失敗だらけのIMF |
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文責:国際問題研究部 橋本光平 |
「九〇年代の危機」の構図とは
現在の国際経済の状況を語るにあたって、まず最初に認識すべきことは、九〇年代の特殊性である。ソ連の崩壊により、資本主義、自由市場主義が世界経済の唯一の基本原則であるという幻想が独り歩きしだした。旧共産圏はこぞって市場原理の導入に手を付け、また、IMFを中心とするアメリカ経済界は、開発途上国市場の自由化支援に労を惜しまなかった。先進国からの資本導入に対し、まったくオープンな市場をつくることが、彼らの最重要目標となったわけである。
九〇年代初期はまた、理論的にも制度的にも、市場開放論が最も幅を利かせた時期だった。第一期クリントン政権の労働長官として自由貿易を推進したロバート・ライシュ・ハーバード大学教授やフレッド・バーグステン国際経済研究所所長など多数の経済学者が、国境を越えた投資活動に対する国家の介入を否定する論文を矢継ぎ早に発表。国境を越える企業や個人投資家の活動と国家との協調関係を主張した。
また制度面で、貿易とサービス分野の自由化をサポートする機能がWTO(世界貿易機関)、NAFTA(北米自由貿易協定)、さらにはAPEC(アジア太平洋経済協力会議)などで次々と試行されたのも九〇年代初期であった。これらは当初、市場原理を導入した後発国に対する資本流入を支援する政策として好意的に受け止められたが、実際には意外な落とし穴が待ち受けていたのである。
現在、全世界の物品の貿易額は、年間約六兆ドルといわれているが、他方、為替の動きは、一日で一兆ドル。つまり、一日で実質経済の六〇倍以上の金融資本が動いているということになる。そして、そのほとんどがヘッジファンドなどの短期金融資本である。
つまり、故意であるかどうかは別として、九〇年代初頭に確立された市場自由化に関する諸制度が、現在六十兆ドルといわれる個人投機家の資金の移動を自由にし、短期資金がエマージング・マーケット(新規参入市場)に向って、ハエのように群がることを可能にしたのである。
裏を返せば、九〇年代の経済システムは、実体経済を主体とする従来の経済システムとはまったく別物であり、そのシステムの安定化のためには、従来のシステムとはまったく別の思想を導入しなければならない。つまり、現状のままでは、実態経済の調整役としてのIMF存続の意味はまったくないということである。
ロシア危機の扉を開いたIMF
IMFは、一九四四年の創設から現在まで、主に実質経済の監視役としての地位を保ってきた。つまり、貿易収支の不均衡による為替の歪みを短期の融資で是正し、国際貿易の推進に寄与するというのが、そもそものIMFの役割だった。しかしながら、八〇年代になると新たに累積債務問題が表面化し、IMFは、主に開発途上国向けの経済再建アドバイザーという役割に転換していく。
また、累積債務国の構造的な赤字体質を解決するためにIMFが介入する場合は、融資を受ける開発途上国に対し、コンディショナリティという融資条件を付け、実際の指導を行なっていくようになったわけである。
IMFのコンデショナリティについては、それが融資対象国の独自の事情を無視したワンパターンな政策であることが、よく批判の対象となる。 実際IMFの経済分析モデルが、融資対象国の個別の事情で変る事はない。
さまざまな国に対するIMFの改革パッケージを見ると、IMFの関心ことが国際収支の中期的維持、インフレの収束、経済成長の三つに絞られており、事実それに対して被援助国の事情が盛り込まれる余地もない。
また、IMFのコンディショナリティは、遅くとも五年以内に国際収支の赤字を通常の資本流入で賄いうる程度まで圧縮することを目標としている。つまり、ゆっくり療養して治す仕組みではなく、一気に患部を切断するショック療法であることも、多大な犠牲を強いられる被支援国の攻撃対象となっている。
しかし、ここでは個別の改革案の良否を追求する気はない。重要なのは、IMFがかたくなにその有効性を主張する経済再建パッケージが、実際に機能したか否かである。ロシアの状況を見てみよう。
