、彼の人生。ならば、もっとも尊重されるべきは彼の意見でしたね。
しかしだからと言って首を縦に振るわけには行きません。前述の通り、この力を使うには相応の理由が要る。
「面を上げてください。理由を聞かせてもらっても良いですか。」
「はい。まず俺の正直なところから言うと、過去にはあまり頓着がないんです。それじゃいけないとは思いますけど、『受け入れて』ますから。」
それがあなたの能力ですからね。善い悪いは別として。
「そう思っているなら、何故。」
「四季様はおっしゃいました。『邁進せよ』『己を知れ』と。なら、自分の過去を知ろうとすることも、前に進む一つの手段じゃないかって思ったんです。」
一理ありますね。頓着しない己自身に対し、そう考えることで向き合うのは、決して悪いことではありません。
「しかし、あなたが頼んでいるのは他力による解決。記憶喪失というのは、最終的には自力で思い出すべきものなのです。」
「・・・確かに、そうでしょうね。けど、自分が本当に外来人なのか、それとも実は幻想郷の人間なのか、それすらわかってない現状では、他に手段も思い付きませんよ。」
「それでも考えるべきではありませんか。少なくとも、カンニングをしていい理由にはなりません。」
私の正論に、彼は言葉を続けることが出来なかった。
――率直な感情の話をすれば、それは私だって知りたい。認めはしましたが、依然彼が不確定であるという事実は変わりない。白黒はっきりついたとは言えないでしょう。
それでも私は動かない。感情ではなく論理でもって判断する。それが閻魔たるということなのですから。
しかしあるいは、その感情に隙があったと言えなくもない。
「なら俺は『願い』として、四季様の意志を肯定しましょう。四季様自身はどう『したい』のですか。」
鮮やかな切り返しでした。論ではなく、私の感情を判断基準に持ち出す唯一の手段を、彼は行使した。
私は驚いて彼を見た。いつの間にか、彼は不敵に笑っていた。今の発言が『意図』したものであることを伺わせる。
何という成長速度。幽香との対決は、そこまで彼を成長させたのですか。
「勿論、はっきりさせたいと思っています。・・・やりますね。」
「まだ何となくのレベルですよ。」
それでも、自分の能力を制御してみせたのは大きい。彼が『あまねく願いを肯定する能力』をあまねく御することも、あながち夢物語ではないのかもしれない。
「俺が肯定したということは、理由として足りませんか?」
「いいえ、十分ですよ。」
私は彼の意志に合意した。『肯定』されてしまってはどうしようもありませんからね。
見ていた中で理解出来たのは、紫と幽香、あとは霊夢のみ。残りの面々は彼が能力を行使したことにさえ気付いていませんでした。
「なるほど、ね。まさか全てあなたの計算通りというわけ?」
幽香が嫌そうな顔で、半ば確信を持って紫に問いかけた。妖怪の賢者は扇で口元を隠しましたが、直前に見えた表情は間違いなく笑っていました。
「幽々子が全てを語らないでくれたおかげで、上手い具合に調整ができましたわ。これ以上なく大成功ですわね。」
・・・そういうことですか。今まで静観を保っていたと思ったら、何のことはない。今日この場に皆が集まったことすらも、彼女の企み通りだったというわけか。
「驚嘆には値しますが、あまり人を利用するものではありませんよ。それは悪徳です。」
「人聞きの悪い。私は皆の力を合わせただけですわ。」
白々しい。
ともかく。
私は、紫の力を借りて彼の功罪を鏡に映すという考えに、賛同することとなった。
そうと決まり、私達は場所を母屋の居間から境内へと移した。実行するには、室内よりも屋外の方が都合がよかったのです。
まず私が前へ出て、悔悟の棒をかざす。そして棒に霊力を込め、黒い霧を作り出した。
それは、人一人がちょうど中に入れる程度の大きさとなった。
「これは?」
彼がそれを見て、私に問いかけてきた。そういえば、先の勝負では見せていませんでしたね。
「これが『浄玻璃の鏡』。死者の功罪を余すことなく写し取り、その者の人生を映し出す、閻魔に与えられた力です。」
