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東日本大震災復興の議論に欠けているもの、ソフト面の防災にも目を配るべき

東洋経済オンライン 6月10日(金)11時4分配信

東日本大震災復興の議論に欠けているもの、ソフト面の防災にも目を配るべき
住民自らの判断が命を守った
「災害という不測の事態に住民がいかに対処するかという、社会対応力を強化すること。そして、このような災害への対応方法という“ソフト”をどのようにして後の世代に受け継がれる文化にしていくか。それこそ議論していくべきではないか」

ハザードマップを大きく超えて浸水

 防災を研究する群馬大学大学院の片田敏孝教授は現在、政府や東北の被災した自治体で議論されている東日本大震災の復興のあり方について、こう投げかける。

 政府で言えば、現在、菅首相の私的諮問機関「東日本大震災復興構想会議」が6月下旬に予定されている第1次提言に向けて検討を重ねている。そこでは農業・漁業再生、観光業復興、復興連帯税、特区などいくつかのテーマが話し合われているが、その1つに今後の町づくりがある。

 町づくりは、議論をしていくうえで、大きく意見の分かれるところである。今回の震災の1つの特徴は、被害の範囲が広範囲にわたる。おのずと地域により復旧・復興のあり方は異なる。

 例えば、宮城県の南三陸町や岩手県の陸前高田市などでは市街地の中心部全体に大きな被害が生じた。ここでは、破壊された堤防はもちろん、港や道路、住居、商店街などを元の姿に戻すことが当然、必要である。だが、その際、町そのものが破壊されている以上、新たな町をつくり直す発想が求められる。

 「東日本大震災復興構想会議」の委員は、市街地が全壊した地域に津波が届かない高さ(海面から約10メートル以上)にコンクリートの柱で持ち上げた人工地盤を造り、その上に町並みを復元する案を提案している。震災で生じたがれきを利用し、スーパー堤防を造る案も提案された。

 片田氏は、今後の町づくりの議論が、構想会議でのように、これまで以上に強固な堤防を造ることや地域一帯を人工地盤にしていくこと、つまり土木・建築によるハード防災だけに焦点化されることには、懐疑的だ。

 「これらの議論は、地域住民の恒久的な安全を願ってのことなのだろう。実現すればたしかに住民の福祉は一段と向上し、当面は“安全になった”と言える。ハード防災を新たに設けることは、財政的な制約などがあり、実現は簡単ではないと思うが、否定しない。だが、それだけでは、大切なことを見失っている。すなわち、住民らが自らの命を主体的に守ることだ」

 片田氏は、岩手県釜石市の防災・危機管理アドバイザーを務める。その一環として、市内の小学校9校、中学校5校の防災教育に8年前から関わってきた。震災が発生した3月11日、釜石市(人口約4万3000人)の港には約9メートルの津波が押し寄せた。釜石湾の入り口に設置されていた湾口堤防は、強固な造りという点では世界有数と言われるものだったが、瞬く間に破壊された。

 市内は、住宅が約3190棟倒壊するなど壊滅的な打撃を受けた。死者は852人、行方不明は約470人にも及んだ(5月29日警察庁まとめ)。

 それにもかかわらず、小学生は1927人、中学生は999人が助かった。当日、病気により学校を休んでいた子など5人の小中学生が亡くなったものの、生存率は99.8%と非常に高く、「釜石の奇跡」と言われるようになった。

 その防災教育を現地に出向き、あるときは教職員に、あるときは児童らに直接、実践的に指導してきたのが片田氏である。それが、「命を主体的に守ること」だった。

■“世界一の堤防”が住民を死に?

 片田氏は、震災で破壊された各地の堤防などを元の姿に戻すことは急ぐべき、という考えだ。その意味では自身をハード防災の「推進派」と位置づける。

 国土交通省によると、岩手、宮城、福島の3県の海岸沿いの堤防計約300キロメートルのうち、その6割に当たる約190キロメートルが全壊もしくは半壊している。これら沿岸は、いまや津波や高潮に無防備な状態になっている。今後、梅雨や特に台風の時期の高潮に備え、補強工事をすることは急務である。

 しかし、そこからさらに踏み込んで人工地盤を造るなどハード防災を推し進めるならば、まずは3月11日の震災前を振り返ってみる必要があると指摘する。「この地域のハード防災のレベルは、すでに相当に高いものであった」と言う。

 たとえば、岩手県の大船渡、釜石、宮古、久慈湾には、それぞれ「湾口防波堤」が作られている。1933年の昭和三陸地震、60年のチリ地震、68年の十勝沖地震の際にも、津波が三陸海岸を襲い、多くの命が奪われた。そのために湾口防波堤を設けることで、大きな波が押し寄せてきても港の中や市街地まで届かないようにしようとしてきた。

 国土交通省の釜石港湾事務所によると、釜石湾口防波堤は長さ990メートルの北防波堤と670メートルの南防波堤の2つで成り立つ。これらの防波堤は水深63メートルに作られていて、「世界一深い防波堤」と言われている。

 総工事費は1215億円で、市の人口が約4万3000人であることを踏まえると、住民1人当たりにつき、300万円以上の税金が防波堤のために投入されたことになる。

 あるいは、岩手県宮古市(人口約6万人)は5月29日警察庁のまとめによると、415人が死亡、約360人が行方不明となっている。同市の田老地区(人口約4400人)には海抜10メートル(高さ7.7メートル)、総延長2.4キロメートルの国内最大規模の津波防潮堤が1953年に整備されていた。60年のチリ地震津波では三陸海岸の他の地域で犠牲者が出たが、田老地区では死者は出なかった。

