チェルノブイリ事故による環境の放射性汚染
原子力システム研究懇話会
村主 進
(財)原子力発電技術機構
元理事 小笠原英雄
目次
1.放射性核種の放出と沈着
2.都市部の環境汚染
3.農地の環境汚染
4.森林の環境汚染
5.水中の環境汚染
6.被ばく線量
1. 放射性核種の放出と沈着
1986年4月26日(20年前)にチェルノブイリ原子力発電所で放射性物質を大量に放出するという深刻な事故が起きた。この事故では10日間に亘り破損燃料の高温状態が続き、このために大量の放射性物質が放出された。そして放射性希ガス、エアロゾル、燃料粒子の形状で放出された。放出放射能の総量は14EBqであった(注:1EBq=1018Bq(ベクレル))。主な放出放射能の内訳を第1表に示す。
第1表 放出された主な核種
(放出放射能は1986年4月26日の値に崩壊を補正)
核種 |
半減期 |
放出放射能 PBq(1015Bq) |
希ガス |
||
85Kr |
10.72年 |
33 |
133Xe |
5.25日 |
6,500 |
揮発性元素 |
||
131I |
8.04日 |
〜1,760 |
134Cs |
2.06年 |
〜47 |
137Cs |
30.0年 |
〜85 |
揮発性が中度の元素 |
||
90Sr |
29.12年 |
〜10 |
106Ru |
368日 |
>73 |
不熔融性の元素(燃料粒子を含む) |
||
95Zr |
64.0日 |
84 |
99Mo |
2.75日 |
>72 |
144Ce |
284日 |
〜50 |
241Pu |
14.4年 |
〜2.6 |
出典:チェルノブイリフォーラム報告書(2005年8月)
放出された放射性物質の浮遊距離は粒子サイズによって異なる。粒子サイズとしては大別して
@粉砕された燃料粒子
A蒸発後凝縮したサブミクロンサイズの微粒子
B放射性希ガス
に分けられる。
@の粉砕された燃料粒子は10μ以上のサイズで密度は8〜10g cm−3と高いので、距離と共に落下量は著しく減少する。そして90Srの90%および熔解しがたいPu、Amなどはこの燃料粒子中にある。このような粒子は最大数10kmまで到達するが、大部分は敷地内に落下しており、敷地外に放出された量はわずか1.5%の程度である。
A、Bのサブミクロンサイズの微粒子(凝縮粒子)の放射性物質および放射性希ガスは風によって北欧などの遠方にまで流され、雨とともに地上にフォールアウトとして落下した。その結果137Csの汚染で37kBq m−2(1Ci km−2)以上の汚染区域は200,000km2を越えている。第1図にチェルノブイリ原子力発電所より約300kmの137Csの汚染分布を示す。
放射性汚染による被ばくの経路は次の通りに分けられる。
(1)放射性雲の通過による外部ばく
(特に風下の発電所近傍の住民)
(2)フォールアウトによる外部被ばく
(3)放射性雲の吸入による内部被ばく
(4)フォールアウトによる内部被ばく
(汚染食品、汚染水の消費による)
フォールアウトによる被ばくは、事故後2ヶ月程度は放射性ヨウ素の影響が大きかった。しかしその後は134Csおよび137Csが重要核種であった。この数十年は137Cs、ついで90Srが重要な核種となる。100年〜1,000年後はPu同位体および241Amのみが重要な核種になると考えられている。このような推移は物理的半減期によるものである。
2. 都市部の環境汚染
汚染区域は上述のように広大であり、137Csの半減期は30年であるので、都市部を除き現在も137Csの単位面積当たりの汚染(kBq m−2)はそれほど減ってはいない。
都市部では降雨によってフォールアウトが洗い流されたり、道路の汚染除去などにより、表面汚染は著しく低下した。
現在では大部分の居住地では住宅の屋根、舗装道路のような硬い地表面の線量率は事故前のバックグラウンドレベルに戻っている。しかし人手を加えない庭、菜園および公園の線量率は高めである。
3. 農地の環境汚染
事故の直後は農作物や飼料植物の表面汚染が著しい。事故後約2ヶ月までは、放射性ヨウ素は飼料⇒乳牛⇒ミルクと急速に移行し、ミルク摂取者特に子供に大量の甲状腺被ばくをもたらした。特に事故時に乳用動物がすでに野外で飼育されていた地区ではその影響が著しい。しかし131Iは半減期が8日であるので、約2ヶ月後には殆ど崩壊してしまう。
約2ヵ月後からは土壌から植物の根を経由する放射性物質の吸収が重要になる。