浄玻璃の鏡とは実体のある鏡ではない。人生を反射するその様がまるで鏡のようであるため、この力がそう呼ばれているのです。
これだけはっきりとした密度で具現することは、通常の裁判ではまず有り得ません。そこまでせずとも、人の人生全てを見ることは可能なのです。
しかし彼は自分を知らない。名もわからない。それを知るために紫が協力するのですが、上手くいくとは限らない。
だから、これだけ大掛かりな儀式として、映しだそうとしているのです。
「何か綿飴みたいだな。味見していいか?」
「食べられるわけがないでしょう。触ることもなりません。あなたが過去の恥を大暴露したいというならば別ですが。」
「・・・そいつは勘弁だぜ。」
くわばらくわばら、と魔理沙は『鏡』から離れた。好奇心が強いことは悪くないですが、時と場合は考えなさい。
「つまり、優夢さんがこの中に入れば、あんなことやそんなことが私達にも見られるってわけね。」
「あなたが想像しているようなことはないと思いますが、そういうことです。」
「あら、私は『あんなことやそんなこと』としか言ってないわよ。何を想像したのかしら。」
「死者の中には強姦殺人を犯したような大罪人もいましてね。当然地獄行きなわけですが。」
「・・・つまらない奴。」
博麗の巫女とはいえ、閻魔を手玉に取ろうなど、百年早い。
「さて、『名無優夢』。いえ、名も知らぬあなたよ。もう一度確認しますが、覚悟はよろしいですか?」
「何度確認しても結果は変わりませんよ。いつでもやれます。」
最後の確認に、彼は首を縦に振った。迷いはないようですね。
霊夢と魔理沙、それから幽香は、この光景を興味深そうに見ていた。
メディスンは既に飽きて寝ており、小町は起きてこそいるが眠そうに欠伸をかみ殺している。
別に見ることを強制しているわけではないので構いません。彼と、最低でも私と紫が見れば十分なのです。
「さあ、早くして頂戴。いつまで待たせる気。」
幽香が遠慮なく文句を言う。別に彼女に従うわけではありませんが、そろそろ始めましょう。
「八雲紫。」
「わかっていますわ。」
パチンと、紫が扇を閉じる。別にその動作は必要なかったのだろうが、とにかく境界を操る力を行使したようだ。
意識に同化してしまうため、認識しづらかった彼の気配が、ほんの少しだけはっきりとする。どうやら、それが彼女の能力限界のようだ。
・・・果たしてこれで名を読めるだろうか。意図的に波長をずらし、彼を見た。
先に見たときよりは少なくなりましたが、まだ多い。100は越えている。
「もう少し、何とかなりませんか。」
「無茶をおっしゃる。これでも相当な無理をしてますわ。」
その言葉が真実である証拠に、彼女らしくもなくびっしりと玉のような汗を額に貼り付けていた。
これ以上の要求は酷というものですね。
「わかりました。後は私が何とかしましょう。あなたはもう少しだけ、今の状況を維持してください。」
「そう長くは持ちませんわ。あと10秒。」
短い。それだけ短い時間の間に、彼の本当の名を探さなければならないのか。
・・・いいでしょう。それならば、私のできる最大限をお見せしてさしあげましょう。
これが閻魔の本気です。
残り10秒という言葉を聞いた瞬間から、私は既に処理を開始していた。
まず、彼は間違いなく日本人であり、それ以外の名前は一切を除外。これで半数。
その後、明らかに女性の物も除外。如何に今は女性にもなれると言っても、昔は生粋の男だったはずです。
これでさらに半数。およそ20強の名前が候補となる。
そこからさらに奇をてらったようなありえない名前を除外し、また過去に裁いた記憶のある名前も除外。
残り5つ。しかしこれ以上は論理的な手法で除外することができない。この時点で残り3秒。
あとは、名前の密度で決めるしかない。しかしほとんど差異はなく、誤差という程度――。
いや。
見つけた。一つだけ、揺れることなく確固としてある名前を。恐らくは、これが彼の名前。
確信し、私はその名を覚え――しかし、覚えきる前に膨大な情報が押し寄せてきた。時間切れか。
「ふぅ・・・。どうです、読めまして?」
「不完全に、ではありますが。それらしきものは見つけられました。」