 今回は防潮堤が数百メートルにわたり破壊されたものの、片田氏は「この地域での来るべき津波の想定が甘かったとは言えない」と言う。一方で「これらの強固なハードが多くの人を救い、その一方で、たくさんの人の津波から逃げる意識を弱くしてしまい、結果として命を奪ってしまった」と指摘する。

 現在以上に強固な堤防や、新たに人工地盤などを設けると、住民の地震や津波への防災意識、つまり、ヒューマンファクターによる対応力がますます低くなる可能性があると見据えているのだ。

 確かに宮古市で被災した住民の中には、メディアの取材にこう答える主婦がいた。「夫は堤防があるから逃げる必要がないと言い、家に残った。私は逃げた。それで津波が家に押し寄せ、夫は行方不明になった」。市の職員も「防潮堤により津波が来ないと信じた結果、犠牲になった住民は少なくないのではないか」と産経新聞の取材に答えている(3月27日)。

■“命を主体的に守る”という意識を全国に

 片田氏は、今回の災害で得た教訓は、ハード防災のみですべての人命を守ることはできないということ、そしてそのために住民の社会適応力を一層高める必要があること、ととらえる。その一例として示すのが、ハザードマップである。

 これは釜石市が作ったハザードマップであり、津波が来襲したときに浸水するエリアや深さを色別に表したものだ。赤色のラインが、1896年に起きた明治三陸大津波(死者約2万2000人)のときに浸水した地域で、青い太線が今回の浸水域だ。

 片田氏によると今回は、津波浸水区域の外にいた人が「ここまで津波は来ないから安全」と思い込み、逃げなかったケースが多かったという。しかし、現実には、この地域にまで津波は押し寄せ、多くの人が亡くなった。

 「ハザードマップは科学的に見て、現状もっとも起こりうるだろうという想定のもとで作られている。だが、津波は想定通りには来なかった。逆に、津波浸水区域の人たちがここは危ないと感じ、逃げた。それで多くの人が助かった」

 このことから、人間のヒューマンファクターが脆弱になっていることを見ることができるという。行政から“想定”を与えられ、それに命を委ね、自ら命を守るという主体性を失ってしまった。行政も国も、そして住民を含む社会全体が“想定”に縛られ過ぎていたと分析する。

 片田氏は現在、釜石市の死者・行方不明者などの調査を進めているが、震災当日は雪が降り、寒かったからと自動車で避難し、そのまま波に呑まれた人がいるという。以前から津波が来襲したときに車で逃げることは難しいといわれていた。また、いったん逃げた先の避難場所が津波に対しては危険な場所と知りながらも、「暖房が効いていて暖かい」として残り、津波に襲われた人もいる。

 「住民の“生き延びたい”という姿勢が、防災の基本。この意志がない中で、防災の知識を伝えてもハード防災を造っても効果を発揮しない」

 このような思いから、釜石市の小中学校ではまず、「予想される津波の高さなどの想定を信じるな」「想定に縛られるな」と教えてきた。「ハザードマップも信じてはいけない」とまで言ってきた。

 2つ目に「その状況下において最善を尽くせ」。たとえば、避難した場所が危険と察知したら、新たな避難先を探すことを伝えた。今回、児童らはその教えを忠実に守り、あらかじめ決めていた避難場所からさらに安全な所を見つけ出し、避難した。

 3つ目の「率先避難者となれ」は、津波が来たらとにかく早く逃げ出すことを意味する。「遠慮をせず、自分の命を最優先に守れ」という言葉は、児童らがこれまでに学んだ倫理観とは矛盾するかもしれない。それを踏まえ、「自分の命を守ることは、みんなの命を守ることにつながる」と教えた。

 これらが自らの命を主体的に守るという意識になり、社会適応力になっていく。そして社会適応力がさらに発展すると、文化になる。今後は今回被災した地域に限らず、全国の津波常襲地帯全域にこの社会適応力を普及させていくことが必要と考えている。

 「目の前の、街並みが破壊されたあの光景を見て動揺し、被害に遭った人たちに手を差し伸べるには、次々とハード防災を造っていくことだけが最善のように議論されていくのは好ましくない。ハードを一層整備すると、後の世代のヒューマンファクターは一段と弱くなる。被災直後の一時的な緊張した意識のままで、今後のことを決めないほうがいい」

 東日本大震災のようなまれな自然の力を、堤防や人工地盤などハード的に封じ込めるには、膨大なコストがかかる。そのような財政的余力があるなら、社会適応力を高めるための予算を投下したほうが、より多くの人命を守るという点で効果があるだろう。片田氏は、ハード的な整備をするならば、高齢者など足腰が弱く、逃げることが難しい人のことを考慮し、避難専用のタワーのような施設を浸水予想地域内に配置したほうがいいと言う。

 「災害対策は、もう新しいステージに入っている。震災の記憶・体験は改めて語る必要もないような“常識”として社会の中に組み込むことが重要。忘却はしてはならない」と説く。

 片田氏は現在、三重県尾鷲市で津波防災の活動に取り組んでいる。尾鷲がある紀伊半島は、近い将来に起こる東海・東南海・南海地震で、津波の被害を確実に受ける地帯だ。しかし、前回の津波被害から60年が経過し、ハード的な防災はもちろん、避難対応などソフト面でも、いままでの三陸に遠く及ばない水準にとどまっている。いま津波に襲われれば甚大な被害は免れない。

 片田氏は、「釜石で死者を出したことは、現地の防災に取り組んできた専門家として痛恨の極み。確実に尾鷲を襲う大津波で、2度目の敗北を犯すことは許されない」と語る。


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最終更新:6月10日(金)11時4分

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