独り言&ひとり言
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    私は2000年6月、宗教法人・世界基督教統一神霊協会の職員となりました。職員として千葉の美浜教会・教会長職を命ぜられます。それ以降11年間、統一教会の職員として牧会者の職責をなしています。それでは、その前はどのような立場にあったのかと言えば、統一教会員の信徒会(教会員を中心とする任意組織)の代表をしたり、それに関わる仕事をしていました。信徒会とは93年ごろから始まっており、その前は、全国しあわせサークル連絡協議会(以後サークル会と称す)なる組織に専従(献身)していました。

    信徒会も、その前のサークル会も統一教会の信者を中心とする組織ではありますが、宗教法人・世界基督教統一神霊協会が関与(人事・運営・管理)する組織ではありません。また信者の全てが関係する組織でもありません。統一教会とサークル会は、法的に全く別の人格を持つものなのです。先輩たちは、社会的にこの区別をハッキリとつけて任意団体としてのサークル会を出発させました。「青春を返せ裁判」の原告である元信者たちは、上記内容を理解できない者たちです。ただし彼らを受け持つ弁護士たちは、これを理解します。理解しつつも、統一教会と全国しあわせサークル連絡協議会を完全に結び付けなければ、統一教会を叩き、吊るし上げる事はできませんから、躍起になって関係付けようとします。

    今回の「青春を返せ裁判」の原告の中に、サークル会の責任者が社長を務めるお店があり、そこで営業活動を共に行った女性Tさんがいました。“青春を返せ!”と統一教会を訴えるお門違いのそのTさんの反対証人として、私は出廷し証言したわけです。私には元々彼らに対して「勝手に献身しておきながら、何があったか知りゃせんが信仰を失って、それで青春を返せとは随分勝手な主張・・・」という憤懣やるかたない思いがありました。まったく献身の動機や心情を疑わざるを得ません。同じ献身者として恥ずかしい限りです。しかし、彼らにも良心の負債があるのだと察します。その負債感を正当化させて、全ての責任を統一教会に覆い被せようと悪巧みをしているのが反対派弁護士たちです。

    結局は、元信者たちも彼らに利用されていることになかなか気付きません。統一教会を反対する弁護士たちの中には、「統一教会にマインドコントロールされた生活から脱却させなければならない」として、ご丁寧に元信者を集めて勉強会を開いては、洗脳するという熱心な方もいらっしゃいます。社会的に常識あると思われる弁護士先生から手ほどきを受ければ、純心無垢な元信者たちは意図も簡単にマインドコントロールされてしまうでしょう。そして、いつの間にか弁護士事務所でお手伝いをする元信者も現われてしまいます。彼らは正義感に溢れて、自己正当化のためにも次々に元信者へ働きかけては「青春を返せ裁判」の原告として立たせるのですから、弁護士先生にとっては「濡れ手に粟」、「棚から牡丹餅」状態なのでしょう。

    統一教会を巡る「青春を返せ裁判」は、一般常識から見ても実に常軌を逸した不思議な裁判です。勝手に統一運動に献身しておきながら10年、20年後に「青春を返せ!」と言っては、その間に社会で働いていれば得られるであろう相当の給料や、信者時代の自主的献金まで、時にはその利息まで請求するのですから・・・常軌を逸していると言わざるを得ません。「統一教会は社会悪」というように長年にわたり国民を洗脳し、「統一教会には何をしても誰も何も言わない」と判断した時、彼ら(反統一教会派)は2000年前にイエスを信じたものたちを捕らえては“火あぶり”“十字架”“ライオンの餌”にしたように、「統一教会には何でもあり」と言わんばかりです。これ以上、統一教会が振り回され、元信者が彼らに利用されてはならないために更に「青春を返せ裁判」の裏側を覗いていきましょう。

    | 2011-06-09 | 独り言&ひとり言

    「私は統一教会に献身しました。そして、伝道活動、販売活動を行いました。」このように証言すれば、この元食口(元教会員)に対して伝道活動や販売活動に対して指示を出した母体は統一教会となります。これが事実であれば大問題です。反対派に「正体を隔しての伝道」とか「印鑑や壺の販売をしている」と教会が批判されてもしょうがありません。しかし、私も含めて献身した者たちが統一教会の教会長、あるいは職員といわれた人たちから正体を隠しての伝道や印鑑などの販売に関して指示、命令をされた記憶はありません。周りの人たちが全て統一教会の信仰の先輩だからといって、統一教会の職員ではありません。アベルと思っていた人は、統一教会職員ではないのです。これが法的には重要なポイントです。

