北京で久々に炸裂した麻生太郎「文化担当特使」に民主党外交は学べ 「ポケモンはキュッキュとしか言わないが世界で通用するじゃないか」/近藤 大介
現代ビジネス 6月13日(月)7時5分配信
あの麻生太郎元首相が北京で炸裂! 〔PHOTO〕gettyimages |
先週、麻生太郎元首相が、なぜか菅直人首相の「文化担当特使」として、6月8日からこちらで始まった「ジャパン・フィルム&テレビ・ウィーク」に合わせて北京を訪れた。
「ポケモンはキュッキュッとしか言わねーが、世界中で通じてるじゃねーか。文化交流ってのは、言葉じゃねーんだ。日本の素晴らしいコンテンツは、世界で通用するんだよ! 」
「韓国は文化開放に踏み切ってから、日韓関係は劇的に改善された。あんたんとこ(中国)も、早くそうすべきだ! 」
まさに麻生特使の行くところ、拍手喝采が鳴り止まない。皮肉なことに、民主党政権下になって、これほど北京で人気を博した日本の政治家はいない。
*** ニュースにならなかった日中韓サミット ***
思えば、麻生政権時代、日本で『週刊現代』の政治記者をしていた私は、毎週のように、麻生首相の批判記事を書いていた。「麻生総理、この漢字読めますか? 」「ゴルゴ13を見て外交するなかれ」…。いまでも当時のタイトルが頭に浮かぶが、先週、2年ぶりにご本人を間近で見て、懺悔したい気分に駆られた。菅外交に較べたら、麻生外交には何と華があったことか! 民主党外交に較べたら、自民党外交は何と老獪だったことか!
私たちはなぜ、「一度任せてみて下さい」などという甘言に騙されて、民主党に政権を託してしまったのだろう? この2年間、北京から見ていて、民主党外交の杜撰さ、幼稚さには、一日本人として怒りを通り越して、涙が出るほどだ。
中国はすでに昨年、GDPで日本を追い抜いた。今後、日中間の「経済格差」は、ますます広がっていくだろう。象徴的な例を挙げれば、5月21日~22日に、温家宝首相が訪日し、第4回日中韓サミットが開かれたが、中国ではほとんどニュースにさえならなかった。2008年暮れに当時の麻生首相が音頭を取って、自らの故郷・福岡で第1回日中韓サミットを開いた際には、中国は大型取材陣を日本に送り込み、華々しく報じたものだ。
それがたった3年で、中国からすれば、もはや日本など、目に入らなくなってしまった。それは、一つには、G8(主要先進国)の時代からG20(主要国)の時代へ、もしくはG2(米中)の時代へと変遷したからであるが、もう一つは「お笑い民主党外交」を、相手にしなくなってきているのだ。
*** 日本が中国に勝てるのは3分野しかない ***
鳩山前首相は、昨年5月に温家宝首相と重要な首脳会談を行ったわずか二日後に、「プッツン辞任」した。今年に入っても、3月に前原外相が「5万円辞任」したかと思えば、6月2日には菅首相が「辞める宣言」をした。中国の菅政権に対する視線は、金正日政権に対する目線に近づきつつある。「世界と関係なく勝手にやってれば」という感じだ。
これは私のかねてからの持論だが、21世紀の日中関係において、日本が中国に勝てるのは、たった3つの分野しかない。それは、「先端技術」「サービス」「オタク系文化」である。他のあらゆる分野が早晩、中国に追い越されるだろう。
だがこの3分野だけは、いわば日本の誇る「三種の神器」である。こうした日本の優位性を、もっと中国にアピールすべきなのだ。
中国にしてみれば、日本の「三種の神器」でかかってこられては一溜まりもないと見て、様々な「障壁」を作って防御を図る。例えば、日本映画は年間2本しか、中国国内での上映が許可されない。今年はまだ、先月公開された『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説』(ウルトラマン映画)だけだ。日本の映画関係者は、中国で公開にこぎ着けるまでに疲弊してしまうため、宣伝が盛り上がらない。結果として、日本映画は成功しない。
一方、ハリウッド映画は、年間14本も(! )許可されている。これは、ハリウッド映画が面白くて日本映画がつまらないということも確かにあるだろうが、それよりもひとえに、アメリカ政府が日本政府より格段にウルサイからである。日本の民主党政権は中国に甘いから、日本に向けたカベが一向に崩れないのである。映画と同様に、中国では基本的に、日本のテレビドラマも禁止、マンガも禁止、ゲームも禁止である。
