写楽展
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「写楽」の魅力 現代美術家 山口晃さんに聞く
舞台追体験の立体感 触覚的な創作意識も

 東京国立博物館で開催中の特別展「写楽」は、写楽の美術家としての真髄を味わってもらおうと、同一作品の異なる摺(す)りや、他の絵師が同じ題材を描いた場合を比較できる構成が特徴だ。本展から見える写楽の魅力とは何か。現代美術家・山口晃さん(41)=写真=に語ってもらった。 (三沢典丈)

 今回気づいた写楽の魅力の一つは、目の描写です。大首絵の一部に見られる金壺眼(かなつぼまなこ)、つまり黒目がちで輪郭線がはっきりしている目に特徴的です=図1。切れ長の目でも、内側にえぐり込むような太い輪郭線で描く一方で、下まぶたは薄い線で描く。これが見る者をぐいっと引き込む。他の浮世絵とは違います。

【図1】「二代目小佐川常世の一平姉おさん」(大判錦絵、ベルギー王立図書館蔵(C)RoyalLibraryofBelgium)

 しかもこの目はどこも見ていない。喜多川歌麿の描く人物は必ずどこかを注視していますが、写楽のは描かれた当人の意識が飛んでいるような状態。ところが、これがもう一つの特徴である、奥行きのある空間作りに役立っているのです。

 大首絵は胸まで画面に入っていますが、描かれる手はかなり小さく、実際の人物のプロポーションとしてはおかしい。この比率のまま全身を描くと、体はかなり小さくなる。他方、全身図の方は異様に顔が小さい=図2。大首絵と全身図では、人体の比率がまったく違っているのです。

 大首絵は、この独特の比率で描かれることで、近接した描写にもかかわらず、手の付近を近景、着物の襟辺りを中景、顔を遠景という構成になっている。実際の人物ではそれぞれわずか十〜二十センチの距離ですが、これによって奥行き感が生まれている。試しに近景を何かで覆ってみると、顔がぐっと前に出てくるのが分かります。ところが、顔を見ようとすると、輪郭線が薄墨で非常に細い線で描かれているため、見る者の目がなかなか到達しないのです。

 これは、舞台上に役者が現れた様子の追体験になっていると感じました。役者が登場すると、まず白塗りの顔がぱっと浮いて見える。続いて黒い目が確認でき、その後、じわっと顔立ちが見えてくる。この過程を感じ取れるのです。まるで役者が自分に近づいてくるかのよう。一つの画面を見ているだけで、見る者にカメラのズームインと、ピント合わせが喚起される。この特徴は摺りがきれいな作品を生で見るとはっきり分かります。

【図2】「三代目大谷鬼次の川島治部五郎」(細判錦絵、東京国立博物館蔵)

 大首絵に続き、主に立ち姿を描いた二期以降の細判の全身像でも今回、気づいた点があります。以前は窮屈なまでに人物を描いている理由が分からなかったのですが、実物を見て、大きさが「ちょうどいい」と実感しました。思わず手に取ってなでたくなる。役者の瓶詰めを見ているような印象がある。図像を見て楽しむだけでなく、絵を手に持った時の感覚まで意識していたのかもしれません。

 そして写楽の絵はデフォルメがきつそうに見えて、形は崩れていない。顔を見ると、フィギュアで作れそうなほどしっかりした三次元性が感じられ、線が描かれていない頬(ほお)の部分でも、顔の正面と側面の境目が指摘できる。他の絵師がまず輪郭を描いて目鼻を乗せているのとは異なり、人体の構造が堅牢(けんろう)なのです。ここが、西洋人にも分かりやすい要因の一つではないでしょうか。

 このように写楽の作品が触覚的なのはなぜか。こじつけかもしれませんが、写楽が能役者として、体をどう使えば客にどう見えるかを、空間的に考えていたことが関係しているのかもしれません。

 本展では素晴らしい構成によって、歌川豊国の作品が絵のうまさを一目で伝えてきたり、喜多川歌麿の女性がえらく美人に見えてきたりするのと見比べつつ、写楽のどこに独自性があり、どこに同時代性を持っているかがよく分かる。とても楽しく、有意義でした。

(2011年6月3日 東京新聞・夕刊)

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