びんぼう / Bimbo (2011.3)
 3月10日に収録が行われた佐野元春くんのNHKーFM番組は実に楽しいものでした。沢山の質問が浴びせられましたが、『びんぼう』について聞かれ、ジム・リーブスの「Bimbo」という曲がヒントだと答えました。

 

 “空耳作曲”とでも言いましょうか、このパターンも私の得意業のひとつであります。

 外国語(未知)が流れてきた場合、自分の中では“自国語のフィルター(既知)”が先に通ります。そのフィルターの中で“類似”しているものを探すわけですね。しかもかなりのスピードで行われるようですから、手近な語句を拾って来ます。“Bimbo、Bimbo”が“びんぼー、びんぼー”と聞こえてきても、日本人としてはフシギではないわけです。

 ジョニー・ソマーズの『内気なジョニー』という曲があります。



 この歌の、

 「Johnny, show me that you care, really care for me

 の“care, really care for me”を私のムスコは“けーみに けんぽんちーーん”と歌っておりました。

 このようなエピソードは世の中には沢山転がっていることと思います。幼児の場合、まだ自国語フィルターに語彙の蓄積がないので、自分の範疇で発音(言語化)している、ということなのでしょうね。

 ラジ関時代には“空耳投稿”が沢山あり、有名なものに『指切り』の、

 「きみは とても鋭い爪で ミカンの皮を

 を《ツメデみかん》という、温州みかんとか愛媛みかんのような固有名詞だと思っていた、というのがありました。詞から考えれば《鋭い爪》は本来なら“一語”として捉えるべきなのですが、爪の鋭さが“とても”とあるので、ここは強調する意味合いで《ス・ル・ド・イ》とカタカナのイメージで切り気味に歌い、間に休符を入れて次の“爪でミカン(の皮を剥く)”へと続く、映画の2カット風にしたつもりだったのです。(いちいち“説明”が要るんじゃ“歌”じゃないですネ(笑))

 日本語の文節の切り方としては非伝統的だったために《爪手みかん》という珍種を一部で作ってしまったというチャンチャンな一席ではありました。(“鋭い”爪手みかん・・・)

 “伝達ゲーム”もそうですが、どの“音”がその人の中でどんな“語句”となっているかは、なかなか見当がつかないものですが、どちらにせよ、その人の中の“フィルター”にあるもの、ではあるわけです。『空耳アワー』の常連投稿者“高橋力”さんは、「出来るだけ“日本語で聞く”努力をする」と採用されるテクニークを延べておられました。

 1979年、南海ホークスに Frank Ortenzio という選手が入団しました。カタカナでは“オーテンジオ”ですが、選手登録名は《王天上》。おーてんじょう→王天上、としたわけです。南海球団はコレが得意で、1961年入団の Hadley(ハドレー)を“ハドリ”、翌62年入団の Peterson(ピーターソン)を“ピート”と縮めました。王天上・ピート・ハドリと、要するに“活字三文字”にしたかった、ということでしょうか。

 王天上は“空耳”という範疇とは別かもしれませんが、とにかく通常《外国語は最初に自国語フィルターを通る》わけです。

 次の曲は“好きな人”には有名な曲です。



 当然“がまぐち(蝦蟇口)”と我々には聞こえるわけですが、他の部分も空耳の宝庫です。

 70年代にこの曲に出会っていたら、『びんぼう』の続編として布谷文夫くんに歌ってもらっていたでしょうね、『がまぐち』。

 「ニキニキ貧乏 今日三隣亡
 がまがまぐーち がまがまぐーち



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