ソ連崩壊後、資本主義経済への移行を模索したロシアは九二年、IMFをアドバイザーとする経済改革に乗り出した。これに対してIMF側は、国家によって統制されていた価格と貿易を自由化するとともに、財政を引き締めてインフレを抑制する政策を実行するが、結果的にこの政策は見事な失敗に終わったのである。冷戦崩壊後のロシアでは、生産する手段が限られていた。また、コメコンの崩壊はおろか、旧ソ連邦内の共和国との貿易にも事欠くありさまで、原材料の調達さえ困難がつきまとった。さらには資金の欠如から、支払いが滞り、支払い不能になる企業が後を絶たず、インフレ対策を先行させたIMFの引き締め政策も資金不足に追い打ちをかけた。結果、九二年には、企業の未払い額がGDPの二倍を超える3兆ルーブルに上った。また、農産品等も流通が不備なために品不足が相次ぎ、結局ヤミ商売が横行し、ロシアはIMFの思惑とは裏腹に急激なインフレーションに悩まされることになる。
そこで、IMFは九三年、インフレ抑制、財政赤字の削減を中心とする経済安定化策を実行。九六年の月間インフレ率は一%台に下がるほどの成果が出たが、その陰で、最も危機的状況にあった企業の不良債権問題は手付かずに残された。
同九三年、IMFは通貨増発、信用供与、補助などの緊急救済策を適用。一時期企業の未払い額はGDPの三割程度にまで低下したが、これも根本的な問題の解決にはならず九四年には再び企業の未払い額が増加。九十五年四月には六兆ルーブルに達する勢いで急伸した。
つまり、インフレは抑えたものの、肝心の投資のほうはいっこうに増える兆しがなく、投資がないので、資金や現金は不足し、企業の未払いが増え、結局労働者に払う賃金も滞ってしまうような悪循環がここ数年のロシアの現状だった。
そこで登場したのが金融・産業グループという発想だった。これは、アメリカのJ.P.モルガン協会やチェースマンハッタン銀行などをモデルにしたもので、国家主導で金融資本を形成し、投資計画を実行するというものだった。
要するに、黙って待っていてもだれもロシアの企業に投資してくれないので、生産能力の低下と資本不足の問題を解決するため、国が保証人になって諸外国から金融資本を集め、それを産業グループごとに割り当てようとしたわけである。しかし、ここには大きな落とし穴があった。
この政策は、その初期段階ではヒットし、実際九五年から九七年までのロシアの金融市場は潤いを見せた。しかしながら、金があっても投資先の産業が明日から利益を生み出すわけではない。ロシア政府は、この実物経済の成長と金利の支払いを秤にかけて、国庫を切り崩しつつ投資家への利払いを行なってきたが、結局アジア金融危機の波及に懸念を抱いた投機家の短期金融資本が一気にロシアから撤退しはじめ、九八年七月の債務不履行の状態にまで至ったわけである。
同月、IMFの対ロ緊急融資第一弾が決定。また、九八年から九九年にかけて、IMF及び世銀から総額二二六億ドルの融資が約束されたため、ロシア金融市場の危機は一息ついた格好になってはいるが、けっしてこれで事態が解決したわけではない。
そもそも諸外国から金融資本を集めるために、政府が保証人になって高利の債券を売りさばくという手法は、かつて、メキシコを中心とした中南米諸国が手がけたものであるが、九四年のメキシコの金融危機では、短期資本の急激な撤退が状況悪化の一因として指摘されていた。
つまり、メキシコの場合、NAFTAによる市場統合と資本の自由化が、短期資本のメキシコ流入と撤退の道を開き、結果として同国の通貨危機に拍車をかけたわけである。この教訓が、今回のロシア金融危機にまったく反映されていないのはあきれるばかりである。そして、ロシア金融政策の管理をするはずのIMFが、あえて短期資本導入のために市場開放を進めたことは、確信犯に近い行為ではないか。
今回のロシアの金融危機は、実力以上の開発計画と市場開放を急激に推し進め、不用意に短期資本への窓口を開いたIMFの失策である。これに関して、IMF側は、何らかの申し開きが出来るのであろうか。
IMFの処方箋が効かない理由
結局、IMFが中心となって進めてきたロシアその他の経済改革が失敗に終わった理由は何なのであろうか?