覚え切れたのは苗字の部分だけ。残念ながら、名前の部分までは読めなかったし、読めたとしても覚えるだけの時間はなかったでしょう。
「本当ですか!?」
本人である彼が、驚きに声を上げる。だが私はそれをいさめた。
「まだ確定ではありません。それに、本題はこれから。この名を試してみて、あなたの人生が映し出せるかどうか。ここからは、あなたが頑張る番ですよ。」
「・・・わかりました。いつでもドンと来てください。」
彼は表情を引き締め、『鏡』へと向かった。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。それは私にも試してみるまではわからない。
皆が、緊張の面持ちで鏡を見ていた。
そして。
「審判『浄頗梨審判――」
私は宣言をし。
彼は、『鏡』の中に飲み込まれた。
***************
突然黒い靄――『浄玻璃の鏡』が俺に覆いかぶさってきたから何事かと思ったが、どうやらそうやって映し出すようだ。
俺は抵抗なく、靄の中に飲み込まれた。
『鏡』の中は不思議な空間だった。外から見た感じだと、人一人が入ったらそれでいっぱいになりそうな程度の体積しかなかったのに、中に入ってみると無限とも思えるスペースを感じた。
その中を、俺は高速で前へと進んでいた。特段意識しなくても勝手に前に進んだ。
あるいは、後ろに下がっているのか。これは『その人間の功罪』を映し出すらしいからな。
つまり四季様が『宣言』した名前は、俺の本当の名前だったんだろうか。靄に隠されてしまったせいで聞くことができなかったんだが。
ともかく、俺は黒の深淵の中へと進んでいた。・・・いや、これは落ちているんだろうか。前も後ろも上も下もわからない。そんな空間だった。
進んで進んで、とにかく進んで。
不意に、視界が開けた。光が溢れ、眩しさに思わず目を瞑る。
だが、不思議とすぐに目は慣れた。眩しいと思ったはずなのに、目は全く眩しいと認識していなかったようだ。
まるで夢の中であるように。ひょっとしたら、俺は既に夢の中にいるのかもしれない。
現実と夢があやふやな感覚の中、俺はそこに立っていた。
幻想郷ではありえないその場所。今の俺にとっては新鮮な――すっかり慣れきってしまったアパートの一室。
不思議だ。俺は今新鮮だと思ったはずなのに、妙にこの場所が板に着いていた。俺は知らないはずなのに、俺の深い部分がここを知っていた。
何処だとか思うこともない。ここは間違いなく俺の部屋だった。
複数人で住むには狭く、一人で住むには快適なだけの空間がある、ワンルームの借家。これで月々5万という破格の物件だ。
一人で暮らすために、家具は一通り揃っている。特に料理器具に関しては、ちょっとは料理に自信もあったのでそれなりの金をかけて買い揃えていた。
キッチンにはガラスが散らばっていた。コップが割れでもしたんだろうか。それにしても量が多く、危ないな。
寝室の方を見ると、そちらも荒れている。まるで台風の後であるかのように、本が散乱し、布団が破れ、本棚や箪笥も倒れていた。
ここで何かあったんだろうか。たとえば、強盗が押し入ってきて退治した後だったとか。・・・ないか。
俺の城は、理由はわからないが荒れ果てていた。それも昨日今日の話ではなく、数日前からそうだったのだろうということが、積もった埃の量から推測ができる。
今の俺なら『掃除しがいがあるな』と言葉遊びの一つも出てくるだろう。
だけど、このときの俺にはそんな余裕がなかったらしい。
まるで自分の心と体が分離したみたいに、俺は『このときの自分』を冷静に見ていた。
俺は荒れた自分の部屋の中で、仕切りに床を叩いてた。
理由なんかない。ただの癇癪だ。床でなければ壁を叩き、時には自分も傷つけた。
一体何がそんなに気に入らないのか、そこまでは思い出すことができなかったが。
とにかく俺はイライラしてたんだ。何かに当り散らさなければ耐えられないほどに。
いや、ひょっとしたら悲しかったのかもしれない。やり場の無い悲しみが、怒りの発露となって攻撃性を剥いただけかもしれない。
そんな心地よくない感情が、当時の俺を埋め尽くしていた。
自分の様子を客観的に見て、俺は何故か安心した。何故か――ああ、そうか。俺も昔は普通の人間だったんだなって思ったんだな。
当時の俺は受け入れられなかった。その現実を。それが怒りや悲しみを生んで、負の連鎖を巻き起こしていることにも気付かずに。
気付いたとして、どうしようもなかっただろうが。ただの人間は、自分の感情をコントロールすることさえ難しいんだから。
何の力も持たない、ただの弱い人間でしかない俺は、ふらりと立ち上がった。暴れるだけ暴れて、少し頭も冷めただろうか。
だがじっとしていればまた黒い感情が襲ってくる。それがたまらなく恐ろしく、その現実が嫌で、俺は自室から逃げるように飛びだした。財布だけは持ったみたいだ。
どれだけ逃げたって変わらないというのに。敵は俺の中にいる。いくら遠くに逃げようとも、心を置いていかない限り付き纏ってくるというのに。
走り、電車に乗り、また走り。
出来るだけ遠くまで逃げ続けた。
場面が変わる。いつの間にか、俺は人気のない廃ビルの屋上にいた。何処をどう走ったらこんな場所に出るんだか。
走り続けたせいで息が上がっている。疲労で膝が笑う。まともな思考に回すだけのエネルギーもなかった。
何故こんなことになったんだろう。答えが出るわけでもないのに、俺は同じ問いを何度も何度も自分に投げかけていた。
何故と聞かれても、今の俺に答えられるわけがない。何がどうなったのかの経緯すら、俺はまだ知らないんだから。
もっとも、これは俺の過去の記憶。俺の行動に付き合ううちに、少しずつだが記憶が戻ってきてるらしい。いまだ名前すらも思い出せない、過去の俺の自問に過ぎない。
だから、今の俺がもし答えられたとしても、記憶の中の俺には何の助けにもならない。
息が整ってきた。すると、またあの何とも言えぬ黒い感情が襲ってきて、恐怖を感じる。
逃げるように立ち上がり、足を前に踏み出す。
青い空が、見えた。
そしてその瞬間、まるで天啓が降りてきたかのように、俺の中にある発想が浮かぶ。
――ヤメロ。
そうだ。逃げる必要なんか何もなかった。初めからこうすればよかったんだ。
それじゃ何の解決にもならない。早まるな。
そうすれば俺は、『俺』に絶望しなくても済む。これ以上誰も憎まずに済む。
残された人達はどうなる。その程度の苦しみから、逃げようとするな。立ち向かえ。
決めた俺の行動は早かった。先ほどまでの疲れが嘘のように、軽い足取りでビルの鉄柵を越える。
眼下に、はるか遠い地上の風景が広がった。廃ビルだから周りには何もなく、まるで荒野の中に俺一人だけいるようだった。
ヤメロ。やめろ。やめろ、やめろやめろやめろ!!
俺の生存本能がうるさく制止を訴えるが、俺の信念を曲げるには至らなかった。
だから、俺は。
実に安らかな心持ちで、足場を蹴った。
俺の体は自由落下を始め、頭から地面に向かった。
そして――――――――
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」
情けなくも悲鳴をあげ、俺は『鏡』の中から撥ねだされた。
それとともに黒い靄は霧散し。俺の居場所は、見慣れた博麗神社の境内だった。
だけど、俺の動悸は収まらなかった。いくら今は飛べるようになったからと言って、あんな体験を思い出させられたら誰だってそうなる。
――そう。そうだ。俺は、あの時。
全てを思い出せたわけじゃない。だけど、四季様が見せてくれた『人生』は、間違いなく俺の過去で。
他の皆も見ていたはずだ。それが証拠に、魔理沙は愚か霊夢も言葉を失っている。四季様は、非常に難しい顔をして俺をにらんでいた。
そりゃそうだ。俺はあの時に、・・・死んでいたはずなんだから。
「通りでいつまで経っても思い出せないわけだよ。ったく・・・。」
よもや、俺の願いを俺が肯定し続けていたなんて、夢にも思っていなかった。
「立てますか、『
白鳥』。」
四季様が俺の近くまで歩み寄ってきて、そう声をかけてきた。
「ええ、何とか。それが、俺の本当の?」
「まだ苗字だけしかわかってはいませんが。その反応を見ると、どうやらあれがあなたの人生で間違いはなかったようですね。」
