一演奏家

2011-05-03 23:59:59 Theme: 雅楽関係

 前日のブログの補足ではありますが、もちろん講師を辞めるや割く時間を減らす、という意味ではありません。むしろ、今以上にこちらも増やす予定です。新たな教室も企画していますし、最近優秀な助手も育ってきています。私の監修、という形で雅楽教室の全国展開も考えています。

 先生と言う立場はなかなか厳しいものです。実力はもちろんの事指導力や人柄までが問われます。雅楽を指導するという事は、その生徒さんにとっては雅楽の入口、最初に出会う雅楽の人間になるのですから。昔、指導する暇があったら自分の稽古をしたいから、という理由で指導者を辞めた人間がいました。まあ、それぞれの考え方でしょうから私は何も言いませんでしたが、結局教えを請う人間に対しては指導する訳ですから、それは言い訳のように思えたりします。師匠の言う事は絶対で、弟子がその言われるがままの指導を受けなければならないというのは何も雅楽に限らずどんな分野でもそうでしょうが、そもそも私は師匠となど一度も思った事がありません。何故なら、自分の先生が師匠と呼ばれることを一番嫌うからです。あくまで、皆と一緒に勉強していこうというスタンス。となれば、私が師匠と呼ばれる訳にはいかないのです。だいたいが、私自身が雅楽の完璧な指導を受けた人間ではありません。完璧な指導、とはここでは私は楽師の先生の事を指します。つまりは七年間の修業期間、明治撰定譜を全て稽古した方が本当の雅楽の先生なのでしょう。その点、私などまだまだです。特に国風歌舞の分野など全く手つかずです。全ての分野をカバーしていないのに、何が雅楽の先生なのか?といつもそう思います。たまたま私を先生と呼んでくれる生徒さんがたくさんいますが、私はいつもその事を頭に入れています。そんな私が指導する雅楽です。そんなもの、本物では無いのかも知れません。でも、それに近づきたくて毎日稽古している訳です。なので全然大したこと無いと思っていますし、恐らく民間で雅楽を指導している先生の殆どはそう思っておられると思います。

 そんな思いがあるからこそ、指導者の前に一演奏家でありたい。常に一線で活躍し、しのぎを削って得た経験を元に生徒さんに指導する事が「生の雅楽」を指導できる唯一の方法であると考えます。具体的には雅楽を表現する手段として絶対に必要な合奏力であり、あらゆる状況に対応できる適応能力であると考えます。雅楽は一人でも出来る(実は私もそう思っていました)、そんなバカな話はありません。ですが、一人では合奏も出来ないし演奏会だって組めない。合奏力、というのは志も技術も高い、そんなメンバーで集まればより高いものが得られます。高ければ高いほど良い。経験値も上がります。何なら人に笛を任せて自分は打物や絃・舞だって経験できる。と言う事で、我々はそう言った志を持つ仲間と徒党を組みます。それは必要に迫られて、と言う方が正しいのかも知れません。引き寄せ合う、という表現でも良いのかも知れません。結構それはそれなりの結果が出る訳です。小さな力でも合わせればその力は何倍にもなります。確実に各自が均等に上達します。案外その一番良い例が宮内庁楽部なのでしょうね。

  • なうで紹介
  • mixiチェック
  • ツイートする
アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト