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妻不明、避難の遅れ悔やむ…43時間漂流の男性

読売新聞 6月11日(土)14時36分配信

妻不明、避難の遅れ悔やむ…43時間漂流の男性
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読売新聞
 東日本大震災が発生して11日で3か月を迎えた。

 福島県南相馬市で自宅ごと津波に流され、漂流3日目に海上自衛隊のイージス艦に救助された男性が読売新聞の取材に応じた。あの時、すぐ逃げていれば……。一緒に流され、行方不明になった妻への思いと、自らを責める気持ちを胸に、男性は「地震が起きたらすぐ逃げるということを伝えるしかない」と、周囲に体験を語り始めた。

 「種もみを片づけないで、そのまま置いて避難所に行こうって言えばよかった」。森林組合臨時職員だった新川広光さん(60)は3月11日午後4時頃、海岸から約1キロの自宅にいたところを、妻の由布子さん(60)と共に津波に襲われた。地震発生後、勤務先から急いで戻ると、農協で配布されたばかりの稲の種もみがあった。「どうしようか」と思った末に納屋にしまい、2階ベランダから外を眺めていると、濁流が迫ってきた。階下から「避難しましょう」と妻の声が聞こえた。間もなく、衝撃を感じ、2人は離ればなれとなった。

 新川さんは、濁流に浮かぶ自宅の屋根を見つけ、よじ登った。海面はがれきで埋まり、陸地のようだった。由布子さんの姿を捜したが見つからなかった。

 翌日、漂流する屋根に漫画本と蛍光ペンが流れ着いた。ページを破って「広光妻由布子も津波 12日広光」と書き、由布子さんの生年月日を記し、持っていた栄養ドリンクの空き瓶に入れた。「自分が死んでも、妻を見つけてもらえるように」。自分が生きていた証しを残したかった。

 漂流が始まって約43時間後、イージス艦「ちょうかい」乗組員に発見された。もらった飲料水を口に含むと、感謝の気持ちで涙があふれた。

最終更新:6月11日(土)14時46分

読売新聞

 

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