運転免許を試験場の一発試験で取得した男の話…第2話。

2004-12-10 19:19:29
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【第2話】二俣川を攻略する、ということ。(仮免編)

…別に運転技術がどーのこーの、という話をするつもりはありませんけどね。
とりあえず、運転免許を取り消されたらどうやって取り戻すか、という方法について2回に渡ってお送りしよう、というわけです。

まず最初にやるべきこと。
『取消処分者講習』を受ける、というところから始まるのです。
(厳密には『取消処分者講習』を受講する前に仮免許まではゲットできるけど。)

運転免許を取り消されたような輩が再度免許を取り直すからにはそれなりの教育を受けてもらおうじゃないか、という意図でやっていると思われるこの講習。そもそも2日間に渡って合計13時間というとんでもない講習なのですが、値段も33,800円ということで時間的にも金額的にも精神的な圧迫が強いモノなのです。

取消処分者講習というのは運転免許の欠格期間が終わってから初めて受講できるのです。東京都の場合は府中免許試験場でしか受講できません…。

しかし…免許を取り戻そう、という行動を起こすことができたのは2004年10月。
大学院試験とかが終わってようやく時間ができた、ということで…しかも親に免許取消の事実を伝えていない立場上、福岡に引っ越す2005年2月までには免許を取り戻してなきゃいけない、という時間的制約もあったので、9月27日に福岡から帰ってきてすぐさま取消処分者講習の予約を入れたのでした。

ところで…私は2003年12月から神奈川県民に復帰してます。
ということで、取消処分者講習も神奈川県警の管轄下で受講しなきゃいけない、というのが逆に好条件だったのです。なぜなら…神奈川県の取消処分者講習は二俣川の試験場以外にもいわゆる公認の自動車教習所で受講できたから。

…そういうわけで2004年10月12・13日の2日間に渡って、日吉自動車学校で取消処分者講習を受講してきたのです。
しかしまぁ取消処分者講習を受講した人なんて身近にいるわけもなく…ネットで情報収集をしても特に情報は集まらず、ということで講習の前日は本当に憂鬱でした…だって、何をするかわかんないし、そもそも免許取消になるような人ってほとんどは飲酒運転とかありえないスピード違反とかだから…そういう人と一括りにされてしまうことが許せなかった、というのもあったしね。

いざ取消処分者講習へ…。
もうねぇ、何をされるか不安だったし、どんな人と一緒に受けるかも不安だったので、とてつもなく憂鬱だったし疲労度もありえない状態だったけど、心配していたほど大変なモノではなかったのです。

性格診断とかシミュレータとかもやったけど、13時間のうち半分以上は教習所内でクルマを運転してました。S字・クランクとか、縦列駐車・方向転換とか…なんていうか、仮免の試験に合格するための講習をやってたような感じでした。

一緒に受講する人が2人いて、最初に自己紹介をさせられるので色々と話をしていたのですが、そのうちの1人(年齢が61歳って言ってた…飲酒運転で取消)はすでに仮免許を取得していて、その人が二俣川の試験場で免許を取得するときに使ったコース図(合格するためのポイント記入済)をくれたのが非常に助かった、という話もありつつ。

13時間の締めには反省文を書かされたりして、なかなか憂鬱な講習だったんですけど…これを受講した、という証明書をもらって初めて運転免許は取得できるものなので、とりあえずこれで運転免許取得のための第1歩を踏み出したわけなのです。

…それから3週間。
大学院試験の発表とかでとてもとても運転できるテンションではなかったので、仮免許取得のための行動をおこし始めたのは11月2日のことでした。

運転免許を取得するためのステップとして、まず仮免許を取得して、それから普通免許の受験をすることができるのです。(仮免がないと一般公道を走れないからねぇ、ってことは普通免許の試験を受けることすらできない)

それでは運転免許試験場で仮免許を取得するためのステップを解説いたしましょう。
といっても教習所でやってることとほとんど変わらないのです、『仮免許学科試験(50問…45点以上で合格)』を受験して、合格したら次に仮免許の技能試験を受験します。公認の教習所に行ってる人はどちらも教習所で実施するわけですが、試験場一発試験の場合はもちろん試験場(神奈川ならば二俣川)で受験するのです。

