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水底の家族写真、少女の手に戻る 岩手・山田湾

2011年6月11日5時42分

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写真:見つかった写真を手に笑顔を見せる稲川萌ちゃん(右)。左は弟の孝太朗くん=10日午後4時13分、岩手県山田町、葛谷晋吾撮影拡大見つかった写真を手に笑顔を見せる稲川萌ちゃん(右)。左は弟の孝太朗くん=10日午後4時13分、岩手県山田町、葛谷晋吾撮影

写真:見つかった写真を手に笑顔を見せる稲川萌ちゃん=10日午後4時14分、岩手県山田町、葛谷晋吾撮影拡大見つかった写真を手に笑顔を見せる稲川萌ちゃん=10日午後4時14分、岩手県山田町、葛谷晋吾撮影

写真:海底に落ちていた写真=5日、岩手県山田町の山田湾拡大海底に落ちていた写真=5日、岩手県山田町の山田湾

 岩手・山田湾に震災後3カ月近く沈んでいた写真の少女は無事だった。朝日新聞記者とカメラマンが潜水取材で見つけた1枚。7日付朝刊で紹介したところ、「私の娘」と母親から連絡があった。記者が10日、少女と家族に手渡した。

 写真の中でせんべいをかじっていたのは、岩手県山田町の稲川萌(もえ)ちゃん(6)で、後ろの男性は一関市に住む伯父の鈴木智さん(36)。鈴木さんが昨年8月に同町の実家に戻った際の写真で、鈴木さんは「アルバムを捜したけれど見つからなくて。一枚でも見つかってうれしい」と喜んだ。

 実家は津波でさらわれ、萌ちゃんの祖母鈴木敏子さん(当時61)は亡くなった。祖父教之(のりゆき)さん(68)は家族写真を撮るのが趣味で、アルバムに整理するのが敏子さんの役だった。「何かあったらアルバムを持って逃げたい」と話していたという。

 「こんなにきれいに残っていたなんてびっくり」と写真を手にした母美樹子さん(34)。教之さんは「帰ってきたんだ。3カ月も海にね……」と写真を見つめ、家族がそろっていた1年前の夏に思いをはせていた。(中山由美)

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