*** 「文化開放から生まれた韓流スター」 ***
このため、日系の「文化公司」と名のつく会社に勤める私は、この2年間、中国政府の文化担当者に会うたびに、口を酸っぱくして次のように訴えてきた。
「1990年代の韓国が、まさにいまの中国と同じ理屈---日本文化を開放したら席巻されてしまう---で、日本文化に対して障壁を作っていました。しかし1998年に金大中大統領が決断し、日本文化を開放した結果、韓国は日本文化に席巻されるどころか、二つの作用をもたらしました。
一つは、日本文化に啓発されて、韓国文化の発展が急速に進んだこと、もう一つは、日本文化に触れたことで、韓国人が自国の文化に自信を持ったこと(何だ、これなら自分たちの方がいいものを作れるではないかという感覚を持ったこと)です。ここから『韓流文化』が一気に開花し、ヨン様を始めとする韓流スターがアジアを席巻していったわけです。
同様に、中国も『走出去』(中国企業・文化の世界的発展)を国策に掲げているのだから、一刻も早く、文化開放すべきです」
こうしたことは、一駐在員である私などが声を張り上げても意味をなさない。民主党政権が、日本国として、中国政府に粘り強く外圧をかけ続けていかねばならない。何と言っても、世界第2の肥大する経済大国の隣に位置する日本には、上記の「三種の神器」しかないのだから。
私はこの2年間、何人もの知り合いの民主党議員にこのような訴えかけをしてきたが、彼らは一様に上の空だった。まるでピンと来ないようであった。
それが先週、「麻生特使」が中国のお歴々を前に、私の持論と同じ言葉を吐いているのを間近で聞き、快哉を送りたくなった。日本もまだまだ捨てたものではない。民主党政権がダメなら、再び自民党政権に戻せばよいのだ。
思えば、保守→革新→保守という流れは、ここ10年ほどのアジア政治の典型的な変遷モデルだ。台湾も国民党→民進党→国民党と回帰したし、韓国も民自党→民主党(ウリ党)→ハンナラ党と回帰した。
*** 文化外交を展開せよ ***
先月は、坂東玉三郎が訪中し、北京で最も伝統と格式のある湖広会館で、昆劇『牡丹亭』を披露した。丸々2時間、中世蘇州方言の歌とセリフが続く芝居に挑戦した玉三郎の舞台に、日本人の私ばかりか、中国人の京劇ファンたちも、熱狂的な拍手を送っていた。
先週の「ジャパン・フィルム&テレビ・ウィーク」では、計11本の映画が上映され、 中国の文化障壁に、ようやく小さな風穴を開けた。麻生特使だけでなく、山田洋次監督や俳優の仲代達也らも訪中。二人は寅さんや時代劇など、日本映画の魅力についてふんだんに語り、中国メディアで引っ張りだことなった。
先月訪日した温家宝首相は、SMAPと面会しており、9月にはSMAPの北京公演が控えている。
たが、もっと毎週のように、日本を代表する「文化人」が中国を訪れ、日本の高度な「芸域」を直接、中国人に「魅せつける」べきである。日本の「ホンモノの芸」には、中国人は必ず感動する。そして、日本に敬意を抱くようになる。
重ねて言うが、政治的にも経済的にも失速していく日本は、「文化外交」に頼るしかない。隣国が築いている「文化の長城」(障壁)を突き破ることは、日本自身の生存の道に他ならないのである。
〈付録・坂東玉三郎観劇記 2011年5月8日 北京湖広会館〉
坂東玉三郎は、薄水色の振袖を胸に畳むような井出達で、摺り足のまま俯き加減に、舞台左手に現れた。そのままそっと、そっと舞台中央まで辿り着くと、両の振袖を下手に放ち、目線は上げて、少し伸びをするように、ゆるりと首を廻した。
昆劇『牡丹亭』は、中国劇には見られない静謐な「主役」の立ち現れ方で、幕を開けた。
第一幕の『驚夢』では、唄い喋る他の中国人役者たちに混じって、玉三郎はほとんど無言だった。まるで雲のように、ただ舞台をたゆたっているばかりだ。そして、時に舞台後部の椅子に腰掛けたりしている。だが、中国人俳優の群れの中にあって、その圧倒的な存在感たるやどうだろう。かつて梅蘭芳が踊った北京湖広会館の旧い舞台上では、いつのまにか一が多を、静が動を、そして異が常を、完全に制圧していた。
第二幕の『写真』に入るや、一転して玉三郎は、饒舌な昆劇役者と化した。高音で五声の中世蘇州方言を響かせ、呻り、囃した。もはや独り舞台だ。
