合奏第一

2010-12-11 23:59:59 Theme: 雅楽関係

 数年前から進めているのが「異変プロジェクト」です。全国に合奏会を根付かせよう、という草の根活動です。雅楽を稽古していて感じるのは、最後はやはり合奏練習しか上達の方法はあり得ない、ということです。各管毎の管別稽古は確かに楽器技術の上達には役立ちますが、結局そこで終わりです。その上達した技術を如何に合奏の際に役立てるか、という事の方が重要なのですが、案外この部分が見逃されているような感じがします。確かに笛を吹いていると稽古した気分になるし、他の管を聞く必要が無いから精神的にも楽です。自己完結してしまうのですよね。しかしながら、ご存知の通り雅楽は合奏が基本になります。音取、などたまにソロの曲がありますが殆どは合奏状態です。笛には音頭があるので、その分ソロの部分が多いとも言えるのかも知れません。もちろん、その分余計に稽古せねばならないでしょう。ですが、この音頭の稽古が曲者なのです。つい自分の世界に入ってしまう。確かに、音頭の部分で音頭たる人間の(ややこしくてすいません)世界観なりを表現する事は大事なのでしょうが、あくまでそれは導入部に過ぎません。ついつい笛吹きってのはそれを見過ごしがちになってしまうのですよね。私も含めてですが。

 で、まずはともかく合奏をしてみよう。合奏の数をこなそう。演奏会の為の合奏では無く、自己の合奏力を高める合奏、です。人に聴かせる演奏を目指すには、まずは自己の技術の向上が不可欠です。ここで問題にしたいのは、管の演奏技術と合奏力には因果関係こそあるがイコールでは無いということ。つまりは笛が上手い=合奏が上手い、では無いのです。逆に、笛が上手過ぎると合奏が下手、なんてこともあり得ます。原因は分からないでも無いです。自分の笛の世界を優先するあまり他の管と迎合しないのですよ。仮にこれがある程度引っ張っていく役割がある篳篥であれば多少は許されるのかも知れません。しかし笛は違います。あくまで主役は篳篥であって、脇役に徹する必要があります。最近篳篥を吹いていて思うのは、主役が取りたかったら篳篥を吹けば良いんですよ。笛を選んでしまったら、それは諦めなければなりません。それを諦めないのは、明らかにエゴでしか無いです。人に迷惑を掛けます。合奏に誘ってくれなくなります。一人の雅楽ほど寂しいものは無いですよ。

 何故私がここまで合奏にこだわるのか。それは辛い過去があるからです(笑)。数年前、東京進出をきっかけに博雅会の活動を休止し、一人で演奏活動を行っていました。最初は気楽で、しかも個人の実力のみで勝負していく訳ですから遣り甲斐もありました。しかし、途中から寂しくなって来たんですよ(笑)。自分一人で笛を吹いても何も楽しくない。雅楽というのは鳳笙がいて、篳篥がいて、龍笛がいて、初めて成り立つんだなあと当たり前の事を実感したのです。それからというものの、自分が雅楽を楽しみたくて人に合奏を勧め出した、という次第です。それが「異変プロジェクト」であります。結局は自分が楽しみたいから、だけの理由なのです。なんて横暴な…(汗)

 昨日は昨日で大阪で合奏会でした。この合奏会にはもちろん宴会もセットです。2時間合奏3時間宴会、これ常識でしょ?(笑)

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