「ええ・・・。」
その苗字にも、何故だか覚えがあった。だから多分、本当に俺の苗字ではあるんだろう。
けど、名前は空白。そこはやはり思い出せなかった。
「・・・言いたいことは山ほどありますが、ひとまず置いておきましょう。あれがあなたが幻想郷に入る前の最後の記憶ですか?」
「はっきりはわかりませんけど、多分。あそこから生還するなんて、幻想入りって反則ぐらいしか思いつきませんよ。」
「恐らくそれは間違いないでしょうね。あれなら、どんな非常識が起こっても不思議ではない状況ですもの。」
紫さんは特に何も感じていないようだ。紫さんからすれば、高々一人の人間の生き死にの問題程度、何でもないんだろうな。
「非常識は博麗大結界によって、幻想郷へと誘われる。だから優夢は生存して、今こうして『願い』としてここにいる。」
「その名で呼ぶのはやめなさい。本当の名がわかったのだから、仮の名はもう必要ない。」
「まだ苗字だけでしょう?それに、彼のこの名は気に入っていますの。」
紫さんは楽しげにそう言った。俺の回想録に、面白い場面でもあったんだろうか。
「どちらでもいいですよ。優夢ってのも呼ばれ慣れちゃったし、白鳥って呼ばれても何か反応できそうです。」
「当然でしょう、あなたの名ですよ。」
それもそうですね。
「軽いですね。あなたは、あれほど罪深い己の過去を知ってなお、今まで通りに振舞えるのですか?」
責める様に、四季様は目線で俺を射抜いてきた。確かに、そう見られても仕方が無いことだ。
けど。
「今の俺は、受け入れられるんです。それが俺の最強の武器ですよ。」
あのときの俺は――何をかは知らないけど、受け入れられなかった。その結果、自分の命を断つという愚行に踏み切ってしまった。
四季様の言う通り実に罪深く、愚かしいことこの上ないと自分でも思う。
だけど、今の俺はその事実さえ受け入れ、肯定できる。おかげで俺は、こうして皆と知り合えたんだ。
だったら、あれはあったこととして受け入れるべきだと、そう思えた。
「まあ、勿論反省すべきだとは思いますけどね。」
「当然です。この後その件についてみっちりとお説教しますので、覚悟しておきなさい。」
四季様の宣告に、俺はうへぇとため息をついた。それを皮切りに、霊夢と魔理沙が寄ってきた。
「よう、自殺志願者。もうこの世に未練はないか?」
「冗談言うなよ、魔理沙。お前ら放ってあの世に行ったら、後が恐ろしくて敵わん。」
「それだけ言うなら一安心ね。まあ、これからも償いのつもりで神社の掃除とか家事とかよろしく。」
「償いとかあんま関係ないよな、それ。」
こいつらは既にいつも通りだ。あれは過去に過ぎたことであり、今の俺の在り様を変えるような事件ではない。
だったら、気にすることは何もない。そう思えるこいつらが、俺は大好きだ。
俺達を見て、四季様は一つ息を吐いてから、少しだけ表情を柔らかくした。
そのちょっとした騒ぎで、いつの間にか寝ていた小町さんは目を覚ました。何とも自分のペースを守る人だ。
明らかになった過去は重かったかもしれないけど、ここの空気は何も変わらなかった。
「優夢。」
明らかになった俺の名ではなく、以前からの仮の名を呼ぶ。幽香さんだ。
後ろから声をかけられたので、俺は「何ですか」と言いながら振り返り。
がっしりと頭をホールドされた。
「は?」
その行動の意味がわからず、俺は頓狂な声を出した。だが、俺の疑問は次なる幽香さんの行動で解消される。
幽香さんは唇を俺の唇に押し付けてきた。のみならず、舌まで入れてきた。
所謂ディープキスというやつだ。正式にはフレンチキスと言った方がいいか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
『はぁ!?』
解放された俺と、見ていた霊夢と魔理沙と小町さん、それから四季様までもが驚き叫んだ。だが、幽香さんは満足したように笑んでいた。
「あらあらあら、まあまあまあ。そういうこと?」
「ええ、そういうこと。」
紫さんだけは何か理解したようだ。・・・ひょっとして、紫さんと同じく俺の『願いの世界』に自身を介入させるために?
