大石寺登山やら何やらで、ちょっと間があいた。
ふうふう批判も追って続けるが、その前に、一つ別のテーマで。

「巌虎独白」というブログがあり、そこで最近、御書の一文をめぐってある議論が進行中だ。
で、私も議論に参加し、そのために少々調べ事をした。

弘安元年当時の、身延の草庵における塩や穀物の需給状況はどのようなものだったのかを知りたかった、というのが当初の動機であるが、根が凝り性なもので、御書全集からすべての御供養品の記述を拾い上げ、それを時系列に並べて作表するという作業になってしまった。

それで出来たのが以下のデータだ。大聖人ご在世当時の在家の供養状況に興味のある方はご覧あれ。
(教学資料というカテに入れてあるが、当ブログ趣旨とはあまり関係ないので、最新記事リストに出ないよう、日付を去年の1月にしてある)
http://blog.livedoor.jp/jitsuji_kyuze/archives/cat_50050706.html

この資料の素材は、御供養の品々を届けた在家門下に対する大聖人からの御礼状だ。文面は儀礼的なお礼の言葉ではなく、それらの品々が現下の窮状にあっていかに有難いものであるかを真心から感謝され、さらに品々に関連する故事や経典を引用しつつ、供養の功徳をお説きになる、という形がほとんどだ。

で、ふと思ったのであるが、大聖人は品々を得てから「いやあ助かりました」とおっしゃることはあっても、「今これこれが不足している」云々と、具体的に何かを物欲しげに訴えたり、供養を要求なさるような御書は、私の知る限り一つもない。塩が絶えても、味噌が絶えても、じっと黙って耐えておられる。(そこへ上野殿が阿吽の呼吸でタイミングよく塩を運んでくるわけだが)。

一方、創価学会はどうか。「広宣流布には資金が必要」とて、毎年何百億(一説には何千億)円もの金が「任意だけど、出せば何十倍にもなって返ってくるのよ。○○さんは100万も出してスゴイわ~」という精神的半強要レトリックを駆使して集められている。(参考:大幹部指導:http://www.toride.org/aud_kashiwabara/kashiwabara.htm

これで、会館建設や教団維持にどれだけかかったと具体的に教えてくれたり、まだ足りずに池田氏以下最高幹部も気の毒なほど薄給で頑張っているとかの美談でもあれば、納得できるかも知れないが、池田氏は何億、最高幹部は数千万という巨額の年俸を毎年かかさず取っているのである。(参考:http://www.toride.org/dkbshtk.html
このデータの元資料である四谷税務署の納税者リスト実物の画像がどこかにあったが、また今度紹介)

数年前、リーマンショックで日本経済に激震が走っていたころの創価学会総会の席上、原田会長が財務のご案内とて「今経済的に大変なときですが、皆さんよろしくお願いします」と平然と言い放ったことがある。それを聞いて私は唖然とした。資産10兆円と言われる超金持ち教団が、よくかくも世情を無視した無慈悲な苛斂誅求ができるものだと。かくして、末端会員はやせ細り、職業幹部は蓄財で太り続けていくのだ。

少欲知足の大聖人のお姿を御書から学ぶにつけ、組織や池田以下職業幹部が太り続けていく財務(供養)システムはやはりどこか間違っているとしか思えない。