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曽野綾子

 十一月二十八日付け(一九九五年)の朝日新聞の記事に、いささか目の覚めるような文章があった。
 東京都は新宿駅西口の地下通路に「動く歩道」を計画した。ところがそこには、路上生活者約百人がいたので、とは品川区内にあるベトナム難民の宿泊施設内に、彼らを移そうとした。
 「これに対し地元の品川区は、都が地元の了解を得ないまま計画を進めていたことに加え『難民とホームレスの人たちがトラブルになる可能性が強い』と反撥、計画は棚上げになっている」という。
 ベトナム難民の宿泊施設というのは、品川区内八潮の国際救援センターだという。ベトナム難民の自立を助ける目的で、一九八三年に開所。今までに約五千人がここにいたが、年々人数が減ったので、今は約五十人しかいない。八棟のうち六棟が空きになっているので、そこに難民と別の食堂やシャワー室などを作ることで、外務省と合意に達していたという。
 品川区の相見昌吾助役は「生活環境が全然違う人たちが同じ敷地の住むのは無理があり、トラブルになる可能性が強い」と言っているという。
 朝日新聞の記事には、写真家・藤原新也さんの話というのが載せられている。
 「ここ数年にわたる都庁周辺のホームレス排除行政は、最も華美を極めたオフィスの居住者が段ボールという最も貧困な家屋の居住者を自らの居住空間の快適性のために、あたかもごみのように清掃しようとする利己性が根本にあると見ている。(中略)
 だからベトナム難民とホームレスをまとめて一緒にするというような人間の固有性を無視した発想ができるのである。このような役人の社会勉強のためにも、ホームレスの方々には居座ってもらったほうが良い」  ホームレスは明らかに不法占拠である。私はホームレスのことを少し調べたこともあるから、この人達の生活の選択の方法について、決して単純に全員失業者だとか「最も貧困な家屋の居住者」というような見方をしない。心ならずと住むところがなくなった不運な人ももちろん一部にはいるだろうが、ホームレスの中には、「自由人」の境遇を自ら選んだ人もいる。そのことをホームレスの人は、はっきりと誇りを持って言う。
 「誰かの下で拘束されて働くような惨めな境遇にはいない」と。
 私はその言葉に深く敬意を払い、深く同感して触発され、後年、朝日新聞に『夢に殉ず』という連載小説を書いた。その主人公は、ホームレスではないが、一生無職に徹し、その代わり、金とも名誉とも権力とも現代日本の物質的豊かさとも無縁であることをきっぱりを選んだ矮小な魂の輝く「自由人」である。
 しかし一方、日本は法治国家である。公共の部分は、国民の共通の福祉利益のために厳正に使われるべきである。山口敏夫・元労働相の事件が示すように、公共の金でも物でも私物化していいという事はまったくないのである。
 今から三十五年前、初めてアメリカで運転免許を取ったとき、ワシントン州の運転免許取得の手引きには、次のような意味の文章があった。
 「本来人間は、どこに、どのような方法で、どのように移動することも自由、という権利を持っている。しかしこの複雑化した社会では、人権を守り、安全を確保するためには、お互いがいささかのルールを守る必要が生じた。このことに協力してほしい」
 私はこの文章の精神に打たれた。私が仮に金持ちで、出勤の時には象に乗って高速道路を横切って行きたいと思っても、他の人々のために、私は交通ルールを守らねばならなくなったのだ。
 この原則はいうまでもなく、今でも同様である。決して特定の人が、公共の場所を占有していいことはない。駅など公共の場所に、エレベーターやエスカレーター、「動く歩道」などを設置することは、長寿社会うの中でできるだけ長く老人の自立を確保するためにも必須の処置である。
 一方この写真家が言う「固有性」を保って暮らす自由は誰にもある。しかしそれは少なくとも、公共の場所とか、他人の家とかに侵入しない範囲に限定されている。そんな「非常識」は許されない、と知っているからこそ、多くの善良な市民が、自分の家を確保するために苦労している。路上にできるだけ長く居座れ、などという言い方は、他の多くのまともな市民に対する無礼であろう。
 問題は、ただ追い立てた場合のことだ。行く場所もなく、いきなり出て行けということは気の毒だ。私はかなり長い間世界の最も貧困な生活を知ることに時間を費やしてきたが、異質の文化をもつ他国の人との衝突まで考えて、シャワーから食堂までを別にするような配慮があるところに移転せよということが、どれだけ「ぜいたく」なことか、である。そんなことまでしてくれる国が世界にどれだけある、というのだ。この写真家は「あたかもゴミのように」彼らを動かすなどと言っているが、アフリカや南米の最貧困地帯へ行けば、人間がゴミとして扱われるというのはどういうことか、わかるはずである。雨風が凌げ、水洗トイレ、シャワーつきの場所に移転させる、ということが、どれほどの配慮か、アフリカで、自分が座り込んだ地面の周辺の草を食べている人達にも聞くべきだろう。
 日本では今仕事がない、というが、私の周囲はみな人手不足だ。ただ、失業者も日本では仕事を選んでいて、少しでも三K的な場所には就かない。つまり女子学生の就職難にしても、「仕事がない」のではなく、「好きな仕事はない」ということだ。
 先日久しぶりにダムの現場に行って雑仕事の労務者の報酬を聞いたが、今でも一日一万九千円くらいになるという。この値段が安くならないということは「安くてもいいから働きたい」という人がいないことである。私は労働力のダンピングを決して期待しているのではないが、「顎(食事)、寝るとこつき」の現場でさえ、二万円近い日当でないと、人は行かないのだ。
 それにしても、朝日新聞はやはり不思議な新聞だ。福祉と、公共のものを独占することの、違いさえわかっていない記者に記事を作らせる。こういう非常識、非社会的な新聞は、うちの子には読ませられない、と言えるほどの記事である。なぜなら、この破壊的な意見に対して、反対の意見も載せられていないところを見ると、朝日新聞はこの写真家の意見だけを支持しているのだろう。
 新宿を終われたホームレス諸氏には、全員、朝日新聞社に移住することをお勧めする。隣は築地の卸し売り市場だし、あの新聞社の豪華な一階ロビーあたりに移住して、ダンボールの家を作れば、決して「ゴミのように清掃」されたりはしないはずである。