メディア情報はよくかみ締めて理解しよう 皆さんは毎日新聞を読み、テレビを聞いて知識を吸収していることと思います。ここで重要なことはマスメディアの情報を鵜呑みにしないことです。 |
メディア・リテラシーについて
村主 進
原子力システム研究懇話会
(原子力システムニュースVOL.17 No.3(2006.12)に掲載のもの)
目次
1、はしがき
2.マスメディアの報道例
2.1 1996年1月25日の朝日新聞の報道
2.2 1995年11月24日の読売新聞の報道
2.3 2006年4月16日のNHKスペシャルの報道
2.4 2005年9月6日および2006年4月15日の読売新聞の報道
3.本論
4.終わりに
1.はしがき
民主主義の世の中では、国民の世論が政策を左右する。このため国民は物事を正しく判断する能力を持たなければならない。しかし大部分の国民にとって物事を判断する材料は一般にマスメディアの報道である。したがって国民はマスメディアの報道を間違って受け取らないようにすることが重要である。
一方マスメディアは新聞の読者、テレビの視聴者の関心を引くために、どのような切り口で報道するか工夫し、また事実にセンセーショナルな味をつけて報道するものである。このことが、事実が正確に把握されない原因になる。
このため読者・視聴者の側では、このような現実を認識して、メディア・リテラシーが必要となる。リテラシーとは「読み書きをする能力」のことであるが、メディア・リテラシーとは「読者・視聴者が、新聞記事やテレビ放送の内容をきちんと読み取り、自分で判断する力」である。
メディア・リテラシーは科学、政治、経済、文化などすべての分野で必要なもので、英国、カナダ、米国などでは高校程度からメディア・リテラシーの教育を始め、成人教育も盛んである。(1)
著者は原子力発電の安全研究に長年携わり、またチェルノブイリ事故の健康影響に関しても調査してきた。チェルノブイリ事故の調査の結果、マスメディアの報道が、視聴者、読者に対し、実情とは異なった著しい誤解を与えていることを実感し、メディアリテラシーの重要性を痛感するものである。
10年前(1997)に「マスコミ報道について」の表題で、マスコミ報道のみでは正しい知識が得られないことを実例でもって示した。
しかし10年たった今でもこの事情は変わらず、メディア・リテラシーの重要性および必要性が認識されていないようなので再度この問題を提起したい。
このため、まず以下に新聞、テレビ報道の数例について報道内容と事実関係について述べる。
2.マスメディアの報道例
2.1.1996年1月25日の朝日新聞の報道
この報道ではベラルーシの水文気象委員会が纏めた報告書をもとに、「1995年で事故前の平均放射能の約20倍に相当するする、1km2あたり1Ci以上の汚染地域が約45,500km2に及び全国土の約22%を占める。この地域に現在、人口の約2割に当たる約200万人が暮らしている、云々とあり、世代を超えて人と大地をむしばみ続ける原発事故の恐ろしさを物語る未来像だ。」と報道している。
この報道を読んだ読者は、おどろおどろしい思いを抱くであろう。しかし、記事にある広大な汚染区域は人の住まない、また人の行き来しない森林地帯のことである。実際は人の居住する区域の汚染は低くなっており、この当時には放射能による外部被ばくも内部被ばくも著しく低くなっていることは明らかである(2)。この記事を書いた記者は現地で取材しているが、水文気象委員会の報告書を十分調査したり、現地の研究調査機関を訪問したり、現地の人の生活状況を見たり聞いたりしたのであろうか。
また「1km2あたり1Ciの放射能は事故前の平均放射能の20倍に相当する」とあるが、天然自然に40Kの放射能があり、面積1km2、深さ10cmの土壌の中に40Kが約2Ciある事実には触れていない。
このことから「世代を超えて人と大地をむしばみ続ける原発事故の恐ろしさを物語る未来像だ」の「人をむしばみ続ける」は誇大報道である。
著者には、マスメディアはおどろおどろしいことのみ記事にして読者の関心をそそることを意図しているとしか思えない。
2.2.1995年11月24日の読売新聞の報道
この記事も文献(2)に詳細に述べているので、ここでは報道の要約と事実を簡潔に述べる。
この報道では、『チェルノブイリ及びその他の放射線事故の健康影響に関する国際会議』のWHOの報告で「旧ソ連3カ国ではチェルノブイリ事故が起きた1986年から94年までに計565人の子供が甲状腺ガンになった。その95%以上は転移しやすい悪性のタイプで、ベラルーシの汚染地域では発病率が事故前の約百倍に達している。」と報道している。
この報道を読んだ読者は、チェルノブイリ事故の影響の大きさに驚愕したものである。しかしWHOの報告書の中身を述べると、子供(0歳〜14歳)の甲状腺ガンの発生数が1994年までに合計565人に達するが、最も被害の大きい国であるベラルーシ国でも、その発生率は子供100万人あたり145人であると発表している。しかし報道では後者については何ら触れていない。
565人の子供が甲状腺ガンになったと報道されれば、読者は驚愕するのは当然である。しかし、その発生率が子供100万人あたり145人ということは、子供1万にあたり1.45人となり、1万人あたり9,998人は健康に生活していることになる。この事実を報道すればセンセーショナルな記事にならないから、報道されていないのであろう。
