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[26854] 魔を滅するメイジと使い魔たち【「スレイヤーズ」風・ゼロの使い魔】【6/11次回投稿予定】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/08 22:30

第一部「メイジと使い魔たち」
(第一章)2011年3月31日 投稿
(第二章)2011年4月03日 投稿
(第三章)2011年4月06日 投稿
(第四章)2011年4月09日 投稿 【第一部・完】

番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト」
(番外編)2011年4月12日 投稿

第二部「トリステインの魔教師」
(第一章)2011年4月15日 投稿
(第二章)2011年4月18日 投稿
(第三章)2011年4月21日 投稿
(第四章)2011年4月24日 投稿 【第二部・完】

番外編短編2「ルイズ妖精大作戦」
(番外編)2011年4月27日 投稿

第三部「タルブの村の乙女」
(第一章)2011年4月30日 投稿
(第二章)2011年5月03日 投稿
(第三章)2011年5月06日 投稿
(第四章)2011年5月09日 投稿 【第三部・完】

番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!」
(番外編)2011年5月12日 投稿

外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」
(前 編)2011年5月15日 投稿
(中 編)2011年5月18日 投稿
(後 編)2011年5月21日 投稿 【外伝・完】

番外編短編4「千の仮面を持つメイジ」
(番外編)2011年5月24日 投稿

第四部「トリスタニア動乱」
(第一章)2011年5月27日 投稿
(第二章)2011年5月30日 投稿
(第三章)2011年6月02日 投稿
(第四章)2011年6月05日 投稿 【第四部・完】

番外編短編5「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜」
(番外編)2011年6月08日 投稿

第五部「くろがねの魔獣」
(第一章)2011年6月11日 投稿予定
(第二章)2011年6月14日 投稿予定
(第三章)2011年6月17日 投稿予定
(第四章)現在執筆中


  ……続きは現在執筆中。三日に一回のペースで投稿予定。

                            

2011年5月27日         

「チラシの裏」から移動してきました。

      よろしくお願いします。

 ............................................. 




[26854] 第一部「メイジと使い魔たち」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 23:05
    
 私は追われていた。
 ……いや、だからどーしたと言われると、とても困るんですけど……。

「ねえ、ちょっと待ってよルイズ。あたしを置いてかないでよ」

 いかにも旅の連れですと言わんばかりの態度で追ってくるのは、『微熱』のキュルケ。
 私の行く先々に現れる、自称ライバル。しかし私の金で一緒の宿に泊まったり食事をしたりするのだから、実際は、金魚のフンか、ストーカーか、ヒモのようなもの。

「何よ? 私は忙しいの! 今から行くところがあるの! ついて来ないで!」

 黒いマントの下に、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。こう書けば私と同じ、旅の学生メイジの正装なのだが……。
 なんでキュルケは、ああも下品に着こなせるのだろう? ちょっとボタンを一つ二つ外しただけで、あら不思議。胸を強調した、露出度満点の衣装になってしまう。

「ルイズ! そんなこと言わずに……あたしも連れてってよ! どうせ盗賊退治でしょ!?」

 悔しいが、そのとおりであった。手頃な規模の盗賊団が近くにアジトを構えていると聞き、私は、そこに向かっていたのだ。せっかく、お宝ゴッソリ独り占めの予定だったのに!

########################

 あれから少しの後。
 アジトに乗り込んだ私とキュルケは、あっというまに盗賊たちを一網打尽。まあ美少女メイジ二人にかかれば、ちょろいものである。
 しかし……。

「どうか、命ばかりはお助けを……」

 二人の前に座り込んで、ペコペコと頭を下げる一団。セリフだけ聞いていたら、まるで私たちのほうが悪役じゃないの!?

「貯め込んだ宝は……これで全部なのね?」

「はい! 間違いありません!」

 やっぱり私が悪役っぽい会話だが、誤解してはいけない。私が盗賊たちの宝を没収するのは、彼らの手元には残しておけないため。私が懐にしまいこむのは、誰に返すべきかもう判らないため。けっして私利私欲のためではないのである。

「ねえ、ルイズ。けっこうあるじゃない。もう許してあげたら?」

 何だかキュルケが善人みたいなこと言ってる。私がジト目で睨んだら、肩をすくめてみせた。

「だってさ、ルイズ。ここの人たち、すっかりおとなしくなっちゃって。これじゃ、あたしも戦う気が失せるじゃない?」

「はい! そりゃあ、もう! あなた様たちに逆らう気は、毛頭ありません!」

 盗賊たちも、ここぞとばかりに捲し立てていた。
 まあキュルケの言葉にも一理ある。それじゃ帰ろうか、と私が踵を返した時。

「あっしらだって、あなた様があの有名な『ゼロのルイズ』だと知っていれば、最初から楯つく気など……」

 ピクッ。

 私は足を止めた。

「あんた……今なんて言った?」

「……え?」

「今、私のこと……なんて言った!?」

 盗賊がビビってる。なんかまずいこと言ったっけ、って顔だが、私の迫力に負けて、正直に吐いた。

「えーっと……『ゼロのルイズ』……」

「ふーん……。そう……」

「それが……あなた様の二つ名ですよね? あっしも噂で聞いたことがあって……」

 そうなのだ。私は『ゼロ』のルイズで通っている。

「で? あんたの聞いた噂だと……私の何が『ゼロ』なわけ?」

「は、はい。まず、呪文詠唱時間がゼロで……」

 そのとおり。自慢じゃないが、私は詠唱なしで攻撃呪文を放てるのだ。私が天才美少女メイジと呼ばれる所以である。他人は誰も呼んでくれないけど。むしろ昔は、魔法が使えないと思われて、バカにされてたけど。

「で?」

「それから……情け容赦ゼロ……」

 盗賊の間に流れる噂というなら、仕方ないかもしれない。『悪人に人権はない』というのが私のモットーなんだから。

「……それだけ?」

「あ、あとは……胸が『ゼロ』……。うぷぷ」

 わ、笑いやがった!? こいつ、自分の立場も忘れて、私の胸を見て笑いやがった!?
 もう許さん!

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……」

 私が呪文詠唱を始めたのを見て、キュルケがサッと逃げ出した。

「……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

 盗賊たちも、不思議そうに顔を見合わせている。そりゃあ、そうだ。普通は魔法って、『ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ』とか『イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ』とか、それっぽい言葉で詠唱するのだ。私のみたいなのは初耳であろう。

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……」

 普通の魔法ではない。系統が『ゼロ』である、私だけで使える魔法。
 かつて始祖ブリミルに破れ、彼に使役されることになったと言われる『魔王』。その『魔王』の力を借りる魔法。
 私に教えてくれる者もいないから、自力で『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の『写本』を探し出して、そこから学んだ魔法。

「……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 呪文が完成する。
 杖を振りながら、私は大きく叫んだ。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

########################

「ねえ、ルイズ……。元気出してよ……」

 盗賊アジトを壊滅させた帰り道。キュルケが私に声をかける。
 あのキュルケが、私を慰めようというのだ。そんなに私は落ち込んで見えるのか!?

「いいじゃないの。どうせ消えたのは、二束三文の物ばかりよ」

「……そうね。そう考えるとしようか……」

 私の竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)は、盗賊だけでなく、そこにあったお宝も一緒に吹き飛ばしていた。
 ハッとしてから、かき集めたが、そもそも、あの爆発を耐えるシロモノなど少なかった。まあ、竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)は、伝説の魔法の一種。伝説に耐えられるのは、伝説級のマジックアイテムだけだったのかも……。

「……ねえ、ルイズ」

「わかってる」

 小声で言葉を交わす二人。
 とりとめのないことを考えていた私の足が、ふと止まる。
 覆いかぶさるかのように道の両側に生い茂る、うっそうとしたした木々。その森の奥へ、私とキュルケは視線を向けた。
 ほんの少しして、一人の男が森の中から道に出てくる。私たちの行く手を遮る形で。

「やっと追いついたぜ、嬢ちゃんたち」

 もう描写するのも面倒なくらい、典型的な『野盗』姿の男。

「よくもさんざ俺達をコケにしてくれたな」

 さっきの奴らの残党らしい。

「……このオトシマエは、きっちりとつけさせてもらうぜ」

 あのなあ……おっちゃん……。

「……と、言いたいところだが」

 男はニヤリと、すこぶる気色の悪い笑い方をした。おやおや?

「正直いって、あんたたちとはやりあいたくねえ。まともにやったら、こっちもかなり痛え目を見ることになりそうだしな」

 だいたい『まとも』にやるつもりはないのだろう。私もキュルケも、既に囲まれていることに薄々気づいていた。森の中は、伏兵だらけ。

「……で、だ。本来なら『おかしらのかたきっ』てなもんで、お前さん達を殺すか、俺達がみんな死んじまうかするまで追っかけ回すのがスジってえもんだ。が、そいつは面白くねえ。……で、どうだ、ひとつ、俺達と組んでみる気はねえか?」

 とんでもないことを言い出した。
 冗談ではない。
 こう見えても私は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。くにの姉ちゃん——王立魔法研究所(アカデミー)で遊んでるペチャパイの方——の一言で、こうして旅をしているが、れっきとした公爵家の三女である。
 魔法学院に籍だけおいてある、学生メイジである。
 悪人の仲間になど、なるわけがない!

「断る」

 一言で突っぱねた。隣でキュルケも頷いている。

「な……」

 男がぱっくりと、大きく口を開けた。
 見る間に顔色が変わっていく。

「こ、このアマ! 下手に出てりゃあつけやがりやがって! そうなりゃあ、こっちにも考えってもんがある。……てめえら、出てこいっ!」

 森の中の手下を呼び寄せる男。
 でも、誰も出てこない。
 そういえば気配もなくなっているような感じだ。
 みんな逃げちゃったのか?
 ……と思っていたら。

「それぐらいにしておくんだな。隠れている部下達は、みんな俺がやっつけた」

 一人の男が出てきた。
 旅の傭兵のようである。
 ただし、着ている物は、鎧でもプレートでも騎士服でもない。青と白の、見たこともない服だった。
 手にしている剣も変だ。ボロボロの錆び錆び。刀身も細い。一振りしただけで折れそうだ。
 まあ顔立ちは悪くはない。ハンサムとは言えないが、これくらいの方が親しみやすい。年齢も私と同じくらいだろう。

「こそ泥、とっととシッポをまいて……」

「やかましい……」

 私が観察しているうちに、剣士と野盗は何か言い合っている。書くのも嫌になるくらい、典型的な口上だ。
 目を点にして、キュルケと顔を見合わせていたら、もう戦闘も終わっていた。
 もちろん、剣士の勝ちである。

「大丈夫か?」

 剣士は私とキュルケのほうに向き直り、そして……しばし絶句した。
 きっと私たちの美少女ぶりに驚いているのだ。キュルケも頭はパーだが、外見は悪くない。まして私は完璧な美少女。
 彼が溜め息をついた。感嘆の溜め息ってやつ?
 それから、彼はつぶやいた。

「……なんだ……子供か……」

 え?

「こういう場面だからイイ女かと思ったのに……。髪は気持ち悪いピンク色で、目の大きさも中途半端な、ペチャパイのチビガキじゃねーか……」

 なんですって!?

「しかも……一緒にいるのは、胸オバケ。大きけりゃイイってもんじゃねーよな……」

 あ。キュルケまでバカにされてる。
 少し胸がスッとしたが、この程度では私の怒りは収まらない。
 しかし、私やキュルケが気持ちを行動に示すより早く。

「なんでえ、相棒。おめえ、胸の大きい女、好きだったろ?」

「うん。巨乳は好きだ。でも……奇乳は好きじゃない。だいたいさ、この世界って、巨乳とか美人とか美少女とか、いっぱいいるじゃん? なんか……俺の基準もおかしくなってきた」

「そりゃあ相棒、贅沢ってもんじゃねーか!?」

「……かもしんない」

 この剣士……剣と会話してる!?
 私とキュルケは、顔を見合わせた。目が輝いている。
 二人の声が揃った。

「インテリジェンスソード! お宝ね!」

########################

 インテリジェンスソード。意志を持つ魔剣である。

「ちょっと、それ見せて!」

「やめろ、娘っ子! 俺っちに触るな!」

「あー。こいつ、俺のことを持ち主だと思ってるから……ごめんな」

「そうだ! 俺っちは……デルフリンガー様! 『使い手』専用の武器だぜ!」

 ここで再び、私はキュルケと顔を見合わせる。熱の冷めた顔だ。
 最初は凄い宝剣かと思ったが……。『デルフリンガー』なんて名前、聞いたこともない。『光の剣』とか『ブラスト・ソード』とか、そういう伝説の剣を一瞬期待しただけに、私たちは落胆したのだった。あの『光の剣』もインテリジェンスソードだって噂なんだけどなあ。
 まあ考えてみれば、こんなボロ剣が伝説の剣のワケもないが、ほら、これだって世を忍ぶ仮の姿かもしれないし?

「あ、そういえば自己紹介がまだだったな。俺、平賀才人。……こっちの世界の言い方だと、サイト・ヒラガ」

「私、ルイズ」

「あたし、キュルケ」

 このサイトって男、どうもおかしい。着ている物もそうだが、『この世界』とか『こっちの世界』とか、言ってることも妙だ。
 キュルケも私と同じ顔をしている。剣も気づくくらいだった。

「なあ、相棒。説明してやれよ。この娘っ子たち……不思議がってるぜ」

「ああ、そうだな」

 サイト曰く。
 彼は異世界の人間である。いつのまにか、このハルケギニアに紛れこんでいた。そして魔剣デルフと出会った。

「はあ!?」

 私とキュルケの声がハモッた。

「それでさ。このデルフ、どうも長生きし過ぎてボケちゃってるみたいで。自分のこと……俺の家に伝わる、家宝の剣だって思いこんでんの。俺、この世界の人間じゃねえのに」

「こまけえことはいーんだよ、相棒!」

「こまかくねーよ!? ……そんでデルフが言うには、俺は本来、誰かの使い魔になるはずなんだと。ちゃんとメイジの使い魔になれば、そのメイジの魔法で、元の世界に戻れるかもしれないって。だから傭兵の真似事しながら、こうして旅してる。……こいつの言うことだから、俺も半信半疑なんだけど」

「悲しいこと言うなよ、相棒。俺っちを信じろ!」

 無茶苦茶な話である。
 しかし、まんざら嘘でもなさそうだ。本当にサイトが異世界人であるならば、この妙な服装も納得できる。明らかに貴族には見えないのに苗字を名乗ったのも、異世界の習慣と思えば理解できる。
 それに。

「ねえ、ルイズ。今の話……聞いた?」

「聞いてるわよ」

「サイト、誰かの使い魔になるんだって」

「そうみたいね」

「普通……人間は、使い魔にならないわよねえ?」

 キュルケに言われんでも。
 
「わかってるわよ」

「でも……ルイズは勉強家だから、例外があることも知ってるわよね?」

 私は小さい頃、魔法の実践が苦手で、その分、座学を頑張っちゃったメイジだ。一般のメイジが知らないことも知っている。そして、私と旅をしているうちに、いつのまにかキュルケも知っちゃった。
 昔々の伝承によれば、始祖ブリミルの使い魔は人間だったという。『魔王』なども使役したが、それは使い魔とは別だそうだ。
 そして、始祖ブリミルの魔法系統は『虚無』。現代の四つの系統とは異なる魔法。おそらく、今のハルケギニアで虚無の魔法を使えるのは、ただ一人……。

「……おい、娘っ子」

 やばい。ボケ剣と目があった。

「おめ、もしかして……『使い手』を召喚するべきメイジじゃねえのか?」

 やばい。サイトが期待の目を私に向けた。私が彼を元の世界に戻せると思ったらしい。

「なあ、娘っ子。試しに……ここで召喚の儀式をやってみないか?」

「ふざけないで!」

 私は剣に怒鳴った。
 何が悲しゅうて、神聖な儀式を、こんな道端でやらにゃあならんのだ!?
 剣は、しょせん剣なのだろう。乙女にとって使い魔召喚がどれだけ大きな意味を持つか、わかってないんだから!

「ねえ、ルイズ」

 私を宥めるつもりなのか、キュルケが優しい声をかける。

「どうせ……あなた『ゼロ』のルイズでしょ? どんな魔法も失敗して、爆発魔法になっちゃう。成功の確率ゼロ。だから『ゼロ』のルイズ」

「キュルケ……それは昔の話よ!」

「あら? 今でこそ、その爆発魔法を使いこなしているけど、でも何でも『爆発』になっちゃうのは相変わらずでしょ? どうせ『召喚』も失敗するから……」

 そこまで言われたら、私にだって意地がある。

「そんなことないわ! 見てなさい!」

 キュルケに焚き付けられて、私は『召喚』を始めてしまった。

########################

「ほら、見なさい!」

 私は腰に手を当てて、胸を張ってみせた。
 今、私の前には大きな鏡がある。ここから、私の『使い魔』が出てくるのだ。

「まだ……何も出てきてないじゃない」

「でも失敗じゃないでしょ?」

 鏡が出現したのは、私の前だけではない。サイトの前にも、同じ鏡が現れていた。その意味は、一目瞭然である。

「さあ、キュルケもサイトもデルフも、気が済んだわよね。じゃあ、この話は、これで終わり……」

「ちょっと待った!」

 みんなに止められた。

「肝心なのが……まだでしょ?」

 キュルケが笑ってる。ああ、もう!

「……そうね。ほら、サイト! その鏡に飛び込みなさい!」

「鏡に飛び込めって言われても……」

 恐る恐る、自分の前の鏡に触れるサイト。

「わっ!?」

 そのまま中に引きずりこまれて、私の鏡から出てきた。
 使い魔とメイジの、感動の御対面である。さっきまで横にいたのだから、全然感動しないけど。

「ほら、ルイズ! 次は?」

 面白がるキュルケ。
 赤くなる私。
 不思議そうなサイト。

「あのねえ、サイト」

 キュルケが彼の耳に口を寄せて、小声で説明。

「使い魔を召喚したら、契約(コントラクト・サーヴァント)をしなきゃいけないんだけど、その内容が……」

 最後の部分は、私にも聞こえなかった。でも、サイトが飛び上がったのは見えた。

「ええっ!? マジっすか!? メイジって使い魔に……『初めて』を捧げんの!?」

 鼻息を荒げるサイト。なんだかんだ言って、私と同じ年頃の少年なのだ。
 彼は服を脱ぎかけたが、私は慌てて止めた。
 
「感謝しなさいよね! 貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないんだから!」

「え? 着たまま? いや俺も初めてだから、よく見えるほうが……」

 バカなこと言ってるサイトの口に、私自身の口を重ねた。

 チュッ!

 こうして私は、乙女の『初めて』……つまりファーストキスを、彼に捧げたのである。
 でも、これがメイジと使い魔の契約。仕方がないのよ、もう!

「ぐあ! ぐぁああああああ!」

 サイトが騒ぎ始めたが、私は気にしない。『使い魔のルーン』が刻まれているだけだ。
 転げ回るサイトに向かって。

「どう? それが『初めて』の痛みってものよ?」

 キュルケが下品な冗談を言っていた。

########################

「……え? それじゃ、ルイズ……俺を元の世界に戻せないの?」

 その日の夜。宿屋でのことである。
 二部屋取ったのだが、キュルケは一人部屋。私はサイトと同室だ。

「そう。私、そんな魔法知らない」

 サイトは私のことを『ルイズ』と呼ぶ。旅に出たばかりの私なら、平民からそんなふうに呼ばれたら、大激怒だったかもしれない。
 しかし、こうして旅をしているうちに、私の考えも変わった。
 くにでヌクヌクと暮らしていれば、貴族は着替えだって平民にやってもらうが、旅に出てしまえば、そうもいかない。
 貴族も平民も、同じ人間だ。貴族は魔法が使えるメイジであるが、メイジ殺しなんて言葉があるように、平民の中にも強い奴はゴロゴロしている。

「なんだよ、それ!? 話が違うじゃん!」

 サイトは、魔剣デルフを睨んでいる。
 実のところ、こうしてサイトと同室なのも、私としては複雑な気分だ。本来の価値観で考えれば、サイトは平民。貴族の下僕。しかも使い魔。うん、私と一緒にいるのは当然だ。
 でも……。サイトだって男の子なのよねえ? 嫁入り前の乙女が、同じ年頃の男の子と同じ部屋に泊まるのって……やっぱり、まずいんじゃないかしら?

「……なんだ? 俺の顔に、何かついてんのか?」

 いつのまにか、サイトは私を見ていた。私の視線が気になったらしい。

「な、なんでもないわ! そ、それより……どうせボロ剣の話でしょ。あんただって『半信半疑』って言ってたじゃない」

「まあ、そうだけどさ……」

 サイトは悲しそうだ。なんだか心の支えを失ったような表情だ。
 ああ、もう! 何よ、それ!? そんな顔しても、私の母性本能は刺激されないわよ!?

「ねえ、サイト」

 頑張って猫なで声で話しかけてみた。

「……ボロ剣の言ってたとおり、私の魔法は特殊なの。だから、誰も教えてくれないの。私自身で、頑張って色々見つけてかないといけないの」

 サイトの顔が、少しだけ明るくなった。

「それって……?」

「そう。旅をしているうちに……いつか、そういう魔法の手がかりも、見つかるかもしれないわね」

「ほらな、相棒。俺っちの言うとおりだろ?」

 今頃、口を挟むデルフ。

「……つーわけだ。しばらくは、娘っ子の旅についていくぜ! よろしくな!」

 サッと話をまとめやがった。こんなところだけ、年の功のつもりかもしれない。ちょっと悔しいから、無視してやる。

「わかった、サイト? あんたを帰す方法が見つかるまで……よろしくね」

「ああ、ありがとう。こちらこそ……よろしく」

 私とサイトが握手をする。彼の手に刻まれたルーンが少し気になったが、それ以上考える暇はなかった。

 トン、トン。

 ドアをノックする音。
 私とサイトが、少し身を硬くする。
 気づいたのだ。ドアの向こうの気配は……ただ者じゃない!?

「誰? どうぞ、入って」

 私は杖を、サイトは剣を握りしめ。
 入ってきた人物に目を向けた。
 小柄な少女だった。

「……こんばんは」

 ボソッとつぶやく少女。
 全身を白いマントと白いローブ、白いフードでスッポリ包んでいる。目の部分と前髪の一部だけが出ているが、その目には眼鏡をかけており、髪の色は青だった。
 見るからに怪しいスタイル。身長より大きな杖を手にしており、明らかにメイジである。

「……あなたと商売がしたい。あなたの持っているあるものを、あなたの言い値で引き取る」

 無表情な口調である。これだけ顔を隠していても、そう思わせる。

「私が持っているもの……?」

「……そう。今日の昼、手に入れたもの」

 なるほど、盗賊の宝か。あの中に、よほどの物があったのか?

「ふーん。でも……取り引きするなら、まず名前くらい名乗って欲しいわね」

 私は自分からは名乗らず、そう言ってみた。
 すると。

「……タバサ」

 青髪の少女は、つぶやいた。





(第二章へつづく)

########################

 全十五部の予定。一応の構想としては、アンリエッタが出てくるのは第四部、ギーシュとモンモランシーが出てくるのは第九部の予定。
 なお『せし』『達』ではなく『する』『たち』にしたのは、章題由来ではなくセリフ由来のつもり。せっかくこういう題名にしたのですから、ちゃんと十五部まで続けたいのですが、はてさて……。

(2011年3月31日 投稿)
(2011年4月12日 サブタイトルを付記/「第二話へつづく」を「第二章へつづく」に訂正)
(2011年5月24日 六ヶ所の「召還」を「召喚」に訂正)
  
  



[26854] 第一部「メイジと使い魔たち」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 23:07
   
「……タバサ」

 青髪の少女は名乗った。だが、まだ名乗っただけだ。
 白いマントと白いローブ、白いフードで全身を隠すという、怪しい格好。その怪しさは、依然として消えていない。

「俺、平賀才人。こっちの世界の言い方だと、サイト・ヒラガ」

「私は、ルイズ。……ルイズ・フランソワーズ」

 使い魔が軽々しく自己紹介を始めたので、私も簡単に名前を告げておく。

「でも……私、そんな胡散臭い格好の人とは、取り引きしたくないわ」

「……わかった」

 あら、案外、素直じゃない?
 タバサはフードを下ろして、マントを外し、ローブも脱いだ。
 中から出てきたのは、黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。要するに、私と同じ、旅の学生メイジの正装である。
 中にもマントを着てたのかオイ、とツッコミを入れたくなったが、私の隣では、サイトが笑い出していた。

「ぷぷぷ……。そんな勿体ぶった格好だから、いったい何が出てくるのかと思いきや……。ルイズ以上のお子様じゃん!」

 ちょっと待て。何気に私のことまで馬鹿にしてないか!?
 まあ確かに、この少女は『お子様』である。
 胸もぺったんこ!
 私よりぺったんこ!
 共感するべきなのか、憐れむべきなのか!

「いやさ、こういう場合って……人間じゃない体が出てくるとか、そういうサプライズじゃないのかよ!? 子供! ま、これはこれでサプライズ! うぷぷ……」

「……だから見せたくなかった」

 タバサがサッと杖を振り、

「ぐへっ!?」

 空気の塊が、サイトのみぞおちに決まった。彼は体を曲げて、苦悶している。
 やはり彼女は、なかなかのメイジのようだ。系統は、おそらく『風』。
 タバサが何もしなければ私がお仕置きしてたかもしれないが、一応、言っておこう。

「やめてよね、私の使い魔を虐めるのは。躾は自分でするから」

「……使い魔?」

 タバサは小首を傾げた。

「……恋人じゃなくて?」

 こ、こいびと!?

「誰が恋人よ!?」

「……あなた」

 わ、わ、わたしが、こ、こんなやつと……。

「怒らないで。あなたと戦いに来たわけじゃない」

 そうだ。タバサは私と取り引きをしに来たはずだ。私もプルプルしている場合ではない。

「……怒らせたのならば謝る。ごめんなさい」

 素直に頭を下げるタバサ。
 しかし。

「お嬢さま!」

 バタンと扉が開いて、老人が一人飛び込んできた。

「お嬢さまが頭を下げる必要など……」

「……いい。これも不要な争いを避けるため」

 タバサの召使いか執事か、そんなところのようだ。こう見えて、それなりの家柄の貴族ということか。

「ま、元はと言えば、私の使い魔がバカなこと言ったせいだもんね。こっちも悪かったわ」

 非があれば認める。これも貴族のプライドである。昨今は謝らないのがプライドだと勘違いしている貴族もいるが、私は、そんな世間知らずな連中とは違う。

「……で、あるものを売ってほしいってことだったわね。何なの、その『あるもの』って言うのは?」

「……言えない」

 私は眉をひそめた。

「それじゃあ取り引きにならないわね……」

「……ふっかけられても困るから」

 なるほど。それに、どれと言われたら私も好奇心が働いて、手放す気が失せるかも。

「じゃ、どうする?」

「……それぞれの値段を言って」

 このタバサって子、無表情でポツリポツリとしゃべる。何とも交渉しにくい相手である。
 でも、何となく理解した。昨日の宝全部に私が値段をつければいいわけだ。そう言えば最初に『あなたの言い値で引き取る』って言ってたっけ。

「わかったわ、なら早速商談にうつりましょうか。品物は像と剣、そして古いコインが少々。じゃあ、まず剣が……」

 私は次々と値を付けた。
 タバサは無表情のまま数歩あとずさり、老僕はまんまるに目を見開く。
 サイトは平然としていた。おお、意外に肝っ玉が大きいのね。
 
「……相場の二倍や三倍は覚悟してた」

 やっとのことで声を絞り出すタバサ。
 私もポンと手を叩いた。

「よく考えたら、とんでもないわね」

「そう。あなたの提示した額は、相場の千倍以上」

「そーねえ。今のはあんまりだから……今言った値の半額でいいわ」

 真顔で言い放つ私を見て、堪えきれなくなったらしい。

「半額!? この小娘! お嬢さまを愚弄するのもいい加減に……」

「ペルスラン!」

 タバサの叱責の声が飛んだ。

「しかし、お嬢さま……」

「言い値と言ったのは私」

 それから彼女は、私を睨む。
 
「交渉決裂。でも今日は取り引きに来ただけ。おとなしく帰る」

 くるりと背を向けて、扉に向かって歩き出した。ペルスランと呼ばれた執事も、彼女に従う。
 タバサは戸をくぐったところで一瞬立ち止まり、振り向きもせずにつぶやいた。

「……明日からは敵同士」

 その瞬間、殺気が渦巻いた。
 私もサイトも警戒するが、そのままタバサ達は去っていく。
 しばらくして。
 サイトが私に聞いてきた。

「なあ、ルイズ」

「……何?」

「お前が言った金額って……そんなに高かったの?」

 いまだにサイトは、ハルケギニアの物価を理解していないらしい。

########################

 翌朝。
 宿の一階にある食堂へサイトと共に降りていくと、既にキュルケが食べ始めていた。

「こっちよ〜〜、ルイズ!」

 私たちも同じテーブルへ。二人が座るや否や、キュルケがニマッと笑う。

「ねえルイズ。ゆうべはおたのしみ?」

「……そんなわけないでしょ。サイトは使い魔、それに平民なの」

 私はジト目で返した。
 こう見えてもサイトは意外に紳士であり、おとなしく床で寝ていたのだ。襲ってきたら返り討ちにしてやろうと思ったが、私のベッドに近づく気配もなかった。別に私に魅力がなかったわけではなく、サイトが理性的だったのだろう。

「え〜〜? 男と女が二人きりで、何もなかったの? つまんない。せっかく気を利かせて、外に出てたのに……」

 キュルケの部屋は、私たちの隣。昨夜のタバサ騒動でバタバタした際、キュルケも気づいて来るかと思ったけど、来なかったのは留守にしていたからか。なるほど。
 ……ん? 一瞬納得してしまったが、ちょっと待て。

「なあ、隣が空いてたなら、相棒はそっちで寝れば良かったんじゃねえか?」

 私と同じ点に思い至って、サイトの背中の剣からツッコミが。
 ちなみにサイト自身は、勝手にキュルケの皿に手を伸ばし、黙々と食べていた。

「じょ、冗談よ! 外に出てたのはホントだけど、それは野暮用。そんなに長い時間じゃなかったわ」

 私が睨んだら、キュルケは慌てて否定する。
 ……というより、野暮用? キュルケの方こそ、ゆうべはおたのしみだったの?
 そんな疑問が、私の顔に出たらしい。

「違うわよ、ルイズ。実はね、昨日の夜、あたしも……」

 ……ん? 『も』?

「……使い魔を召喚したの! ほ〜〜ら!」

 彼女に呼ばれて、外からキュルケの使い魔が入ってくる。
 大きさはトラほどもあろうか。尻尾が燃え盛る炎でできていた。チロチロと口からほとばしる火炎が熱そう。立派な火トカゲ(サラマンダー)だ。
 朝の食堂が、ムンとした熱気に襲われた。
 大騒ぎになった。
 怒られた。

########################

 そして朝食の後、私たちは宿を発った。
 私はサイト、キュルケはサラマンダー。それぞれ、使い魔を連れて歩く。
 今まではアテのない旅だったが、一応の目標が出来てしまった。異世界人を元の世界に戻す魔法を探す旅。……うーん、こうして言葉にすると、とっても胡散臭くて、現実味のない話だなあ。

「で、俺たちはどこへ向かってんの?」

 肝心の異世界人サイトが、この調子である。
 キュルケは何となくついて来てるだけ——時々いなくなるけど——、だから行く先を決めるのは私。

「適当」

「はあ?」

「今まで行った場所には、そんな魔法の手がかりはなかったの。だから、行ったことない場所へ行くの」

 つまり、適当である。
 が、サイトはこれで丸め込まれたらしい。なんだか納得した表情をしている。この男、けっこうクラゲ頭かもしれない。

「ねえ、ルイズ」

「何よ、キュルケ?」

「……魔法学院へ行ってみない?」

 うわっ、珍しくまともな提案してきたよ、この女。
 確かに『魔法』の手がかりならば、どこぞの学院の図書館で書物を調べるのも一つの手だ。
 私だって、旅の学生メイジ。一度も顔を出したことはないが、一応、魔法学院に所属している。たまには立ち寄ってみるのも……。

「ちょうどね、あたしの学校が近いのよ!」

 え?
 キュルケの言葉で、私がギギギッと顔を横に向ける。

「ねえ、キュルケ……。ここから一番近い学院は、トリステイン魔法学院だけど……?」

「そう! あたし、そこの生徒! でも一度も行ったことないの」

 思わず立ち止まって、頭を抱える私。

「どうした、ルイズ。おなかでも痛いのか?」

 サイトがトンチンカンな言葉をかけてくるが、私は聞いちゃいなかった。
 今の今まで、知らなかったのだ。私とキュルケが、同じ魔法学院の生徒だなんて!

########################

 そんなわけで具体的な行き先も決まり、私たちは街道を進んでいた。
 大森林の中を突っ切る形で走っている道だが、この辺りは比較的場所が開けており、かなり大きな野原になっている。
 天気はよく、空は青い。
 でも。

「ねえ、ルイズ」

 キュルケが声をかけてきた。彼女のサラマンダー——フレイムと名付けたらしい——も、唸り声を上げている。

「うん、わかってる。サイトは……?」

「ああ、俺も」

 三人と一匹が足を止めた。
 ワラワラと敵が出てくる。こんな開けた場所の何処に隠れていたのか、不思議なくらい大勢、四方八方から。

「あれ……何?」

「いわゆる亜人ってやつよ」

 御主人様として、ちゃんと使い魔に教えてあげる私。
 今、私たちを取り囲んでいるのは、山賊や野盗といった人間ではなかった。コボルド、翼人、オーク鬼、トロール鬼……。小さいのから大きいのまで、まあ色々である。

「ねえ、ルイズ。この辺に生息してる種族じゃないわよ、これ……?」

「誰かが連れて来たんでしょ。その誰かさんの姿は見えないけど」

 キュルケに言葉を返すと同時。

 ドーン!

 無詠唱で私が爆発魔法——普通の小さなエクスプロージョン——を放った。
 二、三匹のコボルドが一撃で黒コゲに。
 戦闘開始である!

########################

「あっけなかったわね、ルイズ」

「そうね、キュルケ」

 結構な数がいたはずなのに、全部一掃するまで、たいして時間はかからなかった。
 私もキュルケも、超がつくほどの一流メイジなのだが……。それにしても早すぎる!

「使い魔がいると……やっぱりラクなのね」

「そうね、キュルケ」

 キュルケのフレイムは、それほど活躍しなかったけど。
 いや、昨晩召喚されたばかりにしては、キュルケとの息もピッタリあってたし、さすが火竜山脈のサラマンダーだ。
 でも。
 くらべる相手が悪い。
 私の使い魔サイトと比べたら、やはり見劣りしてしまうのだ。

「ねえ、サイト。あんた……本当に強かったのね」

「ああ。だけど……俺自身ちょっと驚いてる。昨日までは、こんなじゃなかったのに……。なんだか急に体が軽くなってさ」

 いやはや。
 実戦経験豊富な私やキュルケでさえ、彼の動きを目で追うのは難しかった。
 これが一流の剣士のスピードかと驚かされたが、今のサイトの言葉で判った。私は、サイトではなく、彼が手にした剣に目を向ける。

「これが……あんたの言ってた『使い手』ってこと?」

「そういうこった。……まだ初歩の初歩だが、相棒は、今まで傭兵稼業してたからなあ。ちょっと『使い手』として力を使っただけで、ザッとこんなもんさ」

「え? 何?」

 当のサイトは、何も判りませんという顔をしている。ああ、もう、このクラゲ頭!

「あのね、あんた、さっき戦ってた時、左手が光ってたでしょ!?」

「ああ! 言われてみれば、そんな気がする! 剣を握って気合い入れたら、なんかピカーって……そういえば、体が軽くなったのも、その時だったかな?」

「それは使い魔のルーン! 使い魔っていうのはね、契約した時に特殊能力を得ることがあるのよ」

「黒猫がしゃべれるようになる……って話が、よく例に出されるわよね」

「俺は猫じゃねえぞ」

 口を挟んだキュルケに対して、サイトは律儀に返していた。

「わかってる。あんたは人。だから特殊。だいたい、普通はルーンも光らないし」

 そして、再び視線を魔剣デルフリンガーへ。目で促されて、剣が続きを語る。

「だから相棒は『使い手』なのさ。かつて始祖ブリミルの使い魔の一人だった『ガンダールヴ』。その再来ってこった」

「へえ。何だか知らんけど……俺、凄いものになっちゃったのか?」

 照れ臭そうに笑うサイト。
 たぶん、こいつ、まだよく理解していない。ボケたボロ剣の言葉が正しければ——そして正しいであろうと私も思うが——、サイトは、伝説の使い魔なのだ!
 ……まあ、私の魔法『虚無』が、そもそも伝説なわけで。私の使い魔が伝説なのも、当然っちゃあ当然なんだけど。
 私は、あらためて剣を見つめる。

「……あんただけね、伝説じゃないのは」

「やい、娘っ子! 俺っちも伝説だぞ!? 凄い能力があるんだぞ!? ただ……ちょっと覚えてないだけだい!」

 憐れみの目線に対して、剣が必死に反抗していた。

########################

 そして、その晩。
 足音がした。
 気のせいではない。
 私が宿でベッドに入って、しばらくしてのことである。

(サイトかしら? 床で寝るのが嫌になった? それとも……や、やっぱり私の魅力に、が、が、我慢できなくなっちゃった?)

 ……なんてことも一瞬考えたが、残念ながら、そんなラブコメ展開ではなく。
 音は部屋の外から聞こえる。複数の人間が出来る限り足音を忍ばせている、そういった音だ。
 私は身を起こした。サイトも体を起こしている。うん、さすが傭兵やってただけのことはある。
 私たちは、静かに動いた。
 しばらくして、足音は私の部屋の前でピタリと止まった。

 バン!

 ドアが蹴り開けられ、人影がいくつか、なだれ込んで来る。ベッドに誰もいないと知り、奴らは慌てた。

「……どこだ!?」

 ここよ、と返事をする代わりに。
 爆発魔法をお見舞いした。

「ぎゃっ!?」

「そこか!」

 私たち二人は、ドアの横に立っていた。
 二人してバッと飛び出し、爆発魔法をもう一発。そしてバタンとドアを閉める。

 ゴウン!

 かなり派手な音がした。密閉した室内で、大爆発だ。

「てめえら! ……ぅげっ!?」

 廊下にも刺客が一人いたが、サイトが斬り捨てた。

「何、今の音!?」

 これは斬り捨てちゃいけない。隣の部屋から出てきたキュルケだ。

「刺客よ!」

「やったの?」

「何人か!」

 私は正直に答えた。フルに詠唱したエクスプロージョンならば全滅だろうけど、今回は、ほぼ無詠唱。一発目は声を出して居場所を知られたくなかったし、二発目は時間もなかったから。
 案の定。
 扉が再び開いて、焦げ臭い匂いと共に、生き残りが出てきやがった。

「俺にまかせろ!」

 使い魔サイトが斬りつける。あっというまに一人が倒れる。
 よく見れば、敵は人間とオーク鬼の混成集団。杖を持つ者はいないようだが……。

「気をつけなさい、サイト!」

 昼間のような広々とした戦場ではない。ガンダールヴ自慢のスピードも、あの時ほどは活かせないだろう。
 私も、ここでは竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)のような大技は使えない。あれでは、宿屋ごと宿泊客ごと吹き飛ばしてしまう。
 キュルケもサラマンダーも系統は『火』、彼女たちが本気でやっても、宿屋は炎上する。
 そんなわけで、私たちは牽制程度。ここはサイトがメイン。だが。

「なかなかやるな、小僧」

 頭の禿げ上がった中年男が、サイトの斬撃を自分の剣で受け止めていた。

「おっさんこそ!」

「なーに、年の功ってやつさ」

 二人が同時に飛び退いた。
 と、その時。

 チリーン……。

 不思議な鈴の音が鳴り響いた。

########################

 まずい、意識が朦朧とする!
 私はガシッとサイトにつかまると、反対の手で、彼のほっぺたをギュッとつねった。

「痛っ!? 何すんだ、おまえ!」

「いいから! あんたも私に同じことしなさい!」

「え? ……おまえ、そういうシュミあったの?」

「違うけど! あとで説明するから、早く!」

 私の切迫ぶりに、サイトも思うところあったのか。
 私の頬に手を伸ばして、ギュッとつねり上げる。
 いてええええ! でも私が命じたのよね、これ。
 二人でつねりっこするメイジと使い魔。はたから見れば間抜けな光景だが、見物人などいなかった。
 さっきまで戦っていた相手も、キュルケも。皆、夢遊病者のように、歩き出していた。キュルケは自分の部屋へ、襲撃者は階下へ。

(もう、いいわね……)

 しばらくしてから、私は手を放した。言わずとも伝わったようで、サイトもつねるのをやめた。
 鈴の音も止み、誰もいなくなっていた。いや、厳密には『誰も』ではない。廊下の端に、男が一人、立っていた。

「どちらに非があるのかは別として、真夜中に騒ぐのは他の客に迷惑だぞ」

 青みがかった髪と髭に彩られた顔は、まるで彫刻のよう。筋肉がたっぷりついた上背は、さながら古代の剣闘士のよう。見た感じは三十過ぎ程度だけど、こういう奴って若々しく見えるのが定番よね?

「ありがとうございます。助かりました。……あなたは?」

 礼を言いながらも、私は警戒を解かなかった。
 彼の手の中にある小さな鈴。あれが、たった今の不思議な現象の原因。おそらく心を操るマジックアイテムだ。そんな鈴があるなんて、具体的には聞いたことないけど、何せ世の中は広い。私の知らないお宝で溢れているはずだった。

「いや、ただの同宿の客だ。不審な連中……こいつらが足音を忍ばせて歩いているのを見て、つい首を突っ込んでしまったが……」

 ここで男は、満面の笑みを浮かべた。

「……君は、この『鈴』に対抗するほどのメイジだ。私などの出る幕ではなかったかな?」

「いえいえ、とっさの対処が偶然うまくいっただけで。……で、その鈴は何です?」

 欲しい。とっても欲しい。まあ無理だろうけど、せめて少しでも情報を。どこで手に入れたのか、それくらいは……。

「ああ、たいしたもんじゃないよ。ほんの手慰みで、試しに作ってみたシロモノだ」

「え!? 作った……!?」

 驚きのあまり聞き返してしまったが、男は聞いていなかった。一人でブツブツつぶやいている。

「そこそこの自信作ではあったんだが……初見であんな対応されるようじゃ、やっぱり捨てた方がいいか……」

 それを捨てるなんて、とんでもない!
 捨てるくらいなら、私にくれ!
 そう言いたいところだが、ここは慎重に。
 私は、もう一度、男をジッと眺めた。どこかで見たような顔なんだよなあ? そして、こんな魔道具を作製する能力……。

「あ!」

「……ん? なんだい?」

 今度は男も、私の叫びに反応する。

「あなたは……もしかして『無能王』ジョゼフ様ですか!?」

 男の表情が、肯定の言葉だった。

########################

 ガリア王国の当代の王ジョゼフは、幼少時から魔法の才能に乏しく、父母や臣下から軽んじられていたという。
 それは即位してからも変わらず、役人や議会からは「内政をさせれば国が傾き、外交をさせれば国を誤る」と言われる始末。邪魔者あつかいされた彼は、諸国漫遊の旅に出た。
 しかし、この辺りから彼の評判が一変する。
 いつのまにか彼は、魔法が苦手な代わりに、別の才能を身に付けていたらしい。
 誰も使えないマジックアイテムを使いこなしたり、新しいマジックアイテムや魔法薬を開発したり、それで人々を助けて回ったり……。
 おしのびで旅する、庶民の味方となったのだ。
 そうなると「魔法が使えない」というのも、平民からは親近感を持たれる理由となった。そんなわけで人々は彼を『無能王』ジョゼフと呼ぶ。彼に関しては、『無能王』という単語は、親しみをこめた言葉なのである。

「私を知っているというのであれば、話は早い。実は……」

 その有名なジョゼフ王が、私に何か秘密を明かそうとしていた。

「この騒動……まんざら私にも無関係とは言えなくてね。見たところ、タバサの手の者のようだから……」

「タバサを知っているのですか?」

 王様に対して、本来、こんな口の利き方をすべきではない。
 だが、自国の貴族からは半ば追い出され、平民の間で受け入れられたジョゼフ王である。かしこまった態度は好きではないというのも、有名な話であった。

「もちろん、知っている」

 ジョゼフ王は頷いた。

「彼女は私の敵だ。魔王シャブラニグドゥを復活させようとしている少女だからね」

 さあ、とんでもないことになってきた。
 安宿の廊下で立ち話する内容ではない。
 チラッと隣を見ると、サイトはポカンとしていた。

「残念ながら……相棒は、話から完全に脱落してるぜ?」

「わかってる。あとで説明したげる」

 剣のフォローに冷たく返してから、私は、再びジョゼフ王に。

「本当なんですか?」

「間違いない。タバサは、人と人形と氷の合成物として生を受けた存在だ……」

 へえ。あの子、普通の人間じゃなかったのか。人形とか氷とか、だからあんなに無表情なのかな?

「……魔王を復活させることで、より強大な力を手に入れて、亜人たちだけの世界を作ろうとしているらしい」

「バカなことを……」

 正直、この世界における『亜人』の扱いというものは、よいものではない。貴族も平民も同じ人間だと言える者が少ないように、人間も亜人も同じ生き物だと思う者は少ないのだ。
 だからタバサが亜人の一種であるならば、人間に対して反抗心を持つのも、わからんではない。しかし……『亜人たちだけの世界』というのは、さすがに行き過ぎである。

「……察するに君は、魔王を解き放つ『鍵』を偶然手に入れてしまい、それでタバサに狙われているのだろう?」

「まあ、そんなところです」

「ならば、私が『鍵』を預かろう。そうすれば、もうこれ以上……」

「それはできません!」

 私は強く叫んでしまった。自分でも不思議なくらいに。
 せっかくのお宝を他人に渡したくない。それが気持ちのメインだ。だが、それだけじゃない。ちょっと考えて、それなりの理由があることに気づいた。

「王様の話から考えて、タバサは、生きとし生けるもの全ての共通の敵。私たちも戦いましょう。……ならばこそ、私たちが『鍵』を持ち続けたほうがよいのです」

 この男が世間の噂通りのジョゼフ王であるならば、私の考えを全て説明する必要もないはず。小出しにしてみたら、案の定、わかったような顔をしてくれた。

「……囮になるつもりか」

「はい。王様と私たちが手を組んだと知られないためにも、現状維持が得策かと」

「しかし……危険だぞ?」

「大丈夫です。私も、そこそこ名の通ったメイジですから」

 自信ありげな私の言葉に、ジョゼフ王が目を細める。

「失礼だが……君の名は?」

「申し遅れました。私は、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。メイジ仲間の間では、『ゼロ』のルイズと呼ばれております」

「ほう! 君が、あの『ゼロ』の……」

 満足げに頷いたジョゼフ王は、私の部屋の方へ歩いていく。
 え? 私の部屋に泊まるつもり? 私そんな気ないんですけど!?
 ちょっと焦ったが、そうではなかった。懐から小さな玉のようなものを取り出し、部屋の中に放り込んで扉を閉める。シューッという音が聞こえてきた。これも何かのマジックアイテムらしい。

「では、私は自分の部屋に戻るとしよう。『ゼロ』殿が囮になってくれるというのであれば、私は、陰から援護するまでのこと……」

 言うと、そのままスタスタ歩み去っていく。
 すると早速、サイトが話しかけてきた。

「なあ、ルイズ」

「何よ? 説明なら、部屋に戻ってから……」

「そうじゃなくて、その部屋のことなんだけど」

 サイトは部屋を覗き込んでいた。私も視線をそちらに向けて……。
 げっ!
 絶句した。部屋の中は、まっさらな状態に戻っていたのだ。襲撃前の状態に。
 私の爆発魔法の跡もなければ、それでやられた死体すら消えている。
 さすが、ジョゼフ王の魔道具。信じられない凄さであった。

########################

 部屋に戻った私とサイトは、二人でベッドへ。といっても、艶っぽい話ではない。

「じゃ、約束だから説明してあげる」

「ああ、頼む」

 安宿の小部屋では、話し合うテーブルもなかったのだ。床に座り込むよりはマシと思って、向かい合ってベッドの上に腰を下ろしたのである。

「まずは、ほっぺたつねったことだけど……」

「あ、それは何となくわかった。催眠術か何かなんだろ、あれ? 魔法とは違うけど、俺の世界にも、そういう技術がある。嘘か本当か怪しいテクニックだけど」

 正しく理解されたかどうかは不明だが、私のシュミではないと判ってもらえたら、それでいい。

「じゃ、次は『無能王』ね。ジョゼフ王は……」

 と、ジョゼフ王に関しても説明。
 さあ、いよいよ次が、メインの話題である。

「そして、魔王シャブラニグドゥ。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』とも呼ばれてるんだけど……」

 ここで私は、チラッとボロ剣を見た。

「なんだい、娘っ子?」

「あんた……もしかして数千年前の戦い、参加してるんじゃない?」

「ああ、あれか……」

 来た来た!
 こうしてサイトに説明することになれば、この剣からも話が聞けると思ったのだが、やっぱり!
 どこまで信じられるかわからないボケた剣だが、それでも伝説の生き証人であるなら、一応の話は聞いておきたかった。
 が。

「……うん、思い出せねえ」

 うわっ、この役立たず!

「はあ。……まあ、いいわ。途中で何か思い出したら、フォローして」

 少し落胆しながら、私は語り始めた。

########################

 この世の中には、私たちが住む世界とは別に、いくつもの世界が存在していると言われている。それらの世界は、『混沌の海』とか『大いなる意志』とか呼ばれるものの上に作られているという。そして、どの世界でも『神』と『魔』が争いを続けている……。
 ハルケギニアでは、数千年前に一つの決着がついた。始祖ブリミルが、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥに勝利したのだ。

「それって……神様が悪魔を滅ぼしたってこと?」

 違うわ、サイト。
 シャブラニグドゥは始祖ブリミルの軍門に下り、彼に使役されることになったの。
 一部では「魔王がブリミルの使い魔になった」と誤解しているけれど、始祖ブリミルの使い魔が人間だったことは、デルフリンガーの話のとおり。
 そして、これも誤解している人がいるようだが「始祖ブリミルが死ぬ際、魔王も一緒に滅んだ」というわけではない。もし滅亡したのであれば、魔王の力を借りた呪文など消え去ったはずなのに、私のように使える者もいるのだから。

「じゃあ、結局、魔王はどうなったわけ?」

 私が信じている伝承では「始祖ブリミルは、その身に『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥを封印した」ということになっている。それによると、ブリミルの死後、魔王の魂は分断されて、ブリミルの子孫の中に転生していくらしい。人間の中で転生を繰り返すことで、魔王の『魔』が浄化され、魔王の『力』だけが残るという仕組み。
 ……まあ何とも都合のいい話だけれど、この分断転生説を裏付けるような事件が千年前に発生した。魔王シャブラニグドゥが復活したのだ!

「魔王復活!?」

 そう。
 ただし、トリステインとかガリアとかロマリアとか、そうした主要国家の近くではなく、遥か東方。
 始祖ブリミルがハルケギニアに初めて降り立ったとされる伝説の場所『聖地』で、魔王シャブラニグドゥは復活した。

「聖地で……魔王? 言葉だけ聞いていると、なんだか皮肉な感じがするんだが……」

 まあ、当然ね。
 しかも、皮肉なことがもう一つ。
 千年前の魔王降臨の際、魔王に立ち向かい、最終的に魔王を封印したのは、私たち人間ではない。
 私たちが忌み嫌う存在であるはずのエルフが、私たちのために頑張ってくれた。しかも、彼らエルフは魔王を大地に繋ぎ止めるため、その地に今も留まっている。
 そんな事情があって、『聖地』は『シャイターン(悪魔)の門』と呼ばれるようになった……。

########################

「……というわけで、私たち人間は、東へは行けなくなっちゃったの。もしかすると、はるか東方にこそ、未知の魔法の手がかりもあるかもしれないけど……さすがに私も、エルフや魔王のところに乗り込んでケンカ売る気はなくて……」

 正直に言ってしまった。
 サイト、怒るかなあ? 失望するかなあ?
 ……と少し心配したのだが。

「むにゃ〜〜」

「サイト……あんたって人は……」

 いつのまにか寝てますよ、この男は。
 しかも、私と向かい合ったまま、前のめりに倒れ込む形で。つまり、私の太腿の上に倒れ込んで。
 ……あれ? これって……い、いつのまにか、わ、わ、私、サイトに膝枕してるってこと!?

「なんでえ、今頃気づいたのか、娘っ子?」

 のほほんとつぶやくボロ剣。
 あんたは剣だから判らないんでしょうけど、乙女の膝枕というのは……。

「ん〜〜むにゃむにゃ〜〜。ルイズ……」

 ……ま、いっか。
 やたら幸せそうに眠るサイトを見ていたら、ボロ剣への怒りもスーッと消えてしまった。
 これも、今日一日がんばった使い魔への御褒美ということで、許すとするか。別に私、ヘンなことされてるわけじゃないんだし……。

「混沌の海……大いなる意志……」

 あら。私から教わった話を、寝言で復習ね。ちょっと可愛いかも。
 ……なんて思っていたら。
 こいつ、手が動いてやがりますよ!? しかも……。

「混沌の……大いなる……。広くて……平らな……大きな世界……。平らな……平らな……とっても平らな……。どこまでも平らな……まるで洗濯板……」

 アンタどこ触ってんのよッ!!

「こ、こ、このバカ犬ゥゥゥッ!!」

 お仕置きエクスプロージョンが炸裂したことは、言うまでもない。





(第三章へつづく)

########################

 「スレイヤーズ」原作一巻で、二巻の舞台となる地名は出てくるので、このSSでも場所だけ先に提示しておくことに。
 「ゼロ魔」には、あらゆる『獣』を操るという『神官』キャラがいるので、このSSにも早く登場させたいのですが、まだまだ我慢。

(2011年4月3日 投稿)
(2011年5月24日 二ヶ所の「召還」を「召喚」に訂正)
   



[26854] 第一部「メイジと使い魔たち」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 23:09
   
 朝。
 食堂に現れた私を見て、キュルケは目を丸くした。

「ねえ、ルイズ。あなた、何を引きずっているの?」

「使い魔よ」

 なかなかサイトが起きないから、親切な御主人様である私は、食堂まで連れてきてあげたのだ。あくまでも『連れてきてあげた』であって、『引きずってきた』ではない。

「よく見ると、そうね」

 キュルケは、頷いて言った。
 私も、あらめてサイトを見る。大きく腫れ上がった顔とこびりついた血で判りにくいが、どう見てもサイトだ。一応、寝る前に薬は塗ってあげたし、今も息はしている。

「何したの、彼?」

「私の胸を触ったのよ」

「まあ!?」

 キュルケは驚きながらも、顔をニンマリとさせた。

「ルイズ、あなたも女になったのね! 二晩目で結ばれたわけか……。で、いきなり、こんなハードなプレイってこと?」

「下品な冗談いわないで。キュルケ……あんたも、こうなりたい?」

 私が真顔で返すと、一瞬でキュルケの顔から笑みが消える。彼女は、首を左右にブルブル振っていた。

########################

「それじゃキュルケ、昨日のこと覚えていないの?」

 こもれ陽のなかを走る街道を、肩を並べて歩きながら私は言った。
 数日前から同じような森の中ばかりを歩いている。いいかげん、この木ばかりしか見えない風景にも飽きてきたが、まあ仕方あるまい。
 トリステイン魔法学院へ行くと決めてしまったのだから。
 全寮制の学校にはよくある話で、トリステイン魔法学院は、辺鄙な大自然の中にあるらしい。よって魔法学院までは、これと似たような風景が連なっているわけである。

「ん……」

 キュルケは、しばし考え込む。
 ちなみに、フレイムはキュルケの後ろをノッシノッシとついてきているし、サイトもトボトボと最後尾を歩いている。さすがに昨晩はやりすぎたと私が反省し心配した頃に、ちゃんと彼は復活したのだ。

「やっぱり覚えてないわ。騒がしくて廊下に出て、鈴の音が聞こえてきて……。記憶はそこまでね」

 ということは。
 あの鈴は、他人を操るだけでなく、その間の記憶も残さないわけか。
 なかなか恐いアイテムだ。変態さんの手に渡ったら、私のような美少女は何をされることやら。

「……で、気づいたら朝だったのよ。普通にベッドに寝てたから、あれって夢だったのかしら……って思ったくらいだわ」

 話を締めくくったキュルケは、好奇心に満ちた目を私に向ける。

「結局、あの後、どうなったのよ?」

「いいわ、教えてあげる。実はね……」

 一応はキュルケも仲間だ。『無能王』ジョゼフが出てきたことや、ジョゼフ王から聞いた話を、ちゃんと伝えた。
 聞き終わったキュルケは、口をあんぐりと開ける。

「ルイズ……。あなた、とんでもない話に巻き込まれたわね」

「そうね」

 アッサリ返した私の顔を、キュルケは覗き込んだ。

「もしかして、ルイズ。ジョゼフ王の話……信じてないの?」

 鋭いことを言う。
 まあ、キュルケならそれくらい判るかな、って思っていただけに、私も驚かない。

「……外見もマジックアイテムも、たしかにジョゼフ王っぽかったわ。でも、ジョゼフ王って、おしのびで旅してるお偉いさんでしょ? 名を騙るニセモノが出てきても不思議ではない」

「そのタバサって子? その子の仲間かもしれない……って考えてるのね?」

「そういうこと」

 あくまでも可能性の一つである。

「そうね。何であれ、警戒するに越したことないわね」

 まるで私の心を読んだかのように、キュルケがつぶやいた。
 私もキュルケも、世間知らずの貴族ではない。旅をしている学生メイジだ。初めて会った人間の言うことをホイホイ信じるほど、愚かではなかった。
 ここで私は、チラッと後ろを見る。眠そうな顔でサイトが歩いている。
 サイトの話は、なんだか、最初から受け入れてしまったが……。これも運命ってやつ? もちろん、男と女の、ではなく、メイジと使い魔の、である。
 ……と、ちょっとバカなことを考えていたら。
 
「ねえ、ルイズ。 あれって……」

 キュルケが立ち止まり、私も足を止めた。
 向かって右側は、生い茂る森の木々。左側は、ちょっとした広場のようになっている。
 まっすぐ伸びる街道の真ん中に、一人の少女が立っていた。
 黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。手にした杖は、身の丈より大きな、ごっついタイプ。

「今日は白ずくめじゃねえんだな」

 いつのまにか私の横まで来ていたサイトが呟いた。さっきまでの顔とはまるで違う、剣士の顔だ。こうして見ると、結構りりしいのね、サイトって。

「キュルケは初対面ね。あの子が……タバサよ」

 私の言葉が合図だったかのように、タバサも口を開いた。

「……例のものを渡して」

「嫌だと言うなら力ずく……ってこと?」

 タバサが頷く。
 私の隣でキュルケがハアと溜め息をつく。

「あたしたちの実力は、昨日のでわかってるだろうに……。一人でやってきて、ずいぶんな自信ね」

「一人ではないぞ」

 キュルケへの返事は、別のところから飛んできた。
 後ろだ。
 声の方に目をやった。
 いたのは禿頭の中年。昨晩の宿屋襲撃で、サイトと斬り結んだ男である。今日は剣ではなく、杖を手にしている。こいつメイジだったのか。

「要はこの女から神像をいただけば、それで終わりだろ、タバサよ」

「ミスコール男爵!」

 タバサの叱責が飛ぶ。
 男爵は一瞬、ポカンとした顔をする。

「……そういや、こいつらにはまだモノが何か言ってなかったか。……まあしかし、どちらにしても同じこと。こいつらは、ここで死ぬのだから」

「勝手なことを言ってくれるわね」

 私はズイッと一歩前に出る。キュルケも続いた。

「そうよ? あたしたちを相手に、たった二人で……」

「二人ではない」

 また別の声だ。キュルケが何か言う度に敵が増えてる気がする。
 タバサの横手から出てきたのは、これも禿頭の大男。杖を手にしているので、こいつもメイジ。

「ミスコール男爵の手には余ると聞いたのでな。このピエール・フラマンジュ・ド・ソワッソンがお相手つかまる!」

「……渡して」

 無表情のタバサが、再度要求する。やる気満々の男たちとは対照的に、命まではとらないよ、というつもりらしい。
 しかし私たちとて、おとなしく降参するようなタマじゃない。
 私が何も言わずとも。

「どうでもいいさ、いくぜ!」

 魔剣を手に、サイトが駆け出していた。
 しかし同時に、サッとタバサが杖を振る。
 いつのまに呪文詠唱していた!?
 驚く間もなく、飛んできた氷の槍を回避する私たち。それぞれ素早くその場を飛び退き、さらに私は、無詠唱のエクスプロージョンで迎撃。
 爆発が煙を生み、氷は水蒸気と化す。辺りはもうもうとして、視界が遮られた。
 まずい、離れ離れになった!?
 煙の向こうで、刃を交える音が聞こえる。サイトが誰かと戦っているのだ。敵に剣を手にした者はいなかったはずだが、『ブレイド』——杖に魔力を絡ませて刃とする魔法——を使ったのだろう。

「サイト! キュルケ!」

 叫んだそのとたん。
 目の前に青白い塊が。またも『氷の槍(ジャベリン)』だ。

「とっ!?」

 あわてて飛びすさる。
 徐々に薄れゆく煙の中、ゆっくりとそいつは姿を現した。

「あなたの腕……試させてもらう」

「……タバサ!」

 彼女が手にした杖には、もう次の氷の槍が絡みついている。しかも大きい。彼女の魔力の大きさを象徴していた。

「いいわ! こっちこそ……あんたを試してあげる!」

 そう言いながら、身を翻す私。森へ駆け込んだのだ。
 広いところで戦うより、木々を盾にした方がいい。いくら巨大なジャベリンだって、何本も大木を貫通する間には、威力は弱まる。一方、私のエクスプロージョンなら、そんなもの関係なく、根こそぎ爆発だ。
 後ろで今ジャベリンが放たれる気配はなかった。私を追って森の中へ入ってくるようだ。
 ……と、そこまでは予定通り。が、私はまだタバサを甘く見ていたのだ。

「えっ!?」

 いきなり前方からの突風。私の足が止まる。
 誰かの魔法だろうが、方角から考えて、タバサや禿頭二人ではない!
 つまりタバサは、森の中に伏兵を潜ませていたのだ。

「……期待外れ」

 タバサに追いつかれた。
 次の瞬間、彼女の膝蹴りが私のみぞおちに食い込む。
 吹っ飛んだ私は、背中から木に叩き付けられた。

「あんた……魔法だけじゃなくて、戦術も体術も……やるわね……」

 苦悶をこらえて、私が顔を上げる。
 まずい!
 すぐ目の前にタバサがいた。そして……。

########################

 気がつくと、知らないところにいた。
 今は使われていない、古い屋敷か何かの一室のようだった。
 左の頭がズキズキする。
 殺されはしなかったが、安心してもいられない。私は両手を縛られ、天井から吊るされていたのだ。

「大ピンチ。捕まっちった。情けなや……」

 リズム良くつぶやいても、状況は良くならない。
 目の前には、タバサがいた。
 老僕もいる。たしか名前はペルスラン。
 二人の禿頭もいた。ミスコールとソワッソン……だっけ?

「ようやくお目覚めか」

 口を開いたのは、ミスコールだった。
 戦場ではないせいか、ずいぶん表情が緩んでいる。っていうか、ニタニタしている。なんだか気持ち悪い。
 続いて、タバサが問いかけてきた。

「……あれはどこ?」

「さあ? 何のことかしら?」

 とぼける私。禿頭二人が怪訝な顔をする。

「おいおい、どういうことだ?」

「彼女は『神像』を持っていない」

「何!?」

 タバサの言葉に、男たちが驚きを示した。

「きちんと調べたのか? 裸にひんむいて?」

「ミスコール男爵! 敵とはいえ、相手はレディであろう!?」

 仲間を叱責するソワッソン。なるほど、同じ禿頭メイジであっても、かなり性格は違うようだ。

「……そこまでしなくてもわかる。隠す場所ない」

 タバサが、あらためて私に視線を向けた。
 今の私は、いつもの格好からマントと杖を取り上げられた姿。宝にあった神像は一つだけ、あれは結構な大きさだったから、服の間に潜ませるのは無理だ。
 でも……。
 あんた、私の胸を見て言ってるでしょ? 挟む谷間もない、って意味で!? あんたにだけは言われたくなかったわ!
 敢えて口にはしなかったが、顔に出てしまったのか。ミスコールは、私とタバサの胸を見比べて、好色な笑いを浮かべていた。

「なあ、タバサ。なんだったら、俺が調べてやろうか?」

「ダメ。あなたは『調べる』だけじゃすまない」

「そんなこと言うなよ……」

 彼は私に近づき、ジロジロと視線を這わせた。
 それだけで、こっちは気分が悪くなってくる。

「こいつは敵だが……気品のある顔立ちをしておるぞ? このまま死なすのは勿体ない。それに……この素晴らしい胸!」

 え?
 何か聞き慣れない単語を耳にしたような気が……?

「そのぺったんこ具合が、俺の心をかき乱すのだ。……たまらん! 貧乳、たまらん!」

 ぎゃあああ! 変態だ! 変態がいる!
 私が騒ぐまでもなく、ミスコールはタバサの杖で頭を叩かれ、その場に失神。

「……ありがとう」

 しかし、タバサは首を左右に振った。

「神像を渡して」

 今度は私が首を振る番だ。
 どこに隠したのか、誰が持っているのか。話すつもりはなかった。
 少しの沈黙の後、タバサはつぶやく。

「ひと晩、時間をあげる。朝までに決めて」

 そして、私とミスコールを交互に見ながら。

「渡すか、渡されるか」

 そう言って、部屋から出ていった。老僕も後に続く。
 気絶しているミスコールを担ぎあげながら、ソワッソンが、私に憐れみの目を向ける。
 ちょっと意味が判らないので、彼に尋ねてみた。

「えーっと……あれって、どういう意味?」

「つまりな。我々にあなたが神像を『渡す』か、ミスコールにあなたが『渡される』か、その二者択一だ」

 彼も去っていく。

「ああ、そういう意味ね。……って、ええーっ!?」

 ようやく理解した私は、一人で絶叫していた。

########################

 やがて闇が落ちた。光源といえば唯一、窓から漏れる星明かりのみ。
 朝までに考えろ、とは言われたものの、私はうつらうつらとし始めていた。天井から吊り下げられたままで熟睡などできないが、昼間の疲れなどもたたっていたようだ。
 どれくらいたったか……。
 扉が音も立てずに開いた。誰かが部屋に入ってくる。
 瞬時に私は覚醒する。

「静かにして」

 囁くような声の持ち主はタバサだった。まだ朝ではないし、私の返答を聞きに来た、という感じでもない。
 暗くてわかりにくいが、色々と荷物を持っているようだ。
 タバサが杖を振る。風の魔法で縄を切られて、私はストンと床へ。

「杖とマント」

 手渡されたのは、確かに私のものである。

「……どうして?」

「事情が変わった。あなたを連れて逃げる」

 もともと無口な人形娘だ。それ以上の説明を求めても無駄だろう。
 私はタバサの後を、足音を忍ばせてついていく。
 どう考えてもワナっぽいが、それがどんな形のワナであれ、天井から吊るされたままよりマシだ。
 そして。
 さほどかからずに外に出た。
 黒くたたずむ森と朽ちた屋敷の建物を、月の光が照らしていた。

「……もう従う必要はない」

「え?」

 突然、タバサが説明を始めた。ここまで来て安心したのかと思ったが、彼女の表情は違う。むしろ、焦っていて、黙っていられないという感じだった。

「協力者が母さまを救出してくれた。エルフが警護から離れたから」

 何のことだ?
 ……というより、今なんと言った? エルフだって!?
 いくら天才美少女メイジの私でも、エルフにだけは喧嘩を売りたくない。千年前の降魔戦争では人間の味方だったとはいえ、基本的にエルフは人間の敵だ。かつて始祖ブリミルが最後に戦った相手も、エルフの軍勢だったと言われている。
 強力な魔法を操る、凶暴で長命な生き物。それがエルフ……。

「ちょっと!? エルフって、どういう……」

 聞き返した私だが、途中で言葉を呑み込んだ。
 タバサと二人で、同じ方向に目を向ける。

########################

 森の入り口に、青い闇がわだかまっていた。
 無能王ジョゼフ……私たちにそう名乗った男が、そこに立っている。

「どういうつもりだ? その『ゼロ』を逃すというのは……」

 タバサは何も答えない。

「これはれっきとした反逆行為だぞ? 母親の身が惜しくはないのか?」

 どうやら、私の疑いは正解だったようだ。いや、それ以上か。ジョゼフは、タバサの仲間どころか、むしろ彼こそが黒幕だった!

「ふむ。そんなわけないな。おまえにとって母親がどれほど大切か、私も知っているつもりだ。ならば……助け出したのか? カステルモールあたりが裏切ったか……?」

 タバサは相変わらず無言だが、ジョゼフは、それを肯定と受け取ったらしい。

「なるほど。それはそれで面白いな……」

 ニンマリと笑うジョゼフ。昨晩の宿屋でも見た笑顔だが……。
 そうか!
 この時、私は気づいた。なぜ私は、この男を信用できなかったのか。この笑顔は……嘘なのだ!
 確かに、この男は笑っている。面白がっているという態度だ。
 でも、違う。これは、上辺だけの表情。心の底では、何も感情が動いていないのではないか!?
 根拠はないけれど、私の直感が、そう告げていた。

「だが、母親の心はどうするのだ? 体は取り戻せても、心は取り戻せまい?」

「……私が何とかする」

 ようやく口を開くタバサ。それから彼女は私にかけよると、いきなり後ろから抱きしめた。

「何すんの!? 私そんなシュミないわよ!?」

「その娘を盾にでもするつもりか?」

「違う」

 私とジョゼフの言葉に、タバサは一言で答えた。
 同時に、私の体がフワリと浮く。
 ……おいっ!? まさか!?

「っわきゃーっ!」

 私はすっ飛んでいた。
 あろうことかタバサは私をジョゼフに向かって投げつけたのである!
 もちろん彼女の細腕だけで可能のはずがない。『フライ』か『レビテーション』か、魔法も加えているのだろう。それはともかく、ジョゼフはアッサリ私を避けた。

 ベチャッ!

 おかげで私は、森の木に正面から激突。
 痛い。
 が、私が文句を言うより早く、タバサが再び私を抱きかかえた。

「いつのまに!?」

 どうやら投げた私の後ろを追うように走り、ジョゼフの横を突っ切ったようだ。
 同時に、後方へ氷の槍をぶちかます。ジョゼフの追撃を回避するためだ。

「むちゃくちゃよ、あんた!?」

 私の苦情も無視。さらに数発の氷の槍を撒きちらしながら、タバサは闇の中を疾走した。

########################

「……なんとか振り切ったようね」

 私たちがやっと一息つけたのは、そろそろ夜も明けようかという頃になってのことだった。
 森の中にある河原だった。街道からは少し離れている上に、近くに小さな滝があり、少々大きな声で話をしても聞きつけられる心配はまずない。
 私もタバサも、適当な石を椅子代わりにしている。今のうちに少し寝ておきたいが、その前に事情を聞きたいという気持ちもあった。

「さっきの話だと……あんた、お母さんを人質にとられてたのね?」

 顔色一つ変えずに頷くタバサ。その無表情な顔を見て、ジョゼフの言葉を思い出した。

「あの男が言ってたけど……あんたが亜人だって本当?」

 タバサがこちらを見る。一応これが、不思議そうな顔なのだろうか。

「人と人形と氷の合成物として生を受けた存在だ、って……」

「そんなわけない」

 今度は言葉で返事がきた。さすがに、きちんと否定したかったのね。

「そっか。やっぱり嘘だったか……。じゃあ、あの男がジョゼフ王だっていうのも嘘?」

「それは本当。……あれは私の伯父」

 おやおや、聞いてもいないことまで教えてくれた。
 このタバサって子、ガリアの王族だったのか。言われてみれば、青い髪というのは珍しいし、ガリア王家の血筋の特徴だった。
 私が普通の者ならば、もっと恐縮するかもしれないが、私だって公爵家の三女。小さい頃から、偉い人にはたくさん会ってきた。例えばトリステインの姫さまは、私の幼馴染みだ。

「でも……あんた達みたいな王族が、なんで神像ひとつに執着してんの? どうせ魔王シャブラニグドゥを復活させる……って話も嘘なんでしょ」

「魔王? ……違う。あの神像の中には、『賢者の石』が入っている」

 賢者の石。
 先住の魔法と呼ばれる魔法の源となる物質。
 詩的な表現を好む者は、この世界を司る力の雫だ、と言う。
 現実的な表現を好む者は、すこぶる強大な魔力の塊だ、と言う。
 広い意味では、我々が普通に使う『風石』や『土石』なども『賢者の石』のはずだが、そんなありふれた物を『賢者の石』とは呼ばない。詳細も不明な伝説級のモノだけが、『賢者の石』として扱われていた。

「……で、そんな凄いもんで、何をするつもり?」

「心を取り戻す。……賢者の石が、魔法薬の材料になる」

 彼女の言葉で、さきほどの直感を思い出す。ガリア王ジョゼフは……心がカラッポなのだ。

「伯父王は、何事にも感動できない。だから色々と遊ぶ。もてあそぶ。……そして『心』に関する魔法薬も研究してきた」

 なるほど。ジョゼフが人々を魔法薬で救うのも、一種の実験台。あるいは、気まぐれ。平民を助けるのも面白いかも……くらいの考え。善意でも悪意でもないから、いつ反対の立場になってもおかしくはない。
 ……って思うと、なんだかジョゼフが、とても危険な男に思えてきたぞ!?

「あなたのお母さんも……ジョゼフに心をやられたの?」

 タバサは頷く。
 ジョゼフもタバサも、どちらも賢者の石を欲しがっているわけだ。

「……愛する弟を殺し、その妻を廃人にした。それでもジョゼフ王は心を動かされなかった」

 そうか、この子……父親も殺されたわけか。

「かたきうち……したいの?」

 タバサは肯定も否定もせず、私の目を見つめた。

「あなたの力が必要」

「……私?」

「あなたの噂は聞いたことある」

「『ゼロ』のルイズ」

 私が自分から言うと、タバサは頷いた。

「その『ゼロ』は……たぶん『虚無』という意味」

 そう来たか!
 ずいぶん事情通なことで。
 おそらく私が使う爆発魔法の噂を耳にして、そこから推測したんでしょうね。
 ……あれ? でも、それを虚無と結びつけるということは、身近にサンプルがある……?

「あなたは虚無の担い手。ジョゼフ王と同じ」

 あちゃあ……。
 私は頭を抱えてしまった。
 ジョゼフの『無能王』って、そういう意味だったのか!
 普通の四系統とは違うから、周囲からは魔法が使えないと思われる。かつての私と同じだ。
 自分とガリアの王様を重ね合わせて考えなかったから、気づかなかったけど。
 言われてみれば……子供でもわかる話!
 そして、彼が『虚無』のメイジだということは。彼の特殊能力も、本当は……。

「ねえ、タバサ。ジョゼフが凄い魔道具とか魔法薬とか、使ったり作ったりできるのも……?」

「魔道具は、使い魔の能力。神の頭脳『ミョズニトニルン』。あらゆる魔道具を操る。……私も会ったことない。でも、いるのは確か」

 はあ、既に使い魔を召喚済みですか。私もサイトって使い魔がいるだけに、虚無の使い魔の実力は、実感しております。
 ……サイト、今頃どうしてるのかなあ? タバサ達に捕まってないってことは、ちゃんと逃げたんだろうけど。御主人様のピンチには駆けつけなさいよね、使い魔なんだから!
 と、心の中でサイトに怒っていたら。

「……魔法薬は違う」

 珍しく饒舌に、タバサが説明を続けていた。

「半分は、彼自身の研究。半分は、エルフの協力。……私の母さまの心を奪ったのも、エルフの魔法薬」

 ……ジョゼフに力を貸すエルフがいるわけか。
 何とも皮肉な話である。
 虚無のメイジということは、エルフから見れば、始祖ブリミルと同じ。仇敵の生まれ変わりのはず。
 まあ事情があるんだろうけど、そこまで私の知ったこっちゃない。聞けば聞くほど、スケールの大きすぎる話だ。 

「ねえ、タバサ。あんた……私がエルフに勝てると思ってんの? いくら何でも、買いかぶり過ぎよ?」

「これ」

 そう言ってタバサが荷物から取り出したのは、オルゴールと指輪だった。
 オルゴールは、古びてボロボロ。茶色くくすみ、ニスは完全にはげており、所々傷も見える。
 タバサは蓋を開いたが、私には何も聞こえなかった。

「何これ?」

「『始祖のオルゴール』。『クレアバイブル』とも呼ばれる」

「クレアバイブル!? これが!? クレアバイブルは『始祖の祈祷書』のはず……」

「クレアバイブルは一つじゃない。これも、その一つ」

 知らなかった。でも、このオルゴールがそんな伝説級のシロモノだとしたら、指輪の方も……?

「もしかして……これって『土のルビー』?」

 指輪には、鮮やかな茶色の石が嵌っている。始祖ブリミルが子供や弟子に与えたと言われる四つの秘宝の一つだ。
 『火のルビー』以外は赤くないのに、それでも四つとも『ルビー』と呼ばれる不思議。世間では「始祖ブリミルの血から作られたから」ということになっているが、私は「かつて始祖ブリミルが倒した『赤眼の魔王(ルビーアイ)』と関係あるのでは?」と秘かに思っている。

「そう、土のルビー。虚無の担い手が指輪をはめれば、クレアバイブルは、虚無の魔法を教えてくれる」

 なんと!? そんな便利な仕組みがあったのか!?
 私は独学で、インチキかもしれない『写本』から魔法を習得したというのに……。
 まあ『写本』も『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』をもとにしているという話だから、本物ならば、それくらい当然なのかも。

「では、早速……」

 タバサから土のルビーを受け取り、私が指にはめた時。

「お前だったのか、それを盗んだのは……」

 私とタバサは、同時に振り返った。

########################

 男が一人立っていた。
 薄い茶色のローブを着た、長身で痩せた男だ。つばの広い、羽のついた異国風の帽子を被っている。帽子の隙間から、金色の髪の毛が腰まで垂れていた。

「あの男に、その二つを取り返してこいと言われてな」

 ガラスで出来た鐘のような、高く澄んだ声だった。
 男の言葉に意識を向けていた私に、タバサがポツリと言う。

「……逃げて」

 タバサが呪文を唱え始める。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース……」

 これはトライアングルスペル『氷嵐(アイス・ストーム)』だ!
 私は一目散に駆け出した。近くにいたら私まで巻き込まれてしまう。
 タバサの周りの空気が、そして川や滝の水の一部が凍りついた。彼女の体の周囲を回転し、氷の嵐が完成する。

 ブゥオ、ブゥオ、ブルロォオオオオオッ!

 荒れ狂う嵐は、振り下ろされたタバサの杖に従い、男へと向かう。
 しかし彼は避けない。
 平然とつぶやく。

「お前も……ずいぶんと乱暴だな」

 そして男の体が氷嵐に包まれた……ように見えた瞬間。
 嵐がいきなり逆流し、タバサを襲った。

「イル・フラ・デラ……」

 タバサは『フライ』で飛んで避けようとしたが、駄目だった。河原の石が連なり、形を変えて、足首をガッチリつかんでいる!