    では、私の目の前にいたあのアベル(会社で言えば上司的立場の人)とは何者だったのでしょう。そもそも、私が献身したのが統一教会でないとするなら、私はどこに献身したのでしょう。ハッキリ知るべきです。「あなたは、全国しあわせサークル連絡協議会にて献身的に活動をするようになった」ということを。大部分が統一教会の信者ばかりで組織されていますから、統一教会と思ったのも無理はありませんが、明らかにその思いは認識違い、勘違い、常識はずれであったのです。

    かつて組織も定まらず、社会的にも統一教会が認識されていなかった頃、先輩たちは「統一教会ですが・・・」と伝道活動し、直接教会へと人々を導いていました。時が経つにつれて教会員の数は増え、自分たちで事業を起こし、会社を設立し、もっと教会に貢献できないだろうかと考えたのは自然の流れだったと思います。こうして能力ある先輩たちは、宗教法人とは関係ない立場で事業を立ち上げていきました。中には勤めていた会社を辞め、あるいは学校を中退して、この事業体に参加する先輩たちも出てまいりました。

    やがて、このような事業体は多方面にわたるようになり、先輩たちは様々な分野において事業展開するようになりました。教会は彼らの仕事の成功を祈り祝福しました。教会は彼らの事業成功で得られる信者献金で運営される一面もあるからです。やがて先輩たちは、個でしかなかった会社を代表を立てて全国的なネットワークとして結び始めます。統一教会の信者をベースに事業は成功していきます。それは個人的には伝道の基台となり、また若い信者たちは、自らの仕事を辞めて先輩たちが築き上げた会社へと就職するようになりました。その事業体自体は、教会が管理するものでも指導するものではなく、信仰の先輩たちが中心でありました。これが“全国しあわせサークル連絡協議会”の出発です。

    信者も、元信者も宗教法人・統一教会とその信者を中心とするサークル会が明らかに別人格であることを理解しなければなりません。次回には更に踏み込んで「青春を返せ裁判」の裏側を覗いてみたいと思います。

    | 2011-06-05 | 独り言&ひとり言

    今回、札幌地裁の証人出廷をHP上で報告させていただきましたが、結構な反響がありました。記事内容に関して、「宗教法人・統一教会」と「全国しあわせサークル連絡協議会」というものの違いに関して、一部の方からは「こじ付けではないですか・・・」とか「良く組織が見えてきません。」などの御意見を頂きました。また、現役の牧会者が法廷に立って堂々と「私は過去に念珠などを販売していました」とするのは問題なのではないですか・・・? などという質問もありました。今後のためにも説明させていただきます。

    反対尋問で「あなたは2009年の3月から柏教会の教会長をしておられるようですが、その前の経歴がハッキリしていませんね・・・?」と相手側弁護士から質問されました。私は「2000年6月に千葉の美浜教会の教会長になりました。この間、異動はありましたがずっと統一教会の教会長でした。」と応えました。すかさず裁判長が「それは、統一教会に献身したということですか」と私に問いかけてきました。「いいえ、統一教会の職員となりました。」と応えました。「献身者じゃないんですか・・・」ともう一度聞かれました。「いいえ、職員となりました。」と応えました。「献身者じゃないんだ・・・」と裁判長は独り言を言われました。

