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【歴史に消えた唱歌】(11)ハングルの唱歌も作られた朝鮮
2011.6.12 07:38
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昨年8月、日韓併合100年に合わせて菅直人首相の談話(菅談話)が発表されたとき、当時の仙谷由人官房長官は記者会見で日韓併合について、「植民地支配の過酷さは言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあった」と述べ、波紋を広げたのは記憶に新しい。
もとより、統治した側と、された側が共通の歴史観を持つことなど不可能に近い。それを承知で言うが、日本は朝鮮統治において、鉄道を敷き、鉱工業を興し、学校を建て、「近代化」に大きく貢献した。生活が豊かになって人口は倍増し、識字率も大きく向上したことは紛れもない「事実」である。
とりわけ、現在の北朝鮮の地域には、東洋一の規模をうたわれた水力発電の水豊ダム、その電力を利用した巨大なコンビナート・興南工場、さらには鉄鉱石鉱山、炭鉱などが集中していた。北朝鮮が戦後の一定の時期まで工業力において韓国をリードできたのも、こうした日本時代の遺産を“居抜き”でせしめたからに他ならない(北朝鮮はそれを重油などと引き換えに“切り売り”し、現在は権利の一部を中国がもっている)。
仙谷前官房長官が言う「言葉を奪った」についてはどうか。植民地教育である以上、「同化」を目的にした日本語化が進められたのは仕方がない。しかし、朝鮮人児童が通った普通学校などにおいて、朝鮮語の教科は1938(昭和13)年まで必修科目であったし、41年までは随意科目として残っていた。さらに家庭では普通に朝鮮語が使われていたのである。
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