姪っ子メグ おじさん、さっきからなに、ギャラクシー使ってこちゃこちゃやってんの。
キミオン叔父 ああ、フェイスブックをこの前から始めたんだ。まだあまりよくわかんないからさ、こちゃこちゃ、と。
ツイッターに誘ったら、時間感覚がせせこましくなるから嫌だなんて、言ってたくせに。
そうなんだけどさ、まあ中近東革命じゃないけど、いざと言う時に発信源にもならないといけないしな。
そんなこといいながら、さかんにみやげものとか食べてるもの写真に撮ってるじゃない(笑)
大石蔵之助だって、敵を欺くために、お茶屋遊びにうつつを抜かしているフリをしてただろ(笑)
はいはい。でも甲府と言うと、やっぱり信玄公よね。さっき行った武田神社は武田三代の居館跡、躑躅が崎館と呼ばれていたのね。
なんか信玄公って、戦ばかりしていたような印象あるね。初陣が16歳、53歳で病に倒れるまで合戦の数が130を超えている。上杉謙信とは川中島合戦含め5度も対決してるしね。
あたしもプチ歴女だけどさ、「風林火山」の騎馬軍団ってちょっとかっこいい。脇を固める二十四将もキャラがそれぞれ立っているし。戦国シミュレーションゲームで結構付き合っちゃったよ。
武田神社の宝物殿でもさ、やっぱ武具や合戦の装備類が面白いね。でっか法螺があったし、戦の銅鑼とか戦略地図とか旗とかね。あとはやっぱ、金山だろうな、これがあったから褒賞に金がどんどん使われたんだな。
で、信玄袋って有名だけど、巾着みたいなの。あれなんかを鹿革でこしらえているのを「印傳」というのね。知らなかった。
オジサンも。「印傳博物館」っていうから、最初は絵とか書とか文につける印の博物館って思っちゃったよ。
印度(インド)伝来という説もあるらしいね。まあ古くから甲州に伝わった革工芸で、基本は鹿革を使っている。で、甲州の上原勇七創案といわれ、江戸の昔から袋物、煙草入れ、巾着などに加工され、粋を競う人たちの愛好されたわけね。
その独特の技法は、門外不出で「勇七」を代々名乗る家長だけに伝えられてきて、印傳屋として脈々とこの地で伝統を受け継いできた。まあ、ちょっとお年を召したおば様用のものが多いけど、立派なショールームだったね。
本店2階に小さな「企業博物館」があるんだけど、ひとつは鹿革加工技術の紹介ね。3つあって、ひとつは藁と松根を焼いてその煙いぶす燻(ふす)べ技法。
でっかい樽を使うんだよな、これはちょっとびっくりした。
あとは一色ごとに型紙を替えて色を重ねる更紗技法や、漆で模様をつける漆付け技法ね。このあたりは、新宿の文化服飾学園の博物館でよく見るよね。
もうひとつの部屋では、革羽織。これ、江戸の火消しさんたちが発注したらしいけど、粋だったね。たしかに火事のさなか、火が燃え移ってしまうような繊維じゃ危ないからね。で、革ジャンみたく、鹿革製の羽織を注文したんだろうな。それにそれぞれの火消し組合の名前や紋が染め付けられていて、かっこいい。
さてと、ちょっと暗くなってきたから、甲州名物でも食べようか。
そうだな、「ほうとう」に「煮貝」、それに「B−1グランプリ金賞」で話題沸騰の「鳥もつ煮」かな。海のない県だからさ、いろいろ工夫してるんだろ。駅前の居酒屋で甲州ぶどうでチビチビやりますか。