    このやり取り、理解し難いかもしれませんね。法廷の場で「統一教会に献身制度がない」と裁判長が認識した瞬間です。それでは、献身者といわれた元食口(元教会員)たちが、統一教会を訴えるということはどういうことなのでしょうか。紹介しているように実際的に統一教会に献身制度はありません。しかし、原理を学び深めていくと、目の前には献身者といわれて一日中、統一運動のためだけに熱心に奉仕している先輩たちがいることを知ります。やがて積極的に統一運動というものに関りたいという本心が発露となって、自主的に仕事をやめたり、学校を辞めたりする者が現われます。気が付けば“自らは献身者となっていた”となります。

    当然、自分は統一教会に献身したということになります。これは全くの勘違いです。この勘違いした元食口たちが、「自分は統一教会に献身して・・・」とすれば、勘違いの元食口を擁護し、元食口の勘違いを知りつつも統一教会を忌み嫌う弁護士たちは利用します。これが「青春を帰せ裁判!」です。では、元食口をはじめ、多くの献身者といわれる若者たちは、何に対して献身をしたのでしょう。また、何故このような勘違いが起ってしまうのでしょう。このような組織の違いをハッキリ知ることは、真の御父母様と統一教会、自分自身を守るためには必要であり、統一教会を食い物にする弁護士や牧師、拉致監禁改宗屋などの横暴に引っ掛からない原点ともなるでしょう。再認識しましょう。

    この続きは長くなりますので2日後にアップします。それでは・・・またお会いしましょう。

    | 2011-06-03 | 独り言&ひとり言

    昨年の暮れに本部・法務担当の方から電話を頂いた時には、まさか半年後に自分が法廷に立っているとは夢にも思いませんでした。しかし、自分の中にある正義感が燃えに燃えて、「青春を返せ」と主張する元食口たちに怒りを覚えこの日を迎えました。すでに「青春を返せ」裁判は最高裁で統一教会の敗訴が決定しているようですが、今回は賠償金を巡っての駆け引き裁判です。自らが志願し、献身という道を志したはずなのに、途中でけ躓き離教し、その上「献金を返せ!」「賠償しろ!」とは余りにも勝手すぎるではないですか・・?

    聞けば、原告側は50人もいるといいます。つまり元食口が50人まとめて訴訟を起こしたという事です。その背後には、統一教会を食い物にしようとする弁護士がいることは当然のことです。信仰歴5年程度の未熟で何も知らない元食口を利用し、マインドコントロールから解放すると正義感を振りまきながら、見事に元食口たちを洗脳し自分の食い物化に成功したと言えるでしょう。これから4ヶ月間も統一教会側の証人が次々に出廷し、証言し、判決は来年になると言われています。

    私は今回の陳述書作成と尋問準備を通して、本部・法務関係者の苦労を実に身近に感じました。なかなか陽の当たらない責任分担ですが、どれほど苦労が多く、そして切ない思いをして来られたのかを感じました。私は当初から全面協力を惜しまない姿勢でしたから、証人として立つべき人間が引き気味であること知り憤りを感じました。原告に関係した食口は、原告の反対側証人としてドンドン反対証言をすべきだと思います。また、協力すべきだと思います。

    40分の主尋問(統一教会側弁護士質問)と40分の反対尋問(元信者側弁護士質問)を受けましたが、反対尋問は全く勢いのあるものではなく、弁護に都合の良い原告のノートを持ち出してきては、都合の良い質問をするというものでした。しかし、例え私がどんなに素晴らしく反対証言をしたとしても、裁判官の統一教会に対する心証はそれほど変わらないと言われています。社会通念で判断せざるを得ない裁判官の立場であり、宗教的理念や教理はそれほど関係ないのです。

    元食口たちは、「統一教会に献身した」と主張しますが、宗教法人統一教会に献身制度はありません。勘違いもいいところなのです。我々が献身したのは全国しあわせサークル連絡協議会なのです。統一教会の先輩信者が任意に作った団体です。その下部組織に支部というものがあって、我々はそこに献身者として身を寄せたということなのです。しかも自分自身の意思と責任でそのようにしたのです。ところが離れた元食口たちは「統一教会に献身した」と主張し、統一教会に対して「青春を帰せ、賠償しろ!」とするのです。

