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東日本大震災:発生3カ月 「いつ戻れるのか」 福島の角田さん、不安隠せず /秋田

 福島県郡山市鶴見坦から小学3年の長男を連れて秋田市内の実家に避難している主婦、角田栄利子さん(39)は最近、昼夜を問わず突然涙が止まらなくなる。避難から3カ月。少しずつ秋田での生活に慣れてきた一方、「何で私は秋田にいるんだろう」という思いが不意に胸を突く。郡山に帰るめどは立たない。角田さんは「普通で当たり前の暮らしが全くできなくなってしまった」と肩を落とす。

 角田さんは3月13日に実家に避難した。福島第1原発の爆発事故を受け、夫が勤める外資系製薬会社が福島県から避難するよう指示したからだ。その時は「1週間くらいで帰れるだろう」と思っていた。

 郡山の自宅から原発までは約60キロ。夫と長男は郡山での生活を望み、空間放射線量が発生当初よりも低下したため、4月11日の小学校の始業式に合わせて9日にいったん戻った。だが同日、福島県の放射線窓口に問い合わせると、長男が通う小学校の校庭の地面付近から毎時5・5マイクロシーベルトの放射能が検出されたことを知った。1年間浴び続ければ約47ミリシーベルトと、文部科学省が5月末に示した年間1ミリシーベルト以内の目標値をはるかに上回る。角田さんは電話口で職員に「自分の子どもだったら住ませる値ですか」と尋ねた。職員は「正直、答えにくい質問です--」と言葉を濁した。

 その後は窓も開けられない生活が続いた。小学校からは雨の日はレインコートで全身を包んで登校し、学校でビニール袋に入れて密封するよう指導された。校庭の表層土は除去されたが、土は処分先が決まらず校庭の隅でブルーシートに覆われたまま。通学路を独自調査した保護者から、民家の雨どいで線量計が振り切れたとも聞かされた。「ここで生活は続けられない」。角田さんは再び秋田に戻ることを決めた。

 郡山の自宅はついの住み家として昨年新築したばかり。福島杉で建てたこだわりの家で、ペレットストーブも付けた。秋田に戻る前、夫は「おれは家族一緒に郡山に残りたい」と言い、意見が折り合わなかった。やりとりの中では「離婚」の言葉も出た。そんないさかいが起きたこと自体、角田さんは「くやしくてたまらない」と振り返る。結局は一時別居で折り合ったが、数千万円のローンの支払いが残る。

 秋田では長男が元気に過ごしているのが救いだという。しかし、5月には長男が「ママ、体が震えて止まらない」と話す時もあった。自分も震災後、精神安定剤を服用。「自分だけが避難している罪悪感」をぬぐえない。

 角田さんは「安全だと納得できる数値にならないと戻れない。いつになったら戻れるのか」と話し、先の見えない二重生活に不安を隠せない。【坂本太郎】

毎日新聞 2011年6月11日 地方版

 
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