「タバサ!」

 私は叫ぶことしか出来なかった。私の目の前で、彼女は氷嵐に呑み込まれた。

########################

 ボロボロになって転がったタバサに、男は近づいた。
 彼女の小さな体は傷だらけ。その首筋に男が手を当てる。とどめをさす……という雰囲気ではない。

「この者の身体を流れる水よ……」

 タバサを助けているのだ。ありえない速度で、みるみる傷がふさがっていく。
 そして男は、私に視線を向けた。

「命を奪う必要はない。……我が命じられたのは、ただ二つの宝を取り返すことのみ」

 さきほどの防御魔法も、この回復魔法も。
 あからかに、普通の魔法とは違う。しかし『虚無』でもない。虚無の担い手である私には、それがわかった。
 ならば、これは……。

「先住魔法……」

 私の呟きに対して、男は不思議そうな顔をする。

「どうしてお前たち蛮人は、そのような無粋な呼び方をするのだ?」

 それから、少し納得したように。

「ああ、私を蛮人と誤解していたのか。失礼した、お前たち蛮人は初対面の場合、帽子を脱ぐのが作法だったな」

 男の帽子が取り去られる。

「私は、ネフテスのビダーシャルだ。出会いに感謝を」

 金色の髪から……長い尖った耳が突き出ている。

「エルフ……!」

 口に出すと同時に、私は理解した。
 こいつが、タバサの言っていたエルフ。彼女の母親を警護していたエルフ。
 彼女がジョゼフの宝を盗み出したのは、私に使わせるため。同時に、母親のそばからエルフを離れさせ、母親奪還を容易にするため。
 一石二鳥の作戦。さすがタバサ。
 でも……そのタバサも、やられてしまった。意識を失って、倒れたままだ。
 エルフ、おそるべし!

「力の差は、お前も見たとおりだ。我は戦いを好まぬ。おとなしく返して欲しい」

 ビダーシャルは、私の手をジッと見つめていた。正確には、その指にはめた『土のルビー』と、手の中の『始祖のオルゴール』だ。

「だ、だめよ。これは……渡せない」

 私は、ただ後ずさるだけだった。
 今は、こちらから魔法は撃てない。私は今……オルゴールの調べに耳を傾けているのだ!
 先ほどタバサに加勢できなかった理由も、これである。
 この愚図なオルゴール……魔法一つ教えるのに、いったいどれだけ時間をかける気!?

「そうか。ならば……仕方ない」

 ビダーシャルは両手を振り上げた。

「石に潜む精霊の力よ。我は古き盟約に基づき命令する。礫となりて我に仇なす敵を討て」

 河原の石が、彼の周りだけ浮き上がる。大きいのも小さいのも。
 で、私に向かって飛んでくる!
 ぎゃああ!? 逃げきれない!?
 その時。

 ボウッ!

 横から吹いてきた巨大な炎が、石つぶてを飲み込んだ。

「この魔法は……キュルケ!?」

 でも炎が足りない。数を減らした石の散弾は、なおも私へ。
 しかも、赤熱の石つぶてとなって。……状況悪化してないか、これ!?
 もうオルゴールなんて聞いてられない。こうなったら私のエクスプロージョンで叩き落とす……と思った時!

 ガキンッ!

 私の前に飛び込んだ人影が、全ての石弾を剣で弾き飛ばしていた。
 まるで伝説の主人公みたいなタイミングでやって来たのは……。

「わりい、少し遅れた」

「サイト! ほ、ほ、本当に……遅かったんだから! 御主人様は、ピンチだったのよ!? 今まで何やってたのよ、バカ犬!」

 私は、思わずそう叫んでいた。





(第四章へつづく)

########################

 ミスコール男爵のキャラはアニメ版をミックス。
 あと、エルフのビダーシャルは、一応、魔族のゾロムというつもり(魔族を全てエルフにする予定ではありませんが)。ゾロムは、新装版では改変されたそうですが、旧原作版ならば印象深いキャラのはず。
 第一部は次回で最終回。三日後に投稿の予定。

(2011年4月6日 投稿)
(2011年4月21日 「叔父」及び「叔父王」をそれぞれ「伯父」及び「伯父王」に訂正)(2011年5月24日 「召還」を「召喚」に訂正)
   



[26854] 第一部「メイジと使い魔たち」(第四章)【第一部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/09 20:13
    
「ほう……仲間か……」

「『仲間』じゃない。俺はルイズの『使い魔』だ」

 ビダーシャルの問いに、サイトはキッパリと言った。

「使い魔……? 人間なのに……? そうか、おまえも『虚無』か。悪魔の末裔め……!」

 私とサイトを見比べながら、苦々しく呟くビダーシャル。
 この男にも、知られてるのね。『伝説』のありがたみがないけど、相手がエルフでは仕方ないか。

「それにしても……私の居場所、よくわかったわね?」

 私の前に立ちはだかり、守ってくれる大きな背中。それに向かって問いかけた。
 サイトが答えるより早く。

「……すごかったのよ。サイトったら、あなたが心配で、急に強くなっちゃって」

 横から現れたキュルケが、口を挟む。
 ええい、今は御主人様と使い魔の大事な再会タイム、あんたは邪魔よ!?

「何それ? 私に惚れてんの?」

「ちげーよ。ただ……俺は、お前の使い魔だからな」

 あら、やだ。
 ちょっと照れてるような声なんですけど。

「……だいたい鬱陶しいんだよ。右目と左目で別々のものが見えるんだぞ!? いきなり左目がお前の視界に変わって……」

 その言葉で理解した。視界の共有だ。
 使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられる。使い魔が見たものは、主人であるメイジにも見える場合があるのだ。
 今のサイトの話では普通とは逆のようだが、こいつは、そもそも普通の使い魔じゃないからね。

「……主人の危機になりゃあ見える。ガンダールヴだからな」

 補足する魔剣デルフリンガー。が、その姿を見て、私は驚いた。
 光り輝いているのだ。これでは……まるで伝説の『光の剣』じゃないの!?

「びっくりすんな、娘っ子。ガンダールヴの強さは、心の震えで決まる。そして相棒は娘っ子が心配で、心を震わせた。だから、俺っちも本来の姿を取り戻したんだぜ」

「ウダウダうるせーよ。とにかく……こいつがルイズを虐めたんだな!?」

「そうよ、サイト! あんなエルフ……やっつけちゃって!」

 私の声援で、サイトは走り出した。
 左手のルーンを輝かせながら、ビダーシャルの手前で跳躍。剣を振り下ろす。
 が。

 ブワッ!

 ビダーシャルの手前の空気がゆがんだ。
 ゴムの塊にでも斬りつけたかのように、剣が弾き飛ばされる。一緒に跳ね上げられた感じで、サイトは後ろに吹っ飛ぶ。私とエルフとの真ん中あたりに、サイトは転がった。

「悪魔の末裔といっても、しょせんは蛮人の戦士か。お前では我に勝てぬ。おとなしくオルゴールと指輪を渡せ」

 はいそうですかと従うわけがない。サイトは、すぐに体を起こした。

「なんだあいつ……。体の前に空気の壁があるみたいだ。どうなってんだ」

 サイトの言葉に、デルフリンガーが低い声で返す。

「ありゃあ『反射(カウンター)』だ。厄介でいやらしい魔法だぜ」

「かうんたあ?」

「あらゆる攻撃や魔法を跳ね返す、えげつねえ先住魔法さ。なんてえエルフだ、とんでもねえ『行使手』だぜ、あいつはよ……」

 ビダーシャルが両手を振り上げた。

「石に潜む精霊の力よ。我は……」

 また石つぶてが来る!?
 でも、さっきとは状況が違う。たっぷりと時間は稼がせてもらった。
 オルゴールの授業が、ようやく終了したのだ!
 これが……今、必要な呪文なのね!?

「デルフ! 私、『解除(ディスペル)』を覚えたわ!」

 それだけで通じた。
 サイトが再び、ガンダールヴの速さで走り出す。
 デルフリンガーも叫ぶ。

「娘っ子! 俺に……」

「わかってる!」

 みなまで言わせずに、私は呪文の詠唱を始めた。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……」

 独特の古代ルーン語が、私の口から、次から次へと吐き出されていく。

「ギョーフー・ニィド・ナウシズ……」

「……なんだ、それは!?」

 エルフが驚きの顔をする。

「エイワズ・ヤラ……」

 ほうけた感じで彼が動きを止めている間に。

「ユル・エオ・イース!」

 私の呪文は完成した!
 杖をデルフリンガーに向けて振り下ろす。
 虚無魔法が魔剣にまとわりつき、刀身の光が青白く変わる。

「相棒! 今だ!」

「おう!」

 すでにサイトは、ビダーシャルの目前に迫っていた。
 デルフリンガーを振り上げ、振り下ろす。
 『反射(カウンター)』の目に見えぬ障壁とぶつかり合う。
 今度は弾き飛ばされなかった。私の『虚無』の力が、障壁を切り裂く!

「……これが世界を汚した悪魔の力か!」

 驚愕のエルフが後退する。大きく後ろへ飛び退いたが、その身もサイトに斬られて、ダラダラと血を流していた。
 追撃しようとするサイトを、一つの声が制止する。

「待って……」

 意識を取り戻したタバサだ。
 キュルケに肩を借りる形で、ヨロヨロと立ち上がっていた。

「殺しちゃダメ」

 と、サイトに言ってから、今度はエルフに。

「母さまを元に戻して。お願い。あなたなら出来るはず」

「だが……それは……」

 傷を手で押さえながら、言葉を絞り出すビダーシャル。
 その時。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

 遠くから聞こえてきた声に、私はハッとする。
 この呪文詠唱は!?

「みんな、私の後ろに集まって!」

「相棒! 娘っこの言葉に従え!」

 そして。
 周囲一帯が大爆発した。

########################

 爆発の中心は、あのエルフのいたところだ。
 もはや全く姿が見えないが、立ちけむる煙のせいだけではあるまい。

「何よ、今の……?」

 私の後ろで、キュルケが震える声を上げた。彼女はタバサに肩を貸している。二人は無事だ。よく見たら、二人の後ろにはフレイム——キュルケの使い魔——もいた。
 サイトも間に合った。ガンダールヴの素早さで、ちゃんと私の背後に回ってくれた。

「あれが……本物の『爆発(エクスプロージョン)』よ」

 杖を振り下ろした姿勢のまま、私が答える。
 実は、あれでもフル詠唱ではない。呪文を聞いた私には、判っていた。が、そこまでキュルケに言う必要もないだろう。
 こちらも急いでエクスプロージョンを撃って相殺した。私たちを狙ったものではなかったから、小さなエクスプロージョンでもカウンターになった。それでも一歩遅ければ、爆発に巻き込まれていたかもしれない。
 エクスプロージョン対エクスプロージョン。
 虚無と虚無との激突。
 その結果が、この惨状だった。

「ふむ……」

 爆煙の中、一人の男が現れた。

「味方を殺せば……大切な手駒を失えば、少しは面白いかと考えたが……」

 煙が晴れるに連れて、その姿が明らかになる。後ろには、メイジを二人、従えていた。

「……つまらんものだな。悲しんだり、悔やんだり……何か感じさせてくれるかと思ったが、皆無ではないか」

 言い切った男が、周囲を見渡す。
 背後の二人は微妙な顔をしていた。次は自分かもしれない……と思いながら、それでも強大な力には逆らえないのだろうか。

「あら、いい男じゃないの。でも……もしかして、この男が?」

「そうよ、キュルケ。こいつが……」

 あらためて男を睨んで。
 私は、その名前を口にした。

「無能王ジョゼフ!」

########################

 ジョゼフは静かに、懐から鈴を取り出した。
 例のマジックアイテムだ!

「ほっぺたつねって! 早く!」

「え? ……痛ッ、何すんのルイズ!?」

 私はキュルケとサイトの頬を、サイトが私とタバサの頬をつねった。
 同時に、鈴の音が鳴り響く。

「間に合った……」

「安心するのは早いぜ、娘っ子」

 デルフリンガーに言われて、よく見れば。
 キュルケとタバサは、トロンとした目になっていた。ジョゼフ側の二人のメイジ——ミスコールとソワッソン——も同じだ。

「……どういうこと?」

「娘っ子は勘違いしてたんだな。この前こいつを免れたのは、ただ痛みのせい……ってわけじゃねえ」

「その剣の言うとおりだ」

 デルフリンガーの言葉を、ジョゼフが奪った。

「……虚無の担い手とその使い魔。だからこそ、私の鈴も利かなかったのだよ」

 鈴にやられた四人が歩き出した。その場でウロウロするだけだったが、キュルケはサイトに近づいていく。

「あんた!? 何を命じたの!?」

「どうやら、その褐色娘だけが知っていたようだな」

 まさか!?
 バッとサイトに目を向ける。
 私がジョゼフと真面目な言葉を交わす横で、彼は変な声を上げていた。

「おい、キュルケ!? やめろよ、こんな時に……。お、おい! そこは……」

 ズボンのポケットに手を突っ込まれ、身悶えるサイト。……あとでお仕置きね。
 と、一瞬私が冷静さを失った隙に、キュルケは神像を取り出して、ジョゼフの元へ。
 同時に、タバサが私の手から指輪とオルゴールを抜き去って、やはりジョゼフの元へ。

「しまった!?」

「ようやく戻ってきたな……」

 満足げにオルゴールを懐にしまいこみ、指輪をはめるジョゼフ。
 鈴の音が止み、ハッとした顔でキュルケとタバサがこちらへ駆け戻ってきた。

「え!? どうしたの!? 何があったの!?」

「……やられた」

 赤と青、対照的な二人。
 そして、私とサイト。
 その四人が見つめる中。

 パキン!

 神像はジョゼフの手で砕け散った。中から出てきたのは、一つの小さな黒い石……。

「おお……これが! これが私の『心』を蘇らせるのか!?」

「……どうするつもり?」

 静かに問いかけるタバサに対して、ジョゼフは行動で返した。
 石を持った右手を、口元に持っていく。そして、手の中のものを飲み下したのだ! 

「ええっ!?」

 驚く私たち。が、本当に驚くのは、ここからだった。

 ゴウッ!

 突然、強い風が吹きつけてきた。思わずマントで顔を覆う。
 気持ち悪い風だ。いや、これは風というより……物質的な力さえ伴った瘴気!?
 その瘴気の渦の中心で、一人ジョゼフが叫んでいた。

「シャルル、俺は人だ。人だから、人として涙を流したいのだ。だが誰を手にかけても、この胸は痛まぬのだ」

 私は見た。
 生まれて初めて。
 人が、全く異質なものに変わりゆく様を。
 ジョゼフは、その言葉とは裏腹に、人では無くなろうとしていたのだ。

「ああ、俺の心は空虚だ。からっぽのからっぽだ。愛しさも、喜びも、怒りも、哀しみも、憎しみすらない」

 彼の狂気を宿した瞳は、いつのまにか赤くなっていた。
 頬の肉もごそりともげ落ち、その下から白いものがのぞく。

「シャルル、ああシャルル。お前をこの手にかけた時から、俺の心は震えなくなったのだ。まるで油が切れ、錆びついた時計のようだった」

 ごそり。
 今度は額の肉。

「だが……それも、もう終わりだ。俺は今、変わる! ああ、こんな強い欲求を感じるのは久しぶりだ!」

 私は気づいた。彼の正体——心を失った男が心の代わりに宿していたもの——が何であったかを。

「さあ行こうシャルル、神を倒しに、民を殺しに、街を滅ぼしに、世界を潰しに。その時こそ……俺は満足できる!」

 今やジョゼフの顔は、目の部分に紅玉(ルビー)をはめこんだ、白い仮面と化していた。
 その全身を覆う服も、赤く硬質な何かに変わっていった。

「……まさか……」

 タバサのうめき声だ。
 彼女もまた、気がついたのだ。
 『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥが、この地に降臨したことを……。

########################

 やがて、静寂があたりを支配した。

「選ばせてやろう。好きな道を」

 悠然と立つ、ジョゼフだったもの……ジョゼフ=シャブラニグドゥが口を開いた。

「このわしに再び生を与えてくれた、そのささやかな礼として。このわしに従うなら天寿を全うすることもできよう。……しかし、従うのが嫌ならば、わしが相手をしてやろう。エルフどもの地に封じられた『東の魔王』……もう一人のわしを解き放つ前に」

 とんでもねーことを言い出した。
 こいつは『聖地』——いや『シャイターン(悪魔)の門』と呼ぶべきか——まで行って、千年前に封印された魔王を再び世に放つつもりなのだ。
 一人でも大変なのに、二人もいたら世界は確実に破滅する。
 それに協力しろと言う。いやなら今ここで『魔王』と戦えと言う。

「なにをたわけたことをっ!」

 最初に答を返したのは、私たちではない。ジョゼフ側のメイジであったソワッソンだ。

「これ以上お前にはついていけぬ!」

「そうか……それがお前たちの選択か……」

 ジョゼフ=シャブラニグドゥが、後ろの二人をジロリと睨む。

「え? 違いますよ、私は! ソワッソンと一緒にしないでくださ……」

 ミスコールが否定するが、もう遅かった。
 ジョゼフ=シャブラニグドゥが軽く手を振り、炎の塊が二人を飲み込んだ。

「……で、お前たちはどうするのだ?」

 と、魔王がこちらに振り返った時。
 巨大な竜巻が、私たちと魔王の間に飛び込んできた。

「お逃げください、お嬢さま!」

 ただの竜巻ではない、カッター・トルネードだ。『風』のスクウェア・スペル。
 その中心にいるのは、ペルスラン。主人の危機に駆けつけた、タバサの執事だった。
 この老僕もメイジだったのか!?
 なんでタバサが危険な仕事に執事を連れ歩いているのか、少し不思議だったが、彼も結構な実力者だったのね。今にして思えば、昨日の森の中の伏兵も彼だったのだろう。

「ペルスラン!」

 叫ぶタバサの足は、その場から動かなかった。
 私はサイトに目で合図する。彼はタバサを抱え上げた。対エルフ戦で弱った彼女に、抵抗する力はなかった。

「ペルスランーッ!」

 絶叫するタバサを連れて、私たち全員が走り出す。
 振り返ってはいけない。
 せっかく彼が時間を稼いでいるのだから。
 ただ風に乗って、老僕の最後の言葉だけが耳に届いた。

「このペルスラン……お嬢さまにお仕えできて幸せでしたぞ……」

########################

 ……小さく燃える炎を見ていた。
 サイトもキュルケも、ただ黙ってジッと焚き火を見つめている。ちなみに、焚き火を作ってくれたフレイムは、キュルケの椅子になっている。
 タバサは、涙こそ見せなかったものの、まるで泣き疲れたかのように眠っていた。

「みじめね……」
 
 キュルケがつぶやく。この女が弱音を吐くなど珍しいが、状況が状況だ。
 私も思う。私たちではジョゼフ=シャブラニグドゥには勝てない、と。だが今逃げたところで、そう遠くないうちに見つかることだろう。
 そうなれば……。

「戦う」

 ボソリとつぶやきながら、タバサが起き上がった。

「みんなのかたき」

「……そうね。あたしもそう思うわ」

 キュルケはタバサの隣に移動し、彼女の頭を胸にかき抱いた。豊かな胸のキュルケがそうすると、まるで母親が子供をあやすかのようである。

「自己紹介がまだだったわね。あたし、『微熱』のキュルケ」

「……『雪風』のタバサ」

 互いに二つ名を告げ合う二人の少女。
 黙って見ていた私の肩を、サイトがポンと叩いた。

「……で、俺たちはどうするの?」

「何よ? あんたも、ああやって私の胸に挟まれたいの?」

「ちげーよ! そういう意味じゃなくて……」

「わかってるわ、冗談よ」

 真面目に返すな、このバカ犬め。
 せめて「おまえは挟むほど胸がないだろ!?」くらいの冗談、言えんのか。
 ……まあ、私と同じで、今は元気ないんでしょうね。
 それ以上私に何も言えなくなったのか、サイトは今度は、タバサに声をかけた。

「なあ、タバサ。あの魔王が『シャルル』って呼んでたけど……あれ、お前のことだろ? お前……本当は男の子だったのか」

「違うでしょ!」

 蹴りでツッコミを入れる私。どう考えたら、そういう発想になるのだ!?

「だって……俺もルイズもキュルケもシャルルじゃないし、でもシャルルって男の名前だと思ったし……」

「それは父の名前」

 タバサが小さく言った。
 あの時ジョゼフ=シャブラニグドゥは遠い目をしていたから、まあそういうことなんでしょうね。

「タバサ、私が説明するわ。いい?」

 彼女はコクンと頷いた。無口な彼女よりも私の方が語り部には適しているし、サイトやキュルケには事情を伝えるべきと思ったのだろう。
 私は、サイト達と別れてからの出来事を、語り始めた……。

########################

「……というわけよ。わかった?」

 誰も何も答えない。

「……わかった?」

 もう一度言う。
 ようやく、キュルケが口を開いた。

「ルイズ……あなた……よくしゃべるわね……」

「そお?」

 全員が大きく頷いた。フレイムまで首を縦に振っている。

「ま、とにかく事情は理解できたわ。じゃ、今度は、あたしたちの番ね」

「……つっても、たいしてないけどな」

 キュルケとサイトの話によると、あれから二人は一緒に逃げ回っていたらしい。
 ジョゼフが差し向けた刺客たちと何度も戦いながら、私を探してくれたのだそうだ。どこだか判らず困っていた時、サイトの視界に変化が。

「そういえばさ、サイト。今はどう?」

「いや、今は普通だ」

 どうやら離れていて、さらに私がピンチの時だけみたいだ。
 それはともかく。
 途中でデルフリンガーの覚醒もあり、何とかなった……。

「デルフ……あんたやっぱり『光の剣』だったの?」

 今は普通の剣に見える魔剣に、私は尋ねてみる。

「ああ、少し思い出したぜ。そう呼ばれていたこともあったなあ……。あと、魔法を吸い込めるんだわ、俺」

「そうね。さっき見せてもらったわ」

 そして、あらためてサイトに。

「やっぱり……あんただけが頼りね」

「え? どういうこと?」

 あちゃあ。
 肝心の奴が、理解していない。

「つまり、あれと戦うのは、あくまでもあんたってことよ。私とタバサとキュルケとフレイムは、あなたのフォロー」

「……なんで? お前ら……すごいメイジなんだろ?」

「そう。でもレベルが違う」

 タバサが口を挟む。無口な彼女が説明役を買って出るくらい、サイトはクラゲ頭だった。

「……ペルスランが使った魔法。あれはスクウェア・スペル。私以上の力」

「ええっ!?」

 あれでも、軽い足止め程度にしかならなかったのだ。サイトも、ようやく状況が飲み込めてきたようだ。

「で、でもよぅ? キュルケから聞いたんだけど、ルイズには凄い大技があるって……」

 ああ、キュルケはサイトにそんな話もしたのか。じゃあ教えておこう。

「そうね。私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』は、確かにとんでもない魔法だわ。この世界にある憎悪、恐怖、敵意などの暗黒の意志……それらを統べる魔王シャブラニグドゥの力を借りて放つんだもの」

「おお! 聞いただけで凄そうじゃん! 魔王の力なんだろ!? だったら、あの魔王にも……」

 興奮するサイトだが、途中で言葉が止まった。気づいたらしい。

「なあ、ルイズ。もしかして……お前の言ってる『魔王』って、さっきの奴?」

「そう。つまり竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)で奴を倒そうとするっていうのは、『お前を殺すのを手伝ってくれ』って言ってるのと同じことなのよ」

「……そうか。そりゃあナンセンスな話だな、うん」

 ここで、キュルケがタバサから離れて。

「ね? だからあたしたち、伝説の『ガンダールヴ』と伝説の『光の剣』だけが頼りなの!」

「わっ!? よせ、キュルケ!」

 私の使い魔に抱きつくキュルケ。
 口ではああ言ってるものの、大きな胸が当たって嬉しそうなサイト。
 二人で逃げている間に、何かあったんだろうか? ……いや、そんなことないだろうけど。でも、あとでお仕置きね。
 と、一瞬、その場の空気も緩んだのだが。

「そうか、ようやく決まったか」

 私たちは同時に目をやった。
 聞き覚えのある、その声の方向に。

########################

 いつのまにやってきたのか。
 いつからそこにいたのか。
 夜の木陰にわだかまる赤い闇……。

「わしとしても、ソワッソンだのペルスラン程度の相手や、ただ逃げるだけの相手を滅ぼしたところで、肩慣らしにもならんしな」

 赤眼の魔王(ルビーアイ)、ジョゼフ=シャブラニグドゥ。

「このわしの復活に立ち会ったのが不運と思って、トレーニングにつきあってもらおうか。長い間封じられていたせいか、どうもしっくりと来なくてな。……しかし安心するがいい、すぐに後から大勢行くことになる」

「……いいかげんにして」

 真っ先に反応したのは、タバサだった。
 杖を振りかぶると、その先が青白く輝き、周りを無数の氷の矢が回転した。彼女自身の青髪が、発生したタバサを中心とする竜巻によって激しくなびく。
 私たちを巻き込むのも厭わぬ勢いだ。

「ちょっと!?」

 急いで避難する私たち。
 この魔法は『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』。トライアングル・スペルだが、今の彼女の魔力は怒りで膨れ上がっている。本人も気づかないまま、スクウェアにランクアップしたようだ。
 今まで発揮したことないであろうスピードと威力で、氷の矢が飛ぶ。
 しかし……。

「……この程度か。これでは『雪風』の二つ名が泣くぞ」

 魔王は平然としていた。
 その体に当たった瞬間、全ての氷の矢が、ジュッと蒸発していたのだ。

「では……わしが本物の『雪風』を見せてやろう!」

 言葉と同時に、彼を中心としたブリザードが発生する。
 魔王がパチンと指を鳴らすと、氷混じりの猛吹雪は、一斉にタバサへと向かう。
 大技を放った直後の彼女は、すぐには対処できない!

「タバサ!」

 キュルケがフレイムを連れて飛び込んだ。
 トライアングルメイジの魔法の炎とサラマンダーの野生の炎が、雪と氷を迎撃する。
 私も横から小さなエクスプロージョンをぶつけて、援護したが……。

「きゃあっ!?」

「キュルケ!」

 全てを叩き落とすことは出来なかった。
 熱で氷雪が水蒸気と化し、煙った視界の中。タバサとキュルケとフレイムがまとめて倒れているのが、目に入った。
 しかし、その水煙の反対側では。

「相棒!」

「おうさ!」

 魔剣を手にしたサイトが、斬り掛かっていた。

「滅びろ! 魔王!」

 サイトが吼えた。
 左手のルーンが光を増す。
 デルフリンガーの刀身が煌めく。
 そして……。

########################

 赤眼の魔王(ルビーアイ)、ジョゼフ=シャブラニグドゥは小さく笑った。

「デルフリンガー……いや、人間の間では『光の剣』の名の方が有名か? タルブの村のブドウ畑を一瞬にして焦土と化した魔鳥、ザナッファーを倒した剣……そう言われておるのだろう?」

 魔王は、輝く刃を素手で握りしめていた。

「……しかし、衰えたりとはいえこの魔王と、魔鳥風情とを一緒にするな。さすがに少し熱いが、まあ我慢できん程度ではない」

 とんでもない化け物である。

「おい、やめろ。気持ちわりーよ、離してくれよ……」

「くうっ! この野郎……」

 デルフリンガーとサイトが呻く。
 どうやら押そうが引こうが、びくともしないようである。

「ガンダールヴとデルフリンガーの組み合わせでも、こんなものか。なら……」

 面白くなさそうな声と同時に。
 魔王とサイトの間の土が盛り上がった。

「ぐわっ!」

 吹き飛ばされたサイトが、地面に叩きつけられる。

「サイト!?」

「大丈夫だ……」

 彼は即答する。が、どう見ても無事には見えない格好で地面に這いつくばっていた。
 駆け寄って助け起こしたかった。でも出来なかった。私とサイトのちょうど中間地点に、魔王が立っているのだ。

「安心しろ。すぐにはとどめは刺さん。……これも言わば準備運動なのでな」

 ふざけた話だ。
 ソワッソン達には『火』、タバサには『風』、そしてサイトには『土』。ならば私には『水』系統の攻撃が来るのか!?

「さて……お嬢ちゃんは、どんな技を披露してくれるのだ? お前も……わしの器となった男と同じ、虚無の担い手なのだろう?」

 ズイッと一歩、魔王が歩みを進める。
 その時。

「待て! まだ……俺が相手だ!」

 サイトが立ち上がる。

「ルイズ! 俺はお前の使い魔だ! 俺が時間を稼ぐ! だから……なんでもいいから、お前の一番でかい魔法をぶつけてやれ!」

「ほう? もう少し痛めつけてやらねばならんか……」

 クルリと背中を向け、再びサイトに相対する魔王。
 まずい!
 サイトの左手のルーンは、まだ強く光っている。しかし、いくらサイトがガンダールヴとはいえ、魔王と何度もやり合うのは無茶だ!
 今度は、私が彼を助ける番だ。彼が、あそこまで言ってくれたのだから……。

「……闇よりもなお暗きもの……夜よりもなお深きもの……混沌の海にたゆたいし……金色なりし闇の王……」

 私は呪文の詠唱を始めた。
 シャブラニグドゥが動揺の色を浮かべる。

「こ……小娘っ! 何故お前ごときが、あのおかたの存在を知っている!?」

 竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)と同じく、旅の途中で読んだ『写本』の知識から組み上げた呪文だ。
 あの時の『写本』の内容が正しければ。
 呪文を捧げる対象は、『闇の王(ロード・オブ・ナイトメア)』。魔王の中の魔王、天空より堕とされた『金色の魔王』だ。
 シャブラニグドゥと同等かそれ以上の能力を持つ別の魔王から借りる力!
 これならばダメージを与えられるはず!

「『四の四』も揃えずに……それを使えるのか!?」

 魔王が意味深な発言をしているが、気にしている場合ではない。
 私は構わず続ける。

「……我ここに汝に願う……我ここに汝に誓う……我が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 闇が産まれた。私のまわりに。
 夜の闇より深い闇。
 決して救われることのない、無妙の闇が。
 暴走しようとする呪力を、私は必死で抑え込む。

「ムダだ、小娘め……」

「魔王! 俺が相手だ!」

 人間の身で、魔王に対して剣を振りかざすサイト。
 私を守ろうと、魔王に立ち向かうサイト。
 私の……大切な使い魔。彼を見ていると、私の精神力も高まる!
 そして。
 全ての闇が、私の杖の先に収束した!

「なんと!?」

 魔王ですら驚く。
 これこそが本邦初公開、私の秘技中の秘技、重破爆(ギガ・エクスプロージョン)!
 こっそり試しに使ってみた時、私の生み出した闇は、ラグドリアンの湖畔に大きな入り江を作り出した。今でもなぜかその場所には、魚一匹寄りつかず、水ゴケさえも生えないと聞く。
 あの時はラグドリアン湖の『水の精霊』もカンカンに怒っていたし、あれ以来、もう『水の精霊』は人間に協力してくれないらしい。その力を借りて干拓事業をしていた貴族が失敗して没落したとか、その貴族の娘が貧乏に負けて家を飛び出したとか、その娘はトレジャーハンターになったとか……。そんな噂も耳にした。

「娘っ子!」

 私の『闇』を見て、デルフリンガーが叫んだ。
 そう、この呪文だけでは『赤眼の魔王』を倒すことは出来ない。人間と魔王、その器の差は歴然としているのだ。
 だから。

「デルフよ! 闇を食らいて刃となせ!」

「おうともよ!」

 魔王に向けて、ではなく。その先にいるサイトが持つデルフリンガーに向けて。
 私は杖を振り下ろした。
 今、光の剣が闇の剣に変わる!

「こざかしいっ!」

 魔王が錫杖を構えた。その口から、呪文の詠唱が聞こえる。
 まずい!
 重破爆(ギガ・エクスプロージョン)の闇をデルフリンガーが完全に刃とするまで、いましばらくの時間が要る。
 サイトもそれを感じているからこそ、剣を振り上げたまま、動きを止めている。
 この状態で、魔王が杖や呪文まで使う本気の攻撃をしてきたら……。

「もうやめて!」

 声が響いた。
 タバサが上体を起こしていた。

「あなたは無能王ではない! 魔法は使えずとも、民を喜ばせた! あなただって、心のどこかで満足してたでしょ!? 父さまだって、あなたを羨ましく思って、泣いてたの!」

 かなり混乱しているようで、タバサらしくない口数の多さだった。
 自分が何を口走っているのかすら判ってはいないだろう。
 時系列も論理展開も狂った言葉の羅列。
 が……。
 呪文が止んだ。
 ジョゼフ=シャブラニグドゥは静かに、地に倒れたタバサを見つめる。

「シャルルが……ジョゼフを羨ましく思って泣いた、だと?」

「そう! 私は見た! 一度だけ……たぶん父さまは見られたことに気づいてないけど……でも確かに……」

 シャブラニグドゥは、しばしの間をおいてから、彼女の言葉を嘲る。

「……愚かなことを。それがどうしたというのだ?」

 その瞬間。
 魔王の右手の指が光った。
 いや厳密には、指そのものではない。ジョゼフがシャブラニグドゥとなっても変わらなかった『土のルビー』。始祖の宝石が、光を発していた。
 タバサの言葉が引き金になったのか、あるいは、別の理由か。
 どちらでも構わなかった。
 ルビーの光を見て、私の心は、大きく震えていた。
 
「見つけたわ! これが最後のピース……勝利の鍵よ!」

 それだけで、サイトには判ったらしい。
 ようやく完成した『闇の剣』を振り下ろしながら、左手のルーンを強く光らせながら、彼は走り出した。
 同時に私は、ジョゼフ=シャブラニグドゥに向かって叫ぶ。

「無能王ジョゼフ!」

 敢えて、そう呼んだ。

「選びなさい! このままシャブラニグドゥに魂を食らい尽くされるか、あるいは自らのかたきをとるか!」

「おお……」

 歓喜の声と。

「ばかなっ……」

 焦りの声と。
 両方が、同時に彼の口を突いて出た。
 そこに。

「これで……終わりだ!」

 サイトが、闇の剣を一閃。
 そして……。

 ズヴァン!

 黒い火柱が天を衝いた。
 サイトは魔王の横を走り抜け、私の隣まで来て止まった。
 膝に手を置き、肩で息をしている。振り返るのも億劫なのか、私に聞いてきた。

「やったか?」

「あ……」

 私は小さく呻いた。
 火柱の中に、蠢くものの姿を認めたからだ。

########################

 やがてそれは静かにおさまった。

「く……」

 崩れ落ちる私を、サイトが支える。
 自分だって、いや自分の方こそ、疲れているくせに。
 
「く……くっ……くははははぁっ!」

 魔王の哄笑が昏い森に響いた。

########################

「いや……全くたいしたものだよ。このわしも、まさか人間風情にここまでの芸があるとは思わなんだ」

 ぴしり。
 小さな音がした。

「気に入った……気に入ったぞ、小娘。お前こそは真の天才の名を冠するにふさわしい存在だ」

 誉めてくれるのは嬉しいが、喜んでいる余裕はなかった。
 精神力も魔力も生体エネルギーも、もう空っぽだ。サイトにしがみつく力も、ほとんど残っていない。
 サイトも私を抱き支えるには力が足りず、結局、二人して地面にへたり込み、体を寄せ合うだけである。

「しかし……残念よの……これでもう二度とは会えぬ。いかにお前が稀代のメイジ……虚無の担い手と言えど、所詮は人間」

 ぴしり。
 またあの音だ。いったい、これは……。

「この後この世界がどう移ろうか、わしにも判らん。だが、お前の生あるうちに再び覚醒することは、まずあり得まいて……」

 ……え?
 この時、私とサイトは初めて気がついた。
 魔王シャブラニグドゥの体中に、無数の小さな亀裂が走っている!

「長い時の果てに復活し、もう一度戦ってみたいものだが……何にせよ、かなわぬ望み。ならば……お前自身に敬意を表し、おとなしく滅んでやろう……」

『……なあシャルル……俺もお前も……ちっぽけな一人の人間だったんだなあ……』

 二つの声が重なった。
 赤眼の魔王シャブラニグドゥと、そして、無能王ジョゼフとの。
 ぱきん。
 魔王の仮面の、頬の部分が割れ落ちた。
 それは大地に着く前に、風と砕けて宙に散る。

「面白かったぞ……『虚無』の娘……」

『……なあシャルル……俺たちは……世界で一番愚かな兄弟だったんだなあ……』

 ぴきん。

「本当に……」

『本当に……』

 ぱりっ。

「く……ふふっ……くふふっ……」

 ぴしっ。
 ぱりぱりっ。
 私とサイトはただ茫然と、笑いながら崩れ去っていく『赤眼の魔王』の姿を眺めていた。

########################

 持ち主を失った指輪が、ポトリと落ちる。
 それを拾いに行く力すら、今の私たちには残っていなかった。
 だから『土のルビー』は、塵となった魔王と共に、風に飛ばされていく。
 魔王の哄笑だけが、いつまでも風の中に残っていた……。

########################

「終わった……のか?」

 ポツリとサイトがつぶやいたのは、シャブラニグドゥの体が完全に消失して、かなり経ってからのことだった。

「……ええ」

 私はキッパリと言った。

「ジョゼフのおかげで、ね」

「ジョゼフの?」

 まあ、クラゲ頭には判らんでしょう。だから私が解説してあげるのだ。

「あれの中に、まだジョゼフの魂が残っていたのよ」

 長い年月をかけて内側から魔王に蝕まれて、人としての心を失っていたジョゼフ王。彼の『人としての心』は、魔王によって封じ込められていたのではないか?
 ならば、魔王が表に出てきて、ジョゼフの体をコントロールし始めた時点で、もうジョゼフの心を封じる必要もなくなった。だから魔王は、それを解放した。
 ある意味では、ジョゼフは、望みを叶えたわけだが……。

「……そうやって取り戻した良心が、自らを欺いた魔王に対する憎しみと手を組み、結果、私の闇を自ら受け入れた……。そんなところだと思うわ」

 ジョゼフの『心』の中で大きな変化が起きたのは、あの『土のルビー』が光った瞬間だったと思う。
 あれこそ神の奇跡なのか、あるいは、私たちの知らない助っ人がいたのか。
 今となっては、もう確かめる術もなかった。

「なるほどなあ。まあ、あのジョゼフって奴も王様だったんだし、民衆にも慕われていたわけだし……。根は悪い奴じゃなかったんだな」

 凄く大ざっぱにまとめるサイト。
 大ざっぱ過ぎる気もするが、私は同意した。

「そうね。極悪人だった……とは思いたくないわね。だって、始祖の魔法『虚無』に目ざめたってことは、あのジョゼフも、言わば始祖ブリミルの再来だったんだから」

「あら? ルイズ、それって……自分のことも持ち上げてない?」

 キュルケは、タバサと同じく、まだ地面に倒れたままだった。
 ちなみに私とサイトは、座り込んだ状態。だが私たちとて、互いに支え合っていないと倒れてしまいそうだ。
 そのサイトの腕に、少し力が入る。

「まあ、いいじゃねーか。ルイズだって頑張ったんだぜ」

 彼には判ったんじゃないかな、私の気持ちが。
 同じ『虚無』の自分もジョゼフみたいになるんじゃないか、という考えたくもない可能性。それに怯える私の心が……。

「ありがとう、サイト」

 彼が硬直したのが、伝わってきた。
 ちょっと何!? 私が素直に礼を言ったら、そんなに変!?
 そう思って彼の顔を見上げると……。
 彼の目が点になっていた。
 
「ル、ルイズ……その髪……」

 ああ、これか。

「大丈夫よ。ちょっと頑張りすぎただけ」

 私の綺麗なピンクブロンドは、銀色に染まっていた。
 生体エネルギーの使い過ぎによって引き起こされる現象である。
 まわりを見れば、キュルケとタバサも私を見て絶句していた。フレイムも絶句しているように見えるのは、さすがに気のせいかな?
 彼女らは気にせずに、私はサイトへの言葉を続ける。

「ちょうどいいじゃない。最初あんた、私の髪見て、気持ち悪いピンク色って言ったでしょ?」

「え? いや、あれは……ほら、最初だったから」

 どういう意味だ。
  
「でも、もう見慣れたからさ……」

 サイトの右手が、私の体から離れる。
 そして。

「今となっては……ピンクって綺麗だと思う。それに……ルイズにはピンクの髪が似合っていると思う」

 頬をかきながら、気恥ずかしそうに呟くサイト。
 何よ、それ!? 私まで恥ずかしくなるじゃない!
 しかも、外野からキュルケの追い打ちが。

「ねえ、あなたたち……いつまで抱き合ってるの?」

「ち、ち、違うわよ! キュルケの目は節穴なの!? 私、サイトに……自分の使い魔に、しがみついてるだけじゃない! しょうがないでしょ、手近にこれしかなかったんだから……」

 言いながら、私は、いっそうギュッと『しがみつく』。
 これ扱いのサイトは、文句も言わず、むしろ何だか照れていた。

「はいはい、そういうことにしておくわ」

 倒れたままで肩をすくめるキュルケ。ちょっと器用だ。
 そして。
 こんな私たちの状態を、タバサが一言でまとめていた。

「……平和になった」

########################

 数日の後。
 私たちはトリステイン魔法学院の目前まで来ていた。

「これで今夜は美味しいものが食べられて、ふかふかのベッドでゆっくり眠れるってもんね」

 辺鄙な田舎の学校とはいえ、貴族のための学校である。その点は、しっかりしているはずだった。
 私の髪は、もとのピンクブロンドには戻っていないものの、薄らと桃色がかっている。疲れも完全に回復していた。

「俺、こっちの世界で学校っぽいところに立ち入るの、初めてかも……」

「相棒は傭兵だったからな。貴族じゃねーや」

「気をつけなさいよ!? 使い魔のあんたが恥ずかしいことすると、主人である私が恥をかくんだからね!」

「……いい男、いるかしら?」

「キュルケ! あんたも、ほどほどにしなさいよ!?」

「あら、私はルイズに関係ないでしょ?」

「どうせ友人とか旅の連れとか思われるのよ! 無関係じゃないわ!」

 と、私たちが賑やかにやっていたら。

「……では、そろそろ私は退散する」

 唐突にタバサが言い出した。

「……え?」

 私とサイトとキュルケの声がハモる。

「私は行くところがある。だから……とりあえず、お別れ」

 いつものように淡々と、詳しくは語らない。
 だが、私もキュルケも、何となく判った。
 おそらく母親の様子を見に行くのだろう。
 そして、一人で旅をして、探しまわるのだろう。エルフの魔法薬に対抗する治療法を。母親の心を取り戻す方法を。

「そっか。……じゃ、あなたも頑張ってね」

 タバサは『とりあえず』と言ったのだ。どこかの旅の空で、また出会うかもしれない。
 彼女はコクンと頷き、キュルケに対しても、小さく頭を下げた。
 それから、サイトのもとへ歩み寄る。

「別れの挨拶?」

 不思議がるサイトの前で。
 彼女は片膝をつき、サイトの手を取り、その甲にキスをした。

「え?」

 慣れぬことをされ、固まるサイト。
 そんな彼を解きほぐすかのように、タバサが説明する。

「……かたきをうってくれた。魔王を倒した。あなたは『イーヴァルディの勇者』」

 それだけ言うと立ち上がり、彼女は去っていった。
 サイトは、その後ろ姿を茫然と見送っている。
 彼女の口にした『イーヴァルディの勇者』は、ハルケギニアで一番ポピュラーな英雄譚のタイトルだ。その主人公の名前でもある。
 サイトをそれに重ね合わせたということは……。

「タバサ、サイトに惚れたんじゃない?」

「馬鹿なこと言わないの」

 キュルケの言葉を、私は切って捨てた。

「あれは臣下の礼みたいなもんでしょ。どうやらタバサ……サイトの騎士になったつもりなのね」

 それなら、サイトの旅に同道すればいいのに。
 やはり、母親の方が大事ということか。
 あるいは……。

「……素直じゃないのね、あの子」

 そうつぶやいた私を、キュルケが呆れた目で見ていた。
 私、おかしなこと言ったかしら?

「ま、いいわ……。さ、行きましょ、サイト。ついでにキュルケ」

「あ、ああ。そうだな」

「ちょっと!? ついでって何よ!?」

 そして私たちは、門をくぐった。
 トリステイン魔法学院の門を……。





 第一部「メイジと使い魔たち」完

(第二部「トリステインの魔教師」へつづく)

########################

 ルイズ一人称ではジョゼフの背景が少し説明不足ですが、第三部で補足できるかもしれません。
 スレイヤーズ原作第一巻では、レゾ=シャブラニグドゥがサイラーグとザナッファーの名前を口にしていたので、同じところで、それぞれの名前を披露。というわけで、第三部の舞台はタルブの村。
 でもその前に第二部……のさらに前に、番外編短編を三日後に投稿予定。

(2011年4月9日 投稿)
   



[26854] 番外編短編1「刃の先にダーク・ナイト」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 23:13
   
 剣を、抜く。
 錆の浮いたボロボロの剣の刃は、陽光のまばゆさを減じて映し出す。
 なまくら、といっても過言ではないであろう。
 刃そのものは。
 少年の目は、刀身の根元の金具に、ただ、じっと注がれていた。
 様々な思いが、少年の脳裏に去来する。
 
(こいつの話は俺を混乱させる……)

 少年は発作的に、手にした剣を川に向かって振りかぶり……。

「……捨ててしまうのか? もったいないな」

 声は、すぐそばで聞こえた。

「……!?」

 反射的に視線を送る。振り向いた先には大きな岩があり、一人の男が座っていた。
 釣り糸を垂れているが、こんな浅い川に魚がいるのであろうか。
 妙な男だった。
 年の頃は五十過ぎ。白くなり始めたブロンドの髪と口髭を風に揺らし、王侯もかくやとうならせる豪華な衣装に身を包んでいた。左眼にはガラスのモノクルがはまり、その奥には鋭い眼光。
 小川で釣りをするにしては、妙な格好だった。

「あの……貴族の人ですか?」

 少年の質問の仕方は、礼がなっていない。だが、それを叱責することなく、男は対応する。

「そうだ。きみは……剣士か?」

「……そんなところです」

 男から見れば、少年の服装こそ異様であった。青と白の、見たこともない服。

「ならば剣を捨ててはいかんだろう」

「はあ、そうなんですが……」

 恥ずかしそうに頭をかく少年。
 そんな彼の言葉を補足するかのように。  

「だいじょーぶさあ。相棒にゃあ、俺っちを捨てる度胸なんてねえ」

「ほう! インテリジェンスソードか!?」

 会話に参加してきたのは、少年の持つ剣。
 男の表情に浮かぶ好奇心を見て、少年が説明を始める。

「はい、実は……」

 少年の名前は才人(サイト)。異世界からハルケギニアに紛れこんでしまった人間だ。こちらで出会った魔剣デルフリンガーと共に、旅をしている……。

「この剣、時々おかしなこと言うんです。だから俺、混乱しちゃって、もう別れようって何度も思うんですけど……」

「まあ、相棒は元の世界に戻りたいからな。その手がかりを知っている俺っちを、手放すわけにはいかねえや」

「なるほど、面白い話だな。異世界から来たという話は信じがたいが……別れたくても別れられないというのは、まるで人間同士の関係だ」

「この剣が言うには……俺には出会うべき人がいて、その人が俺を元の世界へ戻せるんだとか……」

「ハッハッハ! 出会うべき人……か! 面白いことを言う剣だな? 確かに男の人生には、出会うべき女性が待っておるわ!」

 そんなコメントの後、男は、さらに。

「……で、その人物を捜す旅の途中で、道に迷ったか?」

「はい。よくおわかりで……。あ、ここって、よっぽど辺鄙な土地なんですか?」

 才人の言葉に、男は苦笑する。

「辺鄙とは失礼だな。この辺りは、わしの庭だぞ」

「ええっ!?」

 才人は驚いた。男の言葉から、ここは私有地だ、と解釈したのだ。慌てて、ペコペコ頭を下げる。

「ご、ごめんなさい! 俺、全然知らなくて……」

「いや、そんなに恐縮することもない。庭と言っても、領地の端でな。わしも滅多に来たことがない。家族もここまでは来まい、と思って、こうしておるのだ」

「……は?」

「実はな、わしは家出中なのだよ。ちょっと……妻と喧嘩してしまってな」

 自分で口にした『妻』という言葉で、何か思い出したのだろう。
 男の顔が、だんだん青ざめていく。
 よほどの恐妻家らしかった。

########################

 数時間後。
 才人は、まだ森の中をさまよっていた。
 川辺で出会った貴族から、街道へ出るための道を教えてもらったのだが……。

「なあ、デルフ。……こっちであってるよな?」

「さあな。俺っちは剣だ、俺に聞くなよ」

「まだ……さっきの人の領地かな?」

「さあな。もう別の貴族の領地かもな」

「じゃ、また誰かに会うかな?」

「さあな。そりゃあ、いずれは誰かに会うだろうさ」

 剣と不毛な会話を繰り広げる才人。突然、その足が止まる。

「どうした、相棒?」

「おなかがへって……力が出ない……」

 その言葉を最後に、才人は倒れた。
 遠のく意識の中、犬の鳴き声が聞こえる気がした……。

########################

 気がつくと、才人は知らない室内にいた。
 豪華な調度品に溢れた、広い部屋。貴族の屋敷の一室のようだ。
 ふかふかのベッドに寝かされている。

「あら、目が覚めましたか?」

 声のほうに顔を向けると、笑顔の女性が座っていた。
 まず才人が驚いたのは、彼女の髪の色だ。ここは才人の世界とは違うと頭ではわかっているが、それにしても現実感がない色だった。
 ピンクなのである。ゲームやアニメや漫画の世界から抜け出してきたかのような、そんな幻想的な美しさだ。
 いや、髪の色だけではない。
 一見して確実に年上なのに、可愛らしい、という形容をしたくなる顔立ち。そして、適度に豊かな胸。腰がくびれたドレスを優雅に着込み、ほんのりとした色気を醸し出している。
 まさにファンタジーの世界の、王道的なヒロインのような美女だった。

「びっくりしたんですよ。この子たちとお散歩していたら、あなたが倒れていたから……」

「この子たち……?」

 言われて、初めて気がついた。美女の周囲では、動物たちがたわむれていた。犬やらネコやら、なんと小熊やトラまで。
 これが視界に入らなかったというのだから、よほど美女に目が釘付けだったのだろう。

「とりあえず拾ってきたはいいけど、この子たちみたいに私の部屋に連れてっちゃいけないと思って。こうして客室へ寝かせたのだけど……元気になった?」

「は、はい! ありがとうございます!」

 美女が顔を近づけてきたので、才人は緊張した。
 もとの世界でも、こっちの世界でも、こんな魅力的な女性とこんな間近で話をしたことはない。

「あなた、お名前は?」

「サイトです、はい」

 平賀才人、とは名乗らなかった。こっちの世界の美女に対しては、こっちの世界の流儀で対応したかった。

「あら、素敵なお名前ね。でも……あなた、ハルケギニアの人間じゃないわね。っていうか、なんだか根っこから違う人間のような気がするの。違って?」

 そんな風に見つめられ、才人は驚愕した。異世界から来たと言っても信じてくれない人の方が多いのに、言う前から言い当てられたのは初めてだ。

「うふふ、どうしてわかったんだって顔ね。でもわかるの。私、妙に鋭いみたいで」

「は、はぁ……」

「でも……そんなあなたが、どうしてうちの庭で倒れていたの?」

「はい、実は……」

 道に迷って、空腹で倒れた。そんな話をするのは少し恥ずかしかったが、ちょうど、おなかがグウッと鳴った。

「まあ」

 美女は、コロコロと楽しそうに笑った。
 それから、とろけそうな微笑みを浮かべた。

「ごめんなさいね。おなかが減ってたのね。すぐに食べるものを用意させるわ」

########################

 簡単な軽食だが、とても美味しかった。
 さすがに立派な貴族、雇っている料理人も一流なのだろう。
 おなかが減っているのでいっそう美味しく感じられるのだろうが、それだけではない。
 カトレア——それが美女の名前だった——が同席していたからである。

「まあ、まあ! そんなに慌てて食べなくてもいいのですよ?」

 彼女は、午後のお茶を飲む程度。でも、桃髪の天使が一緒にいるだけで、才人の気分は天国だった。
 やがて。

「ごちそうさまです! ありがとうございました!」

「もう、いいの?」

「はい! おかげさまで、生き返りました!」

「まあ、そんな大げさな……」

 コロコロと笑うカトレア。
 そこに、タイミングを見計らったかのように、彼女の母親がやってくる。

「あなたですか? カトレアが拾ってきた平民というのは?」

「サイトです。どうもありがとうございました」

 拾ってきた、とは犬やネコの扱いだが、才人は構わないと思った。カトレアのペットになれるのであれば、むしろ本望である。
 だが、カトレアの母と目を合わせた途端、ふわふわとした幸福感も吹き飛んだ。
 髪の色こそカトレアと同じピンクだが、雰囲気は正反対。いかにも良家の貴族の奥様だ。激しい高飛車オーラを放っており、視線も厳しい。「こーゆーのとだけは決してかかわり合いになるな」と、才人の本能が警告する。
 その迫力にたじろぎながらも、彼はキッパリと言った。先手必勝である。

「助けていただいて、ただ黙って立ち去るわけにもいきません。何か恩返しがしたいのですが……」

 もう少しカトレアのそばにいたい気持ちと、この母親から早く逃げ出したい気持ち。その二つに心を引き裂かれながらの発言であった。
 そんな才人を胡散臭げに見回しながら、母親は尋ねる。

「あなたは……剣士?」

「……そんなところです」

 あれ最近どこかで同じ会話があったような、と既視感を覚えたが、深く考える暇はなかった。

「では、カトレアの騎士になってもらいましょう」

「ええっ!? この家に仕えろってことですか!?」

 驚いて飛び上がりそうな才人を、母親の視線が制止する。

「そんなわけありません! どこの馬の骨ともわからぬ者を雇うほど、当家は落ちぶれていませんよ!? ……ほんの一時の話です」

 そして母親が説明する。
 最近、領地の一角に『黒騎士(ダーク・ナイト)』と名乗るならず者集団が出没するらしい。まだ、たいした悪さはしていないのだが、領主家としては放っておけない。
 しかし今は当主——カトレアの父——も不在。カトレアの姉は遠くで働いており、妹は魔法修業の旅に出ている。母親は家を守る立場であり、留守にはできない。

「だから私が行くの。様子を見に」

 と、カトレアが補足する。

「でも……あなたは体が弱いというのに……」

「だって、あの子たちが見に行きたいって言うから」

 どうやらカトレア自身よりも、彼女の動物たちが乗り気なようだ。

「はあ。まあ、いいでしょう。……それに、あそこは、あなたの土地ですからね」

 カトレアの土地? どういう意味だろう?
 少し事情が理解できない才人だが、それでも承諾した。
 こうして彼は、この小旅行の間だけということで、カトレアの騎士となった。

########################

「カトレアをしっかり守ってくださいね。……でも、カトレアに指一本でも触れたら、タダでは済みませんよ?」

 そんな言葉に見送られ、才人は、カトレアの馬車に乗り込んだ。
 馬車の中は、さながら動物園であった。
 前のほうの席ではトラが寝そべりあくびをかましている。カトレアの横にはクマが座っていた。いろいろな種類の犬やネコがあちこちで思い思いに過ごしている。大きなヘビが天井からぶら下がり、顔の前に現れたので、才人は息が止まりそうになった。

「しかし、すごい馬車ですね……」

「私、動物が大好きなの。つい拾ってきちゃうの」

 自分もそうして拾われたのだ。何も言えない才人であった。
 そして、新たなペットとなったのは彼だけではない。

「まあ! 剣さん、お話しできるのね!?」

「おうともよ! 俺っちはデルフリンガー様だ!」

「いつからサイト殿と旅をしているの?」

「よくぞ聞いてくれた! 相棒と出会ったのは……」

 コロコロと笑いながら、カトレアはインテリジェンスソードとの会話を楽しんでいた。
 カトレアは才人を騎士扱いして『サイト殿』と呼称している。それは、聞いていて何だが嬉しい。でも、カトレアとデルフリンガーが自分抜きで歓談しているのを見ると、少し寂しくもなった。
 話しやすいように、才人は今、デルフリンガーを鞘ごとカトレアに預けている。カトレアの柔らかな膝の上なのだ。それも羨ましい。
 才人は、まさか自分が剣に嫉妬する日が来るとは、思ってもみなかった。さすがハルケギニア、何でもありのファンタジー世界である。

(ま、仕方ないか……)

 窓枠に肘をついて外をボーッと眺める才人。その様子に、カトレアが気づいた。

「あら! 放っておいてごめんなさいね。あなたも、こちらへいらっしゃいな」

 カトレアが才人に手を伸ばす。
 彼は正面の席に座っていたのだが、どうやら隣へ来い、ということらしい。

「は、はい……」

 彼女に応えて、カトレアの手をサイトが取ろうとした瞬間。

 ブワッ!

 一陣の風が、窓から舞い込んだ。才人は、カトレアの手に触れることは出来なかった。

「えっ!?」

 才人がポカンとしている間に。
 風が、彼の体をカトレアの隣へ運んでいた。ただし彼女とは体が触れ合わないよう、少しスペースが空いている。

『カトレアに触るなと言ったでしょう!?』

 才人の耳だけに、風が言葉を伝えた。隣で微笑むカトレアには聞こえていないようだ。

「どうしたの?」

「い、いえ……何でもありません」

 今の怪奇現象は無かったことにしよう。そう決心する才人であった。

########################

 カトレアは、時々ゴホゴホと咳をする。

「大丈夫ですか?」

「気にしないで。いつものことだから」

 カトレアは体が弱く、領地から一歩も出たことがない。不憫に思った父親が、領地の一部をカトレアに分け与えたくらいだった。
 だから名目上は、カトレアは両親姉妹とは苗字が違う。カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ、それが彼女のフルネームだ。後にクラゲ頭と称される才人では、当然、覚えられない名前であった。
 そして、そのラ・フォンティーヌ領こそが、『黒騎士(ダーク・ナイト)』の砦のある場所。

「そういうことだったんですか……」

 ようやく才人が事情を理解した頃。
 彼らを乗せた馬車が停まる。目的地に辿り着いたのだ。

########################

 才人とカトレアと動物たちは、森の小道を進んでいく。領民の話では、この先に『黒騎士(ダーク・ナイト)』一味の隠れ家があるらしい。
 知られている時点で隠れ家でもなんでもないが、それを気にする者は、この場にはいなかった。
 やがて一行は、少し開けた場所に出る。
 そこに、一人の男が立っていた。

「おまえが『黒騎士(ダーク・ナイト)』か!?」

 デルフリンガーを抜き、サッとカトレアの前に出る才人。
 目の前の男は、黒いマントと黒い甲冑に身を包み、身の丈ほどもある大剣を手にしていた。だから、これが『黒騎士(ダーク・ナイト)』だと判断したのだが……。

「フフフ……。あのかたの手を煩わせるまでもない。貴様らごとき、俺一人で十分だ」

 バサッとマントをひるがえし、男は大剣を構える。

「俺は……あのかたに仕える『黒騎士(ダーク・ナイト)』四天王の一人、『鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)』! いざ、勝負!」

 いきなり四天王の登場かよ、とか、そもそも様子を見に来ただけじゃなかったっけ、とか、そんなツッコミを入れる暇はなかった。
 斬りかかってきた鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)に、才人も踏み込んで、デルフリンガーを合わせる!

 ガキン!

 刃と刃がぶつかり、火花が散る。
 重い剣だ。四天王を名乗るだけのことはある。

「フフフ……。貴様の力は、この程度か?」

 押し込まれる才人。

「相棒! 心だ! 心を震わせろ!」

「がんばって! サイト殿!」

 背後のカトレアを守る! その想いが、才人の心を燃え上がらせた。
 だが……鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)の剣圧は凄まじい。才人は、今にも膝をつきそうだ。

「あ、忘れてた。相棒は、まだ『使い手』として契約してないんだっけ。……そんじゃ心を震わせてもダメだわ。わりい、さっきの言葉は忘れてくれ」

「なんだよ、それ!?」

 ガクッと力が抜ける才人。
 剣で押し合っていた鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)も、急に抵抗がゼロになったのでよろけた。

「うわっ!? ふざけるな小僧め!」

「今よ、サイト殿!」

 いつのまにか少し遠くに避難していた、カトレアの声。
 デルフリンガーより役に立つアドバイスだった。

「はい!」

 一瞬体勢が崩れた鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)を、才人の魔剣が斬り上げる!

「くっ!」

 慌てて飛び退く鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)だが、その手は空っぽ。
 才人に斬り跳ねられた形になり、大剣を弾き飛ばされていたのだ。

「今だ、相棒!」

 しかし才人の目は、敵には向けられていなかった。
 宙を舞う大剣が、落ちてくる先。そこにいるのは……。

「カトレアさん!?」

「きゃ!」

 間に合わない!?
 才人が焦った瞬間。

 ゴオオォッ!

 風が吹いた。
 そよ風ではない。
 突風、烈風、台風……。そのレベルの風だった。
 ピンポイントで大剣を巻き込み、大剣ごと遠くへ去っていった。

「……なんだ、今のは?」

 才人も鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)も、唖然として硬直する。
 ただカトレアだけが、コロコロと笑っていた。

「通りすがりの竜巻さんね。……よくある話でしょう?」

「ねーよ!」

 敵味方二人同時にツッコミを入れる。
 だが。

『危ないでしょう、あなたたち! カトレアに剣が当たるところだったじゃないですか!?』

 謎の声と同時に、新たな烈風が! さっきより大きな竜巻だ!

「ぎぃやああああああああああ!」

「うわぁああああああああああ!」

 才人は、鋼鉄黒騎士(スチール・ダーク・ナイト)ともども空中に巻き上げられ、意識を失った。

########################

 わふわふ。わんわん。にゃーにゃー。がおがお。ぶひぶひ。
 そんな動物たちの声で、才人は目を覚ました。
 目の前には、カトレアのとろけるような笑顔。上下逆さまだが、それでも素晴らしい。

「大丈夫ですか?」

 なんだろう? やわらかくあたたかい感覚を頭に感じながら、才人は応える。

「はい。あの……敵は?」

「逃げちゃいました」

 才人の頭が、少しずつ覚醒する。この感触、そしてカトレアの顔の向き。
 自分は今、カトレアに膝枕されている!
 しかも、深い深い膝枕だ。後頭部は太腿に、頭のてっぺんは腹部に当たっている。ちょっと視線の向きをかえれば、彼女の胸が覆いかぶさっているのも目に入った。
 天国だ!
 でも恥ずかしいので、ガバッと飛び起きる才人。
 彼がカトレアの体から離れた瞬間、まるでそれを待っていたかのように。

『指一本触れるなと言ったでしょう!? 膝枕など言語道断!』

 天国から地獄とは、まさにこのこと。
 ゴオッと烈風が吹いてきて、才人は再び空へ舞い上がる。

「あらあら。今日は多いのね、竜巻さん」

 コロコロと笑うカトレア。
 わかってないのか!? 「妙に鋭い」って言ってたのに!? 反動で、身内には鈍いのか!?
 そう思いながら、才人は再び意識を失った。

########################

 気づいた時、才人は、また膝枕されていた。
 気持ちいい。いつまでも、こうしていたい。でも、そうもいかない。

(これ……もしかして、体を離した途端……?)

 嫌な予感にも負けず、目を開ける才人。

「あら、気がつきましたのね」

「はい……」

 頑張って笑顔を作りながら、ソーッとカトレアから離れてみる。すると。

『いつまで触れてるのです!?』

「やっぱり……!」

 才人は、また竜巻にやられた。

########################

 次に気がついた時も、またまた膝枕だった。
 またまた烈風で飛ばされた。

「天丼たべたい……」

 故郷の食べ物を突然に思い出しながら、またまた意識を失った。

########################

 結局この日、彼は、十三回吹き飛ばされた。
 体で学習した才人は、最終的に、膝枕される前に自力で復活。
 ようやく、一行は奥へと進む。
 ほどなく。

「鋼鉄(スチール)が……やられたようだな……」

 先ほどの敵と同じ姿の男が、才人たちの前に立ちはだかった。
 いや、前だけではない。

「しかし鋼鉄(スチール)なぞ、しょせん後から無理矢理仲間に入った男……」

「我らは本来、三人衆なのだ……」

 いつのまにか、囲まれていたらしい。
 斜め後ろにも、右と左に、同じ姿の黒い男たちがいる。

「く……!」

 デルフリンガーを手にした才人の頬を、冷や汗が伝わる。
 それを嘲笑うかのように、敵は名乗りを上げる。

「我は三人衆の一人、青銅黒騎士(ブロンズ・ダーク・ナイト)!」

「同じく、白銀黒騎士(シルバー・ダーク・ナイト)!」

「そして我こそが、黄金黒騎士(ゴールド・ダーク・ナイト)!」

 甲冑は真っ黒で、金でも銀でもなかったが、威圧感は凄まじい。オーラが幽鬼のように立ちのぼっていた。

「我らは鋼鉄(スチール)とは違う。貴様のような弱者をいたぶる趣味はない」

「おとなしく武器を捨てて、逃げ帰れ。命だけは助けてやろう」

「もし貴様が我らの一人に斬り掛かれば、残りの二人が連れの女を攻撃するぞ。一人では、守りきれまい」

「なんだよ!? 弱者をいたぶるどころか、そっちのほうが卑怯じゃん!」

 才人の叫びには取り合わず、三人は剣をカトレアへと向ける。
 その時。

 ゴオオォ……オオォ……オオォッ!

「あらあら、今日は本当に多いのね。今度は三つだわ」

 カトレアの言葉どおり。
 突然出現する三つの竜巻!

『カトレアに武器を向けるんじゃありません! 危ないでしょう!?』

「なんだこりゃあああああああ!」

「い、いてぇええええええええ!」

「いやぁああああああああああ!」

 三人衆が、それぞれ烈風に吹き飛ばされる。
 才人は今回、何もしていないので無事であった。

########################

 さらに進むと、木々の間に、小屋が見えてきた。どうやら、そこが『黒騎士(ダーク・ナイト)』のアジトらしい。
 
「カトレアさん、どうします? 中に突入しますか?」

 才人が尋ねると、カトレアを首をかしげた。

「そうしたほうがいいのかしら? でも私たち、様子を見に来ただけなのよねえ。あんまり危ないことはしないほうが……」

 それ以上、言葉は必要なかった。
 ちょうど、小屋の扉が中から開いたのだ。
 出てきた人物は……。

「あら、父さま!」

「あれ? この間の貴族の人? ……って、彼がカトレアさんのお父さん!?」

 黒騎士(ダーク・ナイト)の正体は、才人が川原で出会った貴族。そして同時に、カトレアの父親であった!
 カトレアを見て、彼の顔はみるみる青ざめていく。

「うわわわわわわわっ!?」

 やたら悲鳴を上げながら、大きく後ろに跳び下がり。
 落ち着きなく、あたりをキョトキョト見回して。

「カ……カトレア! お前、なんでこんなところに!? お前がいるということは、カリーヌも来ておるのか!?」

「母さま? 母さまなら、お屋敷におられますよ?」

 カトレアはキョトンとするが、そこに、例の烈風が。

 ゴゴゴゴゴォゴオオオオオオォォッ!

 今までで最大級だ。もう単なる竜巻ではない。バチバチと何か飛ばしている。
 これはもう超電磁竜巻と呼ぶべき、とサイトは思った。

『あなた! 一体どういうことですの!?』

「ま、待て! 待ってくれええええええ!」

 謎の声を伴う巨大竜巻が、絶叫する父親を吹き飛ばした。

########################

 帰りの馬車の中で、父親が事情を説明する。
 そもそもの発端は、カトレアの妹が魔法修業の旅に出たこと。
 これに賛成していた母親と、文句を言っていた父親。旅立ちの後しばらくしてからもブチブチと不満を口にしていたら、ついに母親がキレたらしい。そして夫婦喧嘩となって……。

「わしは忘れていたのだ、カリーヌの恐ろしさを……。いや、強いのは承知していたが、どうせ昔の話だ、もう若い頃の力はあるまいとタカをくくっていたのだよ。……わしが甘かった」

 家を飛び出した父親は、ここならば誰も来ないと判断して、カトレアに分譲した領地へ。
 そこで軽く憂さ晴らし——本人曰く——をしていたら、いつのまにか『黒騎士(ダーク・ナイト)』と呼ばれていた。

「トリステインなのに『ダーク・ナイト』とは、おかしな名前ですね。まるでアルビオンのよう」

「いやカトレア、ポイントはそこではないだろう? ……ともかく、わしが悪かった。反省した。許してくれ」

「まあ! それは私にではなく、母さまに言ってくださいな。お屋敷で待っている母さまに。……母さま今頃、何をしてるのかしら?」

 小首をかしげるカトレアに、才人は何も言えなかった。

########################

 屋敷に戻った馬車を出迎えたのは、執事でも召使でもない。
 カトレアの母親カリーヌである。

「おかえりなさい、カトレア。……そしてサイトさん」

 いつのまに戻った!?
 神出鬼没なカリーヌに、才人はガクブル。
 だが、才人以上に怯える男が一人。

「す、すまん! 許してくれ、カリーヌ……」

「あら、あなたも一緒だったの?」

 気づきませんでしたわと言わんばかりの態度で、男を見つめるカリーヌ。事情を知らなければ才人だって騙されてしまいそうな、ごく自然な口調だった。

「悪かった! わしが悪かった!」

「よくわからないけれど……色々と話すことがありそうね。詳しく聞かせてもらいましょう」

 夫の手を引いて、サッサと屋敷に入るカリーヌ。
 そんな両親の姿を見て。

「まあ、あんなに寄り添って……。二人は仲がよろしいですこと。少しくらい喧嘩しても、やっぱり夫婦は夫婦なのですね」

 カトレアはコロコロと笑っている。
 この時ばかりは、カトレアも普通じゃないと才人は思った。

########################

 一晩休ませてもらった後、才人は、カトレアたちの屋敷をあとにした。
 もう迷子にならないようにと、近くの大きな街道まで、カトレアが馬車で送ってくれた。

「では、さようなら。元気でね」

「はい、カトレアさんも……」

 名残惜しそうに手を振るカトレア。
 とろけるような彼女の笑顔を目に焼き付けてから、才人は歩き出す。
 カトレアと過ごした時間を思い出すと、幸せなはずだが……。
 なぜか、才人は青い顔になる。

「どうしたい、相棒?」

 デルフリンガーも心配するくらいだ。
 才人は、ずっと何かつぶやいていた。

「……ピンクこわいピンクやさしいピンクこわいピンクやさしい……」

 桃髪カトレアの優しさ。
 桃髪カリーヌの怖さ。
 その二つが、才人の中に刷り込まれたらしい。
 しかも『優しい』と『恐い』は、半ば矛盾する概念だ。そのあまりのギャップに心を病んだ彼は、『優しい』と『恐い』とを頭の中でミックス。

「……ピンクは気持ち悪い」

 そう結論づけることで、精神をかろうじて安定させた。
 これ以降、もうそれどころではなくなったのか、魔剣を投げ捨てようとすることもなかった。
 なお、才人が別の桃髪少女と出会って、紆余曲折を経て完全回復するのは……まだまだ先の話である。





(「刃の先にダーク・ナイト」完)

########################

 これもひとつのあとづけ設定。
 次回こそ第二部に突入。第二部は四章構成、すでに最後まで一応書き上がっていますが、今までと同じペースで投稿する予定です。

(2011年4月12日 投稿)
(2011年5月24日 「わしは知らなかったのだ。カリーヌが、あそこまで恐ろしいとは……。いや、強いとは聞いていたが、どうせ話半分だと思っていたのだよ」を「わしは忘れていたのだ、カリーヌの恐ろしさを……。いや、強いのは承知していたが、どうせ昔の話だ、もう若い頃の力はあるまいとタカをくくっていたのだよ」に修正)
   



[26854] 第二部「トリステインの魔教師」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/15 21:42
  
 朝の食堂は、すでに戦場と化していた。
 殴るわ蹴るわ噛みつくわ、阿鼻叫喚の地獄絵図。
 ……言っとくけど、決して私のせいじゃない。

「教師の指導が悪いから、こんなことになるのよね……」

 ここは安宿の食堂ではなく、トリステイン魔法学院という立派な学園の食堂である。『アルヴィーズの食堂』というらしい。
 魔法学院では「貴族は魔法をもってしてその精神となす」のモットーのもと、貴族たるべき教育を存分に受ける。食事も貴族の礼儀や作法を学ぶ場の一つであり、もめ事が起きれば教師が止めに入るのが普通なのだが……。

「……あれじゃダメね」

 先生メイジたちはロフトの中階で歓談に興じている。階下の騒動など目に入りません、という態度だ。
 とりあえず私は、隅のほうの席に移動。ナイフとフォークで優雅に食事を続けながら、混線の模様を眺めるしかなかった。
 この騒ぎの原因は……まあ、ごくささいなことなのだが……。

########################

「やあ、お嬢さん。見かけない顔ですね」

 男が言い寄ってきたのは、一人で座った私が、大きな鳥のローストにちょうどナイフを入れた、その時のことだった。
 私と同じ学生メイジだ。勝手に私の隣に座りやがった。薔薇の花を一輪、どこかから取り出し、サッと私の前に差し出した。
 こっちは食事中なのだ。はっきり言って、邪魔である。

「ああ! 君の美しさは、まるで薔薇のようだ! その髪の美しい桃色は、薔薇の花でも真似できない鮮やかさ! その胸の平坦さは、薔薇の葉っぱでも真似できない滑らかさ!」

 おい。
 前半はともかく、後半は褒め言葉じゃないぞ!? だいたい例えもおかしいだろ!?
 が、その前半部分にしたところでダメダメである。
 歯の浮くようなセリフ……という言葉があるが、こいつの場合、歯だけではない。何もかも浮いている。
 そもそも、自分のキャラに似合っていないのだ。こういうセリフは、気障な仕草が絵になる二枚目野郎が使うべきであって、こいつみたいな容姿の男が使うべきではない。
 なにしろこの男、太っちょである。しかも、モテないオーラが全開である。

「女の子口説きたいなら、自分の言葉で口説きなさいよ。どうせ、それ、誰かの口説き文句のパクリでしょう?」

「おお、凄いね、君は!」

 しまった。
 つい相手してしまった。
 これで会話スタートと思われたのか、太っちょの言葉は止まらない。

「そう、これは……今は亡き、僕の親友のテクニックなんだ。彼をリスペクトする意味で、彼と同じように……」

「今は亡き……?」

 こう見えて、大切な友を亡くしているのか。
 でも朝から、しかも初対面でしんみりした話をすることこそ、空気の読めない証なのだろうが……。

「そうなんだよ! かつての彼は手当り次第に女性を口説いていたのに、いつのまにか一人に絞るようになっちゃってさ。しかも、その子が学院から飛び出してったら、それを追って彼まで出てっちゃって」

 あれ? 死んだのではないのか?

「……ああ! あのナンパだった彼は、もうこの世にいないのだ! 彼は生まれかわってしまった!」

「それ死んでねえええ! 更生しただけじゃないの!」

 ツッコミの意味で、つい、ゲシッと蹴り飛ばしてしまった。
 それも全力で。

「ぶぎゃっ!?」

 大げさな悲鳴を上げながら、吹っ飛ぶ太っちょ。
 そのまま近くのテーブルに、まともに彼は倒れ込む。
 飛び散る料理が、そこで食べていた者たちの顔や服を汚した。

「マリコルヌ! 何するんだよっ!?」

 一人が太っちょ——どうやらマリコルヌという名前らしい——を突き飛ばし、突き飛ばされた彼は、別のテーブルへ倒れ込む。
 むろんそこでも騒ぎが起こる。
 かくて……。
 なしくずしの大喧嘩がはじまった。

########################

 ……ほらね。こうしみじみ考えてみると、やっぱし悪いのは、あの太っちょ。私は無関係なのだ、うむ。

「おはよう、ルイズ。朝から……すいぶんにぎやかな食堂ね?」

 唐突に横手からかけられた声に、私は振り向いた。
 黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。私やここの学生メイジと同じ服装だが、ボタンを一つ二つ外すことで、巨乳をいやらしく強調している褐色肌の娘。
 自称ライバルだったはずの旅の連れで、名をキュルケと言う。

「そうみたいね。貴族の学校とは思えないわ」

「いいじゃない、これくらいの方が。堅苦しくなくて、やりやすいわ」

 そう言いながら、フワッと髪をかきあげるキュルケ。香水の匂いが広がる。

「キュルケ……。あんた、また……?」

「……貴族の嗜みよ」

 朝の食堂だ。それ以上は言わない。
 誰かが耳にしても、香水とか化粧品とかの話だと思うだろう。
 だが、違う。私たちが話題にしているのは、キュルケの男漁りだ。
 キュルケの二つ名は『微熱』。情熱的と言えば聞こえはいいが、この女、けっこう簡単に男をとっかえひっかえするのだ。
 ……といっても、キュルケは街の娼婦ではない。あくまでも貴族。結婚するまで最後の一線は許さないという、淑女らしい一面も持っている。
 その気になった男と一晩一緒に愛を語り合って、それでも貞操を守りきるというのは、それはそれで凄い話だと思うのだが……。

「ねえ、ルイズ」

 キュルケがニヤニヤしている。

「何よ?」

「あなたの方は……どうなの?」

 表情を見ればわかる。キュルケは、サイトのことを聞いているのだ。
 もう一人の旅の連れであるサイトは、メイジではない。いわゆる傭兵稼業をしていた平民である。それが今では、なんと私の使い魔である。
 メイジである主人と、それに仕える使い魔。そういう関係だから、旅の間、夜は同じ部屋に泊まっていた。ここで一時的に女子寮の部屋を与えられた今でも、やはりサイトは私と一緒。

「な、何もないわよ」

 そう言いながらも、ちょっと顔が赤くなる。
 魔法学院は、さすがに貴族のための学校だ。寮のベッドも、安宿のものとは大きさがケタ違い。二人で寝ても問題ない広さだった。
 いつもいつも硬い床の上では可哀想。せめてここにいる間くらいは……という御主人様の仏心で、私とサイトは同じベッドで眠っている。
 変なことするくらいなら叩き出そうと思ったが、サイトならば大丈夫。私も緊張することなく、むしろ今まで以上の安心感。これが、メイジと使い魔の絆ってことなのかしら?