*** 中世蘇州方言の唄を巧みにこなした名優 ***
圧巻は二つの場面だった。一つ目は、鏡を手に取って、自分のやつれ果てた貌を眺めるシーン。玉三郎は手鏡を貌の前に翳し、そっと貌元に寄せて行ったかと思うと、素早く遠ざけ、視線を鏡からずらして右斜め遠方をぼんやりと眺めた。そうやって間を置いた上で、ポツリと呟く。「まあ、これが私? かつてはあれほど美しかったのに…」。嘆き節の後、鏡を両手で持ち直してゆっくりと下げて行き、ようやく哀しげな表情を舞台に晒した。それは、観る者が奮え咽ぶほどの、哀しい艶を湛えた貌だった。
もう一つは、最大の難所とも言うべき、高音の唄が続くシーンだ。これは玉三郎が筆を取って、詩画を描く動作を伴って行われた。筆を横に滑らせて絵を描き、その後縦に咥えるように起たせて詩を書く。一筆描いては、そっと右脇の男を垣間見る。4回垣間見た時の表情は、すべて微妙に変えていた。そうした機微の中で、中世蘇州方言の高音の唄を歌い続けるのだ。この難所も、玉三郎は淡々とこなした。
休憩の後の『離魂』では、存分に唄い、嘆き、哀み貫いた末に、前向きに倒れ込んで死に絶えた。この一連のシーンは、完全に「以前の玉三郎」を凌駕していた。
もう四半世紀も昔の事になるが、学生時代の一時期、歌舞伎に狂った。ほとんど毎日、築地歌舞伎座の天上桟敷に通い詰めて、歌舞伎を観た。そのうち、坂東玉三郎ばかり観るようになった。玉三郎を観ると、他は大根役者にしか見えなかったのだ。当時の玉三郎は、女形だが、よく動いていた。死ぬ時さえ、くるくると廻り踊ってから倒れた。玉三郎は、舞台で常に躍動していた。そして動と静の対比が、抜群に巧かった。
今回、久々に観た玉三郎は、25歳分、着実に老いていた。だが、女形はしぶとい。動作を故意にスローにし、そのひとコマひとコマに細やかなアクセントを加えることで、玉三郎は生き延びていた。
第三幕の死に行く場面では、玉三郎は、自らの老いを逆利用した。本来、老いは入念な化粧で隠しているが、この時だけは、袖を捲り上げて二の腕まで晒し、顎をややしゃくり出すように上向きして蘇州語(セリフ)を吐いた。老いが一番顕れる首筋と掌を、むざむざと前面に翳して見せたのだ。このエロチックな動作は故意だったのか、或いは本能だったのか。いずれにしても、そうやって玉三郎は、ベテラン役者としての執念を見せた。
第四幕『叫画』、及び第五幕『幽女溝』は、いわば付録のようなもので、本来的な役割は、第三幕の死の場面で終わっていた。
いや、最後にもう一つだけ、圧巻があった。終幕後の舞台挨拶で、玉三郎は、膝を折り、床に平伏した。それは、祈りにも似た姿だった。もしかしたら、敬愛して止まないという梅蘭芳に向けて祈っていたのではなかろうか(『牡丹亭』のパンフレットも舞台上で祈っているかに見える玉三郎の後姿だった)。
*** 玉三郎が示した日中共存の姿 ***
玉三郎は、最後の舞台挨拶に至るまで、パートナーの「男」を立て、絶対に独りで前に出て行かなかった。彼にとって、舞台に立っている限り、どこまで行っても「女」なのだ。その役者魂は、最後まで美しかった。
思えば玉三郎は今回、「二重苦」を背負っていた。男が女を演じる苦役に加えて、中世蘇州方言で2時間も演じ通し、歌い通す苦役だ。だが玉三郎はどちらも完璧に、しかもさりげなくこなした。
中国人役者の動作、表情が大味な分、玉三郎の日本的繊細さは際立っていた。玉三郎はその辺りのことを計算してか、敢えて日本式のおちょぼ口の化粧、そして日本式のマニュキアで手先を染めて、舞台に臨んだ。
「和而存異」(和してなお異なった点を残す)---この日本が生んだ一世一代の名優は、日中共存の在るべき「形」を示した。
現代ビジネスブック 第1弾
田原 総一朗
『Twitterの神々 新聞・テレビの時代は終わった』
(講談社刊、税込み1,575円)
発売中
amazonはこちらをご覧ください。
楽天ブックスはこちらをご覧ください。
【関連記事】
バリアフリーで旨い店みつけます! 大勢で楽しむ青山の中華料理店
東電はパンツ一丁になっても賠償金を支払え
緊急大特集 菅総理7月末”退陣”が決定次の総理は前原か枝野か
文科省、被災3県の教員定数を上乗せ[教育]不十分なストレス抱える子供の精神的ケア
無策がもたらす「電気料金高」、「円高」市場は菅政権と東電の存続にNOを突きつけている
最終更新:6月13日(月)7時5分