TR-63は小型であることに加えて消費電力はそれまでの半分以下ということでたいへんな人気を呼んだ。当時のサラリーマンの平均月収に相当する13,800円という価格にもかかわらずである。このTR-63を契機に、一家に一台だったラジオは、いよいよ一人に一台の時代に入っていく。
ところで、TR-63で忘れてはならないことが、もうひとつある。それは、この機種がトランジスタラジオの本格的輸出1号機の任を担っていたことである。輸出価格は、39.95ドル。これは大成功で、この年の暮れには輸出が間に合わなくなり、日航機をチャーターしてアメリカに大量空輸するほどであった。まさに、「ソニー、世界へ翔ぶ!」といったところである。
この翌年、東京通信工業はソニーと社名を変更。間もなく「日本の生んだ世界のマーク」というキャッチフレーズを使い始めることとなる。