「……ふーん。まあ……何となくわかったわ」

 私の顔を覗き込み、一人で納得するキュルケ。それから、あらためて周囲を見渡して。

「ところで、これって何の騒ぎ?」

「さあ? 私も、よくわからないんだけど……」

 と、私がとぼけた時。
 その場の騒ぎが、ピタリと止まった。
 原因は、新たに食堂に入ってきた人物。
 その圧倒的な存在感だけで、皆を黙らせてしまったのだ。

「へえ……」

 食堂入り口に目を向けた私とキュルケは、同時に感嘆の声を漏らす。
 そこに、一人の男が立っていた。

########################

 魔法学院には場違いな、異様な雰囲気を纏う男だった。
 白髪と顔の皺で年は四十の頃に見えたが、鍛えぬかれた肉体が年齢を感じさせない。剣士かと思うようなラフな出で立ちだが、杖を下げている。これでもメイジなのだ。
 顔には、ずいぶんと目立つ特徴があった。額の真ん中から、左眼を包み、頬にかけての火傷のあとである。
 そんな男の後ろから。

「ああ、居た、居た。……ルイズ! このメンヌヴィルさんが、お前に用があるんだってさ!」

 ひょっこり顔を出したのは、私の使い魔のサイト。
 サイトは貴族ではないので、規則の上では、この『アルヴィーズの食堂』には入れない。だから厨房で食事をさせてもらうよう、手配しておいたのだが……。
 どうやら、この恐いおっさんに連れて来られたらしい。

「……ねえ、ルイズ」

「何よ、キュルケ?」

「今サイト……『メンヌヴィルさん』って言ったわよね?」

 私もキュルケも、学生とはいえ、旅のメイジ。色々な出会いもあったし、また、風の噂で名前だけ知っている凄腕メイジもいた。
 メンヌヴィル。そういえば聞いたことがある……。

「まさか……『白炎』メンヌヴィル!?」

 伝説のメイジの傭兵。白髪の炎使い。
 卑怯な決闘をして貴族の名を取り上げられ傭兵に身をやつしたとか、家族全員を焼き殺して家を捨ててきたとか、焼き殺した人間の数は焼いて食べた鳥の数より多いとか。様々な噂を流されていた。

「でも……なんだか、それっぽい雰囲気じゃない?」

 私とキュルケがコソコソと話すうちに、話題の主は、サイトと共に近くまで来ていた。

「俺を知っているのか。ならば話が早い」

 女同士のヒソヒソ話を、ちゃっかり聞いていたようだ。

「ボディ・ガードを探している」

 そう言って、私に顔を近づけてきた。サイトを指さしながら、私に問いかける。

「お前が、この男の主人のメイジか?」

「……そうよ」

「名は?」

「ルイズよ。……『ゼロ』のルイズ」

「ほう。お前があの、か。噂には聞いたことがある」

 メンヌヴィルは、ニヤリと笑った。

「嗅ぎたいなあ、お前の焼ける香り。……だが、今は我慢だ」

 はあ!? 今なんて言った!?
 とんでもない言葉を吐き出した男は、それからキュルケに顔を向ける。

「お前の名は?」

「あたしは『微熱』のキュルケ」

「……知らんな。だが……匂うな。お前も俺と同じ、炎の使い手だな? 今まで何を焼いてきた?」

「え? まあ色々と……」

 やばい。この男、あきらかにヤバイ男だ。
 どうやら『白炎』の噂は、まんざら大げさでもなさそうだ。

「そうか。まあ、いい。とりあえず、俺と一緒に学院長室まで来い」

 一方的に告げてから、彼は食堂全体を見回した。

「……で、この騒ぎは何だ? どうせお前が原因だろう、マリコルヌ!」

 おお、なかなか鋭い。
 遠くからとはいえ、メンヌヴィルに杖を向けられて、太っちょ君は硬直していた。

「目立つことはするなと言っただろう!?」

「も、申しわけありません! ミスタ・メンヌヴィル!」

 反射的に謝るマリコルヌ。
 なんだ? ミスタ・メンヌヴィルって言い方は……。メンヌヴィルは、ここで教師をやっているのか!?

「この俺でさえ、焼くのを我慢しているというのに……」

 また恐いことを呟きながら、メンヌヴィルは私たちに背を向けて歩き出した。

「どうする? ついてく?」

「……とりあえず、ね」

 顔を見合わせてから、私とキュルケも続く。

「おい、俺には意見きいてくれないの?」

 軽く文句を言いながら、サイトも私たちに従った。

########################

 この魔法学院は現在、学院長が行方不明となっている。
 高齢だった学院長は、もしもの場合はミスタ・コルベールに後を託すと言っていたらしいのだが、これが問題を引き起こした。
 火のメイジであるコルベールは、学者肌のメイジ。掘っ立て小屋を研究室と称して、そこに引きこもり、担当の授業すら自習ばかりという有様だ。

「もったいない話だよなあ、炎の使い手のくせに。……ボディ・ガードも、魔法の使えぬ女剣士がやっているんだぜ? しかも、俺が訪ねていってもその剣士が邪魔しやがる。俺自身、そのコルベールという教師には会ったこともない」

 コルベールがそんな調子なので、結局、風のメイジであるミスタ・ギトーが学院長代理を買って出たわけだが……。

「正式に頼まれたのはコルベールだからな。ギトーには従えんという教師も多い。逆に、学者バカのコルベールには従えんという教師も多い。だから、ここは今、コルベール派とギトー派に別れて抗争中というわけだ」

 私たちを案内しながら、メンヌヴィルが説明してくれた。

「……で? あなたはどっちなの? 今の話だと……ギトー派ってこと?」

 今すぐどうこうされるわけではない。それが判って安心したのか、結構でかい態度で質問するキュルケ。

「そうだ。俺はギトーに雇われていてな。奴のボディ・ガードを束ねる立場だ。あと、コルベールの代わりに、火の魔法の授業も受け持っている」

「へえ……」

 とんでもない状況だ。悪名高い『白炎』から火を教わるなど、ある意味では贅沢な話だが、しかし生徒の人格形成を考えるのであれば、絶対に間違っている。

「……まあボディ・ガードといっても、コルベールの剣士と俺以外は、貴族の坊っちゃん嬢ちゃんばかり。しょせん『ごっこ』だよ」

「ふーん。じゃあ抗争とやらも、抗争ごっこなんでしょ?」

 私の言葉に対して、メンヌヴィルはニタッと笑う。

「そうだ。だから……できればお前たちには、ギトーの話、受けてもらいたくはない」

「はあ!?」

 キュルケとサイトの声がハモった。だが私には、何となく意味が理解できていた。

「味方同士では戦えん」

 メンヌヴィルが予想どおりの言葉を吐き出した時。
 ちょうど私たちは、目的の部屋の前に着いた。

########################

 学院長室と言われていたが、実際には、本当の学院長室ではなかった。ミスタ・ギトーの部屋である。
 学院長代理を自称するギトーとその仲間たちは、ギトーの部屋を『学院長室』と呼んでいるようだ。本塔の最上階には本物の学院長室が健在なので、少し紛らわしい。

「君たちが、外からやって来たメイジか……」

 部屋の主は、長い黒髪を持つ、漆黒のマントをまとった男。まだ若いのに、不気味で冷たい雰囲気を漂わせていた。
 彼は、むすっとした表情で私たちを見る。

「君たちは、この学院に籍を置く生徒だそうだな?」

 この男の言う『君たち』とは、私とキュルケのことだ。貴族の典型で、平民は数に入れていないのだ。

「はい」

「『ゼロ』のルイズに……『微熱』のキュルケ……? フン、ろくに実力もない若輩者ほど、たいそうな二つ名をつけたがるものだ」

 私たちに関する書類に目を通しながら、そう吐き捨てるギトー。

「だいたい、旅をして遊んでいるだけで魔法が上達するなど、あり得ん話だ。学生は、ちゃんと教師から学ばねばならぬ。それも、ミスタ・コルベールのような変人学者ではなく、この『疾風』ギトーのような一流のメイジの授業を……」

「しかし、ミスタ・ギトー。学生メイジが魔法修業のために旅に出るのは、一般的な話のはずですが……?」

 長話が鬱陶しいので、私は遮ってしまった。
 彼は、私を冷たく睨みつける。

「……学生風情が生意気を言うな」

 そして、有無を言わせぬ口調で。

「そもそも、それを『一般的』にしてしまうのが、大きな間違いなのだ。だいたいオールド・オスマンも、何を考えてミスタ・コルベールなぞに後を託したのか? あのコルベールは、頭がどうかしておる。魔法を戦いに使うのは愚かだとか、生活に役立てるべきだとか、メイジの風上にも置けんことを言う男だ……」

 もう口を挟む隙もない。いったい、いつまで喋るつもりか?

「……だからこそ! あんな男ではなく、この『疾風』ギトーこそが! この魔法学院を治めねばならんのだ! この『疾風』ギトーが正式に学院長となったあかつきには……」

 あれれ? ついに、選挙演説みたいな話が始まったぞ!?
 ……こうしてギトーの演説攻撃は、ひたすら延々と続いたのであった。

########################

「話が違うじゃないの! あれじゃ、お説教よ!」

「ボディ・ガードの要請じゃなかったの!?」

 ようやく解放されて部屋を出た途端、私とキュルケは、メンヌヴィルに噛み付いた。
 まあ冷静に考えれば半ば八つ当たりだし、『白炎』メンヌヴィルに八つ当たりするというのも凄い話ではあるが、私もキュルケも頭が沸騰していたのだ。

「すまんなあ」

 メンヌヴィルが、ポリポリと頭をかく。
 こうして見ると少しコミカルだが、騙されてはいけない。こいつは『白炎』メンヌヴィルなのだ。それを思い出した私は、目を細めて尋ねた。

「だいたい……あんたほどのメイジが、なんでギトー程度の奴に従ってるの?」

 ギトーだって決して低レベルなメイジではない。おそらくスクウェアなのではないか、と私は想像していた。
 でも話しぶりを聞いていればわかる。実戦慣れしていない。まともに戦えば、トライアングルのキュルケにも負けるであろう。

「奴は、俺の雇い主だからなあ」

 答になっていない。傭兵にだって雇い主を選ぶ権利くらいある。ギトーは、メンヌヴィルの雇い主になれる器ではなかった。

「……ここに潜り込みたかったのさ、俺は。ここの図書館の資料を調べたくてな」

 メンヌヴィルは語る。
 まだメンヌヴィルが貴族の士官だった頃。とある部隊で、そこの隊長に大変世話になった。だから礼をするために、また、成長した姿を見せるために、彼を探している。
 しかし、引退したのか、どこかで戦死したのか。彼の噂は皆無であった。秘蔵の資料を調べれば消息の手がかりが得られるのではないかと考えて、魔法学院にやってきた……。

「へえ。あなたも……意外に礼儀正しいのね? お世話になった人物に会いたいだなんて……」

 感心したようにつぶやくキュルケだが、それは違うと私は思った。
 メンヌヴィルは、残忍な笑いを浮かべる。

「ああ、もう一度あいつに会いてえなあ! 会って礼がしてえ! 会いてえ、会いてえ、ってこの火傷が夜鳴きするんだ」

 ネジが外れたように笑いながら、メンヌヴィルは歩き去った。
 残された私たちは、顔を見合わせる。

「つまり……あの特徴的な火傷は、その隊長とやらにやられた傷。その仕返しがしたい……ってことね」

 同じ炎の使い手だからこそ、感じるものがあるのだろう。キュルケがゾクッと体を震わせた。

########################

 ギトーの部屋の前で私とサイトはキュルケと別れ、図書館へ向かった。
 本当は授業の時間だが、今さら魔法の講義など聞いても仕方がない。キュルケは真面目に出席するようだが、どうせ目的は男漁りに決まっている。
 さて。
 図書館は本塔にある。入り口には眼鏡をかけた司書が座り、本を片手に、出入りする者をチェックしていた。

「あ、こいつは私の使い魔ですから」

「……使い魔? これが?」

 若い女性の司書が、眼鏡に手をかけながら、サイトを見る。
 ここには門外不出の秘伝書やら魔法薬のレシピの書かれた本やらもあるので、普通の平民は立入禁止なのだ。

「はい。始祖ブリミルに誓って」

 サイトの左手のルーンを見せるべきかもしれないが、それは最後の手段。
 目立つことは避けたいので、この魔法学院にいる間は、サイトが伝説のガンダールヴであることは内緒にするつもりだった。異世界から来たことも誰にも言うなと、サイトには厳命してある。
 もっとも、左手に刻まれたルーンを見せたところで、刺青か何かだと言われればそれまでなのだが……。

「……まあ、いいでしょう」

 私の言葉を信じてくれたのか、彼女は視線を読んでいた本に戻した。
 サイトと二人で、中に入っていく。

「うお。すげえなあ」

 入った途端、サイトが感嘆の声を上げた。本棚の高さに圧倒されたようだ。

「それじゃ……いきましょうか」

「ああ。これだけあれば、何か見つかりそうだな!」

 サイトの顔が明るくなる。
 図書館に来た目的は、私の知らない虚無魔法——サイトを元の世界へ戻せる魔法——の手がかりを探すこと。
 でも『虚無』って、本来は伝説なのよねえ。手がかりがポイポイ落ちてるようなもんじゃないと思うけど……。

########################

「なあ……。まだ見つからないのかよ……」

 数時間後。
 私の隣に座るサイトは、だるそうにテーブルに突っ伏していた。

「そう簡単に見つかるわけないでしょ!? 私たちが探してるのは……伝説の魔法なんだから」

 テーブルの上には、分厚い本が何冊も積み上がっている。
 これに目を通したのは、全て私。
 サイトはハルケギニアの文字が読めないので、こういう場合、役立たずである。せめて御主人様の気分を良くするよう努めるべきなのに、こうやって不満タラタラでは、私の機嫌は悪くなる一方だ。
 私は、たった今チェックし終わった本をバタンと閉じる。

「これもダメね……。さあ、次。また別の本を取りに行くわよ」

「ええ〜〜。また〜〜?」

「文句言わないの! 誰のためにやってると思ってんの!? あんたのためでしょ!?」

「へい、へい」

 私に続いて立ち上がるサイト。本を重ねて持ち運ぶのは彼の仕事だ。それくらいしか、今の彼に出来ることはない。

「ほら、しっかり! よそ見してると、ぶつかわるよ!?」

「は〜〜い」

 私たちが来た頃は授業をやっている時間帯だったので、図書館は混んでいなかった。しかし、もう放課後になったようで、少しずつ人も増えてきた。
 現に今も、私のすぐ隣を知らない人が通り過ぎて……。

「お願いです……」

 女の声。
 私は声の主に視線を送る。
 理知的な顔立ちがりりしい、緑の髪の眼鏡美人。私とは目を合わさずに、言葉だけが唇からすべり出る。

「……この件には関わらないでください……」

「え? この件って……?」

 思わず足を止める。

「どうした、ルイズ?」

 サイトが声をかける。

「いや……今……」

 ふりむいたそこには、彼女の姿はない。
 周囲を見渡すと、少し離れた本棚の陰から、こちらを見ていた。
 なにやら、思いつめた瞳の色で。

「あ……」

 追おうとした時には、もう遅い。
 彼女の姿は、本棚の列の間に消えていた。

########################

 魔法学院ははや、闇に包まれていた。
 図書館のある本塔を出て、私とサイトは、女子寮のある建物へと歩いている。部屋へ戻るのだ。
 夜の散歩と洒落こむ者はいないのか、外には私たち二人だけだった。

「結局、何も手がかりなしか……」

「そんなに失望しないで。まだ探索一日目よ? 明日も頑張りましょう?」

 はっきし言って、気休めである。
 今日一日調べた感じでは、どうやら、何日やっても無理そうだった。
 トリステインという国の名を冠した魔法学院だが、しょせん貴族の子弟の学校だ。伝説クラスの資料を期待するのは、期待し過ぎだったかもしれない。

「そうだよな。明日がある、明日があるさ。俺が諦めちゃいけないよな……。必死に探してくれてるのはルイズなんだから。……ありがとな、ルイズ」 

「あ、あ、あたり前でしょ!? わ、私はあなたの御主人様なのよ! 使い魔の世話をするのは、メイジとして当然よ!」

 私の気休めを真に受けて、サイトが素直な顔をしたので、私は少し動揺。
 
「……そ、それに! 礼を言われるのは、まだ早いわ。ちゃんと見つけてから言ってよね!?」

「ああ。でもさ……」

 サイトの言葉が、そこで突然止まった。彼の表情も変わった。
 私とサイトは、同じ方向に視線を走らせる。二人して、異質な気配を察知したのだ。
 いつのまにか、月がかげっていた。
 雲ではない。
 巨大な土の像が、二つの月を遮っていた。
 ただし、最初からあった『像』ではない。少し前まで、私たちは月の光を浴びていたのだから。
 ならば、これは……。

「大きなゴーレム……」

 私は思わずつぶやいた。

########################

 30メイルくらいありそうな、巨大な土のゴーレムだ。ゴーレム作成は、わりとポピュラーな『土』魔法であるが、これだけの規模の物を作り出すのは、並のメイジではない。
 よく見れば、その肩に人が乗っていた。
 黒いフード、黒いローブ、黒いマントで全身を隠した怪人物。おそらく、これがゴーレムを作り出したメイジだ。

「ギトーについたのか……?」

 性別すら隠したいのだろうか。布越しの、くもぐった声で怪メイジが言う。

「やめておけ。長生きをしたいのならばな……」

 私たちが今朝ギトーに呼ばれたのを見て、ボディ・ガードを頼まれたと判断したようだ。そして、こう言うからには、こいつは抗争に関与する者。しかもギトー派ではない。つまりコルベール派らしい。

「何言ってんの? あんたみたいな怪しい奴に、どうこう言われる筋合いはないわ! どうせ名乗ることもできないんでしょ!?」

「ふむ……」

 私の言葉に対して、少し考え込んでから。

「我が名はフーケ。……『土くれ』のフーケ」

 な!?
 驚愕の表情を浮かべた私を見て、隣のサイトが肩を叩く。

「なあ、ルイズ。あいつ、有名人なの?」

「サイト……あんた、私と出会うまで、傭兵やってたんでしょ?」

「ああ」

「じゃあ……裏の世界で有名な奴くらい、覚えてないの?」

「ん……。覚えてない。ほら、ハルケギニアの人々って、みんな名前が長いし」

 このクラゲ頭のバカ犬め!
 名前が長いのは立派な貴族だけじゃあああ!
 しかし今はツッコミを入れている場合ではない。私がツッコミを入れようとしたら、言葉と一緒に手か足か魔法が出てしまう。さすがにフーケの前では、サイトに肉体的なダメージを与えている余裕はなかった。

「あのね、サイト。『土くれ』のフーケっていうのは、トリステイン中の貴族を恐怖に陥れている盗賊メイジよ。壁や扉を『錬金』で『土くれ』に変えてしまって、宝を盗み出すの」

「へえ。その『錬金』って……そんなに凄い魔法なのか?」

「『錬金』そのものは難しい魔法ではないわ。でもフーケの『錬金』は、『固定化』の魔法で守っていたはずの場所すら土くれにしてしまう。……それだけ強力な『錬金』ってこと。それだけフーケが……凄いメイジってこと」

 私がサイトに説明している間、フーケは、じっと黙っていた。話が終わったと判断したのか、再び口を開く。

「我を知っているならば話は早い。今宵の我の仕事は警告のみ。……この件からは手を引け。わかったな」

 言うなり……。
 ゴーレムは、ズシンズシンと歩き出した。
 魔法学院の城壁もひとまたぎで、外へ出ていく。

「おい、いいのか? あいつ……逃げちゃうぞ?」

「別に私、戦闘狂じゃないからね。……むこうが『警告のみ』って言ってんのに、こっちからケンカ売っても、一文の得にもならないわ」

 何もない場所で戦うならば、私の大技一発で、あんなゴーレムは楽勝だ。しかし、ここではダメ。たぶん、魔法学院も一緒に吹き飛ばすことになる。そんなことをしたら、盗賊フーケよりも、私たちが重罪人になってしまう。

「それにしても……『白炎』メンヌヴィルに『土くれ』フーケ……。とんでもないところね、この魔法学院。……まるで魔の巣窟だわ」

「さすが、ルイズとキュルケの学校だな……」

 私とサイトは、しばらくの間、茫然とたたずんでいた。





(第二章へつづく)

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 第二部で登場するキャラの役柄、ある程度は判っていただけたでしょうか。
 なお投稿予定や執筆状況に関しては、表紙ページに記載することにしました。

(2011年4月15日 投稿)
   



[26854] 第二部「トリステインの魔教師」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 23:10
   
 翌朝の目覚めは、けっして不快なものではなかった。
 貴族が寝るためのフカフカのベッドの上で、隣には使い魔もいる。メイジ本来の姿で迎えた朝だからであろうか。
 眠っている間にいつのまにか使い魔を抱き枕にしていた……というのも、御主人様としては自然な行動なのかもしれない。しかし、その使い魔が私と同じ年頃の少年であることを考えれば、少し恥ずかしい。
 彼に気づかれないよう、ソーッと体を離して。ちょっと赤くなった自分の顔が元に戻るまで待ってから、使い魔サイトを叩き起こす。

「もう御主人様はお目覚めよ!? あんた、いつまで寝てるのよ!」

「ああ、おはようルイズ……」

 眠い目をこするサイトに、私は宣言する。

「ギトー派に参戦するわよ!」

「……は? ここのゴタゴタに……関わるの?」

 サイトは意外そうな顔をする。
 まあ、そうだろう。
 私たちがトリステイン魔法学院に来たのは、図書館の資料を見るため。
 それに、しばらく前ちょっとしたことがきっかけで、かなりとんでもない事件に巻き込まれ、やや消耗していたのだ。サイトに「ここではおとなしくしておくこと」とクギを刺したのも他ならぬこの私である。
 が……。

「そう。一応ここ、私が所属する魔法学院だから」 

 トリステイン魔法学院の名誉が失墜すれば、この学院出身メイジの肩身も狭くなる。それは気持ちの良いものではないのだ、貴族のプライドとしては。

「……っつうかさ。どうせルイズ、昨日ので、少し意地になったんだろ?」

「まあね。それは認めるわ」

 図書館ですれ違った思わせぶりな女性。そして、盗賊『土くれ』のフーケ。
 魔法に関して調べていた時だったので、図書館では一瞬混乱したが、たぶん彼女もフーケと同じ。現在の魔法学院のゴタゴタについて、言っていたのだ。
 それに、昨晩は、フーケと直接やりあうのは避けたのだが……。今にして思えば、なんだか気分がスッキリしない。

「ここで退いたら、盗賊ごときにビビって逃げたってことになるもん。……私たちが解決するのよ、この事件!」

########################

 私は食堂で、サイトは厨房で。
 それぞれ朝食を済ませた後、合流して、二人でギトーの部屋へ。

「なんだ、君か。何のようだね?」

「ボディ・ガードを探していると聞きましたが……」

「……ん? ミスタ・メンヌヴィルが余計なことを言ったのか」

 ギトーは、むすっとした顔をする。

「本当は……そんなもの必要ないのだがな。なにしろ私は『疾風』のギトー。最強の系統である『風』を操るメイジだ」

 は? ……『風』が最強ですって?
 一瞬、私がほうけている隙に。

「なんだ、その顔は? 知らなかったのか? ならば『風』が最強たる所以を教えよう……」

 また長話が始まってしまった!

「……簡単だ。『風』は全てを薙ぎ払う。『火』も『水』も『土』も、『風』の前では立つことすら出来ない。残念ながら試したことはないが、『虚無』さえ吹き飛ばすだろう。それが『風』だ」

 目の前にその『虚無』のメイジがいるとも知らずに、平然と言ってのけるギトー。
 世間では『虚無』は伝説なので、私も魔法学院のような場所では「自分は虚無です」などと吹聴したりはしない。頭オカシイと思われるのも嫌だし、そのたびにいちいち実演するのも面倒だし。
 本当は『虚無』だけど面倒だから『火』ということにしている。……と言うと、それはそれで、なんだか恥ずかしい気がするけど。

「……だから自分の身くらい、自分で守れる。しかし私を慕って、私の身辺警護をしたいという連中が後を絶たないのだ。君もそのクチだというなら、まあいい。仲間に入れてやろう。詳しいことはミスタ・メンヌヴィルに聞きたまえ」

 よかった。今日は、それほど長くなかった。
 解放された私たちは、新しい長話が始まる前に、急いで部屋を出る……。

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「……君たちも、こっちにつくのかい?」

 部屋を出てすぐの廊下に、一人の男がいた。
 扉の横の壁に、もたれかかっている。
 体が重すぎて、普通に立っていられないのだろうか……と、からかいたくなるような容姿の少年。昨日の朝コナをかけてきた太っちょ、マリコルヌだ。

「なーによ?」

「ミスタ・メンヌヴィルは、凄いメイジと凄い剣士が来たって言ってたけど……」

 彼の視線が私の全身を舐め回す。しかし、いやらしい目ではない。むしろ……バカにしたような目つきだ。

「ただの平民と、お子様じゃないか」

 こいつ!? 私の背と胸を見て言ったな!?
 思わず拳を握りしめたが。

「こんなところで暴れるなよ、ルイズ」

 サイトがとっさに制止する。
 それからマリコルヌに向かって。

「お前さあ、昨日はルイズをナンパしたんだろ?」

「貴族に向かって『お前』とは何だ、この平民が!」

 侮辱されたと思ったのか。しかし本気で杖を抜かないところを見ると、メンヌヴィルから聞かされているのだろう、サイトの強さを。メンヌヴィルだって直接見てはいないはずだが、どうやってか見抜いたようだ。

「……まあ、とにかく、だ。ええと、マリコルヌだっけ? 要は結局、俺たちがメンヌヴィルさんから高く評価されたのが気に入らない。しかも、ルイズはお前が口説きそこなった相手だ」

「う……」

「前半はともかく、後半は俺にもよくわかる。俺も男だからな。昔の俺を見てるみたいだ。……こっちの世界に来る前の俺を」

「……こっちの世界?」

「あ、俺、すごい遠くから来たんだ。えーっと……」

「東方よ。サイトは、ロバ・アル・カリイエの方からやって来たの」

 助け舟を出す私。異世界から来たことは隠そうと決めた時点で、打ち合わせもしたのだが、バカ犬のクラゲ頭では地名を覚えきれなかったようだ。

「なんと! あの恐るべきエルフの住まう地を通って!?」

「違うわ、そんなこと出来るわけないでしょ。こいつ、そこから直接、私に『召喚』されてきたのよ」

 これも事実とは違うけど、これが一番合理的だろうから、そういうことにしておく。

「……まあ、ともかく。俺の宝物を見せちゃおう」

「宝物?」

「ああ。昔の俺なら大喜びするはずの宝物」

 ちょっと私も興味をそそられる。

「サイトの宝……?」

「あ、ルイズにも見せたことなかったな。でも、これ、男の子向けだからさ」

「……何それ? あんた、何かスケベな物を……」

「違う、違う! スケベなんかじゃない! むしろ清楚だ! ……とにかく、百聞は一見にしかず、って言うし。俺についてきな」

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 いったん部屋に立ち寄り、何かの包みを手にしたサイトは、私とマリコルヌを連れて厨房へ。

「おう、『我らの剣』が来たぞ!」

 四十過ぎの太ったおっさんが、サイトを歓迎する。

「あれはマルトーさん。ここのコック長だよ」

 マリコルヌが教えてくれた。

「なんだい、貴族の方々を連れてきたんですかい?」

 マルトーは、私たちを見て顔をしかめる。
 魔法学院のコック長ともなれば、それなりに収入も多いのだろう。でも平民は平民。貧乏貴族より身分は下だ。貴族を嫌うのも、わからんではない。

「ああ、すいません。すぐに出ていきますから。ただ……手の空いてるメイドさんを二、三人、少しの間、貸して欲しくて」

「『我らの剣』の頼みなら聞いてやりたいが……」

 マルトーは、サイトとマリコルヌを見比べる。
 そして、心配そうに。

「まさか……貴族の慰み者にしようってわけじゃないでしょうね? あいつらは俺の娘みたいなもんで……」

「違う、違う! そんなじゃないから安心して!」

「そうか? 今なら……たぶんローラ、カミーユ、ドミニックあたりならば……」

 メイドらしき女性の名前を口にしながら、マルトーが奥へ引っ込んでいく。
 私は、サイトをチョンチョンと突ついた。

「『我らの剣』って何?」

「いやあ、ちょっと旅の話をしたら、そう呼ばれちゃって。まだ若い平民なのに剣一本で貴族と渡り合えるなんて凄い、って」

「何それ? 旅の話って……話だけでしょ? 信じてもらってんの?」

 こいつに嘘やホラを話す頭がないのは判っているが、それは今までの付き合いがあってこそ。会ったばかりの厨房の連中には、そこまでは判らんはずだが……。

「うん。その時、ちょうどメンヌヴィルさんが来てさ。俺の強さに太鼓判を押してった」

「メンヌヴィル? まさか……あいつとここで、やり合ったの!?」

「そんなわけないだろ。でも……一目見ただけでわかるんだってさ」

 ここでサイトは、私の耳元に口を寄せて。

「俺が異世界出身ってことまで、メンヌヴィルさんにはバレてた。なんか……『温度が違う』って言ってた」

 温度が違う、って……。メンヌヴィルは目で温度を検知できるのか?
 が、ここでサイトとの内緒話は終了。
 マルトーが、メイドを三人連れて戻ってきたのだ。

「二時間くらいなら、空いてるそうだ」

「はい! 喜んで!」

 揃って言った彼女たちは、三人とも若いメイドだ。私やサイトやマリコルヌと同じくらいの年頃。器量は悪くないし、スタイルも……悔しいが私より女性的だ。

「お願いがあるんだけど……」

 サイトが三人に近づき、持ってきた包みを渡しながら、耳元でゴニョゴニョ。

「えー。そんなことするですか?」

「でも……その程度なら……」

「そうね、サイトさんのためなら!」

 メイドたちは了承したらしい。

「じゃ、俺たちは先に行って待ってるから!」 

 なんだ? 宝物披露はここじゃないのか?

「……また移動するの?」

 マリコルヌも不服そうだが、サイトが宥める。

「心配すんな。次で終わりだ。いよいよ……舞台の幕が上がる!」

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 陽光まぶしいアウストリの広場で、私とサイトとマリコルヌは待っていた。

「サイト、もったいぶるのもいい加減にしたら?」

「ごめんな、仕込みに時間かかって。……じゃ、ネタばらしにならない程度に説明しようか。俺の国の女性の衣装によく似た服を、こっちで見つけてね。それを買った」

「女性の衣装? やっぱり、それって……」

 私のジト目に対して、サイトはバタバタと手を振る。

「違う、違う! だからスケベなもんじゃないって! むしろ清楚なんだってば! ……でもそれがいいんだ」

 意味がわからない。
 私とマリコルヌが顔を見合わせた時。
 メイド三人がやってきた。

「何……あれ?」

 サイトから渡された服なのだろう。異様な格好だった。
 白地の長袖に、黒い袖の折り返し。襟とスカーフは濃い紺色。襟には白い三本線が走っている。
 アルビオンの水平服らしいが、少し違う。胴の丈が短いのだ。スカートの上ぐらいまでしかなく、動けばヘソが見えてしまう長さだ。実際、三人は今、走ってきているので、ヘソがチラチラしていた。
 そしてスカート。私たち学生メイジが履くグレーのプリーツスカートだが、これも短い。膝上15サントくらい。よく働くメイドたちの健康的な太腿が、半分以上あらわになっている。

「おおおおおおおおっ!」

 宝物を見せると言っていたサイト自身が、宝を見て感激していた。
 そして、見せられたマリコルヌも。

「け、け、けしからん! まったくもってけしからんッ!」

 目を爛々と輝かせ、食い入るように見つめている。
 そして私たちの前まで来たメイドたちは、サイトに頼まれたであろう一芸を見せた。
 三人揃って、くるりと回転。スカーフとスカートが軽やかに舞い上がる中、指を立てて元気よく。

「お待たせ!」

 男二人の興奮が頂点に達した。

「おれッ、サイッコォオオオッ! 君たちも最高ぉおおおおオオオオッ!」

「ああ、こんなッ! こんなけしからん衣装と仕草! の、の、の、脳髄をッ! 直撃するじゃないかッ!」

 頭痛ひ。
 女の私には、全くもって判りませぬ。
 でも。
 男たちは懇願する。

「お願いだヨ。もう一回、頼むヨ」

 くるり。

「お待たせ!」

「うぉおおおおオオオオッ!」

「の、の、の、脳髄がッ! 僕の脳髄が焼きつくッ!」

 くるり。

「お待たせ!」

「セーラー服ぅ最高ぉおおおおオオオオッ!」

「の、の、の、脳髄がッ! 僕の脳髄がッ!」

 こうして。
 頭痛い子たちの演舞は、時間いっぱい繰り返された。
 あとで聞いた話によると、あれはサイトの世界の学生服。私たちくらいの年の女の子は、ああした格好で学校に通うのだそうだ。だから、あれも一種の望郷の念なのだ、と言っていたが……。
 ちなみに。
 この時からマリコルヌは、サイトをアニキと慕うようになった。

########################

 昼食の後。

「そっちはどうだった、サイト?」

「いない。ルイズのほうも……?」

「うん」

 サイトと再び合流。
 挨拶がわりに尋ねたのは、『白炎』メンヌヴィルのことだ。
 昨日は向こうからやってきたメンヌヴィルだが、今日は全く顔を見ていなかった。
 一応ギトー派についたと一言ことわっておきたかったが、まあ、いいか。コルベール派になる気はないから——たぶんフーケがコルベール派だから——形の上でギトー派になった、ただそれだけなのだ。

「……で、これからどうすんだ? 相手陣営の様子を探るとか?」

「そんなチマチマやるのは面倒でしょ。……だから学院長室へ行きましょう!」

「……? またギトーさんのところへ?」

「違うわよ、本物のほう」

 そもそもの騒動の発端は、学院長の失踪だ。彼を見つけ出すのが、手っ取り早い解決策のはず。それを調査するには、まず、学院長室だ。
 そう考えて、サイトと共に本塔の最上階まで行ってみたところ……。

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「あれ……?」

「何の御用でしょうか。オールド・オスマンは、ただいま不在ですが……?」

 学院長オスマンは行方不明だと聞いていた。だから彼の部屋も無人だろうと思っていたのだが、それは間違いだったようだ。
 学院長室では、机に座って書き物をしている女性がいた。

「なあ、ルイズ。学院長はいないって話だったけど……いるじゃん」

 不思議そうな顔をするサイト。
 ちょっと待て。
 それはそれで何か勘違いしているだろう!?
 案の定、目の前の女性が笑いながら訂正する。

「あら、私、そんなに高齢に見えるのでしょうか? いやですわ、まだ二十歳そこそこですのに……」

 二十代前半の女性だ。サイトは気づいていないようだが、私は彼女に見覚えがある。
 昨日図書館で私に、この一件には関わらないで欲しい、そうささやいて姿を消した眼鏡美人だった。
 しかし、まるっきしの初対面のような態度。
 それなら、こっちも芝居につきあうとしますか。

「私の使い魔が失礼をして、申しわけありません。私はルイズ・フランソワーズ。こっちは使い魔のサイトです」

「ああ、新しくやってきた……というより、戻ってきたという方が正確かしら? とにかく、来たばかりの学生メイジと、そのお連れ様ですね。……申し遅れました、私はオールド・オスマンの秘書です。ミス・ロングビルとお呼びください」

「では、ミス・ロングビル。あなたは、ここで何をしているのです?」

「何って……もちろん、私の仕事を」

 彼女はケロッとしていた。しかし、姿を消した雇い主を心配もせず、秘書仕事を続けるというのも不自然な話である。

「でもオスマン学院長は行方不明で、今はミスタ・ギトーが代理をしていると聞きましたが……」

「あら、事情通ですこと」

 彼女はホホホと、おしとやかに笑う。いかにも大人の女性といった感じだ。

「ですがミスタ・ギトーは、正式に引き継ぎをされたわけではありませんから。書類仕事などは、ここで私が続けております」

 なるほど。
 一応、スジの通った話ではある。
 しかし。
 ならば学院の業務そのものは、このミス・ロングビルが押さえているわけだ。結局ギトーは、お山の大将のように威張り散らしているだけ……ということか?

「で、そこまで御存知のあなた方は……学院長不在と知った上で、何しに来たのでしょうか?」

 今度は、そちらが追求する番か。まあ、適当なことを言ってあしらえばいい。
 ……と思っていたら。

「いやあ。ルイズが、学院長を見つけ出すんだ、って言うもんだから。そんで、ここに手がかりあるだろうから調べよう、って言うんで。……それで、来ました」

 何を馬鹿正直に話しておるのだ、このバカ犬は!?

「まあ、まあ! それは、ありがたいお話ですこと! オールド・オスマンを探し出していただけたら、それはもちろん、願ってもない話ですが……」

 微笑みを続けながらも、ミス・ロングビルの眼鏡の奥がキラリと光った。

「……大人の問題は、大人で解決しますから。学生の方々は、何も気にせず、どうぞ勉学に励んでください」

 これで会話は終わりという意味だろう。彼女は視線を机の上に戻し、中断していた書き物を再開する。
 言い方は柔らかいが、要するに学生は口を出すなということだ。
 うーむ。昨日の図書館での言葉も、この程度の意味だったのだろうか?
 それにしては、やけに勿体ぶった態度だったのだが……。
 釈然としないものを胸に抱えながら、私とサイトは学院長室を辞した。

########################

 ミス・ロングビルに言われたから……というわけではないが。
 学院長失踪事件に関してあからさまに調査するのは、一時中断。この日の残りの時間は、昨日同様、図書館で過ごした。
 トリステイン魔法学院にやってきた本来の目的、未知の魔法の手がかり探索に戻ったのだ。

「……でも結局、今日も何もナシね」

「なあ、ルイズ。これって、どっちつかずだよ。二兎を追うもの一兎をも得ずだよ」

 やはり昨日と同じく、暗くなった学院敷地内を女子寮へと向かう私とサイト。

「文句言わないの! あんたのための魔法探しなのよ!? それに……これはこれでカモフラージュになるじゃない」

「カモフラージュ?」

「そう。ここのゴタゴタからは、ちょっと手を引いてみました……って素振りを見せるの」

「誰に対して? 誰もいないじゃん」

 サイトがキョロキョロと周囲を見渡す。
 たしかに、月の光に照らされているのは、私たち二人のみ。他には誰もいない。それでも、気づかぬ何処かから見張られている可能性はあるのだ。

「……わかんないでしょ。昨日だって、突然……」

 その時。
 月がかげった。
 私とサイトは同時に振り向く。

「ワンパターンな登場の仕方ね……」

「暗い夜道は、盗賊のテリトリーってことか?」

 視線の先には、巨大な土のゴーレム。
 その肩に乗るのは、黒ずくめの怪人物。『土くれ』のフーケだ。

「我が言葉……無視する方を選んだか……それもまたよかろう……」

 フーケは、自問するかのような口ぶりで静かにつぶやいた。

「なーに? やろうってわけ……?」

「ならば、俺たちだって……」

 昨日とは違う。今夜のサイトは、私に言われて、ちゃんと持ち歩いていた。
 彼は今、背中から剣を抜く!

「よう、相棒! それに娘っ子! ようやく俺っちの出番かい!?」

「ああ、そうだな」

「待たせたわね、デルフ!」

 サイトの左手が、暗闇の中で強く光った。
 それを見て。

「我は盗賊……暗殺者ではない……宝を奪うのが仕事……」

 フーケが、再びブツブツとしゃべり始めた。

「……が……人の命もまた、時には宝!」

 うまいこと言ったつもりか!?
 巨大なゴーレムの拳が、私たちに迫る!
 だが! フーケがしゃべっている間に、私も準備していた!

 ドゥッ!

 私のエクスプロージョンで、ゴーレムの右腕が吹っ飛ぶ。
 魔法学院の庭先であまり派手にやりたくはないので、今のでもフル詠唱ではない。これならば、まだまだ何発も撃てる。あと二、三発、ぶち込んでやれば……。

「危ねぇっ!」

「え?」

 杖を振り下ろしたままの姿勢の私を、サイトが抱きすくめた。そのままバッと横っ飛び。
 たった今まで私たちがいた地点には、ゴーレムの巨大な拳がめり込んでいた。

「ボーッとすんな!」

 私を見もせずに叱責するサイト。剣を構えて、私に背中を向けていた。

「……再生したのね」

 なるほど、ただ大きいだけじゃないわけか。壊しても壊してもすぐに再生する、それが『土くれ』フーケ自慢の巨大ゴーレム!

「我がゴーレムは無敵……相手が悪かったな……」

 傲慢さも感じさせず、淡々とつぶやくフーケ。だが……『相手が悪かった』は、こっちのセリフ!

「サイト!」

「ああ!」

 再び迫る巨大な拳を、今度はサイトが魔剣で斬り飛ばす。
 どうせすぐ復活するだろう。が、それはそれで構わない。またサイトが斬ってくれるから。
 そうやって彼が盾になってくれている間に、私がやるべきことは……。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……ギョーフー・ニィド・ナウシズ……エイワズ・ヤラ……ユル・エオ・イース!」

 強い意思と共に、私は杖を振り下ろした。
 私の『解除(ディスペル)』を叩き込まれたゴーレムが、一瞬のうちに土に還る。

「ほう……さすが『ゼロ』のルイズ……」

 足場にしていたゴーレムが崩れる寸前、後方へ跳躍したのだろう。フーケは、ストンと地面に降り立った。

「今日のところは……我の負けだ……」

 クルリと反転し、走り出すフーケ。

「どうする? 今日も逃がしちゃうのか?」

「何いってんのよ、バカ犬! 昨日とは違うでしょ!? はっきりと敵対してきたんだから……逃がすもんですかっ!」

 奴がゴーレムを失った今が、奴を倒すチャンス!
 私とサイトは、黒いマントの後を追った。

########################

 黒いマント、黒いローブ、黒いフード。
 それがフーケの格好だ。
 夜の追跡行は、逃げる側が有利だった。
 ほどなく、私たちはフーケを見失ってしまった。
 しかし……。

「なんか……怪しいよな?」

「そうねえ……」

 フーケが消えた辺りに、見慣れぬ建物があった。
 学院の正規の宿舎とは違う、ボロっちい掘っ立て小屋。

「この中に逃げこんだのかな? もしかして……ここが『土くれ』フーケの隠れ家?」

「そんなわけないでしょ」

 いかにもバカ犬な意見。
 魔法学院の中にアジトを建てる盗賊がどこにいるというのだ!?

「でもよ。木を隠すなら森の中とか、灯台もと暗しとか言うじゃん? だからさ、おおやけの学校の中に拠点を作るのって、案外いいかもしれないぜ?」

 むむむ。そう言われると、そうかもしれないとも思えてきたが……。
 そうやって、扉の近くで二人で話し合っていたら。

 ガチャリ。

 小屋のドアが内側から開いた!

「何よ、騒がしいわね……」

 言いながら出てきた女性を見て、私もサイトも目を丸くした。

「なんで、あんたが……!?」

「ええっ!? どういうことだ……?」

 なぜならば、彼女は……。

「あら、ルイズにサイトじゃない。……何やってんのよ、こんなところで?」

 赤い髪を持つ、褐色肌の巨乳娘。
 私たちの旅の連れ、『微熱』のキュルケであった。





(第三章へつづく)

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 マリコルヌ才人をアニキと慕うの巻。「スレイヤーズ」の金貨イベントを「ゼロ魔」のセーラー服イベントで置き換えたつもり。

(2011年4月18日 投稿)
(2011年5月24日 「召還」を「召喚」に訂正)
    



[26854] 第二部「トリステインの魔教師」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/21 21:46
  
「何やってんの、って……。キュルケこそ何やってんのよ!?」

 盗賊『土くれ』のフーケを追って、怪しい掘っ立て小屋まで来た私とサイト。
 しかしフーケの姿はなく、中から出てきたのは『微熱』のキュルケ。

「そうだぞ、そんな格好で何やってんだよ!?」

 サイト的にはポイントはそっちか、おい。
 もうベッドに入っていたのであろう、キュルケは寝まき一枚。いいえ、寝まきというより下着かしら? ベビードールと呼ばれるタイプの、男を誘惑するための下着……。

「あら? こういうの……珍しい?」

 燃えるような赤い髪を優雅にかきあげて、艶っぽく流し目を送るキュルケ。
 サイトがゴクリと喉を鳴らす。

「でも、ルイズだって寝るときはこうじゃないの?」

「そうだけど。でも何か違う……」

 サイトの返答に、キュルケがニマッと笑った。

「なーんだ。やっぱり……そうなんだあ?」

「違うわよ! 私は普通のネグリジェよ!」

 サイトをゲシゲシ蹴りつけながら、私が訂正する。

「痛ぇっ! やめろルイズ、おい!」

「下着と寝まきの区別もつかないバカ犬には、しつけが必要でしょ!?」

 男から見れば、どっちも同じに見えるのかもしれないけど。頭ではわかっていても、なんかムカツク。
 ……だいたい、私がネグリジェで寝るようになったのは、ここに来てからである。
 旅の宿は危険がいっぱい、いつでもサッと飛び出せる姿で寝ていた。が、ここは魔法学院。安心して、本来の貴族らしい格好で眠るようにしている。
 しかし、よく考えてみたら、教師メイジたちが派閥抗争をしていたり、『土くれ』フーケやら『白炎』メンヌヴィルがいたり。ここも安全ではないのかも……。

「それよりキュルケ。もう一度聞くけど、あんた、ここで何やってんの? 私とサイトは、怪しい奴を追ってたら、ここに辿り着いたんだけど……」

「怪しいのは、お前たちだ」

 突然、キュルケの後ろから別の女性が現れた。
 短く切った金髪の下、澄みきった青い目が私たちを睨む。ところどころ板金で保護された鎖帷子、そして滑らかな無地のマントに身を包み、腰には長剣と拳銃をさしていた。キュルケとは対照的な、物々しい出で立ちである。

「この者たちはお前の知り合いか、キュルケ?」

「ええ。ルイズとサイト」

 キュルケが紹介してくれたが……。
 私とサイトは、警戒を怠らなかった。
 この鎖かたびら女、できる。私たちでさえ気圧されそうな殺気を、全身から放っていた。

「そうか。一応、名乗っておこう。私はアニエス。コルベールのボディ・ガードをしている」

 あ!
 ようやく気がついた。
 コルベールは掘っ立て小屋にこもって研究をしている、って話だった。ここがその小屋、つまりコルベール派のアジトってことか。
 ならば、このアニエスが、メンヌヴィルの言っていた女剣士なのだろう。

「……お前も剣士か?」

「は、はい……」

 サイトの剣を一瞥しながら、声をかけた。それからジロリと私を見る。

「お前、『炎』使いだな? 焦げ臭い、嫌なにおいがマントから漂ってくる」

 いや私、『火』じゃなくて『虚無』なんですけど。
 でも面倒だから『火』ということにしているので、ある意味、都合が良かった。たぶん爆発魔法のせいでしょうね、マントが焦げ臭いというのは。
 しかし……使う魔法の種類を一瞬で察するとは、こいつも化け物の一種だな。なるほど、メンヌヴィルがコルベール側の戦士としてワザワザ言及しただけのことはある。

「そうよ。私は『火』のメイジ」

「……教えておいてやる。私はメイジが嫌いだ。特に『炎』を使うメイジが嫌いだ」

「はあ? それっておかしいんじゃねえの? ここのコルベールって人も、『炎』を使うメイジなんだろ?」

 おお、クラゲ頭のくせによく覚えていたな。しかし、やっぱりサイトはバカ犬だった。今は、それを言うべきタイミングではなかったのだ。
 アニエスの表情が、鬼のようになった。

「ああ、そうだ。だからこそ、コルベールは私が守ってやるのだ。……いつか私自身の手で殺すために」

 そう吐き捨てると、クルリと背を向けて、奥へ引っ込んでいく。

「なんだよ……それ……」

「……複雑な事情がありそうね」

 唖然とするサイトと私に向かって、キュルケが肩をすくめる。

「そういうこと。もう夜も遅いから、あなた達も部屋に帰って、おとなしく寝なさいな」

 そして彼女は、バタンと扉を閉めてしまった。

########################

「……で、キュルケは、あっちについたってわけ?」

「まあ、ね。……泊まり込みで警護してるわ」

 翌日。
 私とサイトは、廊下を歩いていたキュルケを私の部屋に引きずり込んだ。事情を説明してもらうためである。

「なんで?」

「だってミスタ・コルベールは、あたしと同じ『火』のメイジだもの」

「それはそうかもしれないけど。コルベールって……メイジとしては、たいしたことないんでしょ?」

 メンヌヴィルやギトーから聞いた情報を思い出す。コルベールは研究ばかりしている学者メイジで、魔法を使うのも嫌がるくらいだとか……。
 ところが、キュルケは首を横に振る。

「それが違うのよ。見ると聞くとでは大違い。実際に会ってみると……相当な凄腕よ」

 キュルケの声色が真剣なものに変わる。

「……そんなに?」

「ええ。おとなしいフリをしているから、みんな騙されてるみたいだけど……あれは、かなりの修羅場をくぐってきたメイジね。ルイズも会えばわかると思うわ」

 私ほどではないが、キュルケも腕前は確かなメイジ。そこまで彼女が言うのであれば、少しは信用してもいいのだろうか。
 しかし、それなら『白炎』メンヌヴィルもコルベールを高く買いそうなものだが……。

「あ!」

「……何?」

「なんでもないわ。ちょっと思い出しただけ」

 メンヌヴィルは言っていたのだ。コルベールには会ったことがない、と。会いに行っても女剣士に追い返される、と。
 そして、こうして私がアニエスについて思い浮かべたタイミングで。

「そういえばさ。あのアニエスって女の人……いったい誰?」

 サイトが、ちょうどアニエスのことをキュルケに尋ねた。

「ふーん。サイト……ああいうのが好み?」

「ちげーよ! なんでそういう話になるんだよ!?」

 キュルケだからである。
 ……と思ったが、とりあえず口には出さず、私は黙って二人の会話を聞く。

「あら。目つきは怖いけど、綺麗なお姉さんでしょ? 男装の麗人って感じで」

「そうだけどさ。遠くから見ている分にはいいけど……つきあったら身が保たないよ。なんだか、ゾッとするような……」

「相棒が言うのも、もっともだ。ありゃあ、復讐鬼の目だったな」

 剣士だから興味があるのか。魔剣デルフリンガーまで話に参加してきた。

「あら、さすが。よくわかったわね?」

「まあな。俺っちも色々、見てきたからなあ」

「そう言やあ、アニエスさん言ってたっけ。コルベールさんは自分で殺すとか何とか……」

「そ。他人に殺されたくないから、ボディ・ガードしてるの」

「何それ? だったらサッサと殺せば言いじゃん」

 物騒なことを言うサイト。こう見えてサイトも傭兵やってたわけだから、切ったはったの経験は、それなりにあるわけだ。

「それがさあ。何か約束してるらしいのよ。だから今は殺せないんだって。それに、彼女の復讐の相手はミスタ・コルベールだけじゃなくて……」

 キュルケが説明する。
 あのアニエスという女剣士は、ダングルテール出身。二十年前に村ごと焼き払われた場所である。世間では生存者はゼロということになっているが、唯一逃げ延びたのが、彼女だったらしい。
 そして、その事件の実行部隊の一員が、あのコルベール。彼の近くにいれば、当時の関係者と接触する機会もあるかもしれない……。

「……なるほどね。彼女の事情は、だいたいわかったわ。じゃあ聞きたいんだけど、コルベールが雇ってる連中の中に、『土くれ』がいるでしょ?」

 そろそろ話題を変えようと考えて、私が口を挟んだ。
 キュルケは、私の言葉を聞いてポカンとする。

「『土くれ』……?」

「そうよ。『土くれ』のフーケ」

 今度は、こちらが説明する番だった。
 関わるなと脅されたこと。ギトー派についたら襲撃されたこと。撃退したが逃げられたこと。その消えた先がコルベールの小屋近辺だということ……。

「……状況から判断して、ギトー派じゃないわ。つまりコルベール派……あんたの味方ってこと」

「『土くれ』のフーケが? ……いないわよ、そんな奴。ミスタ・コルベールが盗賊メイジなんて雇うわけないじゃない」

 むむむ。では、どういうことなのだ?

「それより、ルイズ。今の話だと、ルイズとサイトはギトー派ってことよね?」

 キュルケが、面白そうな顔をする。

「そうよ。ま、本気で肩入れするつもりはないけどね。……一応、形だけ」

「なんだか久しぶりね、あなたと戦うのも! そうよね、あたしたち、元々ライバルだったんだから……たまには……」

「へえ。じゃあ……」

 と、わざと言葉を区切って、もったいつけてから。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

「うわっ!? やめろルイズ、部屋ん中だぞ!?」

「じょ、冗談よ! あたしたち、友だちじゃないの!?」

 私がエクスプロージョンの詠唱を始めたら、サイトとキュルケが必死に止める。
 もちろん私だって本気ではない。ハッタリである。

「そう? じゃあ手を組みましょうね、キュルケ。両陣営の情報を持ち寄って考えれば……こんな抗争、すぐ終わらせられるわ!」

########################

 その夜。
 私とサイトとキュルケは、本塔の最上階に来ていた。

「ここがあなたの考える……事件解決の鍵?」

「そうよ。行方不明の学院長を捕まえて、この争いを終わらせるの!」

 キュルケから話を聞くまでは、コルベールの小屋にオスマン学院長室が囚われている可能性を考えていた。しかし彼女は、それはあり得ないと言う。
 ならば、一番怪しい場所はここである。

「でもさ、ルイズ。昨日も来たじゃん。美人の秘書さんに追い返されたけど……でも、部屋には他に誰もいなかったぜ?」

 単純な意見を述べるサイト。学院長室をくまなく探したわけではないのだから、隠れていたかもしれないのに。
 まあ、いい。私としても、厳密には、学院長室そのものを調べたいのではない。

「とりあえず……入りましょう。キュルケ、お願い」

「ええ、まかせて」

 普通の魔法が苦手な私の代わりに、キュルケが『アンロック』の呪文を唱える。
 学院内で『アンロック』を使うのは校則違反のはずだが、半分よそ者な私たちは気にしない。どうせ、ここにいるのも一時的な話だ。怒られたら「知りませんでした」と謝ればいい。

「……開いたわ」

「へえ。案外、不用心なのね」

 ちょっと拍子抜け。どうせ無駄だろうがダメもと……という程度だったのに。
 最悪の場合は、キュルケに『サイレント』をかけてもらった上で、私のエクスプロージョンで扉を壊すつもりだった。が、まあ手間が省けたのであれば、文句を言う必要もない。

「じゃあ……調べましょうか」

 なるべく音を立てずに侵入して、室内を物色する。
 窓からの月明かりに照らされる中、重厚なつくりのセコイアのテーブルが、大きな存在感を示していた。失踪中のオスマン学院長の物である。
 壁際には書棚があり、部屋の端には、あのミス・ロングビルという秘書が仕事をしていた机もあった。他には応接用のテーブルやソファ、観葉植物の鉢植えなどもあるが……。

「なあ、ルイズ。やっぱ誰もいないぜ?」

「あなたの鋭い推理って……あんまりアテにならないのねえ」

 私を馬鹿にしたようなサイトやキュルケの言葉。特に意見もなく、私についてきたくせに。
 でも、いいのだ。私には、さらに考えがあるのだから。

「そりゃあ、そうよ。あからさまな場所に、いないはずの人間とか、大切な物とか、隠しておけるわけないでしょ」

「じゃあ、何しに来たんだよ?」

「大切な物……? もしかして、あなた……」

 サイトと違って、キュルケは気づいたらしい。私は今の発言の中に、ヒントを紛れこませていたのだ。

「何かあるとしたら、誰も入れない場所。つまり……ここよ!」

 私は、足下の床を指し示した。

########################

 学院長室の一つ下の階には、宝物庫がある。そこには、魔法学院成立以来の秘宝が収められているという。
 巨大な鉄の扉にはぶっとい閂がかかっており、閂は、これまた巨大な錠前で守られている。その鍵を持つのは、失踪した学院長、オールド・オスマンのみ。
 つまり……。

「この宝物庫こそが……誰も入れない、誰も調べていない場所ってわけ」

 もちろん、扉にも壁にも床にも天井にも強力な『固定化』呪文がかけられており、あの盗賊メイジ『土くれ』フーケの『錬金』にも耐え得るとさえ言われていた。
 でも。

 ドーン!

 さすがに、伝説の『虚無』魔法の物理的破壊力の前では無力だったようだ。
 学院長室の床——つまり宝物庫の天井——に向けて放った、小さなエクスプロージョン。力を加減した物ではあったが、それでも数発ぶち込んだら、私たちが通れる程度の入り口が出来た。

「なあ……これじゃ、俺たちが盗賊なんじゃねえか?」

「何いってんの。調査よ、調査!」

「ルイズの言うとおりだわ。あたしたち、別に何か盗み出すわけじゃないんだし」

 学院長室から、薄暗い宝物庫に飛び込む。
 窓もないため、キュルケが魔法で、小さな光源を作り出す。

「うわあ、凄いわね……」

 キュルケが感嘆の声を上げた。
 さすが由緒ある宝物庫。剣やら杖やら盾やら鏡やら、そういった一目見て何だかわかる物から、手にとってジックリ調べないと見当もつかない魔道具まで。
 思わず手が出そうになるくらい、色々あった。

「これだけあったら……少しくらい失敬してもわからないんじゃない?」

「だ、だ、だめよキュルケ。そ、それじゃ本当に泥棒になっちゃうわ……」

 あまりの誘惑に声が震えるが、グッとこらえる。
 こうした宝には関心が薄いはずのサイトまで、杖が並べられた一画を見つめていた。が、その様子がおかしいことに私は気づく。

「どうしたの? ……サイト?」

 行方不明のオスマン学院長を発見したわけではない。
 彼の視線の先にあるのは、どう見ても魔法の杖には見えない一品。その下の鉄製のプレートには『破壊の杖、持ち出し不可』と書かれている。

「何? あれが欲しいの……?」

 絶句して固まるサイトに、あらためて私が尋ねた時。

「なんじゃ、騒々しいのう」

 後ろから声をかけられ、私たちは振り返った。

########################

 そこに立っていたのは、長い口髭をたくわえた老人だった。杖とマントから見て、この老人もメイジなのだろう。何より、誰も入れないはずの宝物庫にいたということは……。

「オールド・オスマン……ですね?」

「そうじゃ」

 なるほど、聞いたとおりの外見だった。顔に刻まれた皺が、彼が過ごしてきた歴史を物語っている……という話だったのだ。
 百歳とも二百歳とも言われており、本当の年が幾つなのか、誰も知らない。本人も忘れているんじゃないか、という噂もあった。

「あなたを探していました」

「……わしを?」

「ええ。あたなが行方不明になって、学院は大変な状況で……」

「わしが行方不明……? ハッハッハ! 何をバカなことを! わしは現に、ここにおるではないか!?」

「いや、そういう意味じゃなくて……」

 この老人、私たちを煙に巻こうというのだろうか。あるいは、年でボケているのだろうか。

「君たちは何か勘違いしておるようじゃが……わしは、ここで調べ物をしていただけだぞ?」

「はあ!?」

 私だけではない。それまで私に会話を任せていたキュルケやサイトまで、揃って声を上げた。

「そういえば、いつからだったかのう? わし自身、覚えておらんのだが……」

 こいつ……。
 長生きし過ぎて、私たちとは時間の流れが違うのか?

「……そうか、行方不明と思われておったか。それはいかん」

 オスマンは、長い口髭をこすりながら唸った。

「考えてみれば……ミス・ロングビルにも告げずに、ここへ来てしまったからのう。誤解されるのも、無理はあるまいて」

 彼が、ようやく事情を理解した時。
 黒い影が、私たちの横をすり抜けた。

「誰!?」

「あっ!」

 少し前にサイトが見ていた『破壊の杖』を手に取り、再び私たちの横を。
 誰も対応できない素早さで、私たちが飛び込んだ穴から出ていく。

「……追うわよ!」

 放ってはおけない。私たちも学院長室へ上がると……。

「おかげさまで、これが手に入った。礼を言う」

 まるで私たちを待っていたかのように告げる怪人物。
 黒いマントに黒いローブに黒いフード。『土くれ』のフーケである!

「……では、さらばだ」

 私たちに姿を見せつけた後、学院長室の壁を『錬金』で土くれに変えて、フーケは外の闇へと逃げていく。ここの壁は宝物庫とは違うのだ。 

「待ちなさい!」

 私たちもフーケを追いかけようと思ったのだが……。

「何の騒ぎだ!?」

 学院長室の扉が開いて、大勢ドヤドヤと入ってきた。
 床にエクスプロージョンで穴をあける際には、キュルケに『サイレント』をかけてもらったのだが、『火』メイジである彼女の『サイレント』では不十分だったのか。あるいは、今のフーケの一件がうるさかったのか。
 ともかく。
 これでフーケを追って出ていっては、私たちこそ、逃げ出すように見えてしまうだろう。最悪のタイミングだった。

「なんだ!? ここで何をしているのだ!?」

 先頭に立っているのは、現在この学院を仕切っているつもりの『疾風』ギトー。他の教師や学生の中にも、見知った顔があった。太っちょのマリコルヌと、『白炎』メンヌヴィルだ。
 そして……。

「どうしたのだ?」

 離れた場所に引きこもっていた分、遅れてやってきたのが、コルベール派の剣士アニエス。頭の薄い中年メイジが一緒だが、たぶん、これがコルベールだ。
 私の予想どおり。

「ミスタ・コルベール! 君まで来たのか!? これは……君がやらせたのか!?」

 ギトーが中年メイジに歩み寄る。
 さあ、両派のボスが顔をあわせたぞ。まだ二人は気づいていないが、私たちの下には、失踪中と言われていたオスマン学院長もいるのだ。いよいよ、話は解決に向かうのか!?
 ……と思いきや。
 この場で最も興奮しているのは、『白炎』メンヌヴィルだった。

「おお、お前は……。お前は! お前は! お前は!」

 歓喜に顔を歪め、狂人のようにわめく。
 その異様な雰囲気に、一同がピタリと黙ってしまう。

「探し求めた温度ではないか! コルベールとは……お前だったのか! 懐かしい! 隊長どの! おお! 久しぶりだ!」

 メンヌヴィルは両手を広げ、嬉しそうに叫んだ。
 コルベールは眉をひそめる。同時に、アニエスが表情を変えて、その顔をコルベールに向けた。

「おい、コルベール。この男、今『隊長どの』と呼んだな? まさか、この男……」

「そうだよ、アニエスくん。私が君の村を焼いた時の……部下の一人だ」

 コルベールが告げた瞬間。
 アニエスが走り出した。

「ならば……貴様も!」

「なんだ? 邪魔をするな!」

 アニエス対メンヌヴィル。女剣士と炎使いの対決。

「やめろ! 手荒なことは……」

 ギトーの制止など笑止。
 メンヌヴィルの杖の先から、アニエスに向けて巨大な火の玉が飛ぶ。

「うぉおおおおおッ!」

 彼女は体に纏ったマントを翻し、それで火球を受けた。一気にマントは燃え上がるが、中に水袋でも仕込んでいたらしい。水蒸気が立ちこめる。火の威力が弱まる。
 それでも鎖帷子を熱く焼くが、彼女は根性で耐え抜き……。

「覚悟ぉッ!」

 しかし彼女が振り下ろした剣は、空を切った。

「ぅげっ!?」

 みぞおちにメンヌヴィルの杖を叩き込まれ、アニエスは崩れ落ちる。
 私たちの誰も手を出せない、一瞬にも満たぬ間の攻防だった。

「……お前も、なかなか強いなあ。だから後で、ゆっくり焼いてやるよ。デザートとして、な。……だが今はメインディッシュの時間だ!」

 残忍に笑いながら、再びコルベールへと向き直るメンヌヴィル。
 もうギトーも、何も言えなかった。今やメンヌヴィルには、ギトーの命令も通じない。
 これまで聞いた話を思い出せば、私にも、大まかな人間関係は理解できた。
 メンヌヴィルは、剣士アニエスの村を焼いたメイジの一人。つまりアニエスにとっては復讐相手の一人。
 そのメンヌヴィルがギトーの下についてまで探していたのが、かつての隊長コルベール。ようやくコルベールを見つけた今、彼がやるべきことは、ただ一つ。それを邪魔する者は、杖一本でダウンだ。

「面白いなあ、隊長どの。まさか貴様が教師をやっているとは! しかもあんな小屋に引きこもっていたとは! ……『炎蛇』と呼ばれた貴様が! は、はは! ははははははははははッ!」

 心底おかしい、とでも言ったように、メンヌヴィルは笑う。
 そして、グルリと辺りを見回した。

「説明してやろう。この男はな、かつて『炎蛇』と呼ばれた炎の使い手だ。特殊な任務を行う部隊の隊長を務めていてな……。女だろうが、子供だろうが、構わずに燃やし尽くした男だ」

 先日ギトーは言っていた。コルベールは魔法を使うのを嫌がっている、と。生活に役立てようとしている、と。……なるほど、それは昔の行状を反省した結果だったわけだ。

「そして俺から両の目を……。光を奪った男だ!」

 昼間キュルケは言っていた。コルベールは凄腕のメイジだ、と。かなりの修羅場を経験しているようだ、と。……なるほど、実は『白炎』に大きな痛手を与えるほどの『炎蛇』だったわけだ。

「メンヌヴィルくん。ここは……私たちには狭すぎるだろう」

 コルベールが冷たく言い放った。
 メンヌヴィルにしてみれば、私たちを巻き込むことも、やぶさかではないだろう。が、コルベールに成長した自分の実力を見せつけるためには、コルベールも全力を出せる場が必要。そう判断したらしい。

「よかろう。外でやろうじゃないか、隊長」

 二人の炎使いが、静かに塔を降りていく。
 チラッと振り返ったコルベールの目は、こう告げていた。

「君たちは来るな」

 と。

「どうすんだ、ルイズ?」

「……無粋なことはしたくないわ」

「そうか……。うん、そうだな」

 頷くサイト。
 だから。
 私たちは、塔の窓から、二人の戦いを見守る……。

########################

 いつにまにか、月が雲に隠れていた。
 辺りはハケで塗ったような闇に包まれる。
 二人の放つ炎だけが、二人を照らす灯りだった。
 しかし……。

「一方的ね」

「そうね」

 私とキュルケには、この戦いの趨勢は明白だった。
 メンヌヴィルはコルベールに向けて次々と炎を発射しているのに、コルベールは防戦一方。
 闇の中を、右に左に逃げ惑う。攻撃に転じたくとも、闇の中のメンヌヴィルには攻撃をかけづらいようだ。

「どうした! どうした隊長どの! 逃げ回るばかりではないか!」

 風に乗って、メンヌヴィルの声が私たちにまで届いた。
 メンヌヴィルの炎球が連続で撃ち込まれ、コルベールはかわしきれなくなり、マントの端が燃えた。

「ねえ、ルイズ。もしかして、あの『白炎』メンヌヴィルって……」

「そうでしょうね。両の目を奪われた……って、さっき言ってたから」

 彼は盲目なのだ。
 蛇は温度で得物を察知するという話を聞いたことがある。それと同じなのだろう。まるで目が見えるかのように行動していたが、『見えていた』のではなく『熱』を感知していただけ。
 そういえば、サイトの体温が他とは違う……なんてことも言ってたんだっけ。今にして思えば、色々と納得である。
 が、そうなると。
 この勝負、やはりコルベールが不利だ。
 常人にとって闇の中の戦いはつらい。相手が見えないからだ。しかし盲目の炎使いにとって、闇は何のハンデにもならない。

「惜しい! マントが焦げただけか! しかし次は体だ!」

 狂気の笑みを浮かべて、散々に炎を飛ばすメンヌヴィル。
 時々コルベールも炎を放つが、手応えはない。
 上から見ていればわかる。狡猾なメンヌヴィルは、魔法を放つと同時に移動し、闇に消えるのだ。

「そこだ! 隊長!」

 一方、闇を見通すメンヌヴィルには、コルベールの位置は丸わかり。
 コルベールが茂みに隠れようと、塔の影に隠れようと、メンヌヴィルの魔法からは逃れられない。今のメンヌヴィルは、さながら、炎の大魔王であった。

「最高の舞台を用意してやったよ、隊長どの。もう逃げられない。身を隠せる場所もない。観念するんだな」

 逃げ惑ううちに、コルベールは広場の真ん中へとおびき出されていた。だが。

「なあメンヌヴィルくん。お願いがある」

「……なんだ?」

「降参してほしい。もう私は、魔法で人を殺したくないのだ……」

「おいおい、ボケたか? 今のこの状況が理解できんのか? 貴様は俺が見えぬ。しかし俺には貴様が丸見えだ、貴様のどこに勝ち目があるってんだ」

「そうか……」 
 
 哀しそうに首を振り、コルベールは上空へ向けて杖を振った。
 小さな火炎の球が打ち上がる。

「なんだ? 照明のつもりか? あいにくとその程度の炎では、辺りを照らし出すことなど適わぬわ」

 嘲るように吐き捨てたメンヌヴィルが、呪文を唱え始める。
 しかし。
 第三者として戦場を俯瞰していた私たちにはわかった。思わずキュルケと顔を見合わせる。
 二人とも同じ考えだ。今までの私たちの予想は間違っていた……。そう顔に書いてあった。
 理屈も何も不明だが、女の直感が——戦い慣れたメイジの直感が——勝者を正しく理解していた。
 そして。

「なんだこりゃあああああああ!?」

 見物していたサイトが叫んだのも無理はない。
 空に浮かんだ小さな炎の球が爆発。その小さな爆発は、見る間に巨大に膨れ上がる。
 それが止んだ時……。
 メンヌヴィルは、既に事切れていた。

########################

「あれは……『爆炎』だわ……」

 キュルケが震える声でつぶやいた。『火』のメイジである彼女は、今の魔法を噂で聞いたことがあったらしい。
 火、火、土。火二つに土が一つ。土系統の『錬金』で空気中の一部を気化した油に変えて、空気と撹拌。そこに点火して巨大な火球を作り上げる。それは周囲一帯の酸素を燃やし尽くし、範囲内の生き物を窒息死させる……。

「うわっ、えげつねえ……」

「敵が闇の中にいるなら闇ごと葬りさればいい……ってことね」

 キュルケの説明を聞いて、サイトと私が感想を述べた。
 あの瞬間、メンヌヴィルは呪文詠唱しており、口を開いていた。一気に肺から酸素を奪い取られ、窒息したわけだ。
 一方、コルベールは口を押さえながら身を伏せていたから大丈夫。
 コルベールは、広場へ誘い出されたように見えて、逆に相手を誘い込んでいたのだ。誰もいない広場の真ん中でなければ使えない大技だったから。
 そのコルベールが今、私たちのところに戻ってきた。

「終わったのか……?」

 いつのまにか復活していたアニエスが、コルベールに歩み寄る。

「……ああ」

「そうか、では……」

 雇い主と護衛という関係だ。メンヌヴィルと戦った者同士だ。労り合うのだろうか……と思いきや。
 その場に座り込んだコルベールに対して、アニエスが剣を突きつける。

「ちょっと!?」

 キュルケが叫ぶが、コルベールとアニエスの耳には入らない。完全に二人だけの世界だった。

「私は約束した。いつか私が貴様を殺す……と」

「……ああ」

「貴様は約束した。もう二度と炎で人をあやめない……と」

「……ああ」

「私たちは約束した。次に貴様が炎で人をあやめた時、私が貴様を殺す……と」

「……ああ」

 剣を握るアニエスの手に、力が入る。

「お願い、やめて!」

 キュルケの制止の声は届かなかった。
 アニエスの剣が一閃する。
 しかし……血しぶきは舞い上がらない。アニエスの剣が裂いたのは、コルベールの服だけだ。
 首の後ろが切られ、彼の首筋の古傷があらわになる。引き攣れたような火傷のあとがあった。

「やはり……そうか……」

 はたで見ている私たちには理解できないが、たぶん二人だけにわかる、何かの証なのだろう。
 アニエスは剣を鞘に納め、クルリと後ろを向いた。

「約束は守る。だから……貴様も守れ」

「アニエスくん……?」

「今晩あそこで貴様が殺したのは、人ではない。人の皮を被った化け物だ」

 コルベールに背中を向けたまま、彼女は語り続ける。

「だから私は、まだ貴様を殺さない。だから私が殺す日まで、貴様は生き続けろ。勝手に死ぬな。……もし一人で生き続けるのが難しいのであれば、そばで私が、貴様の命を守ってやる」

 そして彼女は、先に一人で歩き去っていく。
 ……なんだかなあ。素直じゃないなあ、アニエス。
 私はそう思うのだが、ともかく。
 こうして今宵の騒動は、閉幕したのであった。





(第四章へつづく)

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 というわけで、今回はアニエスさんのお話。「スレイヤーズ」的にはアニエスさんの役どころは無いし、コルベールが格好良くてはいけないけれど、でも「ゼロ魔」でもある以上、このイベントはやっておかないと。

(2011年4月21日 投稿)
    



[26854] 第二部「トリステインの魔教師」(第四章)【第二部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/24 22:21
   
 しばらく行方不明だった学院長、オールド・オスマン。彼が戻ってきたことで、トリステイン魔法学院にも平和な日常が帰ってきた。
 コルベール派とギトー派に別れて行われていた抗争ごっこも終了。コルベールは研究室に閉じ篭っていた間の出来事を反省し、真面目に授業をするようになった。ギトーはコルベールの実力を思い知り、大っぴらに彼を馬鹿にすることはなくなった。……生徒に対しては相変わらず「『風』が最強」と言っているらしいけど。
 コルベールに雇われていたアニエスは、彼の秘書兼助手という身分を与えられて、正式に魔法学院の一員になった。
 そして、私とサイトとキュルケの三人は。
 
「見なかったことにしろ……ですって?」

「そうじゃ。これ以上のゴタゴタは、もうたくさんじゃろ?」

 オスマン学院長から、盗賊フーケの一件を口止めされてしまった。
 盗賊『土くれ』のフーケが『破壊の杖』という宝物を盗み去った現場にいたのは、私たち三人とオスマンのみ。四人で口裏を合わせてしまえば——賊が忍び込んだが私たちがいたので何も盗み出せなかったと言い張れば——問題ないというわけだ。

「でも……大切な宝を盗まれちゃったんでしょ?」

 オスマンは首を振る。

「この学院にとって一番の宝は、生徒たちじゃ。彼らが貴族の精神や魔法をしっかり学べる環境を整えることこそ、わしらの一番の仕事。……せっかく取り戻した平穏な日々を、これ以上かき乱したくないわい」

 魔法学院を早く以前のような静かな学び舎に戻すためにも、もう騒動は懲り懲り。フーケに宝を一つ盗まれたことくらい、目を瞑ろう。
 それがオスマンの考えらしい。
 そもそも、フーケが難攻不落の宝物庫に侵入できたのは、私がエクスプロージョンで穴を開けたせい。ちょっと責任も感じていたので、なかったことにしてくれるというのであれば、まあ助かると言えば助かるのだが……。

########################

「なんか……しっくりこないわね」

 部屋でサイトを前にしながら、私は、少し不機嫌な顔をしていた。
 魔法学院の女子寮なので、部屋といっても、結構な広さがある。大きなベッドの他にタンスやテーブルもあり、私とサイトは今、テーブルを挟んで椅子に腰掛けていた。

「……そうだな。俺も、なんだか、よくわからん。結局……何がどうなってどうなったんだ?」

「おい、娘っ子。たぶん相棒は、ちゃんと理解してねーや。説明してやれよ」

「そうね……」

 口に出して説明するのは、自分の考えを整理する意味ではプラスになる。バカ犬のクラゲ頭も、たまには役に立つということだ。

「まずは……私たちが事件に首を突っ込んだ理由ね」

 態度の悪いギトーや会ったこともないコルベール。最初は、どちらに肩入れするつもりもなかったのに。
 図書館でミス・ロングビルから、その後、夜には『土くれ』フーケから。同じ日に二人から「関わるな」と言われて、私たちは方針変更。

「……ん? あの秘書さんと盗賊フーケって、同じこと考えてたの?」

「そんなわけないでしょ。ミス・ロングビルは、翌日直接私たちにも言ったように、学生を厄介ごとに関わらせたくなかったの。しょせん学院の秘書、裏のない人だったね。でも、『土くれ』のフーケは、裏をかいた」

「裏をかいた……?」

「そう。フーケは本心から『関わるな』と言ったわけじゃない。フーケは私たちを挑発したのよ」

 おそらくフーケは、『ゼロのルイズ』の噂を聞いたことがあったのだろう。私の力ならば、宝物庫にも入れるかもしれないと考えたのだろう。
 ただし、もしもフーケに挑発されておとなしく引っ込むようなら、噂はしょせん噂。どうせ役にも立たない。一方、噂どおりの凄いメイジであるならば……。

「……で、まんまとノせられたわけか」

「そーいうこと! ……結局はフーケの目論みどおり、私の力が宝物庫への道を作ってしまったんだわ」

「なるほどな……。それで『裏をかいた』か。女って複雑なんだな……」

 内心で歯がみした私は、うっかり彼の言葉を聞き落とすところだった。

「……何よ? フーケは、ちゃんとそれを読み切ったわけでしょ?」

「だから……それは、フーケも女だからだろ?」

 え?

「はあ!? サイト……何いってんの!?」

「あれ? ルイズ……気づいてなかったのか? あの身のこなしというか、スタイルというか……。そりゃあマントやローブで全身隠してたけど、どう見ても女だったぞ、あれは!?」

 真顔で言い切るサイト。

「……そ、そんな重要な情報、なんで今まで黙ってたのよ!?」

「だって! ルイズも当然わかってるって思ったから! ……痛っ! おい、やめろ!」

 とりあえずポカポカとサイトを殴りつけながら、よく考えてみる。
 フーケが女性だとしたら……もしかして……。
 今にして思えば、あの時、学院長室が『アンロック』で簡単に入れたのも、フーケが事前に何か細工をしていたから……かもしれない。
 そうなると……。

「サイト」

「……なんだ?」

 手を止めて、私も真剣な顔をする。

「もう一度、学院長と話し合いましょう」

########################

 たまたま廊下を歩いていたキュルケも加えて、私たち三人は、学院長室に乗り込んだ。

「……なんじゃ?」

 ちょうどサイトもオスマンに聞きたいことがあったというので、まずは、その件から片づける。

「あの『破壊の杖』は、俺が元いた世界の武器です」

「ふむ。元いた世界とは?」

「俺は、このハルケギニアの人間じゃない」

 こいつ……。異世界出身ということは内緒にしておくはずだったのに。
 まあ、事情が事情なので、仕方がないか。
 杖には見えなかった『破壊の杖』がサイト同様、この世界に紛れこんできたというのであれば。サイトの世界へ戻るための手がかりになるかもしれないのだ。
 でも……こんな話を持ち出すのであれば、まずは人払いを頼んで欲しかった。部屋の端の机では、ミス・ロングビルが眼鏡に手をかけて、興味深そうに瞳を光らせている。

「あの『破壊の杖』は、俺たちの世界の武器だ。あれをここに持ってきたのは、誰なんです?」

 年寄りにもわかりやすく、再び同じようなことを口にしながら、詰問するサイト。
 オスマンは、ため息をついた。

「すまんのう。わしも知らんのじゃ。あれは、わしが学院長に赴任する前からあったお宝でな」

 その答に、サイトはガックリ肩を落とす。
 だが。
 ここで私が口を挟んだ。

「知らないはずよね……。だって、あんた、本物のオールド・オスマンじゃないもの!」

「ええっ!?」

 真っ先に驚きの声を上げたのは、ミス・ロングビル。
 私は口元を歪めながら、説明する。

「オールド・オスマンが失踪したのは、昨日や今日の話じゃなかったでしょ? ずっと宝物庫にこもってたっていうなら、食べ物とかトイレとか、どうしてたのよ?」

「おい、ルイズ。それじゃ……このジイサン、人間じゃないのか!?」

「なるほどね。あなたの考えてること……わかったわ」

 異世界人のサイトと違って、メイジであるキュルケは理解したようだ。
 この世界には、ガーゴイル(魔法人形)というものが存在する。土系統の魔法で作られたシロモノだが、ゴーレムとは違う。自立した擬似意志で動く。

「ここまで精巧な、人間そっくりなガーゴイルは初めて見たけど……敵は有名な土メイジですからね。これくらい不思議じゃないわ」

「なんと! わしがガーゴイルだというのか!? 酷い話じゃな!」

 あの時『オスマン』は、私たち三人の後ろから出現した。三人が見ていない隙に、私たちと同じ穴から入ってきたに違いない。

「……致命的なミスを犯したわね。オールド・オスマンは、たしかに宝物庫の鍵を持っている。でも……辻褄が合わないのよ」

「どういう意味だ?」

 不思議そうな顔をするサイトに、私は説明する。たぶん、こいつが理解できれば、全員が理解できるはず。

「あのね。宝物庫の扉には閂がかかっていて、そこに錠前がついているの。扉そのものに錠前がついてるわけじゃないの」

 もしも扉そのものに錠があるなら、外から開け閉めするだけでなく、中から開け閉めすることも出来るだろう。しかし、そうではないのだ。

「……かりに鍵で開けて中に入ったとして、どうやって中から鍵かけるのよ?」

「魔法があるじゃん。レビなんとかだか、フライだかってやつ。あれで、手を触れなくても、離れたところのもん、動かせるんだろ?」

「馬鹿ね。そんなことしたら、今度は中から開けられないじゃない。鍵は外なんだから。……自分が閉じこめられちゃうわよ?」

「……そうか! さすがルイズ、賢いな!」

 厳密には、この話は穴だらけだ。外部に協力者がいればいいのだから。が、その場合も「誰にも知らせずに宝物庫に入っていた」という言葉は嘘になる。

「……どう?」

 とりあえず、勢いを重視。
 私はバシッと、『オスマン』に指を突きつけた。
 その時。

「……話は聞かせてもらった!」

 バタンとドアが開いて、入ってきたのはマリコルヌ。
 なんだ? 今いいところなのに!?