第一に、タイ、インドネシアやロシアの例を見てもわかるとおり、開発途上国の従来のシステムを急激に市場原理システムに統合するのは無理である場合が多い。国際通貨システムへの統合に対する適切な管理体制の欠如、情報インフラ、流通など、市場経済の基礎が整っていないうちに急激に市場を開放することは、足腰の弱い老人に米俵を背負わすようなものである。よって、IMFが進める四、五年を単位とした急激な市場の自由化には問題がある。
第二に、IMFは、現物経済中心の従来通りの経済システムを念頭に置いた改革案しか提起することができていない。そこには巨額の短期資金の動きという視点がまったく欠如している。先に述べたように、現時点の国際経済において、実態経済の占める割合は、短期資金を中心とする金融資本の動きの六十分の一程度にすぎない。つまり、国際間の短期資本の移動を考慮に入れない経済政策は、実態をまったく反映していないといえる。
第三に、短期資本の膨大かつ急激な動きに対応するIMFの緊急支援資金の残高が、あまりにも少なすぎる点が挙げられる。とくに、九四年のメキシコの金融危機の際には数十億ドル単位の緊急融資で落ち着きを取り戻した市場も、九七年のタイの通貨危機の際は一六七億ドル、インドネシアでは三六〇億ドル、韓国に至っては、五九〇億ドル規模の融資が必要となった。日本輸出入銀行とのパラレル融資も、タイに対する短期融資がやっとで、あとは実際に市場に投入する資金以外に、信用回復のために用意される「第二線準備」などのいわゆる「見せ金」で急場をしのぐ方法が取られた。
現在IMFの残された資金はせいぜい一〇〇億ドル程度であり、次回の金融危機に対してはまったくの無防備状態である。しかも、IMFの増資法案に対しては、米議会がいまだに反対しており、責任感の微塵も感じられないありさまである。
すなわち、IMFの指導により、早急に市場の開放を行なった開発途上国は、ことごとく短期資本の餌食となって為替の混乱をきたしたが、それを沈静化する力が、今のIMFには残されていないという、笑うに笑えない状況が実態として存在するわけである。このままでは、IMFは開発途上国の経済をいたずらに混乱させる張本人としてのレッテルを引きずるばかりか、いざとなっても役に立たない機関として市場への信頼も薄らいでいくばかりであろう。
マハティールが喝を入れた
このようなIMFの状況に喝を入れたのがマレーシアのマハティール首相だった。マレーシア政府は九八年九月、突如として為替管理規制の導入を発表。市場を当惑させたが、この決断は、あながち暴挙とはいえない点もある。
つまり、国際的な短期資本移動への規制がない現状のもとでは、巨大なマーケットフォースが開発途上国の実体経済を蝕み、健全な地場産業をも窮地に追いやっているのが実情である。よって、実体のない短期資金の急激な移動にともなう通貨の不安定化を阻止し、為替相場に影響を受けることなく国内の景気刺激策を発動しうる点において、今回マレーシアのとった為替管理規制は、無秩序な自由市場主義よりはよほど実際の経済事情に即したものだといえる。
マハティール首相の強権で行われた今回の為替管理規制は、IMF主導の市場自由化原理に対する真っ向からの挑戦であり、非力ながら短期資本の無秩序な行動に対する抵抗である。もちろん失敗の可能性も大きい。現在、マレーシアの銀行の対外債務残額は二七五億ドルで、そのうち短期債務は一四六億ドルと半分以上を占める。それに対する外貨準備高は一九七億ドル。今回発動された為替規制で引き出し期間の最小年限となっている一年後には、これら短期資本が一気に逃げ出し、マレーシア財政が破綻する可能性も十分ある。よって、これは危険な賭けというべきであろう。
しかしながら、短期資本の動きに何ら国際法的規制が設けられておらず、また、各国の体力に応じて徐々に市場開放を進めていくことについて、何の柔軟性も持ち合わせていない現在のIMFの政策よりは、マレーシアの反乱の方が、よほど正当性があると考えるのは私だけであろうか。
IMFの機能改革を
はっきりいって、現在のIMFには、現状に即した経済支援策を策定する能力も、また新たな金融危機に対応する能力も備わっていない。頭の固い新古典派の経済学者を抱えたIMFを存続させるより、目的に応じた専門家の監視機関を新たにつくりあげるほうが、コスト的にもよほど楽で機能的であろう。
