|  | きょうのコラム「時鐘」 2011年6月15日
 やっと米大リーグが面白くなってきた。われらが松井秀喜をはじめ日本人選手には不振、欠場、故障の言葉が付きまとってきた。もう飽き飽きである 指揮官が代わり、ゴジラがよみがえった。左打者は左投手が苦手。そんな理屈を大打者にも当てはめるお粗末な指揮に、われらの堪忍袋は緒が切れる寸前だった イチローは、ベンチで完全休養させられた。連続出場記録が止まる屈辱をバネに変えて、打撃が波に乗ってきた。交代や休養が流れを変える。野球に限ったことではあるまい 「久しぶりに興奮した」と松井は素直に喜びを表す。イチローは無愛想である。ベンチに下げられた無念の言葉は「出るだけに意味はない」。相変わらずぶっきらぼうだが、それに「必要とされることに意味がある」と続けた。打撃同様、渋くて格好いい。必要とされなければ、交代も休養も意味がない。イチロー語録は時に鼻白むが、これは会心のヒットであろう 凡打、失策、空振りが続いて選手交代へ。そんな世界が、列島にもある。だが、悲しいことに、2人のような「必要な顔」が、なかなか浮かんでこない。 |