「君の推理は素晴らしいよ、ルイズ! だから……僕が決定的な証拠をお見せしよう!」

 そして彼はツカツカと、ミス・ロングビルに歩み寄る。

「ひとつお聞かせ願いたい。ミス・ロングビル、このオールド・オスマンが戻ってきてから……あなたは、スカートの中を覗かれましたかな? お尻を撫で回されましたかな?」

「そう言えば! まったく何もされてませんわ!」

「……見ろ! このオスマンはニセモノだ! 本物のオールド・オスマンはスケベで有名。久しぶりに会ったミス・ロングビルに何もしないわけがない!」

 えっへんと胸を張るマリコルヌ。
 だが。

「どこが決定的な証拠じゃあああ!」

「ぎゃあっ!?」

 私は、つい彼を蹴り飛ばしてしまう。
 補足の状況証拠としては悪くなかったけど、突然出てきて大いばりで話すほどではないと思ったのだ。

「私が……本物の『決定的な証拠』を見せて上げるわ!」

 私は呪文を唱え始める。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……ギョーフー・ニィド・ナウシズ……」

「おい、ルイズ! 部屋ん中だぞ!?」

 サイトが慌てている。
 攻撃呪文のわけないのに。
 彼の前で唱えたことある呪文なのに。
 チラッとミス・ロングビルを見ると、彼女の表情は、サイトとは違っていた。
 ……ふーん、やっぱり。

「……エイワズ・ヤラ……ユル・エオ・イース!」

 『オスマン』に向けて、杖を振り下ろす。
 ガーゴイルにかかっていた魔法が『解除』されて、それはボロボロと崩れた。

「ね。やっぱりガーゴイルの一種だったのよ」

 これで『オスマン』が偽物だったことは判明したが……。
 事件は解決するどころか、振り出しに戻った。

「じゃあ、本物のオスマンさんは、どこにいるんだ!?」

 口にしたのはサイトだが、それは誰もが感じていた疑問。
 私たちは顔を見合わせたのだが……。
 その答は、意外なところから与えられた。
 
「おい、なんだ、このサラマンダーは!?」

「あら、フレイムじゃないの」

 突然、キュルケの使い魔が入ってきたのだ。初めて見るマリコルヌは驚いているが、私たちは平然としている。
 ミス・ロングビルも落ち着いているが……。彼女は彼女で、色々なものを見慣れているんでしょうね。

「そういえば……久しぶりね」

「そう。フレイムには、ちょっとした用事を言いつけていたの。あたしも、すっかり忘れていたわ!」

 あっけらかんと語るキュルケに、フレイムは何だか悲しそうだ。
 それでも主人には逆らえない、それが使い魔。
 どうやらフレイムはオスマンを探すように命じられて、学院の外へ出ていたらしく……その居場所を発見したのだという。
 なんというグッドタイミング!

########################

 近くの森の廃屋に、長い口髭の老人が隠れ住んでいる。
 それがフレイムの持ち帰った情報だった。

「長い口髭の老人? それはオールド・オスマンです! 間違いありません!」

 ミス・ロングビルが御者を買って出て、馬車で私たちは出発する。
 オスマンが偽物だったことは、この五人の秘密。他の誰にも知られぬうちに、本物を連れて来ようという話になった。
 馬車といっても、屋根ナシの荷車のようなもの。
 手綱を握る彼女の横には、案内役のフレイム。そして荷台に、私とサイトとキュルケとマリコルヌが座る。

「それにしても……。なんでオールド・オスマンは、そんなところに隠れているんだろう?」

 荷台の柵に寄りかかりながら、マリコルヌがポツリとつぶやいた。
 私とキュルケは、顔を見合わせながら。

「そりゃあ、ねえ?」

「たぶん、フーケにさらわれたんでしょうね」

「……フーケ?」

 怪訝な顔をするマリコルヌ。
 そうか、こいつ、フーケが関わってることも知らんのか。

「『土くれ』のフーケよ。名前くらい聞いたことあるでしょ?」

「『土くれ』のフーケって……あの有名な盗賊フーケか!?」

 マリコルヌはかすれた声を上げる。

「ち……ちょっと待てよ! ま……まさかと思うけど、君たちひょっとして、あの大盗賊フーケ相手にことを構えるつもりなのか!?」

 何を今さら。
 サイトも呆れている。

「ことを構えるも何も……。すでに俺たち、フーケの巨大ゴーレムとも、やり合ってるしなあ」

「巨大ゴーレム!?」

「そうよ。三十メイルくらいあったかしら?」

「さ! 三十メイル!?」

「あたしはまだだけど……ルイズたちは二度、戦ったんでしょ?」

「に! 二度!?」

 文字どおり目を剥くマリコルヌ。
 あ。
 変な力のかけ方をしたようで、寄りかかっている柵が壊れた。ついに彼の体重を支えきれなくなったのだ。
 ベシッと変な音を立てながら、マリコルヌが馬車から落ちる。
 すぐに起き上がったが、もう顔は真っ青だった。

「冗談じゃない! 僕たちは学生だぞ!? そんなのと戦えるわけないだろ! ……もう君たちにはついていけない! 僕は降りる! 降りたからな!」

 言うなり彼は走り出す。馬車の進む方向ではなく、来た道を戻る向きに。
 私たちは、黙ってそれを見送った。
 やがて、彼の姿が見えなくなってから。

「馬車……軽くなりましたね」

 ミス・ロングビルが、冷たく言い放った。

########################

 深い森に入ってしばらく進んだところで、ミス・ロングビルが馬車を止めた。

「ここから先は、徒歩で行きましょう」

 森を通る街道から、小道が続いている。
 私たちは頷き、全員が馬車から降りた。
 フレイムを先頭にして、少し歩くと……。
 開けた場所に出た。森の中の空き地といった風情である。

「あの中にいるのでしょうか……?」

 空き地の真ん中に廃屋があった。元は木こり小屋だったのだろう。朽ち果てた炭焼きらしき釜と、壁板が外れた物置が隣に並んでいる。

「どうするんだ、ルイズ? みんなで突入するのか?」

「いや……それより……」

 サイトの質問には答えずに。
 私は、ミス・ロングビルに向き直った。

「そろそろ……正体をあらわしたらどう?」

 そう私が言った途端。
 彼女は、ザッと後ろに飛び退いた。
 しらばっくれるかと思ったが……意外に変わり身も早いようだ。

「さすがは『ゼロ』のルイズ。ま、あんたには気づかれてると思ったわ。……でも、いつから?」

「色々と怪しかったけど……確信したのは、ついさっきよ。学院長室で私が『解除(ディスペル)』を使った時。あんた、私の呪文詠唱を初めて聞くはずなのに、知ってますって顔してたからね」

「そうかい……。わたしとしたことが、とんだミスをしちまったようだねえ」

 目の前の女性は眼鏡を外した。優しそうだった目が吊り上がり、猛禽類のような目つきに変わる。

「おい、ルイズ。これって一体、どういうことだ!?」

「サイト。私の部屋であんたが言ったこと、実は大正解だったのよ」

「俺が言ったこと……?」

「そう。秘書ロングビルと盗賊フーケは同じこと考えてたのか、って。……そのとおり、二人の考えは同じだった。なにしろ……ミス・ロングビルこそが盗賊『土くれ』のフーケだったんだから!」

 フーケが宝物庫から宝を盗み出して、大騒ぎになった時。
 あれだけ多くの人がやって来たのに——ミスタ・コルベールまで来たのに——、ミス・ロングビルは顔を出さなかった。今にして思えば、彼女はフーケとして逃走中であり、だからこそ不在だったのだ。

「フフフ……」

 私に断言されても、フーケは、ただ笑うだけ。
 いつのまに呪文を唱えていたのか、その背後に巨大なゴーレムが出現する。

「わたしは殺し屋じゃないからね。本当は殺生はしたくないんだけど……。正体を知られたからには、始末しなきゃいけないのかねえ?」

 言いながら身軽にゴーレムに飛び乗るフーケ。
 私に一度ゴーレムを倒されているくせに、ずいぶんな自信である。
 ……まあ、あの時はフーケも本気じゃなかったんでしょうね。あの晩のフーケは、私たちをコルベールの研究室へ誘導するのが目的だった。あそこには特に何もないと私に教えておかないと、私が宝物庫へ行き着かないから。

「あんたが私を事件に巻き込んだのは、宝物庫への入り口を私に作らせるためね?」

「……そのとおりさ」

「失踪事件を引き起こしたのは、オスマンを偽物とすり替えるためね?」

「……そのとおりさ」

 オスマンが行方不明の間、ギトーは威張っているだけで、事務手続きなどは秘書のロングビルことフーケがやっていた。つまり、学院の業務は、フーケの思うがままだったのだ。
 当然、偽オスマンが戻ってきた後も、偽オスマンを操るフーケが魔法学院を牛耳ることになる。

「なあ、ルイズ。俺……よくわかんないんだけど?」

「サイトは本当にバカ犬ね。……よーく考えてごらんなさい。もしも突然オスマンが偽物になったら、些細な違いからバレるかもしれないでしょ。でも、しばらく不在だったら、それも判別しにくいわ」

 人間なんてそんなもんだ。昨日と違えば違和感を覚えるかもしれないが、「しばらく見ないうちに変わったな」ならば納得してしまう。

「いや、そうじゃなくてさ。フーケは……この人は盗賊だろ? あの学校を支配して、何の得があんの?」

 ふむ。
 それは私にもわからない。
 宝を盗むだけなら、そこまでしなくてもいい……というか、私を利用した時点で完了しているわけだし。
 こればっかりは、本人に聞いてみないと……。

「……というわけでフーケ! きっちり白状しなさい! なんで学校ごと盗もうとしたの!? 普通の学校には通わせられない、わけありの隠し子でもいるわけ?」

 フーケがピクッとした。
 あれ? さすがに今のは冗談で言ってみただけなのに?
 盗賊フーケって、見た目は二十代前半だが……実は、大きな子供がいるのか!?

「それは……さすがに秘密だよ!」

 フーケのゴーレムが腕を振るった。
 サイトが魔剣で受け止める。

「殺すのは、そっちの使い魔君に『破壊の杖』の使い方を聞いてから……って思ったんだけどね! どうやら、それどころじゃなさそうだ!」

 なるほど。ここまで私たちについて来たのは、そういう理由もあったわけか。サイトが『破壊の杖』は自分の世界の武器だと言ったので、サイトならば色々知っていると思ったのか。
 小屋に入ったら、本物のオスマンを人質にでもするつもりだったのだろう。
 でも、事情が変わったらしい。正体がバレたので……ここで決着をつける気だ!

「ルイズ! 早く……あの呪文を!」

「そうよ! 一度は撃退したんでしょ!?」

 サイトの剣撃、そしてキュルケとフレイムの炎が、私を守る盾になってくれている。
 その間に呪文を撃て、ということのようだ。

「フン! この間とは違うんだよ! あんたと私と……どっちの精神力が上か、くらべてみるかい!?」

 フーケはフーケで、勝つ気十分。
 私が『解除(ディスペル)』でゴーレムを土に戻したら、すぐ次を作るつもりらしい。そして、また『解除』されたら、また作る。その繰り返しに持ち込む予定だ。
 大人と子供の精神力のキャパシティを考えれば、先に精神力が尽きるのは私。そういう魂胆なのだろうが……。
 正直、さっき学院長室でフル詠唱の『解除(ディスペル)』を使ってしまったので、もう一発さえつらい。やはり『虚無』魔法は伝説だけあって、かなり精神力を消費するのだ。
 でも大丈夫! 私には、純粋な虚無魔法とは異なる技がある! あっちも魔法だが、他の存在の力を借りるものだから! 今の私でも使えるはず……。

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

 私の呪文詠唱を聞いて、フーケの顔色が変わる。
 なにしろ、ルーン語ではなく口語なのだ。一般的に使われる、簡単なコモン・マジックとも違う。
 フーケだって、初めて聞く呪文なのだろう。

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 大人しく学院の敷地内でやり合ってりゃ良かったものを。
 こんな誰もいないところまで来た時点で、フーケの負けは確定していたのだ!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

########################

「……あっけないわね」

「わ、わ、私が本気出せば……ざ、ざっとこんなもんよ……」

 ゴーレムと共に吹っ飛んだフーケは、見つけ出して捕縛した。まだ意識を失っているが、一応、生きているようだ。
 ちゃんと小屋を背にして竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を放ったので、そちらに被害はない。中にいるであろうオスマンも無事なはず。
 ただ……。
 ちょっとばかし森が消滅したようだが、まあ、これは不可抗力よね。小心者の私は声が震えてしまうが、きっと気にしてはいけないのだろう。

「と、とにかく……。あとはオスマン学院長を連れ帰るだけだわ」

 私たちは、廃屋の中へと入っていく。
 一部屋しかない小屋だった。入ってすぐの棚に、『破壊の杖』もある。部屋の真ん中には埃の積もったテーブルがあり、その向こうの椅子に、一人の老人が座っていた。
 長い口髭をたくわえた、皺だらけの老人。初めて会う人物だが、初めて見る顔ではなかった。

「オールド・オスマン……ですね?」

「そうじゃ」

 彼は、丸い石を手にしていた。水晶球のような、赤い宝玉だ。

「それは……?」

「これは『契約の石』じゃ。彼女が……わしにくれたのじゃよ」

 契約の石。
 名前だけはよく知られている、伝説のマジックアイテムだ。
 まるで悪魔と不死の契約をして魂を石に封じ込めたかのように。
 それがあれば、とんでもない長寿が得られるという。石が破壊されない限り、ほぼ永遠に生き続けられるという。
 なるほど、百歳とも二百歳とも言われるほどオスマンが長生きなのは、この『契約の石』のおかげだったのか……。

「彼女は……。こんな……かりそめの不死ではなく、本物の不死をくれると言ったのじゃ。そのために、もっと凄いマジックアイテムを探し出してやろう。学者バカのコルベールにも、そういう研究をさせよう。……そう言っておった」

 どうやらフーケは、オスマンを適当に言いくるめて、ここに隠していたようだ。
 サッサと殺してもよかったのに。
 どうやら、無用な殺生を好まないというのは、本当だったらしい。

「わしも、薄々は気づいておったよ。彼女が普通の秘書ではない……と。こんな魔道具を持っている女性が、普通の秘書のわけがない……と。しかし……わしは彼女の言うことには、逆らえなんだ。なぜ、と聞かれても困るのじゃが……」

 しみじみ語る老人に、サイトが男として同意する。

「……しかたねーよ、じいさん。美人はただそれだけで、いけない魔法使いなんだ」

「そのとおりじゃ。その若さで君は、すでに真理を悟っておるのう」

 おい。
 私もキュルケも、呆れた目で男たちを見る。

「でもよ、じいさん。そんなに長生きして……何がしたかったんだ?」

「したかったこと……か。わしは、ただ……もっともっと、おなごと遊びたかっただけじゃ」

「そうか。それなら……しかたねーよな……」

 そういえばマリコルヌが言っていたな。オスマンは有名なスケベだった、って。
 しかしサイトまで納得するとは……。
 ま、考えてみれば。
 あのセーラー服の一件があったように、こいつも男の子なのよねえ。

「……じゃが、もういい。君たちが来たことから察するに、わしがいなくて、色々とトラブルになったんじゃろう?」

「まあ、そんなところです」

 オスマンが真面目な話に戻りそうなので、会話の主導権をサイトから取り返す。

「ですから、オールド・オスマン。あなたには是非、学院へ戻っていただかないと……」

 しかしオスマンは、ゆっくりと首を振った。

「もう、いいのじゃよ。わしも……反省した。どうやら……わしは長生きし過ぎたらしい」

「え? それは、どういう……」

 私たちが聞き返す暇も、止める暇もなく。
 オスマンは『契約の石』を床に叩きつけた。
 赤い宝玉が粉々に散る。
 かりそめの不死をオスマンに与えていた石が……。

########################

 それから一週間あまりの後。
 空は見事に晴れ渡っていた。
 学生たちのにぎやかな声も聞こえてくる。

「……まるで……あんな事件なんて、起こんなかったみたいに……」

「何をしんみりしてるんだ? いいじゃん、死んだのも結局メンヌヴィルさんだけなんだから」

 ちょっと決めてみせた私の雰囲気に、使い魔のサイトが水を差した。
 けっこうな大事件だったのだ。少しくらい、もったいつけてみたくもなるではないか!?
 が、結果だけ見れば、確かにサイトの言うとおりである。
 メンヌヴィルが死んだのは、半ば自業自得。悲しむ者も、ほとんどいないだろう。
 フーケは一命を取りとめ、役人に引き渡された。きっと脱獄不可能な牢獄に収容されることだろう。
 そして……。

「世話になったのう! 元気でな!」

 本塔の最上階から、私たちに手を振るオールド・オスマン。
 結局のところ、彼は学院長に返り咲いたのだった。
 あの『契約の石』を割った時には、誰もが彼の最期だと思ったのだが……。
 よくよく考えてみれば、彼の非常識な長寿は『契約の石』とは無関係。フーケと出会ってあれを渡されたのは最近であり、その前から、彼は長生きしていたのだから。
 つまり。マジックアイテムなぞなくても、まだまだ彼の寿命は残っているというわけだ。人騒がせな話である。

「……で、だ。ここを出て、次はどこへ行く?」

 サイトが私に尋ねる。
 私たちは今、門の目の前まで来ていた。
 これから二人で、また旅に出るのである。
 ……三人で、ではない。キュルケは、もう少しここに残るそうだ。元々キュルケは、完全な連れではなく、時々いなくなるような存在。だから、それもまた良しだろう。
 どうやら魔法学院の図書館には、探していたような魔法の手がかりは無いようだった。ならば、私やサイトが長居する理由はない。

「そうねえ……」

 図書館では何も得られなかったが、トリステイン魔法学院に来た甲斐も少しはあった。本物のオールド・オスマンは『破壊の杖』の由来を知っていたのだ。
 なんでも、昔ワイバーンに襲われた際に助けてくれた恩人の形見の品だということ。つまり、サイト以外にも彼の世界からハルケギニアに紛れこんだ者がいたということだ。
 おぼろげな手がかりではあるが、これも手がかりと言えば手がかりである。
 ただし。
 こっちへ来るのと向こうへ返すのとでは、また話が別。
 どこに行けば、サイトを元の世界へ戻せる魔法が見つかるのか。
 皆目見当がつかない以上、しばらくは、あてのない旅をすることになりそうだ。

「……とりあえず、歩きながら考えましょ」

 言って私はウインクひとつ。
 そして二人は、トリステイン魔法学院を後にした……。





 第二部「トリステインの魔教師」完

(第三部「タルブの村の乙女」へつづく)

########################

 スレイヤーズ原作第二巻は「黒幕は誰か」という推理小説的要素が強く、二転三転するドンデン返しが醍醐味。……と思ったので、かなりアレンジしました。原作そのままでは、肝心の意外性もゼロになるので。
 なお表紙ページに記したように、第三部の前に、また番外編を投稿します。

(2011年4月24日 投稿)
  



[26854] 番外編短編2「ルイズ妖精大作戦」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/27 21:37
   
 ある日。
 路銀が尽きた。

「はあ……」

 暮れゆく街の中央広場で、噴水の縁に腰を下ろして、私はため息をついていた。
 まだキュルケやサイトと出会う前の話である。
 今の私ならば、野盗のアジトか何かに乗り込んでお宝没収という手段をとっただろう。だが当時は、まだ旅に出てから日も浅く、途方に暮れるしかなかったのだ。

「どうしよう〜〜」

 何をするでもなく、広場の噴水をボーッと眺めていたら。

「あら……家出娘?」

 顔を上げると、一人の少女が興味深そうに私を見つめていた。
 長いストレートの黒髪の持ち主で、やや太い眉が、活発な雰囲気を漂わせている。年のころは私とあまり変わらないようだが、発育具合は大きく違う。胸元の開いた緑のワンピースからは、女の私でもドキッとするような胸の谷間がのぞいていた。

「ち、違うわ! ただ……行くところも食べるものもないだけよ」

「ふーん……。でも、あんた、貴族のメイジでしょ?」

 彼女は私を、上から下までジロジロ見回した。
 確かに私の格好は、黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。旅の学生メイジの典型的スタイルだ。
 しかし勝手に家を飛び出してきたわけではない。くにの姉ちゃんに世界を見てこいと言われて旅立ったのであり、家族からも——一部を除いて——了解されている。ただし、だからこそ、早々にリタイアして帰郷するのは、私のプライドが許さないのであった。

「まあ、いいわ。行くところがないなら、うちにいらっしゃいな。うちは宿屋なの。部屋を提供するわ」

「……え? ほんとですか!」

 私の顔が明るくなる。上手い話には裏がある……と瞬時に見抜くほど、まだ私は世間慣れしていなかった。

「ええ。でも条件が一つだけ」

「なんなりと」

「私のパパが、一階でお店を経営してるの。そのお店を手伝う。これが条件」

 私の顔が渋くなる。なーんか、嫌な予感がしてきたのだ。まさか『お店』というのは……。
 でも彼女は、私の表情から察したのか。

「安心なさい。変なお店じゃないから。あたしもそこで働いてるくらいだもん。自分の娘に変なことさせる親なんて、いないでしょ?」

 そう言って彼女は、小さくウインク。

「……あのね、あたしのパパ。すっごく優しくて素敵なのよ。ママが死んじゃったときに、じゃあパパがママの代わりもつとめてあげるって言い出して……。今じゃ外見まで似せてるんだから」

 あっけらかんと、母親を亡くしたと告げる少女。
 だが、この明るさは、その優しい父親のおかげなのだろう。外見まで母親に似せるということは、女に見えるくらいの色男ということか。
 ハンサムで性格もよい主人のもとで働く。うん、それならば問題もなさそうだ。

「……じゃあ、お願いします。お世話になります」

 私はペコリと頭を下げ、彼女に続いて歩き出す。

「あたし、ジェシカ。あんたは?」

「ルイズよ。ルイズ・フランソワーズ」

 こうして私は。
 ジェシカの父親の店『魅惑の妖精』亭で働くことになったのである。

########################

 連れて来られたお店は、普通の酒場だった。食事もできる場所のようだ。空腹の私には刺激的な、美味しそうな臭いが店内に立ちこめている。

「じゃ、パパを呼んでくるから。そこに座って、待っててね」

 奥のテーブルの席に座らされた私は、これから厄介になる店を観察する。
 もうすぐ開店という時間帯なのだろう。色とりどりの派手な衣装に身を包んだ女の子たちが、忙しそうに走り回っていた。
 みんな可愛い娘ばかりである。上着はコルセットのように体に密着し、体のラインを浮かび上がらせている。背中はざっくりと開いて、街娘の素朴な色気を放つ。なるほど、『魅惑の妖精』亭という名前はダテじゃない。
 自分もこんな格好をするのかと思うと、ちょっと嘆かわしいが、少しくらいは我慢、我慢。別に、いかがわしいことをさせられるわけではないはず。ジェシカの話では、彼女の父親は、ハンサムで優しい人のようだから……。

「まあ、この子がルイズちゃんなのね〜〜?」

 声をかけられて、振り返った途端。

 ずびずびずび……。

 椅子に引っ掛かったマントの破れる音を聞きながら、私はゆっくりと椅子からずり落ちていった。
 目の前に立っていたのは、派手な格好の男。しかし店の『妖精』たちの『派手』とは、方向性が違う。
 黒髪をオイルで撫でつけ、ぴかぴかに輝かせ、大きく胸元の開いた紫のサテン地のシャツからモジャモジャした胸毛をのぞかせている。鼻の下と見事に割れた顎には、小粋な髭を生やしていた。強い香水の香りも、気持ち悪い。

「トレビア〜〜ン!」

 私を見て、気に入ったらしい。
 彼は両手を組んで頬によせ、唇を細めてニンマリと笑った。オカマみたいな動きである。というかオカマ以外の何者でもない。
 母親に似せるとか母親の代わりとか、そういう意味だったんだ……。オカマならオカマって言ってよね、まったく、紛らわしい……。

「いいわ、いいわ! ルイズちゃん、採用よ! じゃ早速、奥で衣装に着替えてもらいましょう! ついてらっしゃい」

 リズムを取るように、クイックイッと腰を動かしながら男は歩き出した。仕方なく、私も彼に続いて、店の奥へと入っていく……。

########################

 開店と同時にバタンと羽扉が開き、待ちかねた客たちがドッと店内になだれこんできた。
 妖精の一員となった私も、給仕に出る。
 だが……これがまた一苦労。
 例えば。

「……ご、ご注文の品、お持ちしました」

 引きつった笑顔を必死に浮かべ、ワインの壜と陶器のグラスをテーブルに置く。
 目の前では下卑た笑みを浮かべた客が、ニヤニヤと私を見ている。

「ねえちゃん。じゃ、注げよ」

 貴族の私が平民に酌をする。くににいれば有り得ない出来事だ。しかし旅に出たということは、こういうことなのだ。
 気持ちを落ち着かせて、なんとか笑顔を作り。

「で、では……お注ぎさせていただきますわ」

「ふん……」

 しまった。まだ気持ちが完全に静まっていなかった。
 ねらいが外れて、ワインが男のシャツにかかる。

「うわ! こぼしやがった!」

「す、すいませ……ん」

「すいませんですむか!」

 男は怒りながらも、私をジロジロと眺めて。

「お前……胸はねえけど、わりと別嬪だな。……気に入った。じゃ……」

 胸はない……だと!?
 さすがに我慢の限界。
 自分でも気づかぬうちにワインの壜を手にとって、それで男を思いっきり叩いていた。

「なにすんだ! このガキ!」

「あら、手がすべったのかしら……?」

 うまくごまかしたつもりだったのに、後ろからドンと突き飛ばされた。
 店主のスカロンさんが来たのだ。

「ご〜〜めんなさぁ〜〜い!」

「な、なんだよオカマ野郎……。てめえに用は……」

「いけない! ワインで濡れちゃったわね! ほらルイズちゃん! 新しいワインをお持ちして! その間、ミ・マドモワゼルがお相手つとめちゃいま〜〜す!」

 スカロンさんが客にしなだれかかり、怪力で押さえつけている間に、私は厨房へと逃亡。
 うーむ。給仕とは、かくも難しいものか。

「……やっぱりルイズは貴族さまね。これじゃ酒場の妖精は勤まらないわ、せっかく器量は悪くないのに……。あんた、ちょっとここで他の子のやり方を見てなさい」

 ジェシカに言われて、店の隅に立って少し見学する。
 なるほど、他の女の子たちは巧みであった。ニコニコと微笑み、何を言われても、されても怒らない。
 ……といっても、為すがままというわけではない。主導権を握っているのは、むしろ彼女たち。すいすいと上手に会話をすすめ、男たちを誉め……。しかし触ろうとする手を優しく握って触らせない。すると男たちは、そんな娘たちの気をひこうとチップを奮発する。

「すごいわね……。あれはあれで、一種の魔法だわ」

 感心する私。
 そうした『妖精』たちの中で、ジェシカはさらに格が上だった。
 彼女は、愛想笑いを浮かべるのではなく、逆に怒ったような顔で料理を客の前に置く。

「おいおい、なんだジェシカ。機嫌が悪いじゃないか!」

「さっき誰と話してたの?」

 まるでヤキモチを焼いているかのような目つきと口ぶり。

「な、なんだよ……。機嫌直せよ」

「別に……。あの子のことが好きなんでしょ」

 ジェシカは少し哀しげに、別の『妖精』へと視線を送る。
 もはや男は、陥落寸前。

「ばか! 一番好きなのはお前だよ! ほら……」

「お金じゃないの! 私が欲しいのは、優しい言葉よ……」

 男が渡そうとするチップを、いったんは撥ねのけるジェシカ。それから、ちょっとした押し問答が始まり……。
 最終的にジェシカがチップを受けとる頃には、その金額は何倍にも膨れ上がっている。
 しかも。

「あ! いけない! 料理が焦げちゃう!」

「あ、おい……」

「あとでまた話しかけてね! 他の子に色目使っちゃだめよ!」

 貰うもん貰えば、用はない。ジェシカは立ち上がって、厨房へと駆け込む。
 さすが、店一番の『妖精』であった。

########################

 そうやって私は店内を見渡していたから、その騒動に気づくのも早かった。

「やいやい! この店は、客に家畜のエサを食わせるのか!?」

「なんだ、こりゃあ!? 虫や藁屑がスープに入ってるぞ!」

 ガッシリとした体格の、いかにもゴロツキ風の三人組だ。見るからに心の狭そうな目つきで、ジロリと店内を一瞥する。
 目のあった数組の客が、そそくさと逃げるように店を出ていく。

「まあ、お客様! 乱暴は困りますわ〜〜ん」

 スカロンさんが慌てて対応に行くが、大丈夫であろうか。どう見ても、難癖をつけたいだけの客のようだが……。

「……また『ベルク・カッフェ』の嫌がらせだね」

「ジェシカ!?」

 いつのまにか彼女が、私のすぐ隣に立っていた。事情のわからぬ私に、説明してくれる。

「『ベルク・カッフェ』は、通りを挟んですぐの場所にある店の名前でね……」

 東方から輸入され始めた『お茶』を出す『カッフェ』なるお店が、最近、流行り始めた。おかげで、『魅惑の妖精』亭も客足が遠のいて、売り上げが落ちてきているらしい。
 スカロンさんはカッフェ全てを下賎なお店だと決めつけるが、ジェシカの考えでは、それは言い過ぎ。新しい飲み物をサービスして真っ当に商売するのであれば、特に問題はない。

「……でも、あの『ベルク・カッフェ』はダメだわ。ゲルマニアから来たベルクって男が開いた店なんだけど、うちの真似して、若い女の子をたくさん雇ってさ。『山猫』って呼び名つけて、変なコスチューム着せちゃって」

 一見ただの茶店だが、可愛い女の子がきわどい格好で飲み物を運んでくれる……。カッフェ版『魅惑の妖精』亭、ということらしい。なるほど、それならば客の奪い合いになるわけだ。

「……しかも、うちの真似しても、本家であるうちには勝てないみたいでね。ああやってゴロツキを使って、うちに嫌がらせを仕掛けてるわけよ。……あくどいやり方でしょ?」

 と、彼女がそこまで語った時。

「『あくどい』とは……聞き捨てなりませんね」

 げえっ!?
 いつのまにか、知らない男が近くにいた。
 全身を隠すかのような濃い紫色のマント。その下に見える脚には、膝上まであるロングブーツを履いていた。男のくせに唇にはルージュを塗り、顔の上半分は鮮やかな紫色のマスクで隠されている。マスクの左右が上向きに尖っているのは、ネコ耳のつもりであろうか。
 スカロンさんとは違った意味で、気持ち悪い外見の男であった。
 ……この近辺には、こんな奴しかいないのか!?

「あら、ベルクさん。何の御用かしら?」

 これに平然と対応するジェシカを、私は思わず尊敬してしまう。

「……今、私の悪口を言ってたでしょ? 我が『ベルク・カッフェ』の評判を落とすような噂を広められては困りますから。止めに来たのですよ。ねえ、あなたたち?」

「はい、ベルク様!」

 よく見れば、ベルクは背後に数人の娘たちを引き連れていた。
 なるほど、これが『山猫』か。大自然の山をイメージしたのだろう、彼女たちの衣装は緑色だ。ピッチピッチの全身タイツだが、体の前面はレースのエプロンで隠されており、また、肘から先と膝から下はモフモフした素材で覆われている。お尻の部分には当然のように尻尾パーツがあって、頭にはネコ耳カチューシャがついていた。

「評判を落とす……? 何よ、あたしは本当のことを言っただけじゃない。どうせあれ、あんたの差し金でしょ!」

 ジェシカは、例のゴロツキ三人組をピシッと指さす。
 いつのまにか、彼らはグッタリしていた。スカロンさんに説得されたのか、懐柔されたのか、詳細を見ていない私にはわからない。が、わからなくて良かったという気がする。

「言いがかりは止してちょうだい。……何か証拠でもあるの?」

「証拠なんかないけど、決まってるわ。うちは清廉潔白なお店だもの。難癖つけられるようなマネは一切してないんだから!」

 ふむ。
 ちょっとジェシカが言い負かされているような。
 男あしらいの上手いジェシカでも、こういう奇人変人をあしらうのは、勝手が違うというわけか。
 ……なんて思いながら眺めていたら。
 三人のゴロツキが、申しわけなさそうな顔つきで近づいてきた。

「ベルクさん……。すいません……」

「あんたたちは……まったく、いーっつも失敗ばかりして……。この愚か者め!」

 ごくごく自然な雰囲気で、ゴロツキを叱責するベルク。
 ……おい。
 その場がシーンと静まり返った。

「あ……」

 ボロを出したことに気づいたらしい。
 ベルクは、頬に冷や汗を浮かべながら。

「ええーい! もう面倒だわ! あんたたち、やっておしまい!」

「はい、ベルク様!」

 ベルクと『山猫』たちが、暴れ出した。

########################

 しばらくして……。

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ! おぼえておれ〜〜!」

 捨てゼリフを吐きながら。
 ボコボコにされたベルクと『山猫』たちが逃げ帰る。
 なにせ、ここは『魅惑の妖精』亭。店に残っていた客たちも、こっちの味方だ。ベルク側が勝てるはずがない。
 私が参加するまでもなかった。もっとも、私の魔法は強力すぎて店ごと吹き飛ばしちゃうだろうから、参加しなくて正解だったけど。

「これが、いつものパターンなのよ」

 ひと暴れしたジェシカが、いい汗かいたよという笑顔で説明する。

「……証拠がどうのとか、関係ないの。ああやって自分からポロッと言っちゃって、それから暴れて。しっぽ巻いて逃げ帰るのよ。……ここまでが、毎回の御約束」

 なるほど。さっきのも、別に言い負かされたわけではなかったのか。ここまでの展開を読んだ上での、受け答えだったのね。

「逃げるのは得意なのよねえ、あの人」

 スカロンさんが娘の言葉を補足する。この人も乱闘に参加したはずだが、髪も服も乱れていない。ある意味、さすがである。
 それから、腰をキュッと捻って店内を見回した。

「はいはい! 今夜の騒ぎは、もうおしまい! 皆さんもトレビア〜〜ン! ワインを一本ずつ、お店からサービスするわよ〜〜ん!」

 ワーッと盛り上がる客たち。
 こうして、店は通常営業に戻った。

########################

 そして翌日。

「今日は臨時休業にしましょう!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 スカロンさんの宣言に、『妖精』たちが呼応する。
 お休みという様子ではない。店を開かない代わりに、何かありそうな雰囲気だが……?

「……これも、いつものパターンなのよ」

 ジェシカが横に来て、教えてくれた。
 『ベルク・カッフェ』の妨害に対して、このままではいけないということで、次の日に直談判しに行く。そこまでが、恒例行事のセットに含まれているらしい。

「じゃあ、行くわよ! 妖精さんたち!」

「はい! ミ・マドモワゼル!」

 こうしてゾロゾロと、スカロンさんに連れられて通りを渡る。
 目の前のお店『ベルク・カッフェ』は、赤レンガ風のこじゃれた造りの建物だった。ドアを開けると、来客を告げるベルがカランコロンと音を立てる。

「いらっしゃいませ〜〜」

 反射的に歓迎の挨拶が返ってくる。
 私は、店内を見渡した。
 四人掛けくらいの四角いテーブルが、整然と並んでいる。座席は背もたれの大きなソファー椅子で、通路には観葉植物の仕切り。一度席に着いてしまえば、隣のテーブルの様子は見えにくいという構造になっていた。
 よく見れば、『山猫』たちが客に密着してサービスしている。お茶をカップに注ぐだけなのだから、そこまで体を寄せる必要はないだろうに……。しかも昨夜まるで戦闘員だった彼女たちが、今日はうってかわって、女の色気をムンムンとさせていた。
 客は皆、同じようにニタニタしているが……。
 どうやら、私たちの来店に気づいたらしい。

「オカマが来た! 逃げろ〜〜!」

「パラダイスは終了だあ〜〜!」

 蜘蛛の子を散らすように立ち去る客たち。
 続いて、奥から店主ベルクが出てくる。

「何しに来たの!? あんたのせいで、客がみんな逃げちゃったじゃないの!」

「あら〜〜? 私たち、今日はお茶をいただきに来ただけなんだけど……」

 しかしベルクは、スカロンさんの言葉など聞いていない。営業妨害だと決めつけて、勝手に怒っている。

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ!」

 それから後ろを振り向いて。

「あんたたち、やっておしまい!」

「はい、ベルク様!」

 ……というわけで。
 昨日に続いて、今日も大乱闘が始まった。
 ちなみに。
 今日はホームではなかったのに、やっぱり勝ったのは『魅惑の妖精』亭。『ベルク・カッフェ』の客たちは、たいした戦力にはならなかった。

########################

 さらに翌日。
 『魅惑の妖精』亭は通常営業だったが、そこにベルクと『山猫』軍団がやってきた。
 ……これではキリがないぞ!? 繰り返しは、もうたくさんだ!

「ちょっと待ったあああ!」

 大声で叫ぶ私。
 お店のみんなも、入ってきたベルクたちも、私に注目する。

「毎日毎日、お互いの店で暴れてんの!? これじゃ客が減るのも当たり前じゃない!」

「でもねぇ〜〜、ルイズちゃん。むこうから来る以上、放っておくわけにもいかないし……」

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ! 私のせいにするっていうの!? ならば……」

 そのとおり。あんたのせいだ。
 私もそう言いたかったが、グッと堪えて。

「だ・か・ら! そこで暴れても何の解決にもならないでしょ!? ここは正々堂々と、本来の形で決着をつけるべきよ!」

「本来の形……?」

「そう! だって『魅惑の妖精』亭も『ベルク・カッフェ』も、飲食店なんでしょ? ならば、食べ物や飲み物が上の方が勝ち! つまり……料理勝負よ!」

 スカロンさんやベルクが考え込まないよう、一気にまくしたてる。
 どちらの店も、料理よりむしろ女の子のサービスをウリにしている気もするが、そこに思い至らせてはいけない。だって、それを競うとなると、私も『妖精』として参加することになるし。

「こっちから言い出した話だし、場所はそっちの店でいいわ。スカロンさん、それでも勝つ自信あるでしょ?」

「そりゃあ、うちは料理も絶品ばかりだから……」

 続いて、ベルクに。

「どう? あんたの店だって一応はカッフェなんでしょ? 女の子にいかがわしいことさせるだけがメインじゃないんでしょ?」

「おのれ小娘! 言わせておけば……。まるで『ベルク・カッフェ』が下品な店であるかのような口ぶり! ……いいでしょう、その勝負、のった! 『ベルク・カッフェ』はカッフェとしても一流。飲み物もお茶受けも、どこにも負けないんだから!」

 こうして。
 スカロンさん対ベルク、料理バトルの開催が決定した。

########################

 そして。
 決戦の時は来た。
 『ベルク・カッフェ』の厨房、そこが戦いの舞台である。
 互いの店の女の子たち、常連客たちが見守る中……。

「では……スタート!」

 私の合図で、スカロンさんとベルクが料理を始める!
 まず、スカロンさんは何かをゆでているようだが……。

「……あれは!?」

「知っているの、ジェシカ!?」

「白ワインにあうのは海の幸。だから海鮮スパゲッティも人気メニューのひとつ。それにかかせないのが……」

 娘の解説が耳に届いたのか。
 スカロンさんも叫ぶ。

「そう! このパスタ! スパゲッティパスタよ!」

 言葉と同時に、空中に伸びる無数の白い糸!
 ドォォォッとギャラリーがどよめく間に、パスタはベルクの全身に絡みついていた。体の自由を奪われたベルクは、料理の手が止まる。

「……こ、これはっ!? かたゆで(アルデンテ)!?」

「そうよ〜〜ん。ミ・マドモワゼルが丹誠こめて手打ちにしたパスタなのね。もがけばもがくほど、どんどん締まっていくわ〜〜。 さあ、どうする? おとなしく負けを認めれば、ゆるめてあげるわよ〜〜?」

 あれ? 料理勝負って、そういうもんだっけ?
 何か違うんじゃないかな……と私が疑問に思う間にも、戦いは先に進んでいく。

「お〜〜のれ、おのれ! スカロンめ! でも……甘いわ! 愚か者め!」

 一声ほえてから、ベルクはパスタに噛みついた。むしゃむしゃと食べ始める。
 ややあって……。
 ベルクは全部食べつくした。

「さすがスカロン。見事なゆで加減だったわ。でも……ゆがく時の塩加減がおかしいわね!」

「なんですって!?」

「今度は、こちらの攻撃!」

 ベルクが何か投げつけた。よく見れば、それはピザ・トースト!

「『ベルク・カッフェ』は、カッフェ。お茶を美味しく飲ませてこそ、カッフェ。お茶にあうのは、やっぱりパン。でも、ちょっと小腹がすいた時、ただのパンでは物足りない……」

 ジェシカが解説する間に。
 スカロンさんは、飛んできたピザ・トーストを余裕でかわしていた。だが、外れたはずのそれが、あたかもブーメランのように舞い戻る!?
 慌てながらも、なんとか回避するスカロンさん。問題のピザ・トーストは、ベルクの手元に戻っていく。

「……くっくっ……。見たか、スカロン! 私の堅焼きピザ・トーストの力! トッピングの重量配分を変えることにより、あたかもブーメランのごとき軌跡を描き、堅焼きのパン耳は鉄をも寸断するの! 名づけて……ピーザラン!」

 名づけんでいい。……つーか、もうそれ、お茶受けでもトーストでも何でもないだろ!?

「あら、おもしろいわね。でも、そんなものじゃ、このミ・マドモワゼルは倒せないわよ〜〜!?」

「お〜〜のれ、スカロン! 言わせておけば!」

 再びベルクがピザ・トーストを投げ放つ。
 スカロンさん、今度はよけずに、これを口でキャッチ! そして食べてしまった!

「……ふう。歯ごたえ、味つけともに悪くないわね。でもトッピングの位置がかたよっているせいで、味わいにムラがあるわ。それに……お茶受けとしては、ちょっと胃に重過ぎない?」

「しまった!」

「じゃ……今度はミ・マドモワゼルの番ね!」

 スカロンさんがフライパンをサッと一振り。そこから飛び出したのは、肉汁たっぷりのブ厚いステーキ!

「さすがパパ! 白の次は赤ね! 赤ワインにあうのは肉料理……ということで、シンプルに牛ステーキだわ!」

 フライパンから打ち出されたステーキは、ベルクへと一直線。
 アツアツの肉汁がジュッと飛び散る。
 これでは……火傷する!?
 しかしベルクは、なべつかみで肉の油汁を防御。肉そのものは、口で受け止めた。

「ええっ!? 肉も熱いんじゃ……」

「いいえ、ルイズ。よくごらんなさい」

 平気な顔で、ベルクはムシャムシャ。全部ゴックンと飲み込んだ後で、コメントを。

「……たしかに汁は熱いわ。でも肉は違う。焼き加減はレア、真ん中なんてまだ冷たいから、一口で食べてしまえば熱さも半減!」

 その理屈は少しおかしくないか!?
 私が頭を抱え込んでいる間に、ベルクが反撃。今度は……。

「……お茶受けの基本、クッキーね!」

 ジェシカの解説も不要なくらい、見たまんま。
 硬いクッキーが、弾丸のようにスカロンさんを襲う!
 スカロンさんは、いつのまにか用意したホイップクリームで、クッキーをキャッチ! クリームごと口へ入れる。

「……悪くない味ね。でもそれは、クリームを塗れば……という条件付きよ。これ、クッキーだけでは美味しくないわ」

「おのれ……。しかし、まだまだっ! まだほんの小手調べよ!」

「あら奇遇ね。私もよ!」

########################

 人外の戦いは熾烈を極めた。
 スカロンさんの極楽鳥の丸焼きが生きているかのように飛びかかれば、ベルクの桃りんごのパイが粘液のようにベットリした攻撃を見せる。
 スカロンさんのハシバミ草のサラダがその苦みでベルクの舌を麻痺させれば、ベルクのミルクとフルーツのプディングがその甘さでスカロンさんの舌を麻痺させる。
 二人は、互いのくり出す攻撃、そのことごとくを食べつくしていた。
 やがて……。

「決着つかないわね……」

「お〜〜のれ、おのれ! やっぱり……これじゃダメだわ!」

 互いに調理道具を放り出したスカロンさんとベルクは、ついに肉弾戦に突入!
 こうなると、周囲の見物人たちも黙ってはいられない。

「結局こうなるのね。……さあ、みんな行くよ!」

「私たちも! ベルク様〜〜!」

 まずは『妖精』と『山猫』たちが参戦して。

「おう! 妖精たちゃぁ負けねえぞ!」

「山猫ちゃんは俺の嫁!」

 お互いの常連客も乱入して。
 いつもどおりの大騒ぎが始まった。
 そんな中、優勢なのは、やっぱり『魅惑の妖精』亭の側である。

「料理は愛情クラァァッシュ!」

 わけのわからん必殺技の名前を叫んだオカマのヒップ・アタックが、ベルクの顔面に炸裂。肉体的かつ精神的ダメージで、ベルクがノビる。

「親子の愛情アタァァック!」

 父親同様の絶叫と共に、ジェシカが『山猫』たちへダイブ。巨乳を活かしたフライング・ボディ・プレスで、数人まとめてフロアに沈めた。

「なんだか……今日は、いつも以上にノリノリね?」

 参加するまでもないので、私はおとなしく傍観する。
 ところが。

「お〜〜のれ、スカロン! ま〜〜たしても……!」

 ガバッと立ち上がったベルク。
 いつもならば退散するパターンだが、今回は違った。なんと私の方に向かってきた! しかも、ロングブーツから引き出したのは、メイジの杖だ!

「え? あんた……メイジだったの!?」

 私が驚いている隙に。
 隣に立った彼は、横から私に杖を突きつけた。
 そして。

「し〜〜ずまれ、しずまれ〜〜!」

 店内をグルリを見回しながら、ベルクが大声で宣言する。どうやら私を人質にとったつもりらしい。

「おとなしく降参なさい! さもないと、この娘の背中に突きつけた杖が、火を吹くわよ!?」

「背中……?」

 小さな、しかしハッキリとした声で私は聞き返した。
 この時、ベルクの視線はスカロンさんたちに向けられていた。私の方は見てもいない。しかも横からだったから、よく判っていなかったようだ。

「……はあ? 何を言い出すの、小娘!? だって、この感触は……」

 ベルクがこちらを見た。

「あら!?」

 ようやく気づいたのだろう。
 彼の杖は、背中ではなく、私の胸にグリグリと押し当てられていた。

「乙女の可憐な胸に……なんてことすんのよ……。しかも……背中と間違えたですって!?」

 私の怒りのオーラに、ベルクは一瞬たじろぐ。が。

「何言ってんの! そんな真っ平らな胸してんだから、仕方ないじゃない! うちの料理皿より平べったいんだから!」

 とんでもないセリフを口にしたが、私は聞いちゃいなかった。
 太ももに結びつけて隠していた杖を取り出しながら。

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

 私は呪文を唱え始める。
 ベルクの顔に嘲りの笑みが浮かんだ。

「なあに? まだ胸も平らなガキがメイジの真似? ……あのねえ、あんた子供だから知らないんでしょうけど。呪文っていうのはね、そんなんじゃなくて、ルーン語で唱える必要があって……」

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 ベルクが私を笑っている間に、呪文が完成。
 私は、杖を大きく振り下ろした!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 ベルクは、彼の店『ベルク・カッフェ』ごと吹き飛んだ。

########################

 戦いの舞台だった『ベルク・カッフェ』は、もはや瓦礫の山と化している。
 ベルクと彼の『山猫』だけでなく、スカロンさんや『妖精』たちや客の皆さんも巻き込んじゃったみたいだが……。

「こら! 何の騒ぎだ!」

 あ。
 役人まで駆けつけてきた。
 なにしろ、街の真ん中にあった店だ。こんなところで竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を使うのは、ちょびっとばかし問題があったようだ。

「……逃げなさい、ルイズちゃん」

「スカロンさん!?」

 早くも復活した彼が、私にコッソリささやく。

「この責任は、全部あの人になすり付けちゃいましょう!」

 そう言って、まだ目を回しているベルクを指さした。
 続いて、ジェシカも。

「そうよ、あとは……あたしたちに任せて!」

「でも……」

「大丈夫よ、これくらい。こう見えてもパパ、偉い人とコネがあるから」

「そうよ〜〜! なんといっても『魅惑の妖精』亭は、アンリ三世陛下もいらっしゃった、由緒正しいお店なんだから〜〜!」

 アンリ三世って……。四百年くらい前の話か。またずいぶんと古い話を持ち出したものだが……。
 まあ、いいや。
 ここは、スカロンさんたちの御好意に甘えるとしよう。

「……お世話になりました」

 ペコリと頭を下げてから、私は、その場を抜け出した。
 急いで『魅惑の妖精』亭に戻って荷物を回収してから、逃げるように街を出る……。

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 あとになって気づいたのだが、私の荷物には、知らないうちに給金袋が入れられていた。当面の路銀に困らぬ程度の額が包まれており、あらためて、スカロンさんの優しさが身に染みた。
 ちなみに。
 風の噂で聞いたところによると、あの爆発は、全てベルクの責任ということになったらしい。
 どうやらスカロンさんや私を恐れて、ベルクも反論できなかったようだ。
 結果『ベルク・カッフェ』は、お取り潰し。路頭に迷った『山猫』の一部は、『妖精』に転職。最大のライバル店が消滅したことで、『魅惑の妖精』亭は、以前の活気を取り戻したという。
 めでたし、めでたし。





(「ルイズ妖精大作戦」完)

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 番外編短編の敵キャラくらい、「ゼロ魔」キャラじゃなくても許してください。「ゼロ魔」読者世代よりもむしろ「ゼロ魔」原作者世代向けのネタですが。
 あと一応おことわりしておきますが、スカロンは別に王様でも王子様でもありません。

(2011年4月27日 投稿)
      



[26854] 第三部「タルブの村の乙女」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/04/30 21:55
   
 輝く杖が昼の光を照り返し、はためくマントがパタパタと音を立てる。
 私とその使い魔サイトは、同時に深いため息をつく。
 二人の前に立ちはだかったのは、まだ若い学生メイジたち。その数ざっと十名弱。

「とうとう見つけたぞ! 悪党ども!」

 リーダー格の男が一人、こちらをビッと指さして、声を高々はり上げる。
 私たちを『成敗』しに来た、本日五組目のメイジご一行様である。

「大罪人、ルイズとサイト! お前たちの悪行も、これまでと知るがいいっ!」

 ……まあ、好きなように言ってちょうだい。
 そうやって朗々と口上を述べている暇があったら、呪文の一発でも撃てばいいのに。
 貴族たるもの正々堂々と勝負……なんて思ってるんでしょうね。甘ちゃんだこと。
 かといって、こちらから攻撃するのも気が進まない。それこそ、私たちは悪人ですと告げるようなもの。本当は違うのに……。
 この、どうしようもない状況は、今日をさかのぼること数日前に始まった……。

########################

 村というほどの規模でもない、小さな集落。野宿するよりはマシと思って立ち寄った私たちは、村人たちの敵意と警戒のまなざしの中、村長の家に招かれた。出された夕食に、いくどか口をつけた途端、強烈な睡魔に襲われて……。
 気がつくと、私は捕まっていた。手足は徹底的に縛られていたし、ごていねいなことに、さるぐつわまでかまされている。

「目がさめたか、ルイズ?」

 目の前では、両手両足をロープで縛られたサイトが転がっている。私と違ってさるぐつわをされていないのは、私がメイジ、彼が剣士だからか。
 私の杖もサイトの剣も当然取り上げられていた。それでもメイジの呪文を警戒したのであれば……敵は魔法のことをよく知らん連中だな、うん。

「ぬーふっむんぬぬっ! ふむぬっ!」

 ちゃんとしゃべれないので、とりあえず暴れてみる。しかし念入りに縛りつけてあるようで、元気なイモムシさんみたいにぴょこぴょこ動くのが関の山。
 ここは、使われなくなった馬小屋か何かのようだ。古い藁が敷いてあるが、獣くさい臭いがする。入り口のところには、大柄で屈強な女と、やせぎすの女。見張りなのだろう。

「おっ! 女の方も目をさましたみてぇだぞ」

「あ……ああ。そうだね」

 見張りたちが声を上げる。やせぎすは、ちらりとこちらの方を見て、

「しかし……とてもじゃないが、そうは見えないよね」

「そこが怖いところさ。外見にだまされて油断したところを……なんてこともあるだろうしな」

 なんだかよくわからないセリフを、さも知ったふうに言う大女。それに深々とうなずくやせぎす。

「……なあ、どうなってんの? 何で俺たち捕まってんのか、教えてくれよ……」

 唐突に声をかけられた声に二人はビクンと体を震わせ、あわてて声の主の方へ——つまりサイトに——視線を移す。

「けっ! 何言ってやがる! とぼけたってムダだからなっ!」

「お……おい、ほっとこうよ、男なんて……」

「……それもそうだな」

 二人は、再び私を見る。

「この女の方……このまま役人に突き出すのは、ちょっともったいないよね」

「ああ。街まで出かけても見ねえほどの上玉だ」

 ちょっと待て! そのスケベそうなまなざしは何!? それは男が女を見る目だ! あんたたち……そーゆー趣味の方々だったのか!?

「役人たちに引き渡しても、どうせ縛り首か何かにしちまうだけだろうが。ならオレたちがいただいちまっても、どこからも文句は出ねぇよな」

 出るわい! だいたい、私たちは重罪人なんかじゃないやい!
 どうやらどこかの指名手配犯と間違えられているようなのだが、さんざんイタズラされたあげくに「人違いでした。てへっ」なんぞ言われてもシャレにならん。

「そうだよね。死ぬ前にイイ思いできるんだから……この子も喜ぶよね」

「そーゆーこった」

 ええい! 身勝手な理屈はやめろ!
 しかし、この二人、こういうことには慣れているのか。
 大女が脚に体重のせて私を逃げられなくして、それでも暴れる私の肩をやせぎすが押さえつけた。
 ぎゃあ! 私の貞操の危機! しかも女相手に!

「さて……それじゃあ……」

 私のブラウスのボタンに、大女が手をかけた時。

「いいかげんにしろ!」

 叫んだのはサイトだった。
 二人の見張りは、彼の発する『気』に圧されたようだが、それでも私から離れない。

「彼女に手を出すな。さもないと……」

 厳しい視線で二人を睨みつけるサイト。
 でも、それに怯むような女ではなかったようだ。

「……へっ。その状態で何が出来るっていうんだい?」

「そ、そうだよ! 何が出来るのさ! 言ってごらんよ!」

 二対一。もともと口は達者ではないサイト。だけど頑張れ! 全力で応援するぞ!

「もう一度言う。彼女に手を出すな。さもないと……」

「さもないと?」

 サイトは静かな口調で、しかしキッパリと答える。

「奇病がうつるぞ」

 なんじゃそりゃ。
 見張りの二人も、気勢をそがれたかのように顔を見合わせている。

「……奇病?」

「そうだ。胸がぺったんこになる奇病だ。『大平原の小さな胸』という病名らしい。治療法はない」

 おい。

「……嘘だと思うなら、そのボタンを外して、自分の目で確かてみるがいい。だが指一本でも触れてみろ、一日と経たないうちにお前たちの胸も……」

 サイトの言葉を聞いて、見張りたちがみるみる青ざめる。

「や……やっぱり、まずいよねえ。悪人に手を出す、っていうのは……」

「そ、そうだとも。そのとーりさ」

 ひきつった顔で、かわいた笑い。

「……なあ、見張りは外でやらないか……」

「そ……そうだな……。同じ部屋にいて、うつっても困るし……」

 二人は私の方をチラリチラリと振り返りながら、やがて一つしか扉から出て行く。

「やれやれ。なんとか出ていったな、ルイズ。俺……うまくやっただろ?」

 ほめてほめて、という満面の笑顔のサイト。ブルンブルン尻尾を振っている犬のようだ。まさにバカ犬。
 私は、鬼の形相で、彼の方へと這っていき……。

「あれ? ルイズ、なんで怒ってんの? ……おい、ちょっと待てっ!」

 メシッ!

 私の両足を使ったケリが、まともにサイトの顔面にめり込んだ。

########################

「ひどいよルイズ……」

「で、でも! いくらなんでも、あれはないでしょ!? だ、だ、大平原の小さな胸ですってえええ!?」

「うわっ! もう十分だ! わかった、俺が悪かった! けどさ、リアリティーを出すためには、あれくらい言わないと……うげっ!」

 見張りがいなくなったので、かなり自由になった。二人で協力したら、なんとか縄抜けも出来たし、当然さるぐつわも外せた。
 おかげで、こうしていつもどおり、ケンカするほど仲が良いという状態に戻ったわけだ。

「……なんてやってる場合じゃないわね」

「そういうことは蹴る前に言ってくれ。……だが、ルイズの言うとおりだ。見張りは外の戸口に二人。一人ずつ、やっつけるか?」

「いいえ。一人だけでいいわ。残った方から、事情を聞き出さないと」

 打ち合わせ終了。
 実行するのも簡単だった。

「あっ! てめえら……ぎゃっ!?」

「ひええええええ! お助けええええええ!」

 大柄の方をサイトの当て身で失神させたら、残ったやせぎすは両手を上げて命乞い。

「か……かんべんしてください! どうか、どうか命だけはぁぁっ!」

 外に出てみたら、もう真夜中であった。
 他の村人たちは、とうの昔に寝静まったのだろう。立ち並ぶ家々には明かりの一つも灯っておらず、その黒々としたシルエットだけが、ひっそりと佇んでいる。
 むろん、あたりに人の気配はない。

「さて。じゃあ教えてもらいましょうか。どうして私たちを捕まえたりしたわけ?」

「どうしてって……あんたら立派なおたずね者の賞金首じゃないですか!」

「はあ?」

 私とサイトは、思わず顔を見合わせる。

「人違いね。私はルイズ。で、こっちが……」

「サイト……とか何とかって名前でしょ? 手配書に書いてあった。生け捕りに限り賞金を支払う、って……」

 ……ということは、私たちの名前を騙る悪党がいるのか、あるいは、どこかの悪党が私たちに賞金でもかけたのか。
 しかし、生け捕りに限りというのは、解せない話である。

「て、手配書なら村長さんの家にある。く、詳しいことは村長さんに聞いてくれよ! あんたらの荷物も、そこにあるから!」

 これだけ聞けば十分だ。
 みぞおちにパンチ一発。こいつも気絶させてから、私たちは村長の家へ向かった。

########################

「お静かに。どうか大きな声を立てないように……」

「お前さんがたか……」

 老人は、突然の来訪者にも驚いた様子を見せず、静かにベッドから半身を起こす。
 まるで私たちが来るのを予想していたかのような口調だ。これでは、こっちが戸惑ってしまう。

「荷物を……返していただけないでしょうか」

「そこの棚のいちばん上じゃ。持って行きなされ」

 思わず敬語を使った私に、老人はあっさりうなずいた。
 サイトが言われた場所に手を伸ばしている間に、私は、さらに尋ねる。

「けど……なぜなんです?」

「あんたらがやって来たと聞いて、薬を盛るように指示したのは確かにわしじゃ。しかしあんたらの寝顔を見た時、わしはふと思ったんじゃ。これは何かの間違いじゃあなかろうか、とな……」

「それなら、村人たちに一言いってくれれば……」

 老人は、静かに首を横に振る。
 枕元から一枚の羊皮紙を取り出し、私たちに渡す。

「これは……!?」

 まぎれもなく、私たちの手配書だった。とてもじゃないが正気の沙汰とは思えぬ賞金額が記されている。
 たとえ一国の王様殺して逃げたって、ここまでの額は出ないだろう。

「……これだけの金があれば今年の冬はラクに越せる、と喜び騒ぐ村人たちじゃ。どうして『何かの間違いかもしれないから逃してやろう』などと言えようか」

 老人は語り続けるが、私たちは、きちんと聞いていなかった。
 手配書に書かれていた似顔絵と名前で、頭がいっぱいだったのだ。
 私とサイトだけではない。キュルケの名前もある。そして、もう一人。青い髪の少女。……タバサだ。
 この四人が関わった事件と言えば、あれしかないのだが……まさか……。

「それにもう一つ、その賞金をかけた人物が、デマを流すような人物ではなくての……。直接の知り合いではないが、高潔な人物として名が通っておる」

 この言葉は、しっかり聞こえた。嫌な予感がしながら、私は質問する。

「ご存知なんですか? 誰がこの賞金をかけたのか?」

「高貴な身分でありながら、庶民の味方として名高いお方じゃ。あんたらも噂くらいは聞いたことがあるじゃろう、無能王ジョゼフ様。……お心あたりがおありかな?」

########################

 無能王ジョゼフ。
 ガリアの王でありながら、魔法が苦手で、役人や議会からも軽んじられ、旅に出た男。
 しかしマジックアイテムや魔法薬の扱いには才能があり、旅先では、しばしば庶民を助けた。魔法がダメなことも平民からは親しみを持たれる理由となり、その意味で『無能王』という愛称を使われる人物……。
 これが世間様の認識だ。が、その正体は、とんでもない化け物であった。
 しばらく前、彼と衝突することになった私たち——私とサイトとキュルケとタバサ——は、魔性と化した無能王を、やっとのことで倒したのだが……。

「村長、それならばもう、その手配は無効です」

 私は言った。

「もともと何かの間違いでかけられたものなのでしょうが……。無能王ジョゼフ様は、しばらく前に旅先で亡くなられた、と聞き及んでいます」

 私たちが倒した、などとは無論言わない。それこそ『一国の王様殺して逃げた』って思われて、話がややこしくなる。

「馬鹿を申すな。無能王ジョゼフ様は、かりにもガリアの国王じゃぞ? 御崩御されたら世界中の大ニュースになろうが、そんな話は全く聞かん。……そもそも役人がこの手配書を持ってきたのが二日前。聞くところによれば、この手配のふれが出たのは、ほんの一週間前のことらしいからのう」

 一週間前?
 私はサイトと顔を見合わせる。
 そんなはずはない。

「……しかし、あんたらが本当に、世の中に対して何恥じることなく生きているのなら、王都トリスタニアにでも行きなされ。賞金の支払所もあるじゃろうし、何か詳しい話も聞けようて。そして無能王ジョゼフ様と話し合い、誤解を解くがよかろう……」

 老人は、諭すように語る。
 私たちは黙ってうなずき、村長宅を辞するしかなかった。
 誤解がどーのとかいう話ではないのだが……。

########################

「……けどよう? 一体どういうことなんだ、ルイズ?」

 一夜明けて翌日の昼。結局私たちは、夜中に村を抜け出したあと、野宿である。
 ちょいと遅めの朝食をすませ、王都トリスタニアへと向かう旅路についたのだ。
 トリスタニアには色々と知り合いも多いので、立ち寄りたくなかったのだが……。こうなっては、仕方があるまい。

「無能王ジョゼフが生きてるって話?」

「ああ。無能王ジョゼフって……。ルイズが髪を脱色させてまで倒した奴だろ?」

 さすがのバカ犬サイトでもジョゼフとの戦いは覚えていたようだが、髪を脱色というのは、ちと違うぞ。まあ言いたいことは何となくわかるけど。

「いくつかのパターンが考えられるわね……。まず一番ありがちなのが、ジョゼフの偽物」

 私たち四人に手配をかけたところをみると、ジョゼフの部下が、かたきを討つために彼の名を騙っている……というセンだ。
 この場合、かたき討ちというだけでなく、「ジョゼフ様を倒した連中をやっつけて名を売ろう」という目的もあるのだろう。ならば自分の手で倒す必要があり、手配書に「生きたまま」という条件をつけた。

「次に、単なる連絡の不行き届き」

 タバサが寝返って私を連れて逃げた後で、ジョゼフが部下に、私たちを手配するよう言い渡したのかもしれない。ところが何らかの手違いで、それが公布されるのがかなり遅れてしまった。
 その時点ならば、ジョゼフの狙っていた宝を私たち側が持っていたわけだから、ジョゼフの前に連れてきて、その在処を聞き出さなければならない。だから生かして捕まえる必要があった。

「そして最後に、もう一つの可能性……」

 私の真剣な顔を見て、サイトは察したらしい。

「無能王ジョゼフは本当に生きている……ってことか」

 サイトの言葉に肯定も否定も返さず、私は空を振り仰ぐ。

「もしもそうなら……」

 雲ひとつない青空に向かい、私はポツリとつぶやいた。

「……今度は勝てない」

########################

 ……などとシブいセリフで決めてはみても、結局のところ、まずやるべきことは、身にかかる火の粉を振り払わうことである。
 最初あの村でとっ捕まって以来、私たちを『成敗』しようとするメイジやら騎士やらの数は、日ごとに増えていく。
 さっきから私たちの目の前で、延々と何やら口上を切り続けている学生メイジたちも、そんな自称正義の味方の一組であった。

「……我らリュティスに名を馳せし、青の八メイジ、始祖ブリミルの加護を受け……」

 大人の騎士ならともかく、学生メイジ相手に本気出すわけにもいかない。私も学生メイジだが、こいつらとは実力がケタ違い。私の全力魔法が炸裂したら、こんな連中、森ごと消滅してしまうだろう。

「……なあ、ルイズ。これ……いつまで聞いてたらいいの?」

「そうね……。私も、いい加減うっとうしくなってきたわ……」

 ヒソヒソ声で聞いてきたサイトの言葉をキッカケにして。

 ドゴーン!

 いっぱい手加減した、小さな小さなエクスプロージョンをお見舞いする。
 直撃させないよう、連中の少し手前を狙ったのだが……。
 あれ? 二人か三人、巻き込まれている!?

「ぎゃあ、逃げろ!」

「ううっ、こんなところで……」

「傷は浅いぞ! しっかりしろ!」

「これが悪魔に魂を売った者の魔力か!?」

 倒れた仲間を抱え上げ、彼らは一目散に逃げ出した。
 今の一発でビビっちゃうんだから、しょせんは貴族のお子様なのよね。

「さ、邪魔者は消えたわ。これで……」

「……ルイズ」

 歩き出そうとした私の腕を、サイトがつかんだ。
 振り返ると、彼は街道脇の森を睨みつけている。
 私も視線の向きを合わせる。すると……。

「げ!」

 そこに……。
 赤い闇がわだかまっていた。

「あいかわらず……派手な魔法を使う娘だな」

 二つの紅玉(ルビー)を眼とする白い仮面。
 赤く硬質な何かに包まれた体。
 人ではない。

「『赤眼の魔王(ルビーアイ)』……ジョゼフ=シャブラニグドゥ……」

 私は、うわごとのようにポツリとつぶやいた。

########################

「久しぶりだな。わしを覚えていてくれたようで光栄だよ」

 忘れるわけがあるまい。
 しかし……。
 まさかこんな真っ昼間から、魔王の姿で登場されるとは思わなかった。まあ考えてみれば、魔王と化した無能王が生きているということは、こいつが出てくるというわけなのだが……。

「心配するな。今日のところは、挨拶に来ただけだ。こんな殺風景なところで、お前とやり合うつもりはない」

 杖を手にした私も、剣を握るサイトも、冷や汗タラタラ。そんな私たちの様子を面白そうに見ながら、魔王は告げた。

「わしは今、タルブの村の大きな家で、やっかいになっておってな……」

 タルブの村。
 ここから北に、五日ばかり行ったところだ。
 もともとは良質のワインで知られた場所だったのだが、数十年くらい昔に、魔鳥ザナッファーによって自慢のブドウ畑は壊滅させられたという。
 その後、魔鳥を倒した勇者が建てたあずまやに、生き残ったブドウのつるが巻き付いて、新たなブドウ棚が形成された。増改築を繰り返した結果、今では巨大なブドウ棚となっているらしい。それを村のステータス・シンボルとして、村そのものも、かなり大きく発展していると聞いたことがあるけれど……。

「一度は魔鳥ザナッファーに蹂躙された土地だ。わしとお前たちが本気でやりあっても、なあに、もう一度壊滅するだけ。たいした問題にもなるまい」

 なるわい。
 村の人々には大迷惑だ。

「……というわけで、わしはタルブの村で待っておるぞ。……本当の決着をつけたいのでな」

 言うなり、フッとその姿がかき消える。
 私とサイトはしばし、互いに顔を見合わせる。

「……今の……」

 私が口を開きかけた途端。

「『イリュージョン』ですわ」

 いきなりうしろで声がする。
 慌てて振り向く二人。
 そこに、一人の女が立っていた。
 中肉中背、黒のマントにフードという、いたってありきたりなメイジの姿。しかし手には剣を持っている。

「……幻影を作り出す呪文です。虚無魔法の、初歩の初歩でしょう? あら、あなた虚無の担い手のくせに、知らなかったのですか?」

 どうやら先ほどの『魔王』は本物ではなく、ただの幻だったらしい。
 それもそうか。あんな姿でタルブからここまでノコノコ歩いて来たら、それこそ大騒ぎだったはず。
 しかし……。
 本当に虚無魔法を使ったのだとしたら、タルブの村にいるジョゼフというのは、やはり本物ということに……。

「基本的なことも知らないお馬鹿さんでしたのね。ならば、陛下のお手を煩わせるまでのこともありませんわ。このわたくし、モリエール夫人が今ここで、引導を渡して差し上げます!」

 おいおい。
 わざわざ私たちをタルブまで呼びたがっているジョゼフの意志は無視。いきなりといえば、あまりにいきなりなことをほざき出す。
 よかれと思って先走り、結局他人に迷惑をかけてしまうタイプだ。

「やめといた方が……」

 私は面倒くさそうにパタパタと手を振ってみせたが。

「いくぜ!」

 あ。
 なんかサイトが応じちゃってる。
 左手のルーンも光らせて、駆け出していた。

「いざ、勝負!」

 モリエール夫人とやらも、サイトと真っ向から斬り合うつもりのようだ。ガンダールヴ相手に、無茶なことを……。
 と、思っていたら。

「あれ? このオバサン……結構強い?」

 観戦モードの私の前で、予想以上の好勝負が繰り広げられていた。
 互いの斬撃を、互いの剣が受け止める。
 ぶつかり合う剣から、飛び散る火花。
 サイトの剣からは、言葉も飛び出す。

「相棒! 無理だ! 本気でやれ!」

 ……ん? どういう意味だ?

「だって! 相手は女の人だぜ!?」

「手加減できる相手じゃねーだろ!」

 そういうことか。
 サイトは相手が女性だから、殺さずに勝とうとしているわけだ。手を抜いていたからこそ、実力伯仲に見えていたのね。
 しかしデルフリンガーに促され、サイトもようやく、モリエール夫人の腕前を認めたらしい。
 サイトの表情が変わった。傭兵の目だ。情に溺れない、冷静な目……。

「すまんな!」

「うっ!?」

 サイトが魔剣を一閃。
 腰から肩まで、斜めにバッサリやられて、モリエール夫人は息絶えた。

########################

 そして、翌日。
 朝もやの立ちこめる街道を、私とサイトは並んで歩く。
 まだ少々眠いのだが、向かうべき目的地も変わった。タルブの村にジョゼフがいる以上、手配書を何とかするには、そこへ行くしかない。ならば、さっさと進むのが得策である。

「また今日も出てくんのかなあ……」

「……でしょうね」

 サイトのつぶやきに、私は相づちを打った。
 何が、という主語は必要ない。私たちを『成敗』しようとする正義の味方。
 こんな早朝のうちから来やしないだろうが、人々が動き出す時間になれば、当然のように現れるだろう。
 ……という予測は、少し甘かった。

「昨日は世話になりましたね」

 街道の右手に見える小さな林。
 その横にたたずむ黒い影が、私たちの方へ足を進める。

「出たあっ!? 幽霊だ!」

「……え?」

 大げさに騒ぐサイトの隣で、私は目が点になっていた。
 登場したのは、フードを目深にかぶった黒衣の女。
 昨日死んだはずの……モリエール夫人である。

「何を驚いておりますの? まさか、このモリエール夫人を見忘れた……などというつもりはないでしょうね?」

 いやいや、そうじゃなくて。
 殺したはずの相手が出て来りゃあ、誰でも驚くわい!
 ……でも素直にそう言うのも少し悔しいので。

「……あんた、いつも自分のこと『モリエール夫人』って言ってるけど。その名乗り方……少し変じゃない?」

「あら、陛下はわたくしをそう呼んでくださいますから! わたくしも気に入ってしまったのですよ」

「……そう。まあ、いいけど……あんたも懲りない人ねえ。サイトにあっさり倒されたのを、忘れたわけでもないでしょうに」

 殺された、とは言わない。死んだことに触れては負け、という気分がしたから。

「……わかってますわ。だから今日は助っ人を連れて来ました。……あなた方、出番ですわ!」

 モリエール夫人の合図で、二つの影が林の中から現れる。

「……待っておったぞ」

「けっ、偉そうに言いやがって」

 その二人を見て、サイトがまた大騒ぎ。

「またまた幽霊だあっ!?」

「……あんたたち!?」

 今度は私も、一緒になって叫んでいた。





(第二章へつづく)

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 残念ながら今回の第一章は、おもいっきり原作沿い。

(2011年4月30日 投稿)
   



[26854] 第三部「タルブの村の乙女」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/03 21:27
   
「どうやらまだ元気だったようだな、貧乳娘」

 ニヤけた声で言ったのは、禿頭の中年メイジ。ただし今日は杖ではなく、大剣を手にしている。
 普通の奴から『貧乳娘』などと呼ばれたら私は腹を立てるのだが、こいつの場合、それより先に気持ち悪くなる。なにしろコイツ、前に会った時にはイヤラシイ顔で「貧乳たまらん」とほざいていたのだ。
 ミスコール。私が戦いたくない相手ランキングでナンバーワンの男である。

「ミスコール男爵! 敵とはいえ相手はレディであろう!? 貧乳娘などと失礼なことを言ってはいかんぞ!」

 仲間を叱責するのは、こちらも剣を手にした禿頭。名前は……たしかソワッソン。貴族のメイジだ。
 なるほど、この二人を連れて来たから、今日のモリエール夫人は自信満々なわけか。
 しかし……。
 モリエール夫人も含めて、三人とも死んだはずの人間なんですけど!? 何この幽霊軍団!?

「なあ、ルイズ? これも何かの魔法か!? 死人を蘇らせる魔法があんのか!?」

「ガタガタ騒がないの! 男の子でしょ!?」

 そう言う私も動揺していたのだが、サイトの言葉で、少し冷静になった。
 そう、きっとこれも魔法。ただし、さすがに魔法で死者蘇生は無理だろうから、何らかのトリックを魔法でやっているのだ。
 ならば……こちらも魔法で!

「サイト! ちょっと時間を稼いで!」

「……何か策があるのか? よし、まかせろ!」

 私の盾となるべく、魔剣デルフリンガーを手に、サイトが前に立つ。

「時間稼ぎですって……? そんなことさせるもんですか! さあ!」

 モリエール夫人の掛け声と共に、三人が向かってくる。
 それをサイトが剣一本で受け止める!
 右から左から正面から。迫り来る三つの斬撃を、サイト一人で相手する。さすが伝説の使い魔ガンダールヴ!
 その間に……。

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……ギョーフー・ニィド・ナウシズ……」

 トリステイン魔法学院でも、人間そっくりの精巧なガーゴイル(魔法人形)が出てきたことがある。あれと同じなら、同じ方法が通用するはず!

「……エイワズ・ヤラ……ユル・エオ・イース!」

 最後まで詠唱した『ディスペル・マジック』だ。辺り一帯を『解除(ディスペル)』するに十分だった。サイトと戦っていた三人がバタバタと倒れる。

「……やったのか?」

「そうみたいね。……ちょっと予想とは違ってたけど」

 私は三つの死体に目を向け、顔をしかめる。
 人形などではなかった。本物だった。死体そのものを操る魔法だったらしい。

「ひどい話だな……」

 サイトも私と同じ気持ちなのだろう。
 私は小さなエクスプロージョンで地面に穴を開け、サイトが三人の死体をその中へ。
 簡単な埋葬を済ませた後、私たちは、また歩き出した……。

########################

「しっかし……結構うっとうしいもんだな……学生メイジのマントってやつはさ」

 昼食を突っつきながら、サイトは一人ぶうたれる。

「ぶつぶつ言わないの。これで無用のドンパチはかなり避けられるはずなんだから。そう思えばどうってこともないでしょ?」

 途中にある小さな町に立ち寄った私たちは、まず仕立屋に行き、『変装』をおこなったのだ。
 私は白い法衣の巫女姿。大きなフードで、特徴的なピンクの髪もかなり隠れている。トリステインの聖女と呼ばれてもおかしくない格好になった。
 一方サイトの方は、いつもの青と白の上着——パーカーというらしい——を外して、代わりに大ぶりのマントを羽織り、メイジに化けた。
 さらにヘッド・リングや護符のペンダントをジャラジャラとぶらさげており、背中には魔剣デルフリンガーもしょったままなので、かなり好戦的なメイジとなっている。

「……とは言うけどよ。変装というより仮装だぜ、これじゃあ。見るやつが見りゃあ、あっさり正体バレちまうだろ」

「見る人が見れば、ね」

 私はクックベリーパイを食べながら、サイトに応じた。
 こんな片田舎の町でクックベリーパイが食べられるとは思わなかった。ちょっと幸せ。今日はいいことありそうだ。

「今まで私たちを狙ってきた『英雄』たち、あの手配書を頼りに探してるのよ。格好を変えちゃえば、あんな似顔絵だけで私たちを見分けるのは、ほとんど不可能。……つまり私たちと面識のない連中は、これでオサラバってわけ」

 自信満々に言い切って、エヘンと胸を張ってみせる。
 こんな簡単なこと、なんで今まで気づかなかったのか。むしろ、そっちが不思議なくらい。
 ……と思った時だった。男が声をかけてきたのは。

「やあ、ルイズじゃないか! 元気そうだね、あいかわらず」

 私は目が点になった。

########################

 ふり向くと、私のすぐ後ろに、一人の男が立っていた。
 黒いマントに、白いシャツ、グレーのスラックス。旅の学生メイジの典型的な姿である。年のころは、私やサイトと同じくらい。

「よお、ひさしぶり」

「いつかはどうも!」

 サイトは片手を上げ、男も挨拶に応じた。
 ……あれ?
 私はテーブルから身を乗り出すと、ポツリと小声でサイトに尋ねる。

「……誰だっけ?」

「何言ってんだ。マリコルヌじゃないか」

「へ!?」

 私は再び振り返り、まじまじと男の体型を見る。

「あんた……痩せた?」

「うん」

 トリステイン魔法学院で知り合った、学生メイジである。……と言っても、二つ名すら聞いておらず、私は『太っちょ』として認識していただけ。
 まあ今でも標準よりはポッチャリさんだが、少し痩せただけでも、かなりイメージが違う。

「それより……あんた、なんでこんなところに?」

「僕も旅に出たんだよ! 学生メイジの本分は勉強することだって言う人もいるけど、この間の事件で、それは違うって思い知らされてね」

 魔法学院でも私たちはちょっとした騒動に巻き込まれたわけだが、その際、このマリコルヌも関わっている。

「……外で遊び歩いていた君たちの方が、威張ってばかりの先生たちより、メイジとしては格上だったからねえ。だから、僕も真似することにした」

 なるほど。貴族の学院でヌクヌクしているよりは、一人旅で苦労した方がカロリーも消費する。それで自然に、少しばかりダイエットになったわけか。
 しかし……。
 説明しながら、マリコルヌはニヤニヤ笑っている。おそらく道中の出来事を回想しているのだろうが、こりゃあ魔法修業じゃなく、本当に遊び歩いてるっぽいぞ。こう見えて、かなりの女好きだからなあ、この男。

「……あのさあ、マリコルヌ。ひとつ聞きたいんだが……」

「なんだい、アニキ?」

 そもそもマリコルヌがサイトをアニキと慕うようになった経緯が……。
 いや、止そう。思い出したくもない。

「ここで俺たちを見て、俺たちだってすぐにわかった? ……実は、これでも一応、変装してるつもりなんだけど」

「アニキ……。それは『変装』じゃなくて、ただの『仮装』だよ? そんなもんフクロウでも一発で見破るよ」

「……だそうだ……」

 ジト目を私に向けるサイト。
 うっ……。

「で、でも! 私たちを知らない人になら判んないでしょ?」

 言う私に、マリコルヌは、いたずらっぽい笑顔を向けて声を低くし、

「……ははあ……あの手配書の対策だね……」

「知ってるの!?」

「当然だよ。この辺りじゃ、どこへ行っても君たちの噂で持ち切りだ。前代未聞の賞金首、何をやらかしたんだ、ってね。……ま、僕は君たちがそんな悪人じゃないって知ってるけどね」

「誤解よ、誤解。あの手配書は……ちょっとした手違いでかけられたものなの」

「なあ、ルイズ。マリコルヌ相手に、ごまかす必要もないだろ。……実はな、マリコルヌ。俺たち、手配をかけた奴からタルブの村まで来いって言われて……」

「こ、こ、このバカ犬!」

 公衆の面前なので、軽く叩く程度で済ませておいた。
 まったくもって考えの足らんサイトである。いきなり他人を巻き込んでどうする!?