(そんなことはないわ。私は今こうなって、初めて知ったのだから。)
内側から、早くも俺の中で形となった幽香さんが俺の疑問を否定する。じゃあ、何のために・・・。
「霊夢。楽はさせてあげないから、覚悟しておきなさいね。」
「意味がわからないわよ。」
霊夢の言葉ももっともだった。ぶっちゃけ意味がわからない。
内側の幽香さんに聞いても答えてくれないし、他の『願い』も何かニヤニヤしてる気配がするし。
「それでは皆様、ごきげんよう。また会いましょう、優夢。」
そうとだけ言って、幽香さんはメディスンを背負い神社を後にした。その背に向けて、霊夢が「二度と来んな」と暴言を吐く。
・・・何がどうなってこうなったのか、俺にはさっぱりわからなかった。
「・・・そういえば、あなたは女たらしということで有名でしたね。自殺云々の前に、まずはそれについてお説教が必要です。」
「え゛!?いや、だからそれは根も葉もないデマだって・・・」
「たった今私の目の前で風見幽香を口説き落としておいてそんな言い訳が通用すると思っているのですか?そう、あなたは無自覚に女性を魅了しすぎている!」
「ちっとも口説いてないじゃないっスかー!!?」
「まあ、優夢さんなら仕方がないわね。落とした人数分しっかり絞られなさい。」
「にしても、幽香の奴が優夢に、ねえ。マジなのか?」
「多分ね。何だかんだであの子、情熱的なのよ。」
「目を覚ましたら、そこは修羅場だった。うーん、これは面白いかもしんないね。」
そして、俺は四季様の文字通り『地獄の』お説教の餌食となり、それは一日だけでは終わらなかった。
皆はそれを眺めて宴会を開いたり、酒の肴にして騒いだり、騒ぎすぎて一緒に説教されたりして。
とにかく、しばらくは解放されなかった。
「こら!聞いているのですか、白鳥!!」
「聞いてますからもう勘弁してくださーい!!」
めでたいのやらめでたくないのやら。
***************
「そう、優夢君の過去にそんなことがね・・・。」
本当なら、あのまま太陽の畑に帰ろうと思っていたんだけど。やはり誰かに話したくて、私はもう一度茶竹の家に寄っていた。
夜の縁側。私と靈夢は並んで腰掛、彼女の夫が淹れたお茶を飲んでいた。
一文の腕は、やはりまだまだ一磋のかなり先を言っている。この間飲んだのよりも、非常に美味に感じられた。
私が伝えた内容は、靈夢にとってはだいぶに衝撃的だったようだ。まあ、私もそれなりに驚いたことなんだけどね。
何でも受け入れるという今の彼からは想像もつかない、酷い過去だった。現実を拒絶し、ついには自分の命すらも拒絶してしまった彼の最期。
そして、そんな自分の愚かささえも受け入れてしまった今の彼が、私にはこれ以上もなく面白かった。
だから私は、昨日靈夢に言ったことを実行することにした。
『もし彼が霊夢に相応しい相手だったとしたら――そのときは、私が奪っちゃおうかしら。』
あのとき私は、そう言った。
実際彼は、魅力的と言うには十分だった。何が、と問われても答えはしない。言葉にしてしまったら、その瞬間この愉快な恋心がつまらなくなってしまいそうだから。
こんなにも人を恋しいと思ったのは、いつ以来だったかしら。
だから私は、彼にキスをした。その意味が伝わった様子はなかったけど・・・元々一筋縄で行く相手だとは思っていないもの。関係ないわ。
私はもう決めた。彼が生きている限り、私は彼を愛する。邪魔をするなら、スキマだろうが大結界だろうが叩き潰してやるわ。
勿論相手が霊夢でも容赦しないけど・・・あの子と二人でなら、悪くないかもしれないわね。
他の連中はどうでもいいわ。友達付き合い程度なら許すけど、もし優夢に色目を使うような真似をしたら虐めてやろう。
「全く、あんたって奴は・・・。まあ、ある程度想像はついてたけどね。」
「あら。あなたは彼が私を魅了するって思っていたの?」
「別にそうじゃないけど。どんな形であれ、彼があんたの興味の対象になることは間違いないと思っていたわ。」
「この私や霊夢が興味を持つのよ?」と彼女は言った。フフ、確かにそうね。
色々あったけど、これからが楽しみだわ。
花の『異変』の向こう側に待っていた新しい世界を、私は歓迎して迎え入れたのだった。
「こら、メディスン。女の子が裸でうろうろするんじゃない。」
「だってお風呂熱いんだもんー。」
メディスンをお風呂に入れていた一磋が、手ぬぐいを腰に巻きつけながら裸で歩くメディスンを追いかけていた。
あの子もすっかり一磋になついちゃったみたいね。私達はクスクスと笑いながらその光景を見ていた。
「やっぱり、一磋の妻にメディスンを。」
「だからやめろっての。」
+++この物語は、彼の過去が一つ紐解かれる、奇妙奇天烈な混沌としたお話+++
生涯の終わりを越えた者:名無優夢(本名:白鳥??)
長いこと謎のままであった彼の記憶が、とうとう一つ紐解かれた。本当の苗字は『白鳥』。下の名前は不明のまま。
彼が自分の記憶を思い出せなかったのは、他でもない彼自身が『自分でなくなること』を願っていたため。彼の能力は、善悪の区別なくその願いを肯定した。
己の存在に対する自覚はまだまだ足りていないが、彼もようやく未来に向けて動き始めたのだ・・・。
能力:あまねく願いを肯定する程度の能力
スペルカード:想符『1700万ゼノのブルーツ(笑)波』、思符『デカルトセオリー』など
東方幻夢伝 第四章
花映塚 ~Flowers Invite Lively Accident and His Lost Memories.~End.→To The Next Chapter...