ゾンビーズに『二人のシーズン』(Time of the Season)という大ヒット曲があります。(1969)
2008年、ラジオ(AFN)からこの『二人のシーズン』が流れてきたので聞いていましたが、4小節間のイントロが終わり“歌”が始まると思った瞬間!私は唖然としてしまいました。!!!
ナント!ゾンビーズではなく女性の声で、しかも全く“違う”歌になっていました。これがMelanie Fiona嬢が歌う『Give It To Me Right』でしたが、RAPなどでよく使われる“sampling”で、オリジナル・オケを使って別曲にするという手法です。オリジナルから約40年後に登場したことになるこのバージョンですが、それにしても面白く作ったなぁ、とプロデューサーの手腕(トリートメント)に感心しました。
“同じオケで違うメロディー”という手法は、私版『あの娘に御用心』のコーダ部分や、インスト版の『青空のように』でやりました。私の場合、70年代は先にオケを作って、後からメロディーをつけるというパターンが多く、こういうケースは、言ってみれば“メロディーは何とでもなる”のですね。山のような選択肢から“ひとつ”を選ぶ。将棋・囲碁の棋士の《読み》と同じです。しかし打つ手は“たったひとつ”。プロは“待ったナシ”です。音楽の場合も、発表する場合は“ひとつ”しか提示出来ません。
ただ、結果的に“選んだ(選ばれた)”と言っても、やっぱりコレしかなかった、とか、コレ以外には選択肢はなかった、と後で思うことが多いのです。将棋や囲碁などで、勝負が終わってから“感想戦”というのをやります。「あの時、別の手を選んでいたらどうなっていたか?」を勝者・敗者共に“検証”するわけですが、大体は「あー、ナルホド、そうなるのか」ということになります。しかし、時々両者が思いつかなかった別局面が登場することがあり、延々検証しても全くわからなくなる場合があります。それを《これも一局》と表現しますが、『Give It To Me Right』もまさに“これも一曲”ではあったわけです。
この曲、アレンジを全く別にして発表していたら、この“透かし絵”がすぐにわかる人は少なかったでしょう。しかしこのプロデューサーはどうしても“ゾンビーズ・トリートメント”をそのまま使いたかったのですね。ゾンビーズのあの曲は、イントロだけでも既に《POPSの古典》であり、更に沢山のメロディーが産める“大型母艦”であることを、証明(主張)したかったのでしょう。(『二人のシーズン』もガーシュインの“Summertime”が透けて見えますから、それが《祖母艦》であり、大きくは“アメリカン・ミュージック”が《曾祖母艦》ということになります)
2008年、ラジオ(AFN)からこの『二人のシーズン』が流れてきたので聞いていましたが、4小節間のイントロが終わり“歌”が始まると思った瞬間!私は唖然としてしまいました。!!!
ナント!ゾンビーズではなく女性の声で、しかも全く“違う”歌になっていました。これがMelanie Fiona嬢が歌う『Give It To Me Right』でしたが、RAPなどでよく使われる“sampling”で、オリジナル・オケを使って別曲にするという手法です。オリジナルから約40年後に登場したことになるこのバージョンですが、それにしても面白く作ったなぁ、とプロデューサーの手腕(トリートメント)に感心しました。
“同じオケで違うメロディー”という手法は、私版『あの娘に御用心』のコーダ部分や、インスト版の『青空のように』でやりました。私の場合、70年代は先にオケを作って、後からメロディーをつけるというパターンが多く、こういうケースは、言ってみれば“メロディーは何とでもなる”のですね。山のような選択肢から“ひとつ”を選ぶ。将棋・囲碁の棋士の《読み》と同じです。しかし打つ手は“たったひとつ”。プロは“待ったナシ”です。音楽の場合も、発表する場合は“ひとつ”しか提示出来ません。
ただ、結果的に“選んだ(選ばれた)”と言っても、やっぱりコレしかなかった、とか、コレ以外には選択肢はなかった、と後で思うことが多いのです。将棋や囲碁などで、勝負が終わってから“感想戦”というのをやります。「あの時、別の手を選んでいたらどうなっていたか?」を勝者・敗者共に“検証”するわけですが、大体は「あー、ナルホド、そうなるのか」ということになります。しかし、時々両者が思いつかなかった別局面が登場することがあり、延々検証しても全くわからなくなる場合があります。それを《これも一局》と表現しますが、『Give It To Me Right』もまさに“これも一曲”ではあったわけです。
この曲、アレンジを全く別にして発表していたら、この“透かし絵”がすぐにわかる人は少なかったでしょう。しかしこのプロデューサーはどうしても“ゾンビーズ・トリートメント”をそのまま使いたかったのですね。ゾンビーズのあの曲は、イントロだけでも既に《POPSの古典》であり、更に沢山のメロディーが産める“大型母艦”であることを、証明(主張)したかったのでしょう。(『二人のシーズン』もガーシュインの“Summertime”が透けて見えますから、それが《祖母艦》であり、大きくは“アメリカン・ミュージック”が《曾祖母艦》ということになります)