11月2日(火)…仮免許受験料は3,300円。
前日に市販の普通免許学科の本を買って勉強してから学科試験を受験。結果は48点で合格…さすがに学科に落ちて受験料をムダにしてる場合じゃないのです。
二俣川に来たのなんて相模原に引っ越したときに免許の住所変更をして以来なので、ちょこっと二俣川駅から道に迷ったりしつつ…。
学科に合格すると技能試験の日程を指定されるのです。私は11月8日の午前に指定されました。その日以降、3パターンのコースを暗記しつつイメージトレーニングだけで技能試験に備えたのでした。

11月8日(月)…貸車代として1,100円をお支払い。
この日の指定コースは3番コース…どうやら一番ラクなコースだったみたい。ちなみにAT限定です…試験場のクルマでMTのクラッチ操作なんてやってたら絶対に受からんし、AT車以外乗らない、って自信あるので。

さて、ここで『試験場での技能試験に合格するための心得』を教えましょう。
一般的に『教習所はラクで、試験場は厳しい』みたいなことを言うわけですが…確かに厳しいです。でも、受からない試験ではないはずです。(但し二俣川の場合、と言っておく…鴻巣(埼玉)とか門真(大阪)とか草津(滋賀)は本当に受からないくらい厳しいらしいので。)

2ちゃん情報くらいしかなかったので本当に正確かどうかはわからないけど…一般的に仮免許の場合、東京(府中・鮫洲)が最も採点が甘くて、次に神奈川(二俣川)・千葉(幕張)がラク、という話を聞いてたのです。地方に行けば行くほど厳しい、とかね。

ここからの情報は二俣川では確実に通用する、という情報になりますので。
けっこう県によって運転免許の制度は違いがある、ということも知ることができたわけですが。

仮免許試験、というのは試験場内を2Km走行するんですが、その中に『坂道発進』『S字・クランク』『踏み切り』『課題速度50Km/h』などの課題が含まれています。しかし、こういうテクニカルなモノにはみんな気を配るんですよね、で、教習所の場合はこういうテクニカルなことを重視するのです。そして、技術的に足りない部分について減点法で採点していき、30点以上減点された時点で試験終了なのです。

しかし…試験場の場合、テクニカルなことと同等に気をつけなきゃいけないことがあるのです。箇条書きにしてみると…
①右左折時の安全確認(特に目視)
②曲がり角では徐行、減速は曲がり角進入前に終わらせる
③徹底したキープレフト(路肩から50cm以上空けないこと)
④右折時は交差点の中心のすぐ内側を、左折は可能な限り小回りで
⑤適切なタイミングで合図をする
⑥スピードを出せる場所では確実に出す、スピードを落とすべき所ではしっかり落とす
⑦一時停止の標識では確実に停止する

教習所でも①や⑤や⑦は厳密に見ているけど、それ以外は結構いい加減なんですよね…そういう点で考えると試験場で受ける技能試験は厳しい、と言えるでしょう。

さてさて…11月8日の仮免技能1回目。結果は不合格でした。
完走できたのに不合格、ということで原因を聞いてみたら、④ができてなかった、とのこと。1回ミスするごとに10点くらい減点されたみたいなので、4回ミスしたら不合格なんですよね…。ま、一度で受かるとは思ってなかったのでさほど気にもしなかったのですが…。

不合格になると次の試験日が指定されます。

11月12日(金)午前…仮免受験料3,300円+貸車券1,100円
仮免技能2回目。コースは前回と同じ3コースだったので、前回指摘されたポイントに気をつけながら運転した結果、運転終了後に試験官の警察官が何のアドバイスもしてくれなかった…でも、これは良い傾向。「指摘することがない=減点がない」ってことだから。案の定、この日は合格できたのでした。

おかげでこの日の午後、仮免許証をゲットしたのです。(発行手数料1,200円)
仮免ゲットまでにかかった費用は10,000円+二俣川への交通費3回分、でした。

…こうやってみるとトントン拍子に来たように見えるかもしれませんね。
しかし、受験する時って本当に緊張するんです。しかも自分の場合、運転経験も少ないので本当に運転できるかなぁ?っていう心配もしなきゃいけなかったし。挙げ句、自分にはタイムリミットもあるから、気が気でない日々を送っていました…食欲もなければ気力もなかったので家にいるときはほとんど布団の中にいた感じだったし。