しかし、官僚組織というものは、仕事がなくなりかけると、新たな仕事を探しだして自己の存続を図るものである。IMFも新たな役割を担って、二十一世紀への延命を模索することだろう。しかしながら、その新しい仕事のなかには、以下の点だけは加えてもらわなくては困る。すなわち、現在の世界経済の中では、金融資本の動きと実体経済のバランスが崩壊しており、とくに巨額の短期資本が国境を越えて各国の自由市場に出入りすることが、その国の実体経済に多大な影響を与えていることが認識されなければならない。
アジアやロシアの金融危機の際に、前代未聞の高額な特別融資が必要になったわけは、すなわち、このように国家の枠を超えて経済活動を行なう母体が、国家が関与する財政をはるかに上回る規模で拡張している結果であるということを、肝に銘じるべきである。
よって、短期資本の移動に関する法制面での規制が早急に検討されなければならない。また法制面の整備においては、その規制が画一的なものにならないよう、開発途上国の実質経済に見合った弾力的な規制になるよう配慮が必要である。
つまり、実質経済以外の分野においては、その国の実力に見合った規模の自由化しかしないということである。このことは、「開発途上国の自由市場経済への即時統合」というIMFの基本理念に対する方向転換を意味する。
結局各国ともに経済の事情が異なるわけで、完全なモデルはありえない。必要なのは、それらを一つのあたかも完璧なシステムに統合することではなく、うまくグローバルな市場原理に近づけていけるかということである。その場合、段階的に自由市場システムに統合していくということが重要で、急激な市場開放や自由化は、かえって現存する経済の足腰を弱める。つまり、IMFの行なうショック療法は、現在の状況にそぐわない手法であるという認識を持つべきである。
第二に、国ごとに経済の実態が明らかになるよう、統計資料の整備と情報の開示に対する指導が必要である。IMFの支援パッケージの評判が悪いのは、それが必ずしもその国の経済の実態を反映するものではないという点が問題になっているのであって、実際、支援対象国の経済力、市場経済のインフラ整備の状況、通貨管理の現状を軽視して、画一的な開発モデルを早急に推し進めた結果が、現在さまざまな形で矛盾となって表われている。この点に関して、IMFには弁明の余地がないであろう。
また、統計資料整備とともに、地域監視、いわゆるリージョナル・サーヴェイランスの強化が必要である。これに関しては、場当り的な会合を積み重ねても意味がない。マーケットの情勢は一刻一刻変化するものであるため、その地域の経済事情に精通したエコノミストによる監視体制が常設されなければならない。さらに言えば、地域研究の強化を促進すべきである。IMFにかぎらず、西側資本主義諸国は、地域の経済事情に精通する地域経済専門家の育成に力を入れるべきであろう。
第三に、IMFの緊急時における支援資金基盤の拡充がなされるべきである。前述のとおり、膨大な短期資本の動きがIMFの支援パッケージの総額を急激に押し上げる傾向があり、それに対して、IMFの資金が不十分であることは問題である。法的規制の導入により、短期資本の動きを規制する一方で、その規制分に見合った支援資金基盤の拡充を怠っては意味がない。
現在、IMFの増資に関しては米国議会が難色を示しているが、もし、米国が世界の金融市場の安定化に対して相応の責任をとることを放棄するのであれば、日本政府はIMFを脱退し、独自の支援体制の確立を模索するというぐらいの脅しをかけても少しもおかしくはない。
そもそも自国の膨大な借金体質を、ドル札を刷りつづけることで維持し、その結果、欧州以外の国の公的準備金の七割がドルという異常な状態をつくりあげ、さらに過剰なドルの流通が他国の通貨の安定を脅かすという状況についてアメリカに責任がないわけはなかろう。自ら蒔いた種を刈り取ることを放棄する米国に、日本が付き合わされる筋合いは毛頭ないのである。
アジアの金融危機に始まる一連の通貨不安は、IMFの調整能力の限界をはからずも顕在化させた。実質経済の総体を数十倍も上回る巨額の短期金融資本の流れが、一国の通貨に及ぼす影響は計り知れないものがある。また、だぶついた短期資本の行き先が、IMFが新規開拓した足腰の弱い開発途上国のマーケットであったという事実は、市場原理の即時導入というIMFの基本理念そのものに多大な疑問を投げかけた。
「九〇年代の危機」に対しては、まったく新たな調整機能が要求される。IMF出資国第二位の日本は、強力なイニシアチブによって、IMFの機能改革を推し進めるべきであろう。