「へえ。反撃しに行くの? 面白そうだね。じゃ、僕も一緒に行くよ。それならば賞金目当てで来る連中の目もごまかせるだろうし」

 マリコルヌが意外なことを言い出した。
 前の事件の時には、有名な盗賊メイジが一枚からんでいると知ったとたんにアッサリ逃げ出したというのに。

「ちょっと、マリコルヌ……。簡単に言うけど、相手はたぶん相当でかいわよ。……まあ、私たちもまだ、実態を見たわけじゃあないけど……」

「わかってるって」

 いたって気楽に言うマリコルヌ。

「僕も戦う……なんて言うつもりはない。ヤバくなったら足手まといになる前に、ちゃんと逃げ出すよ。……ただタルブの村まで一緒に行くだけさ」

 それから、少し遠い目で。

「アテのない旅の行く先としては、面白そうだもん。だって、タルブの村だよ? タルブの村と言えば……メイドの名産地!」

「……は?」
 
 再び、目が点になる私。
 何を言い出したんだ、この男は!?
 タルブの村は良質なブドウからワインを作ることで有名。ブドウの名産地とかワインの名産地と言うなら理解できるが……。メイドの名産地とは!?

「あれ? ルイズは知らないの? ……僕も話で聞いただけなんだけどさ、タルブの村には、大きなメイド塾があるんだって。そこで養成されたメイドは、どこに出しても恥ずかしくない、立派なメイドになるんだって!」

 なんじゃそりゃあ!? そんな話は初耳だぞ!?
 しかし。

「ああ! タルブの村って……そのタルブの村か! どうりで、どっかで聞いたことある名前だと思った……」

「知ってるの!? さすがはアニキ!」

 げ。
 男二人が盛り上がり始めた。
 ……と思いきや、どうも少し違うらしい。サイトは、ちょっと困ったような顔で、頭をかいている。

「知っているというか何というか……。ま、厳密に言うと、行ったことがある……かな?」

 おい。
 そういうことはもっと早く思い出せ。

「……どういうこと、サイト?」

「うん。こっちの世界に来たばかりで……まだ右も左も判らないころだったかな。しばらくタルブの村で厄介になってたんだ。そもそも傭兵の真似事を始めたのも、あの村での出来事がキッカケで……」

「アニキ、『こっちの世界』とか『来たばかり』ってどういうことさ? アニキは、遠くからルイズに使い魔として召喚されて来たんじゃないの?」

 あ。
 サイトがボロを出した。
 確かにマリコルヌには、そういう設定を言っておいたはずだった。
 しまったという顔で私を見るサイト。これでは、よけいにバレてしまう。

「いいわ。もう魔法学院でもないし、今さらマリコルヌに内緒にする必要もないでしょう。……いい? これは、ここだけの話よ……」

 私はマリコルヌに説明する。
 サイトは実は異世界から来たこと。私の魔法も『火』ではなく『虚無』であること。私たちが旅をしているのは、サイトを元の世界へ送り返せるような虚無魔法を探すためであること……。
 短い間とはいえ、共に旅をするのであれば、これくらいは話しておくべきだと思ったのだ。さすがにジョゼフ=シャブラニグドゥの一件までは言わなかったが。

「……驚いた」

 少し黙った後、マリコルヌが口を開く。

「アニキを使い魔にしてるくらいだから、ルイズもタダ者じゃないとは思ってたけど……。伝説の『虚無』か……」

「どうする? 今回の相手は、そんな私たちから見ても手ごわい奴なんだけど……」

 私に言われて、一瞬言葉を詰まらせるマリコルヌ。
 それでも。

「……な……なあに。さっきも言ったように、ヤバくなったら逃げ出すよ。本当に……ただタルブの村まで同行するだけさ」

 こうして。
 旅の仲間が増えた。

########################

 その日は朝から快晴だった。
 旅はきわめて順調で、このまま行けば三人は、昼にはタルブの村に着ける。
 変装と、プラス一名が効いたのだろう。あれ以来、私たちを狙う連中は面白いくらいパッタリ姿を現さなくなった。
 しかし、そのプラス一名は、やや浮かない顔をしている。
 ……なんだ?
 私が疑問の目を向けると、彼は語り出した。

「風の妖精さんからお知らせがあります」

 マリコルヌの二つ名は『風上』。もちろん、妖精というガラではないが……。

「安宿の壁は薄いんだヨ。妖精さんもビックリさ。隣でイチャつく音もバッチリさ」

「はあ? あんた……何か勘違いしてない?」

「そうだぞ? 俺たち、別にそういうことは何も……。なあ?」

 私とサイトは、顔を見合わせる。
 宿に泊まる際は、マリコルヌは一人部屋で、私とサイトは同室。サイトは私の使い魔だからだ。マリコルヌとは違うメイジが旅の連れだった時からの習慣で、私としては当然の割り振りをしているつもりだった。

「へえ? ……『サイト、こっち来なさいよ』『いいよ、俺は床の上で』『でも、それじゃ疲れがとれないでしょ。いざ戦闘って時に困るわ』『でもよ、ここのベッドじゃ狭いから……』『それでも硬い床よりはマシでしょ?』『いや、そういう意味じゃなくて……ルイズは女で俺は男だぞ!?』『違うでしょ、女と男である以前に、メイジと使い魔よ』『うーん。でも……』『御主人様の命令よ! ほら、早く来なさい!』『……わかった。それじゃ……おじゃまします』『あら、サイトったら! 体こんなに冷えちゃってるじゃないの!』『ああ。だからルイズも、これじゃ冷たくて嫌だろ?』『何言ってんの! あんたが風邪でもひいたら、誰が私の盾になるの!? ほら!』『おい!? 何やってんだルイズ!?』『あ、あんたを暖めるために……し、仕方なくやってるんだからね!』……これって、イチャついてるようにしか聞こえないんですけど」

「ちょっと待て。おいマリコルヌ、途中からお前の妄想が混じってるぞ!」

「そうよ! いつ私がサイトを体であっためたって言うのよ!?」

 ひどい話である。
 魔法学院以来、サイトと同じベッドで寝るようになったのは事実であるが、マリコルヌが想像しているような甘い会話は一切ない。
 なぜか朝になったら私がサイトを抱き枕にしているのも、メイジと使い魔の自然な関係であって、男女の仲とは無関係である。だいたい、サイトが目ざめる前に、ちゃんと離れるようにしているし。

「そうかなあ? 風の妖精さんは、そういう会話を拾ってくるんだけど……」

「その風の妖精さんというのは、マリコルヌの想像上の生き物なんじゃねーの?」

「あんたたち……そろそろ警戒しなさいよ。もう少し行くと『臭気の森』だから」

 気を引き締めるため、私が注意する。が、男二人は、怪訝な顔をした。

「『臭気の森』……?」

 こいつら。
 タルブの村の噂話を知っていたり、サイトにいたっては行ったことあったりするくせに、『臭気の森』も知らんのか。

「タルブの村に大きな被害を及ぼした魔鳥ザナッファー……。その死骸が散乱している場所よ」

 バラバラにされた魔鳥ザナッファーだが、その肉片は腐り落ちることもなく、今でもタルブ近辺の森に残っていると聞く。普通の鳥や獣の死臭とも違う、異様な匂いが立ちこめているらしい。

「あんた、タルブの村に居たんでしょ? 『臭気の森』には行かなかったの?」

「うん。たぶん村の反対側で暮らしてたんだろうなあ、俺。……ま、まだ何も判らなかった頃の話だし、村を観光案内されることもなかったし」

 アッサリと言うサイト。
 マリコルヌも、首を横に振っている。
 別に観光地ってわけじゃないが、『臭気の森』の話は、メイジ仲間では有名なはず。マリコルヌって、世間知らずなお坊っちゃんなのね、やっぱり……。

########################

 森は不気味に静まりかえっていた。
 異様にひんやりとした空気。木々の葉は、どす黒いほどに濃い色をしていた。
 そして、ところどころに落ちている硬質な暗緑色の破片。ドロリとした正体不明の粘液。

「おい。これって……」

「そうね。きっと、これが魔鳥ザナッファーの肉片や体液ね……」

 しかしサイトは、私の言葉など耳に入らないかのように。
 フラフラと、魔鳥の『死骸』に歩み寄っていく。

「違う……」

 つぶやきながら。
 サイトは、魔鳥の肉片に手で触れて、愛おしそうに撫で回し始めた。

「何やってんのよ、サイト!?」

「アニキ、どうしちゃったのさ!」

 私とマリコルヌが唖然とする中、サイトが語る。

「これは……魔鳥なんかじゃない。ゼロ戦だ。……俺の世界の戦闘機だ」

「せんとうき?」

「ああ。空飛ぶ武器だ」

「……サイトの世界の武器? じゃあ『破壊の杖』と同じ!?」

「ああ。規模は全然違うけどな」

 トリステイン魔法学院にて秘宝扱いされていた『破壊の杖』。あれもサイトの世界から紛れこんだ武器だったという。
 なるほど、魔鳥ザナッファーも、異世界からの武器だったわけか。それがハルケギニアで暴れたとなれば……。昔の人が対応に苦労して『魔鳥』扱いしたのも、無理はなかろう。

「昔々……俺の世界では、第二次世界大戦っていう、でっかい戦争があってさ。その頃、活躍した戦闘機だ」

 サイトの世界の歴史を語られても、私やマリコルヌにはチンプンカンプン。それでも『世界大戦』という言葉から、世界を揺るがす大きな戦いだったのだろうという想像くらいは出来た。
 そこで使われた飛行兵器。そんなものが、どうやって、この世界に……。
 理由もなく迷い込んだのか、あるいは、誰かが意図的に召喚したのか!?
 ……が、それ以上考えている場合ではなかった。

 ガサリ。

 右手の茂みの葉が揺れたのだ。

「何だ……?」

「誰かいる……のか?」

 マリコルヌは杖に手をかけ、サイトも表情を引き締めた。
 私は、反対側の茂みに注意を向ける。今のが敵の陽動だ、という可能性も十分考えられるからだ。

「とりあえず……僕の呪文で……」

「やめなさい、マリコルヌ。無関係な人間が、用でも足してるだけかもしれないわ」

 茂みはそれきり動かない。
 私たちも動けない。

「……じゃあ、どうするよ?」

 と、サイト。
 マリコルヌも言う。

「ひょっとしたら……野ウサギか何かが逃げてっただけかもね」

 普通ならば——『臭気の森』でなければ——気配で判るだろうが、ここでは無理だ。森そのものが異様な気配を放っているらしい。実に不便な話である。
 しかし、ずっとこのままというわけにはいかないが……。
 と。

「……う……うんっ……」

 茂みの揺れた辺りから、小さなうめき声が聞こえてきた。
 女の声だ。

「なあんだ、女じゃないか」

 いきなり相好をくずし、無警戒に近づくマリコルヌ。

「きっと風の妖精さんが運んできてくれた、僕のパートナーだ! これで僕も、今夜からは寂しくないよ……」

 ちょっと待て。
 何をどう考えたら、そう都合の良い解釈が生まれるのだ!?
 しかし私やサイトがツッコミを入れるより早く、既にマリコルヌは茂みに分け入っていた。

「おーい、大丈夫だ。ただの行き倒れみたいだよ!」

 私とサイトは、一瞬顔を見合わせてから、茂みの中へ。
 そこに、一人の女性が倒れていた。

########################

 二十代半ばくらいの女性だ。細い、ピッタリとした黒いコートを身にまとっている。マントはつけていないので、メイジではなさそう。深いフードに顔をうずめているが、その隙間からのぞく唇は、艶かしく赤くぬめっていた。

「ちょっと冷たい雰囲気の女性だけど、これ……僕が拾ったんだから、僕のものにしていいんだよね?」

「落とし物じゃあるまいし。あんたのものにしちゃダメよ、マリコルヌ」

「いやルイズ。落とし物だって、勝手に自分のもんにするのはどうか思うぞ……」

 サイトが私に言っている間に。
 マリコルヌは、彼女を抱き起こしていた。

「しっかりしてください。何があったんですか?」

 声をかけながら軽く揺さぶる。どさくさに紛れて、ややこしいところを触ってたりするのが、いかにも彼らしい。

「う……」

 彼女は、うっすらと目を開けてから、ボーッとした顔で辺りを見回す。
 まだ少し朦朧としているのか。

「……逃げられちゃったみたいね」

 それが彼女の第一声だった。

「何の話?」

「……タバサ」

 問われて素直に答える彼女だが、私とサイトは驚いた。
 思わず彼女に駆け寄る私。

「あんた、タバサを知ってるの!?」

「知ってるも何も……ああっ!? あなたはルイズね!?」

 彼女は慌てて、ローブの中からゴソゴソと何やら取り出した。
 例の、私たち四人の手配書である。それを私たちと見比べながら、

「やっぱり! ルイズとサイト! ほか一名!」

「……おいおい」

 露骨に顔をしかめるマリコルヌ。
 私は軽く微笑みつつ、いけしゃあしゃあと言ってのける。

「人違いね。よく間違えられるけど、完全に別人よ」

「いいえ、騙されないわ。この天下に名高い賞金稼ぎ、シェフィールドの目はごまかせないわよ!」

「天下に名高い……って、聞いたことないわよね、そんな名前」

「ああ……」

「全然……」

 ……つうか、この人、賞金稼ぎだったのか? 異国の神官とか古代の呪術師とか、そういう格好なのだが。人は見かけによらないものだ。

「てっ、天下に名高くなる予定なのよ! とにかく! ここで私に出会ったのが運の尽き……」

 ナイフを引き抜き、私に向かって躍りかかる。が、私の杖一本で、軽く撥ねのけられた。

「くっ! さすが大悪人ルイズ! こうまで手ごわいとは……」

「あんたが弱すぎるのよ」

 体術が得意とは言えぬ私にあしらわれるようでは、このねえちゃん、本当にダメダメである。

「さて、シェフィールドさん。あんたに聞きたいことがあるんだけど……」

「フン。どうせ言わなきゃ拷問でもするつもりなんだろ? いいさ、何でも喋ってやるよ」

 大きく誤解されているようだが、これはこれで話がサクサク進むので都合がいい。

「さっき言ってたタバサのことだけど、彼女、この近くに来ているの?」

「ああ、そうだよ。手配書が出た時からタバサの首を狙ってるんだが……。彼女がタルブに来たのは、もう五日ぐらい前だったかな? 手配をかけたのがジョゼフ様だ、ってどこかで知ったみたいで……」

「ちょっと待って! ……とするとやっぱり、タルブの村には無能王ジョゼフがいるっていうの!?」

 私は彼女の言葉を遮って問う。
 シェフィールドは一瞬、面白くなさそうな顔をしたが、おとなしく答える。

「……もちろん、いらっしゃる。あなたたちもジョゼフ様のお命が目的!?」

 あのジョゼフに対して敬語を使ったりされると、こっちとしてはえらい違和感があるのだが、無能王の実態を知らぬ世間では、今でも彼のことは庶民の味方あつかいである。
 ここで『ジョゼフって本当はこんな奴だったんだよ』などと説明している暇はないし、説明したところで信じてくれるとは思えない。
 だいたい、このシェフィールドという女、さっきから『ジョゼフ様』と言う度に、恍惚の笑みを浮かべている。狂信的な崇拝者のようだ。
 仕方なく、私は多少調子を合わせることにする。

「とんでもない思い違いよ。そもそも、あの手配書自体、無能王ジョゼフが悪い男に騙されて、誤解でかけたシロモノ。私たちは、その誤解を解くためにタルブの村へ……」

「冗談言っちゃいけない。ジョゼフ様が簡単に騙されるわけないだろ。それに、だったらタバサは、なんでジョゼフ様のお命を狙うのさ?」

「……タバサは私たちとは別行動をしてたせいで、そこいらの事情を知らないのよ。それで早く彼女に会って話をしないといけないの」

 どんどん話をでっち上げる私。

「……だから教えて。今、タルブの村は一体どうなってるの?」

「どこから話せばいいものかねえ? ……私が知っているのは、タルブにジョゼフ様が来た後の話でね。タバサを見つけて追ううちに、私もタルブの村まで来たんだけど……。すでに村に潜入していたタバサは、ジョゼフ様が泊まっている家の娘と手を組んで、ジョゼフ様の命を……」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 またまた彼女の言葉を遮ってしまった。

「何よそれ? タバサはともかく……なんで村の娘までが、一緒になって無能王の命を狙うわけ?」

「そんなこと知らないわ。ただ、その計画は失敗に終わり、村は大騒ぎになったのよ」

 タバサったら……またわざわざ、動きにくくしてくれちゃって……。
 しかし彼女にとってジョゼフは父の仇でもある。生きていたとなれば、直接乗り込むのも仕方ないか。

「その後、二人はこの森に逃げこんだみたいでね。私は追いかけたんだけど……逆にやられてしまって、このザマさ」

 だいたい話は理解できた。
 詳細はともかく、近くにタバサがいるのは間違いないようだ。ならば彼女と合流するのが一番だろう。
 サイトを見ると、彼も判ったような顔をしている。それから彼は、シェフィールドに視線を向けた。

「……で、この人はどうすんの?」

「僕がもらう! 僕が拾ったんだから!」

「ちょっと!? 勝手なこと言うんじゃないよ!? なんで私が、あなたみたいなデブの愛人にならなきゃいけないのさ!?」

 うわ。
 今のは傷ついたぞ。マリコルヌは、これでも以前より痩せたのだから。
 案の定、彼はうずくまってしまい、地面を指で突ついてる。
 それを無視して、私たちは話を進める。

「逃せばタルブへ戻って人を呼ばれるおそれがあるし、連れて行っても足手まとい。かと言って、そもそも無関係な相手なんだから、始末するってわけにもいかないし……」

「もう一回気絶させて、ここに放り出しておく……ってのが適当なんじゃねーの?」

「ま、そんなところかしらね」

「ちょっと待って!」

 私とサイトの言葉に、慌てふためくシェフィールド。

「嫌よ、そんなの。第一、私は……」

 彼女がセリフを言い終わるより早く……。
 それは現れた。

########################

 しげみの葉が鳴った。
 私とサイトは、慌てて身をひねらせる。
 つい今まで二人が立っていた空間を、白い槍のようなものが一瞬貫き、また戻る。
 マリコルヌも復活して、その場にすばやく立ち上がった。
 私もマリコルヌも杖を構え、サイトは立ち回りに邪魔な変装用マントを外して、背中の剣を抜く。

「ほほぉう……なかなかの体さばき……」

 茂みを揺らしながら、その男は姿を現した。
 シェフィールドは思わず口を抑え、小さな悲鳴を押し殺す。

「な……何よ、これ……」

 無理もないことである。
 ボディ・ラインがはっきりわかるほど体にフィットした、真っ黒い服の男。
 五十歳くらいだろう。日焼けした顔と鋭い目つきが特徴なのだが、それは顔の左半分のみ。
 その反対側、つまり顔の右側には……。
 何もなかった。
 眉も、髪も、目も耳も。
 口は顔の中央でプツンと途切れたようになくなっており、鼻の隆起さえ、そこを境に消失している。
 ただ、ぬらりと生白い、肉の塊があるばかり……。

「化け物……」

 私の小さなつぶやきに、それは半分だけの顔を歪めてみせる。

「化け物とは失礼な! 私にはクラヴィルという立派な名前が……」

 しかし、そこで言葉を止めて。

「……いや、もう『クラヴィル』と名乗る必要もないのであろうな。この姿を見せる以上は……」

「……どういうこと?」

 私は聞き返した。
 化け物が発する異質なプレッシャーに負けないよう、とにかく何か言うのが大事と思ったのだ。

「こちらの世界では、クラヴィルという人間の名と姿を借りていた……という意味だ。ジョゼフ様より、そのように命じられていたのでな」

 こちらの世界って……。
 あれもサイトの世界から紛れこんできたのか!?
 サイトの世界には、あんな化け物が存在しているのか!?
 そう思ってサイトを見たが、彼は首をブルンブルンと左右に振っている。
 違うらしい。……ま、それもそっか。

「本来の名前で自己紹介しよう。私はヴィゼア。……ジョゼフ様に呼ばれてやってきた魔族の一人である」

 魔族!
 亜人や幻獣の一種だとか、空想上の生き物だとか、色々言われていたが……。
 その正体は、別の世界から呼び出されてきた化け物だったようだ。
 ここで、ツンツンと私の服の裾を引っ張るシェフィールド。

「何よ」

 振り向きもせずに言う私。

「今……『魔族』って言わなかった?」

 尋ねる声が震えている。

「言ったわね」

「で……でも! 魔族って、想像の産物なんじゃないの!?」

「それは奇遇ね。今の今まで、私もそう思ってたわ。だけど……」

「だけど……?」

「よく考えてみたら……。私もサイトも、以前に魔族と戦ったことあったわ、うん」

 そう。
 レベルが高すぎて意識していなかったが、一応『魔王』って、魔族の王なのよね。魔王が実在する以上は、配下の魔族が現実だとしてもおかしくないわけで。
 しかし、だとしたら……。
 魔王には五人の腹心がいるとか、その腹心がそれぞれ忠実な配下を持つとか、そういう伝説も実話なのだろうか? ちょっと考えたくないなあ……。

「以前に魔族と戦った……ですって!? でも生きてるってことは……あなたたち、勝ったのよね!?」

「かろうじて。……私は生体エネルギーがカラッポになって、髪が真っ白になったけど」

 返事はない。絶句しているようだ。が、それも一瞬。

「私、帰る!」

 半ば悲鳴に近い声を上げ、逃げ出すシェフィールドだったが……。

「っきゃっ!」

 後ろで彼女の叫び声。私は思わず振り返る。
 逃げようとした彼女の目の前に、一匹の巨大な蜘蛛が立ちふさがっていた。

「逃がしゃしねえぜ、お嬢ちゃん」

 舌なめずりをしながら、それは人間の言葉を吐いた。
 八本の足と巨大な腹。そのフォルムは確かに、巨大な蜘蛛のものである。しかし、その肌と頭とはまぎれもなく、人間のそれだった。
 たぶんヴィゼア同様、魔族なのだろうが……。ヴィゼア以上に気持ち悪い存在だ。
 私たちから見ればシェフィールドはもう『お嬢ちゃん』という年ではないが、きっと魔族は長命なのだろう。

「逃がしておやりなさい、バーヅ」

 別の場所から、別の声がかかる。

「片手間に、無関係な人間をいたぶって遊んでいられるような、生やさしい相手じゃないですわ」

 現れた三人目は、黒衣をまとった女メイジ。
 初めて見る顔ではない。

「……また蘇ってきたのね?」

「そういう言い方はやめてくださらない? それじゃ、まるで死んだみたいではありませんか。……違いますわ。わたくし、永遠の命を持っておりますの」

 モリエール夫人である。ちゃんと埋葬してやったというのに……。
 しかし、こいつが出てきたということは。

「また会ったな、貧乳娘」

「ミスコール男爵! 失礼な発言は止せと何度言えばわかる!?」

 モリエール夫人の後ろから、禿頭が二人が登場。
 なんなんだ、一体これは。魔族二人に死人が三人。まるでお化け屋敷じゃないの!?

「四対五……か」

「私を数に入れないで!」

 私のつぶやきに、瞬時に返すシェフィールド。人蜘蛛に睨まれて硬直している割には、素早い反応である。

「あら? わたくし達が五人だけだなんて……勝手に決めつけないでくださいな。ねえ、ヴィゼアさん?」

「その通りだ」

 魔族は右の手を高々と差し上げると、パチンと一つ指を鳴らす。
 森の気配がいっそう怪しくなり、まわりの木々がざわめいた。
 そして……。

「ひーっ!」

 シェフィールドが細い悲鳴を上げる。
 サイトとマリコルヌは硬直し、私の背中を冷たいものが駆け抜ける。
 森の中から現れたオーク鬼。その数は、ザッと見ただけでも、十や二十を軽く超えていた。

########################

 そして、戦いは始まった。

「きゃあああああ!」

 シェフィールドは情けない悲鳴を上げると、まともにコロンと転がった。
 そのすぐ脇を、白い肉の槍がかすめていく。
 サイトは余裕で、マリコルヌはすんでのところで、各自の得物でなぎ払う。既にマリコルヌは『ブレイド』を唱えていたようで、彼の杖には魔力の刃が形成されていた。
 私は後ろに飛び退がり、まともにコケたシェフィールドの上を跳び越えて、その後ろにいる人蜘蛛バーヅの方へと向かった。

「相棒! お前はガンダールヴだ、娘っ子の盾だ! それを忘れるなよ!」

「ああ!」

 デルフリンガーがサイトに助言するのが、私の耳にも届いた。逆に言えば、私がちゃんとサイトの背中に隠れていれば良いのだろうが……。
 この気持ち悪い人蜘蛛、真っ先にやっつけてやりたいのだ!

 ドーン!

 エクスプロージョンを叩きつけたが、人蜘蛛はヒラリとかわす。
 この『エクスプロージョン』は本物のエクスプロージョンとは違う。かつて魔法が苦手だった頃の名残り。何を唱えても失敗して爆発してしまう、だから『ゼロ』のルイズ。しかしそれは、どんな呪文でもどんな長さでも『爆発(エクスプロージョン)』になるということ。つまり、詠唱時間ほぼ『ゼロ』で、いくらでも撃ち出せるのだ。

「はひゅうっ!」
 
 よく判らん声を上げながら、人蜘蛛は手近の木の幹へ跳んで逃げた。グルリと反対側へ回って、大木を盾にする。
 その程度では、私の連続エクスプロージョンは防げない!
 ……と思った瞬間。目の前に炎の球があった。

「おっと!?」

 のけ反ってよける私。どうやら今のは、モリエール夫人が放った火炎球らしい。見れば、今日は杖を手にしている。
 この攻撃で私に隙が出来たと判断したのか、バーヅが私に飛び掛かる。
 八本の足それぞれに、小さなナイフのような爪がびっしり生えているが……。

「させるか!」

 私の前に滑りこんできたサイトが、全部受け止めていた。さすがガンダールヴ。
 しかし、サイトまでこちらに来たということは。

「ちょっと待って! 僕一人じゃ無理だよ!?」

 マリコルヌが、ミスコールとソワッソンに挟撃されて四苦八苦。
 さすがに可哀想なので、エクスプロージョンで援護。
 
「ぎゃあ!?」

 ラッキー。
 ソワッソンに直撃した。これでマリコルヌの相手はミスコール一人。変態同士の一騎打ち、頑張ってくれたまえ。

「なるほど……。人間にしては、なかなかの相手のようだな」

 最初の攻撃以来おとなしかったヴィゼアが、再びパチンと指を鳴らす。
 オーク鬼たちが、一斉に向かってきた!

「いやあああああ」

 そろりそろりと逃げ出そうとしていたシェフィールドが、大きく叫ぶ。せっかく今まで無視されていたのに。

「……うるせえ! 目ざわりなんだよ、てめーは!」

 いったんサイトから距離をとっていたバーヅが、彼女に足の一本を向ける。
 やばい! 彼女は素人だぞ!?
 硬直するシェフィールド。
 サイトは今は、向かってきたオーク鬼を相手にし始めたところ。
 マリコルヌは問題外。
 私の魔法も間に合わない!?
 その時。

「やめろと言ったでしょう、バーヅ!」

 モリエール夫人の叱責だ。ややヒステリックにも聞こえるくらいの口調。
 一瞬動きを止め、バーヅは露骨に舌打ちをする。

「すぐに終わらせてやるさ!」

「攻撃の手をゆるめてはいけません!」

 叫ぶモリエール夫人だが、もう遅い。
 この連携の齟齬は、私に十分な時間を与えていた。

 ドゥムッ!

 重い音と共に私が放ったのは、本物の『爆発(エクスプロージョン)』呪文。フル詠唱ではないが、それでも効果は十分だった。
 森の木々と二匹のオーク鬼、そしてその前にいたモリエール夫人が、一瞬にして消滅する。

「何ぃっ!?」

 ことここに至り、バーヅもようやく私たちの実力を悟ったらしい。足を振り上げたまま動きを止める。
 硬直から脱したシェフィールドが、あわててその場から離れた。
 条件が不利なことに変わりはないが、今のでだいぶ、戦いの流れはこちらに傾いたはずである。
 一番厄介なのは魔族のヴィゼアだと思うが、なぜか奴は、積極的に参加してこない。人のものではあり得ぬ言葉で、オーク鬼たちに指示を出しているようだ。奴が司令塔に徹してくれるのであれば、今のうちに……。

「ぎおおおおっ!」

 仲間をやられて逆上したのか。雄叫びを上げつつ、バーヅが飛び掛かってくる。
 サイトはオーク鬼の接近を阻んでくれており、今の私は、再びバーヅと一対一。しかし、その程度のスピードでは、それこそ、飛んで火にいる夏の虫。

 ボン!

「……ぢいっ!」

 正面から私のエクスプロージョンを食らって、人蜘蛛は、そのままボテッと地面に落ちる。
 小さく体を震わせながら、動けない人蜘蛛バーヅ。
 そんな相手に対して。

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

 短いながらもキチンと詠唱した、由緒正しいエクスプロージョン。
 さすがの魔族も、これには耐えきれず、事切れた。
 これでだいぶラクになったか……と思いきや。

「誰か助けてええ!」

 マリコルヌの悲鳴だ。
 視線を向けると、ミスコールに押され気味の模様。
 しかも……後ろから二匹のオーク鬼が近づいている!?

「危ない、マリコルヌ!」

 私が叫んだ瞬間。
 飛来した無数の『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』が、その二匹を串刺しにした。

「なにいっ!」

 叫ぶミスコールも、他人事ではない。
 どこからか飛んできたフライパンが頭に当たり、その場に崩れ落ちた。
 追い打ちをかけるように炎の球も来て、彼は火柱となる。もう一つ、既に倒れているソワッソンにも火の球が。なるほど、蘇ってくるならば、死体ごと燃やしてしまおうというわけね。

「お待たせ!」

「……遅くなった」

 言いながら、私たちの前に登場したのは……。
 黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。同じような服装でありながら、色々と対照的な二人だった。
 赤い髪と青い髪。身長も違えば、胸の大きさも違う。しかし、どちらもメイジとしての腕前は一級品。『微熱』のキュルケと『雪風』のタバサである。
 キュルケの方は、彼女の使い魔である火トカゲ——名前はフレイム——を連れていた。

「久しぶりね、タバサ。……あと、あんまり久しぶりじゃないけど、キュルケも」

 まさかキュルケまで来るとは思わなかったが、考えてみれば彼女も手配書に載っているわけだ。魔法学院に残っていても問題になっただろうし、既に出発していれば、私たちと同じく賞金首として狙われたことだろう。

「いつからタバサと一緒だったの? タバサと一緒なのは、タルブの村の娘さんだって聞いてたんだけど……」

「ああ、彼女なら……あそこよ」

 キュルケが指さしたのは、森の茂みのかげ。そこに隠れるように、一人の女性が立っていた。
 私と同じくらいの年齢だが、私よりもスタイルは良い。なぜかメイド服を着ており、カチューシャでまとめた黒髪とソバカスが可愛らしい。いかにも村娘といった雰囲気の少女である。
 おそらく、さきほどミスコールにフライパンを投げつけたのは彼女であろう。

「……とりあえず挨拶は、あとですね」

 ササッと出てきた彼女は、フライパンを拾いながら、私に微笑みかける。もしも私が男なら、一発で惚れること間違いなしの笑みだった。
 そして。
 こうして言葉を交わす余裕があることからも明らかなように。
 ……戦いの形勢は、完全に逆転していた。

########################

「もうあとがないわよ」

 言ってキュルケは、ニイッと不敵な笑みを浮かべる。
 オーク鬼もかなり数を減らしていた。いまや相手は、三匹のオーク鬼と魔族のヴィゼアを残すのみ。

「さあ、どうするつもり? ……といっても、逃がすつもりはないけどね」

 キュルケの勢いに乗って、私もヴィゼアに鋭い言葉を投げつける。
 しかし、これ、実は本心ではない。さきほどから見ていて、どうもヴィゼアはまだ、本気で戦っていないように思えるのだ。同じ魔族とはいえ、バーヅとも雰囲気がだいぶ違う。
 ヴィゼアが実力を発揮せぬまま退いてくれるのであれば、それはそれで結構だと私は考えていた。

「逃がさん……か」

 嘲笑うかのように言うヴィゼア。

「その言葉、そっくりそのまま返すとしようか」

「たいした自信ね。でもこの状況で、一気に逆転っていうのは、かなり難しいと思うんだけど?」

「無理だろうな」

 私の言葉に、いともアッサリ魔族は頷いた。

「私たちだけならば、の話だが……」

「……援軍は来ない」

 舌戦に参加してきたのはタバサだ。無口な彼女にしては珍しい。

「タルブの村にいるジョゼフの手駒は、これだけのはず」

 なるほど、事情を一番知っているのはタバサだ。元ジョゼフ陣営であり、つい最近タルブの村へも潜入している。だから敢えて口を開いたわけか。

「手駒は……な」

 声はいきなり、別のところからやってきた。
 私とサイトとキュルケとタバサ、四人は同時に凍りつく。
 冷たいものが背中を伝う。
 背後の声に、私たちは確かに聞き覚えがあった。

「遅くなってしまった。……すまんな、ヴィゼア」

「もったいない御言葉にございます」

 魔族は深々と首を垂れた。
 私たちはようやく、ゆっくりと振り返る。
 やはりそこには……。
 青い髪の偉丈夫が一人、ひっそりと佇んでいた。
 無能王……ジョゼフ……。





(第三章へつづく)

########################

 シェフィールドさん登場の巻。
 メイド服の少女の名前は次回披露。……みなさん既におわかりだと思いますが。
 なお「スレイヤーズ」原作では純魔族には効く魔法と効かない魔法がありますが、この作品でのその扱いに関しては、第四章(次々回)の冒頭にて記します。

(2011年5月3日 投稿)
    



[26854] 第三部「タルブの村の乙女」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/06 22:07
   
「ジョゼフ!」

 最初に声を上げたのは、キュルケやタバサと共に現れた、あのメイド少女である。フライパンを握りしめる手がわずかに震えていた。

「シエスタくん、君も軽率なことをするものだ……」

 左に持った錫杖を右の手に持ちかえながら、優しい声で言う無能王。
 杖の先に鈴なりについた金具が、シャランと涼やかな音を立てる。
 本来の無能王ジョゼフは、こんなメイジらしからぬ杖を持つ男ではない。彼の杖が錫杖となったのは、ジョゼフが『魔王』と化した後だった。つまり、このジョゼフは、外見こそ普通の人間だが、やはりジョゼフ=シャブラニグドゥということか……?

「タルブの村のメイド塾で、おとなしく塾生筆頭を続けていれば、追われることもなかったというのに……」

「そらぞらしいこと言わないでください! 薬で父を廃人同様にしておきながら!」

「はてさて……私には何のことやら……」

 彼女の激しい問い詰めに、涼しい顔で彼は答えた。
 二人の会話に割って入るかのように、私はポソリとつぶやく。

「……違う……」

「……何がだ?」

 青い髭をこちらに向けるジョゼフ。

「違う! あんたはジョゼフじゃないわ!」

 真っ向から彼を指さし、私はキッパリと言い放った。
 理屈ではない。
 私は感じ取ったのだ。目の前の男は、無能王でも『魔王』でもジョゼフ=シャブラニグドゥでもない……と。

「ほお……?」

 ジョゼフは眉をピクリとはね上げる。面白がっているのだ。

「あんたが本物のジョゼフであるはずはないわ!」

 言うと同時に、私は杖を振り下ろす。
 無詠唱のエクスプロージョンだ。失敗魔法バージョンだから小さなものだが、それでもジョゼフを中心とした爆発が起こる。
 爆煙が晴れると……。

「いきなりとは……。あいかわらず乱暴な娘だな」

 無傷のジョゼフが立っていた。
 たとえ嘘でもジョゼフの名を騙る男である。この程度で終わるわけがないのは承知の上。
 しかし、これは戦闘開始の合図に過ぎない!

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ!」

「ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ!」

「ラナ・デル・ウィンデ!」

 タバサの氷の矢が、キュルケの炎の蛇が、マリコルヌの風の槌が、次々にジョゼフに襲いかかる。
 ……キュルケの技などは私も初めて見る魔法だが、魔法学院に滞在中に火のメイジから教わったのだろう。凄い威力の火炎だ。
 タバサの魔力は、言わずもがな。マリコルヌはこのメンツでは明らかに格下だが、彼なりの精一杯で頑張っている。
 しかし……。

「……それで?」

 軽く杖を振っただけで、すべての攻撃をいなしてしまうジョゼフ。……やっぱ化け物だ。

「ならば今度はこちらから……」

 言って呪文を唱え始めるジョゼフ。
 まずい!?
 私も慌てて、同じ呪文を詠唱し始める。

「ルイズ!? これって……」

「……声かけちゃダメ。みんな彼女の後ろに集まる」

 私に話しかけようとしたキュルケをタバサが止め、全員に指示を出す。さすがに冷静な判断力を持つ彼女だ。
 そして。
 ジョゼフと私の呪文詠唱が完了し、二人同時に杖を振り下ろす。
 途端、大地が鳴動した。

########################

 足下から来る大爆発を、同じ大爆発で相殺。
 以前にもやった、エクスプロージョン対エクスプロージョンだ。
 ただし今回は、どちらもフル詠唱。前回とは、規模がケタ違いだった。
 爆発の余波で全員、吹き飛ばされて倒れている。
 
「大丈夫ですか、みなさん!?」

 真っ先に起き上がった女メイド——たしかジョゼフが『シエスタ』って呼んでたっけ——が、私たち全員に声をかけて回る。

「うん、平気」

 答えた私は、周囲を見渡した。
 森の地面は大きくえぐられ、赤い土がクレーター状に顔をのぞかせている。
 シエスタの表情を見る限り、こちらのメンツに特に被害はなさそうだ。
 ジョゼフ側は……。
 トロール鬼の姿が見えないが、逃げ出したのではなく、巻き込まれたのでしょうね。ジョゼフ自身は笑顔で立っており、その隣には魔族のヴィゼアも控えていた。
 余裕なのか何なのか。私たちに追い打ちをかけようとはしていない。

「ここは、いったん退却した方がよさそうですね……」

「そうね」

 シエスタの言葉に頷く私。
 サイトやキュルケやタバサは大丈夫だが、マリコルヌとシェフィールドはノビてしまって、まだ目を回したまま。このまま戦い続けては、真っ先に死ぬこと間違いなしだ。

「でも、どこへ? いい隠れ家でもあるの?」

「大丈夫。心当たりがあります」

「でもよ? 逃がしてくれるか……?」

 ジョゼフとヴィゼアを睨んだまま、サイトが怯えた声を出す。
 私の使い魔なんだからシャキッとしなさい……と言いたいところだが、それは無理。
 サイトの内心の動揺が、私にも伝わってくるのだ。かつて戦った『本物』のジョゼフに対する恐怖とプレッシャーが色濃く残っているのだろう。

「とにかく……やってみるしか……」

 言いながら、私たちはジワリジワリと後ずさる。
 少しずつ、少しずつ。
 向こうが攻めてきたら、対応できるように。
 しかし何故だか『ジョゼフ』は、私たちを追おうともせず、ただ黙って佇むだけであった。
 おかげで私たちは、無事に戦線から離脱できた……。

########################

「へええええ」

 クルリと辺りを見回すと、私は感嘆の声を上げた。
 シエスタの指示に従って辿り着いたのは、ちょっとしたホールのようなところである。
 『ジョゼフ』の手を逃れた私たちは、『臭気の森』から少し離れた洞窟の中へ。それから死ぬほどややこしい枝道を右へ左へと進み続け、この場にやって来たのだ。
 一息つくと、あちこちで雑談が始まった。

「シェフィールドさんも来たんですね」

「好きでついて来たんじゃないわ。気づいたら、引きずられていたのよ」

 マリコルヌとシェフィールドは、途中で意識を回復した者同士で会話を。
 そしてシエスタは、サイトに深々と礼をする。

「お久しぶりです、サイトさん。御挨拶が遅れてしまいましたけれど……」

「いやぁ……」

 きまり悪そうに、バリバリと頭をかくサイト。
 おそらくは、サイトがタルブの村に滞在していた時の知り合いなのだろうが……。
 なんか怪しいぞ。

「サイト。このシエスタとは……どういう関係?」

「え? どういう関係って……」

 サイトがモゴモゴしていたら、シエスタが代わりに。

「一緒にお風呂に入った仲ですわ」

「シエスタ!? そんなこと言ったら、誤解されちゃうよ……」

 慌てるサイト。私の方をチラリと見ているが……。
 私なんかより、他のメンツの方を気にするべきだと思うぞ。こういう話題が好きそうなキュルケとか、鼻息を荒くしているマリコルヌとか。

「け、けしからん! 若い男女が裸を見せ合うなんて! いくらアニキとはいえ……」

「ちげーよ! 俺は見てないし、見せてもいない! 夜で外だったから暗くてお湯の中は見えない状況だった!」

 弁解するサイト。
 しかし、ちょっと話がおかしいぞ!? ハルケギニアでは平民の風呂というのは、屋内のサウナ風呂のはずだが……。
 もしかするとサイトは、自分の世界の風呂みたいなのをタルブの村に仮設したのであろうか。それを珍しく思ったシエスタも入ってみた……というのであれば、サイトは悪くない。それなら私も、怒ったり、お仕置きしたりするべきではなさそうだ。

「そうですよ! サイトさん、紳士でしたから。……み、見たいっておっしゃってくだされば、か、か、隠さなかったのに」

「じょ、冗談、だよ、ね?」

「冗談なんかじゃありません。今だって……」

「今だって、な、な、なんでしょう?」

 いつにまにか二人の世界に入ってしまったシエスタとサイト。
 どうやらシエスタ、彼に気があるようだが……。
 へんなしゅみ。

「ねえ、ルイズ。……いいの?」

「……何が?」

「何って……」

 キュルケはキュルケで、よくわからん質問を私にしてくる。
 マリコルヌは何を妄想したのか、鼻血を噴き出して倒れているし。
 シェフィールドは呆れているし。
 私が止めないと、サイトとシエスタの桃色会話はえんえん続くのだろうか。
 ……と思いきや。

「……ストップ」

 トンッと杖で地面を叩いたのはタバサだった。
 皆の注目が彼女に集まる。

「……そういう話は、あとでも出来る。まずは状況確認が必要」

「ま、タバサの言うとおりね。自己紹介も兼ねて、まずはシエスタから話を聞きたいんだけど?」

 私が水を向けると、シエスタも頷いた。

########################

 マリコルヌも話していたように、一部の者の間では、タルブの村は優秀なメイドを輩出する村として名高いらしい。
 そのメイド塾を開いているのがシエスタの父親であり、シエスタ自身はメイド塾の筆頭塾生。かつてサイトが泊めてもらっていたのも、彼らの家だったという。
 そんなタルブの村に、最近、モリエール夫人を連れて『ジョゼフ』がやって来た。

「こんな田舎の村にも、無能王ジョゼフの噂は届いていましたから……。庶民の味方の偉い王様ということで、彼らをこころよく受け入れました」

 得意のマジックアイテムや魔法薬で、村の困っている人々を助けて回る無能王。村人からの人望もいっそう厚くなったところで、私たちに手配をかけたいと言い出した。

「村長も父も、もちろん私も驚きました。だって……サイトさんの顔と名前が含まれていたんですもの。サイトさん、タルブの村では英雄あつかいなのに……」

 ……どうやらサイト、以前にタルブに滞在した際、相当大きな貢献をしたらしい。さすが私の使い魔ね!
 それはともかく。
 シエスタたちがサイトの説明をすると、『ジョゼフ』とモリエール夫人は一瞬顔を見合わせて、

『彼は……邪悪な魔力によって操られているのです。この人によって、ね……』

 と、あろうことか、私の似顔絵を指さしたという。
 シエスタはここで言葉を切ると、

「『このメイジ、見かけは若い娘だけれど、実際は九十近い老女だ』って言ってましたけど……そうなんですか?」

「んなわけないでしょうが! 私はまだ十六よっ! 十六!」

「ええっ? ルイズって俺と一つしか違わないのかよ!?」

 驚くサイトに、私はジト目を送る。

「あんた……。今まで私のこと、いくつだと思ってたのよ……」

「だ、だって……」

 サイトの視線は、私の胸に向けられていた。こういう場でなければ、お仕置き必須の態度である。……というか、あとで二人きりになったら、絶対お仕置きだ。

「すみません……。そうですよね、いくら貴族のメイジ様でも、そんな不可解な話はありませんよね」

 シエスタが話を再開する。
 ともあれ『ジョゼフ』は、サイト救出の意味も含めて、などと言いつつ、「生きたまま」という条件付きでの賞金をかけたのだった。
 こうして、私たちはそれぞれ賞金稼ぎたちの標的とされるようになり、その賞金稼ぎたちの一人がシェフィールドだったりするわけだが……。

「その頃から、タルブの村もおかしくなったんです」

 まず、シエスタの父親がメイド塾を一時休校とした。頬はゲッソリと痩せこけ、わけのわからないことをブツブツつぶやくようにもなった。
 メイド修業の一環として、料理や薬の知識も豊富なシエスタは、父親が何か怪しい薬を飲まされているのではないかと疑ったが……。
 メイド塾の仲間に相談しようとしても、もう手遅れであった。村人は全員、『ジョゼフ』に抱き込まれていたのだ。
 彼は得体の知れないカリスマによって、村人の大半を熱狂的な信奉者に仕立て上げた。『ジョゼフ』が亜人や魔族まで村に集め始めても、誰も異を唱えない始末。

「私は、完全に孤立していました。そんな時、私の前に現れたのが……」

 シエスタが目を向けると、タバサがコクリと頷いた。

「……私は、たまたま近辺に来ていた。賞金稼ぎに狙われて、ジョゼフ生存の噂を聞いたので、タルブの村へ向かった」

「だからタバサさんと一緒に、無能王ジョゼフのところに忍び込もうとしたんですが、あの恐ろしい魔族に阻まれたのです。それで、もうタルブから逃げ出すしかなくて……」

 なるほど。
 以前にシェフィールドから聞いた話も合わせれば、シエスタ・タバサ組の事情は、あらかた理解できた。

「……で、あんたは?」

 私は、キュルケに顔を向ける。彼女は、肩をすくめてみせた。

「あたしも、タバサと同じようなものね。魔法学院を出て、また旅をし始めたら、いきなり襲撃されて。元凶はタルブの村にいるっていうから、来てみたら……。あの森でドンパチやってる場に出くわしたの」

 ……ということは、キュルケがタバサ組と合流したのは、私たちの前に現れる直前だったわけだ。

「じゃあ、今度は私の番ね……」

 残りは、私とサイトのコンビだ。マリコルヌやシェフィールドが加わった件についても、私の口から説明する。

「……というわけよ」

 私が語り終わったところで。

「一番の被害者は私だ」

 シェフィールドが、むくれた口調で言う。

「さっきの様子と今の話からして、あなたたちを捕まえてジョゼフ様に差し出したところで、素直に賞金を払ってくれるとは思えないし……。かといって、ここまで巻き込まれちゃ、もう出てくのも無理でしょう?」

「……なんで? いいじゃないですか、逃げたって。シェフィールドさんが逃げ出すなら、僕がエスコートしますよ」

「待て、マリコルヌ。それは……こいつと一緒に逃げ出すってことじゃねーのか!?」

「だってアニキ! 僕、最初に言ったはずだよ? ヤバくなったら逃げるから、って」

 うん、私も覚えている。マリコルヌは確かに、そう言っていた。でも……。

「そいつぁあ、いけねーや」

 年長らしく口を挟んだのは、魔剣デルフリンガーだった。

「今さら逃げるのは無理だな。ジョゼフって奴の配下に捕まるのがセキの山だろーぜ。しかも捕まりゃあ尋問やら拷問やら……」

「うっ……」

 絶句するマリコルヌ。
 マリコルヌ自身は手配書には載っていないとはいえ、既に敵対の意志は示しているのだ。それに、私の居場所を吐かされることも間違いない。
 諦めたのか、マリコルヌは、おとなしく座り込んだ。さりげなくシェフィールドに擦り寄ろうとしているが、彼女はピシャリと撥ねつけている。
 私は、サイトの隣のシエスタに、あらためて質問した。

「……ところで、ここは一体どの辺りなの? 方向ぜんぜんつかめなかったんだけど……」

 シエスタは、いたずらっぽい笑みを浮かべて。
 
「ここはタルブの村の中心部……『神聖棚(フラグーン)』の中です」

########################

「棚の中?」

 オウム返しに尋ねる私。

「ええ。かつて一人の旅人が死闘の末に魔鳥をうち滅ぼしたのですが、その人は、魔鳥とは何やら因縁があったそうで。魔鳥の死を悼んで、墓所の代わりとして建てたがこのあずまやです。そこにブドウのつるが巻き付いて、いつのまにかブドウ棚になって……」

 タルブの名所として有名な、ブドウ棚。どうやら私たちは、その中にいるらしい。
 言われてみれば、ただの洞窟とは違う。完全に密閉された空間ではなく、ところどころに隙間があって、陽の光が差し込んでいる。

「でも、シエスタ。ブドウなんて……どこにも見えないじゃない?」

 私が言うと、彼女は笑って、

「ブドウの採れる辺りは、人が来ちゃいますから。でも、この辺は何もないですし、ここまでの道も複雑ですから、普通は誰も入り込んだりしません。私は小さい頃から色々と探検したりして、このブドウ棚の通路のことは、何から何まで知っていますけど」

 どうやら彼女、昔はかなりのやんちゃだったようである。
 たしか私が聞いた話では、タルブの村のブドウ棚は、あとから村の人々がゴチャゴチャと建て増ししたせいで複雑な構造になっているとか。なるほど、知る人ぞ知る迷路のような状態だ。
 ……と、私がしみじみ考えていると。

「なあ、デルフ。おまえ、シエスタの言う旅の戦士と一緒に、ザナッファーと戦ったのか?」

 シエスタの話に思うところがあったのか、サイトが魔剣デルフリンガーに問いかけていた。
 この剣、以前に「光の剣と呼ばれていたこともあった」と自分で言っていたし、『赤眼の魔王(ルビーアイ)』からもそう言われていたはずだが……。

「うんにゃ、知らねえ。記憶にねえなあ」

「なんだよ、それ。しっかりしてくれよ。ザナッファーのこと、詳しく教えて欲しいんだよ……」

 ちょっと泣きそうな声で迫るサイト。
 ああ、そうか。ヴィゼアやら『ジョゼフ』やらの襲撃で忘れていたが、どうやらザナッファーって、サイトの世界から来たものらしいんだっけ。

「そう言われてもなあ。俺っちにも思い出せんもんは思い出せんよ。……ま、思い出せないだけなのか、人間たちの聞いてる話が間違ってるだけなのか、わからんが……」

「間違ってる……?」

「ああ。よく似た別の剣だったんじゃねーのか? 数十年前……だろ? その頃、人間に使われてたっつう記憶なんて、ねーからなあ……」

「あのう……サイトさん? 魔鳥ザナッファーが、どうかしたんですか?」

 サイトの深刻な様子を見て、シエスタが声をかけた。
 彼女は彼女で、タルブの村に伝わる伝承には詳しい。サイトがザナッファーに興味があるなら、語って聞かせようというつもりなのだろうが……。

「ザナッファーは、魔鳥なんかじゃねえよ」
 
 ポツリとつぶやくサイト。

「……え?」

「あれは……俺の世界から来た武器。ゼロ戦っつう飛行機だ」

「武器っつっても、もう死んでるみてーだけどな。相棒のルーンが反応しなかったから」

 デルフリンガーも補足する。
 シエスタがポカンとした顔を見せた。
 残念ながら、これではサイトの役には立たない。サイトは、そのゼロ戦という兵器がどうやってハルケギニアに来たのか、その詳細を知りたいのだろう。ハルケギニアから元の世界へ戻る手がかりになるかもしれないから。
 ザナッファーが異世界から来たことすら知らない者では、サイトの知りたい情報を与えることは無理なのだが……。

「……そうだったんですか。それで、少し謎が解けました」

 シエスタの表情が、納得顔に変わった。

「ザナッファーって、ものすごく硬くて。死んだ後も、その鱗とか羽とか腐らなくて、今でも再利用されてるくらいなんですが……そもそも生き物じゃなかったんですね」

 ……ん? 魔鳥の死骸の再利用だと?
 この村の人々、かなり逞しいみたいだ。
 どうやら、私と同じような感想を皆が抱いたようで。しかも、それが顔に出ていたようで。
 シエスタは、私たちをグルリと見回しながら。

「ほら! これだって、ザナッファーの鱗から作られたモノなんです。とっても頑丈で、悪い人とか怪物とか叩いても平気!」

 手にしたフライパンを皆に見せつける。
 さっきの戦いで、ミスコールに向かって投擲したやつだ。そんな由来のあるシロモノだったのか……。

「このフライパンの他にも、色々あるんですよ? 長いトゲから作った物干し竿とか、鋭い翼から作った剣とか……」

「それ……全部あなたが持ってきてるの?」

 ここでキュルケが口を挟む。
 たぶん私と同じことを考えているのだろう。
 武器として使える物があるなら、少しでも活用したいのだ。なにしろ、敵は強大なのだから。  

「いいえ。村の宝物として大切に保管されてますが……」

 ちょっとガッカリ。
 それでは私たちには使えない。
 ……と思いきや。

「……そのいくつかは、私が小さい頃、面白半分に持ち出して、このブドウ棚の奥の方に隠してしまったんです」

 おいおい……。

「それって……ひょっとして大騒ぎにならなかった?」

「なりましたよ」

 サラリと彼女は言ってのける。

「でも当時は、大人たちがなんでそんなに騒いでいるのか、さっぱり判りませんでしたし。……なにぶん、子供のやったことですから」

 ……どうやらシエスタ、なかなかいい性格をしているようである。言葉遣いとメイド服に騙されてはいけない。

「じゃあ、みんなでそれを取りに……」

「それはやめた方がいいと思います」

 立ち上がりかけた私たちを止めるシエスタ。

「狭く枝道が多い上に、壁や天井に隙間のない暗い部分もあるんです。大勢で行って、もしも何かあったら、たぶん散り散りになってしまうでしょうし……。私はもちろん行かなければ話になりませんが、あと一人……」

 彼女はサイトを見つめる。

「……俺? でも……」

 サイトは私に目を向ける。
 御主人様の了解が必要……ということか。私は、頷いてみせた。
 ところが。

「ダメ。彼が行くなら私も行く」

 スッとタバサが歩み寄った。
 そういえばタバサ、前に別れる際、サイトの騎士になったっぽい態度をとっていたっけ。遠く離れ離れならともかく、こうして私たちと合流した以上は、サイトの側に付き従うつもりらしい。

「……え? でも私とサイトさんの二人で十分ですし、いま言ったように……」

「三人なら大勢じゃない。二人も三人も変わらない」
 
 女の戦い勃発!?
 キュルケがニヤニヤ顔を私に向ける。

「ねえ、ルイズ。あなたは参加しなくていいの?」

「……何よ? 私は関係ないでしょ。そりゃあ、サイトは私の使い魔だけど……。でも、それ以上でも以下でもないし……。それに使い魔なんだから、ちゃんと私のところに戻って来るはずだし……」

「ふーん……。そう思ってるわけだ」

 なんだ、このキュルケの表情は!?
 サイトと二人の少女を見ていたら、なんだか妙にイライラするのだが、きっとこれはキュルケが変なこと言ってきたせいだ。そうに違いない。

「あ、タバサ! ちょっと待って!」

「……何? あなたも来るの?」

「違うわ。サイトは貸し出すから、どうぞ三人で行ってらっしゃい。ただ、その前に聞きたいことがあるの」

 ジョゼフ陣営に関して一番詳しいのはタバサのはず。だから、忘れないうちに、確認しておきたかった。
 何度も蘇ってきたモリエール夫人。それに、死んだはずなのに再登場したミスコールとソワッソン。
 あれは、おそらく……。

「ジョゼフの魔道具の中に、死人を操るものってある?」

「……ある。『ミョズニトニルン』が使っていた。アンドバリの指輪」

「『ミョズニトニルン』って……誰?」

 キュルケが口を挟む。
 そう言えばキュルケ、前にタバサが私に説明してくれた時は、その場にいなかったっけ。

「ジョゼフの使い魔。神の頭脳『ミョズニトニルン』。あらゆる魔道具を操る。ジョゼフはミューズと呼んでいた。私は会ったこともない」

 ちょっと饒舌なタバサ。聞いてもいないのに、『ミョズニトニルン』の名前まで教えてくれた。

「それって……。じゃあ、あのジョゼフも、もしかして……?」

 今度はサイトだ。
 しかし、これにはタバサが——そして同時に私とキュルケも——、首を横に振った。

「それはない。死体が残らなかったから」

 そう。
 サイトは先ほどの『ジョゼフ』を、操られた死体だと思いたいのだろうが……。その説は無理があるのだ。
 私たちがジョゼフ=シャブラニグドゥを倒した際、彼は塵と化して消えたのだから。

「あのう……みなさん? そろそろ……」

 タイミングを見計らったかのように、シエスタが口を出す。
 私は、それに頷いて。
 
「そうね。もういいわ。行ってらっしゃい」

「じゃあ、ちょっと行ってくる。なるべく早く戻って来るから!」

 サイトは私に笑顔を見せてから、シエスタやタバサと共に歩き出した。

########################

「ねえ、さっきは空気を読んで口出ししなかったけど……。もう少し事情を説明してくれない?」

「そうだよ。ルイズたち、あの手配書にも心当たりがあるんでしょ? 何も聞かないつもりだったけど、もう、ここまで巻き込まれちゃったから……」

 サイトたち三人の姿が見えなくなったところで、シェフィールドとマリコルヌが聞いてくる。
 私は、キュルケと顔を見合わせてから。

「そうね。あんたたちにも、話しておいた方が良さそうね」

 私は、ゆっくりと語り出す。
 無能王ジョゼフの中には『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥが眠っていたこと。それが復活したこと。かろうじて私たちが勝利したこと……。

「……というわけ。わかった?」

 話が終わった頃には、マリコルヌは白目を剥いて硬直していた。
 魔王を倒しただなんて普通ならばホラ話にしか聞こえないが、ここまで一緒に行動していれば、信じざるを得ない。しかし信じたら信じたで、今度はスケールのあまりの大きさに絶句……といったところか。
 一方、大人の女性であるシェフィールドは、なんとか話を受け止めたようだ。俯きながら、何か考え込んでいる。少しの後、顔を上げて。

「前に魔族と戦ったことあるって言ってたけど……相手はジョゼフ様だったのね?」

 ヴィゼアが出てきた際の私の言葉を覚えていたらしい。

「そ。……でも一度勝ったからといって、また戦えば勝てるという保証はないわ」

「……というより、たぶん無理よね。偶然も重なって勝ったようなものだから」

 身も蓋もないキュルケの言葉だが、私も頷くしかなかった。
 シェフィールドは、さらに顔をしかめる。

「でも……あなたたちが以前にジョゼフ様を倒してしまったというのなら。あのジョゼフ様は、一体何者!?」

「それがわからないから、あたしたちも困ってるんだけど……」

 沈み込む雰囲気を払拭するため、私は、努めて明るい声を出す。

「まあ、考えても無駄だから、今それについて考えるのは止めましょう。今は、今できることをやるだけよ」

「今できること……?」

「そう。食料調達に行きましょう! ……だって、ここってブドウ棚なんでしょ?」

########################

「『今できること』なんて言うから、何かと思えば……」

「ブドウ狩り、ときたもんだ」

 シェフィールドとマリコルヌは、交互にこぼした。この二人、何気に息が合ってきたように見えるぞ。
 一緒にブドウを採りながら、私は反論する。

「うっさいわねえ。籠城戦するなら、食料調達は重要でしょうが。それに、ブドウ狩りが嫌なら、キュルケみたいに最初から断ればよかったのよ!」

 迷子になるから止めた方がいいと言ってキュルケは反対したが、それを押し切って私たち三人は出発。自力で、ブドウの実っている場所を発見したのだった。
 さいわい、拠点とした場所からも近く、ここからならば何かあってもすぐに戻れる。

「だって……」

「唖然としてるよりはマシかと思ったんだけど……」

「やっぱりつまんない」

「……というわけで、僕たちフケるから」

「一人でブドウ狩り頑張ってね」

 言うなり二人でスタスタと、もと来た方へと去っていく。
 おいおい……。

「ふんっ! 何よ何よ何なのよ、あれはっ! せっかく私が、仲良く一緒にブドウ採ろうね、って言ってるものを……」

 私はブツブツつぶやきながら、それでも手を休めない。ひたすらえんえんと愚痴りながら、収穫を続けたが……。

「こうなったら、あいつらにはこのブドウわけてやんないんだからっ! ……あれ?」

 背後に気配を感じて振り返る。

「マリコルヌ!?」

 私は思わず声を上げた。カゴがわりのマントに満載のブドウを脇において、彼に歩み寄る。
 マリコルヌは、ヨタヨタとした足どりで、壁で体を支えながら立っている。ケガでもしたのか、両手で顔を覆っているが、指の隙間から見える限りでは、苦悶の表情を浮かべているようだ。

「どうしたの!?」

「僕はもうダメだ……」

 その瞬間。
 何とも言えない嫌な予感が走り抜け、私は一歩身を引いた。
 同時に。
 熱い衝撃が私の腹部を襲う。

「な……何を……」

 それ以上は言葉にならなかった。
 魔力を纏ったマリコルヌの杖には、私の血がベットリと。
 そして彼の目には、操られた者に特有の怪しい輝きが浮かんでいた。

「僕は……もう僕じゃないんだ」

 薄笑いと共に言うマリコルヌ。
 そして反対側からも声がした。

「大丈夫、まだ殺さないわ」

 いつのまに回りこんだのか。
 マリコルヌと同じく異様な目をしたシェフィールドが、冷笑を浮かべながら立っている。

「でも意識があると邪魔だから、ちょっと休んでいてもらいたいの……」

 ……私の腹につけられた傷は、いまや耐えがたいまでに熱く疼いている。体の力も入らず、壁にもたれかかることすら出来なかった。
 足がもつれ、バランスを崩し、後ろ向きに倒れる。手にした杖もすっぽ抜け、洞窟の壁に当たって、硬い音を響かせた。

「杖がなくては、メイジは無力……」

 シェフィールドの言葉も、もう耳に入ってこない。
 限界だった。
 私の意識が暗転する。

########################

 気がつくと、明るい光の中にいた。
 私の周りをいくつもの影が取り囲み、何やら口々に喚いている。
 その中で、一番最初に私が認識できたのは……。

「……ルイズ、大丈夫か? どこかまだ痛まないか?」

 私の使い魔、サイトの声だ。えらく取り乱した様子である。

「ダメですよ! まだ喋ってはいけません!」

「……ちゃんと回復するまで、もう少しかかる」
 
 これはシエスタとタバサ。
 見ればシエスタは、手に魔法薬らしき小ビンを持っており、その中身を、反対側の手で私の患部に塗り込んでいた。彼女が必死に、私を治療してくれているようだ。
 あと、タバサは『雪風』の二つ名を持つメイジ。『風』と『水』を混ぜたスペルを頻繁に用いているし、おそらく『治癒(ヒーリング)』くらいは使えるはず。ならばタバサもシエスタと一緒になって、治療してくれたのだろう。
 とりあえず、私は三人にコクンと頷いてみせた。

「……よかった」

 後ろで見守るキュルケの口から、そんな言葉が。
 キュルケの隣には、フレイムもいる。
 さらに後ろに、マリコルヌとシェフィールド。異様な雰囲気は消えているが、彼は今にも泣き出しそうな表情で、彼女は落ち込んだ顔をしている。

「……あなたたちが行ってからしばらくして、一度だけ、杖がぶつかるような音がしたの」

 近寄りながら、キュルケが説明を始めた。
 私が事情を聞きたそうな顔をしているのを見てとったのだろう。だから私が口を開く前に、彼女の方から語り出したのだ。さすが、この中で一番私と付き合いの長いキュルケである。

「初めは気のせいかとも思ったんだけど。でも嫌な予感がしたのよね。だから行ってみたら……」

 なるほど。
 どうやら私が落とした杖の音が洞窟内にこだまして、それがキュルケを呼んだようである。
 ……あれ? でも、そうすると……? まさか……ひょっとして……。

「……あの二人が倒れたあなたを襲ってるんで、あわてて二人をはり倒したわけ。でも私じゃ『治癒』は無理だし、途方に暮れてるところに、サイトたちが来てくれたの」

「ごめん、ルイズ。また左の視界が変わったから、ルイズがピンチだってのは判ったんだけど……間に合わなかった」

「いいえ、謝るべきは私たちだわ。いきなり睡魔に襲われて……そこから先の記憶がないの。気づいたら、みんなが慌ててあなたの治療をしていた」

「ごめん。本当に、ごめん……」

 キュルケが、サイトが、シェフィールドが、マリコルヌが。
 次々と私に語りかけてくる。
 私は微笑みながら、手をパタパタと振ってみせた。それから、あらためて視線を巡らせると、サイトが手にした一本の剣が目についた。
 サイトは、私の視線に気づいたらしい。

「これか? これがシエスタの言ってた武器の一つだ」

 武器の一つ? ……ということは、他にも取ってきたのか?
 しかし、その疑問までは判ってもらえなかったらしい。シエスタが剣の説明を始める。

「これが魔鳥の羽から作られたという剣です。魔鳥の咆哮(ブレス)のように恐ろしい武器ということで、私たちは『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』と呼んでいましたけれど……」

「実際は魔鳥の羽なんかじゃなくて、ゼロ戦の翼の部分の装甲だな。でも、こっちの世界の鉄板以上に硬い金属板だ。……よく研がれているし、剣としても立派に使える。俺の左手が保証する」

 サイトが補足し、ガンダールヴとして太鼓判を押した。

「……ま、詳しい話は後にしましょうよ」

 キュルケが、この場を取り仕切る。

「とりあえず、ルイズを回復させるのが先だわ。動けるようになったら、急いでこの場所を離れないと。この二人が操られたということは、敵に居場所を知られたってことで……」

『……いや、それは困るな』

 遠くで声が響いた。
 反響で声がこもってはいるが、あれは……『ジョゼフ』!

『聞こえるだろう? こちらでもお前たちの声は聞こえるんだがな。音が反響して、よくわからん。……面倒だから、そこまで通路を作る。危ないから、注意しろよ』

 言って、しばし沈黙。

「ふせろ!」

 何かを察して叫んだのは、デルフリンガーだった。
 剣に指図される情けない私たち。皆が一斉に伏せた瞬間。
 強烈な閃光が、私たちのいる空間を貫いた。
 ……やっぱり。
 私はこの時、確信した。

########################

 顔を上げた時、私たちのすぐそばに大穴が開いていた。トロール鬼やオグル鬼さえ立ったまま通れる大きさだ。
 それを見るなり、立ち上がるサイト。

「マリコルヌ」

 言って『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』を、彼に向かってほうり投げる。

「……?」

「行ってくる。ルイズを守ってやってくれ」

「そうだな、相棒。今の状況じゃあ、そうするべきだわ」

 デルフリンガーもサイトの行動を支持した。
 本来ならばガンダールヴであるサイトは、私の盾として傍らに付き添うべきだが、今の私は呪文詠唱も出来ない状態。ならば少し前に出て、敵を追い払うのも盾の役目……ということだろう。

「……私も行く」

 サイトに続くのはタバサ。さらにキュルケも。

「そうね。攻撃は最大の防御なり……ってね」

 彼らは、今あいたばかりの穴に向かって歩みを進める。キュルケの使い魔フレイムも、主人の後を追う。
 穴の口から突然わいて出たオーク鬼を、サイトは一刀のもとに切り倒し、別の一匹はタバサの氷に貫かれ、さらにキュルケの炎で燃やされた。
 そして三人と一匹は、穴の奥へと消えていく。
 剣戟や魔法攻撃の音が、徐々に遠ざかる。

「シエスタ……」

 マリコルヌが言う。

「ルイズを早く回復させてよ。動けるようになったら、僕たちも出ないと」

「わかっています。全力でやっていますけど……もう少しかかりますから、待っていてください」

 そんな私たちの様子を、シェフィールドは座ったまま、無言で眺めていた。
 下手に逃げようとしても、かえって巻き込まれる危険がある。だから動くに動けない。そうした意味合いなのだろうが……。

「大丈夫かな、アニキたち」

 三人が消えた深い穴へと視線を移しながら、マリコルヌがつぶやく。
 しかし。

「……それよりも、自分の心配をするべきだろう」

 聞こえる声に、振り向く一同。
 そこには黒衣の男が一人。
 ……ヴィゼア。

########################

「悪いが、今のうちにかたをつけさせてもらうぞ」

「そ……そうは……させ……」

 ようやく少し喋れるようになった。しかし身を起こそうとしても、体が言うことをきかない。

「だめです、まだ」

 シエスタが私を抑える。
 私は、言葉だけをマリコルヌへ。
 
「マリコルヌ……少し……時間を稼いで……」

「いいや……」

 彼は、ユラリと立ち上がった。
 珍しく、瞳の奥に固い決意の光をたたえて。

「ルイズには大きな借りを作ってしまったからね。時間を稼ぐくらいじゃ……許されないよ。それにアニキとの約束もある。こいつは……」

 右手に『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』を、左手に自らの杖を構えつつ、キッパリと言い放った。

「……僕が倒す」





(第四章へつづく)

########################

 第三部は、次回で完結。配役の都合上、前倒しで登場する主要キャラもいますので、乞う御期待。

(2011年5月6日 投稿)
    



[26854] 第三部「タルブの村の乙女」(第四章)【第三部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/09 20:53
  
「ほう、たいした自信だな……」

 まるっきり見下した調子で言うヴィゼア。たかが人間の少年ふぜいに負けるはずがない、という自信が滲み出ている。

「マリコルヌ!」

 私は声を上げる。

「魔力よ、魔力! あんたの自慢の『風』の魔法を叩き込むのよ!」

 魔族の存在など信じていなかったので話半分だったが、それでも、本で読んだ知識はちゃんと覚えている。
 それによると、魔族というのは精神生命体らしい。だから普通の武器だけで傷をつけることはできない。人間の『気』や『精神力』を武器に上乗せてして初めて、ダメージを与えることができる。
 さいわい、私たち人間が使う系統魔法は、『精神力』を消費して唱えるもの。だから魔族にも系統魔法は通用する。一方、エルフなどが扱う先住魔法は、精霊の力を借りた魔法であり、自らの『精神力』を用いていないため魔族には効かない……。
 これが、とある書物に書かれていた考察である。この理屈でいくと、私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』などは借り物の魔法だからダメということになりそうだが……。さすがに対象より遥か上位の魔族の力を借りているだけあって、バッチリ効果あるのだろう。

「無駄なアドバイスだな……。この子供の『風』程度が、私に通じるとでも?」

「僕は『風上』のマリコルヌだ! 僕の『風』を馬鹿にするな!」

 右手に『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』、左手に彼自身の杖。既に『ブレイド』も唱えており、杖は風の刃をまとっていた。
 両手に武器を手にした状態で、マリコルヌが走る。
 ヴィゼアの顔の右半面から、伸びる無数の白い鞭。

「ちいっ! 風の妖精さんは負けない!」

 右手の剣が一閃し、そのほとんどをなぎ払う。
 そしてマリコルヌは魔族に迫る!

「ほぉう!」

 ヴィゼアは高々と飛び上がり、ヒタリと天井にはりついた。さながら巨大な蜘蛛のようだ。先日やられた仲間の魔族をリスペクトしているのだろうか。

「どうやら少し、甘くみていたようだ。……思ったよりも面白くしてくれそうだな」

 うむ。
 見ている私も、少し驚いた。
 マリコルヌの手にした剣は、『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』というたいそうな名前こそついているものの、要するに頑丈な刀に過ぎない。それで魔族の肉槍を切れたということは……。
 剣にマリコルヌの精神力が上乗せされているということだ。それも、魔族に通じる程度の精神力が。

「面白い……だと!? ふざけるな!」

 吼えるマリコルヌは、天井の魔族に向けて、風魔法をぶっ放す。
 ヴィゼアはこれをかわしつつ、のしかかるようにマリコルヌめがけて飛び降りる。顔面から、白い鞭を無数に放ちながら。

「どわっ!」

 たまらず後退するマリコルヌ。
 ヴィゼアの肉の触手は大地を深々と貫き、つづいて本体が着地する。

「さすが、魔族。なかなかやるな……」

 不敵に笑うマリコルヌ。
 だが、今の攻撃を全部は回避しきれなかったようで、頭からダラダラと血を流していた。

「この程度……まだまだ序の口だぞ?」

 魔族が言った途端。
 マリコルヌの足下の地面が裂ける!

「なぁにっ!?」

 地中を這い進んだ魔族の触手である。
 真下から出現したそれを、マリコルヌはよけきれない!

「あぐぅっ!」

 左のふくらはぎと右の肩を貫かれてしまった。『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』も取り落とし、その場に片膝をつくマリコルヌ。
 貫いた触手は、とりあえず、左の杖の魔力の刃で斬り落としたが……。

「何やってんの!?」

 モタモタと剣を拾おうとするマリコルヌを、私は叱責する。そんな暇はないのだ。また触手が来るぞ!?

「だって……。アニキに言われたんだ、これでルイズを守れ……って!」

 そういう意味じゃなかろうに!?
 クラゲ頭のバカ犬に師事するだけあって、こいつも馬鹿だ!
 ええい、しかし放ってはおけない!

「ぐわっ!? ……貴様ぁっ!?」

 魔族ヴィゼアが悲鳴を上げる。
 私が、なけなしの精神力で、エクスプロージョンを放ったのだ。

「まだ無理しちゃダメです、ルイズさん!」

 シエスタの言うとおり。
 今の私の状態では、ちょっと無茶だった。
 虚無魔法を直撃させたのに、ヴィゼアは軽くよろけた程度。
 でも。
 援護としては十分だった。
 ヴィゼアに隙が出来たから。
 マリコルヌは『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』を拾い上げ、魔族に突撃する!

「くたばれぇっ!」

 肩をやられた右腕は使い物にならない。
 もう右手は添えるだけ。
 マリコルヌは、左手で、自分の杖とサイトから託された剣の両方を握っていた。
 これが思わぬ効果を発揮する。
 杖と一緒になったことで、剣にも魔力の刃が形成されたのだ!

「うおおおおおおおぉっ!」
 
 彼自身の咆哮と共に。

 ドッ!

 魔力を伴った『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』が、ヴィゼアの腹をまともに貫いた。

########################

「……馬鹿な。この私が……こんな……」

 その腹に大きな穴を開けながら、地面に崩れ落ちるヴィゼア。

「やった……」

 満足そうな笑顔で、マリコルヌも倒れ込む。
 無理もない。痛めた脚も気にせずに、全力で走り込んだのだから。しばらくは歩くことすら難しかろう。

「本当ね。よくやったわ、マリコルヌ。ちょっと見直したわよ」

「そうですわ! さすが貴族のメイジ様です!」

 私もシエスタも、労いの言葉をかける。
 たった一撃だが、あれで終わりだった。マリコルヌの全精神力を叩き込まれた魔族は、もうピクリとも動かない。
 やがて、ザアッという小さな音と同時に、その肉体は完全に散り崩れた。
 
「……どうしたの? 茫然としちゃって」

 私はチラリと、シェフィールドに視線を移す。
 我ながら、人の悪い質問である。

「い、いや……。魔族って、死ぬとあんな風になるんだな、と思って……」

 彼女は面食らった調子で答えた。

########################

「はっ!」

 サイトの魔剣が一閃し、オーク鬼の一匹を両断する。
 すでに戦いには、あらかた決着がついていた。
 『ジョゼフ』が『神聖棚(フラグーン)』に開けた穴を出たところ、つまりタルブの村の真っただ中である。
 ブドウ棚のまわりは、かなり大きな広場になっていた。少し離れて民家が建ち並び、そこから村人がこちらの様子をうかがっている。
 
「ふぎぃ! ぴぎっ!」

 少なくなったオーク鬼たちは、手に持った棍棒を振り回し、いきり立っていた。
 しかし。
 サイトのデルフリンガーの餌食になるもの。タバサの氷の矢に串刺しにされるもの。キュルケの炎の蛇に焼きつくされるもの。フレイムに押さえつけられ炎を吐きかけられるもの……。
 ついにオーク鬼は全滅する。
 その時点で。

「……ルイズ、傷はもういいの?」

 いつから気づいていたのか、キュルケが私たちに手を振ってみせる。

「はあい」

 私も元気に手を振り返す。

「ルイズ!」

 サイトが、やっとこちらの存在に気づく。私の使い魔なんだから、真っ先に気づくべきなのに。

「もう大丈夫なのか?」

「うん。完璧よ!」

 コクリと頷く私。傷はともかく、ほとんど精神力はカラッポで、魔法が使える状態ではないのだが……。敢えて言うまい。
 私たち四人は、三人と一匹の方に歩いていく。

「今回は死人軍団は出てこなかったぜ」

「前の戦いで、死体まで燃やしつくしたからね」

「……となれば残るはあの、ヴィゼアっつう魔族と……」

 キュルケに補足されながら説明するサイト。彼に向かって、私はアッサリと。

「あ、あいつはマリコルヌが倒してくれた」

「マリコルヌが!?」

 サイトとキュルケだけではない。タバサまでもが、同時に驚きの声を上げる。
 マリコルヌはビッと親指を立てて、三人に笑ってみせた。
 シエスタに肩を借りた状態なので、少し情けないが、まあ仕方あるまい。彼の性格上、若い女の子とこれだけ触れ合っていれば、ややこしいところに手を伸ばしそうなものだが、そんなことも今はしていない。それだけ彼に余裕がないという証拠だ。一応シエスタの薬で治療したのだが、まだ軽く足を引きずっていた。

「じゃあ……残るは……」

 キュルケは、オーク鬼の死体の向こう、飄々と佇む青髪の偉丈夫に視線を送る。

「あいつ……か……」

 呻くようにつぶやくサイト。
 私は杖をしっかり握って、静かに『彼女』の背中に押しつける。

「いいえ……茶番劇はそろそろおしまいにしましょう。……ねえ、シェフィールドさん……」

########################

「ええっ!?」

「はあ!?」

「……どういうこと?」

 一同、二人に注目する。

「……いつ、わかった?」

 あくまでシラを切り通すかと思いきや、彼女は、いともアッサリ私の言葉を肯定する。降参のポーズで両手を上げたので、私も答えることにした。

「初めにあんたを怪しいと思ったのは、あんたとマリコルヌに襲われた時よ」

 あの時、私の手からすっぽ抜けた杖の音で、キュルケが助けに駆けつけてくれた。では、敵は何故キュルケが来るのを防げなかったのか? マリコルヌやシェフィールドに術をかけて操れるほど、私たちの近くに来ていたのに……。

「敵は二人には接近できたが、キュルケを操れるほど近づいてはいなかった。二人が私を襲っている時、敵はキュルケを足止めすることも出来なかった。……素直に考えれば、理由は一つ。その『二人』の中にこそ、敵がいたから」

 マリコルヌのことは以前から知っている。ならば、消去法で犯人はシェフィールドとなるわけだ。

「なるほどねえ。じゃ、私からも一つ教えてあげよう。私は『操られた』ことについて、いきなり睡魔に襲われたって言ったけど……本当は違うのよ。それなのに、あのデブったら、否定もせずに、私に話を合わせちゃって……」

 クククッと笑いながら、彼女はマリコルヌを見た。
 皆が彼に注目する。彼は、なんだか顔を赤くしているが……?