このときにわかったこと…少なくとも試験場の場内での技能試験の場合、気をつけるべきポイントをちゃんと把握しておきさえすれば、そして気持ちに余裕を持てればそんなに難しいことではない、ということですね。自分の場合、ハンドルを握ったら意外と落ち着けたので、それが有利に働いた点はあったでしょう。

2005年6月から自動二輪にもAT限定免許ができるらしいので、そのときには試験場で受験してもいいかなぁ、と思ったりもしてます…もっとも福岡の試験場だけど。自動2輪のAT限定って原付とどう違いがあるのかな?って気がするけど。

…ということで、仮免許試験に関する精神論を語る記事になりましたね。
最後に二俣川で普通免許を受ける、ということだけに焦点を絞って、いかに安く免許を取るか、という話をしてみたいと思います。

そもそも試験場で運転免許を取得する人種ってどんな人?という話ですが…
二俣川試験場の場合、結構はじめて免許を取得する人もいるんですよ。普通は免許失効とか取消とかの人が大半なんですけどね。

二俣川、というか神奈川県には『二俣川自動車学校』や『三ツ境自動車学校』という教習所があるのですが、この教習所は普通の公認教習所と違って、非公認教習所というモノなのです。非公認教習所というのは言ってみれば『県の運転免許試験場での技能試験対策の教習所』みたいなモノで、二俣川自動車学校も三ツ境自動車学校もとにかく二俣川運転免許試験場で技能に合格するための技術を教えるのです。他の都道府県にはほとんどないみたいですね…。

つまり、公認の教習所みたいなムダな学科教習26時間とかはなくて…学科は自分で勉強、技能は試験場での技能試験に受かるだけの技能が身についたら終わり、というシステムなので、カンのいい人だったら教習費用は相当安く済むのです。

免許失効・取消になった人のための教習みたいなのもやってるので、それに行こうかなぁ、とも思ったのですが…カネがないので行かなかったのです。しかし、多少お金に余裕がある人はみんな通ってるみたいですね。

ま、こうして見ると神奈川県は一発試験を受けるための条件はわりと整っているのです。おかげでネット上にも二俣川の技能試験攻略みたいな情報は少ないながらも他の県よりは圧倒的に充実してますから(ま、もっとも大型車とか大型2輪が多いけど)。

…期せずして神奈川県民に復帰していたことがこんな感じで役に立つとは夢にも思いませんでした。

次回は本免許技能試験に合格するまで、を語ろうと思います。
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運転免許を試験場の一発試験で取得した男の話…第1話。

2004-12-10 00:22:13
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【第1話】失われた免許と友情 …3年E組8番、について語る…

…えらくストレートなタイトルなのですが(私には珍しいことだ。)
ようやくこのことについて話ができる日が来た、というわけなのです。

2004年12月9日…この日は本当に忘れられない日になりそうです。
ついに運転免許証を取り返しました!…正確には12月20日頃になると思うけど、二俣川の試験場で受験した普通1種の技能試験についに合格したのです。

教習所全盛の時代になんで試験場で?という疑問を持つ人もいるでしょう。そもそも「免許を取り返した」ってどうゆうこと?みたいなね。
…今日はその辺の背景を話してみようと思うのです。

2001年2月16日…これも二俣川での話。
関東自動車学校溝の口校をその前日に卒業した私は、すぐさま神奈川県の免許センターである二俣川試験場に行って学科試験を受験して、そして、世の中で運転免許を持っている人の99%がそうであるように(←あくまで推測)、いわゆる教習所卒業生が経るべきプロセスを経て運転免許を手にしたのでありました。

こんなカード1枚のために30万円かよっ!などと思いつつも嬉しい気持ちを抑えられないまま相鉄で二俣川を後にした、という記憶が残っています。

そしてその夜…調子に乗った私は武蔵小杉のニッポンレンタカーでVitzを借りてドライヴに出掛けたのでした、そのとき助手席に乗っていたのが今回のもうひとりの主人公である3年E組8番なのです。
…ちなみにこの日の夜、ドッキリと称して西調布や永福町のとあるアパートに神出鬼没状態で登場するも目的の人物がどっちもいなくてしょんぼりした、という秘話もあったり…。

…免許を手にしてから変わったこと、まぁやっぱり身分証明書に事欠かなかったのは大きかったですね。あと実家に帰ったときは思う存分運転したり、あと高速道路の星として九州自動車道の鹿児島~太宰府間を行ったり来たりしたり…それなりのドライブ経験を積んでいたのでした。

