サイストリーの実践にあたって、いくつか注意していただきたいことがあります。 今までにお話ししたことと重複する項目もありますが、ここでもう一度まとめておきたいと思います。 サイストリーの実践によってできあがった記述は、絶対に誰にも見せてはいけません。サイストリーに他者の要素が入り込む、一番の原因になってしまいます。 パスワード機能をうまく使って、他者の侵入を防ぐことが必要です。 サイストリーは、自分だけのものです。記述が進まなくなったからといって、他人の記憶をあてにすると、偽りの歴史から、なかなか抜け出せなくなってしまいます。 誰か特定の読者をイメージして、サイストリー記述を行ってはいけません。 どうしても他者の要素が入り込んでしまい、サイストリーの効果が半減してしまいます。 イメージする読者は、誰でもない誰かまたは、超越的存在です。 サイストリー記述中には、大脳辺縁系の情動発生処理が起こり、さまざまな感情として表れてきます。 その感情を押し殺してはいけません。どんどんそのときの感情を、言葉にして記述していってください。 強い情動が発生しているときには、まとまった文章にしようなどと考えずに、断片的な言葉のまま、どんどん記述していってください。 同じ言葉を何度打ち続けてもいいのです。どんなに下品な言葉を使ってもいいのです。 それをしばらく続けていると、だんだん情動発生処理が収まってきます。 そうして気持ちが落ち着いてきたら、適度に修正を加えて、まとまった文章にすればいいのです。 サイストリー記述では、パソコンの持つ電脳空間(サイバー・スペース)を、守られた安全な空間として、そのなかで自分自身を自由に表現していきます。 この守られた安全な空間というのは、他者の存在が完全に排除された非日常的空間になります。 したがって、日常的空間から非日常的空間に入るために、自分自身に対してハッキリと宣誓を行う方が望ましいわけです。 それは、非日常的空間から日常的空間に戻る場合でも同様です。 もし、開始の宣誓を行わないと、日常生活で気がかりなことがある場合など、なかなかサイストリー記述に集中できないでしょう。これでは、貴重な時間をムダにするだけです。 また、過去のつらく悲しい出来事を記述中に、なにかの事情で中断しなくてはならなくなったときなど、きちんと終了の宣誓を行わないと、その感情を長く引きずってしまうかもしれません。 さらに、ある人に対する怒りや憎しみを記述中に、中断しなくてはならなくなった場合には、新たなストレスの原因にもなりかねません。 たとえば、サイストリー記述を中断後、すぐにその人と顔を合わすようなことがあったとしたらどうでしょう。 きっと、怒りや憎しみの情動発生処理が起きてしまうでしょう。 これらの状態を防ぐために、サイストリー記述の開始時と終了時には、2、3回深呼吸をしてから、次のような宣誓を行います。 慣れてきたら、心のなかで宣誓を済ませてもいいのですが、最初のうちは、きちんと声に出してゆっくりと宣誓することが望ましいでしょう。 (始めるとき) 「今からサイストリー記述に入ります。サイストリー記述中は、自由な心を獲得するために、真実の歴史を紡ぎ続けます」 (終わらせるとき) 「これでサイストリー記述を終わり、現実の世界に戻ります。私の心は、とても穏やかで落ち着いています」 サイストリーを実践するためには、ある程度の言語能力が必要になります。また、サイストリーとは一体どんなものなのか、ある程度の理解がなければ、実践しても効果が期待できません。 そうした言語能力が身につき、サイストリーに対するある程度の理解が可能になるのは、思春期以降でしょう。 しかし、思春期には、どうしても心が不安定になります。そんなときにサイストリーを実践すると、情動発生がうまく制御できず、かえって病気にかかってしまったり、精神的に危険な状態に陥ってしまうかもしれません。 サイストリーの実践は、あくまで一人きりで行います。したがって、ある程度の精神的自立が必要になります。 そうしたさまざまな条件を考え合わせると、思春期が終わって落ち着きを取り戻す18歳以降が、サイストリー実践の適用年齢になるでしょう。 18歳未満の方で真実の歴史を紡ぎあげたいと考えるなら、本格的なサイストリー記述は不向きです。 もし、どうしてもという場合には、心理療法家やカウンセラーなどの守られた安全な空間を提供してくれる専門家に、心理療法を受けるのが一番安全です。 18歳未満の方は、まず、パソコンで日々の日記をつけることをお勧めします。 第2章でもお話ししたとおり、日記を書くだけでも、相当に心理療法的効果が得られます。さらには、文章表現力もアップして、自己表現もどんどん上達するでしょう。 ただし、過去に戻って、そのときの記述を本格的に行うのは危険です。止めてください。 日記を書くことと同時に、サイストリーについて、何度も読み返してください。知っておいて、損はありません。 不安や恐怖、ストレスのメカニズムを知っているだけでも、相当に役立つはずです。 いたずらに苦しい恋を繰り返すこともなくなるでしょう。麻薬や新興宗教などの危険な誘惑からも、身を守る智恵が身につきます。 18歳未満の方でも、身近にサイストリーを実践して実感を得られた人がいる場合、サイストリー実践が可能になります。その人に、守られた安全な空間を提供してもらうのです。つまり、専属の心理療法家になってもらうわけです。 サイストリーを実践して確かな実感を得られた人が、18歳未満の自分の子供などに勧める場合も考えられます。 どちらにしても、18歳未満の方がサイストリーを実践する場合には、守られた安全な空間の提供者が必要です。 守られた安全な空間の提供者は、サイストリー実践者に対して、全責任を負うことになります。 サイストリー全般に対する深い理解も、もちろん必要になります。そして、一番重要なのは、いつでもサイストリー実践者のことを、しっかりと見守り続けることです。 そもそもサイストリーは、現代社会の担い手の方々を対象に体系化されたものです。 