「……あのね。私はそいつに、心を操る秘薬を、口移しで飲ませてやったのよ。それをそいつったら、私が本気でキスしたんだと思い込んで……。クックッ、そんなわけないじゃない」

 ……おい。
 一同のマリコルヌを見る目が、色々と変わった。呆れたような目、蔑むような目、汚いものを見るような目……。なぜか羨むような目が一つあるが、今は気にしないでおこう。
 ともかく。
 対ヴィゼア戦でマリコルヌが妙に頑張った理由が、少しわかった。私への罪悪感から……というのは思ったとおりだとしても、その『罪悪感』の中身は、私たちの予想以上だったわけだ。
 きれいなお姉さんとキスしていたら、いつのまにか意識を失ってしまって、敵の操り人形でした……。そりゃあ、よほど奮闘しなきゃ自分で自分を許せんわなあ。こいつだって、それなりにプライドの高い貴族なわけだし。

「……で、私への疑いを確信したのは?」

 ひとしきり笑った後、シェフィールドは再び私に聞いてきた。

「『ジョゼフ』が『神聖棚(フラグーン)』を魔法でぶち抜いた時」

 もしも敵が洞窟内で私たちを見つけ、再び外に出たのであれば、私たちのところまで『ジョゼフ』を案内できたはず。
 それに、あの狙いはあまりにも正確すぎた。結局のところ、『敵』は私たちの中にいるとしか考えられなかった。

「考えてみれば、他にもおかしなことはあったわ。蜘蛛男があんたを狙った時、やたらとモリエール夫人があんたをかばったし……。あんたが気絶している間、あの『ジョゼフ』はボーッと突っ立っていたし……。モリエール夫人も『ジョゼフ』も、あんたが操っていたんでしょ!?」

「……ちょっと違うけどね」

 ふてぶてしい笑みを浮かべながら、彼女が補足する。

「モリエールなんて、単なる死体人形さ。……あいつは、ジョゼフ様を愛したとジョゼフ様から認められて、それでジョゼフ様に殺されたんだ。ジョゼフ様は……自分を愛する者を殺したら普通は胸が痛むのではないか、と期待なさって……」

 私は思い出す。
 無能王ジョゼフは、心が空っぽで、喜んだり悲しんだり出来ない男だった。

「……そんな理由なら、彼女ではなく、私でも良かったはずなのに」

 あ。
 この人が私たちを追い回していたのは……。

「ジョゼフ様……。あなたはどうして最後まで、この私を見てくださらなかったのです? どうしてこの私を、御手にかけてはくださらなかったのです? 私はただ少女のように、それのみを求めていたというのに……」

 彼女は『ジョゼフ』に視線を向けている。でも、おそらく彼女の脳裏には、在りし日のジョゼフの姿が浮かんでいるのだろう。
 それから、小さく首を振って。

「あそこにいるジョゼフ様は、モリエールのような死体人形じゃない。『スキルニル』という、血を吸った人物に化けることができる魔法人形……古代のマジックアイテム。その能力も一緒にね……」

 なるほど。
 だから本物のジョゼフのように、虚無魔法まで使えたわけか。
 しかし……よく考えてみると、少し変だぞ!? 魔法を操るには、精神力が必要だ。いくら能力までコピーしたとはいえ、人形ごときに、それだけの精神力があるのだろうか!?
 そんな私の疑問が顔に出ていたらしい。シェフィールドはニヤッと笑った。

「普通は、剣士や戦士の『スキルニル』で遊ぶんだけどね。さすがジョゼフ様の『スキルニル』だけあって、本物そっくりの魔法まで使われる。……まあ、他ならぬ私だからこそ、これだけ『スキルニル』も使いこなせるわけだけど」

 彼女は、高く掲げた右手の指をパチンと鳴らす。
 それが合図だったのだろう。
 周囲の建物のかげから、さらに大量の『スキルニル』が現れた。

「……ひっ!?」

 怯えた声を上げたのは、誰であったか。
 私たちを取り囲む『スキルニル』は……。
 すべてジョゼフの姿をしていた。

########################

「見たかい!? どの『スキルニル』にも、私が回収した御遺体の塵をまぶしてある! 本物のジョゼフ様と同じように虚無魔法も使われるよ!」

 さすがに動揺して、硬直する一同。
 その隙に。

「ふっ!」

 シェフィールドは、いともアッサリと私たちの囲みを突破する。
 最初の『ジョゼフ』のもとに駆け寄って、跪き、頭を下げた。

「……ただいま戻りました」

 先ほどの彼女の説明からして。
 私たちが倒し、塵と化したジョゼフ=シャブラニグドゥ。風に吹き飛ばされたはずだったが、どうやら彼女は、それを拾い集めて利用しているらしい。ああやって一人にかしずくということは、あの『ジョゼフ』にこそ、一番多く塵を費やしたということか……。
 しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。彼女に対する『ジョゼフ』の呼びかけが、さらに私たちを驚愕させたのだ。

「ご苦労だったな、余のミューズよ」

 ミューズ!?
 それって……。
 私は、ギギギッとタバサに顔を向けた。
 タバサが頷く。

「……『ミョズニトニルン』のこと。シェフィールドの正体は、ジョゼフの使い魔。私も気づかなかった。迂闊」

「もう違うけどね。ジョゼフ様が亡くなられて、絆であったルーンも消えてしまった……。でも以前に起動させた『スキルニル』は、まだ、こうして動いてくれている」

 タバサの声に応じるシェフィールド=ミョズニトニルン。

「……納得。モリエール夫人たちを動かしていたのは、やはりアンドバリの指輪。マリコルヌを操った魔法薬は、おそらく、まだ彼女が『ミョズニトニルン』だった頃にアンドバリの指輪を少し削って作ったもの」

 思考を言葉に出すタバサ。
 やばい。饒舌タバサというのは、彼女が冷静でない証拠な気がする。
 案の定。

「ラグーズ・ウォータル・イス……」

「やめて、タバサ!」

 大技の呪文を唱え始めたタバサを、私は慌てて制止した。
 たぶん今のは『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』。発動すればタバサの周りを無数の氷の矢が回転するのだろうが、私たちのことも考えて欲しい。ジョゼフ=スキルニルの大軍に包囲された現状では、避難することも出来ないのだ。
 私の精神力さえ満タンならば『解除(ディスペル』で、全てのジョゼフ=スキルニルを元の人形に戻せそうだが……。今日はもう虚無魔法は打ち止めだ。
 かといって、魔王の力を借りる『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』が、ジョゼフ=スキルニルに通じるかどうか。それに、こんな村のど真ん中では、さすがにあれは使えない……。

「ルイズさん」

 いつのまにか私の近くまで来ていたシエスタが、小さな声で言う。

「タバサさんに聞いたんですけど……。ルイズさんは、魔王を超える魔王の力を借りて、すごい呪文を使うって……」

 重破爆(ギガ・エクスプロージョン)。
 全ての時と星々の闇をあまねく支配する『金色の魔王(ロード・オブ・ナイトメア)』の力を借りた術である。

「あの術は、絶対に使わないでください」

「あ……あのねえ……。そりゃ、こんな場所でぶっ放したら、それこそタルブの村は……」

「いえ、そうじゃないんです」

 強い調子で止めるシエスタ。

「できれば……一生涯、使わないで欲しいんです」

「……は?」

 いきなりな頼みごとに、私は目を剥く。

「かつて魔鳥ザナッファーからタルブを救った英雄が……村に、こんな言い伝えを残しました。『金色の魔王よみがえる時、ハルケギニアは空へと浮かび、世界は全て滅びるだろう』……と」

 なんじゃそりゃ!?

「私たちもよくわからないんですけど……この『金色の魔王』って、ルイズさんの魔法のキーになる人なんですよね?」

 伝承によれば。
 このハルケギニアは、『混沌の海』とか『大いなる意志』とか呼ばれるものの上に作られた世界の一つ。
 そして、その『混沌の海』に天空より堕とされたのが、『金色の魔王』。
 それが……下から蘇ってきて、この大地を空へと浮かび上がらせる!? 世界を滅ぼすですって!?

「す、す、すごい話ね……」

 ……呪文の制御に失敗しなければ、大丈夫なはず。あるいは、言い伝えそのものが間違っているかもしれない。
 それでも、シエスタの真剣な表情を見ると。

「わかったわ。絶対に使わない」

 私は、そう言うしかなかった。

########################

「ミューズよ。私も少し彼らと遊びたいのだが……」

「御意。……ただし虚無の娘だけは、殺してはなりませぬ。あの娘の中にこそ、ジョゼフ様をジョゼフ様たらしめるモノが眠っていますゆえ……」

 私たちを遠目に見ながら、『ジョゼフ』とシェフィールド=ミョズニトニルンが物騒な会話をしている。
 彼女は、私を必要としているようだが……。
 ジョゼフをジョゼフたらしめるモノ? それって……まさか!?

「しかしミューズよ。どうやら彼らは、ここでは本気を出せない様子。それでは面白くない。さて、どうしたものか……」

「ならば……まずは舞台を整えることから始めましょう」

 そう言って彼女は、懐から小さな赤い石を取り出した。赤い、というより、透明なボールの中に炎を閉じこめたような、不可思議な光彩を放っている。
 見た瞬間、嫌な汗が背中に流れた。だが、私が行動するより早く。
 彼女は赤い石を空高く放り投げた。
 同時に、私たちを取り囲んだジョゼフ=スキルニルたちが、いっせいに杖を掲げる。サッと何かつぶやいたかと思うと、周囲の彼らごと、私たちを赤い空気の層が覆った。

「これは……!?」

「驚くこともなかろう。『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の力を借りた魔力障壁だ。この程度の芸当、お前でも出来るはずだが……?」

 出来んわい。
 だが、そんなことより! それだけ強力な結界をはったということは……。まさか、こいつら!?

「やめてっ! おねがいっ!」

 私が叫んだその時。
 重力に引かれて落ち始めた赤い石。それに向けて、『ジョゼフ』が杖を振る。
 障壁の外が、まばゆい光に覆われた。

「なっ!」

「何!? 何があったの!?」

「なんだっ! こりゃあっ!」

 口々に叫ぶ一同。
 その中で私は、『ジョゼフ』とシェフィールド=ミョズニトニルンから視線を逸らさなかった。
 理解していたからだ。
 この瞬間、タルブの村が完全に壊滅したことを……。

########################

 光がおさまり、外の様子が見え始める。

「っ……!」

 最初に悲鳴を上げたのは、他ならぬシエスタだった。クタリと気を失い、その場に崩れ落ちる。
 慌てて抱きとめるサイト。
 土煙のおさまりつつある障壁の外には、私が予想したとおりの光景が広がっていた。
 すなわち……一面の荒野。
 ほんのしばらく前まで、ここには村があり、人々が笑い、喜び、生活を送っていた。そのわずかな痕跡すら、何ひとつ残っていなかった。
 巨大な洞窟と化していた『神聖棚(フラグーン)』さえ、完全に消滅している。

「今のは『火石』と言ってね。生前のジョゼフ様がエルフに作らせたものさ」

 涼しい顔でシェフィールド=ミョズニトニルンが言う。

「……あんた……わかっているの? 自分たちが今、何をしたのか……」

 かすれた声で言う私に、彼女は満足そうな笑みを向ける。

「ジョゼフ様は以前、地獄を見たいとおっしゃっておられた。そうすれば少しは心が動かされるかもしれない、と。……ジョゼフ様が想定しておられたものと比べれば、この程度、たいした話ではない」

「たいした話ではない……だと?」

 つぶやいたのはサイト。静かな声に、彼の怒りが秘められていた。
 心が震えているのだろう。左手のルーンは強く輝き、手にしたデルフリンガーも、まばゆいばかりに光っている。

「ふざけるなっ!」

 シェフィールド=ミョズニトニルンたちに向かって、真っ正面からかかっていく。
 ユラリ……。『ジョゼフ』が一歩、前に出る。

「ほう。ようやく本気を出す気になったか。少しは楽しめるとよいのだが……どうせ心は動かんのだろうな……」

 真っ向から振り下ろされるデルフリンガーの一撃に、『ジョゼフ』の体がクルリと一回転。青い髪が宙に躍る。

 ガヂッ!

 鈍い音がして、二人は離れて間合いを取った。
 サイトの表情が引きつっている。

「嘘でしょ……!?」

 見ている私も驚いた。
 どうやら『ジョゼフ』は、振り下ろされる剣の腹を回し蹴りで叩き、その勢いに任せて体を回転させ、反対の脚の蹴りでサイト自身を狙ったらしい。サイトはサイトで、ちゃんとかわしたようだが……。
 恐るべき『ジョゼフ』の体術。ガンダールヴのスピードに対応できるなんて、化け物以外の何者でもないぞ!?
 そもそも私にしたところで、今の攻防は、ハッキリ見えたわけではない。半分は『感じ取った』こと。私がガンダールヴの主人であるからこそ、何となく判ったことだった。

「……そんなに驚くことはないでしょう?」

 向こう側の傍観者シェフィールド=ミョズニトニルンが、何でもない口調で言う。

「ジョゼフ様は虚無の担い手。『加速』の呪文を使えば、ガンダールヴの力も及ばぬスピードが出せる。……むしろ、これでは遅いくらいだわ。やはり本物のジョゼフ様とは違うのですね……」

 冗談ではない。ガンダールヴを超えるなど……。
 だが、ならばそんな化け物は相手にしなければいい!
 淡々と語る彼女に向かって、タバサの氷とキュルケの炎が迫る!
 例の『ジョゼフ』はサイトと対峙しており、シェフィールド=ミョズニトニルンの意識もそちらへ向いていた。この氷炎はかわせないはず……。

「ルール違反だよ……」

 顔をしかめるシェフィールド=ミョズニトニルン。
 いつのまにか彼女の前に、二体のジョゼフ=スキルニルが移動していた。その二体が盾となり、杖を振り、タバサとキュルケの魔法攻撃をあしらう。

「……お前たちと遊びたいのは、ジョゼフ様だ。私じゃない」

 勝手なルールを押しつけるな!
 しかし、そっちが『ジョゼフ』一人しか戦わせないというなら、それはそれで好都合。ジョゼフ=スキルニル軍団は、私たちが逃げないように人壁になっているが、それだけのようだ。戦力として投入する気はないらしい。
 完全に私たちは、もてあそばれているわけだが……。その間に、何とかしないと!

「ルイズ……。あなたの得意の虚無魔法は?」

「ごめん。ちょっと待って」

 小声で話しかけてきたキュルケに、私も小さな声で答える。
 怒りで心が震えたのはサイトだけではない。私も同じだ。そして心がふるえれば、精神力も高まる。
 この状態ならば、少しくらいは虚無魔法も使えそうだが、でも、あくまでも少しだけ。タイミングを見計らわないと……。
 そう思った時。

 バサッ!

 上空から巨大な風が。
 見れば、一匹の青い風竜が私たちの真上に来ていた。

「呼ばれたから、ちゃんと来たのね! 少し遅れちゃって、ごめんなのね!」

「……遅い」

 竜が喋った!?
 でも驚いている場合ではない。相手しているタバサの言葉から察するに、この竜はタバサの仲間だ。
 ならば……。
 突然の乱入者に、敵味方ともども驚いている今がチャンス!

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……」

 少しだけ『解除(ディスペル)』を唱える。詠唱時間が短いため範囲は狭いが、今の私の精神力では、この程度が精一杯。
 それでも、囲みの一画を壊すには十分だった。右側に並ぶジョゼフ=スキルニルの数体が、小さな人形に戻って、地面に転がる。

「あっちよ!」

「みんな私に乗るのね!」

 私の指示に続いて、風竜も叫ぶ。その背に乗って、大脱出を試みる私たち。

「……待ちなさい!」

 シェフィールド=ミョズニトニルンが命じたのか、『ジョゼフ』が命じたのか。
 ジョゼフ=スキルニル軍団がエクスプロージョンをボンボン打ってくるが、大きなものではない。やはり、あのシェフィールド=ミョズニトニルンの傍らの『ジョゼフ』以外は、レベルが少し落ちるようだ。もちろん、数が多いだけに、それでも十分な脅威ではあるのだけれど。

「ぎゃあああ。怖いのね! あんなの食らったら、さすがの私も無事では済まないのね!」

「……がんばれ。当たらなければ大丈夫」

 タバサに叱咤激励されながら、風竜は飛ぶ。
 もはや私に出来ることは、この竜がちゃんと避けてくれることを祈るだけ。

「なあ、ルイズ」

 竜の背にしがみついたまま、サイトが話しかけてきた。反対側の腕では、まだ失神状態のシエスタを抱えている。
 ちなみにキュルケとタバサとマリコルヌは、少しでも魔法攻撃に対抗しようと、それぞれ炎と氷と風を飛ばしていた。
 私とは違って、彼らには、まだ魔法を使うだけの精神力が残っているらしい。彼らの系統魔法は、虚無ほど精神力を浪費しないからね。

「……何よ、サイト?」

「結局、空へ逃げるんだったら……。さっきの魔法、無駄だったんじゃねえか?」

 あ。
 どうやら私、貴重な精神力を無駄遣いしたようだ。

########################

 私たちが逃げ込んだのは、『臭気の森』の中だった。
 タルブの村の爆発は、この近くまで及んでいたが、それでも森の半分くらいは残っていたのだ。
 例の『ジョゼフ』は『加速』を使えるわけだが、ジョゼフ=スキルニルたちは使えないのか、あるいはシェフィールド=ミョズニトニルンがお荷物となったのか。なんとか彼らを振り切って、私たちは、ようやく一息つく。
 まずは、新参メンバーの紹介である。

「……これはシルフィード。私の使い魔」

「『これ』言うな、ちびすけ」

 使い魔である風竜が、主人であるメイジにツッコミを入れる。それから、私たちを見回して。

「それにしても……。ペルスランもミスコールもソワッソンも、ずいぶんと面変わりしたのね」

「……違う。別人」

「わかってるのね。冗談なのね」

 竜のセンスは理解できない。
 しかし……今の会話でわかったことがある。この使い魔、最近召喚されたものではない。タバサがジョゼフ陣営にいた頃からの使い魔だ。ならば、以前の戦いでは、なぜ……?

「ちょっと待って。もしかして……さっき言ってた『遅れた』っていうのは……?」

 何かに気づいたらしいキュルケ。
 タバサが頷く。

「……そう。ジョゼフのもとから離れる際に呼んだ。でも今頃ようやく来た」

 おい。
 それは遅れ過ぎだろう!?

「仕方ないのね! 私はお父さまとお母さまから、『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理を任されているのね。あそこの竜たちからは『長老』って呼ばれてるくらい。……だから忙しいのね! お姉さまの旅にも同行できないし、すぐには来れないのね!」

 無茶苦茶な話である。
 主人を放っておくというのも使い魔失格であれば、風竜のくせに『火竜』山脈の管理というのも……。
 ……ん?

「ねえ、あんた。……えーっと、シルフィード……だっけ? ひょっとしてシルフィード、ただの風竜じゃなくて、韻竜なんじゃないの?」

「おお! さすが、お姉さまのお友だち! 私のこと知ってるのね!」

 なるほど、少し理解できた。
 韻竜を使い魔にするというのも凄い話だが、いくらタバサでも、完全に制御できていないわけか。それに、韻竜ならば喋れるのも当然。
 ……と納得した私を、サイトがチョンチョンと突っつく。

「なあ、ルイズ。韻竜って何?」

「伝説の古代竜よ。知能が高く、言語感覚に優れ、先住魔法を操る……」

「そうなのね!」

 シルフィードが胸を張る。人間とは違うので判りにくいが、たぶん胸を張っているのだと思う。

「……ずっと昔に絶滅したって聞いてたわ」

「違うのね!」

 シルフィードは平然としているが、この竜の存在がおおやけになったら、大騒ぎだろう。
 まあ私たちは、虚無とか魔族とか魔王とか、おおやけに出来ないことに色々と関わっている者たちである。今さら韻竜の一つや二つ、なんてこともない! ……まったく自慢にならないけど。

「……で、私も事情を知りたいのね。お姉さま、いじわる王にこき使われていたはずだったけど……なんだか状況が変わったみたいなのね?」

 タバサが頷く。それから視線を私に向けた。無口な自分ではなく、私に説明役のバトンを渡したらしい。

「わかったわ。少し長くなるけど……」

 私は、ゆっくりと語り出した。私たちがタバサと出会った頃からのストーリーを……。

########################

「……お姉さま、すごい! やっと、いじわる王を倒したのね! ……でも、今は大変なのね」

 タバサに話しかけるシルフィード。興奮したり、しょんぼりしたり、なんとも感情豊かな竜である。
 そんな微笑ましい主従の様子を見ていたら、キュルケが私に。

「ねえ、ルイズ。あの女の言葉……どういう意味かしら? ルイズの中に、ジョゼフをジョゼフたらしめるモノがあるって……」

 シェフィールド=ミョズニトニルンの発言だ。私ならば何か想像してるんじゃないかと、キュルケは思ったらしい。

「ああ、あれね。推測だけど……。たぶん彼女の目的は、ジョゼフの仇討ちではないわ。……ま、それもあるかもしれないけど、メインは別。彼女はジョゼフを蘇らせたいのよ」

「ジョゼフを……蘇らせる!?」

 死体すら残らず、塵となったジョゼフ。彼を本当に復活させることなど、さすがの『ミョズニトニルン』でも無理だろう。
 しかし彼女の手元には、生前のジョゼフの血を利用した魔法人形『ジョゼフ』がある。せめて、あの『ジョゼフ』を、より本物に近づけたい……。
 そんなところではないか。

「……ああやって人間の姿で出てきたところから見て、シェフィールド=ミョズニトニルンが血を採取したのは、魔王として覚醒する前のジョゼフだわ。そのくせ『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の力を借りた呪文も使ってくるけど……」

 あれは、あとから加えた塵の影響なのか。
 それとも、生前のジョゼフも使えた呪文なのか。私が竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)を使えるように、ジョゼフが『赤眼の魔王(ルビーアイ)』の魔法を使えたとしても不思議ではないのだ。

「……まあ、どちらにせよ。あの『ジョゼフ』は『魔王』ではない。そしてシェフィールド=ミョズニトニルンは……魔王じゃないジョゼフなんて本当のジョゼフじゃないと考えてる。だから、どこかから魔王の魂を探し出してきて、あの『ジョゼフ』の中に移植したいんでしょうね」

「でも、魔王の魂だなんて……そんなもの……」

 キュルケの言葉が尻すぼみになる。私の考えがわかったらしい。

「まさか……!?」

「そのまさか、よ。真偽は別として、あの女、信じてるんだわ。ジョゼフと同じ『虚無』の私なら……『魔王』を内封しているに違いない、と」

 かつて始祖ブリミルは、その身に『赤眼の魔王(ルビーアイ)』シャブラニグドゥを封印したという。
 ブリミルの死後、魔王の魂は分断されて、ブリミルの子孫の中に転生していくらしい。そして、私やジョゼフが『虚無』の魔法を使えるのは、始祖ブリミルの血を引いているからこそ……。

「ちょっと、ルイズ! それじゃ……あなたも、いずれ……」

「バカ言わないで。あの女がそう思ってる、ってだけよ。……私はバケモノなんかにならないわ。それに、もし万一、私が魔王になった時は……」

「……わかったわ。ライバルのあたしが、キッチリあなたを倒してあげる」

 勝手に私の言葉を引き継ぐキュルケ。
 でも違う。もしもの場合、魔王ルイズ=シャブラニグドゥを滅ぼすのは、キュルケではなく……。
 ……あれ?
 周囲を見渡した私は、サイトがいないことに気づいた。

「あ! サイトさんなら、あの竜さんをタバサさんから借りて、乗って出かけましたわ。なんでも、探したいものがあるとか……」

 私と目があったシエスタが、教えてくれる。長話の間に、彼女も意識を取り戻していたらしい。

「ほら、ここには、アニキの世界から来た『魔鳥』の残骸が転がってるからさ。武器として使えるものがあるんじゃないか……って」

「『咆哮の剣(ブレス・ブレード)』以外は、『神聖棚(フラグーン)』の中に置いてきちゃいましたから……」

 マリコルヌとシスエタの説明で、サイトの意図は理解できたが……。
 御主人様である私に黙って行くとは。戻って来たら、お仕置きね!
 ……と、少し私がプンプンしたところで。

 ガサ……ガサッ!

 近くの茂みが、嫌な音を立てる。
 そして。

「……こんなところに隠れていたのか。でも、もう逃げられないよ……」

 シェフィールド=ミョズニトニルンと『ジョゼフ』が現れた。
 背後に大量のジョゼフ=スキルニルを従えて……。

########################

 タルブの村で対峙した時とは違う。
 今回は、ジョゼフ=スキルニルに取り囲まれているわけではない。彼らは一つところにかたまっている。
 それでも、逃げ出すのは難しいだろう。さっきとは違って、タバサの竜はいないのだ。サイトが連れていっちゃったから!

「ミューズよ。あの虚無の娘、もう精神力がゼロだと聞いていたが……さきほどは『解除』を使いおったな?」

「申しわけありません。私の読み誤りでした」

「ならば……これくらい簡単に相殺できるのかな?」

 シェフィールド=ミョズニトニルンの隣の『ジョゼフ』が、錫杖を上に掲げた。
 それが合図だったらしい。
 二人の後ろのジョゼフ=スキルニル軍団が、一斉に呪文詠唱を始めた。
 これは……エクスプロージョンだ!
 冗談ではない。いくらジョゼフ=スキルニルの力が『ジョゼフ』より劣るとはいえ、この数はシャレにならない!

「ルイズ!?」

 キュルケの言葉に、答えている暇はなかった。
 虚無魔法を撃つだけの精神力は、もう私には残っていない。ならば……手段は一つ!

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

 間に合うのか!?
 虚無魔法や失敗爆発魔法とは違って、ちゃんと最後まで詠唱しなければ発動しないのだが……。

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 間に合った!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 私は杖を振り下ろす。
 同時に、ジョゼフ=スキルニルの大群も。
 ……魔法と魔法が激突する!
 
 ゴワアァァッ!

 森が悲鳴を上げたかのように。
 轟音が鳴り響いた。
 この瞬間……。
 タルブの村に続いて、『臭気の森』も消滅した。

########################

 無数のエクスプロージョンに、カウンターとして竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)をぶつけたのだ。
 ……無理もない。爆煙がおさまった時、もう辺りには何もなかった。

「あわわ……」

「……」

 マリコルヌは腰を抜かしており、シエスタは硬直している。フレイムも動かないが、これも固まっているのだろうか?
 一方、キュルケとタバサは、私と同じく、杖を振り下ろした姿勢。
 そう、私だけではない。
 二人は、絶妙のタイミングで防御魔法を放ったのだ。私が魔法を撃った後、そして向こうのが届く前。
 もちろん炎の壁も氷の壁も、エクスプロージョンを相手にしたら、焼け石に水。それでも、爆発の——ド級魔法がぶつかりあった衝撃の——余波から私たちを守るには、十分な役割を果たしてくれた。

「さすが……私の『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』だわ……」

 一方、敵は魔力障壁も何も用意していなかった。余裕だったのか、あるいは、こうした状況に慣れていないのか。
 ともかくも、今の一撃に巻き込まれて、ジョゼフ=スキルニルの数が少しだけ減っていた。
 やはりジョゼフ=スキルニルなど、しょせん魔王覚醒前のジョゼフの血を用いた人形。『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』が通用するらしい。
 こうなれば……私の生体エネルギーが尽きるまで、連発するしかない!?
 そう決意した時。

「わりい! 遅くなった!」

 背後からかけられた声に、私は振り返った。

########################

 青い竜に乗った、青い服の少年。
 まるで竜の騎士だが、そうではない。私の大切な使い魔……サイト!
 この危機的な状況の中、思わず顔が明るくなる私。
 力がみなぎってくる。
 よーし! こうなったら……いくらでも『竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)』を撃ってやるぞ!

「ルイズ! この武器ならば……」

 サイトの視線が、騎乗している竜の口元へ。
 竜は口に何か加えているのだが、それが彼の言う『武器』なのだろう。
 でも私は呪文詠唱中。だからサイトに目だけで合図する。
 サイトは、私の意図を了解したらしい。
 彼は、竜と共に、シエスタのもとに降り立った。

「サイトさん!?」

「シエスタ! 討たせてやるぜ……お前の村と、家族のかたきを……」

 二人の言葉を耳にしながら。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

 本日二発目を放つ私。
 うわっ、さすがにキツイ。やっぱりコレ、連発するような呪文じゃない。
 『ジョゼフ』側は、またエクスプロージョンで相殺したようだが……。

「……愚かな! その程度で私たちを倒せると思っているのかい!?」

 シェフィールド=ミョズニトニルンが嘲笑う。
 爆煙の向こう側なので、彼女の姿は見えない。おそらく、自分たちの優位を疑っていないのだろう。
 だが。
 この爆発を煙幕にして、すでにサイトの準備は完了していた。
 シエスタと前後に並んだサイトは、長い棒状の物体を、二人で肩に抱えている。

「ならば、これはどうだ!」

 サイトの言葉を合図に、シエスタの手が動く。
 その瞬間。

 ダダダダダダダダダダッ……!

 魔法ともハルケギニアの武器とも違う音が、辺りに響き渡った。

########################

 誰でも普通、見た事もない武器を目にすれば、それなりの防御をするであろうが……。
 状況が私たちに味方した。
 爆煙が目くらましになったのだ。
 だからシェフィールド=ミョズニトニルンたちは、知らない武器を突きつけられたことすら、気づかなかった。彼らは、モロにその攻撃をくらって……。

########################

 完全に煙が晴れた時。
 ジョゼフ=スキルニルは、全てその場に倒れていた。
 シェフィールド=ミョズニトニルンと『ジョゼフ』も、体中を撃ち抜かれて、重なり合うようにして横たわっている。
 まだ小さな人形にこそ戻っていないが、もう『ジョゼフ』は、もの言わぬ人形……。

「お前たちではなく……ジョゼフ様に殺していただきたかった……」

 ゴボッと血を吐きながら、彼女は言う。

「復讐を果たして……魔王の魂も手に入れて……ジョゼフ様を復活させて……その後で……」

 やはり。
 だいたい私の推測どおりだったようだ。だからこそ「生きたまま」という条件付きで、私たちを手配していたわけだ。
 魔王云々に関して言うならば、私以外は死んでいても構わないはず。だが、やはり自分の手でジョゼフの仇討ちをしたかったのだろう。それだけでなく、私を相手にする際の人質として利用する気もあったのかもしれない。
 そして。
 彼女は、タバサに視線を向けた。

「……教えてやろう。ジョゼフ様が、ああなったのは……お前の父親のせいなんだよ……」

「……お父さま?」

「ああ。そうさ……」

 幼少の頃から、魔法の才がないことで軽蔑されていたジョゼフ。特に、ジョゼフの弟シャルル——タバサの父——が才能あふれるメイジだっただけに、周囲の風当たりはいっそう強かった。
 しかし彼の父——先代のガリア王——が死ぬ際、父王は告げた。

『……次王はジョゼフと為す』

 ジョゼフは大いに喜んだ。弟の悔しがる顔が見れると思った。ところが。

『おめでとう。兄さんが王になってくれて、本当によかった。僕は兄さんが大好きだからね。僕も一生懸命協力する。一緒にこの国を素晴らしい国にしよう』

 邪気のない笑顔。
 それが、ジョゼフの心を壊す第一歩だった。

「……ジョゼフ様も、お前の父親のことは愛しておられた。でも、その瞬間、それが憎しみに変わったのだ。お前の父親の才と優しさを恨み、その兄であることに絶望し……みずから弟を毒矢で射抜いたのだ」

 しかも。
 その行為自体が、さらにジョゼフを壊してしまった。
 最大の愛憎の対象がこの世から消えたことで、もう何をしても、心が動かされない。ジョゼフは、自分の心が空虚になったことに気づいた……。

「……何よ、それ!? そんなの逆恨みじゃない!?」

 他人の私が、口を挟むべきではなかったかもしれない。それでも、叫んでしまう。
 そんな私に、シェフィールド=ミョズニトニルンは何も答えない。ただ、ゆっくりと視線を動かして、私とサイトとを見比べていた。

「あの武器は……?」

「魔鳥ザナッファーの死骸……と呼ばれていた物の一部だ。実際には、俺の世界から来た兵器なんだけどな」

「異世界の武器……か」

 頷いたシェフィールド=ミョズニトニルンに、サイトが説明する。
 あの『神聖棚(フラグーン)』の中で、シエスタの言っていた『長いトゲから作った物干し竿』を見て、サイトはピンときた。
 それは、ザナッファーことゼロ戦の、機銃の部分だったのだ。
 ならば『臭気の森』の中には、同じようなものが——まだ使えるものが——転がっているかもしれない。
 そしてサイトは、期待していた物を発見。いや、ある意味、期待以上だった。機銃の一つを改良して、ゼロ戦とは独立して使える機関銃となったシロモノ。しかも、誰も使う者がいなかったせいか、まだ銃弾もタップリ残っている……。

「……触ったら、ガンダールヴのルーンが教えてくれた」

「そうか……。ガンダールヴの力か……」

「なあ、一つ教えてくれ。あんたも……俺みたいに地球から来たのか?」

 虚無の使い魔だから、同じように異世界出身かもしれない……。そんな可能性をサイトは考えたようだが。

「……チキュウ? 知らないね。私は……ロバ・アル・カリイエからジョゼフ様に召喚された。シェフィールドも……ミューズも……本当の名前じゃない……」
 
 もう会話はおしまいと言わんばかりに、彼女は、顔をジョゼフの人形へと向ける。

「……ガンダールヴの力に負けた。ジョゼフ様から頂いた……ミョズニトニルンの力が……」

 彼女の『ミョズニトニルン』の能力で操ってきたスキルニル。『ミョズニトニルン』だからこそ使いこなせた、尋常でないレベルのスキルニル軍団。
 それを一掃したのは、サイトの『ガンダールヴ』の能力で使われた武器。『ガンダールヴ』だからこそ使い方も判った、彼の世界から来た武器。
 シェフィールド=ミョズニトニルンにしてみれば、これは『ガンダールヴ』の勝利であり、『ミョズニトニルン』の敗北であった。

「これが……私たちと……お前たちとの差なのか……。私とジョゼフ様との間にあったのは……絆ではなく……私の一方的な愛……」

 彼女は、小さく首を振る。

「いや……違う……。私が負けたのは、もう私が……『ミョズニトニルン』ではないからだ……」

 彼女の使い魔としてのプライドか。『ミョズニトニルン』の敗北を認めるわけにはいかないのか。
 自分の額を触るシェフィールド=ミョズニトニルン。おそらく、かつては、そこに『ミョズニトニルン』のルーンが刻まれていたのだろう。
 それから。

「ジョゼフ様……今……おそばにまいります……」

 人形『ジョゼフ』の口に、鮮血で汚れた唇を押しあてて。
 彼女は、動かなくなった。
 これが……。
 主人であるメイジを愛した——女として愛してしまった——使い魔、シェフィールド=ミョズニトニルンの最期であった。

########################

「……どうも、色々とありがとうございました」

 シエスタが、深々とお辞儀する。
 
「いや、礼を言うのは俺たちの方だよ……。なあ?」

「そうね。ありがとう、シエスタ」

 私とサイトの言葉に、フレイムを連れたキュルケも隣で頷いていた。
 ここは、王都トリスタニア。街の中央、噴水のある広場で、私たちは立ち話をしている。

「いえ、私はたいしたことしてませんから……」

 そう言って微笑むシエスタだが、彼女の頑張りには、皆が感謝していた。
 『臭気の森』での決戦が終わった、あのあと……。
 私たちはトリスタニアにやって来た。精神的に大きなダメージを受けているはずのシエスタは、この王都で何やらややこしい手続きを済ませ、『ジョゼフ』の手配を解いてくれたのだ。
 平民の彼女にそんなことが出来たのも、彼女の家が、タルブの村では有力な一家だったかららしい。彼女の家に宿泊していた『ジョゼフ』は偽物だったということで、何とか話を通したようだ。

「……で、これからどうするの?」

「はい。この街には、いとこが住んでいますから。彼女を頼るつもりです」

 シエスタが言うには、親戚が酒場を経営しているとか。
 いとこは昔、タルブの村のメイド塾に来たことがあるので、シエスタとは面識もある。その母親は既に亡く、父親は、いとこの話から察するに、優しくてハンサムな人らしい……。

「よかったな、シエスタ。そういう人なら、きっとシエスタも受け入れてくれるよ」

「優しくてハンサムな人……か。あたしも、ちょっと会ってみたいわねえ」

 サイトとキュルケは、明るく応じているが。
 私は、少し嫌な予感がする。

「まさか……シエスタの親戚って……」

 ちなみに。
 トリスタニアに入る前に、マリコルヌやタバサはいなくなっている。

『アニキたちと一緒にいたら、命がいくつあっても足りないよ!』

 マリコルヌは、そう言って気ままな一人旅に出発。
 タバサは使い魔の竜に乗って、

『母さまを元に戻す方法を探す』

 と、飛んでいった。彼女には、エルフの薬でおかしくされた母親を治すという、大事な使命があるのだ。
 王都トリスタニアになら、その方法があるかもしれない……。
 そう言って私は彼女を誘ったのだが、タバサは静かに首を横に振った。真っ先に当たって、結局だめだったらしい。
 二人とも、元気でやっているだろうか?
 ……などと考えている余裕はなかった。

「じゃあ、行くぜ!」

 サイトが私の手を引っ張る。

「え? どこに……?」

「何よ、ルイズ。ボーッとしちゃって……。あなた、話を聞いてなかったの?」

 キュルケが、呆れた声で。

「あたしたち今から、みんなでシエスタを送って、彼女の親戚のお店に行くのよ。……『魅惑の妖精』亭って言うんですって」

 ぎゃあ、やっぱり!
 そして私は、ズルズルと引きずられていく……。

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 タルブの村での事件に、ふと想いをはせるたび、まぶたの裏に必ず浮かぶ光景があった。
 何もない荒野に、ゴロンと転がった『ジョゼフ』の人形。
 その傍らには、無能王ジョゼフによって召喚され、狂った彼を愛してしまった、本名不明の女が眠りについている。
 一体の人形を、墓標のかわりに……。





 第三部「タルブの村の乙女」完

(第四部「トリスタニア動乱」へつづく)

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 第三部タイトルは『タルブの村の妖魔』ではなく『タルブの村の乙女』なので、このようなエンディングに。
 なお冒頭に記したように、魔族に対しては系統魔法は効くが先住魔法は効かない、という設定にしました。
 また、シエスタは巫女ではないので、神託ではなく言い伝えという形でルイズにストップを。その内容も「ゼロ魔」風にアレンジしたつもりですが……わかっていただけたでしょうか。これに関しては、後日また作中でふれる予定です。

(2011年5月9日 投稿)
   



[26854] 番外編短編3「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/12 22:18
   
「……『ゼロ』のルイズ……だな?」

 その男が声をかけてきたのは、ある晴れた日の昼下がり。
 私とキュルケが、街の洒落たお店で、優雅にティータイム・セットの早食い競争をしていた時のことだった。
 正直、早食い競争など貴族らしくない行為。今の私ならば、そんなバカは絶対しない。だが、これは、まだ私もキュルケも使い魔を連れていなかった頃の話である。
 言わば、若気の至り。たぶん私は、旅に出た学生メイジが二年目にかかるというナントカ病だったのだろう。

「うん」

 クックベリーパイを口に運ぶ手は止めずに、私はアッサリ頷いた。
 相手の男は、二十歳をいくつか過ぎたくらい。ピンとはった髭が凛々しい、美男子であった。
 ……が、ちょっとイイ男だから素直に対応した、というわけではない。
 この早食い競争、負けた方が勘定を持つことになっていたのだ。ヒマな受け答えなんぞして、時間を無駄にするわけにはいかなかった。
 私たちが食べまくる横で、男は何やらゴソゴソ取り出して。

「ガリア王国、東薔薇騎士団所属、バッソ・カステルモールだ」

 言われてチラリと横目で見ると、かざしているペンダントの刻印は、組み合わされた二本の杖。たしかにガリア王家の紋章のようである。
 しかし……何故ガリアの騎士が? ここはガリア王国の領内ではない。クルデンホルフ大公国だ。
 クルデンホルフ大公国は、フィリップ三世の御代にトリステイン王国から大公領として独立を許された新興国。トリステインならばまだしも、ガリアの役人がここで活動するのは、内政干渉にあたるはず。
 ならば、公務ではないのだろうか?

「お前がこの街に来た、という話は噂で聞いた」

 ペンダントをしまいながら、カステルモールとやらは、あくまでも事務的な口調で言った。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。お前を連続幼児誘拐事件の容疑で取り調べる」

 『ゼロ』のルイズという通称だけでなく、フルネームを知っているとは。
 さすがガリア王国の騎士さんだ、よく調べているなあ。
 ……って、そうじゃなくて!

「っなぬぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

 カステルモールの言葉に、私は思わず絶叫していた。

「ちょっと待ってよ! 何なのよ、その『幼児誘拐』ってのは!?」

「とぼけても無駄なこと。ここ最近このクルデンホルフ大公国にて頻発する幼児誘拐事件! お前が犯人だということは明々白々!」

「……な、なんでそうなるのよ!? だいたい、あんた、この国と関係ないでしょ!?」

「何を言う! 行方不明の幼児の中に、たまたまこの国へ旅行中だったガリア貴族の子弟も含まれておるのだ。その子供を無事に連れ帰ることは、私に与えられた重大な任務!」

 そういう事情か。
 とりあえず、この騎士がクルデンホルフの事件を解決したいという意気込みは理解。他国で発生した事件に派遣されるほど優秀なのか、あるいは逆に、無能だからこそ飛ばされて来たのか、それは判らないけど。

「……で、でも! 私は無関係よ! 第一、私たちがこの国に立ち寄ったのって、つい最近よ! ね、キュルケ?」

 しかしキュルケは、ウンともスンとも言わない。黙々とケーキを食べ続けている。

「ほら見ろ! おまえの連れも認めているではないか!」

 カステルモールが調子に乗ってしまった。私をビシッと指さして、店中に響き渡る大声で。

「やはり私の推理どおり、お前が犯人だ!」

「違うっつうのに! ……そもそも! 何の理由で私が犯人だ、なんて話になったのよ!?」

「ほほぉう! この期に及んであくまでもシラを切るつもりならば……」

 カステルモールは、やたら得意そうな声で、懐からメモを取り出す。

「東の村のト—マスくん五歳が行方不明になった時、近くの麦畠で見つかったのは、トロール鬼のものとおぼしき巨大な足跡!」

「ふむふむ」

「『ゼロ』のルイズの仕業だ!」

「……は?」

 いきなりと言えばいきなり過ぎる決めつけに、思わず私の目が点になる。

「つづいて北の村のイェニーちゃん三歳が行方不明になった時、村に面した湖で何か巨大な生物が、水面から首を出しているのが目撃された! ほら、『ゼロ』のルイズの仕業だ!」

「……おい……」

「時を同じくして! 西の村でボリスさんが、五歳になる自分の息子リヒャルトくんを連れて日暮れの道を歩いていると、いきなり夜空に青白い光が現れて……」

「待て、おっさん」

 私はカステルモールに詰め寄った。おっさんと呼ぶには少し若いが、もう、こんな奴おっさんで十分じゃ。

「……そうすると何!? 世の中の面妖な事件は、すべて私のせいだとでも!?」

「当然!」

 カステルモールは迷わず答える。

「まさかお前、自分自身に関する噂の数々、知らんとは言わんだろうな?」

「う……」

 私の二つ名『ゼロ』に関して、どうも世間では色々な噂が流れているようで。
 どうせこのカステルモールも、ロクでもない話を耳にしたに違いない……。

「曰く! 口から怪光線を発して盗賊を消滅、その存在そのものを『ゼロ』と化す! 曰く! ピンクの髪が伸びて虫を補食、その存在そのものを『ゼロ』と化す!」

「ちょっと待てええええ!」

「『ゼロ、ゼロ、ゼロの恐怖サイン。どこかで誰かが泣いている。貧乳時代の発生だ。マッハで逃げ出せ、子供たち!』……と、街の小唄にも歌われているではないか!?」

「そんな歌あるわけねえええ!」

 思わず私の放った怒りのキックで、カステルモールは隣のテーブルまで飛んでいく。彼はメゲずに、不敵な笑みさえ浮かべながら体を起こし。

「……ふっ。もはや言い逃れは効かぬと知って、実力行使に出たか! それこそ自分が犯人だと言ったも同然!」

「あれだけムチャ言われたら、ふつう誰だって怒るわよっ!?」

「いーや、図星を突かれて動揺し、思わず手を出したのだろう!? そんな程度の言い逃れで、このカステルモールの目は誤摩化せん! 何しろ、この私は……」

 カステルモールは、ちょっと澄ました顔をしながら。

「……東薔薇騎士団の中でも随一の切れ者と、御近所の奥様方にも大評判なのだ!」

 ……こいつが一番の切れ者って。ガリアの騎士団は、そんなに人材不足なのか!?
 しかしともあれ。
 このままでは水掛け論。私が犯人ではないと証明する方法は、ただ一つ。

「……わかったわ」

「おお! ついに観念して白状する気になったか!?」

「違うわよ! その誘拐事件の真犯人、私が捕まえてやる! ……それでいいでしょ!?」

「どうせ『真犯人を探してくる』とか言って、そのまま逃げる気だろう!?」

「そんなに心配なら、あんたも一緒に来なさい!」

「言われんでも! ここで見つけたが百年目、おまえから目を離すつもりはない!」

 ああっ、もう鬱陶しい奴!
 でも、このとき私は、重大な問題を失念していた。

「ホーッホッホッホ! どうやらこの勝負、あたしの勝ちのようね! ルイズ!」

 突然笑い出したキュルケが、それを思い出させる。
 もともと私たちは、支払いを賭けての早食い競争をしていたのだ!
 こんなことで負けるとは……。しかも相手はキュルケ、つまりツェルプストーの女。ヴァリエールがツェルプストーに負けたとあっては、ご先祖様に申しわけが立たない!
 この場は何とか有耶無耶にせねば……。
 と、その時。

「……っきゃあああああああっ!」

 店の外から聞こえてきた、女の人の悲鳴。

「……何だ!?」

「外よ! 行ってみましょう!」

 私とカステルモールは外へと飛び出し、

「ルイズ! 勘定! あなたが払うのよ!」

 続こうとしたキュルケが店員に呼び止められる。
 おっしゃああ! これで支払いはキュルケ! 勝負に負けて、でも別の何かに勝った気分!

「ガリアの東薔薇騎士、バッソ・カステルモールだ! 何があった!?」

 そこいらの通行人に聞くカステルモール。国は違えど、貴族の騎士さまだ。肩書きが功を奏したか、答えはすぐに返ってきた。

「……なんか……子供がさらわれた、って誰かが言ってました!」

「何っ!? どっちだ!?」

「湖の方よ!」

 ほかの誰かの答えを耳に、私とカステルモールは、同時に駆け出す。
 たしかにこの街は、やたら大きな湖に面していた。今駆けているこの場所からも、青い水面のきらめきと、沖にかかった霧が見える。

「あれだっ!」

 カステルモールの声に、走りながら見上げれば、空をゆく影一つ!

「オーク鬼!?」

「馬鹿もん! オーク鬼が飛ぶわけあるまい!? あれは……翼人だ!」

 私の言葉を訂正するカステルモール。
 よく晴れた青空を背に湖の方へと羽ばたくヤツには立派な翼があり、腕の中には、三、四歳ほどの子供が一人。
 なるほど、彼の言うとおり、羽の生えたオーク鬼なんて聞いたことがない。でも翼人というものは、背中の翼以外は人間そっくりな外見のはず。飛んでるあいつは、豚の顔といい醜く太った胴体といい、いかにもオーク鬼なのだが……。

「そんなことは、どうでもいいでしょう? 今、一番大切なのは……」

「わっ!?」

 いつのまにか私たちの横を、キュルケが並走していた。
 驚かすな。
 しかし彼女の言葉は正しい。敵の正体はともかく……。

「……ルイズが賭けに負けたこと。これだけは忘れちゃいけないわ。とりあえず私が立て替えておいたから、あとで払ってね?」

「違うわ! それこそ一番どうでもいい話じゃあああ!」

 終わった話を蒸し返すキュルケに、思わず蹴りでツッコミを入れる私。
 あ。
 さすがのキュルケも走りながらだったせいか、受けとめきれなかった。まともに食らって、ぶっ倒れる。
 ……まあ、いいや。
 私は、本題に戻った。カステルモールに向かって。

「見たでしょ!? あいつが犯人よ!」

 しかし。

「あの翼人を操っているのがお前じゃないとは限らん! 捜査官と対面している時に別のモノを使って事件を起こし、そちらに目を向けさせようとする……。四十八の悪人技の一つだろう!?」

 こいつ……。どうあっても私を犯人にする気だな……。

「……だが、あくまでもお前がアレを配下ではないと言い張るなら! お前の魔法でアレを倒してみせよ!」

「へ?」

 飛行オークを追ううちに、私たちは湖のそばまで来てしまっていた。
 このままでは確実に逃げられてしまうが……。
 私が魔法攻撃を仕掛けたところで、狙いが甘けりゃ子供も巻き添え。よしんば飛行オークだけを撃ち落とせたとしても、当然子供は真っ逆さまである。
 それなのに、この男は……。カステルモール、ついに気でも狂ったか!?

「フル・ソル・ウィンデ……」

 あ。
 レビテーションの呪文を唱えつつ、早くしろと目で合図するカステルモール。
 ……そういうことだったのね。こんな奴でも、一応はガリアの東薔薇騎士。推理能力は皆無でも、こういう場合にとっさの作戦を立てる頭はあるようだ。
 しかも、私の魔法攻撃の精度を信頼している……というのであれば。

「……わかったわ!」

 急いで適当な呪文詠唱。どんな呪文も爆発魔法となる、これが私の特技の一つ。……本来の呪文は失敗しているとも言えるが、ものは言いようである。
 サッと杖を振ると、見事に命中。
 飛行オークの背中が爆発し、その手から子供がこぼれ落ちる。
 でも大丈夫。
 カステルモールの魔法で、子供は無事、岸辺へと運ばれた。

########################

「よくやった!」

「さすが、貴族の騎士さま! メイジさま!」

 やじ馬たちが歓声を上げ、カステルモールをほめ讃える。
 同時に。

「てめーっ! なんつーあぶねーことをっ!?」

「子供に当たったらどーするつもりだったのよぉぉぉっ!」

 あれ!?
 なぜか私は……非難されてる!?
 私も活躍したのに! 私も貴族のメイジなのに!

「……やはり大衆も理解しているようだな。誰が正義で、誰が悪なのか!」

 皮肉な笑みを浮かべつつ、私に言葉をかけるのは、言うまでもなくカステルモールだった。
 こいつ……。ここまで読み切った上での作戦だったのか!?
 拳を握りしめ、体をプルプル震わせながら、しかしグッと堪える私。
 今こいつに手を上げたら、ますます私は悪人あつかいだ。
 旅に出てから安っぽい貴族のプライドは捨てたつもりだが、こんな街の平民たちからバカにされては、さすがに自尊心が耐えられなくなる。
 ……負けるな、私! 間違えるな、私! 戦うべき相手は……カステルモールだ!

「まだ私を疑ってるのね?」

「当然だ! 小さな事件を起こして、捜査官の目の前で解決し、信用させて疑いを逸らす! これも四十八の悪人技の一つだろうが、このガリア東薔薇騎士たる私の目は誤摩化せん!」

「もともと曇りまくってるでしょうが! あんたの目は! ……そもそもっ!」

 私はビシッと沖の方を指さして。

「飛行オークがあっちに飛んでいこうとしてたんなら、あっちが疑わしい……って思うのが普通でしょ!?」

「並の考え方では東薔薇騎士は務まらん!」

「あんたは並以下じゃあっ! ……第一、このやたら晴れた昼間の、しかもどでかい湖の中央だけ濃い霧があるのよ!? 露骨に怪しいじゃないの! 湖の方は捜索したの!?」

「ふっ! またそうやって話を誤摩化そうとする! おそらくお前は、自分が疑われた時のことを考えて、湖のまわりの村や街で事件を起こし、無駄な捜索をさせようという魂胆なのだろうが……」

 おい……。
 私は、目が点になった。

「……ねえ、ちょっとルイズ。この人、ルックスは悪くないけど……頭カラッポなんじゃない?」

 いつのまにか復活して合流していたキュルケが、私に耳打ちする。
 キュルケだって頭より胸に栄養が向いているタイプなのに。
 ……というより、勘定の話を持ち出さないところを見ると、転んで頭うって忘れたか? ちょっとラッキー!

「そうみたいね。……カステルモール、あんたに聞きたいんだけど、事件って……この湖に面した村や街でだけ起こってるわけ?」

「そうだ! それがどうした!?」

「……で、この湖の捜索はしたの?」

「そんな無駄なことするわけなかろう!? 真犯人『ゼロ』のルイズが目の前にいるというのに!」

 はああああ。
 このおっさん、飛行オーク戦では冴えていたのに。頭いいのか悪いのか、よくわからん。
 ……頭が悪いというより、思い込んだら一直線なのだろうか。
 そう言えば、くにの姉ちゃんが嘆いていたっけ。頭いい人間が多いはずの王立魔法研究所(アカデミー)でも、とんでもない頑固者が多いって。
 きっと、このカステルモールも同じタイプなのだろう。

「……だから犯人は私じゃないってば」

「ねえ、ルイズ。だったら、あたしたちで真犯人を捕まえましょうよ。そうすれば、この人も引きさがるわ」

 再び口を挟むキュルケ。
 私は溜め息を返す。

「あのねえ、キュルケ。それは、さっき私も言ったのよ。あんたは食べるのに夢中で、聞いてなかったんでしょうけど……」

「さっき……? 食べるのに夢中……? ……ああああああっ!」

 ひときわ大きな声でキュルケが叫ぶ。

「思い出した! あたしたち、早食い競争してたじゃない! ……しかも勝ったのはあたし! あたしが勘定を立て替えたのよ!?」

 しまった。
 墓穴を掘ってしまった。

「ルイズ! 真犯人! おとなしくしろ!」

「ルイズ! 勘定! ちゃんと支払って!」

 二人の言葉を聞きながら。
 私は、もう頭を抱えるしかなかった。

########################

 それでも、冤罪を晴らすための捜査は始まる。それは……はっきし言って、困難なものではなかった。
 なにしろ、あからさまに怪しい湖がある。それに関して聞き込みを続ければ、情報はおのずと集まってくる。
 街の人々曰く。湖に霧が掛かり始めたのは少し前からで、それ以来、漁師たちも船を出さなくなった。なお、かつて湖の真ん中には小さい島があった。いや、なかった。いや、突然出現して突然消失した。
 一方、湖のほとりの漁師さんたち曰く。知らない。何も知らない。絶対知らない。

「『なんかあるぞ、ここには!』って絶叫しているようなもんね」

 湖から、やや離れたところにある宿屋。
 その一階の食堂で、私とキュルケとカステルモールは、夕食のテーブルを囲んで打ち合わせをしていた。
 漁師が仕事を止めた影響だろう。湖のある地方にしては、魚介類の少ないメニューである。

「はっ! 笑わせるな! 他人の証言を都合のいいように解釈しおって! ……だいたい、あんなもの信頼できる証言とは言えんぞ。島があるとかないとか、現れたり消えたりとか……」

「……ま、それに関しては、この人の言うとおりね。ルイズ、どう思う?」

「わかんない。だからこそ、調査するの。明日はどっかで船でも借りて、実際に湖の真ん中まで行ってみましょう」

「茶番だな! しかし一度つきあうと言った以上、つきあってやろう! もしも本当に湖の真ん中に『ゼロ』のルイズの秘密基地があった場合、そこにお前が逃げ込むかもしれんからな!」

 ……と、とりあえず翌朝の調査には賛同してもらえたのだが。

########################

 この計画には邪魔が入った。

 チュゴォォォンッ!

 その日の真夜中のこと。
 大爆発の音で、私は目を覚ました。

「何よ!? 今のは!」

 慌てて宿から飛び出して、天を振り仰ぐ。
 私の目に映ったのは……月を背に、宙に佇む二匹の竜。背中には、黒衣をまとう男たちが乗っているようだ。
 さらに、彼らに対峙する形で、近くの屋根の上にはカステルモールが。

「お前たち! どうせ『ゼロ』のルイズの手下なのだろう!?」

「……なんだと!?」

「私には判っている! 一階の食堂で相談していた時、露骨に怪しい男が近くのテーブルにいたからな! ワザと大声で話をしてみれば、こちらの話に反応していたようだし……。今夜あたり彼女の指示で動き出すと思って、こうやって見張っていたのだ!」

 どうやら竜の男たちは、カステルモールに誘い出されたらしい。そこまではよいとして、問題は、彼が黒幕を私と信じ込んでいること。
 あいかわらず、鋭いんだか鈍いんだか、よくわからん男だ。
 ……まあ、ともかく。
 ノコノコ出てきた連中は、キッチリ彼に反撃されたっぽい。カステルモールに魔法の火炎を叩きつけられたのか、あるいは逆に奴ら自身の炎を『風』魔法か何かで跳ね返されたのか。
 黒衣の男も竜たちも、ところどころ焦げていた。よく見れば、服の隙間から、中に着込んだ鎧が覗いている。やたら重々しい甲冑で、チラッと黄色い竜の紋章も見えたが、もしかして、こいつら……。

「ねえ、ルイズ。悠長に見てる場合ではないんじゃなくて?」

「……そうね」

 私の他にも、やじ馬がチラホラと出て来ていた。その中にはキュルケもいたわけで、私やキュルケは、ただのやじ馬に徹するつもりはなかった。
 あの竜の男たちを捕まえて背後関係を自白させれば、事件は一件落着なのだ。

「イル・ウィンデ!」

「ぐおおおお!」

「うぎゃああ!」 

 カステルモールと竜の男たちは、既に舌戦ではなく魔法の応酬をしていた。カステルモールが優勢らしい。
 このおっさん、メイジとしては優秀である。飛行オークの時だって、かなり離れた距離からレビテーションで子供を助け出したのだ。あれは誰にでも出来るという芸当ではなかった。
 ……とにもかくにも。
 竜と黒衣たちは、カステルモールのストームで動きを拘束されている。今がチャンス!

「ウル・カーノ!」

「じゃ、私も……ウル・カーノ!」

 キュルケの炎と私の爆発魔法——どうせ私は何を唱えても爆発する——が、敵に襲いかかった。
 ただの竜巻が火炎竜巻に変わり、甲冑を着込んだ男たちも、さすがにノックアウト。騎乗している竜ごと、地面に落下する。
 ちょうど下は民家ではなく、ちょっとした広場になっていたので、第三者の被害はない。もしかして……そこまで計算した上で、カステルモールは戦っていたのか!?

「さあ、これで終わり!」

 墜落現場へ駆けつける私たち。
 しかし。

「くっ! この屈辱……そして貴様らの顔、けっして忘れぬ!」

 一人と一匹は、まだ元気だったようだ。倒れた仲間を竜の背に乗せ、捨てゼリフを残して、飛び立った。

「……待ちなさい!」

「無理よ、ルイズ。待てと言われて待つ奴はいないわ。それに、レビテーションやフライじゃ、あの竜には追いつけそうにないし……」

「ならば……竜ではどうかな?」

 背後からの言葉に、同時に振り返る私とキュルケ。
 敵が残していった、もう一匹の竜。その背に乗り、カステルモールがニヤリと笑っていた。

「その竜……使えるの!?」

「当然! 私はガリアの東薔薇騎士だぞ! ……竜くらいは乗りこなせる」

 そうじゃなくて。
 そいつは、たった今、魔法でやられたばかりだろう!? もう元気になったのか!?
 ……そう聞きたかったのだが、私は言葉を呑み込んだ。
 おそらく、こいつらは、かなり頑丈な竜。あの程度の魔法は全然平気なのだろう。私の推測が正しければ、そんじょそこらの竜ではないわけだし。
 それに。細かいことを詮索している場合ではない。

「そうね! 行きましょう!」

 私とキュルケが跳び乗ると同時に、竜が空へと上がる。
 逃げるもう一匹を追いながら。

「でも……なんで? なんでワザワザ追跡劇に協力してくれるの? あなた、ルイズを捕まえたいんでしょ?」

「……ん? だが、その肝心の『ゼロ』のルイズが、いつまでたっても罪を認めないのだ! あの部下たちの口から白状させるしかあるまい!?」

 キュルケの言葉に、笑みを浮かべながら答えるカステルモール。
 この時、私は、彼の真意が判ったような気がした。

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 敵は、湖の中央へと向かう。怪しい霧が、いっそう濃くなっている場所……。
 昼間でさえ、視界を遮る霧である。ましてや闇夜の中では、何も見えない。
 霧の中へ入った段階で、逃亡する敵の姿は見失ってしまったが……。

「やっぱり……あったのね」

 霧の中を進むうちに、代わりに見えてきたもの。
 それは巨大な島影だった。
 街の人の証言では、あるとかないとか、現れたり消えたりするとか言われていたが、ちゃんとそれは存在していた。

「……いや。よく見ろ」

 カステルモールに言われて、目をこらす私たち。
 そして……気がついた。

「島が……動いている!?」

 暗い上に、こちらも飛行中なのでわかりにくいが、でも間違いない。
 島のくせに、船のように湖面を進んでいる!

「自然の島ではないということだ。人工島なのだな、あれは……」

 と、カステルモールがつぶやいた時。

『……失敗しおったな』

 島の方角から、不気味な声が!
 同時に強烈な光が放たれる。
 何らかの魔法攻撃だ!

「ぎゃあああああああああ」

 さいわい、狙いは私たちではなかったらしい。見失っていた逃亡竜が、ターゲットだった。
 トカゲの尻尾切り。役立たずの部下を始末したというわけだ。

「……今の魔法、何?」

「わからん……」

 カステルモールの頬に、冷や汗が流れる。

『……うるさいハエどもめ。次は貴様らだ』

 まずい!?
 正体不明の攻撃が来る!

「うわっ!?」

 カンだけで竜を操り、巧みに避けるカステルモール。しかし、こんなラッキーがいつまでも続く保証はない。

「やられる前に……」

「……やるしかない!」

 私とキュルケが、炎と爆発魔法をぶつける。
 いや二人だけではない。
 カステルモールも参加。なんと彼は、『アイス・ストーム』や『カッター・トルネード』といった強力な魔法を連続で放ったが……。

「……効果ないわね」

 キュルケは口に出したが、わざわざ言われなくても判りきったこと。
 眼下の島には、傷ひとつ、ついていなかった。

「こうなったら……とっておきの大技いくわよ!」

 宣言と同時に、私は呪文詠唱を始める。

「……黄昏よりも昏きもの……血の流れより紅きもの……時の流れに埋もれし……偉大な汝の名において……我ここに闇に誓わん……」

「なんだ、それは?」

 知らないカステルモールは不思議そうな声を出すが、知っているキュルケはハッとした。

「あなたは、竜の制御に専念して!」

 呪文をぶっ放す際に私が竜から落ちないよう、彼女は後ろに回って、背後からしっかり抱きかかえる。
 その様子を見て、カステルモールも何となく理解。

「……わかった」

「……我等が前に立ち塞がりし……すべての愚かなるものに……我と汝が力もて……等しく滅びを与えんことを!」

 そして。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

########################

「すごいものだな……。これが『ゼロ』のルイズの実力か……」

 あれでも島そのものは吹き飛ばなかった。ただし大穴が開いたので、そこから島の内部に飛び込んだ。
 岩肌というより肉壁のような、気持ち悪いピンク色の洞窟。不快な腐臭も立ちこめる中、私たちを乗せた竜は飛んでいく。

「わかったでしょ? ……なら、そろそろ種明かししたらどう?」

 感嘆したようなカステルモールに対して、私は問いただす。
 彼は、いたずらがバレた子供のような顔で。

「……気づいていたのか」

「うん。……といっても、ついさっきまでは、私も騙されていたけどね」

「……へ? ルイズ、どういう意味? あなたたち、二人だけで判りあってないで、あたしにも教えてよ!」

 事情説明を求めるキュルケ。 
 カステルモールは肩をすくめるだけ。
 仕方ないので、私が語る。

「あのね。カステルモールは本心から、私を連続幼児誘拐犯人だと思ってたわけじゃないの。最初から、本当の真犯人の見当がついていたの。……でも、そちらに向かって捜査を進めたら、上から圧力がかかった。そうでしょ?」

「……しょせん私は、この国の役人ではないからな。外交問題に発展するとなれば、おとなしく引きさがるしかあるまい。しかし、それでは任務は遂行できない」

「なるほどね。だからルイズをスケープゴートにして、ルイズを追うという『的外れな捜査』を始めたわけか。しかもルイズをけしかけて、ルイズが事件を追い、それについていくという形を作った。結果、自然な流れで、こうして敵の本拠地に乗り込めた……」

 キュルケも理解したらしい。が、すぐに表情が変わる。

「……ちょっと待って!? でも、そんな圧力をかけてくる相手って……」

「そ。おそらく事件のバックにいるのは、クルデンホルフ大公国そのもの。……でなけりゃ、少なくとも、かなり国の中枢近くにいる人間ね」

 漁師たちへの圧力から見ても、大きな力を持った者が関与しているのは、間違いないのだ。
 それに、もう一つ。
 私たちが乗っている竜や、竜に乗って現れた二人組。チラッと見えた紋章と甲冑から推測するに、おそらくクルデンホルフ大公国の誇る、空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)。ハルケギニア最強とも呼ばれる、大公家親衛隊の竜騎士団だ。
 彼らに暗殺者まがいの任務を命令できる者など、そう多くはあるまい。

「まあ私も、なんで国家ぐるみで幼児誘拐なんてやってるのか、その理由まではわからないけど……」

「……人体実験だ。クルデンホルフ大公家は一国を構えてしまうほどの大金持ちだが、やはり国家を運営していくには、きれいな金だけでは足りなかったらしい。裏の世界とつながり、そこから資金を得ていたようだ」

 カステルモールが補足する。
 なるほどねえ。子供を材料とした闇の商売。ひどい話である。しかも揉み消しのしやすいように、自分の国の中から子供をさらっていたのか。
 ところが、たまたま来ていたガリアの貴族の子供が巻き込まれ……。
 こうして計画が明るみに出た。やはり、悪いことは出来ないものだ。

「……で、どうするの? ルイズ、もう濡れ衣は晴れたんでしょ?」

「どうする、って……」

 聞くまでもないことを聞いてくるキュルケ。
 彼女の表情を見る限り、答える必要もなさそうだが、一応。

「乗りかかった船だもん、ちゃんと最後までつきあうわ。だって……」

 私は言葉を区切って身を正し、ちょっと澄ました顔で。

「私たちは貴族よ! 敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 と、決めてみせた時。

「ほう……。勇ましいな……」

 前方から聞こえてくる野太い声!
 進むに連れて、行く手を阻む者の姿が見えてくる。
 それは、見たこともない怪物だった。馬のように四本脚を持ちながら、首の代わりに、人型の上半身が生えている。黒々と光る鎧を着込み、手には武器も持っているようだ。

「我はキメラ七人衆の一人……武者キメラ!」

 合成獣(キメラ)!
 魔法生物の一種である。様々な生き物をかけ合わせて作られる、強力なモンスター。
 ならば、前に倒した飛行オークも、オーク鬼と翼人のキメラだったに違いない。
 そして、子供を利用した人体実験というのも、キメラ研究の一環なのだ……。
 だが今は、そんなことより。

「どこが『武者』じゃあああああ! ネーミングセンスがおかしいわあああ!」

 ツッコミを伴って、私の爆発魔法が炸裂する。

「ぎゃあああ!?」

 七人衆の一番手は、この一発でアッサリ滅んだ。

「ねえ、ルイズ。今のキメラ……一応、刀を持ってたみたいよ?」

 キュルケにフォローされるくらい、なさけない相手であった。

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「よくぞここまで来た! オレ様はキメラ七人衆の一人、変形キメ……」

 ドーン!

 口上の途中で爆発魔法を食らって散るキメラ。

「ちょっと、ルイズ。今のキメラ、まだ名乗りすら終わってなかったわよ?」

「あそこまで聞けば十分でしょ! どうせ『変形キメラ』って言うはずだったのよ」

「……でも、どう変形するのか、ちょっと見てみたくなかった?」

「なかった」

 あっさり返す私。
 正直、もう鬱陶しいだけだった。
 最初の武者キメラの後、次から次へと現れるキメラ軍団を倒したのは、全て私なのだ。
 ……キュルケやカステルモールが手を抜いているというわけではなく、今のように、途中で焦れた私が先に手を出すから、そうなるだけなのだが。

「……それにしても、あと何体出てくるのかしら」

「あら、ルイズ、ちゃんと聞いてなかったの? 七人衆って言ってたでしょ。だから今のが最後のはずよ。……武者キメラ、ガマキメラ、アニマルキメラ、ファイヤーキメラ、エスパーキメラ、恐竜キメラ、変形キメラ。ほら、ちゃんと七つ出てきたもの!」

 律儀に名前を列挙するキュルケ。ちゃんと全部覚えているとは、なんてヒマなやつ……。

「気を引き締めろ。七人衆とやらを全て倒した以上……ボスの居場所は近いはず!」

 カステルモールに言われなくても、わかっている。ちょうど前方に、それらしき広間が見えてきた。
 
「行くぞ!」

 掛け声と共に、竜を加速させるカステルモール。
 そうして私たちは、そこへ飛び込んだのだが……。

「なっ!」

 入ったとたん、驚愕の声を上げていた。

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『ここまで辿り着いたか……』

 どこから声を出しているのか。
 そこにいたのは『人』ではなかった。
 獣でも鳥でも魚でもない。

「何よ……これ……」

 ……しいて言うならば、生き物の一部。臓器の塊。
 むき出しの脳が、中央に鎮座していた。
 表面は脈打ち、うごめいている。肉で出来た小さな蛇のようなものが、四方八方へと伸びており、部屋の壁に繋がっていた。

「この人工島自体が……一つの大きなキメラだったのね……」

 私はポツリとつぶやいた。
 頬を汗の玉が滑り落ちる。
 それでも、私は杖を構えた。

『やめておけ……。これは子供たちの脳の集合体だぞ……』

「なっ!」

「そんな!?」

 思わず驚愕の声を上げる私とキュルケ。
 しかしカステルモールは、冷静に『脳』を睨みつけていた。

「そういうことか。子供たちを使って、脳移植の実験をしていたのか……」

『そのとおり。どんなに強力なキメラを作り上げたところで、それが命令を聞かねば、役には立たんからな……』

 それを聞いて、私は一つの噂を思い出す。
 かつてガリアの『ファンガスの森』には、キメラ研究で有名な塔が建っていた。だが、研究をおこなっていた貴族は、自分で作り出したキメラに殺されたという……。

『……私たちが拾い上げた者の中に、自身の脳をミノタウロスに移植したという猛者がいてな。その技術を誰でも使えるよう、改善のために研究をしているのだ。……キメラ製造と併せれば、高く売れる技術でもあるからな。クックック……』

 不気味な笑い声を、カステルモールが遮った。

「すいぶんと親切に語ってくれているが……。私たちを始末するつもりだからか? 冥土のみやげというやつか?」

『いかにも。……子供を救出に来た貴様らに、その子供の脳を傷つけることはできまい?』

「……ハッタリはやめろ」

 彼の言葉で、私もハッとする。
 キメラ人工島に突入する前には、たしかに魔法魔法を受けた。だが、入ってからは、弱っちいキメラが出てきただけ。
 つまり……。
 体内に入った敵に対して、こいつ自身は攻撃手段を持っていない!

「お前も気づいたようだな、『ゼロ』のルイズ」

 視線を『脳』から逸らさずに、カステルモールが補足する。

「こいつは、私たちを追い返したいのだ。私たちが恐れて逃げれば、こいつの思うツボだ」

「……でも、それじゃ秘密を喋ったのは変じゃない? 真相を知られたまま逃げられては、困るはず……」

 キュルケの言葉に、彼は首を横に振る。

「いいのだよ。私たちが外に出てしまえば、こいつは例の魔法で攻撃できる。こことは違ってな」

 そういうことだ。
 だが、それでは、こちらも膠着状態。
 キメラ人工島に子供たちが組み込まれているなら、迂闊に手を出せない……。

「そして……ハッタリは、もう一つ!」

 言って彼は、呪文を唱える。

『なっ!? 貴様っ!』

 慌てる『脳』だが、もう遅い。
 カステルモールの風の刃が、醜くうごめく『脳』を切り裂いた!