時は少し流れて…。
2002年5月12日。私は新たなる交通手段を手に入れたのでした。
原付…普通免許を持っていれば資格としてくっついてくるアレですね…を3年E組8番から買い取ったのです。理由は…3年E組8番が自動二輪の免許を取得し、そして250ccの単車を購入したことで原付が不要になったから、というもの。

当時は相模原に住んでた私。3年E組8番の住んでいる文京区からはるばる40Kmのロングトリップを原付初体験ながらこなしたのでした。それからというものライフスタイルは大きく変わり…酒さえ飲んでいなければ終電なんて関係ない生活を送り始めたのでした。現に片道20Kmの道のりである日吉まで夜中に遊びに行ったりしてましたから。

それから約2ヶ月…7月に三軒茶屋に引っ越して、ますます原付を使いやすい環境へと変わっていったのです。渋谷まで3Kmですからね…R246をひとっ走りすれば(だいたい7分くらい)渋谷駅南口の東急プラザあたりに着くわけだから。ちょうど深田恭子のルート246って曲がリリースされた頃だったっけ…。

しかし、その7月に私の運命を大きく変える事件が起こったのです。

私の乗っていた原付、それは正真正銘50ccの原付1種(つまり普通免許所持者なら誰でも乗れる、ということ)だったのですが…文京区役所での登録がそうなっていなかったのです。

少し詳しく説明します。
原付には2種類あるのです。原付1種というのは50ccまでの原付で、ナンバープレートは白地なのです。一般的に原付というのはコレのことを言うのですが、原付1種というのは制限時速が30Km/hだったり、二段階右折義務があったり、と何かとメンドーな乗り物だったりするのです。
もうひとつの原付とは何か?…原付2種と呼ばれるものがあるのです。これは排気量が50ccから125ccまでのバイクのことで、これを運転するには「自動二輪免許(小型)」が必要なのです。125ccまでのバイクは届出を市町村役場にするので(それ以外のバイクとか自動車は陸運支局ですね)、便宜的に原付2種と呼ぶようです。ナンバープレートが黄色とかピンクの原付って見たことないですか?あれが原付2種です。

原付2種というのはなかなか魅力的な種別だったりします。
制限速度とか右折方法は自動二輪に準ずるので、最高速度は60Kmになり、せいぜい高速道路を走れない、という点を除けば二人乗りだって可能なのです。
しかも税金が安い、という特徴もあるのです。原付1種と200円しか変わらない、ということで、125cc以上のバイクの半分くらいになるようです。

それでは、文京区役所での登録が違ってた、というのはどういうことか?
…「もともと50ccのエンジンを積んでいる原付1種のバイクのエンジンを改造した結果、排気量が50ccを超えた」という感じでバイクを登録している市町村役場に届出をすることによって、もともと原付1種だったバイクを原付2種として登録しなおすことができるのです。つまりナンバープレートを白地から黄色もしくはピンクに交換してもらう、ということなのですが…。

この制度にはちょっとした法律の穴があるのです。
『エンジンを改造したというような届出をする際に、その当該車両を役所の担当者に見せる必要がない』という点…つまり、実際は改造なんかしていないのに、「改造した」ということを証明できる書類が準備できたら、実際の排気量は50ccより少ないのに原付2種として登録することができてしまうのです。(もっとも最近はこの手法が出回ったせいで厳しくなったらしい、という話も聞きますけど)
これをすることによって、排気量50cc以下の原付1種の車両なのに二人乗りや制限速度の引き上げが可能になるわけです。

3年E組8番から購入した原付がまさにこの状態だった、というわけなのです。
これは立派な犯罪なんですけどね…虚偽申告、みたいな。

私が原付を買い取るときに「登録を相模原市でやり直したい」と3年E組8番に言ったのですが…一度、原付2種にしたバイクを原付1種として登録しなおすのは面倒だから、と言って断られたのが大きな間違いの始まりでした。

そもそも『原付2種には普通免許では乗れない』という事実すら知らなかった私…(ま、これは不勉強だったんだけど)。悲しいかな、罪の意識なんてこれっぽっちもない状態で『登録上は原付2種になっているバイク』を乗り回していたのでした。