また甲状腺ガンの自然発生率はもともと非常に低く、100万人あたり約1人であることもチェルノブイリ事故調査関係者にはよく知られているが、このことには触れず発病率が事故前の約百倍と読者を驚かす記事になっている。
さらに甲状腺ガンになった子供の死亡者が7人程度(2006年4月の発表では15名となった)であることには何も触れていない。
このことから見ても、この報道は誇大広告まがいの報道となるであろう。
2.3.2006年4月16日のNHKスペシャルの報道
この報道については、ここではこの報道の要約と事実について簡潔に述べる。
この放送の内容は、チェルノブイリ事故後20年経過した2006年において
(1)チェルノブイリ事故による放射能が大地を汚染し続けている。
(2)被ばく者500万人が汚染地域に暮らす。
(3)ガンが多発している。
という内容であるが、(1)については2.1節と同様な内容であり(2)については2.2節と同様な内容であるのでここでは省略する。
(3)のガンの多発に関しては、放送内容は主としてチェルノブイリ事故の汚染地域で作業したり、居住したりした人のうち、ガンになった4人を追跡するストーリーで、ガンになったのは事故による汚染のせいであるかのように報道している。
このように文字で書くとあまり実感はわかないが、映像は迫力せまるものがあり、チェルノブイリ事故によって多数の人がガンになっていると錯覚させられてしまうものである。
しかし放射線被ばくによってガンになる恐れはあるが、放射線に被ばくしないで生活をしている人々でも自然にガンに罹る割合は10万人あたり年間約300人である事実は報道していない。そして現在までのチェルノブイリ事故影響についての疫学的な調査では、甲状腺ガンを除いて、ガンの自然発生にマスクされて、放射線被ばくのせいでガンが増えたとは確認できないという事実を報道していない。
このことから、この報道は事故影響の一部のみを強調して徒に原子力発電所の恐怖を煽ることを意図しているとしか思えない。
2.4.2005年9月6日及び2006年4月15日の読売新聞の報道
少し日付が戻るが、IAEAとWHOが2005年9月に纏めたチェルノブイリ事故の環境影響及び健康影響に関する専門家グループ(チェルノブイリ・フォーラム)報告書についての新聞報道に触れる。
2005年9月6日に読売新聞が専門家グループの報告書について報道した。
内容は「@事故直後の被害拡大防止や除染など現場作業に従事した兵士や消防士など約20万人、A汚染地域から避難した住民約11.6万人、B汚染地域に住み続けた住民約27万人―の合計約60万人のうち、被ばくが原因のガンや白血病ですでに死亡したか、若しくは今後死亡する人が4,000人に上ると推計した。」とするものである。
この報道はこれでよい。しかし翌年2006年4月15日に読売新聞は「WHOはチェルノブイリ原発事故が原因で、ガンを発症して死亡する人の数が9,000人にのぼる可能性があるとする報告書を公表した」「チェルノブイリ原発事故を巡っては、昨年9月にWHOなどの国際機関と3か国政府が参加したチェルノブイリ・フォーラムが4,000人という死亡予測を発表したが、今回の9,000人という予測は、事実上、これを修正したものだ。」「4000人の死亡予測は事故復旧作業者や強制移住者計60万人を対象に分析した結果で、今回はこの60万人の他に、放射能が比較的低い地域の居住者680万人も分析の対象に加えた。」(下線は筆者が加筆)と報道している。
実情はどうなのであろうか。表はCardis氏等の発表した文献(3)のもので、IAEAとWHOの報告書(4)に掲載されているものである。
表で分かるように05年9月の発表は、表の第1段〜第3段を集計して、母集団605,000人、予想過剰ガン死3,960人を基にして、被ばくが原因のガンや白血病で、死亡したか今後死亡する人が約4,000人と発表したものである。一方、06年4月の発表は表の第4段も集計して、母集団7,405,000人、予想過剰ガン死8,930人を基にして、ガンを発症して死亡する人の数が9,000人にのぼると発表したものである。両者の発表の間に何らの齟齬もないものである。
この報道は一見何でもないようであるが、下線を施した「今回の9,000人という予測は、事実上、これ(05年9月の予想)を修正したものだ。」という記述は明らかに間違いである。この間違った記述が読者の頭に強烈な印象を与えたようである。
読者の多くはIAEA、WHO専門家グループは05年9月に間違った発表をしていると考えている。そして、IAEA及びWHOは信頼の置けない機関であると考えるようになった。
事実、筆者は多くに人からこのように感じたと聞いている。
表 各集団における自然ガン死亡および |
|||||
集団 |
人口/ |
ガンの種類 |
期間 |
自然 |
予想 |
汚染除去 |
200,000人/ |
固形ガン |
生涯(95年) |
41,500人 |
2,000人 |
30km圏より |
135,000人/ |
固形ガン |
生涯(95年) |
21,500人 |
150人 |
特別管理区域 |
270,000人/ |
固形ガン |
生涯(95年) |
43,500人 |
