江戸時の鐘 − 赤坂
   現状:鐘が多摩市成満寺で保存されている
     赤坂には存在を示すものが何も無い
   江戸時代所在地:港区赤坂3丁目(田町)
   鐘の保存場所:多摩市連光寺町4丁目20番
赤坂時の鐘
「時の鐘」として赤坂の地に建てられたのは、赤坂の高台にある円通寺からであった。いつ「時の鐘」が始められたかは定かでないが、この寺が建立されたのが寛永2年(1625)で、梵鐘の鋳造年が天和3年(1683)とあり、元禄2年(1689)に出版された「江戸図鑑綱目」には「円通寺時鐘」とあるので、天和3年以降に始められたのであろう。
その後、元禄8年(1698)2月、大火で焼失する。そこが御用地になるため、移転先を探していた。鐘の音が伝わりやすい代替地を願い出ると許され、その年の4月、近くの坂上の南側に移転している(下図青〇印)。こんないいロケーションに設置されたのに、どういう理由からか、ある時期から「時の鐘」が撞かれなくなったのである。

赤坂田町の成満寺は延享5年(1748)4月8日に新鐘が造られ、5月7日にこの鐘で法会を行っている。そして6月18日、月番の寺社奉行であった稲葉丹後守の屋敷で、松平宮内少輔や大岡越前守が列席して、越前守より「時の鐘」が許されることとなる。そして同年8月28日の明け六つより撞き始められた。
その後三十余年が過ぎたある日、鐘楼堂が大破してしまい、天明元年(1781)に再建不可能との届を出して、「時の鐘」を休止することとなった。さらに享和3年(1803)6月26日に類焼をこうむり、再建できなくなってしまった。
成満寺は昭和35年(1960)に多摩市連光寺町4丁目20番2号に移転して、鐘は保存している。

大江戸時の鐘音歩記
2005/12
赤坂時の鐘(赤丸) 大江戸時の鐘音歩記
円通寺時鐘 江戸図鑑綱目(1689年)
同上拡大 この時期成満寺は見られない
円通寺の梵鐘
円通寺は、寛永2年(1625)赤坂三分坂上の松平安芸守中屋敷内の拝領地に開創し、時の鐘を撞いていました。元禄8年(1695)2月の大火で焼失し、替地を他の場所に賜ることが内定していましたが、時の鐘を撞くため、近くに賜ることを願い出たため、現在地に寺地180坪あまりを拝領し移転しました。
円通寺の梵鐘は、「十二支の鐘」とよばれ、銘文中に「鼠・牛・虎・兎・竜・蛇・馬・羊・猿・鶏・狗・猪」の文字を使った七言律詩が刻まれています。宝暦(1751-64)ころまでは、時の鐘を撞き、地域に親しまれていました。
太平洋戦争のため供出されましたが昭和50年に板橋区の寺院にあることがわかり譲り受けました。
港区 文化財のしおり
成満寺の場所 分間江戸大絵図(1828)
成満寺 赤坂絵図(1861)
現在の赤坂田町(赤坂3丁目)
江戸時代の赤坂田町は現在の赤坂3丁目、田町通りと中町通りに挟まれたところにあった。
現状は飲食店街として有名な場所で東京で有数の繁華街である。
赤坂中町通り
現在の時の鐘
赤坂時の鐘  成満寺には鐘楼が無い。台の上に置かれ保存されている。
成満寺

上:本堂

右:門
円通寺
上:梵鐘(区登録文化財)

右:鐘楼

下:本堂
現在赤坂に円通寺はあるが、成満寺は移転して存在しない。跡だけを示す。
現在の成満寺 多摩市
江戸前期時の鐘
江戸後期時の鐘