########################

 あのあと。
 私たちは、他の『部屋』を探しまわり、捕えられていた子供たちを発見。『脳』を失って機能しなくなったキメラ人工島から、彼らを救出した。

「子供の脳を使っているって話……嘘だったのね」

「当然だ。それでは、あの島は子供の意志で動いていることになってしまう。……話が合わんだろう? あの『脳』は、奴らの幹部の一人のものだったはず……」

 答えるカステルモールの表情は暗い。
 五体満足で助け出された子供たちは、さらわれたうちの約半分。残りは既に別の人体実験で使われてしまったらしく、死体となっていた。それぞれ体の一部を失った死体に……。

「……落ち込むことないわ。あんた、ちゃんと任務は成功したんだし」

「それはそうだが……」

 不幸中の幸いと言うべきか。
 カステルモールの目当ての、ガリア貴族の子供は、救い出された半分のうちに含まれていた。
 それでも亡くなった子供たちを思えば、彼も素直に喜べないようだ。そんなカステルモールを見ていると、私も彼を責められない。彼は言いがかりで私を事件に巻き込んだのだから、私は怒っていいはずなのだけど……。

「……では。世話になったな」

「そうね。なんだか知らないけど……あんたも頑張りなさいよ!」

 湖のほとりで、私たちは別れた。
 子供を連れて歩き出した彼を見送りながら。

「あの騎士さん……けっこう優しい人だったようね」

「そうみたいね」

 私は、キュルケの言葉に頷いていた。
 今回の事件における奮闘ぶり。任務を忠実に遂行した……というだけではなく、もしかすると、出世を急ぐような事情があるのかもしれない。ふと、そんな想像をしてしまった。
 ちなみに。
 ガリアからの糾弾もあったのだろう。後日、この事件が国家がらみだったと明らかにされ、クルデンホルフ大公家は没落。この国は、ふたたびトリステインに併合された。
 とりあえず、めでたしめでたし。





(「ゼロのルイズ冤罪を晴らせ!」完)

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 かなり先の本編の伏線となる短編ですが、次の「外伝」より先に記しておきたい内容もあったので。
 なお、このエピソードに相当する「スレイヤーズ」原作より、少し主人公の活躍を控えめにしてみました。本編より昔なのでルイズもまだ未熟、という意味で。
 ちなみに、今回も一応パロディのつもり。タイトル、小唄、七人衆、人工島、中に脳みそ……あたりから、元ネタをお察しください。

(2011年5月12日 投稿)
    



[26854] 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」(前編)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/15 21:47
   
 青い鱗のシルフィードは主人を乗せ、空を飛んでいた。
 鱗の青より鮮やかな空の向こう、二つの月がうっすらと輝いている。白の月は透き通るほどに白く、赤の月は薄い赤みを残すのみ。高空だからこそ見える、幻想的な光景であった。

「お姉さま! 今回は私、もう少しつきあえるのね!」

 シルフィードは、体長六メイルほど。翼を広げると体長より長い。その大きな翼を力強く羽ばたかせて空をゆく。
 姿形は、どう見てもただの風竜である。しかし普通、竜は喋らない。竜の知能は、幻獣の中では高い部類だが、人の言葉を操るほどではない。

「久しぶりだから、私も嬉しいのね! きゅいきゅい!」

 それなのにシルフィードは喉を震わせ、可愛い声で人語を口から発する。
 なぜならば。
 シルフィードは韻竜。伝説の闇に消えたとされている、幻の古代知性生物なのだ。
 それを使い魔として召喚したのは、今年で十五になる青髪の少女タバサ。年よりも二つも三つも幼く見えてしまう体つきで、眼鏡の奥の青い瞳は、冷たく透き通り感情を窺わせない。

「……」

 タバサは、シルフィードの首の部分に跨がり、背びれにもたれて悠然と本を読んでいた。が、あまりに幻獣がうるさいので、ページから顔をそらし、シルフィードを見つめた。
 主人の注目が自分に向いたことに気づいて、シルフィードは嬉しそうに鼻を鳴らす。

「ふがふが。やっとお姉さまの顔が動いたわ。シルフィの顔を見てくださったわ」

 使い魔というものは、本来、いったん召喚されたら一生メイジに仕えるべきもの。主人であるメイジの側から離れないのが普通であるが、韻竜であるシルフィードには、それは出来ない。
 幻の竜であるシルフィードは、『火竜山脈(ドラゴンズ・ピーク)』の管理を両親から任されているからだ。

「お姉さま、今日もすっごくかわいい!」

 それでも使い魔となったせいか、シルフィードは、主人のタバサを大好きである。こうして彼女を乗せて空を飛んでいると、それだけで幸せ。しかも、主従は今、タバサの母親に会いに行こうとしているのだ……。

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「う〜〜。やっぱり、このからだ嫌い。きゅいきゅい」

 竜の姿では、人の住まう屋敷には入っていけない。シルフィードは今、韻竜だからこそ使える先住魔法で、姿形を『変化』させていた。
 タバサに似た青い長い髪の美しい女性。服はタバサが用意したものを着ている。
 シルフィードは人間の衣装も嫌いなのだが、大好きな御主人様と共に彼女の母親を訪問するのだから、と我慢。
 うらびれた秘密の屋敷に、二人が入っていくと……。

「お待ちしておりました、シャルロット様」

 出迎えたのは、一人の若い騎士。ガリア王国の東薔薇騎士団に所属する、バッソ・カステルモールである。
 少しシルフィードがタバサから離れている間に、彼は一介の騎士から団長に出世していた。きっとたくさん手柄を立てたのだろう。
 オルレアン公シャルル——タバサの父親——に忠誠を誓っていた彼は、表向きはガリアに仕える騎士でありながら、こっそりタバサの味方をしてきた。それが最近、東薔薇騎士団を率いて、オルレアン公夫人——タバサの母親——奪還に成功したらしい。……タバサからは、そう聞かされていた。

「……ありがとう」

 母を助け出してもらったことにあらためて感謝しているのか、あるいは、こうして母を匿ってもらっていることへの気持ちか。
 ひとこと口にしたタバサに対して、カステルモールは、首を振る。

「もったいない御言葉でございます、姫殿下」

 彼に案内されて、タバサとシルフィードは、一つの部屋へ入っていく。
 屋敷の外観とは裏腹に、豪華な広い寝室だった。真ん中に置かれた天蓋つきのベッドに、痩身の女性が寝ている。
 部屋に入ってきた者たちへ、女性は問いかけた。

「……だれ?」

「ただいま帰りました、母さま」

 タバサは深々と頭を下げたが、女性はタバサを娘だとは認めない。そればかりか、目を爛々と輝かせて、冷たく言い放つ。

「下がりなさい無礼者。王家の回し者ね? 私からシャルロットを奪おうというのね? 誰があなたがたに、可愛いシャルロットを渡すものですか」

 女性は、乳飲み子のように抱えた人形をギュッと抱きしめる。
 もとはタバサの物だった人形だ。まだタバサが本名のシャルロットを名乗っていた頃——幸せだった頃——に、母親からプレゼントされた人形……。
 母と娘の光景を見るうちに、明るかったシルフィードの心も暗く沈み込む。

「……忘れてた。お姉さまのお母さまは……まだ治っていないのね」

「はい。私たちもシャルロット様も、治療法を探すために手を尽くしているのですが……」

 カステルモールの言葉で、シルフィードは思い出した。
 何故タバサが一人でハルケギニアを旅しているのか、という理由を。

########################

「もうしわけありません」

「……いい。あなたには感謝している」

 頭を下げるカステルモールに首を振って、タバサたちは秘密の屋敷をあとにした。
 彼は、まだ東薔薇騎士団の団長である。ガリアに仕える形であるため、タバサのように自由に旅をするわけにはいかなかった。
 しかし、まだガリアの騎士であるが故に、そして団長にまで登り詰めたが故に、耳に入ってくる情報もある。今回の会合において、カステルモールはタバサに、「サビエラ村で、何やら怪しい動きがある模様」と告げていた。

「では、その村へ向かうのね? きゅいきゅい」

「そう」

 もめ事に自分から首を突っ込んでいくことは、ある意味、危険である。
 でもタバサたちが探しているのは、エルフの薬で心を壊された母親を元に戻す方法。エルフに対抗する手段など、普通にしていて見つかるわけがない。大きな怪事件があれば、率先して関与しなければならないのだ。

########################

 サビエラ村。
 ガリアの首都リュティスから五百リーグほど南東に下った、片田舎の山村である。
 村から離れた場所に着陸したシルフィードは、タバサに命じられ、人間の姿になった。これから二人は、小さな寒村に潜入するのだ。竜のままというわけにはいかない。
 貴族の子供とその従者。そう見える格好で、村への道を歩き始めたが……。

「なあ、いいじゃねえか! ちょっとエルザちゃんが、話をしたいって……」

「イヤだよ! あんたの家になんか、誰が行くもんか!」

 喚きあう声が聞こえてきた。
 少し前方で、男女の二人組が何やら騒いでいる。痴話喧嘩といった雰囲気でもない。

「何かしら? きゅいきゅい」

 まだ若い女だが、彼女の格好は、竜のシルフィードから見ても風変わりだった。
 薄汚れた革の胴着に、綿でできたヨレヨレのズボン。足には鹿の皮をなめして作ったブーツ。
 大きな目が黒髪の下に光っており、日焼けした肌は、まるで少年のよう。鍛え上げられた体は、引き締まった若鹿のよう。女性にしては力もありそうだが……。

「でも相手が悪いのね。きゅい」

 彼女の腕をつかみ、その意志に反して連れ去ろうとしているのは、服装だけ見れば普通の村人。年のころは四十前ほどか。いかにも力自慢といった感じの屈強な大男であり、女性の抵抗をものともしていない。

「……助ける」

 シルフィードの横で、ポツリとタバサがつぶやいた。
 これから行くサビエラ村の住人であろうとあたりをつけたのだ。ゴロツキに襲われていた村娘を救うというのは、村へ立ち寄る口実として悪いものではない。
 タバサは杖を振るう。

「きゃ!?」

「うわっ、なんだ!?」

 突然の強風で、男の手が緩む。その隙に、男から離れる女。
 すると、風向きが変わった。

「おわあああああっ!?」

 突風が男だけに集中して、彼を遠くへ吹き飛ばす。
 こうして、暴漢が消えさったところで。

「……大丈夫?」

 タバサたち二人は、女のもとへ歩み寄った。
 女は、タバサの抱えた大きな杖に目を向ける。

「見たところ、貴族のようだけど……。今の風は、あんたが?」

「……そう」

「助かったわ。ありがとう」

 その時。

「おーい、ジル! 何かあったのかぁ!?」

 村の方から、ワラワラと人が駆けつけてきた。
 今の竜巻を見て来た……にしては早すぎる。この女性——どうやらジルという名前らしい——の帰りが遅いので迎えにきたのだろう。
 そうタバサは推測した。
 だが……。
 走ってくる一団の先頭こそ一般的な村人の服装であったが、他の者たちは、メイジ姿だったり、神官服を着ていたり、騎士のような甲冑をまとっていたり……。
 やはり何か起きている村なのだな、とタバサは僅かに目を細めた。

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 タバサの思惑どおり。
 ジルはサビエラ村の住人であり、彼女を助けたタバサたち二人は、村へと案内された。
 段々畑が連なる村の、一番高い場所にある家。村長宅の二階の一室に通される。

「娘を助けていただき、本当にありがとうございました」

 村長は深々と頭を下げた。白い髪に髭の、人の良さそうな老人である。
 タバサは、チラッとジルを見る。ジルは、先ほどと同じ服装のまま、入り口近くの壁にもたれかかっていた。タバサの視線にこめられた意図を察したようで、口を開く。

「……本当の娘じゃないけどね。でも両親と妹を亡くしたあたしにとっては、オヤジさんは家族みたいなもんだ」

 彼女の言葉を聞いて、村長の顔が和らぐ。
 血は繋がっていなくても、二人は親子なのだ。
 タバサの胸が、チクリと痛んだ。実の伯父に父を殺され、母も狂人にされてしまった自分の境遇と、比べてしまったのだ。
 だが、もちろん、それを顔に出すようなタバサではない。だから彼女の胸の内には気づかず、村長は説明を始める。

「あのアレキサンドルも、悪い奴ではないのですが……」

 占い師のマゼンダ婆さんが、息子のアレキサンドルや孤児のエルザと一緒にこの村にやって来たのは、三ヶ月ほど前のこと。ただしマゼンダもエルザも、肌に悪いからといって昼間は家に閉じこもったままであり、村人の前に顔を出すのは、もっぱらアレキサンドル一人。
 サビエラ村は小さな村であるが、よそ者に特別冷たくあたるような閉鎖的な村ではなかった。だから最初はアレキサンドルたちも受け入れられていたのだが、彼らが来て一ヶ月くらいの後。まるで彼らが災いを運んで来たかのように、事件が起こり始めた。

「正体不明のバケモノに村の人々が次々と食い殺される……という、恐ろしい事件なのです」

 役人を派遣してもらえるよう領主に訴えてみたが、小さな村の小さな事件だと思われたのか、ロクに相手にされなかった。
 ならば、村のことは村の者の手で。血気盛んな若者たちは、クワや棍棒、斧や包丁などで武装し、自警団を作ったが、それでも事件は収まらない。一人、また一人、村人が消えていく……。

「……もしかすると村人の中に、バケモノに通じる者がいるのではないか。そう考える者も出始めました。そうなると、疑いの目が新参者へ向けられるのも必定……」

 しかも間が悪いことに、時を同じくして、アレキサンドルはジルにちょっかいを出すようになっていた。
 単なる中年オヤジの色恋沙汰なのかもしれないが、怪事件と結びつけて、アレキサンドルがバケモノを操っているという意見まで生まれる。

「このままでは、村人たちによる暴力行為に発展するでしょう。だから私は、傭兵を雇うことにしたのです」

 バケモノ対策という名目であり、実際、バケモノから村人を守ることは傭兵たちの役割の一つ。だが、村人による村人へのリンチを止めることも、彼らの仕事であった。

「……おかげで、まだ私が心配するような事態には至っておりません。しかし、あのアレキサンドルは相変わらずジルに手を出そうとしてきますし、バケモノ事件は続いております」

 ここで再び、村長は頭を下げる。

「お願いです。しばらくこの村に留まり、私たちを助けていただけないでしょうか? 立派な貴族のメイジ様に、傭兵の真似事をさせるのは、気が引けるのですが……」

 少しでも戦力が欲しいのであろう。
 タバサは外見は小さな子供だが、『雪風』という二つ名のとおり、その操る魔法は強力。竜巻を見たジルたちの口から、村長も彼女の実力を聞いたに違いない。

「……かまわない。武者修行の旅の途中だから」

 最初に期待していたような、秘法とか秘宝とかは無さそうだ。だが、まだ断定は出来ないし、ここまで話を聞いて今さら放り出すのも気分が良くない。
 こうしてタバサは、サビエラ村の『傭兵』の一員になった。

########################

 村長との話が終わった後、タバサとシルフィードは、一階の大広間へ。そこが傭兵たちの溜まり場になっているらしい。
 この世界の傭兵の多くは、ワケあって貴族の身分を捨てることになったメイジや、力自慢の乱暴者などだ。魔法修業の旅に出た学生メイジや、正義を志す平民などが傭兵になる場合もあるが、それは一部の例外である。
 サビエラ村の傭兵たちも、ガラの悪い連中が多かった。

「ガキか……」

「だが……腕は立ちそうだな」

 タバサの容姿を見て軽蔑する者もいれば、一目で実力を見抜く者もいた。
 マントすら着ていない、だらしない姿のメイジたちの中。整然とした格好の二人が、妙に目立っている。
 神官服の男と、重い甲冑を着込んだ男。神官姿の男は、タバサと目が合ったとたん、叫んだ。
 
「マーヴェラス! なんと可愛らしいメイジ。……まるで雪風の妖精だ!」

 男か女か一瞬迷うくらいの、透き通るような美声である。
 白い手袋をした右手の指で髪を巻きながら、タバサの方へと歩み寄ってくる。

「僕はロマリアの神官、ジュリオ・チェザーレだ。今は一時的に、サビエラ村の傭兵をしている。以後お見知りおきを……」

 長身金髪の彼は、誰が見ても一目瞭然の美少年だった。細長い色気を含んだ唇。まつ毛も長く、ピンと立って瞼に影を落としている。
 ただ一つ難を上げるとすれば、左右の瞳の色が色が違うこと。左眼は鳶色だが、前髪で半ば隠された右は碧眼。これは二つの月になぞらえて『月目』と呼ばれ、迷信深い地方では不吉なものとして、まるで汚い害虫のように忌み嫌われる。
 しかしタバサは、彼の美貌にも月目にも興味は惹かれない。彼女の視線は、彼の左手に向けられていた。彼は、五本の指のうち四つに、同じような指輪をしていたのだ。ただし色は全て異なり、青、赤、茶色、透明……。

「……『土のルビー』!」

 タバサは、思わず口に出していた。四つの指輪の一つは、忘れもしない、あの『土のルビー』なのだ。
 始祖ブリミルが子供や弟子に与えたと言われる四つの指輪の一つ。虚無の担い手がはめれば、クレアバイブルから虚無の魔法を教わることが出来る指輪。かつては無能王ジョゼフの所有物であり、彼の死後、行方不明となったのだが……。

「おや、この『魔血玉(デモンブラッド)』を御存知とは……。なんとも博識なお嬢さんだ! ならば、あなたに一つ教えていただきたいことがある」

 教えて欲しいのは、タバサの方だ。
 どうして『土のルビー』が、このジュリオという男の手に渡ったのか。
 いや『土のルビー』だけではない。他の三つは、おそらく『水のルビー』と『炎のルビー』と『風のルビー』であろう。ブリミルの四つの指輪を全て持っているなんて……。この男は、いったい何者なのだ!?
 それに、『魔血玉(デモンブラッド)』という言葉。ブリミルの指輪を、そんなふうに呼ぶとは……。

「……どうやったら君のような、妖精みたいに可愛い女の子ができるんだい?」

 一瞬、何を言われたのか、タバサは理解できなかった。が、わかったと同時に、憤然とする。真面目に考え込んでいただけに、感情を逆なでされたのだ。

「……からかわないで」

「いや、僕は真面目なのだが……。怒らせてしまったのであれば、謝ろう。すまなかった。ところで……君の名前も教えてもらいたいのだが?」

「……『雪風』のタバサ。これは、従者のシルフィード」

 タバサは、背後のシルフィードを杖で指し示す。

「ほう! シルフィードと言えば、風の妖精の名前。『雪風』の従者がシルフィードとは、なんとも良くできた話だねえ!」

 ジュリオは面白そうに笑っているが、タバサは聞いていなかった。
 シルフィードの様子がおかしいことに気づいたのだ。ガタガタと震えている。

「……?」

「お、お姉さま……。私……このひと苦手なのね……」

 別にシルフィードは、ジュリオと面識があったわけではない。ただ、本能的に危険を察知しただけ。
 タバサはジュリオのことが気になるが、シルフィードが嫌がるのであれば、何も今ここで長話をする必要もない。同じ傭兵同士、聞き出す機会は、これからも出てくるだろう。
 挨拶代わりに小さく頭を下げた後、タバサはシルフィードを連れて、ジュリオから離れた。
 そんな彼女に、立派な甲冑を着た男が言葉を投げかける。

「懸命な判断だな、嬢ちゃん。あのジュリオって坊主には、あんまり関わらない方がいいぜ」

 男の鎧には、黄色い竜の紋章がついていた。それを見て、一つの言葉がタバサの頭に浮かんだ。素直に口に出してみる。

「……空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)?」

「知っているのか。あの坊主が言うとおり、嬢ちゃんは物知りだな」

 今は亡き、クルデンホルフ大公国の親衛隊。当時ハルケギニア最強とも呼ばれた、大公家おかかえの竜騎士団だった。
 国家ぐるみでの陰謀が明るみに出て、かの国はトリステインに併合されたと聞いている。ならば国を失った竜騎士たちの中には、傭兵に身をやつす者が出てきても不思議ではない。
 そう思ったタバサは、ついでに一つ質問してみる。

「……竜は?」

「裏口から畑を少し降りたところにある小屋が、臨時の竜舎になっている。俺の竜も、あのジュリオって奴の竜も、そこにいるさ」

 タバサは、少し驚いた。
 神官姿ではあったが、ならばジュリオも竜騎士なのか。シルフィードの異様な反応も、彼が竜を操ることに関連しているのか……?
 しかし、振り返った彼女に対して、シルフィードは首を横に振る。 

「違うのね。そんな単純な話じゃなくて……とにかくゾッとするのね」

「ハハハ……。嬢ちゃんの従者は、いい娘だな。ああいうハンサムな気障野郎には、それだけでコロッとまいっちまう女が多いもんだが、嬢ちゃんたちは、見た目や雰囲気には騙されない……ってわけだ」

 元空中装甲騎士団の男は、タバサとシルフィードを気に入ったらしい。

「あいつに骨抜きにされるのは、人間の女だけじゃないぜ。……俺の竜まで、あいつに撫でられると、あいつの言うことをきいちまうんだ」

 彼は、有名な竜騎士団の一員だったのだ。竜使いとしての腕前も一流のはず。その彼の竜を自由に操れるのだとしたら、ジュリオという男、ますます怪しく思えてくる……。
 考え込むタバサ。
 男は彼女に体を寄せて、そして、ジュリオ——今はテーブルで酒を飲んでいる——の方を見ながら。

「この村は今、バケモノに襲われているわけだが……。俺に言わせれば、あのジュリオって奴も、一種のバケモノだね」

 小さな声で、ソッと告げた。

########################

 夜。
 傭兵たちの何人かは、寝ずの番をすることになっていた。
 基本的には村長の家で待機していればいいのだが、二人だけは外。一人は村を見回り、一人は村はずれのあばら屋を見張る。
 この当番から、女性は免除されていた。村長が気を遣ったのである。傭兵稼業に男も女もないのだが、雇い主に言われれば従う。それが傭兵というものだ。
 そんなわけで。

「……あたしたちは、この部屋で寝てりゃいいのさ。寝るのも仕事のうちだ」

 一人の女性メイジと相部屋だが、それでもきちんした寝室が、タバサやシルフィードには与えられていた。

「隣には村長の娘のジルが眠ってる。あたしたちは一応、彼女の護衛ってことさ。ほら、バケモノ事件とは別に、あのジルって子、中年オヤジに狙われてるみたいだから」

 長い銀髪の下、鋭い目を光らせて笑う女メイジ。
 彼女が杖を手にする際の仕草から、元は名のある貴族だったのだろうとタバサは察する。
 女メイジはブレオンと名乗ったが、当然、偽名だ。『ブレオン(小麦売りの汚らしい女)』などと娘に名付ける親がいるわけがない。
 もちろんタバサは深く詮索したりはしないし、寝るのも仕事のうちというのであれば早く休みたかったが、ブレオンの方は違っていた。

「あんたは正真正銘の貴族のようだね。まだ子供のあんたにゃ難しいかもしれないが、男ってもんは、根っから女を好む生き物なのさ。……あたしは女だが、三度の飯より騎士試合が好きでね。好きなだけ騎士試合ができる仕事を探していたら、いつのまにか、小麦売りの女頭目になっていたことがあって……」

 話の流れから考えるに、ここで言う『小麦』とは、男の欲望を満たすための女たち。第一、まっとうな小麦売りの店主は『女頭目』などとは呼ばれない。『騎士試合』というのも、そのトラブルがらみの殺し合いだろう。わざわざメイジを雇うほどトラブルが多発するならば、おそらく売られる女たちの同意があったわけではなく……。

「……ただの人さらい」

 遠回しな長話は鬱陶しいので、タバサはボソッとつぶやいた。 
 しかし。

「おや! あんた、ちゃんとわかるんだねえ! ……ま、食うためには仕方ないさ。でも、そいつらも結局、賄賂を受け取っていた役人ごと捕まっちまってね。仕事にあぶれたあたしは、しばらくフリーの傭兵稼業をしていたんだが……」

 ブレオンの話は終わらなかった。むしろ逆に、タバサが子供らしからぬ洞察力があるとわかったため、喜々として語り続ける。もうタバサを子供扱いするのは止めたせいか、聞いているだけで顔が真っ赤になるような話まで……。
 ちなみに。
 そんな二人の女メイジの横で、シルフィードはサッサと眠ってしまっていた。人間の姿に化けていると疲れるので、よく眠れるのである。

########################

 家々の灯りも完全に消え去り、星と二つの月だけが辺りを細々と照らす頃。
 三十がらみの長身のメイジが、寝静まった村の中を歩いていた。
 貴族にしては、世俗の垢にまみれた雰囲気の強すぎる男である。長い髪は無造作に後ろで縛られ、マントも身に着けていない。革の上着に擦り切れたズボンと、薄汚れたブーツを履いていた。

「こうして適当に見回りしてればいいだけ。……まあラクな仕事さ。文句を言ったら、バチが当たるってね」

 時折ひとりごとを口にするこの男。名をセレスタン・オリビエ・ド・ラ・コマンジュという。
 かつてはガリアの北花壇騎士だったが、『北花壇騎士』とは、ガリアの騎士の中でも、裏仕事を任される者たちである。騎士とはいえない騎士だと自分を蔑んだ彼は、他の騎士と揉めてクビになり、しがない傭兵暮らしをするようになったのだった。

「ん……?」

 歴戦の傭兵であるセレスタンが、突然、目を細めた。
 ガチャリ、ガチャリという音と共に、何やら人影が近づいてくる。

「……なんでえ、おどかしやがって。ルフトじゃねえか」

 傭兵の一人、ルフトと名乗る男だった。
 空中装甲騎士団(ルフトパンツァーリッター)出身だからルフト。もう清々しいくらいの偽名である。

「おい、ルフト。お前の持ち場は、ここじゃねえだろう?」

 ルフトの今夜の担当は、村はずれのあばら屋だ。
 そこに住むアレキサンドルたちは怪事件への関与を疑われており、村人から襲撃される恐れがあった。村長は、それを防ぎたい。
 また、もしも疑惑が本当であった場合、アレキサンドルたちを見張っておけば、バケモノによる新たな被害を未然に防ぐことも出来る。だから二重の意味で、あばら屋担当こそが、いちばん大切な仕事なのだ。

「あの家から、目を離すんじゃねえ。お前にゃ判らんかもしれんが、お前の任務は……」

 ルフトは今、甲冑のフェイスガードを完全に閉じている。口の動きも見えないし、瞳に浮かぶ感情も全く判らない。
 そのため、セレスタンは気づかなかった。いつにまにかルフトが『スリーピング・クラウド(眠りの雲)』を唱えていたことに。

「……!」

 言葉の途中で、崩れ落ちるセレスタン。深い眠りへと落ちていく……。

########################

 セレスタンの意識が戻った時。
 
「ここは……」

「おや、もうお目ざめかい?」

 最初に目に入ったのは、二十歳くらいの若い女性だった。
 ゆったりした白い服と、透けるような白い肌。そして、鮮やかなまでの紅さを見せる、つややかな長い髪と唇。
 絶世の……と言いたいくらいの美人だが、受ける印象は、まるで雪山で食べる氷菓子。

「お前……誰だ?」

 セレスタンは、顔をしかめる。
 周囲を見渡して、既に状況は理解していた。どうやら自分は、村はずれのあばら屋に連れ込まれ、テーブルの上に仰向けで縛りつけられているらしい。
 しかし。
 ならばこそ、この美女の正体が解せぬ。この家にいるのは、中年のアレキサンドル、その母親マゼンダ婆さん、みなしごエルザの三人のはず。こんな赤毛の美女など……。

「……まさか!? お前……マゼンダ婆さんか!?」

「おやおや。なんでわかったんだい?」

 彼女の紅い唇が、笑みの形に小さく歪む。
 まずい。
 セレスタンはゾッとした。自分は今、知ってはいけないことを知ってしまった気がする。

「安心なさい。あなたに用があるのは、私じゃないわ」

 そう言って、マゼンダがスッと横に移動。
 すると、背後に隠れていた者の姿がセレスタンの視界に入った。このあばら屋の住人の一人、エルザだ。
 五歳くらいの、美しい金髪の少女。人形のように可愛い女の子だが……。

「ごめんなさいね。この体になって以来、わたくし、ちょっと特殊な食料が必要になってしまって……」

 まるで大人の女性のような口調で、エルザは語りかける。

「……な、何をする気だ!?」

 怯えるセレスタンの首筋に、エルザは顔を寄せて。

「ありがとう。恐怖に歪む顔……。今のわたくしにとっては、それが最大のご馳走ですの」

 感謝の言葉を告げてから、彼女は口を開く。
 白く光る牙が、二個、綺麗に並んでいた。

########################

「……セレスタンが消えた?」

 翌朝。
 朝食の席で、タバサは、その情報を耳にした。

「ああ。夜回りに出たまま、戻ってこないらしい」

 タバサに教えてくれたのは、傭兵の一人、ルフトである。

「……『らしい』とは曖昧な言い方だね。あんただって、昨夜は起きてたんだろ? あんたが一番事情に詳しいはずじゃないか」

 スープをスプーンですくいながら、ルフトを責めるブレオン。
 しかし彼は頭をかいて。

「いやあ。俺は、村はずれ担当だったからなあ。一晩中あばら屋を見張っていたから、セレスタンの面倒は見れないさ」

「……フン。どうだか」

「なんだ? 貴様こそ、ベッドでヌクヌクと眠っていたくせに……」

 ルフトが顔色を変えた。食事中の今は、彼も鎧を脱いでいる。その格好で怒ったところで、威厳も迫力も全くない。

「なんだい、やる気かい? ちょうどいい、食後の腹ごなしに……」

「まあまあ。やめたまえ、君たち。食事中じゃないか」
 
 仲裁に入ったのは、ジュリオ。
 立ち上がりかけたブレオンが、椅子に戻る。
 彼女に向かって、ジュリオが微笑む。

「……あなたもですよ。そのような態度をとっては、せっかくの美しさも台無しです」

「はい。もうしわけありません、ジュリオ様」

 うっとりとした目で答えるブレオン。傭兵稼業にドップリ浸かった彼女であっても、ジュリオの魅力には、かなわないらしい。
 そんな二人から離れるように、椅子をズズッと引きながら。

「もう少しその話、教えて欲しいのね。きゅい」

 寡黙な主人に変わって、ルフトに尋ねるシルフィード。

「……残念ながら、俺も詳しくは知らないんだ。明るくなっても戻って来ないから、心配なんだが……」

「きっとバケモノ事件が怖くなって、村から逃げちゃったのね」

「いや、それはない」

 ルフトは、キッパリと否定する。

「あいつの荷物が、まだこの家に残っているからな。けっこうな大金も、中に入っていた。……俺たちは、傭兵稼業だぜ? これまで命がけで稼いだ金を残して逃げ出す馬鹿はいねえや」

 身につけて持ち歩けないほどの大金だったのか。それを荷物と一緒にしておくセレスタンも不用心だが、彼が行方不明になった途端に勝手に調べる傭兵たちも、ひどい連中だ。

「……ひとつ教えて」

 タバサが口を挟んだ。シルフィードに任せていては、必要な情報が得られないと判断したらしい。

「いつも……こうして、いつのまにかいなくなるの?」

 事前に聞いた話では、バケモノに襲われるという事件のはず。知らぬうちに消えていくのも怪談であるが、ちょっと話が違う気もする。
 ルフトは、ゆっくりと首を振った。

「いーや。今回みたいなケースもあれば、バケモノがやってきて食い殺される場合もある」

 ルフトが体を震わせる。よほど恐ろしい怪物が相手のようだ。

「僕にも教えて欲しいな」

 もたれかかるブレオンを無視しながら、ジュリオも会話に参加してきた。

「そのバケモノって、いったい何なんだい? みんな『バケモノ』としか言わないんだけど……」

 おや?
 不思議に思ったタバサは、ジュリオに視線を向けた。
 彼女の瞳に浮かぶ色に気づいたらしく、ジュリオが一言ことわる。

「僕も、村に来たばかりでね。君の二日前だ。だから、まだ実物のバケモノを見てはいないのだよ」

 それから、あらためて。

「……というわけで、ついでに教えて欲しいのだが?」

「うーん。俺もチラッとしか見ていないし、暗かったからハッキリとは断言できないのだが……」

 顔をしかめながら説明するルフト。

「あれは、竜の一種……だったと思う」

「……竜の一種?」

「そうだよ、嬢ちゃん。だがな……」

 ルフトは、クルデンホルフの空中装甲騎士だったのだ。竜には慣れているし、詳しいはず。彼が竜だと言うのであれば、竜なのだろう。
 だが、それは竜使いの目から見てもバケモノだったようで、思い出した彼は、ゴクリと喉を鳴らす。

「……奴の首は一つじゃなかった。胴体のあちこちから、無数の『頭』が生えていたんだ」

「きゅい! そんな竜はいないのね!」

「おう、俺もそう信じたい。……きっと、あれは自然の生き物じゃねえ。だから……バケモノだ」

 ルフトは、それ以上、何も言わなかった。

########################

 誰かがいなくなるのも、バケモノに襲われるのも、暗くなってからの出来事である。
 明るいうちは、サビエラ村は、平和な田舎の村であった。だから傭兵たちも、昼間は手が空いている。
 村人に小銭で頼まれて、畑仕事を手伝う者もいる。夜に備えて、体を休ませる者もいる。
 そんな中、タバサはシルフィードを連れて、村を歩き回っていた。

「お姉さま、何を探しているの?」

「……わからない」

 本音であった。
 ただ、どこかに何か怪しい痕跡があるのでないか。そう思って、漠然と見て回っているだけ。
 だから、それに気づいたのも偶然だった。

「あれは……?」

 真っ青な顔で走っているのは、ジルだ。
 手には手紙らしきものを握りしめているが……。

「何か様子が変なのね。きゅい」

 まるでタバサの内心を代弁するかのようなシルフィード。
 二人が見ているうちに、ジルは馬小屋から一頭の馬を出してきた。それを駆って、村を飛び出していく。

「……追う」

「きゅいきゅい!」

 タバサとシルフィードも走り出した。
 もちろん、人の足で馬に追いつけるはずがない。だが、適当なところでシルフィードの『変化』を解き、彼女の背に乗ればOK。馬よりは風韻竜の方が明らかに速い。

「そろそろ、いいかしら?」

 村を出て少し進んだところで、主人に尋ねるシルフィード。
 タバサも頷いたのだが、その時。
 バサッという風と共に、上空から声が。

「君たち! 僕のアズーロに乗りたまえ!」

 ジュリオだ。
 立派な風竜の背に乗っている。左手には錫杖を持っており、右手一本で手綱を握っていた。

「きゅい。危なかったのね……」

 もう少しタイミングがずれていれば、シルフィードが竜の姿に戻る現場を見られていたであろう。
 タバサもシルフィードも、ホッと胸をなで下ろす。
 しかし。

「……ああ、それとも使い魔の竜を使うかい?」

 そう言ってジュリオは、シルフィードに目を向けた。
 シルフィードはギクッとするが、タバサは、ちゃんととぼけてみせる。

「……何のこと?」

「ごまかさなくてもいいよ。僕にはわかっているから。そのシルフィード、君の使い魔の風韻竜だろう?」  

 ジュリオはウインクしてみせる。

「大丈夫、秘密にしておくから。君と僕、二人だけの秘密だ」

 他の少女ならばイチコロだろうが、タバサには通じない。眼鏡の奥の目を細めて、彼に尋ねる。

「……なぜ?」

「なぜって……何が?」

「なぜ、シルフィードを韻竜だと思う?」

「ああ、そのことか」

 ジュリオは、何でもないことのように肩をすくめて。

「僕にはわかるんだ。僕は、全ての獣……特に幻獣を操る力を持つ、ちょっと変わった神官だからね。獣神官ジュリオと呼んでくれていいよ」

「そう。……わかった」

 問い詰めたところで、これ以上の解答は得られそうにない。それに、ここで立ち問答をしている場合でもない。
 タバサはシルフィードに目で合図し。

「きゅい!」

 了解したシルフィードは、竜の姿に戻る。

「では、行こうか。あの娘を追うんだろう?」

 それぞれの竜に乗ったジュリオとタバサが空をゆく。
 ジュリオが少し先行する形だ。
 斜め前の彼を黙って見つめるタバサ。彼女の視線は、彼の右手の手袋に向けられていた。
 かつて書物で読んだ歌の一節が、ふと頭に浮かぶ。

『神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて……』

 まさか……あの白い手袋の中には……!?

########################

「この森に入り込んだようだね」

「……私たちも入る」

 鬱蒼とした森へと続く小道。
 その傍らの大木に、ジルが乗ってきた馬が繋がれていた。
 タバサとジュリオも、竜から降りる。

「ここで待っていておくれ、アズーロ」

 きゅい、と一声鳴いた竜は、空へと浮かび上がる。街道脇にたたずんでいては目立つから、適当に上空で待機するべき。そうした主人の意図を読み取ったのだ。

「お姉さま、シルフィは?」

「……同じく」

 シルフィードならばジュリオの竜とは違い、人間の姿で森の中に入ることも可能だが……。
 これからタバサは、ジュリオと一緒にジルを追いかけるのだ。シルフィードは同行させない方がよいという判断であった。
 シルフィード自身が本能的に嫌がっているが、それだけではない。先ほどのジュリオの言葉——全ての獣を操る力を持つ——もある。もうタバサも、なるべくシルフィードをジュリオに近づけたくなかった。

「わかったのね」

 タバサと離れるのは寂しい。でもジュリオと離れるのは嬉しい。複雑な気持ちで、シルフィードも空へ上がる。
 蒼い空の上でアズーロが、友だちを歓迎するかのように「きゅい」と鳴いた。

########################

 二人は、無言のまま走っていた。
 ジュリオが前で、タバサが後ろ。小柄な彼女よりもジュリオの方が足は速いはずだが、彼女のペースにあわせているのだろうか。二人は、一定の距離を保っている。
 しかし。
 突然、ジュリオの足がとまった。
 勢い込んで彼にぶつかることもなく、タバサもストップする。

「……どうしたの?」

「まいったね。ここで君とはお別れのようだ」

 ジュリオは、タバサに背中を向けたまま、手にした錫杖で指し示す。
 彼の体で前方の視界は遮られていたのだが……。
 ヒョイッと顔をのぞかせて、タバサも理解する。そこで道が二つに分岐していたのだ。

「……最近、人が通った形跡は?」

「どっちにもあるよ。本当にどちらもよく使われる山道なのか、あるいは、カモフラージュなのか……」

「……議論してる時間がもったいない。私は左へ行く」

「わかった。じゃあ、僕は右だ。ジルを見つけたら、魔法か何かで、適当に合図してくれ」

 小さく頷き、タバサはジュリオと別れる。
 自分は魔法を打ち上げればいいが、メイジでないジュリオは、どうするつもりなのか?
 一瞬疑問に思ったが、首を振る。あのジュリオのことだ。隠し技の一つや二つ、持っていることだろう。
 それよりも。
 どうせジュリオと離れるのであれば、シルフィードを連れてきてもよかった。今から呼ぶのも一つの手だが、そんなことをしては、ジル発見の合図だとジュリオに誤解されるだろうか……。
 そうやって考えながらも、タバサは、走り続けている。
 しかし……。

「……もしかして、ハズレ?」

 彼女のゆく道は、どんどん狭くなっていく。
 いわゆる獣道だ。一応、人が通れることは通れるが……。

「……いや。私の方が正解」

 自分の疑念を自分で否定するタバサ。
 彼女は、気配を察知したのだ。
 周囲に巧みに溶け込んだ、非常に薄い殺気。神経を鋭く張りつめていなければ、遭遇するまで気づかないであろう程度の……。

「ほう……。我の存在に気づいたか……」

 タバサが足をとめると同時に。
 前方に、黒装束の男が現れた。両目以外の部分は全て黒で覆われており、表情を読み取ることは全くできない。
 見るからに、悪の手先である。

「……どいて」

「そうはいかん」

 案の定。

「ここから先、例の娘以外、誰も通すな。邪魔者は全力で排除せよ。……そう依頼されている」

「あなた……誰?」

 無駄と思いながら、一応、聞いてみる。
 意外なことに、男は名乗った。

「『地下水』……。そう呼ばれている」

「……!」

 ハッとするタバサ。
 それは……裏の世界では有名な、暗殺者の名前であった。





(中編へつづく)

########################

 この「外伝」は、「ゼロ魔」としては外伝作品「タバサの冒険」を、「スレイヤーズ」としては「超巨大あとがき」(すぺしゃる8巻に収録)で語られた「闇に埋もれしエピソード」(『聖王都動乱』及び『白銀の魔獣』を盛り上げるための物語)を元にしています。
 「ゼロ魔」は知っているが「タバサの冒険」までは読んでいない……という方々もおられるでしょう。「スレイヤーズ」は知っているが「超巨大あとがき」までは読んでいない……という方々もおられるでしょう。そうした方々にも楽しんでいただけるよう書いていきますので、どうか、この「外伝」もよろしくお願いします。

(2011年5月15日 投稿)
    



[26854] 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」(中編)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/18 21:53
   
「そんなはずはない……。でも……。もしかして……」

 森の小道を急ぐジルの手には、一通の手紙が握られている。
 彼女の部屋の、机の上に置かれていたものだ。
 いつからそこにあったのか、わからない。
 ジルが手紙に気づいたのは、つい先刻だった。だが、もしかすると、朝になってから置かれたものではなく、ジルが寝ている間に誰かが忍び込んだのかもしれない。

『おまえの妹は生きている。詳しい話を聞きたければ、地図に示した場所まで来い』

 その文面を読み、ジルは絶句した。

(妹が生きている……だって!?)

 信じられなかった。ジルの家族は、三年前に殺されたのだ。彼女の留守中に……キメラに食い殺されたのだ。
 ジルは、あの光景を今でも忘れない。父は下半身がなかった。母は内蔵を食われてカラッポだった。妹は、手が一個、残っていただけ……。

(……!)

 ジルはハッとする。
 手以外は全て食べられてしまったと思っていたが……。
 もしかすると、妹は、腕を食いちぎられただけだったのでは!?
 腕の途中を食われてしまい、先端の手だけが、あの場にボトリと落ちた。しかし妹自身は、逃げ出して、生き延びていたのかも……。
 そう考えると、もう体が動き出していた。
 馬で村を飛び出し、付記された地図に従って、この暗い森へ。
 細い小道を分け入って、鬱蒼と茂る森をくぐり……。

「……この中か!?」

 切り立った崖にポッカリと開いた洞窟の前で、ジルはつぶやいた。
 不気味な洞窟である。高さは五メイル、幅は三メイルほど。中は真っ暗で、どれだけ深いのかもわからない。
 体が震えるのを感じながら。
 ジルは、洞窟に足を踏み入れた。

########################

 同じ森の、少し離れた場所で。
 タバサは、黒装束の男と対峙していた。
 相手が告げた名前を、確認するかのように口に出す。

「あなたが『地下水』……」

「そうだ。名乗ることにしている。依頼主と……死にゆく者には……」

 地下水のように、音もなく流れ、不意に姿を現し、目的を果たして地下に消えていく謎のメイジ。狙われたら最後、命だろうがモノだろうが人だろうが、逃げることはできない。
 性別も年齢もわかっていないという話だったが、こうして見る限り、男のようである。
 その『地下水』が相手であるというならば、先手必勝。タバサは小さく、敵に唇の動きを見せずに呪文を唱えた。

「ラナ・デル・ウインデ」

 巨大な空気の塊が、黒装束の『地下水』を襲う。
 『地下水』は右に転がり、それをかわした。草木や茂みだらけの森の中とは思えぬ動きである。
 外れた空気の塊は、木々にぶち当たって四散する。その頃には、既にタバサは次の攻撃呪文を繰り出していた。
 今度は『エア・カッター』だ。風の刃が、『地下水』めがけて飛んだ。
 不可視の風刃をも、『地下水』は驚くべき体術で回避する。かわされた風の刃が、森の木々を切り刻んだ。

「自然破壊だな」

「……うるさい」

 意外に茶目っ気のある暗殺者なのだろうか。『地下水』が軽口を叩き、タバサも思わず応じてしまった。
 彼女はいったん、杖を構えなおす。立て続けに攻撃呪文を唱えたら、あっというまに精神力が枯渇するのだ。
 最近は他の強力なメイジと共に戦うことが多かったので、ガンガン連発するクセがついている。気をつけねばならなかった。
 今は一対一。しかも相手は『地下水』……。
 無表情の下、焦りが回転する。さすが悪名高い暗殺者、『地下水』は相当な体術の使い手であるようだ。 
 こうしてタバサの攻撃の手が緩んだところで。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 呪文詠唱と共に左手を突き出す『地下水』。
 青白い雲が現れ、タバサの頭を包んだ。『スリープ・クラウド』だ。

「……嘘!?」

 彼の手に杖は握られていない。
 メイジが使う系統魔法は、幻獣やエルフが使う先住魔法とは異なり、媒介となる杖を必要とするはず。
 杖なしで系統魔法を使えるメイジなど、聞いたこともない。
 だが現に、強烈な眠気がタバサを襲っている。トライアングルクラス——と彼女自身は思っているが本当は既にスクウェアクラス——の強力なメイジであるタバサは、強靭な精神力でもって、その魔法に耐えた。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」

 次に『地下水』が唱えたのは、タバサお得意の『ウィンディ・アイシクル』。いつもは敵に食らわせる氷の矢が、タバサに向かって飛んでくる。
 とっさに身をかわすが、あいにく、障害物の多い森の中だ。

「……うっ!?」

 一本の氷が、彼女の左腕を貫いた。そのまま彼女の小さな体を、森の木に縫い付ける。
 左手の感覚がなくなっていく。氷の矢にこめられた魔力で、氷結していくのだ。
 タバサの同じ魔法ほど強力ではないようで、一瞬のうちにパキンと砕け散るわけではないが、このままでは彼女は左腕を失うことになるであろう。

「ウル・カーノ」

 自分の腕を『発火』の呪文で焼くタバサ。荒療治であったが、とりあえず氷の矢は溶かすことができた。もしかすると凍傷と火傷で、後で左腕を切断することになるかもしれないが、仕方がない。木に縫い留められて動けない状態では、魔法攻撃の的でしかないからだ。

「……思いきったことをする娘だな。しかし、残念。……もう手遅れだ」

 ハッとするタバサ。
 呪文が聞こえていなかったので、少し油断した。
 彼女が今の処置をしている間に、『地下水』は、すぐ目の前まで迫っていた!

「うっ……」

 みぞおちに膝蹴りをくらい、うめくタバサ。
 反対側の足で、『地下水』はタバサの杖を蹴り飛ばした。
 さらに。

「これで呪文も使えまい」

 彼の右手が、タバサの口を押さえつける。
 続いて左手が喉を。声帯を握りつぶすつもりらしい。
 いや、このまま絞殺する気だろうか!?
 先ほど身をもって食らった『ウィンディ・アイシクル』の威力から判断するに、『地下水』の魔力そのものは高くはない。むしろ体術を得意とする暗殺者のようだから……。
 消えゆく意識の中。冷静なタバサの頭脳は、最後まで『地下水』の分析をしてしまう。
 そして……。
 彼女の意識は、暗転した。

########################

 暗い洞窟の中を、ジルは進んでいく。
 真っ暗というわけではない。適当な間隔で、壁に魔法の明かりが灯されている。自然のままの洞窟ではなく、誰かが手を加えたという証であった。
 元々は、染み出る水が岩盤を溶かして作られた鍾乳洞……。ジルは、そう推測した。弱い明かりに照らされて、天井から垂れ下がる石氷柱や地面から突き出した石筍も見えたからだ。
 冷えた、湿った空気が奥から流れてくる。時々、獣の咆哮のようなものも聞こえてくるが、気のせいであろうか?
 ……いや、気のせいではなかった。

「こいつは!?」

 ジルの前方に見えてきたモノは、恐ろしいバケモノ。
 赤黒い鱗に包まれた大きなトカゲの足。そこだけ見れば普通の火竜だが、見上げた途端、ジルは言葉を失う。
 その胴体からは、無数の『頭』が生えていた。
 馬の首があった。
 豚の首があった。
 豹の首があった。
 熊の首があった。
 狼の首があった。
 人らしき首があった。
 その他、様々な首が、それぞれに呻きをあげている。
 初めて見る怪物だが、ジルにはわかった。

「これが……サビエラ村を襲うバケモノだ……」

 絞り出すように、彼女の口から出た言葉。それに呼応する者があった。

「そうですわ」

「……エルザちゃん?」

 バケモノの後ろから現れたのは、小さな可愛い女の子。しかし、その外見に騙されてはいけない。こんな洞窟でバケモノと共にジルを待っていたエルザが、純真無垢な少女であるはずがない。
 エルザは、バケモノの肌をペタペタと叩きながら。

「これはキメラドラゴン。かつて『ファンガスの森』で作られ……」

「ファンガスの森!」

 ジルの叫び声が、エルザの言葉を中断した。
 それは、かつてジルの家族が暮らしていた場所の名前。強力な『合成獣(キメラ)』を作る研究が行われていたが、そのキメラの暴走で研究していた貴族自身も食い殺されたという、いわくつきの森だった。
 狩人仲間からも敬遠されていたが、だからこそ獲物も多いという判断で、ジルの家族は狙って住み着いた。しかしジル自身は猟師暮らしが嫌で、家を飛び出して街へ。でも奉公も続かず、帰ってきたところ……。
 ジルの家族は、森のキメラたちに食い殺されていたのだ。

「……ええ、そうです。あなたの住んでいた『ファンガスの森』ですわ」

 事情を知っているかのようなエルザの言葉。
 ジルは驚くが、同時に、ようやく気づいた。
 エルザの口調がおかしい!? 村で見かけた時は、もっと年相応の話し方をしていたはずだが……。

「ごめんなさいね。わたくしの前任者は、やり方が乱暴で……。最初からわたくしがこの作戦を担当していれば、あなたの家族を襲わせたりもしなかったのに……」 

「なんだと!?」

 ジルの家族は、エルザの『前任者』に殺された……。今、エルザはそう言ったのだ。
 激昂し、エルザに詰め寄ろうとするジル。
 しかし彼女は動けなかった。後ろからガシッと彼女を羽交い締めにする者がいたからだ。アレキサンドルである。

「離せ! 今、おまえに構っている暇は……」

「あら。今の彼に、言葉は通じませんよ? アレキサンドルは現在、『屍人鬼(グール)』状態。わたくしが送り込んだ血が解放されて、わたくしの操り人形になっていますから」

「グール……だと!?」

 詳しくは知らないが、ジルも少し聞いたことがある。『屍人鬼(グール)』とは、吸血鬼に血を吸われて、吸血鬼に操られるようになった人間のこと。
 ならば、このエルザという少女は……。

「そうですわ。でも……不便ですわね、吸血鬼って。太陽の光にも弱いし、人間のようなゴハンも食べられない。『屍人鬼(グール)』に出来るのも、一度に一人きり……」

 吸血鬼。それだけでも恐ろしい存在だが、エルザの口ぶりから察するに、ただの吸血鬼でもないらしい。
 ここに来た目的は、妹に関する話を聞くことだった。だが、まずは目の前の怪物の正体を知らねばならない……。
 そんな強迫観念におそわれて、ジルは尋ねた。

「おまえ……何者だ……?」

「見てのとおり、今では吸血鬼ですわ。……このエルザという名前の吸血鬼の体に、脳を移植してしまいましたから」

 脳移植!
 キメラ製造以上の禁忌である。そもそも、不可能ではないが大変困難な技術のはず。
 いや、それよりも。
 吸血鬼に脳を移植したということは、この『エルザ』は、もとは人間だったということか……。
 ジルの顔色から、その考えを読み取ったらしい。エルザは、微笑みながら。

「申し遅れました。わたくしの名前はリュシー。組織の中では……シスター・リュシーと呼ばれております」

########################

『お見事! お見事! いやぁ、たいしたものだねシャルロット! 父さんにだってそこまで繊細に、人形を操ることなんてできないよ』

 うららかな春の日差しが暖かい中庭で、男が嬉しそうに愛娘を抱き上げた。四十を過ぎてはいたが、青年のように瑞々しい顔をしている。
 まだ十一歳の少女は、父親に頭を撫でられて、気持ち良さそうに笑っていた。

『すごいでしょ! ほめて、ほめて!』

『よし! じゃあ屋敷まで、父さんがおぶって行ってあげよう」

『わーい! おんぶ、おんぶ!』
 
 父親の背中でキャッキャッとはしゃぐ少女。
 ……これは夢だ。
 タバサには、それがわかっていた。
 まだ幸せだった頃の思い出。
 いや、事実とは少し違う。たしかに当時の彼女は、素直に父に甘えていたが、でも、これほどストレートではなかった。
 きっとこれは、過ぎ去りし日を想うと同時に、「こうしておけばよかった、ああしておけばよかった」という気持ちが見せている夢なのだ……。

「……父さま」

 自分の口から出た寝言で、タバサは目を覚ました。
 体が揺れている。どうやら、誰かに背負われているらしい。だから、あんな夢を見たのであろうか。しかし、これはいったい誰の背中なのか……。

「おや、気がついたようだね。可愛い妖精さん」

 その言葉でわかった。
 ジュリオだ。
 タバサは、ハッと身を硬くする。

「……おろして」

「君がそう言うのであれば」

 立ち止まり、タバサを降ろすジュリオ。
 彼女の顔に右手を近づけて……。
 白い手袋の指で、タバサの顔をスッとぬぐった。

「……何?」

「君に涙は似合わないよ」

 言われて気づく。少し泣いていたようだ。あんな夢を見たからなのか。
 気恥ずかしさから、顔を赤らめるタバサ。だが、頭がハッキリしてくると同時に、それどころではない状況だと思い出した。

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 タバサの礼に、即座に返すジュリオ。無口な彼女の説明不足も、気にしていない様子。
 何に対しての「ありがとう」なのか、ちゃんと通じたのだろう。
 タバサが意識を失ったのは、『地下水』との戦闘の途中である。それなのに気づいたらジュリオと二人きりということは、ジュリオに助け出されたということだ。
 タバサは、自分の左腕に目を向ける。あの戦いでボロボロになったはずだが、今はまったくの無傷。まるで『地下水』との激闘こそが夢だったかのようだ。

「……それも僕が治しておいたよ。あと、喉もやられたようだから、ついでに」

 タバサの視線に、ジュリオは進んで説明する。
 彼女は、さらに聞いてみた。

「……どうして?」

「魔法で森を壊している音が聞こえてね。ジルを見つけた合図だと思って来てみれば……いやはや。あんな男と君が遊んでいたものだから、驚いたよ」

 聞きたかったこととは少し違う。

「……そうじゃない。どうして私を助けた? ……どうやって?」

「ん? ……そりゃあ当然だろう。君のような可愛い妖精を、傷だらけでおいていくのは、ちょっとね」

 澄んだ声で、タバサを妖精あつかいする美少年。これだけで舞い上がってしまう女性も多いだろうが、タバサは違う。誤摩化されることなく、質問を繰り返す。

「……どうやって?」

「それは秘密だよ。男は、秘密の多い生き物だからね」

 ウインクするジュリオ。詳しく語るつもりはないらしい。
 特殊な治療技術を持っているのであれば、タバサとしては是非知りたい。母親の心を治すヒントになるかもしれないと思ったのだ。
 しかし、今は問い詰めても無駄な様子。
 それに。

「……じゃあ行こうか。あんな男が出てきたということは、この先に何かある……つまり、ジルが向かっているってことだろうからね」

 ジュリオの言葉に頷いて。
 タバサは、彼と共に走り出した。

########################

 洞窟の中。
 リュシーと名乗った吸血鬼『エルザ』は、ジルに歩み寄る。

「ひっ……!」

 ジルは思わず後ずさりしたくなるが、それは出来ない。アレキサンドルに体を拘束されたままなのだ。
 彼女の怯えた様子に反応したのか、キメラドラゴンがグルルッと鳴いた。
 リュシー=エルザは、そちらにチラッと顔を向けて、

「あなたも自己紹介したいのね。でも、ごめんなさい。あなたには名前をつけていないから……」

 それから、ジルに対して説明する。

「このキメラドラゴンには、人なつっこいペット犬の脳が入っているの。だから、わたくしたちの言うことを忠実に聞いてくれるのですわ。……ああ、そうだ!」

 いいことを思いついた、という笑顔を作る吸血鬼。

「あなた、このキメラドラゴンに名前をつけてみませんか?」

「ふざけるな! なんで私が……」

「あら。だって……あなたの大切な妹さんも、この中にいるのですよ」

 言われてジルは、あらためてキメラドラゴンを注視した。
 そして……。

「……!」

 ジルの体が強ばり、震えだす。
 彼女は見てしまったのだ。
 キメラドラゴンの胴体から生えている頭の一つは、彼女の妹のものだった。
 つまり、このキメラドラゴンこそが、ジルの家族を食い殺したキメラ!
 心の中で様々な感情が渦巻き、嵐となる。彼女は唇を強くかんだ。切れて、血が流れる。

「気づいたようですわね。……そうです。あなたの妹さんは、キメラドラゴンの中で永遠に生き続けるのです」

 違う。
 これは、もう『生きている』わけじゃない。
 ジルは、リュシー=エルザをキッと睨みつける。
 リュシー=エルザは、悲しそうな表情を見せた。

「わたくしも、理不尽にも父を処刑され、屋敷や家族を失った身。あなたの気持ちも、少しはわかるつもりです。……こんなことを言うだけ、あなたの怒りの火に油を注ぐだけでしょうけれど」

 そして、小さく首を振ってから。

「でも、これ以上あなたを苦しめたくない……。その気持ちは本当です。だから素直に教えて……」

 と、そこまで口にした時。
 その場に、一つの黒い影が出現した。

「もうしわけない。失敗した」

 戻ってきた『地下水』である。
 大事な話を遮られ、リュシー=エルザは、良い気はしなかった。が、放ってはおけない。

「失敗した……ですって? 暗殺者『地下水』ともあろう者が!?」

「女と男が一人ずつ。女の方は、あと一歩だった。しかし、男の方が問題だ。あれは……バケモノだ」

「あら。あなたが、そこまで言うとは……」

 リュシー=エルザは苦笑する。万全を期するために雇った暗殺者だったが、案外と役に立たないものだ。
 この時、キメラドラゴンがグルッと唸った。バケモノにはバケモノをぶつければいい、と志願したかのようだった。

「そうね。あなたに行ってもらいましょう。昼間に村まで出ては目立ちますが……この森の中ならば、大丈夫でしょうから」

 リュシー=エルザが微笑みかけると、それだけで理解したようで、キメラドラゴンは歩き出した。
 続いて彼女は、『地下水』にも指示を与える。

「……とりあえず、今は必要ありません。下がっていてください」

「了解した」

 黒い暗殺者が、音もなく姿を消す。
 静かになったところで、リュシー=エルザは、再びジルに話しかけた。

「さて。では、もう一度。……手紙に記したとおり、わたくしは、あなたに妹さんの現状を教えました。ですから、あなたも教えてください」

 彼女は、さらにジルに詰め寄りながら。

「あなたは……どこに『写本』を隠したのですか?」

########################

「この中のようだね」

 ジュリオの言葉に、タバサは小さく頷く。
 二人は、洞窟の入り口まで来ていた。
 十分に警戒しながら、暗い穴の中に入ろうとした時。

「……何か来る!」

 洞窟の左右へ、サッと身を躍らせる二人。
 中から飛び出して来たのは……。

「……これが!?」

 胴体からたくさんの首を生やした竜の怪物。サビエラ村を襲っていたバケモノだ。
 しかし、表情を引きしめるタバサとは対照的に。

「なーんだ。やっぱり、ファンガスのキメラドラゴンじゃないか」

 拍子抜けしたような声が、ジュリオの口からもれる。

「やっぱり……?」

 わずかに顔をしかめながら、聞き返すタバサ。目はキメラドラゴンから離さず、ただちに呪文を唱え始める。
 ジュリオからの返答など期待していなかったのだが、意外にも。

「『ファンガスの森』で作られたキメラドラゴンを彼らの組織が回収して、さらに手を加えたという噂があってね。……すると、サビエラ村でのバケモノ事件は、このキメラの運用試験だったわけか……」

 さらに説明を要する発言だ。しかし問いただしている暇はない。
 呪文詠唱を終わらせたタバサは、杖を振り下ろす。
 キメラドラゴンは、呑気なジュリオではなく殺気を放つタバサを敵とみなしたようで、タバサに顔を向けていた。彼女の杖から撃ち出された『ジャベリン(氷の槍)』が、キメラドラゴンが開けた口の中に突き刺さる。
 タバサの魔力で、キメラドラゴンの頭部全体が氷結。
 一瞬の間があり……。
 ピキッと凍りついた頭に亀裂が走り、バラバラにはじけ飛ぶ。
 しかし。

「まだだよ」

 ジュリオの言葉があったので、助かった。
 安堵することなく、警戒を解かなかったタバサは、サッと飛びずさる。
 キメラドラゴンの腕が伸びてきたのだ。もしも油断していたら、体を大きくえぐられていたかもしれない。

「……頭を一つ吹き飛ばしても、代わりはいくらでもあるからね」

 むこうでジュリオが言うとおり。
 ボコッと音がして、キメラドラゴンの胴体から肉塊が盛り上がった。モコモコと粘土のように、形をとり始める。新しい頭が生まれつつあるようだ。

「食った獣を取り込んで、それとそっくりな頭を生やす。そうして胴体から生えた頭が、メインの首がとんだ場合のスペアになる。……なるほど、こうやって頭部が生え変わるわけか。いざ目にしてみると、なかなか気持ち悪いプロセスだねえ」

 悠長に解説しながら、ジュリオは背後からキメラドラゴンに忍び寄る。その肌にスッと手を当ててみるが。

「……だめだな。僕の『力』も通じない。こいつは……もうケモノではない。人造のバケモノだ」

 残念そうに首を振り、また離れる。
 しかし今ので、キメラドラゴンの注意もタバサからジュリオへと移った。できたてほやほやの頭を、彼へと向ける。
 それは、人の顔をしていた。

「いたい……。いたいよう……」

「……しゃべった!?」

 驚愕するタバサ。
 ジャベリンでも頭を一つ吹き飛ばしただけ、つまり生半可な魔法では、このバケモノは仕留められない。そう考えて、弱点を見出そうと観察していたのだが、これは予想外だった。

「驚くことはないさ。聞いた話では、こいつはジルの家族を食らったという。おそらく……これがジルの妹の顔かな」

 ジュリオの話は、タバサには初耳のものばかり。
 さいわい今、キメラドラゴンの攻撃の対象はタバサではなくジュリオだ。質問するなら今のうちだと思った。

「……ジュリオ。あなた、何を知っているの?」

「そうだねえ……。妖精のように可愛い君が、そんなに知りたいと言うなら……少し教えてあげようかな」

 キメラドラゴンが爪を振るう。
 体重のこもったその一撃を、ジュリオは手にした錫杖であしらいながら、タバサと会話を続ける。

「オリヴァー・クロムウェル……という名前を聞いたことがあるかい?」

「……『レコン・キスタ』」

「そう。レコン・キスタという組織を作り、アルビオン王家を滅ぼした男だ」

 空に浮かぶ国アルビオンは、トリステインやガリアと並ぶ、歴史ある三大王家の一つであった。しかし国内で大規模な反乱が起こり、今では貴族政府が運営する国家となっている。
 その反乱勢力『レコン・キスタ』の中心人物が、オリヴァー・クロムウェル。反乱成功後、一時はアルビオン帝国皇帝を名乗ったこともあるが、結局は権力争いに敗れて失脚した……。
 これが世間で流布している話であり、タバサも、それに疑いを挟んだことはない。

「……アルビオンを追い出されたクロムウェルは、ガリアの片田舎に潜伏していたらしい。そこで、また新しい組織を立ち上げてね。……まあ、かりにも一時は一大勢力のトップに立った男。それなりにカリスマはあったようだよ」

 キメラドラゴンと戦いながら、ジュリオは説明する。
 それによると。
 今度のクロムウェルの組織は宗教団体。彼の出自は一介の司教であっただけに、宗教団体は、レコン・キスタ以上に扱い易かったのだろう。あれよあれよというまに、規模も大きくなっていった。同時に、いつのまにか団体の教義も変わっていく。
 もともと教団の母体は、新教徒の集まり。解釈こそ違えど、信仰の対象は始祖ブリミルだったはず。ところが……。

「……今では、彼らは魔王を崇拝する邪教集団だ。ま、クロムウェルがクロムウェルだからね。信仰云々より、何にすがってでもいいから力が欲しい、って連中が多かったんだろう」

 なるほど。
 一度そうなってしまえば、さらに悪党どもが集まってくるし、組織が悪事に走るのも当然。
 タバサは、事件の背後にあるものの大きさを理解した。だが、まだ肝心の話は不明である。これが、ジルの家族やサビエラ村と、どう関連するのか……。

「そして連中が今ねらっているのが……『写本』だ」

「『写本』!?」

 思わず聞き返したタバサ。
 『写本』とは、『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』の知識の一部を記したものだと言われている。実際、タバサの知り合いのメイジの中には、『写本』から学んだ魔法を使いこなす少女もいる。
 本来『始祖の祈祷書(クレアバイブル)』は、虚無魔法を使うメイジのみが——それも始祖の指輪をはめた時のみ——、読むことが出来る書物。でも『写本』ならば、普通の者でも読める。始祖ブリミルの知識の一端を、知ることが出来る……。

「……そうだ。その『写本』だよ。その重要性は、君にもわかるだろう?」
 
 タバサは頷いた。
 そして、これは他人事ではないと気づく。
 なにしろ、始祖ブリミルの知識なのだ。エルフと戦ったと言われる始祖ブリミルならば、エルフの薬に対抗する手段も知っていたかもしれない。
 エルフの薬で心を壊された母を、もとに戻す方法。それだって……『写本』に記されているかもしれない!

「そうした『写本』の一つを、森に隠れ住むジルの家族が持っていたんだ。だからクロムウェルの教団は、キメラドラゴンを使ってジルの屋敷を襲った。ところが……発見できなかった」

 タバサは思い出す。ジュリオは先ほど「このキメラの運用試験」と言っていた。
 ……つまり。
 キメラドラゴンの実戦投入テストと、『写本』争奪。その二つの目的で、邪教集団は、このバケモノを用いた。
 テストは成功したが、あいにく探していた『写本』は見つからない。ならば生き残ったジルが持っているに違いないと、ジルを追跡。サビエラ村にやってきた……。

「……これで、だいたい理解できただろう? ならば……君の魔法で、こいつにトドメをさしてくれないかな?」

 お茶にでも誘うかのような気楽な口調で、ジュリオは、そう言った。

########################

「あなたは……どこに『写本』を隠したのですか?」

「……『写本』?」

 リュシー=エルザに問われて、ジルは聞き返してしまった。
 何を聞かれても絶対に口を開かない、と決めていたのに。

「そうです。あなたの屋敷にもなかったし、あなたの家族も持っていなかったそうですわ。……あなたが持って逃げたのでしょう?」

 最初、ジルは何の話だかわからなかった。が、途中で思い当たる。
 家を飛び出した時……。
 たしかに彼女は、あれを持ち出していた。
 両親が「この中には、御先祖様から託された、大切な書類が入っているんだよ」と言っていたもの。
 それほど重要なものならば、それを持っている限り、家族との縁も切れないだろう。そう考えて、黙って持ち出したのだが……。
 まさか……あれの為に、家族は殺されたのか!?

「……その表情では、やはり心当たりがあるのですね。教えてくださいな」

 答える代わりに、ジルは顔を横に背けた。
 リュシー=エルザは、悲しそうな目で溜め息をつく。

「抵抗はしないでください。これ以上……あなたを苦しめたくはないのです」

 リュシー=エルザはジルの顎に手をかけて、無理矢理、自分の方を向かせる。
 ジルは口を開いた。

「あたしも……このアレキサンドルのように、グールにするつもりか。あんたの操り人形にして、聞き出すつもりか!?」

 家族を殺され、自分はグールにされ、リュシー=エルザの思うがまま。そして彼らは、目的を果たして万々歳。
 そんなことは許せない。
 だが、今のジルに出来る対抗策は、もうほとんどなかった。彼らの計画を妨げるためには……。思いつく手段は、ただ一つ。
 屍人鬼(グール)にされる前に、舌を噛んで死んでやる!
 目を閉じて、それを実行しようとした時。

「そんなことは、しませんわ」

 リュシー=エルザが静かに言う。
 ジルは思いとどまった。

「……というより、できませんの。アレキサンドルを『屍人鬼(グール)』として使っていますから。先ほども話したように、一度に一人しか操れない……けっこう不便なんですよ、これ」

 こんな状況の中でも、少し安心するジル。
 ならば、自分が抵抗し続ければ……。

「でも、わたくし『制約(ギアス)』が使えますから」

「……ギアス?」

「ええ。心を操る水系統の呪文です。簡単な行動しか命令できませんけど、『写本』の隠し場所を喋らせるくらいなら十分ですわ。……ですから、あなたが最初から素直にわたくしの家まで来てくだされば、村で騒動を起こすこともなく簡単に片づいていたのに……」

 ニッコリと笑うリュシー=エルザ。
 ジルは、再び絶望した。

########################

「……私が?」

「そうだ。この程度のキメラ……君の魔法で、簡単に倒せるだろう?」

 キメラドラゴンをあしらいながら、アッサリと言うジュリオ。
 タバサは少し顔をしかめたが、すぐにそれも消える。
 彼女の表情の小さな変化を、彼は見逃さなかった。

「わかったようだね」

「……頭と首と胴体が、一直線に並ぶタイミング」

「そのとおり! さすが『雪風』の妖精だ!」

 最初のタバサの一撃が、キメラドラゴンの頭部しか吹き飛ばせなかったのは、ジャベリンが口内に刺さったからだ。だが胴体の中の臓器まで届けば、からだ全体を破壊できる。見るからに硬そうな肌をしているので、そうやって内側から倒すしかないだろう。

「では、どうぞ。可愛い妖精さん」

 このようにジュリオから呼びかけられるのは、何度目だろうか。
 だが、この時はじめて、タバサは体がゾクッとした。
 官能ではない。悪寒である。
 タバサは、ようやく理解したのだ。

「……私は、あなたの人形ではない」

「おやおや。賢い妖精さんだ。ますます好きになってしまうよ」

 ジュリオの『可愛い妖精』とは、魅力的な少女という意味ではなかった。戦力として使える手駒ということだ。
 それがわかった上で、なお彼の言うとおりに行動するのは、少し癪に触る。しかしキメラドラゴンを倒さねばならないのは確かであるし、タバサならば可能であるのも間違っていない。
 呪文を唱えながら、タバサは走り出す。ジュリオの隣、つまりキメラドラゴンの前方に回りこんだのだが……。

「……どうしたのかな?」

 杖を振り下ろすのを躊躇するタバサ。
 タイミングを見計らっている……というわけではない。ちょっとジャンプすれば、頭と首と胴体が直線上にのるような位置取りは可能だ。
 では、なぜ攻撃できないかというと。

「いたいよう……。いたいよう……」

 すすり泣く子供のような声が、まだキメラドラゴンの口から漏れているのだ。ジルの妹の顔をした、その口から。
 意識が残っているのだろうか。あるいは、生前の動きを繰り返しているだけなのだろうか。
 おそらく後者だと思うのだが、それでも。

「……しゃべってる。生きてるの?」

 尋ねるように、タバサはつぶやいていた。
 キメラドラゴンは答えない。ただ、その爪を振るうのみ。
 代わりに。

「違うよ」

 バッサリ否定したのは、傍らのジュリオ。

「彼女は、もう死んでいる。食い殺されたからこそ、こうして『顔』が出てきてるのさ」

 さらに、冷たい口調で。

「……それに、もしも生きていたところで、一度キメラに組み込まれた以上、もう元に戻すことは不可能だよ。美味しいミックスジュースを作れる料理人でも、そこからオレンジ・ジュースだけを取り出すことはできないだろう?」

 タバサは頷き、心を決めた。
 もう一度呪文を唱え直そうとしたのだが、ジュリオが目を細めて、追い打ちをかける。

「そもそも……。どっちにしたって、キメラドラゴンの首には、もう彼女の心は残っていないんだ。心がなければ……生きているとは言えないよね」

 ククッと笑うジュリオ。
 心がなければ生きているとは言えない……。
 母親の心を取り戻そうとあがくタバサにとって、これは聞き捨てならない言葉だった。
 タバサの魔力が、怒りで膨れ上がる。周りの空気が凍りついていく。

「……そう、その調子だよ、『雪風』の妖精さん。でも、間違えてはダメだ。その魔力をぶつける相手は僕じゃない。この可哀想なバケモノに叩き込んでやってくれ」

 全て計算のうち。
 そう匂わせながら、ジュリオは、目の前のキメラドラゴンを指し示した。

########################

 絶妙なタイミングで放たれた氷の槍は、キメラドラゴンの口に飛びこみ、喉を裂き、胴体の中へ。胃袋に突き刺さり、キメラドラゴンを体内から氷結させる。
 全身を凍らせるには至らなかったが、内蔵をやられたダメージは大きかったらしい。バケモノは口からドロドロの体液を吐き出し、ドウッと地面に倒れた。何度か痙攣して、動かなくなる。

「……やれやれ。けっこう手間取ってしまったね」

 そのとおり。
 タバサたちが来た目的は、キメラドラゴン退治ではない。
 行く手を遮る障害物を一つ、排除しただけ。それ以上の感傷を抱くべき出来事ではなかった。

「ジルが心配だ。先を急ごう」

 彼女の身を案じるかのような言葉だが、そこに気持ちはこもっていない。
 すでにタバサには、わかっていた。
 ジュリオの狙いも『写本』。あれだけ事情を知っていながら、それでもジルを放っておいたということは、自分から行動を起こしても無駄と判断したからだ。あえてジルを泳がせていたのである。
 こうして邪教集団の魔の手が伸びて来たのも、むしろジュリオにとっては好都合なのだろう。このイザコザをきっかけとして、『写本』の隠し場所まで案内させるつもりなのだ。

「……あなたも敵」

 洞窟に突入して、壁の明かりを頼りに走りながら。
 タバサは、小さくもらした。

「ん? 何か言ったかい?」

「……なんでもない」

 とりあえず、クロムウェルの教団に対しては共闘できる。
 ジュリオが自分を便利な戦力だとカウントしているのであれば、こちらも利用してやればいい。ジュリオを使って、ジルを助け出して、その後は……。

「おやおや。これは……」

 斜め前を行くジュリオが、突然、立ちどまった。
 タバサも停止。彼の背中から顔を出す形で、その場の様子を見る。

「……!」

 天井が少し高くなり、横幅も二倍くらいに広がった空間。
 その床に。
 ジルが倒れていた。

「遅かったようだね」

 ジュリオが、彼女を抱き起こす。
 タバサも近寄り、ジルの手首の脈をとるが……。
 確認するまでもなかった。
 口からは一筋の血が流れており、顔は既に土気色。生命の輝きは感じられない。
 ジルは、舌を噛んで死んでいたのだった。





(後編へつづく)

########################

 中編はジルの物語ということで、ここで区切り。

(2011年5月18日 投稿)
   



[26854] 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」(後編)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/21 21:06
   
「うーん。これは……困ったなあ」

 ジルの亡骸を抱きかかえながら、淡々とつぶやくジュリオ。
 使おうと思っていた道具が壊れちゃった……。そんな口調である。
 彼女をモノ扱いするジュリオにも腹が立つが、タバサは今、自分自身にも怒りを向けていた。
 もっと早く来ればよかった。そうすれば、ジルを死なせずに済んだかもしれない。それが出来なかったのは、対キメラドラゴン戦で時間をくったからだ。
 あそこで躊躇したが故に、こういう事態に……。その想いが、タバサを責めたてる。
 でも。
 だからといって、ここで立ち止まるわけにはいかない。

「……ん? どうするつもりだい?」

 スクッと立ち上がったタバサに、ジュリオが声をかけた。
 彼に背を向けたまま、タバサは歩き出す。

「……追う。この先にいるはず」

 洞窟は一本道だった。途中で誰ともすれ違ってはいない。つまり、ジルを殺した教団の者は、洞窟の奥にいるのだ。

「なるほど。でも……ジルは放っておくのかい?」

 瞬間、タバサの足が止まる。

「今は。……あとで埋葬しに戻る」

「埋めちゃうのかい? ……いやいや、それは可哀想だよ。ちょうど、まだ聞かなきゃいけないこともあるから、こうやって……」

 洞窟内が、パーッと明るくなった。
 背後でジュリオが何かしたのだ。

「……!?」

 慌てて振り返った時には、既に光は収まっていた。
 そして、驚くべきことに。

「あれ? あたし……どうして……」

「お目覚めですか、お嬢さん」

 ジュリオの腕の中。
 死んだはずのジルが、目を開いていた。

########################

「……どうやって?」

 聞くだけ無駄だというのは判っているが、それでもタバサは、反射的に尋ねてしまった。

「それは秘密だよ。男は、秘密の多い生き物だからね」

 ジュリオの返答は、予想どおり。
 タバサは考える。使者を蘇らせるマジックアイテムで、真っ先に頭に浮かぶのは、アンドバリの指輪だが……。
 ジュリオの右手は、白い手袋に覆われていた。手袋内部の『手』がどうなっているか知らないが、指の部分が異様に膨らんだりはしていない。中で指輪をはめている様子はなかった。
 左手には四つの指輪をしているが、それもアンドバリの指輪とは別物。四つとも始祖ブリミルの指輪だ。
 では……どうやって?
 ジュリオに関する謎が、また一つ増えてしまった。しかし、とりあえず今はジルだ。

「ジル。話を聞かせて欲しいな」

 起き上がったジルに尋ねるジュリオ。タバサも知りたい。
 
「えーっと……あたし……」

 ジルは話し始める。
 手紙で誘い出されたこと。リュシーと名乗る吸血鬼『エルザ』たちが待っていたこと。そしてリュシー=エルザから知らされた真相……。

「……で、そのギアスって魔法に抵抗するために、死んでやろうって思ったんだけど……無理だったみたいだね」

 ジュリオとタバサは、顔を見合わせる。
 ジルが死んでいたことは敢えて告げまい。二人の顔には、そう書いてあった。

「その吸血鬼が、教団の作戦指揮官なわけか。ふーむ。それが、君を置いて姿を消したということは……」

「あたし……操られて、喋っちゃったのかな?」

 自決は成功しているのだから、情報秘匿にも成功したのかもしれない。あるいは、死に際にギリギリで言わされたのかもしれない。
 だが前者であるならば、ここにジルの死体を放置してはいかないだろう。となれば、後者である可能性が高い……。
 タバサはそう推測したし、ジュリオも同じだったらしい。

「……そうかもしれないね。とにかく、その吸血鬼たちを追おう。ジル、君は……」

「あたしも一緒に行く!」

 たった今まで死んでいたとは思えぬくらい、元気よく叫ぶジル。体を動かすにも支障はないようだ。

「わかった。じゃあ行こう」

 ジュリオ、ジル、タバサの順に並んで、三人は洞窟の奥へ進んでいく。
 途中、ジュリオは振り返って。

「そうだ。君に一つ、教えてあげよう。あのキメラドラゴンは……タバサが倒してくれたよ」

「……え!」

 少し間を置いてから、ジルはタバサに顔を向ける。
 すこし複雑な表情だが、それでも満足の色が浮かんでいた。

「ありがとう。あたしの家族の……仇を討ってくれたんだね」

 タバサは、何も言えなかった。ただ黙って、小さく頷くだけであった。

########################

 やがて、三人は再深部に辿り着く。
 ジルが倒れていた場所よりもさらに一回り大きな、自然の大広間になっていた。突き当たりの壁には、あのドラゴンキメラの全身すら映し出せそうな巨大な姿見がある。
 そして、その鏡の前には……。

「ここを死守しろと言われた」

 キメラの群れを率いた『地下水』。
 彼の後ろのキメラ軍団も、明らかに戦闘用に作られた怪物ばかり。頭が二つあるオオカミ、角を持つ巨大なヒヒ、腕が四本あるクマ、体に無数の太いトゲを生やしたトラ……。他にも、形容しがたいバケモノがたくさんいる。

「なるほどね。そういうことだったのか」

「……どういうこと?」

 ジュリオのつぶやきに、とりあえず聞いてみるタバサ。
 ここまでのつきあいで、彼女にも判ってきたのだ。ジュリオは何が何でも秘密主義というわけではなく、ちゃんと解説してくれる場合もある。
 この時も、そうであった。

「あの『鏡』さ。ほら、あの連中の存在を感知して、うっすらと光っているだろう? あれはただの鏡じゃない。『ゲート』のような魔法の鏡だ」

 そこまで聞けば十分。タバサは小さく頷いて、ポツリと口にする。

「……秘密の抜け穴」

「そういうことだ」

 リュシー=エルザたちが洞窟の外ではなく奥へ進んだことが少し不思議だったが、これで謎が解けた。なんのことはない、彼らはちゃんと『外』へ向かっていたのだ。
 おそらく、この『鏡』はサビエラ村に通じているのだろう。キメラドラゴンが村を襲う際も、外の街道を通ってではなく、この『鏡』から村へ向かっていたと思われる。

「じゃあ、さっさと片づけようか」

 ジュリオが、サラッと口にした。キメラ軍団や『地下水』を前に、まったく臆した様子はない。
 一方タバサは、前回『地下水』に手ひどく痛めつけられた記憶がある。今度は負けないと心に誓うが、体は正直だ。あの時の苦痛が、体に染込んでいた。完治したはずの喉と左腕が疼く。

「……そうか。君には、あの『地下水』は荷が重いのか。ならば、ここは僕に任せたまえ。君たちは、先に行って構わないよ」

 えっ、とタバサが思う暇もなく。
 敵が対処するよりも早く。
 ジュリオは、サッと左手を振った。
 チラッと指輪の一つが光ったように見えた直後、彼らの周囲に白い霧が立ちこめて、敵も味方も視界を奪われる。

「……わかった」

「えっ、何……」

 タバサはジルの手を取り、鏡に向かって走りだした。白霧の中でも鏡だけは淡い輝きを放っているため、はっきりと場所がわかる。
 キメラや『地下水』も無視して駆け抜ける。攻撃を受けるとは思わなかった。ジュリオがああ言った以上、ちゃんと防いでくれると信じていた。
 予想どおり。
 タバサはジルと共に、無事、鏡の『ゲート』に飛び込むことができた。

########################

「何が……どうなってるの……? あたしたち、鏡にぶつかったはずなのに……」

「……マジックアイテム」

 端的に答えるタバサ。
 鏡をくぐった先は、石室だった。
 石壁に覆われた、十メイルほどの長方形の部屋。ちょうどキメラドラゴンの体がすっぽり収まるくらい。

「……さがって。私の後ろに隠れてて」

「う、うん……」

 ジルの安全を確保してから、タバサは呪文を唱える。壁や天井に軽く風を当ててみたところ、天井が少し持ち上がった。

「……わかった。出口は上」

 ジルに言い聞かせるようにつぶやいてから、先ほどよりも強い風で、天井を吹き飛ばす。

「きゃ!」

 悲鳴を上げたのはジル。強風で飛んできた物が当たった……というわけではない。まぶしかったのだ。突然、昼間の陽光が差し込んできたのである。

「……外へ出る」

 魔法でタバサは、ジルと一緒に浮かび上がる。
 石室の外は、草地だった。そこに降り立つ頃には、ジルも光に目が慣れて来たらしい。辺りを見回して、タバサに告げる。

「ここは……サビエラ村のはずれだ。ほら、あそこにアレキサンドルたちが住んでた家もある」

 頷くタバサ。
 指し示されたあばら屋を見るのは初めてだが、だいたい予想は出来ていたからだ。
 彼らがバケモノ事件の黒幕であり、さきほどの洞窟がキメラドラゴンの隠れ家であった以上、ここに通じているというのが合理的である。

「こんなところに……こんなものがあったなんて……」

 ジルは信じられないという表情をしていた。
 タバサが中から吹き飛ばしてしまったので、今はポッカリと穴が開いている。だが、今まではちゃんと偽装してあったのだろう。だから村人たちも気づかなかったのだ
 村にはたくさんの傭兵が雇われていたが、しょせん彼らは『傭兵』。誰も事件解決を目指していたわけではない。むしろ、いつまでも雇っていてもらえるよう、解決を望まなかった者すらいたかもしれない。
 タバサやジュリオは真相を知りたがっていたはずだが、彼らは村に来たばかり。この辺りは、まだ調査していなかった。

「……ん? あれは……」

 村の中央の方角へ目を向けるジル。そちらから、人々が騒ぐ音が聞こえてきたのだ。

「行くよ!」

 ジルが叫んで駆け出す。もちろん、タバサも続いた。

########################

 サビエラ村の中央広場は、山あいの村にしては珍しく、かなりのスペースの平地となっている。集会や祭りなどの催しに使われる場所であり、時が時ならば村人たちの笑顔で溢れかえっていたことだろう。
 しかし、今。
 そこは戦場であった。

 ゴオオォッ!

 重厚な鎧で身をかためた男、ルフトの『カッター・トルネード』が荒れ狂う。間に真空の層が挟まっていて、触れると切れる。恐ろしいスクウェア・スペルだ。
 彼の周りには、すでに多くの傭兵たちが倒れていた。体中に切り傷が走り、血を流している。仲間だったはずのルフトにやられたのだ。
 そんな中。

「あたしは……前々から、あんたのことが気に食わなかったんだ……」

 一人の女傭兵が、しっかりと大地を踏みしめて、ルフトに吐き捨てた。
 ブレオンである。
 彼女もまた、『風』を得意とするメイジ。自身の風の刃を飛ばすが、ルフトの体には届かない。彼の竜巻に吸収される形で、消滅してしまう。

「ちッ! 厄介な相手だ……」

 なぜ突然、ルフトが仲間を襲い始めたのか。おそらく、少し離れたところで暴れているアレキサンドルと関係があるのだろう。
 だが理由など、ブレオンにはどうでもいい。久々に歯ごたえのある相手と戦えるのだ。
 全身から発せられるオーラで、長い銀髪がゆらめく。
 魔力そのものは、ブレオンも低くはない。ただ、それを扱う腕前に難があるだけ……。

「おや……?」

 迫り来る竜巻から目を離さず、なんとか避け続けながら。
 ブレオンは、視界の隅に、小柄な青髪少女の姿を認めた。昨日から傭兵集団に加わったメイジ、タバサだ。
 タバサが杖を振り下ろし、氷の矢が飛ぶ。それは背後の死角からルフトを襲う。
 まともに食らって、倒れ込むルフト。自慢の鎧ごと、地面と一緒に凍りついている。

「よし! とどめ……」

 ブレオンは杖に魔力を纏わせて、ルフトの元へ。その首めがけて振り下ろそうとするが……。

 バシッ!