1,500人 |
他の汚染区域 |
6,800,000人/ |
固形ガン |
生涯(95年) |
800,000人 |
4,600人 |
下線部分がなければ正しい記事となる。この2つの報道を読者が注意深く読めば下線部分はおかしいと思うであろうが、メディア・リテラシーの力のない読者にこれを期待するのは無理であろう。
両者の間には何らの齟齬もないものを、マスメディアは人の関心を引くように報道しようと意図したことが報道の間違いになったものであろう。
このようなことでは、マスメディアの報道をそのまま信じることはできない。内容をよく熟読玩味して記事内容を正しく把握しなければならない。
3.本論
世の中はマスメディア無しでは過ごされない。色々な情報はメディアより得られる。したがってマスメディアはなくてはならない存在であって、健全な発展を期待するものである。
一方マスメディアは色々な読者・視聴者に対して色々な切り口で報道するものであり、この意味では意図を持って編集されているものである。また、2節の例に示すように、センセーショナルな記事にするために、事実のすべてを報道しない、あるいは記事に誤解するような記述を加えるのも実情である。
このような事情を勘案すると、報道されたものは真実ではなく構成されたものである。すなわち、報道は媒介された真実である。
それでは間違いない真実とは何か。それは1次情報のみであるといっても多言ではないであろう。
我々はこのような現実にどのように対処すべきであろうか。
先ずメディア・リテラシー教育を学校教育で行うように取り組まなければならないと考える。また成人に対するメディア・リテラシー教育は直ちに実行する必要がある。これによってマスメディアの報道を正確に読み取るようにしなければならない。この道は容易ではないが、たゆまぬ努力を続ける必要がある。
次にマスメディアの情報を正確に読み取るためには、1次情報を豊富に流通させることも必要であろう。政治、経済、文化、理工学などあらゆる分野で豊富な1次情報を流通させて欲しいものである。専門的な内容は、専門分野以外の人にも分かりやすく解説することも必要である。
では1次情報を豊富に流通させる手段があるのだろうか。1次情報は広く流通させなければメディア・リテラシーに役立たない。
1次情報を広く流通させる一つの方法は、総合雑誌などに投稿することである。しかも専門分野以外の総合雑誌を選ぶことである。例えば原子力関係の場合は「月刊エネルギー」、「エネルギー・レビュー」、「ジュリスト」(裁判官、弁護士向け総合雑誌)、「政界」など原子力関係以外の雑誌に積極的に投稿することである。分かりやすく書くことによって原子力専門家以外の知識層にも1次情報が伝達される。
別の方法はインターネットを利用することである。現在ではインターネットの発展は目覚しい。ホームページによる発信は総合雑誌の読者以外の階層にも1次情報の正しい知識を浸透させることができる。またホームページによって、マスメディアの情報のみの受け手であったものが、ホームページの情報の受け手になり、情報の流れを変えることも可能であろう。
専門家は積極的に総合雑誌に投稿し、またインターネットを利用して、メディア・リテラシーに役立つ1次情報を積極的に流して欲しいものである。
原子力に関しては、色々の機関でPR活動を行っている。これは原子力の理解に大いに役立っている。しかし現在のPR活動が一般向けの言わばジュニアクラス版とすれば、ここに述べたことは一般向けのシニアクラス版と云えるであろう。そしてこの両者(ジュニアクラス版とシニアクラス版)が十分に機能することによって、原子力の理解が一層深まるものと考えている。
4.終わりに
以上、筆者の専門のことでよく知悉している原子力関係についてメディアの報道の実例を述べた。原子力関係以外でも同様のことを見聞することもあるがこれについては他の専門家に述べてもらいたい。
原子力関係で、メディア・リテラシーに役立つ1次情報の解説の提供のために、筆者が主催している原子力・エネルギー勉強会(http://www.enup.jp)を紹介する。この会は1次情報を分かりやすく説明して、国民の原子力への理解を深めようとするものである。分かりやすく説明することは難しいが色々努力している。
参考文献:
(1)菅谷明子;メディア・リテラシー―世界の現場から―、岩波新書680(2000.8)
(2)村主進 ; メディア・リテラシーの勧め、原子力システムニュース、Vol.8,No.4(1998)
(3)E.Cardis et al.;Estimated Long Term Health Effects of the Chernobyl Accident. in: OneDecade After Chernobyl. Summing upthe Consequences
of the Accident. p.241-279 Proc. of an International
Conference,Vienna,1996. STI/PUB/1001.IAEA
(4)IAEA;Environmental Consequences of the Chernobyl Accident and Their
Remediation: Twenty Years of Experience, August 2005