曹洞宗 諏訪山 吉祥寺
すわさん きちじょうじ
住所:文京区本駒込三 最寄り駅:都営南北泉本駒込駅
その寺は多くの学僧を育てていた、その仕組みが「駒澤大学」となった。そして門前に暮らしていた人々が移転して村を作り、村には寺の名前をつけた。その寺が吉祥寺である。
吉祥寺 江戸名所図会
左端中段に「講堂」がある。右下段には「総門」があり、その中に多くの「学寮」が見られる。この僧侶教育システムが「駒澤大学」となったのである。
日光道中(街道)にある吉祥寺
群馬永源寺末、大雄山孫末。長禄2年(1458)太田持資(道灌)の開基で青巌周陽によって開山。道灌は江戸城築城に際し和田倉付近の井戸から吉祥と刻銘した金印を得、これを瑞祥として青巌を請じて西の丸に建立した。山号はこの地が諏訪神社の社地であったことによるという。天正19年(1591)第5世用山元照の代に徳川家康より寺領50石を寄せられ、同時に神田駿河台に移り、明暦の大火(1657)後現在地に移転。駒澤大学の前身である栴檀林(せんだんりん・私学)は5世用山の創立で宗門の禅学を修得する道場であり、江戸中期から洞門に数千の人材を送った。江戸四ヵ寺の一として堂宇は壮麗を極めたが42世仏海宗国の代から絶海勝俊に至り震災と戦災にあい焼失。昭和39年大本堂、庫裏、庭園等を落成した。榎本武揚、川上眉山、二宮尊徳の墓がある。
全国寺院名鑑
本尊は釈迦如来。当寺は長禄年間(1457-60)太田道灌の江戸築城の際、井戸の中から「吉祥」二字を刻んだ金印が出たところから、吉祥庵と称する小堂が建立されたことに始まる。当所は和田倉(現千代田区)にあり、大永年間(1521-28)に青巌周陽を中興開山として吉祥寺と号した。江戸城将遠山氏の菩提寺として保護を受け、中興開基の遠山直景が国府台合戦で戦死すると、当寺に葬られたという。天正19年(1591)徳川家による江戸城拡張のため、神田台に移転。水道橋が当寺の表門であったと伝える。さらに明暦大火で現在地に移転。近世には徳川将軍家が帰依し、天正19年には徳川家康より朱印地50石(千駄ヶ谷村のうち)を拝領し、その後も什器を拝領。また栴檀林(現在の駒澤大学の前身)など、学寮30軒、塔頭五ヵ寺が設けられるなど、江戸における曹洞宗の有力な寺院であった。
日本歴史地名大系
東京都の地名
山門・栴檀林
山門は両袖に潜戸をつけた四脚門。享和2年(1802)再建で、江戸後期の特色を示している。「栴檀林」の扁額は安永7年(1778)焼失した門に掲げてあったものを拓本によって復元し、享和2年再建の時掲げたものである。
栴檀林は曹洞宗の修業所であった。学寮・寮舎を備え常時一千人余の学僧がいた。各寮には学徳兼備の者が選ばれて寮主となる。寮主はさらに役員を選び、これら役員によって学問の指導や日常生活が話し合いによって運営された。教科目は内典(仏教)外典(げてん・漢額)で、江戸の中間期以降は漢学が重視された。それで僧侶以外でも縁故のある旗本の子弟・寺侍に聴講を許した。この栴檀林は、現在の駒澤大学に発展していった。
ぶんきょうの史跡めぐり
文京区教育委員会
経蔵(区指定有形文化財)
文化元年(1804)焼け残った基壇上に旧規により再建された。二重宝形(ほうぎょう)造、桟瓦葺(さんかわらぶき)で、構造形式は初重部と二重部からなる。頂に、青銅製の露盤宝珠(うばんほうしゅ)を載せる。各部の彫物の意匠はすばらしい。また、内部の八角の経典を所蔵する輪蔵がある。ここが栴檀林の図書収蔵庫であった。
文京の史跡めぐり
釈迦像
濡れ仏のお釈迦様は江戸期無縁仏のために多くの人々によって建立されたものです。
駒込吉祥寺由緒
二宮尊徳の墓
尊徳(1787-1853)相模の人、通称金次郎。江戸末期の農政家。小田原領下野の桜町領を復興したことで知られる。
ぶんきょうの歴史めぐり
吉祥寺村
現武蔵野市の東部に位置し、西は西窪村。村の南西端を玉川上水が南東に向かって流れる。明暦3年(1657)1月と翌年1月に江戸で大火が発生、罹災した本郷元町(現文京区)にあった吉祥寺門前の浪人や農民らが五日市街道沿いに移住し、開拓したところから村名がつけられたとされる。幕府はこれらの大火を契機に大規模な都市計画を実施、万治2年(1659)江戸市内に居住していた町人・農民に立ち退きを命じ、彼らに「札野」(牟礼野ともいう)の新墾地を代替で与えるとした。札野とは武蔵野の原野の一部で、幕府御用の萱場のことである。5年間は扶持米(食料)を与え、造宅費用は貸与するという条件をつけ、希望者は勘定書へ申請させた。
日本歴史地名大系 東京都の地名
吉祥寺栴檀林
吉祥寺栴檀林を引き継いだ駒澤大学。
「寺」の着く地名は数多くあります。そしてそれらは「寺」の存在から地名がつけられたものであります。しかし、武蔵野市吉祥寺には「吉祥寺」は無いのであります。「武蔵野市」という地名は知らなくても「吉祥寺」を知っている人は大勢おります。「ジョージ」とも呼ばれる若者の町であります。この町の名前の元になる寺が駒込の吉祥寺であることはほとんどの人が知らないことと思います。まして、各種スポーツでも名前が出、大学野球リーグ東都六大学の一つ「駒澤大学」の前身が吉祥寺の壇林だったことを知る人はまず居ないのではないでしょうか。
武蔵野市吉祥寺
2003/11
山門
栴檀林の扁額
本堂
経蔵
二宮尊徳墓
吉祥寺駅