    もはや、反社会的というレッテルは浸透し、なかなか覆すことが簡単ではないようです。我々が天の摂理に勤しんでいる間に、着々と反対側陣営は法律という武器をもって統一教会包囲網を形成していたようです。裁判官としては判例と社会通念でしか判決を下せない立場であり、一つの判決が歴史を変える可能性を秘めているわけですから安全策をとるしかないのです。

    我々が思っているほど法的問題は簡単なことではないようです。反対派が反社会的と連呼して来た背後には、僅かに引っ掛かる箸にも棒にも引っ掛からないような信者の違法性を探し出し、積み上げ、時には違法性をでっち上げ、さらには元信者を最大限に利用し詭弁と悪知恵を駆使しながら、裁判官の判断をも「統一教会は反社会的」と混乱させる彼ら左翼弁護士は、本当に文鮮明先生の恐ろしさと素晴らしさを知っている者たちなのかもしれません。

    法治国家では、最高裁判事が神のように全てを判断します。最高裁裁判官こそ最も神に近く、神の心情に通じ、平等で正確な判断が要求される難しい仕事なのだと思います。裁判官の良心的判断とは何かを考えさせられます。「良心は両親に勝る」、「良心は先生に勝る」、「良心は神に勝る」。文鮮明先生のあの名言が心に響きます。

    | 2011-05-29 | 独り言&ひとり言

    5月26日午後2時15分、私は札幌地方裁判所701号法廷に立ちます。いわゆる「青春を返せ!」裁判の被告・統一教会側証人としてです。まさか、かつて統一運動に献身して頑張っていた仲間(拉致監禁され改宗した食口)の反論証言をするとは夢にも思いませんでしたが、22年前を思い出しながら素直で正直な証言をしたいと思います。

    尋問準備をしながら、献身者のあるべき姿を考えさせられました。統一運動という偉大な平和運動に自ら志願し、如何なる試練も越えようと決意して出発した22歳の頃を思い出します。25年間を振り返れば、何人かの兄弟姉妹が姿を消していきました。「彼は何をしているのだろうか・・・」と兄弟の顔が浮かびます。統一運動への献身生活が簡単でない事は事実です。多くの若者が統一原理を学びましたが、献身者はほんの僅かです。

    きっと様々な事情で献身生活を断念せざるを得なかったり、信仰を中途で終えざるを得ない若者たちも多くいたと思います。しかし、自ら選択した統一運動への献身の道なのに、「献身させられました」「献金させられました」「伝道させられました」・・・・は、はなはだ恥ずかしい自己正当化ではないだろうかと思うのです。ただ、そのような恥ずかしさも解らずに「青春を返せ!」と訴える元食口は極僅かであるということも事実です。

    よく反対する人たちは、マインドコントロールという束縛感を与えるような言葉を多用しますが、本当にマインドコントロールできたのなら統一運動は献身者だらけで埋め尽くされたことでしょう。自ら統一運動への参加を絶つ者も少なかったことでしょう。人間の心は簡単にはコントロールできませんよ。本当にマインドコントロールしているのは、元統一教会信者を法廷に引っ張り出して、食い物にしている弁護士先生なのだと思います。正義感を装いながら、時には明らかな殺人者までをも弁護しなければならない詭弁を使う弁護士先生という職業も大変なものだと理解しますが・・・。

    今回、原告側弁護士からも尋問を受けますが、さてさてどのような質問攻めにあうのか楽しみです。現役の牧会者が法廷に立つのですから発言には注意しなければならないと思いますが、率直に素直に答弁してきたいと思います。きっと、原告側の弁護士も用意周到にして抜かりなく、虎視眈々と失言させようと準備してくるのだろうと思います。負けるわけにはいきません。お父様が「今から国連で喧嘩してくる!」とスイス大会に臨んだように、私も「反対弁護士と喧嘩してくる・・・」と言いたいところですが冷静に、冷静に対応したいと思います。それでは皆様、またご報告いたします。楽しみにお待ちください。

    | 2011-05-24 | 独り言&ひとり言