さて…2002年7月に話を戻しましょう。
2002年7月16日、午前3時。私は渋谷で3年E組8番とカラオケに行き、そこで3年E組8番と別れた後で日吉に向かっていた時の話です。ちょうど台風が近付いてる夜でした。

渋谷から代官山に抜けて、駒沢通りを進み、東京医療センターのところから自由通りを通って中原街道へと抜けようとしていたところだったかな…目黒通りと自由通りが交差する『中根』の交差点にある交番の前で警察に呼び止められたのでした。

そして運転免許証を警察に提示して…そのときに自分も初めて『(登録上は)無免許運転』をしていた、という事実に気付いたのです。私はそのまま碑文谷警察署に連れて行かれ、赤キップを切られたのでした…。
警察から解放されるためには身柄引受人が必要で…3年E組8番に電話をかけて碑文谷警察署まで来てもらい、身柄引受人になってもらったのです。もちろん私としては「このバイクは実際は改造していないから、車両は原付1種に他ならない」ということを証明してもらおう、という意図があって3年E組8番を呼んだのですが。

しかし…その希望はあっさりと打ち砕かれました。
「このバイクは改造車なの?」という警察の問いに対して3年E組8番は「そうです」と答えたので…この時点で3年E組8番の虚偽申告はお咎めなし、登録が原付2種になっている実際は50cc原付に乗っていた自分にすべての罪がかぶったのでした。

その後、私は錦糸町の交通裁判所で簡易裁判を受けて罰金15万円を支払うことになりました…もちろん即金で出せる金額のはずもなく、3年E組8番にも2万円を借りることになったわけなのですが…そのお金を渡しに来た時の3年E組8番のセリフが今でも忘れられません…「赤キップってことは…前科になるんだよね」、と。

この日を境に3年E組8番と連絡を取ることはなくなりました…15万円も支払った後だったら生活が苦しくなることくらい予想がつくでしょう、でも3年E組8番は9月末に「今月苦しいから2万円返して」とメールしてきたのでした…悔しいのとこれ以上関わりを持ちたくなかったのとでさらに人から借りてすぐに返済しましたけど。

しかも8月のある日、家の前に止めていたバイクが盗難されたのでした。
私としては、このバイクが唯一自分の無実を証明するための証拠になり得るもので、警察に排気量を調べてもらえば50cc以下であることは明らかになり、3年E組8番の虚偽申告を証明することもできる、と考えていた矢先に忽然と姿を消したのです。
…人を疑うのは良くないけれど、でも私はバイクを盗んだ犯人は3年E組8番じゃないかな、と疑ってたりします。

罰金を払ってこれで済んだのかな、と思ってた10月1日…。
すごい雨の日で、外出もせず家で寝ていたのですが…ふと玄関を見ると「府中の免許センター」からの郵便物が来ていました。

その文面は…「運転免許の違反累積点数が免許取り消しの基準に達しているので、意見の聴聞を行うから出頭せよ」という内容でした。…目の前が真っ暗になる、というのはまさにこのことでした。物証を提出して自分の潔白を証明しようにもバイクそのものが盗難されてしまった以上、そんなことは不可能で…、あとは聴聞で自分の無実を訴えるしかない、と考えざるを得ない状況になったのでした。

そして運命の2002年10月11日。
府中にある免許センターへと聴聞に向かった私。とりあえず自分の言いたいことをレポートにしてまとめて提出したりしたのでした。

しかし…その努力も空しく、私の免許の取り消しが決定したのです。
2003年10月10日まで免許取得の欠格期間を指定されて…。
このときばかりは世の中のすべてを恨みました。

免許がなくなった、という事実を親に伝えるわけにもいかず…。
いかに親に内緒で免許を取り戻すか、ということを悩み続ける日々が始まったわけです。

そして…二俣川で技能を格闘する日々が始まるのですが、その話はまた明日。

…免許は取り返せたけど、失われた友情は戻ってこないでしょう。これが今日の言いたかったこと。
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サボりの真相と予告。

2004-12-09 17:13:02
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3日間ほど更新をサボっていたわけですが…決してモチベーションが低下してた、とかそういうことではないのです。

…とりあえず、今夜から更新を再開するのですが、このサボってた数日間、というよりここ1ヵ月ほど、今夜から書こうと考えている記事のために時間を費やしてきた、と言っても過言ではございません!

…とりあえず、数時間後には本編を投稿いたしますので…Coming soon, Don't miss it !!
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