江の島岩屋探検隊
と言っても私一人なのですが。歌川考重の描いた岩屋の浮世拡 3景
寛政9年〜安政5年(1797〜1858)
作品名 本朝名所 相州江ノ嶋岩屋之図
制作年 天保3年(1832)
寸法 大判横1枚(34.5cm×21.1cm)
板元 藤岡屋彦三郎
所蔵者 ●藤沢市
作品名 「相州江之嶋岩屋ノ口」
版元 彫竹
所蔵者 ●藤沢市
作品名 相州江乃嶋辨才天開帳詣本宮岩屋の図
制作年 弘化4年〜嘉永5年(1847〜52)
寸法 大判3枚続(73.9cm×36.9cm)
板元 住吉屋政五郎
所蔵者 ●神奈川県立歴史博物館
江の島岩屋は波の浸食によって出来た自然の洞窟で古くから信仰の対象として親しまれてきました。江の島には龍窟と呼ばれる現在も侵食進行中の洞窟もあり、中村屋羊羹店の所の山2ツも侵食された洞窟が崩れ落ち現在のような谷になったとされています。
この岩屋をデジカメ片手に探検してみます。なるべく岩屋内の雰囲気を再現するため、フラッシュ無しで撮影しています。
この岩屋洞窟は金窟、龍窟、蓬莱洞、神窟、本宮岩屋、龍穴、神洞などさまざまな名で記され『新編相模国風土記稿』には
「龍穴の東に列在して第二・第三の窟を白龍窟と呼び、第四の窟中に龍池あり、第五の窟を飛泉窟と呼び窟中に滝がある」と記されています。
この岩屋に最初に人が入った記録は寿永元年(1182)4月5日、源頼朝を先頭にして鎌倉武士47名が
しかし記録には無いが好奇心旺盛な名も無き漁師の一人がはるか以前にたいまつ片手に探検した筈だ。
しかし再開の要望強く平成5年4月に藤沢市によって完全に補修され、又入窟出来るようになりました。現在は藤沢市によって管理されています。写真は絵葉書に残されたかつての第一岩屋入り口
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その歩道橋を進んで行くと第一岩屋に入る横穴があります。
ただし、波風があって危険な時は閉鎖。
入洞料は大人500円。
子供250円。
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第一岩屋の入り口から見ると魚板岩が見えます。
右の階段を降りると岩場に出ます。
第一岩屋には、かつてのように洞窟の前からではなく、上の写真の横穴から入る事になります。
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2本の水色の柱は中で泡が出ていて我々を迎えてくれます。
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通路の上には屋根が付けられ落石の危険から私達を守っているものの、半透明の屋根では天井は殆ど見えずかつての様子では無い。
安全のためには仕方ない事ではあるが。
足下は岩と海水で浸され少年が遊んでいる。
大正12年(1922)9月1日の関東大震災で江の島付近は60cm〜1m隆起しました。
そのため以降海水が洞内に入らなくなってしまいました。
震災前の写真(下左)と現在の写真(下右)を比べてみましょう。
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ここでは何も言わずに納得して先に進もう。
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さすがに神々しいお顔ではあります。
洞内のところどころにはかつて岩屋内に祭られていたさまざまな石像が置かれています。
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かつての岩屋内に置いてあった石像群です。
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一つ目の柵の上からもう少し近づいて見ます。
夏季の奥から来るひんやりした風は富士山からの風と伝えられてきました。
フラッシュ撮影で明るく写っていますが、今とあまり変わっていません。
絵葉書に記されているのは
相州 江之嶋窟内大神宮奥之院並二日蓮上人ノ寝婆石
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これは途中にある石像。このお姿は日蓮上人でありましょうか。
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黄色の石造物は滑らかに光ってめのうの様。
最奥部の右に不自然に曲がった部分は戦時中に日本軍が掘ったとの説もあるが未確認。
良い風情です。
現在の岩屋も床だけでも板のすのこにしたらぐっと良い感じになるのだがそうも行かないのだろうなあ。
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それが古くからの岩屋信仰につながったと思われます。
もっと近寄るともっと良く見えるでしょう。
左の絵葉書には年賀状として使用した、謹賀新年と明治の文字が見える。左の絵葉書も明治後年のものと思われる。
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潮位によって見え方が違うが写真はベストショット。
カメが沖に向かって泳いでいる様子そのままなので亀石を呼ばれる。
カメは長寿の象徴。手を合わせよう。
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この後、岩屋の岩壁が崩落の恐れがあるとされ昭和46年3月入窟が禁止されました。藤沢市によって平成5年4月に補強再開されたのは前述の通り。
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写真は高感度で撮影後、本物よりちょっとばかり余計に石を光らせて頂きました。
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写真はその2つの穴が一つになる部分。
紫の光は案内燈で怪しいものではございません。
しかし床が舗装なのは残念。
歩きやすいですけどね。
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いつもは暗くて目をこらさなければ見えないほどだが、
ゴロゴロすごい音で年よりはひっくり返りますよ。
右の写真は光った瞬間のもの。光はともかく、音は大きすぎるんじゃないかなあ??
せっかくですから、龍神様のお顔をもう少し近寄ってみて見ましょう。
目つきが良いですね。
いたずらされないように金網が張ってあります。
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現在では下方が鉄板で仕切られて海水の進入を防いでいる。
左の大きい方の出入口は屋根が出来て良く見えなくなってしまいました。
関東大震災の後ですから、いくらか隆起した後の写真ですが、岩肌がザラザラでポロポロこぼれてきそうでやはり補修補強しなければならなかったのかと感じさせる写真です。
中村屋羊羹店の下にあたります。