放射性核種は雨と共に地表より地中への移行し、土壌マトリックスと結合して不溶性になる。不溶性にならないものは、次に植物の生物学的利用度によって吸収が左右される。(注:外部被ばくについて云えば、放射性核種が地中へ移行すると共に、土壌の放射線遮蔽効果により地上の線量率は低下する。なお土壌中には40Kが天然に存在し、土壌厚さ10cmあたり約40kBq m−2の放射能が存在する。)
粘土質の土壌、有機物含量の少ない土壌ではセシウムが土壌マトリックスと強く結合して不溶性になる割合が大きい(第2表参照のこと)。その上可溶性のセシウムについても、十分に施肥された状態では、植物の根の吸収においてカリウムやアンモニウムがセシウムと強く競合する(第2表参照のこと)。また放射性核種が植物の根の存在する範囲外に移行すれば根に吸収されない。
第2表 放射性セシウムおよび放射性ストロンチウムの土壌‐生物学的感受性
放射性セシウム |
|||
感受性 |
土壌の特性 |
生物学的感受性のメカニズム |
土壌の例 |
高 |
・施肥量低 |
根からの吸収に対してカリウム、アンモニウムとの競合が弱い |
Peat Soils |
中 |
・粘土質を含む鉱物質よりな る低施肥状態 |
根からの吸収に対してカリウム、アンモニウムとの競合が中程度 |
Podzol |
低 |
・高施肥状態 |
・放射性セシウムは土壌マトリッ ・根からの吸収に対してカリウム |
Chernozems&Pozlluvisol |
放射性ストロンチウム |
|||
感受性 |
土壌の特性 |
生物学的感受性のメカニズム |
土壌の例 |
高 |
・貧堆肥状態 |
根からの吸収に対しカルシウムとの競合性が中程度 |
Podzol sandy soils |
低 |
・高施肥状態 |
根からの吸収に対しカルシウムとの競合性が強い |
Umbric gray soils |
出典:チェルノブイリフォーラム報告書(2005年8月)
放射性セシウムの植物への移行割合の生物学的半減期は多くの土壌に対して2つの半減期が見られる。すなわち
(1) 事故後4年ないし6年間:半減期0.7年〜1.8年
(2) その後の期間:半減期7〜60年(但しこの期間については減衰の見られないことを示すデータもある。)
例としてBryanskの汚染地域の穀物およびジャガイモの137Cs濃度の経年変化を第2図に示す。
土壌‐植物系における137Csの移行割合の生物学的半減期は土壌の性質および植物の生物学的利用度に左右され、3〜5倍の違いがある。そして粘土質の高い、よく施肥された土壌は、放射性セシウムが根に吸収される割合が低い。したがって植物中の137Cs濃度も低い。
植物中の137Csの濃度が低くなれば、それに応じて牛乳や食肉への移行も低くなり、従って内部被ばくも低下する。
一方有機物を多く用い、乳用動物を天然の牧草で飼育している粗放農業の農産物は137Csの濃度が高くなる。
事故後数年は137Csおよび134Cs(半減期2年)が最も被ばくに寄与したが、その後137Csが次第に重要核種になった。
90Sr(半減期29年)はサイト周辺では将来重要な核種になるであろう。この地区では90Srは粉砕された燃料粒子の中にあるので、次第に水に溶解して植物への吸収が増加している。
サイト近傍以外の遠隔地では90Srは凝縮したサブミクロンサイズの微粒子の形で地表に落下しているので、90Srの植物に対する挙動は137Csの挙動と同様であるが、粘土質土の依存性が低く、また植物への移行割合の生物学的半減期は長い。
4. 森林の環境汚染
森林や山岳地帯の土壌は泥炭土のような有機質土壌の上に腐植した落ち葉が重なっている。このため森林の草木や動物は放射性セシウムの吸収が特に高い。また森林生態系における放射性セシウムの永続的なリサイクルも放射性セシウムの蓄積を加速している。
特に放射性セシウムの濃度の高いものは、きのこ、草木の実、獣肉であって、この高い濃度は長く継続する。そして農産物による被ばくが減少する傾向があるにもかかわらず、森林生産食品の高いレベルの汚染は依然多くの国で制限基準を越えるものが多い。この状態は数十年間継続するものと考えられる。
したがって公衆の放射線被ばくに寄与する森林の役割は年とともに大きくなっている。
北極、亜北極における地衣類⇒トナカイの肉⇒人間の経路による高率の放射性セシウムの移行は原爆実験のフォールアウトによって明らかであるが、チェルノブイリ事故によっても示された。フィンランド、ノールウェイ、ロシアおよびスウェーデンにおいてチェルノブイリ事故はトナカイの肉にかなりの汚染をもたらした。
木材およびその関連商品は公衆の被ばくにあまり影響を及ぼしていない。しかし木灰は多くの137Csを含み、他の木材利用よりも被ばくは大きいと考えられる。
