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[ 茨城県民 ]
2011/6/15(水) 午後 2:32
先日コメントをしたものですが、どうやら耳に痛いコメントは削除されたようですね。
原発を誘致した自分たちだけが福島よりも安全な県外へさっさと避難し、現地よりも恵まれた環境を与えられているにもかかわらず埼玉県への感謝の気持ちも持ちもしない。
そんな方たちがどこの地域に移住したとしても歓迎されることはないと思います。
確かにあなた方は故郷を放射能という目に見えない恐ろしい物質で失ってしまったのかもしれませんが、他の津波で全てを失ってしまった方たちをみてください、あなた方のように被害者意識丸出しで支援してくれる人たちの心の上に胡坐をかいていますか?
瓦礫の中で暮らし、自分たちも必死になって元の生活を取り戻そうと努力しているじゃないですか!
いつまでも夢のような理想を並べ立てていないで、各々自立する努力をするべきだと思います。
皆さんの書き込みを煩わしいコメントだと思い削除せず、きちんと考えることをお願いします。
自分たちの主張が常識はずれだという自覚を持ってください。
[ noname ]
2011/6/15(水) 午前 10:51
形のあるものはいつか壊れる、こんな言葉、昔からありますね。
双葉町の皆さんは、いざとなったら土地を捨てる覚悟を持って原発を受け入れ、見返りとしてその恩恵を受けていたのかと思っていました。しかし皆さんの要求を見ていると違うようですね。
浪江町など、皆さんと同様の苦しみを抱えながらも双葉町のような待遇の避難生活を送れない同県人もたくさんいらっしゃいますよね。
みなさんバラバラに避難しながらも、お互いを思いやる気持ち、絆は失っていないように思いますが。
絆っていう言葉は、団体行動をとり続けることなのでしょうか?
双葉町特権を作って甘い汁をすすり続けるようにみえます。
どうぞ日本が置かれている現状、特にあなた方以外の福島県の皆さんが置かれている現状をもう一度よく理解されてはいかがでしょうか。
あなた方のいう自立が、どうぞ日本国中から応援されるものになることをお祈りしております。
そして日本のすべての子供たちが健康被害にあわない国を作りましょう。
自分たちの待遇ではなく、日本人みんなで未来を守りましょう。
[ ube**07 ]
2011/6/15(水) 午前 10:29
それから、正直に言いますが、会津出身の私からすると
何で原発利権にどっぷりだったあなた方が被害者面出来るのか
理解できません。私からすると、あなたたちも加害者に見えます。
「原子力、正しい理解で豊かな暮らし」
原発の利益受けてましたよね?
私は原発事故のせいで教員採用試験が中止になったため、
地元就職出来なくなりました。
福島県の人たち全員が被害者です。
何であなた達ばかりが埼玉の人たちからタカリ行為を
することが許されるんですか?
埼玉の人に随分ひどいことをしたそうじゃないですか。
はっきり言います。福島の恥です。
反省してください。福島の人の前で埼玉の人たちに
対するのと同じ態度取れますか?
[ ube**07 ]
2011/6/15(水) 午前 10:20
[ アンタラス ]
2011/6/15(水) 午前 8:16
[ つくばのひと ]
2011/6/14(火) 午後 11:39
昨日の私の書き込みが削除され、一部削除、改竄された上で
婦人会のページに転載されていましたので、驚きました。
改竄の内容ですが、私からの最も重要なメッセージが丸ごと
削除されている上、文章も差し障りのない部分を残して
変更されていたというものです。
元々、冒頭にこのような文がありました。
いきなり集団で移住してきて閉鎖社会を作り、我が街を「双葉
つくばサテライト」「新生双葉衛星町」と勝手に植民地化した
ような名前で呼び、「双葉つくば学校」なるものを、勝手に我
が街に作ると宣言しているような「侵略者」を私たちは受け入
れることができない。
という趣旨で書いた箇所です。(保存してないため不正確ですが)
ともかく、あなた方が嘘つきで自分勝手な集団である事がはっきり
しましたので、態度を大幅に改めない限り地域住民として断固移
住を拒否する考えです。
ともかく「衛星町」にはなりたくないです。
公務員住宅が双葉民以外の被災者で一杯になることを望みます。
[ まゆな ]
2011/6/14(火) 午後 5:41
[ rea**asak*1 ]
2011/6/14(火) 午後 0:42
福島の酪農業男性が自殺か 「原発なければ」と書き残し
福島県相馬市の50代の酪農業の男性が「原発さえなければ。仕事する気力をなくした」と書き残し、首をつった状態で死亡していたことが14日、同市や捜査関係者への取材で分かった。自殺とみられる。
市によると、男性は11日に自宅近くの小屋の中で発見された。壁に「原発さえなければ。残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください」などと記されていた。
男性は福島第1原発事故後、妻の故郷であるフィリピンに妻と2人の子どもとともにいったん避難したが、単身で相馬市に戻っていた。原乳は3月に出荷制限を受けたため、男性は搾乳した分を廃棄していたという。
2011/06/14 10:31 【共同通信】
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