現在位置:
  1. asahi.com
  2. ニュース
  3. 社会
  4. その他・話題
  5. 記事

村去る子どもたち、最後のスクールバス 避難進む飯舘

2011年6月10日17時50分

印刷印刷用画面を開く

Check

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

写真:隣接する川俣町の中学校にスクールバスで向かう、福島県飯舘村立草野小学校1年生の高野龍晴君(手前)ら飯舘村の小学生たち=10日午前8時21分、福島県川俣町、山本裕之撮影拡大隣接する川俣町の中学校にスクールバスで向かう、福島県飯舘村立草野小学校1年生の高野龍晴君(手前)ら飯舘村の小学生たち=10日午前8時21分、福島県川俣町、山本裕之撮影

 福島第一原発の事故で「計画的避難区域」に指定され、住民の避難が進む福島県飯舘村で、村内の子どもたちを隣町の間借り先の学校へ運んできたスクールバスが10日、最後の運行日を迎えた。村は、今月下旬の避難完了を目指しており、残っていた子どものほとんどが、バスがなくなるのを機に村を離れる。

 午前8時前、幼稚園児と小中学生約20人ずつが乗った村のスクールバス2台が集合場所の公民館などを出発し、隣接する川俣町へ向かった。「行ってきます」と元気に手を振る子どもたちを保護者が見送った。

 小学1年生の高野龍晴君(7)は来週、父親の職場がある同県相馬市内の小学校に転校する。バスに乗る前、「せっかく友だちができたのになんで転校しなきゃいけないんだろ。嫌だな」とこぼした。祖母の高野京子さん(52)は孫を見送り、「幼稚園の卒園式はできなかった。小学校の卒業式は村で挙げてやりたい」と話した。

関連トピックス

PR情報
検索フォーム

おすすめリンク

あの日から、何かが変わったのかも…。3・11後に夫婦が感じる意識のギャップとは?

地震、津波そして原発事故…。中国メディアの震災報道の変化から何を読み取るべきか。

福島第一原発事故の対応をめぐり、日米両政府の関係はギクシャクし、緊迫した局面もあった。連携の舞台裏を探る。


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内 事業・サービス紹介