東日本大震災:職失い「残された人も地獄」

2011年4月13日 22時19分 更新:4月13日 22時27分

がれきの中から衣服を取り出す被災者。気仙沼の沿岸部は通行可能になりようやく自宅跡に訪れる人が多い=宮城県気仙沼市で2011年4月13日午後2時36分、梅村直承撮影
がれきの中から衣服を取り出す被災者。気仙沼の沿岸部は通行可能になりようやく自宅跡に訪れる人が多い=宮城県気仙沼市で2011年4月13日午後2時36分、梅村直承撮影

 大切な家族や思い出の詰まった自宅を失った人々は、つらい心境を打ち明ける。宮城県山元町の無職、会田正始さん(64)は気仙沼市にいた妻と息子を亡くし、自宅も全壊し職も失った。「日がたつたびに家族を思い、将来を思って不安になる」と話した。岩手県大船渡市の無職、斎藤満さん(68)は「明治29年と昭和8年の津波でも被災しなかったのに、今回は自宅がのみ込まれ悔しい」。

 避難者の先行きは不透明だ。岩手県宮古市の無職、山田ヨウ子さん(72)は自宅が全壊し落ち着き先が決まっていない。息子(44)が失業し生計は年金と娘(40)の収入が頼りで「いくらかでもお金の援助をしてほしい」。宮城県気仙沼市の主婦、渡辺友子さん(57)は「確かな収入のあてがなく、残された人も地獄」と話した。

 子どもたちの教育も心配の種だ。岩手県陸前高田市の会社員、金野順一さん(48)は「中学1年の長男と小学1年の長女は震災がトラウマにならないか心配」と言う。宮城県女川町の会社員、遠藤忠志さん(52)は「小学生と中学生の子供は宇都宮市に移り、自分も移る予定。できればこっちで暮らしたいが、学習時間の確保も難しいだろう」と話す。

 ◇「1人では余震が怖い」

 地元が復興できるかどうかは、答えが拮抗(きっこう)。大船渡市の漁業、細川周一さん(59)は「我々の仕事場は海しかない。国や県は手厚い支援をしてほしい」と期待する。宮城県亘理町のイチゴ栽培、鞠子直子さん(53)は「もう一度イチゴを作りたい」と語った。一方、女川町の元船員、木村悟さん(61)は「水産業が盛んだった街は壊滅し、船、市場、工場すべてがだめになった」と復興の困難さを口にした。岩手県釜石市の無職、椎名千恵子さん(69)は「もう戻りたくない。今は避難所で皆と一緒だが1人では余震が怖い」と話した。

 原発事故のあった福島県の人々は、より先行きが見えない。広野町から石川町の総合体育館に避難するLPガス販売、石井栄作さん(65)は「原発がここまでなるとは思わなかった」。戻って業務を再開したいが、地域に人が戻らなければ商売にならない。

 ◇「廃炉で何万人か失業」

 一方、田村市に避難した大熊町の原発作業員、亀田典夫さん(59)は「原発の仕事しか知らず、廃炉になったら他の原発で働くしかない」と言う。「町は原発に依存してきた。すべて廃炉にしてしまうと何万人かが失業する」と語った。

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