こんばんは。
過去の記事を振り返っています。
http://sougakusalon.blog.shinobi.jp/Entry/8/
(何に「勝利」をしたのですか?-2007/12/10記事)
今の組織では、次の「戦い」に向けて協議をしているらしいです。
要点は以下の内容だとか・・・
1)折伏の推進
2)青年部の育成
でもね、結局のところ「勝利」を目指している間は、組織は変わらんですよ。
「勝利」って一体なんですの??
活動家幹部になれば「数字だけが勝ちではない」と力説しますが、結局のところ創価学会組織は「数字」で評価されるのは変わらんでしょ?
でも人生は「勝った」「負けた」という単純なものですか?
よく考えてみてください。
地区や支部でみな討議して、「数字ではない戦い」なんて言っても、所詮は本部や圏区で潰されるでしょ?
その圏区の意向に反して活動は出来ますか?
圏区がそういった地区や支部を認めた場合、それが組織全体に波及した時には分県や総県がでて潰してきます。
で、、、結局はみなが「数字の勝利」という方向へ向かわざるを得ないでしょ。
もしそういう活動を止めたいのならば、秘訣があります。
「池田名誉会長の伝説や指導を捨て切り、否定する事」
「御書や創価学会の原点を見直す事」
です。
そして日蓮さんの仏法の原点について、御書と対峙してみてください。
おのずと進む道が見えるものです。
そういう勇気を持ったところから、組織が変わってきますよ、絶対に。
でも地区部長や支部長がそういう事したら、、、組織から切られますけどね。
本日はここまでとします。
COMMENT
昔から思っていることです。
御書と同様の扱いになって
しまいには絶対に指導が正しい扱いに
なってるんですけど、絶対に正しいって
おかしいと思いませんか。
信仰の世界で人間を絶対的な対象にしたら
オカルト宗教団体で確定です。
宗教と公明党がごちゃ混ぜになって
創価学会の職員は
国民の税金の利権を貪る
世界に通用しないダメダメ官僚と全く同じです。
信心の戦いって、師弟師弟ばかり言いますけど
どんなに信心の話しをしても
お約束の数の報告と数の成果で
まるで生保の営業のノルマのように
内部で成果が出ると盛り上がって
中身のなしなしな師弟の戦いを
いつまで続ければいいんでしょうかね。
池田先生が亡くなった後に
世襲で長男坊が名代になってしまったら
いよいよ組織も分裂しそうな感じです。
はじめまして
No Title
いわゆる目標に対しての成果であるだけの数字に「意味が見いだせない」という根本的な誤謬です。
そしてその記事に対して「多部数購読を無理強いする」とか「生保の営業のノルマのように」だとかいう事実も確認できない愚痴を呼んでますよね。
別に創価学会だけではありません
努力する前に「意味がわからない」と嘆くのはそれだけ貴殿と「広宣流布」の目標の心理的距離があるだけだと思います。
私からすれば数字という相対的な評価には「数字ではない闘い」も含まれています。
批判されているお気持ちは解らなくもないですが
「数字ではない戦い」をくみ上げるのも信徒の役割ではないでしょうか。
幹部の役割だと内心おもっているからこそ「愚痴」がでているように思いますが。
組織が変わらない という錯誤
自分自身の怠惰な感情に勝利した といえるでしょうね。そしてその経験が信仰の上で大事になります。
運ちゃんさんはお仕事でドライバーをされているようですが、会社に対してはなにかご不満がありませんか?
会社もいわゆる組織ですよね。
上司に文句だけを言えばお仕事がスムーズにいくでしょうか?
ネットで貴殿の運送会社の社員として提案なり問題提起できますでしょうか?
実に簡単な事なのだと思います。
創価学会以外での「運ちゃん」さんの社会的行動そのものを疑っているわけではありませんよ(笑)
ご自分の生活の為になさっている「お仕事」での場合、ノルマがどう とか 原点がどう とか問題提起をされているでしょうか。
なにがしかの不満をもったままでも、そのままお仕事をされていますよね。
ところがこと「信仰」においては経済的報酬があるわけでもありませんし、具体的に見返りがあるわけでもありません。
得られるのは目に見えない「達成感」だけですからね。
組織に対しての愚痴を言いたいのならば
運ちゃんさんの言われるように
※「池田名誉会長の伝説や指導を捨て切り、否定する事」 → 距離を置くこと
※「御書や創価学会の原点を見直す事」 → 納得いかない場合は動かないこと
という逃避的な発想がミソです。
ですが、その行為は御書に書かれているのでしょうか?
実に矛盾していると思いませんか?
まあさまざまありますが、、、
ハツコメさん、婦人部員さんありがとうございます。
あと、あべひさん。
僕は別に自称学会員ではなく、学会幹部だそうです。
僕は役職もいらず、一事は脱会も視野にいれていた人間ですが、まああるいみ勝手に役を付けられた感じてすからねー。
他の某掲示班で活発に一時は活動されていたこと、耳にしていますが、前提としてここで僕は論争するつもりはない事をお断りしておきます。
まず愚痴という事ですが、僕は既に組織活動からはなれて久しい事と、組織に依存はしていないので愚痴にはあたりません。
まあ批判とよばれたら、そうかもしれないですね。
あと「数字以外の意味を汲み取るのが勤め」という事をいわれていますが、会員のそういった想いを踏みつぶしているのも創価学会であると言いたいですね。
現場の地区幹部や支部幹部は数字目標に対して、別の意味をさがそうとしていますが、その多くは最終的には潰されます。
結果として、多くの人が諦めていると思いますよ。
努力する前とかいう以前に、努力した結果、不条理な言葉の仕打ちを受けた人が多いからこそ、何年経ってもあいかわらず万年人材不足なのではありませんか?