1992年の森林火災は空気中濃度を多少上昇させた。そして森林火災の公衆への被ばくの影響が検討されたが、近隣で火災が起こる場合を除いては、汚染された森林の影響は低いと考えられる。
5. 水中の環境汚染
チェルノブイリ事故の放射能は発電所周辺のみならずヨーロッパ各地の表層水系を汚染した。初期の水の汚染は川面や湖面に直接落下したものである。事故後数週間はKyiv貯水池からの飲料水の放射能濃度が最も心配された。
水の汚染はフォールアウト後数週間で拡散、沈殿、物理的減衰、排水土(汚泥)の放射性物質の吸着により急速に減少した。水底汚泥は重要な長期の放射能のシンクとなる。
放射性ヨウ素の魚類への初期の移行は速かったが、物理的減衰のため放射性ヨウ素の濃度の低下も速かった。
一方初期における、水中の食物連鎖による放射性セシウムの魚類への蓄積は著しいものがあった。90Srの魚類への蓄積は、フォールアウトの量が少なく、また生物への濃縮が低いので、放射性セシウムに較べて重要ではない。
長期的には、現在汚染された土壌よりの溶出および水底汚泥よりの再溶解による137Csや90Srの2次的な汚染が見られるが、そのレベルは低い。しかし泥炭のような高有機質の排水土(汚泥)は鉱物質の土壌よりより多くの放射性セシウムを表層水へ放出する。
現在は表層水の放射能濃度は低い。したがって表層水の灌漑は問題あるとは考えられない。
チェルノブイリ発電所に近い湖川に落下して沈殿物(汚泥)となった粒子状燃料は、陸上に落下した粒子状燃料よりも風化作用は極めて低い。したがってこれ等の粒子中では90Srおよび137Csはその物理的半減期とほぼ等しい。
水中、河、流入湖、貯水池の水および魚の137Csおよび90Srの濃度は現在のところ低いが、最も汚染された湖はミネラル栄養分の低いウクライナ、ベラルーシおよびロシアの2,3の閉湖(流入量も流出量も低い湖)である。これ等の閉湖では魚類の137Csの放射性汚染は、将来の長期にわたって継続すると考えられる。閉湖の近くに住む住民にとって魚類を食べることは全体の137Csの摂取に影響を与える。
黒海およびバルチック海はチェルノブイリより遠く、また拡散があるため、海水の放射性濃度は淡水より極めて低い。したがって海洋魚の放射性物質濃度は問題とならない。
6. 被ばく線量
環境の汚染が被ばく線量にどの程度影響しているか簡単に述べる。
今まで述べた、降雨による洗い流し、汚染除去、土壌のγ線遮蔽効果による外部被ばくの低下、植物中の放射性物質濃度の減少の他に、制限基準を越えた植物の摂取禁止等の処置により、人への被ばくはかなり低い。
例えば旧ソ連3国で事故時地表汚染が37kBq m−2(1Ci km−2)以上の汚染区域であった土地の住人の人口は5.2×106人であって、事故時(1986年)より1995年までの10年間の集団線量は43,000人・Sv、2005年までの20年間の集団線量は52,000人・Svと評価されている。
前半10年間の集団線量43,000人・Svに対して後半10年間の集団線量が僅か9,000人・Sv即ち約21%である。年数の経過とともに被ばく線量が著しく低下していることが分かる。
また2005年の時点では、5.2×106人の人口の住民の集団被ばく線量が52,000人・Svであるので、一人当たりの平均被ばく線量は10mSvとなる。
この10mSvの被ばく線量は20年間の間に事故による余分の被ばく線量であるが、年間平均では0.5mSvとなる。これは第3表に示す自然放射線被ばく線量に較べて極めて低い。
また自然放射線の被ばく線量の変動幅に較べても低い。
自然放射線の変動幅内、すなわち年間1〜10mSvの変動幅内では、住民の発ガンや遺伝的影響の発生率には変動がないのが現状である。すなわち年間1〜10mSvの被ばくの変動は発ガンや遺伝的影響の自然発生率に変動を及ぼしていない。
第3表 自然放射線の線量(UNSCEAR 2000)
被ばく源 |
世界平均の年間実効線量(mSv) |
典型的な変動幅(mSv) |
外部被ばく |
|
|
宇宙線 |
0.4 |
0.3〜1.0 |
地上γ線 |
0.5 |
0.3〜0.6 |
内部被ばく |
|
|
吸入(主としてラドン) |
1.2 |
0.2〜10 |
食物摂取 |
0.3 |
0.2〜0.8 |
合計 |
2.4 |
1〜10 |
参考文献:
Environmental Concequences of the Chernobyl Accident and Their Remediations:Twenty
Years of Experience(Report of the UN Chernobyl Foram,Expert Group ”Environment”(EGE)
(August 2005)