もし、多くの方々に自由な心を獲得していただければ、現代のようなストレスに満ちた社会が、もっと暮らしやすい社会に変わるでしょう。 サイストリーの体系化には、そうした切なる願いが込められているのです。 夢というのは、朝になって思い出すことがあっても、まったく意味不明というものが多いでしょう。しかし、それを記述していくと、ときに自分自身の心の問題に気づくことがあります。 特に、ある一時期に何度も見た夢や、今でもときどき思い出す夢というのは、非常に重要な意味を秘めています。それをしっかりと記述しておけば、あとになってから、人生上の大きな意味についてわかってくることが多いのです。 ファンタジーについても、同様です。 特に、性的なものや暴力的なもの、オカルト、超能力など、誰にも話すことができないファンタジーについて記述を続けていくと、自分の心の問題について、示唆を与えてくれる場合があります。 なかでも、強い恥ずかしさを感じたり、自分の正気を疑って不安になったりするようなファンタジーは、心の問題に直結していると考えられます。 守られた安全な空間のなかで、安心してそのすべてを記述してください。きっと、大きな気づきが得られることになるでしょう。 夢と同様、ある一時期に何度も思い浮かんだファンタジーとか、よく思い出すファンタジーには、重要な意味があると考えられます。これを記述しておくと、後々になって、その重要な意味に気づくことができるでしょう。 錯覚や幻覚についても、何度も思い出したり、気にかかったりするものは、なにかの意味を持っていると考えられます。 それを記述することにより、新たな展開が開けてくる可能性があります。 サイストリーを実践していると、記述が進まなくなるときがあります。 なにも記述する内容が、浮かんでこなくなってしまうのです。 こんなときには焦らずに、現在の気持ちをサイストリーの最後に記述してみましょう。 なにも浮かんでこなくなったときには、前頭前野が必死になって、抑圧を強めていると考えられます。つまり、もう少しで、自分自身を苦しめ続けていた内容が出てこようとしているのです。 このような場合、現在の気持ちを言葉にして、どんどん記述を続けていると、抑圧が解け、ふっとなにかが浮かんでくることがあります。それをしっかりと捕まえて、記述するようにしましょう。 それでも、なにも浮かんでこない場合には、いったんサイストリー記述を離れ、気分転換することをおすすめします。ほかの用事を済ませたり、散歩をしたり、テレビを見たりして、のんびりと過ごすのです。 場合によっては、何日にもわたって、なにも浮かんでこなくなることがあるかもしれません。 それでも焦ることはありません。なにかが浮かんでくるまで、サイストリー記述を中断していればいいでしょう。 ただし、なにもしないで待つこと自体にイライラを感じる場合には、気分転換の一環として、過去の記憶を刺激するという方法もあります。 たとえば、アルバムや以前つけていた日記をひもといて眺めていると、すっかり忘れていた記憶がよみがえることがあります。 学生時代のノートが残っていれば、それを読むのもいいでしょう。 思い出の品物が残っているのであれば、それを手に取って眺めてみるのもいいでしょう。 可能であれば、過去によく行った場所を訪れるという方法も有効です。ただし、そのときには、のんびりと散策でも楽しむような心のゆとりが大切です。 どんな場合でも、自分自身をあまり急激に追いつめるような行動は、かえって逆効果です。強い不安や恐怖に襲われて、いたずらに苦しみ続けることにもなりかねないからです。 なにも思い浮かばなくても、意識できないところで、脳全体はさまざまな処理を続けています。そうして、自分自身を苦しめ続けていた内容を意識化する準備をしていると考えられます。 ときには気長に待つことも必要です。 サイストリー実践中、心に浮かんできた内容を記述したくないと感じる場合があります。こんな場合には、大きなチャンスだと思ってください。 なぜなら、その浮かんできた内容が大脳辺縁系の記憶そのものか、または大脳辺縁系の記憶と直結していると考えられるからです。そのせいで、前頭前野が不快の情動発生処理を恐れ、記述したくないと感じるわけです。 したがって、その内容を記述しつくすことができれば、大きな心の自由が得られるでしょう。 心に浮かんできた内容が、今までに何度も詳しく思い出したものだったとき、今さら記述する必要はないと感じる場合があります。 しかし、心に浮かんでくるということ自体、深い意味が隠されていると考えられます。 その内容を詳しく記述しているうちには、今まですっかり忘れていた細かい内容が思い出されてくるかもしれません。 そして、そこの部分にこそ、大きな人生上の問題が隠されているかもしれません。 サイストリー実践中に、楽しい想い出が浮かんでくることもあります。 心の問題となるような記憶は、ふつう悲しくつらいものだと考えられているため、楽しい想い出に関しては、記述する必要がないように感じるかもしれません。 しかし、やはり心に浮かんでくること自体、なんらかの深い意味があると考えられます。 たとえば、スポーツなどの競技会で優勝したときの記憶というのは、ふつうに考えれば、もっとも楽しい想い出の一つでしょう。 しかし、どんなスポーツでも、頂点に立つためには、厳しい練習が必要になります。その練習時間を作り出すために、犠牲にせざるを得なかった、なにかがあったのかもしれません。 恋愛、気の合う仲間との楽しいひととき、楽しみにしていた家族旅行など、さまざまなものが考えられるでしょう。 特に、前章第4節でお話しした助けてくれた人たちの記憶に関係するような、強烈な恋愛を犠牲にしてしまった場合、あまりのつらさから抑圧してしまう可能性が高いと考えられます。 そのような大脳辺縁系の記憶が、楽しい想い出に隠れるように存在するかもしれません。 つまり、どんな内容でも、心に浮かんでくるということ自体、深い意味があると考えられます。したがって、そのすべてを記述する必要があるのです。 |