 空気の塊を手に叩きつけられ、杖を取り落とした。

「何すんだい!?」

「……殺す必要はない。おそらく『制約(ギアス)』で操られていただけ。彼は元に戻る。それより……」

 近寄りながら声をかけるタバサ。彼女は自分の杖で、もう一つの戦場を指し示す。
 そこではアレキサンドルが、おのれの怪力だけを武器にして、数名のメイジ相手に大立ち回りを演じていた。

「……あっちは無理。『屍人鬼(グール)』だから、もう動く死体と同じ。あれこそ、ちゃんと始末してあげるべき」

 小さな少女は言い放つ。年長であるブレオンが驚くほど、冷淡な物言いであった。

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 洞窟の中の戦いも、既に勝敗は決していた。
 累々たるキメラの死体の中、静かに対峙するジュリオと『地下水』。

「おまえ……何者だ?」

 暗殺者『地下水』の目から見ても、ジュリオはバケモノであった。
 彼がリュシー=エルザから借り出したキメラたちは、強力なモンスターばかり。それが、こうも簡単に……。

「僕はジュリオ・チェザーレ。ロマリアの神官だよ」

「バカな。おまえのような神官がいるものか……」

「そう言われてもねえ。神官という言葉が気に入らないなら、獣神官と呼んでくれてもかまわないけど?」

「……そういう問題ではない」

 彼らしくないことだが、『地下水』の声には、焦りの響きすらあった。

「そんなことよりさ。どうする? 今度こそ決着をつけるかい? それとも、さっきのように逃げるのかな」

 今の二人の位置関係は、戦闘が始まった時とは逆になっている。
 鏡を背にして立っているのは、『地下水』ではなくジュリオの方だ。タバサたちを追うという意味では、これ以上『地下水』と戦う必要はなかった。

「殺せ……と言われれば殺す。それが暗殺者だ。しかし俺ではお前には勝てん。……今の俺では」

 まるでパワーアップの余地があるかのような含みを残して。
 『地下水』は、ジュリオの前からアッサリと消え去る。
 
「ふーん。身のほどをわきまえている奴もいるんだな。……人間の中にも」

 そう言いながら、ジュリオは鏡の中へ入っていった。

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「ウオーッ!」

 獣の咆哮をあげ、アレキサンドルが傍らの杭を引き抜いた。熊のような力である。

「こいつ……強いぞ!?」

「バカ、お前が邪魔なんだよ!」

 これまでアレキサンドルが傭兵メイジたちと対等に戦ってこれたのは、傭兵同士の連携がなかったからだ。『ブレイド』で杖を魔法の剣として斬り掛かる者もいたが、そうやって接近戦を仕掛けるメイジは、離れて魔法を撃ち込もうとするメイジを妨げる形にもなっていた。

「……どいて!」

 その状況が、タバサの加勢で一変する。
 アレキサンドルから距離をとるように指示を出し、言うことを聞かない傭兵には実力行使。風の魔法で吹き飛ばしてしまった。
 さらにタバサは、『ウィンディ・アイシクル』を唱える。

 シュカッ! シュカカカカッ!

 四方八方から現れた氷の矢が、アレキサンドルの体を串刺しにした。
 ドウッと地面に崩れ落ち、彼はジタバタと暴れる。
 
「……焼く」

 その一言で十分だった。傭兵たちの中にも、それなりの場数を踏んで来た者がいるのだ。あとは彼らの仕事だった。
 誰かがアレキサンドルに土をかけて。
 誰かが土を『錬金』で油に変えて。
 誰かが火の魔法で燃やして。
 ……『屍人鬼(グール)』アレキサンドルは、その場で荼毘に付された。

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 メラメラと燃える炎に照らされて、傭兵たちが静まり返る中。
 タバサが尋ねる。

「……説明して」

 誰に尋ねたのか、何を聞きたいのか、はっきりしない。それでも傭兵たちを代表して、同室で一夜を過ごしたブレオンが口を開く。

「あの三人が突然、出てきたんだ……」

 昼間は家に閉じ篭っているはずのマゼンダ婆さんと孤児エルザ。二人がアレキサンドルを連れて、あばら屋の方から村の中央へやって来たのだった。
 不思議なことに、マゼンダ婆さんは、いつもより数十歳は若く見えた。逆にエルザは、子供とは思えぬ声と口調だった。

「……で、エルザちゃんが言ったんだ。『この村も、もう潮時かしら』って」

 ただでさえバケモノ事件との関連を疑われていた者たちである。彼女の不審な言葉に、村人たちの数人が詰め寄った。
 ところがエルザは、それを撥ね除けて……。

「……そして、アレキサンドルが暴れ始めたんだ」

 人とは思えぬ怪力ぶり。村人たちの手には余り、村人たちと親しくしていた一部の傭兵たちが、まず助っ人として参加する。
 続いて、騒動を収めるようにと村長から言われて、他の傭兵たちも。

「そうしたら、なぜかルフトの奴が、向こう側に回っちゃってさ」

 タバサに対して説明しながら、ブレオンは鎧の男へチラリと視線を向けた。
 ルフトは今、凍りついた鎧を脱ぎ、少し離れたところに座り込んでいる。この騒ぎの間の記憶がないようで、キョトンとした顔になっていた。

「……彼も被害者。『エルザ』に操られていた」

「そうなのかい? ま、あんたがそう言うなら……」

 ルフトが『制約(ギアス)』にかかっていたのであれば、彼自身の意志とは無関係に、これまでも簡単な用事をさせられていたのだろう。おそらく昨夜のセレスタン失踪事件にも関わっているし、ジルの部屋まで手紙を届けたのも彼だ。
 しかし、それよりも今は、もっと大切な問題がある。

「……彼女たちは?」

「彼女たち……って?」

「マゼンダと『エルザ』」

「ああ、その二人かい。その二人なら、いつのまにか姿を消していて……」

「……わかった」

 アレキサンドルやルフトを暴れさせて、その隙に、二人は『写本』の在処へ向かったのだ。
 タバサは、そう推測する。ジルを見ると、彼女も頷いていた。同じ考えが頭に浮かんだようだ。

「なあ、タバサ。今度は、あたしが質問する番だ。……いったい何がどうなってるんだい? やっぱり彼女たちがバケモノ事件の黒幕だったのかい?」

「そうです。実は……」

 タバサより先に、ジルが答えようとする。
 彼女は、悲しそうな表情をしていた。
 リュシー=エルザから聞いた話によれば、このサビエラ村が襲われたのは、ジルのせいなのだ。家族を失ったジルが——『写本』の隠し場所を知っているジルが——この村で暮らし始めたからこそ、邪教集団もサビエラ村まで追って来た。ジルが来なければ、この村は事件に巻き込まれることもなく、平和に……。

「詳しい話は、あと」

 スッと杖を出して、ジルを制止するタバサ。
 今は一刻も早く、リュシー=エルザたちを追跡するべきだった。それに、事情を全て村人たちに語る必要もない。悪いのはジルではなく、リュシー=エルザたち邪教集団なのだ。

「タバサ、奴らを追っていくつもりかい。なら、あたしたちも……」

「……来なくていい」

 ブレオンの言葉を、タバサは切り捨てた。
 少しムッとするブレオンだが、先ほどの戦闘の様子を思い出し、納得する。

「そうだね。あたしたちじゃ、あんたの足手まといになる……」

「あたしは行くよ!」

 ジルが叫んだ。
 タバサは、あらためて彼女を見つめる。
 たしかに、ジルは一番の当事者だ。それに……。

「……『写本』の隠し場所に詳しいのは、彼女だからね」

 背後からかけられた声に、タバサが振り返るより早く。

「ジュリオ様〜〜!」

 ブレオンが、似合わぬ甘い声を出していた。

「どこに行っていたんですか!? タバサも一緒に姿を消したから、よもや二人で逢い引きでもしてるんじゃないかと、あたしは気が気じゃなくて……」

「……いつから、ここに?」

「『あんたの足手まといになる』ってところから」

 ジュリオに擦り寄るブレオンは無視して、タバサとジュリオは会話する。

「……来たばかり」

「そうだ。でも状況は理解できたよ。……逃げられてしまったんだね?」

 コクンと頷くタバサ。

「ならば、こんなところでモタモタしてる場合じゃない。僕たちも行こう!」

「はい、ジュリオ様!」

 行かないはずのブレオンが、力強く頷いていた。

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 ガリアの青空を二匹の青い竜が飛ぶ。アズーロとシルフィードである。
 シルフィードは、背中にタバサとジルを乗せていた。

「きゅい……」

「だめ」

 竜の意図を察して、先に制するタバサ。
 シルフィードにしてみれば、サビエラ村から少し離れたところで別れたタバサが、いつのまにか村に戻っていたのだ。そして今度は、また別の地へ向かうよう、命じられた。聞きたいことも話したいことも、たくさんあった。
 しかし、タバサとジュリオ以外の者がいる以上、おしゃべりは厳禁。わかってはいるのだが、ちょっと不満なシルフィードであった。
 タバサが、シルフィードの首をソッと撫でる。

「……それは、あとで」

「きゅい!」

 一方、アズーロの背には、ジュリオとブレオンが乗っている。
 足手まといだから行かないと言っていたブレオンも、ジュリオが行くと知った途端に前言撤回。タバサたちも、彼女を説得する時間が惜しいと判断して、同行を許したのだった。
 今は背中からジュリオにしがみついており、ブレオンは幸せ一杯の笑顔である。

「ああ……。ジュリオ様と空のデート……。夢みたいだわ……」

 おそらく彼女は、どこへ行くのか、何しに行くのか、気にしていないのであろう。事情を理解していれば、こんな呑気な態度でいられるわけがない。
 これから彼らが向かう先は、『ファンガスの森』。かつてジルが住んでいた森であるが、いまだにキメラが徘徊しているという危険なところでもある。
 その森の中に、ジルは家から持ち出した『写本』を隠していた。タバサたちは、リュシー=エルザの邪教集団よりも早く、そこに行かねばならないのだ……。

########################

 森の入り口で竜から降りて、四人は『ファンガスの森』へ入っていく。
 森の中は静かで、澄んだ空気の香りがした。
 先導するのはジル。先に出発したリュシー=エルザたちに負けないためにも、正確な場所を知るジルの存在は重要である。
 ブレオンはジュリオに腕をからませつつ、もたれかかっており、文字どおりの足手まとい。だが、ジュリオは気にしていない様子で、笑みすら浮かべている。
 タバサは杖を構え、周囲に気を配りながら歩いていた。
 やがて……。

「ここだ……」

 立ち止まったジルが指さしたのは、巨大な朽ち木。巧妙に草と薮で隠されていたが、根っこの隙間に、幅三メイルほどの穴が開いていた。

「……これが地下空洞に繋がってるんだ。たぶん獣かキメラの巣穴だったんだろうが、あたしが森に住んでた頃には、もう住人はいなくなっていた」

「キメラだとしたら……退治されたか、あるいは他へ連れて行かれたのだろうね」

 ジュリオの言葉で、タバサは思い出した。洞窟の鏡の前に現れた『地下水』はキメラ軍団を従えていたのだ。あのキメラたちも、この森で生まれたキメラなのかもしれない。
 しかし、そんなことより。

「……遅かったみたい」

「そうだね」

 タバサのつぶやきをジュリオも肯定する。
 二人は、穴の近くの落ち葉や泥土の様子から、人が入っていった形跡を見つけていた。

「……でも行く」

「ああ。まだ中にいるかもしれない。ここで引き返す手はないさ」

 タバサとジュリオの意見が一致する。ジルにも異論はなく、ブレオンに意見はなかった。

「さすがに危険だ。僕が前を行こう」

 敵が残っている可能性を考慮すれば、ジルを先頭にするのは愚策である、
 ブレオンというオマケつきのジュリオが穴に入り、ジル、タバサの順で続いた。

########################

 少し進んだだけで、地下の洞窟は行き止まり。直径が四メイルはあろうかという、球状の空間になっていた。誰が灯したのか、魔法の明かりが、うっすらと周囲を照らし出している。
 そこに……。

「やはり来たのですね。また『地下水』は失敗したのですか……」

 人形のように可愛い、小さな金髪の少女。
 タバサやジュリオは初対面だが、今さら紹介の必要もない。これが、リュシーという名を持つ吸血鬼『エルザ』だった。

「……おや? あなた、生きていたのですか!? それはよかった……」

 ジルの姿を目にとめて、ホッとしたような声を出すリュシー=エルザだが、

「よかぁないよ!」

 当のジルは怒っていた。目の前のリュシー=エルザこそが、サビエラ村での一連の事件の黒幕であり、ジルの家族を殺した邪教集団の一員なのだ。

「……『写本』は?」

 タバサが口を挟む。
 リュシー=エルザは目を細めて、少し間ジーッとタバサを見つめた。それから、ゆっくりと首を横に振って。

「組織の本部のお目付役のかたが、持っていってしまいましたわ」

 ここにいるのは、リュシー=エルザのみ。彼女と一緒だったはずの『マゼンダ婆さん』の姿は見えない。ならば、そのマゼンダという女が、リュシー=エルザの言うところの『お目付役』なのだろう。
 タバサが、そう判断した時。

「なるほど。ならば僕たちも、ここに長居する必要はない」

 軽い口調で言うジュリオ。それをリュシー=エルザが笑い飛ばす。

「あら、そうはいきませんわ。もしも追っ手が来た場合にはここで足止めをするように……と、わたくし、頼まれていますから」

「吸血鬼のレディ、残念ながら僕には、あなたの御相手をしている時間はありません。それは『雪風』の妖精たちに任せましょう。……では!」

 一陣の風が吹いた。

「……え?」

 続いて、ブレオンの倒れる音。

「ちょっと! どういうこと!?」

 驚きの声で、ブレオンはキョロキョロと周囲を見渡す
 たった今まで彼女が寄りかかっていたジュリオが、突然、その場からいなくなったのだ。

「あら……。困りましたわね。わたくし、これでは任務失敗ということになってしまうのかしら?」

「……そう。だから、もう私たちが争う必要もない」

 冷酷に聞こえるが、そうではない。タバサは、無用な戦いは避けようと提案したのだ。
 しかし。

「そうはいかない! こいつらは、あたしの家族や村の仲間の仇なんだ!」

 ジルは好戦的だ。背中のバッグから、何やらゴソゴソと、武器を取り出そうとしている。
 そして。

「そうですわ。ジルさんのおっしゃるとおり……。戦いは避けられません。『雪風』さん、せめてあなただけでも、この場に引き留めないと」

 リュシー=エルザが、手にした小さなタクトを構える。
 こうなっては仕方がない。タバサも杖を握りしめ、身構えた。
 隣では、ブレオンまで臨戦態勢。

「ええい、なんだか知らないけど! あんたのせいで、ジュリオ様が帰っちゃったじゃないか!」

 半ば八つ当たりでリュシー=エルザに怒気を向け、長い銀髪を震わせていた。

########################

「気をつけて! 彼女は高位の『水』メイジ!」

 リュシー=エルザは禁呪『制約(ギアス)』を使うメイジだ。それ自体も恐ろしい魔法だが、『制約(ギアス)』を使えるくらいなのだから、他にも強力な水の魔法を駆使するはず。
 そう考えたタバサは警告の意味で叫んだのだが、少し遅かった。

「ぐげ! ごげ! 息が! 息ができなぐぼごぼげごぼぉ」

 水の塊がブレオンを包み込み、水柱の中で彼女は悶える。
 戦闘開始早々、一人脱落。
 三対一という状況だったせいか、あるいは、必要以上の殺生を嫌ったためか。リュシー=エルザはブレオンを溺死させることなく、その意識を刈る程度にとどめて、次の標的へ。
 細い小さな杖から水の鞭が伸びて、タバサを狙った。
 しかし。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」

 タバサの『ウィンディ・アイシクル(氷の矢)』が水鞭を迎え撃ち、凍らせてしまう。

「やっぱり……。わたくしの水の力は、『雪風』のあなたには相性が悪いようですわね」

 どこか観念した口調のリュシー=エルザ。
 まだ戦いの途中だというのに、まるで既に勝敗は決したかのような態度である。
 こちらの油断を誘うための策であろうか? タバサは警戒を強めたが……。

 バシュッ!

「うっ……」

 狡猾なはずの吸血鬼は、演技ではなく、本当に隙があったようだ。
 メイジではないために、大きな戦力としてカウントされていなかったジル。彼女が放った一本の矢が、リュシー=エルザの胸を貫き、小さな爆発を起こした。

「……これは?」

「ただの矢じゃどうしようもないからね。あたしが作ったんだよ。いつか家族の仇をとるために、と思って……」

 問いかけるタバサに答えるジル。言葉だけ聞けば得意げであるが、その表情は険しかった。
 ジルの矢は、先端に火薬が取りつけられていたらしい。
 食らったリュシー=エルザは、胸に大きな風穴を開けて、その場に倒れていた。
 しかし、さすがは吸血鬼の生命力。人間なら即死するような傷だが、まだ喋ることができた。

「負けましたわ……」

 口からゴボッと血を吐きながら、リュシー=エルザは、歩み寄るタバサに語りかける。

「ここに来たあなたを見て、予感しました。あなたは倒せないと。わたくし以上に復讐心を秘めたあなたには、勝てるはずがないと」

「……え?」

 ジルが驚きの声を上げた。リュシー=エルザを射抜いたのはジルであり、そこには、彼女の復讐心がこめられていた。家族を殺した邪教集団に対する恨みがこめられていた。
 それなのに……。
 リュシー=エルザは、ジルではなく、タバサの復讐心について言及したのだ。

「もう最期です。わたくしの告解を聞き届けてくださいまし……」

########################

「わたくしは、ガリアの貴族の家に生まれました。ですが父は政争に巻き込まれて命を落とし、屋敷も財産も奪われたのです。……わたくしの父は、オルレアン公に仕えておりましたから」

 その名前で、わずかにタバサの眉が動く。それをリュシー=エルザは見逃さなかった。

「そうです。シャルロット様、あなたのお父上です」

 彼女は哀しげな目で、続きを語る。

「家族も散り散りになってしまい、わたくしは寺院に身を寄せ、出家することにいたしました。ですが本心から神を信じることは出来ませんでした。わたくしの家族を壊したガリア王政府への復讐……。わたくしの胸の内で、それがずっと燻っていたのです」

 やがてリュシーに、復讐の機会がやってきた。艦隊付き神官として、ガリア両用艦隊への赴任が命じられたのだ。
 海に浮かぶ帆船でありながら、風石を積み、空用の帆と羽を張る事で空軍艦としても使える両用艦隊。それが海沿いの軍港サン・マロンに停泊していた時、彼女は大事件を引き起こす。
 両用艦隊連続爆破事件。多くの艦艇と乗組員を亡きものにし、ガリア王国に多大な損害を与えた事件である。

「わたくし自身が手を汚す必要はありませんでした。寺院の告解室に来た信者に『制約(ギアス)』を刷り込むだけ。もともと寺院に来るような者たちは、すがりつくものを求める心弱き人間でしたから、簡単に『制約(ギアス)』にかかりました」

 それは宗教を信じる者の言葉ではなかった。宗教を利用する者の言葉であった。しかしタバサは頷いてみせた。

「……その事件は、私も知っている。結局、あなたは捕まった」

 この爆破事件に関する話は、噂で聞いただけではない。タバサは、カステルモールからも聞かされていた。真犯人を暴いたのはカステルモールであり、これも彼の手柄の一つとなったからだ。

「そうです。悪いことは出来ないものですね。……捕えられたわたくしは、あとは静かに死を待つはずだったのですが……」

 リュシーを助けたのは、クロムウェルの組織だった。
 当時のクロムウェルは、自分の手駒として使える者たちを集めている最中。あれだけの大事件の犯人であり、もはや表社会では生きていけぬ彼女は、かっこうの人材だった。

「そして組織の一員となったわけですが……。指名手配から逃れられるよう、新しい体と顔を与える……。そう言われて、吸血鬼に脳移植されてしまったのです」

 もはや人間ではなくなったリュシー=エルザ。そんな彼女を支えたのは、やはりガリア王家への復讐心。
 組織の教義など、当然、信じてはいない。ただ、力が必要だった。
 クロムウェルの組織の中で、少しでも高い地位へ上がり、ゆくゆくは組織の力を利用して、ガリア王家に戦いを挑む……。

「少しずつ頑張って……。ついに大きな作戦を任されたのです。『写本』を手に入れる……。これに成功したら、わたくしも組織の大幹部になったでしょうに……。あのマゼンダさんすら越える、高い地位に……」

 ジルを追ってサビエラ村に辿り着いたリュシー=エルザは、キメラドラゴン運用試験という別の任務も、同時におこなった。また、吸血鬼として『エサ』を必要としたため、村人や傭兵たちの誘拐も。
 半ば陽動として、それらに人々の目を引きつけておいて、本命であるジルへの接近を試みる……。
 これが、一連の事件の真相であった。

「ええ、たしかに『写本』は手に入れました。でも……わたくし自身がやられてしまっては……意味ないですわね」

 自嘲の言葉を吐く吸血鬼。しかしリュシー=エルザには、もう自身を笑い飛ばす力すら残っていなかった。
 最後に彼女は、まるで遺志を託すかのように、小さな手をタバサに伸ばした。

「シャルロット様。あなたならば……いつかきっと、復讐を成し遂げることができるでしょう。……お願いします。どうか……あなたのお父上と……わたくしの父の……仇を……。あの憎きガリア王ジョゼフを……」

 それが限界であった。
 彼女の手が、ストンと地面に落ちる。
 こうして。
 吸血鬼リュシー=エルザは、息を引き取った。
 ……無能王ジョゼフが既に滅んだことを、知らぬまま。

########################

 暗黒の洞窟から出て、鬱蒼とした森も抜けて。
 三人の女性は、竜の待つ場所まで戻ってきた。

「きゅい! きゅいきゅい!」

 騒がしいシルフィード。
 アズーロの姿が見えないところを見ると、ジュリオが乗って行ったのか。ならばシルフィードには、タバサに報告したい話もあるに違いない。

「……あとで。もう少し待って」

「きゅい……」

 言葉を交わす主従を見て、ジルが声をかける。

「いいよ。先に行きな」

 タバサは、まだ『写本』を追うつもりだ。それが判ったから、ジルは、ここでタバサと別れるつもりだった。

「なんだか知らないけど……。あたしたちは、歩いて村に戻るさ」

 ブレオンも、ジルに賛成する。実際には、徒歩で移動したら大変なので、どこかで馬か何かを借りることになるだろう。が、ともかく、これ以上タバサの世話になる必要はない。

「……わかった。ありがとう」

「あ! ちょっと待って……」

 竜の背に乗ろうとしたタバサに、ジルが駆け寄った。
 体を近づけて、小声で。

「さっきの話さ。聞かなかったことにしておくよ」

 リュシーの告白の中には、タバサが実は王族であるという内容も含まれていた。
 気絶していたブレオンは聞いていない。ジルさえ知らないフリをすれば、秘密は保たれるのだ。

「……そうしてもらえると助かる」

 タバサは頷いた。
 それから、あらためて、ジルとブレオンにペコリと頭を下げる。タバサなりの、別れの挨拶だった。

「きゅい!」

 シルフィードも、ひと鳴きして……。
 主従は、空へと消えていった。
 竜の青が空の青さに溶け込んで、やがて、姿が見えなくなる。

「……行っちゃったね」

「ああ。あたしたちも、帰ろうか」

 ジルとブレオンも歩き出した。
 しかし数歩も進まぬうちに……。

「おい、ジル! どうしたんだ!?」

 ジルが突然、倒れてしまったのだ。
 ブレオンはジルを揺さぶるが、まったく反応はない。
 それどころか、息もしていなかった。

「……死んでる」

 ジュリオから与えられた魔力が切れて、かりそめの命の灯火が消えたのである。
 当然、そんな事情をブレオンは知らない。ただ空を見上げて、叫ぶしかなかった。

「なんで……!? なんでなんだよう!」

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 ブレオンの声が届かぬ遥か先を、タバサはシルフィードに乗って飛んでいる。

「きゅいきゅい!」

「……もう喋っていい」

「きゅい! 色々あったのね! さっきも、あの恐い神官だけが戻ってきて……」

 ジルの死をタバサが知るすべはない。
 何も知らずに、タバサは『写本』を追う。
 そこには、心を取り戻す秘法が書かれているかもしれない……という淡い期待を胸にして。





 外伝タバサの冒険「タバサと獣神官と暗殺者」完

(第四部「トリスタニア動乱」及び第五部「くろがねの魔獣」へつづく)

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 結局死んでしまうジルとか、ジョゼフ死亡を知らないリュシーとか、救いのない結末だと思われるかもしれませんが……。
 敢えて、こうしてみました。これは「外伝」ですから。

(2011年5月21日 投稿)
   



[26854] 番外編短編4「千の仮面を持つメイジ」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/24 22:57
   
 ……まさにそれは突然だった。

「ルイズ・フランソワーズ、かくごぉぉっ!」

「ひょえええっ!?」

 とっさに身を引く私の鼻先を、魔法の矢がかすめていった。

「なっ、なっ、な……」

 あやうくひっくりかえるところだったが、それでもなんとかバランスを立て直し、椅子から立ち上がって相手の方に体を向ける。
 小さな街の、小さなお店。クックベリーパイがメニューにあったので注文してみたら、田舎町とは思えぬ素晴らしい出来映え。あっというまに半分食べてしまい、さて残りは少しゆっくり味わおうか……と思った矢先の攻撃である。

「どうせ、こういう馬鹿なことをするのはキュルケ……」

 まだサイトを召喚していなかったが、既にキュルケは旅の連れ……という時期の話である。そのキュルケは、少し前にフラッといなくなっていた。だから、てっきりキュルケが、彼女流の再会の挨拶をかましてきたと思ったが……。
 キュルケではなかった。
 見れば相手は、私より十歳くらい年上の女性。格好からすると、貴族のメイジのようだ。

「……いきなり何なのよっ!」

「黙りなさいっ!」

 彼女は、キッと私を睨みつける。
 黒髪をひっつめ、眼鏡をかけた妙齢の女性。魔法修業の実戦よりも、屋内での魔法研究が向いていそうな面構えだが、眼鏡の奥の瞳は燃えている。

「兄のカタキ、覚悟!」

「ちょっ、ちょっと!?」

 彼女の杖から繰り出される水の鞭。それを避けながら、私は店の外に飛び出した。
 ちちぃっ! まだクックベリーパイ半分しか食べてないのに! でも私と違って逃げられないクックベリーパイさんは、水の魔法で、もうベチョベチョ。
 許せん! クックベリーパイさんのカタキ!

「『ゼロ』のルイズの実力……思い知らせてやるわ!」

 昼の日中の大通り。それでも少し走れば、ある程度スペースのある場所まで辿り着く。
 そこでクルッと体を反転させて。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース……」

「それは……『氷嵐(アイス・ストーム)』の呪文! トライアングルスペルじゃないの!?」

 うん。
 あんたが水系統のメイジみたいだから、私もそれ系の魔法を唱えてみた。あいにく、私が使うと全く別の魔法になるけど。

 ちゅどーん!

「きゃあああああああああ」

 黒コゲになった彼女が、空高く吹き飛んでいく。

「……安心しなさい。峰打ちよ」

 爆発魔法に峰打ちも何もあったもんじゃないが、そういう気分である。まともに直撃させるのではなく、足下で炸裂させたはずだから。……まあ実際には、ちょっとばかし当たっちゃったみたいだけど。
 これが、名前も聞きそびれた女メイジの見納めであった……。

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 ……とは、ならなかった。

「また見つけたわ、ルイズ・フランソワーズ! 今度こそ、覚悟!」

 私がそれに会ったのは、海辺の街道でのことである。
 潮風が、心地良く鼻をくすぐる。
 おひさまもぽかぽかとあったかい。
 季節はもう初夏。
 キュルケがいつもやっていたように、シャツのボタンを胸元まで開けたくなるような季節である。
 そんな陽気の中、それは体中を当て木と包帯でグルグル巻きにし、両手に持った二本の杖でなんとか体を支えながら、街路樹の木陰に立っていた。
 見ているだけで暑っ苦しい。顔も包帯でグルグルだから、見覚えも何もあったもんじゃない。なんとなく正体は予想がついたが、一応、聞いてみる。

「……誰だっけ?」

「忘れたとは言わさないわ! ヴァレリーよ、ヴァレリー!」

「ヴァレリーって……誰?」

 ザザーン……。波の音が遠くに響く。

「あなたに兄を殺されたヴァレリーよ!」

「ああ、やっぱり。あんたなのね」

 最初から、そう言ってくれればよかったのに。
 ……といっても、仇討ちの対象になるような事など、したことない。ただ、私をカタキと思う女メイジがいたのは覚えている。だから、彼女なのだろう。
 まさか「兄のカタキ!」と私を狙う女が、そんなにウジャウジャいるとも思えんし。

「今日こそは逃がさないわ! 私の得意の水魔法で……」

 言うなり呪文を唱え始めるヴァレリー。
 でも。

「……あれ? 杖……どうしよう」

 うん。
 ヴァレリーは両手の杖で体を支えているので、それを振り上げることも振り下ろすことも出来ない。そもそも、それは医療用の杖であって、メイジの杖ではない。いくらヴァレリーが変人であっても、さすがに松葉杖とは契約してないだろう。

「えーっと……」

 とまどう彼女に、私はテクテクと歩み寄り。

 コキン!

 彼女の杖に軽く足払いをかける。

 ペテッ!

 あっさり倒れるヴァレリー。

「ちょっと! 何すんのよ!?」

 ジタバタジタバタ。当て木が邪魔して、自分で起き上がることすらできないらしい。

「助けて……。ルイズ……」

 おおヴァレリー、カタキに助けてもらうとは情けない。
 ……なんて私は言わない。
 そもそも、助けてあげなかった。

「お願い……」

「知らんわい!」

 何やらわめき続ける彼女を見捨てて、私は、次の宿場街へと歩き出す……。

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「またまた見つけたわ、ルイズ・フランソワーズ! 今度の今度こそ、覚悟!」

 私はそこの露天で買った、桃りんごジュースを一気に吹き出した。
 いやいやながら彼女と三度目の遭遇を果たしたのは、前回から十日ばかりが過ぎた、ある街の中でのこと。

「……汚いわねえ。あなた貴族でしょう?」

 眉をひそめて言うヴァレリー。

「やかまひいっ! 誰のせいだと思ってるのよっ!」

「はあ? どういう意味よ……。誤摩化そうとしても、そうはいかないわ。……それに! すっかり傷の癒えた今、もう二度とあんな卑怯な手は通用しないわよ!?」

 彼女が自分で宣言したとおり。
 今日のヴァレリーは、もう、ケガ人スタイルではない。
 黒いマントに、白いブラウス。これでグレーのプリーツスカートならば典型的な学生メイジだが、残念ながら彼女は学生という年齢ではない。ロングブーツの上端が隠れるくらいの、長い紫色のスカートを履いていた。
 くにの姉ちゃんを思い出させる服装である。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! あなたも貴族なら貴族らしく、正々堂々と私に討たれなさい!」

 げ。
 こんなところで、私のフルネームを叫ばんでくれ。
 ……と思っていたら。

 バシャ! バシャシャシャシャッ!

 いきなり大量の『水』が降ってきた!
 ヴァレリーの先制攻撃だ。
 ぜんぜん正々堂々じゃねえええ!

「どうよ! 私の『ウォーターフォール』の威力は!? これなら、あなたでも避けられないでしょう!?」

 うん、たしかに回避不能。私は、頭からびしょ濡れになっていた。
 ……痛くも痒くもないけど。
 もともと彼女、兄の仇討ちって言ってたけど、こんなんでいいのだろうか。なんだか私に魔法を命中させることに特化しすぎて、すでに目的を見失っている気が……。
 そもそも。

「何するんだ、このアマ!」

「商売もんをあんなにしちまって! 一体この始末、どうつけてくれるってんだい!」

「いくら貴族でも、やっていいことと悪いことがあるぞ!」

 ここは屋台や露天商がズラリと並んだ大通り。
 私以上に迷惑をこうむった人々が、ほら、たくさん。
 こわいおっちゃんたちは、ヴァレリーを取り囲み、ズイッと迫る。
 皆それぞれ、濡れて駄目になった売り物を手にしているが……。水を吸った手ぬぐいって、叩かれると結構痛いのよね。時代物のお芝居でやってたのを見た事がある。

「ひ……ひええ……」

 ヴァレリーは貴族、彼らは平民。だが彼らの迫力に気押されて、ヴァレリーは思わず後ずさり。

「でも……」

「でももへったくれもあるもんかいっ! このかりは、きちんと働いて返してもらうからなっ!」

 貴族に対しても譲らないところは譲らない。さすが商売人のおっちゃんたち。
 さいわい、かたぎの人たちである。「ねえちゃん、体で支払ってもらおうか。グヘヘヘへ」なあんて事態には、ならなそう。よかったねヴァレリー、あんたの貞操は無事に守られそうよ。

「だって……私……」

 それでも泣きそうなヴァレリーは、チラリと私を振り返る。
 ……知らん、知らん。

「つけ狙われて困っていたところなんです。みなさん、煮るなり焼くなり、どうぞお好きに。……それでは私はこれで」

 言ってニッコリ微笑むと、一同に反論の機を与えぬうちに、クルリと背を向けて歩き出す。私も共犯だと思われては、たまったもんじゃないからだ。

「……さあっ! お前はこっちだっ!」

「とっとと働けっ!」

「まずは……」

「ひわーっ! かんべんーっ!」

 背中にヴァレリーの悲鳴を聞きつつ、私は足早にその街をあとにした。
 ……どうせまた、やってくるんだろうなあ、彼女。

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「ルイズ・フランソワーズ! 今度の今度の今度こそ、覚悟しなさい!」

 あだ討ちヴァレリーとの第四ラウンド。
 私は、またも屋台で買い食い中だった。
 極楽鳥の串焼き……といっても、たぶん本当は違う鳥だと思う。一口サイズに切ってあるので正体不明。でも美味しいからOK!
 三切れまとめて串に刺し、甘辛のタレで味つけして焼いたシロモノだ。鳥肉と鳥肉の間にはハシバミ草が挟まっているが、火を通すことで苦みも緩和され、ほどよいアクセントになっている。

「ひょっほはっへ(ちょっとまって)……」

 前回とは違って、今度は吹き出すこともなく。
 ちゃんと全部ゴックンしてから、私は彼女と対峙する。
 律儀に待ってくれた彼女は、私をピシッと指さして。

「今までは三回とも逃げられたけど! 今度はそうはいかないわよ!」

 あれを『逃げた』と言うのだろうか? ヴァレリーの常識では……。

「……けどあんた、あの街で壊したもの、ちゃんと弁償したの? ずいぶん早く追いついたみたいだけど……」

「ああ、あれね。もちろんちゃんと弁償したわよ。雨具屋さんと組んで、私の『ウォーターフォール』で集中豪雨を引き起こしたら、もうバカ売れ!」

 それって一種のマッチポンプ商法なのでは……。
 しかし一応、ここは褒めておくべき。

「ほほぉぉう、なるほど! そのテがあったか。……うーん目のつけどころが違う!」

「いやあ、それほどでも……」

 照れるヴァレリー。私の世辞を真に受けている。

「うーむ、私も今度やってみよ。……じゃあ、また何か新しい商売の方法、思いついたら教えてね」

 私は手を振ると、クルリと彼女に背を向ける。

「うん、わかった」

 手を振り返すヴァレリー。
 ……。
 その笑みが引きつる。

「ちょっと待ちなさいっ! 違うでしょーがっ!」

 あ、さすがに気がついたか。

「さすがにルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。あやうくまたも引っかかるところだったわ」

「……さすがも何も、普通はこんなもんに引っかかったりしないと思うけど……」

「おだまり! 人間を相手にすんのは苦手なのよ!」

 ……って。
 この人、じゃあ何を相手にすれば得意なんだか。

「ともあれ、決着の時は来たのよ!」

 このヴァレリーという人、さっきから大声で叫び過ぎである。
 私は当然のように美少女だし、彼女だって少しトウが立ってはいるが、美人の部類に入る。そんな二人が真っ昼間の大通りで騒いでいれば、注目の的。
 大道芸か何かだと誤解した群衆が、ワラワラと集まってきて、ヤジも飛ばしてくる。
 ヴァレリーは気にしていない——あるいは気づいていない——ようだが、私は、少し恥ずかしい。
 ならば。

「……わかったわ」

 ふうっと小さく息をつきながら。

「でも、こんな街の真ん中で戦うわけにもいかないでしょ。……いい!? よく聞きなさい!」

 私はビシッと人さし指を一本立てる。

「今日、夕日が海に沈む頃、この街の波止場に来なさい! いい? 必ずよ!」

 二人の間に流れる静寂。
 やじ馬たちも、シーンとする。
 やがて。

「……いいでしょう、ルイズ。せいぜい覚悟しておきなさい」   

 マントを風に遊ばせながら、ヴァレリーはきびすを返して。
 人ごみの中に消えていった。

「はあ……」

 ホッとする私。
 ……誤解のないように説明しておくと、私は『波止場に来い』って言っただけで、『待ってる』とか『決着をつけよう』などとは一言も口にしていない。
 だから波止場に行く必要はないし、彼女は一生そこで待ちぼうけ。

「……これで終わったのね」

 ふと仰ぎ見れば、空はどこまでも青かった。
 清々しい気分だ。
 ヴァレリーのことなど忘れて、私は歩き出した。

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 翌日。
 静かな海を眺めながら、私は海岸通りの道を歩いていた。浜辺では子供が数人、じゃれ合っているのが見える。
 そんな穏やかな景色を破って。
 
「もう逃がさないわよ、ルイズ・フランソワーズ!」

 あだ討ちヴァレリー、再登場。

「ルイズ・フランソワーズ……? 私、ヴァネッサですけど……?」

「……え?」

 ヴァレリーの顔に、とまどいの色が浮かんだ。
 それもそのはず。今の私は、目立つ桃色の髪を、魔法の染料でくすんだ茶色に変えているのだ。
 昨日ベッドに入る頃には彼女のことも忘れていたが、今朝になったら思い出してしまい、「どうせまた来るんだろうなあ」という気になった。だから、こうして変装しておいたのである。

「人違い……かしら? でも……」

「ごめんなさい。私、急ぎますので。では……」

 立ちすくむヴァレリーに軽く会釈して、私は歩き出す。
 ちょっとした変装でも、表情や声色などを変えれば、効果はバッチリ。女は生まれついての女優なのだ。タニアリージュ・ロワイヤル座の人気女優ノール・イールも言っているではないか、「女性は誰でも『千の仮面を持つ少女』」と。
 まして相手はヴァレリーだ。すっかり彼女は騙されたらしい。
 ……と思っていたら。

「待ちなさい、ちびルイズ」

 ビクッと反応してしまう私。
 だって『ちびルイズ』っていうのは、くにの姉ちゃんが使う呼び方なのだ。ヴァレリーが姉ちゃんと知り合いのわけないから、偶然の一致だと思うけど……。

「やっぱり! あなた、ルイズなのね!」

 仕方なく振り返った私に、ヴァレリーの愚痴が飛ぶ。

「……あなたが昨日あの場に来なかったせいで、集まったやじ馬たちにゴミ投げられるわ風邪ひくわ! さいわい私は水魔法の専門家だから、風邪は簡単に治せたけど!」

 水魔法の専門家って……。そんなまた、たいそうな言い方を。
 基本的には魔法は四系統なのだから、『水』を得意とするメイジはゴマンといるっちゅうに。

「今日という今日は、兄のためにあなたを倒す! ……だって、もらった休暇もそろそろ終わり。来週には王立魔法研究所(アカデミー)に戻らなきゃいけないから……」

 そうか、そうか。
 この人、職場から休みをもらって、その期間で仇討ちを頑張っているのか。ご苦労なことで……。
 って聞き流していたが、ちょっと待て。

「えっ!? ヴァレリーあんた、魔法研究所(アカデミー)の職員だったの!?」

「……そうよ。こう見えても私は、王立魔法研究所(アカデミー)の主席研究員の一人。水魔法を用いた魔法薬(ポーション)の研究をしているわ」

 私は目が丸くなった。
 魔法研究所(アカデミー)の主席研究員ということは……姉ちゃんと同じではないか!

「まさか……エレオノール姉さまの知り合い……?」

 私は茫然として、思わず口に出してしまった。
 それを聞いた彼女は、ポンと手を叩いて。

「今まで気づかなかったけど……。ラ・ヴァリエールの末娘ってことは、あなた、エレオノールの妹なのね。……そうか。じゃあ、この仇討ちの話も、まずはエレオノールに相談するべきだったのかしら」

「ちょっと待てえええええ!」

 私が大声で叫ぶ番だった。
 身に覚えなどないが、それでも姉ちゃんの耳に入るのは困る。家名に泥を塗ったとか貴族の名誉を汚したとか何とか言って、姉ちゃん、激怒しそうだから。
 まずい。とってもまずい。何としても阻止しなければ。
 しかし姉ちゃんの同僚であるというなら、アッサリ抹殺するわけにもいかんし……。

「わかった! 逃げない! 今日は逃げない! でもヴァレリー、いきなり戦う前に、まずは事情を説明して!」

「事情も何も……。あなたは兄のカタキよ」

「待って! そこんとこ詳しく!」

 世間の常識に疎い学者馬鹿かもしれないが、それでも一応は魔法研究所(アカデミー)の主席研究員。まんざら話の通じない相手でもないらしい。
 仇討ちであるならば、たしかに、ある程度の説明は必要と思ったようで。
 ヴァレリーは語り始めた。

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 彼女の話によると。
 半年前、彼女の兄が一人のメイジに殺された。
 即死ではなかったが、彼女が駆けつけた時には、既に虫の息。
 誰にやられたかと尋ねる彼女の腕の中。彼は最期に、こう言いのこした。

『……お前たちもよく知っている……あの……ラ・ヴァリエールの末娘の……』

「……そこで兄は、こと切れたのよ」

 うーむ。
 確かにうちの家は有名だし、末娘は私だが、メイジ殺しなんてしていない。時期的には私が旅に出た後なので、盗賊や野盗やモンスターならば殺していても不思議ではないが、ヴァレリーの兄さんは普通の貴族のはず。

「ねえ、ヴァレリー。そのお兄さんの言葉以外に……私が犯人だって証拠があるの?」

「……まだ言い逃れする気? ならば……ここに目撃証言もあるわ!」

 険悪な表情で、ヴァレリーは懐から羊皮紙の束を取り出す。
 彼女自身で調べ上げたものだろうか。あらためて私の前で、読み上げ始めた。

「長身の……」

 ……ん?
 自慢じゃないが、ちびと言われることはあっても、背が高いなぞと言われたことは一度もない。

「黒マントをまとった人物で……」

 そりゃあメイジなら誰だって大抵……。

「常に白い仮面で顔を隠しているが……」

 女は誰でも千の仮面を持つ女優。つい最近そう思ったこともあるが、それは比喩表現。現物の仮面なんて、かぶっちゃいない。
 私の顔は、どう見ても素顔である。

「隙間から見える限りで察するに、なかなかの美男子」

 ……おい。

「ちょっと待てい、おばちゃん」

 私はジト目で彼女を睨んだが、ヴァレリーは気にせずメモを読み続ける。

「仮面から時々はみ出る、おヒゲもチャーミング……」

 ヴァレリーは、ようやく顔を上げて、私を見つめた。
 それから、困ったように眉をしかめる。

「……全然違うわね」

「何を考えてのんよっ! 何をっ!」

「待って! まだ情報が!」

 再び羊皮紙に目を落として。

「……そのメイジは、様々な白仮面を所有することから『千の仮面を持つメイジ』と呼ばれ、また、グリフォンに騎乗することから『仮面のグリフォンライダー』とも呼ばれる……」

「わかった!? どう見ても私じゃないでしょう!?」

 グイッと詰め寄る私。
 しかしヴァレリーは何も答えず、スッと手を伸ばして来た。
 ……今さら和解の握手のつもりだろうか?
 そう考えた私が甘かった。

「痛っ!」

 いきなり左手をつねってきたのだ。

「何すんのよ!?」

「ごめんなさい! でも……たしかめたかったから。ほら、そのメイジの左手は義手……って書いてあるの。『銀の機械の腕をふるって、海を山をふるさとを荒し回る』って。その義手も五種類あって、それを付け替えることで、どんな敵とも戦えるんですって」

「そこまで情報を集めといて、何でそれを私だと思うのよ!? ……とにかく! これで私がお兄さんのカタキなんかじゃないって判ったでしょ!?」

「……まあ、ね。ごめん……」

 彼女は、わりと素直に謝った。

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 立ち話も何なので、海辺で座って話をする私とヴァレリー。
 夏の真っ盛りには屋外レストランになるのであろうが、海水浴で賑わう季節は、もう少し先だ。営業していない店先のテーブルと椅子を、私たちは無断借用していた。ビーチパラソルもついていて、なかなか快適である。

「そう言えば……」

 近くの屋台で買ってきたレモン果汁入り炭酸水を飲みながら、ヴァレリーが言う。

「私この街で、白い仮面をかぶった黒マントのメイジを見たわ。昨日のことよ」

「この街で!?」

「ええ。ちょっと気になったけど、グリフォンじゃなくてドラゴンに乗っていたから『仮面のグリフォンライダー』ではないし……。それに、あなたとの決闘のために波止場へ向かう途中だったから……」

 彼女は、ちょっと小首をかしげて、眼鏡のつるに指を当てながら。

「……でも今にしてみると、あいつ、怪しいわね」

「今にして思わなくても、それは十分に怪しいでしょ!?」

 私は叫んでしまった。
 まったく、この人は……。
 こんなのが王立魔法研究所(アカデミー)の研究員では、トリステインの未来も明るくないぞ。姉ちゃん頑張れと心の中で応援してしまう。

「ともあれ……」

 私は痛む頭を押さえながら言った。

「そいつを探すのはとりあえず午後ということにして、とりあえず、どこかでお昼にしましょう」

「え……」

 ヴァレリーは、私の前に並んだ空き皿にチラッと目をやる。洋梨のケーキやら蛇苺のシャーベットやら、皿にのっていたデザートは全て私のお腹の中だ。
 一瞬「まだ食べるの?」という目になったが、彼女だって若い女性。デザートは別腹ということは理解している。

「……そうね。どこかで海の幸でも食べましょうか」

 こうして。
 私は彼女の仇探しを手伝うことになった。
 別に頼まれたわけでもないが、姉ちゃんの知り合いだっていうんだから、協力してやらないとなあ。ヴァレリーだけだと、また無関係の別人を襲いそうだし……。

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 昼食の後……。
 男はアッサリと見つかった。
 白い仮面の黒いやつ知らないか、と聞いて回ったところ、簡単に足どりが判明したのだ。

「いたわ! あいつよ!」

 ヴァレリーが声を上げる。
 見ると、広々とした砂浜を一人の男がトボトボと歩いている。……グリフォンだかドラゴンだかは、どうしたのだろう?

「行くわよ!」

 私が言うより早く、彼女は駆け出していた。

「待ちなさい! そこの変な仮面!」

 ヴァレリーの声で立ち止まって振り返る男。
 そろそろ暑い季節だから、夏用なのだろうか。白い仮面は顔の上半分しか隠しておらず、凛々しい長い口髭が、よく目立っていた。
 頭には羽帽子をかぶり、黒いマントの胸にはグリフォンをかたどった刺繍が施されている。
 こいつ……ひょっとすると……!?

「……僕のことかな? しかし『変な仮面』とは失礼ですね、レディ」

 ヴァレリーに文句を言った後、わずかに遅れて辿り着いた私を見て。

「おや? 君は……もしかして……。いや違うな、髪の色が異なる。……よく似た別人か」

 顎に手を当てて少し考え込んだ様子だが、なんだか一人で納得している。
 私の髪は、今朝安宿の部屋で染めたまま、元に戻していないわけだが……。今は黙っている方が良さそうだ。

「『千の仮面を持つメイジ』! 兄のカタキ! 覚悟!」

 ヴァレリーが杖を振り、水の鞭が白仮面に襲いかかる。
 しかし男は、体を捻って、軽く回避。

「……何だか知らんが、仇討ちかね? この『千の仮面(サウザンド)』に杖を向けるとは愚かな……。身の程をわきまえたまえ!」

 自称『千の仮面(サウザンド)』も杖を構える。細身の杖ではあるが、フェンシングの剣のようにも使える軍杖だ。
 まずい!
 見る者が見ればわかる。この男……できる!
 ヴァレリーだけでは、絶対に返り討ちにあうぞ!?
 慌てて私も杖を構えるが、その間に『千の仮面(サウザンド)』は呪文詠唱を。

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 呪文が完成すると、『千の仮面(サウザンド)』の体が分身した。
 一つ、二つ、三つ、四つ……。本体と合わせて五体の『千の仮面(サウザンド)』が、私たち二人を取り囲む。

「何よ、これ!? スクウェア・スペルの『偏在』じゃないの! しかも……四つも!?」

「そうよ! あんたがかなう相手じゃないわ! あきらめなさい!」

 ヒィッと悲鳴を上げるヴァレリーに、状況を再認識させる。
 だが。

「逃がさないよ、お嬢さんたち。僕に杖を向けた以上は……少し痛い目にあってもらおう」

 宣言と同時に、五つの『千の仮面(サウザンド)』が走り始めた。
 私たちの周りを、右回りに円を描いて。

「フフフ……。これで逃げられまい! しかも、どれが『偏在』でどれが本物の僕か、もうわからないだろう!?」

 言いながら、回る速度を少しずつ上げている。全く同じ姿形なので、たしかに、どれが本体なのか判別できない。
 それだけではない。円の中心である私たちが動けば、『千の仮面(サウザンド)』たちの軌道が描く円もまた、それに動きを合わせる。
 ……ということなのだろうが。

「馬鹿ね……」

 私は、小さくつぶやいた。
 この男……。
 おそらくアウトローな生き方をしているうちに、腕が鈍ったか。こんな大道芸のような戦い方じゃなくて、まともに戦えば強いだろうに。……それも、もはや過去の話なのね。
 私は、声に憐れみの色すら浮かべつつ。

「せめて……これで倒してあげる!」

 私が唱えた呪文は『ライトニング・クラウド』。たぶん『千の仮面(サウザンド)』の得意技の一つだったんだろうな……と思う魔法だ。
 しかしもちろん、私が使えば爆発魔法に早変わり。

 ちゅどーん!

 五人のうちの一人に直撃した『爆発』は、それだけでは収まらず……。

「うわあああああ!」

 残りの四人——その『爆発』に自ら飛び込む四人——をも巻き込んだ。

「……え? 何……これ……」

 私の隣で、目が点になるヴァレリー。
 肩をすくめて、私が解説する。

「あのスピードじゃ、急に止まれるわけないでしょ。本体も『偏在』も、みんな同じ円の上を回っているわけだから、その一カ所に魔法をぶち込んでやれば、それでおしまい。止まりそびれて、自分から飛び込んじゃうの。……これがホントの自爆ってやつね」

 四つの『偏在』は全て消滅していた。黒コゲの『千の仮面(サウザンド)』本体だけが、不自然な体勢で手足を突き出し、ピクピクしている。

「……ま、まあ、いいわ。ともかく……。兄さん、カタキは私が立派に討ち果たしました……」

「あんたは何もやってないでしょうが」

 私のツッコミなど聞こえないフリをして、ヴァレリーは『千の仮面(サウザンド)』に歩み寄る。

「……ん? 何するつもり……?」

「いや、せっかくだから、仮面を外して、素顔を見ておこうかな、って……」

 そう言って手を伸ばすヴァレリー。
 ……大変だ!

「ストップ!」

 大声で叫びながら、私は、彼女の体を引き戻した。

「危ないから、やめなさい!」

「……え? 何で?」

「だって……」

 急いで頭を回転させる私。

「ほら! こいつ、反撃してくるかもしれないわ! やられたフリをして、相手の隙をうかがう……。昔から、悪人がよく使う手口でしょ!?」

「言われてみれば……」

 説得に成功した!

「だから……私にまかせて!」

 ヴァレリーと共に、少し距離をとってから。
 再び爆発魔法を詠唱。
 周囲の砂浜ごと吹き飛ばされた『千の仮面(サウザンド)』は、空高くに飛んでいき、完全に姿が見えなくなる。

「……これでよし!」

 私は、ヴァレリーに笑顔を向けた。

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「ごめんね、ルイズ……。あなたには色々と世話になって……」

 町外れで、私とヴァレリーは別れることになった。
 仇討ちも無事に終了したので、彼女は王立魔法研究所(アカデミー)に戻るらしい。
 この様子ならば……。今回の一件、彼女は姉ちゃんには喋らないだろう。めでたしめでたしである。

「気にしないで。姉さまの友だちの手助けができて、私も嬉しいわ」

「ありがとう。そう言ってもらえると、助かるわ」

 あの『千の仮面(サウザンド)』、正体を知らないヴァレリーは「死んだ」と考えているようだ。あれくらいじゃ死んでないと私は思うけど。
 そう、私は理解していた。今にして思えば、ヴァレリーの兄さんが死ぬ時に言いたかったのは、『ラ・ヴァリエールの末娘の……ルイズ』ではなく『ラ・ヴァリエールの末娘の……元婚約者』だったに違いない。
 恥ずかしながら、私の昔の婚約者は、トリステインを裏切りアルビオン反乱政府のスパイをしていた男。それがバレて逃亡したのだが……。『千の仮面(サウザンド)』のいくつかの特徴が、彼にピッタリ合致していたのだ。
 だから『千の仮面(サウザンド)』の正体を知られたくなかったわけである。あんな変な奴と婚約していただなんて、考えただけでもゾッとする……。

「……それじゃ、元気でね。姉さまによろしく」

「ええ、あなたも元気で」

 ふわりとマントをたなびかせ、私は歩き出そうとしたが。
 ふと思いついて尋ねた。

「余計なことだけど……。ところでヴァレリーのお兄さんって、なんであいつに殺されたの?」

「そう……」

 彼女は寂しそうな笑みを浮かべると、遠い目をして語り始めた。

「私がいけなかったの。研究心が加速して、作ってしまったポーション。天才の私だからこそ作れた、魔力を増すポーション」

「……え?」

 質問とは違う答えが返ってきたような気がするが、これはこれで凄い話だぞ!?
 魔力を強める魔法薬……。本当に作り上げたのだとしたら、このヴァレリー、さすが魔法研究所(アカデミー)の主席研究員である。

「……でも、あまりデキのいいものじゃなかったの」

「どういうこと?」

 ちょっと話に引き込まれてしまう私。

「確かに魔力は高まるのだけど……。ほら、魔力って感情に左右されるじゃない?」

 私は頷く。

「感情をも強めてしまうのよ。怒り、喜び、悲しみ……。普通の精神力じゃ耐えられないくらいに、感情を高ぶらせてしまうの。だから、それを飲んだ兄さんは……通りすがりのあいつを後ろから……」

「ちょ、ちょっと待ったっ!」

 私は慌てて彼女を制した。

「や……やっぱし、聞かないことにしとくわ、その話……」

「え? ようやく背景説明が終わって、ここからが本題なんだけど……」

 彼女は不思議そうな顔をする。
 ああああああっ!? まさか立派な逆恨み、なんてことは……。
 あいつ昔は悪人だったけど、今では単なる変な奴だったのでは……。
 ……いや! いったん悪の道に落ちた奴が、簡単に更生するわけがない! 間違いなく今でも悪人なんだ! そーだ、そーに決まった!

「何を一人で悩んでるわけ?」

「いやぁぁ、べぇぇつにぃぃ! ……そいじゃあ、さいならっ!」

 私は引きつった笑みを浮かべながら、逃げるように歩き去った。
 ……教訓。やっぱり私の家族の周りには、ロクなやつがいない。





(「千の仮面を持つメイジ」完)

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 最後まで『千の仮面(サウザンド)』の名前はハッキリ書きませんでしたが。ルイズが昔の知り合いに出会えば、彼の名前が話題に上る機会もあるでしょう。その意味でも、本編第四部の前に、この番外編をやっておきたかったのです。
 なお、表紙ページにも書いておきましたが、次回投稿時(5月27日)に「ゼロ魔」板へ移動する予定です。「チラシの裏」になかったら、そちらで探してください。お願いします。

(2011年5月24日 投稿)
   



[26854] 第四部「トリスタニア動乱」(第一章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/27 22:15
   
 月と星とを背に負って、夜の王宮は静かに佇む。
 それでも中では、まだ起きている者がいるのだろう。淡い魔法の光があちらこちらに灯っている。

「ここから忍び込むわよ」

 巨大な正門のかげに身を寄せて、私は小さな声で言う。

「ここから……って、まっ正面じゃないの!?」

 やはり身をひそめたままのキュルケが、不服の声を上げる。
 ……と、一応ことわっておくが、私たちは決して怪しい者ではない。怪しいのは格好だけである。
 どこにでも売っているような、かなりゆったりとした長袖の上着に長ズボン。動きやすいよう要所要所を革のベルトで軽くまとめ、目だけを出してマスクで顔も隠している。当然のように服の色は全て黒一色!

「……私に任せて。もともと私はトリステインの人間よ。ゲルマニア人のあんたより、この場の状況は正しく判断できるわ」

「こういう仕事に、トリステインもゲルマニアも関係ないと思うけど……」

「うだうだ言わないのっ! とにかく行くわよっ!」

 そう、私たちは盗賊稼業に身をやつしたわけではない。これも、さる高貴な人物の依頼なのだ。
 そもそも、事の起こりは……。

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「……けど、思っていた以上に混乱しているようですね。この街」

 シエスタはサイトの隣を歩きながら、小さな声でそう言った。
 黒い髪がさらりと揺れる。
 年齢は私と同じくらい、タルブの村から来たメイド少女である。
 今はメイド服ではなく、草色のワンピースに編み上げのブーツ。そして小さな麦わら帽子という、ちょっとしたよそいきの格好をしていた。
 なにしろ彼女は、今後しばらく厄介になる親戚の家へと向かう途中。そんな彼女にゾロゾロ同行しているのが、三人と一匹——私とキュルケとそれぞれの使い魔サイトとフレイム——であった。

「まあ、仕方ないんじゃない?」

「……そうね。この国も意地はってないで、早くゲルマニアと同盟結べばいいのに」

「そうはいかないわ。あんたのところみたいに、歴史の浅い野蛮な国じゃないから……」

「あら、その言い方は酷いんじゃなくて? ちょっと聞き捨てならないわね……」

 軽く火花を散らす私とキュルケ。
 仲裁役を買って出るのは、シエスタだ。メイドの性分なのだろう。

「まーまー。お二人とも、こんな街中で争ったりしては……」

 さらに。

「しっかし……なんだってこの街、こんなにざわざわしてるんだ?」

 サイトの言葉が、私とキュルケを脱力させた。
 シエスタも目が点になっている。

「……あ……あんたねぇ、サイト……」

 私は、痛むこめかみを押さえながら。

「ひょっとして、この街がなんで今ごたついてるか、そのあたりの事情ぜんっぜん知らない、なんて言い出すわけじゃないでしょうね?」

「ぜんぜん知らない」

「ぅだぁぁぁっ!? ここまで来る道中ほとんど毎日みたいに、私とキュルケとシエスタが話してたでしょーが!」

「だって……ハルケギニアの地名とか人名とか、長くて覚えらんねーもん」

「いばるんじゃない! この……クラゲ頭のバカ犬が!」

 貴族のフルネームが長いのは認めよう。たぶん、こいつ、御主人様である私の名前も最後までは言えないだろう。ちょっと腹立つが、そこまでは許そう。
 しかし。
 地名は、そんなに長くないぞ!? トリステイン王国とか神聖アルビオン共和国とか帝政ゲルマニアとか、それすら知らんというのでは酷すぎる。

「あのう、サイトさん? わかりやすく説明すると……まず、私たちが今いる場所はトリスタニアといって、トリステインの首都なんです」

 シエスタがサイトに微笑みかけながら、小さな子供を諭すように、やさしく噛み砕いて説明する。でも、さすがに、そこから始める必要はなかったらしい。

「トリステインって名前と、ここが中心ってことは、俺も知ってる」

「……よかった。じゃあ、次です。……トリステインは王国なのですが、前の王様が亡くなった後、新しい王様が即位していません」

「へえ、それは知らんかった。……あ、もしかして! それじゃ今、お家騒動とか起こってるわけ? それで街も大変なのか?」

「うわぁ。よくわかりましたね、サイトさん! 私が説明しなくても、ちゃんとわかってるじゃないですか!」

 これシエスタじゃなかったら、サイトを馬鹿にしてるようにしか聞こえないのだが、たぶん彼女は本気で言ってるんだろうなあ。
 サイトもサイトで、照れたように頭をかいている。

「へへへ……。俺、意外と頭いいのかな?」

「そうですよ! だってサイトさんですもん!」

 ちょっと二人のノリについていけない……。
 でも、あれでサイトが納得したのであれば、それで終わらせておこう。本当は、もう少しばかし複雑なのだが……。歩きながら説明したところで、サイトの頭では理解しきれまい。 
 ふと、サイトの背中の剣と目が合った。
 ……剣にハッキリした『目』があるわけではないので、厳密には『目が合った』気がするだけなんだけど。
 魔剣デルフリンガーは、カタカタと私に喋りかける。

「気にするなよ、娘っ子。相棒はガンダールヴ、娘っ子の盾だ。ややこしい背景は、おめーさんが把握しておけばいーさ」

 こいつだって物忘れの激しいボケ剣なのだが、こいつの方が、サイトよりは賢いかもしれない……。

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「ここなのね?」

「そのはずです、地図によれば。……ほら、看板にも『魅惑の妖精』亭って書いてありますし」

 一軒の店の前で、キュルケの言葉に答えるシエスタ。
 大通りに面した、立派な店構えの酒場である。
 この四人と一匹の中で、実は私だけは、この店に来たことがあるのだが……。敢えて言うまい。

「……なあ、この店しまってるみたいに見えるんだけど?」

 サイトにしては珍しく、的確な指摘をする。いや、別に観察眼まで悪いわけではないだろうし、『珍しく』は言い過ぎか。
 ともかく、たしかに扉はピシャリと閉ざされていた。まだ営業時間ではないにしても、開店準備などで忙しいはず。だが、そんな様子もない。
 どうやら『魅惑の妖精』亭は、休業状態。
 はて、また何かのトラブルにでも巻き込まれているのだろうか……?

「裏に回ってみましょうよ」

 キュルケの提案で、裏口へ向かう。
 こちらは表通りとは違って、少しゴチャゴチャした路地。従業員用の戸口があり、シエスタがその前に立った。
 スーッと深呼吸するシエスタ。それを見て、キュルケが優しく声をかける。

「娘さんとは面識あるけど、御主人とは初対面なのよね」

「はい。でも、いとこのジェシカの話では、優しくてハンサムな人だそうですから……」

「父親なのに、外見まで母親に似せて、母親の代わりもしてくれてる……って話だっけ?」

「そうです。だから、いい人のはずですわ」

 期待に胸躍らせる少女たち。
 私は、一切言葉を挟まなかったが……。

「あれ? ルイズ、なんか変な顔してるけど……どうしたんだ?」

「……なんでもないわ」

 サイトの言葉をきっかけに、私も会話へ参加する。
 あまり期待し過ぎると後でガッカリするだろうと心配して、話題のすり替えを試みた。

「ところでシエスタ、念のために聞くけど、ここの店の人たちには、ちゃんと連絡してあるのよね?」

「はい。途中の街で、伝書フクロウを送りましたから、そろそろ私が着くってわかってるはずですけど……」

「そうするとやっぱり、ここで給仕として働くの?」

「できればそうしたいですね。ジェシカもお店のために、わざわざタルブのメイド塾まで修業しに来ていたわけですから……。けっこう大変なお店だと思うんです。お世話になる以上、私も手伝わないと」

「それじゃ……」

 なんとなく中に入るのが嫌で、ついつい私は会話を引き伸ばしてしまうが、そこにストップをかける者が。

「……ねえ、いつまで立ち話してるの? それより……早く行きましょうよ!」

「そうですね」

 キュルケに促され、ドアをノックするシエスタ。
 待つことしばし。

「……留守でしょうか?」

 小首をかしげ、彼女が再びドアを叩こうとした時。
 少し開いたドアから顔をのぞかせたのは、黒髪ロングの少女。スタイルはシエスタ同様とっても女性的で、やや太い眉も彼女の魅力を損ねることはなく、むしろ活発な雰囲気を漂わせてプラスになっている。
 ちょっと警戒するような表情をしていたが、シエスタを見ると同時に、それも消し飛んだ。

「シエスタ! 本当に来たのね!」

 一転して笑顔を浮かべ、扉を大きく開け放つ。

「久しぶり、ジェシカ」

 やはり笑顔で返すシエスタ。
 二人はしばらく再会の抱擁をしていたが、それからジェシカは、私に気づいて。

「……あら? ルイズじゃない?」

「うん。久しぶりね、ジェシカ。……そのせつはどうも」

 普通に挨拶した私を見て、皆が「えっ?」という顔をする。

「ルイズ……あなた、シエスタの親戚と知り合いだったの?」

「まあね。ほんの一時期、ここで世話になってたことがあって……」

「何それ。そういうことは早く言いなさいよ」

 キュルケの質問に一応の返答をしてから、私は、あらためてジェシカに。

「……ところで、スカロンさんは元気? なんだか、お店が休みのようだけど……大丈夫?」

「あ、お店ね。うん、平気よ……」

 微妙に言葉を濁すジェシカ。
 ……なんだ?
 ちょっと困ったような口調で、彼女はシエスタに尋ねる。

「……それより、他の人たちは?」

「ルイズさんたちも、タルブの村の事件の当事者なの。事情を説明するにも、いっしょにいていただいた方が確実だと思って」

「……そ、そう……」

 シエスタの言葉に、ジェシカは妙に落ち着かない様子で、店の中と外とをキョロキョロ見回す。
 ……すると。

「大丈夫よ! シエスタちゃんやルイズちゃんの友だちなら、きっと信用できる人たちだわ〜〜」

 ジェシカの後ろから出てきたのは、派手な格好の男。しかし私たち貴族の言うところの一般的な『派手』とは、方向性が違う。
 撫でつけた黒髪はオイルでピカピカ。紫のサテン地のシャツの胸元は大きく開いて、モジャモジャ胸毛がコンニチハ。鼻の下と割れた顎には小粋な髭。強い香水の香りも、気持ち悪い。

「トレビア〜〜ン!」

 初対面の者たちを見て、気に入ったらしい。
 彼は両手を組んで頬によせ、唇を細めてニンマリと笑う。
 これがジェシカの父親、つまり『魅惑の妖精』亭の主人、スカロンさんである。

「紹介するわ。私のパパ」

「スカロンよ。お店では『ミ・マドモワゼル』って呼んでね」

 父と娘の名乗りを聞いて。

「……え?」

 シエスタがかすれた声で小さくつぶやき、かたまった。

「ほら、シエスタ。この人が、あんたの言ってた……『外見まで母親に似せた、優しくてハンサムな人』よ」

 彼女の硬直を解いてあげるため、私は背中をポンと叩いたのだが……。

「……はうっ」

 シエスタは、その場で卒倒した。

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 なし崩し的に、中に入る事になった私たち。
 ジェシカはシエスタを連れて二階へ。
 がらんとした店内で互いの紹介を終え、次いでタルブの村での出来事を説明し終わったちょうどその頃、ジェシカが降りて来た。

「どう、シエスタちゃんの具合は?」

 尋ねるスカロンさんに、彼女は小さな笑みを浮かべ、

「今は静かに眠ってる。最初は少し、うなされてたんだけどね。……でも、どうしちゃったんだろう? そんなに弱い子じゃなかったはずなのに……」

「……たぶん、やっとここに着いて安心したんで気が抜けて、今までの疲れが一気に出たのよ」

 私は適当なことを言う。

「そうねえ。シエスタちゃんも大変だったのよねえ……」

 身をくねらせながら、しみじみした口調でうなずくスカロンさん。
 ……むろん事実は、それだけじゃない。私が言ったような意味もあるだろうが、メインは別だ。
 彼女は自分が抱いていた『母親似の優しいおじさん』に対するイメージと『気持ち悪いオカマ』という現実のギャップに耐えられなかったのだ。
 普通の時ならばいざしらず、故郷の村と家族をすべて失って、頼るべくやってきた親戚がこれでは……無理もなかろう。

「……と、ともかく……」

 話を変えようと、わざとらしく店内をキョロキョロ見回す私。
 おもての様子から『魅惑の妖精』亭が休業中なのはわかっていたが、思った以上に静かな雰囲気なのだ。給仕の女の子すら、誰も来ていない。

「どうしちゃったの? また……どっかのカッフェと抗争中?」

「ルイズちゃん。うちはヤクザじゃないのよ。そんな言い方、やめてくれる?」

 両手を頬によせ、ヌッと顔を突き出すスカロンさん。気持ち悪いから、やめてくれ。
 一方ジェシカは、ちょっと表情を曇らせている。
 どうやら、よほど話しにくい事情があるようだ。
 ……と思っていたら。

「スカロンさん? なんだか階下が賑やかなようですけど……?」

 二階から降りてくる人影。涼しげな、心地良い女性の声だが、シエスタのものとは違う。

「あ! 今は来ちゃダメです……」

 慌ててジェシカが駆け寄るが、少し遅かった。
 私たちの前に姿を現したのは……。

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「姫さま!?」

 私は、椅子から飛び上がる勢いで叫んでいた。
 すらりとした顔立ちに、薄いブルーの瞳、そして適度に高い鼻が目を引く瑞々しい美女。灰色のフードつきローブに身を包み、貴族崩れのメイジか街娘のようなナリをしているが、滲み出る高貴さは隠しきれない。
 それに。

「ルイズ……? ルイズ・フランソワーズ……!?」

 むこうも私を見て、目を丸くしたように。
 知らない仲ではないのだ。どうして見間違えようか。

「姫殿下!」

 私は椅子をどけて、膝をつこうとする。しかし走り寄って来た彼女が、それを止めて、私を抱きしめた。

「ああ、ルイズ! 懐かしいルイズ!」

「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」

「ちょっと、ルイズちゃん!? 『魅惑の妖精』亭は、歴史ある由緒正しいお店なのよ〜〜? 下賎な場所だなんて、ひどいじゃないの……」

「え? これってどういうこと……?」

「さあ? 俺にもサッパリ……」

 スカロンさんやキュルケやサイトが何か言ってるが、私はロクに聞いちゃいなかった。

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい呼び方はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」

 うーむ。
 そう言われると、困ってしまう。
 格式やら何やらが全てではないことくらい、旅に出てから身をもって知った私であるが……。
 なにしろ相手が相手だからなあ。

「姫殿下……」

「幼い頃、いっしょになって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 これはまた懐かしい話を。
 私は、思わず相好を崩す。

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ポルトさまに叱られました」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみあいになったこともあるわ! ああ、ケンカになると、いつもわたくしが負かされて……」

「いいえ、姫さま。アミアンの包囲戦では、姫さまの一発が私のお腹に決まって……」

 子供の頃の思い出話に花を咲かせる私たち。
 聞いているスカロンさんやジェシカは、唖然としていた。

「ルイズちゃん……。姫殿下相手になんてことを……」

「……というより、小さい頃に姫殿下の御相手をするくらい、ルイズも身分の高い貴族だったのね」

 ジェシカの言葉に、キュルケが肩をすくめる。

「そりゃあ、そうよ。こう見えてもルイズは、ラ・ヴァリエール公爵家の娘なんだから」

「ええっ!? トリステインの貴族たちからも恐れられている……あのラ・ヴァリエール公爵家?」

「トリステイン貴族の間の評判は知らないけど。……そのラ・ヴァリエール公爵家よ。他に同じ名前の公爵家があるわけないし」

 一方、サイトは背中の剣と話をしている。

「なあ。ヴァリエールって名前……俺もどっかで聞いたことあるような気がするんだが?」

「うんにゃ、相棒。わるいことは言わねえ。思い出せねーことは、思い出さんほうがいい……」

 あれ? 魔剣がガタガタ震えているが……どっかで我が家の者と出会ってるんだろうか。

「うーん。まあ、デルフがそう言うなら、それでいいや。……それよりキュルケ、俺にも教えてくれよ。キュルケは、もう正体、察してんだろ。……あのきれいな女の子、誰?」

「あのねえ、サイト。『姫殿下』って言葉で、わからないかしら? ……いいわ、あたしが教えて上げる。あそこでルイズと喋ってるのは、トリステイン王国の王女アンリエッタさまだわ」

「へえ、王女……。って、え!? じゃあ、この国のお姫さまぁぁっ!?」

 ようやく理解したらしいサイトが、ひときわ大きな声を上げた。

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 説明せねばなるまい。
 姫さまは、先代のトリステイン王の一人娘。ただし先王はアルビオンから婿入りしてきた王様であり、トリステイン王家の血を引いていたのは、彼女の母マリアンヌ大后である。
 そのためマリアンヌ大后こそが正統な王だと信ずる者たちもおり、彼らにとっては先王崩御も良い機会だった。これが『マリアンヌに即位してもらうよ派』だが、肝心のマリアンヌ大后は王座に就くのを嫌がっている。あくまでも自分は王妃……ということらしい。
 ならば、少し若いが一人娘を女王に……と考えるのが『アンリエッタに即位してもらうよ派』。いやいや女王はダメだ王様は男であるべきだ先代に倣おうというのが『アンリエッタに婿を迎え入れてそれを王様にするよ派』。
 しかし、どの派別も決定打にかけるため、今でも王は空位となっており、結果的には『このままでいいよ派』が勝っている……。
 ……と、ここまでが、旅に出ていた私でも知っている事情なわけだが。

「……そうです。これが、しばらく前までのトリステイン王家の状態です」

 私たちを前にして、内情を語る姫さま。
 うん、あらためてまとめてみると、この国とんでもないわ。よく崩壊せずに成り立ってるもんだと不思議になる。

「こんなゴタゴタした我が国に、ウェールズさまが亡命してこられたのです」

 現在は貴族議会による共和制となった国、アルビオン。その元王家の遺児プリンス・オブ・ウェールズが、少し前にトリステインに逃げ込んで来たのだ。
 ウェールズ王子の父親は先代トリステイン王の兄であり、ウェールズ王子は姫さまのいとこにあたる。そうした血縁を頼ってトリステインに来たわけだが、これがトリステインのお家騒動を再燃させるきっかけとなった。
 つまり。
 世が世ならアルビオンの王になるはずだったウェールズ。でもアルビオンで王制が復活する可能性は極めて低い。ならば彼をアンリエッタとくっつけてしまおう、ということで『アンリエッタに婿を迎え入れてそれを王様にするよ派』が力を盛り返してきたのだ。
 すると対抗するように他の派閥も暗躍し始め、もう国内はゴチャゴチャ。

「姫さま。街の噂では……暗殺騒ぎまで起こっているそうですが、本当ですか?」

「ええ。ひどい話でしょう? 王宮に勤める貴族たちが殺し合うなんて……。それも、どうやら私までターゲットになっているようなのです」

「え!? 姫さまが!?」

 驚いた。
 そこまで悪化しているとは……。

「水面下で政治的な駆け引きが色々と行われる……。それが王宮というものです。しかし暗殺は許せません。ですから、その背後にいる者をあぶりだすため、また、刺客たちの目を引きつけるため、私は街に潜伏することにしたのです」

「うわ。そりゃ、また大胆なことを……」

「……ま、ルイズの幼馴染みのお転婆姫だもんな。それくらいしても、おかしくないか」

 キュルケとサイト。ハルケギニアの貴族と異世界出身の平民とでは、抱く感想も異なるようだ。
 それより私は、別のことが気になった。
 チラッと見ると、スカロンさんやジェシカが、ちょっとだけ誇らしげな表情をしている。以前に『偉い人とコネがある』と言っていたが、どうやら、それは姫さまのことだったらしい。

「スカロンさんには迷惑をかけ、すまないと思っていますわ」

「姫殿下……そのようなもったいない御言葉を……。姫殿下のためならば、このミ・マドモワゼル、お店の一つや二つ潰しちゃっても構いませんわ〜〜」

 身をくねらせながら、かしこまるスカロンさん。
 なるほど、姫さまが隠れているとなれば、店を開くわけにゃいかんわな。まあ、店を潰してもいいは言葉の勢いだけで、本心じゃないだろうけど。

「……ねえ、ルイズ」

 姫さまが、あらたまって向き直り、私の手を握った。
 ちょっと冷たい手が、姫さまの心細さを象徴しているかのようだ。

「お願いがあるのです」

「どうぞ、なんなりと」

 安請け合いと言うことなかれ。相手は姫さまなのだ。

「……私が王宮を抜けだしたことを知るのは、ごくわずか。でも彼らも、私の消息を心配しているはず。まだ暗殺者にやられたわけじゃない、って知らせてあげないと……」

「つまり、内部の人間につなぎを取って欲しい……と?」

「ええ。こんなこと、おともだちのあなたにしか頼めないから……」

 そうだろうなあ。
 正面から乗り込むわけにもいかないし、相手が王宮から出るのを待って接触をはかる……というのもダメ。この御時世では、外出時にも警護や監視の兵士がついているに決まっている。
 すると残るテは、やはり王宮に忍び込むしかない。さすがにスカロンさんやジェシカには無理だろう。旅で荒事にも慣れた私の出番である。

「わかりました」

「ありがとう、ルイズ。伝言してもらいたい相手は三人。その中の一人だけに接触して、残りの二人にも伝言してくれるよう伝えてくれればいいわ」

「姫さま。そのうちの一人は……ウェールズさまですね?」

 私が言うと、姫さまはハッと息を呑んだ。

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 三年くらい前だっただろうか。
 まだアルビオン王家も健在であった時期の話である。私が旅に出る前であり、ラグドリアン湖の『水の精霊』も穏やかだった頃……。
 ラグドリアンの湖畔で、大規模な園遊会が開かれた。トリステイン王国、アルビオン王国、ガリア王国、そして帝政ゲルマニア……。ハルケギニア中の貴族や王族が、社交と贅の限りをつくしたのだった。
 二週間にも及ぶ大園遊会だったが、途中から姫さまは、毎晩のように一人で抜け出していた。その際に姫さまの影武者を務めたのが、何を隠そう、この私ルイズ・フランソワーズである。
 ……といっても、たいしたことをしたわけではない。魔法染料で髪を染め、姫さまの格好をして、姫さまのベッドに入って、布団をすっぽりかぶるだけ。

『気晴らしに、一人で湖畔を散歩したいのです』

 その姫さまの言葉を、当時の私は丸々信じきっていた。
 しかし、今にして思えば……。
 あれは姫さまとウェールズ王子の密会だったのだ。王子と王女の秘密のデート。あの頃から二人は、おおやけには出来ない恋を育んでいたらしい。
 そのウェールズ王子がトリステインの王宮に滞在している以上、二人の気持ちもさらに加速しているはず……。
 ……そんな私の想像とは裏腹に。

「ああ、ルイズ! わたくし、すっかり忘れておりましたわ……。ごめんなさい、あなたは失恋傷心旅行の途中だったのですね」

 哀しげに首を振りながら、あさっての話を口にする姫さま。
 これでは私の方が唖然としてしまう。

「……はぁあ? 姫さま、いったい何のことやら私にはさっぱり……」

「いいのですよ、隠さなくても。ウェールズさまのことを言われて、思い出しましたから。……だってルイズは、婚約者のワルド子爵が裏切者だったと判明してショックを受けて、それで旅に出ていたのでしょう?」

 ワルド子爵は、トリステインの魔法衛士隊『グリフォン隊』の隊長だった男。しかし裏ではアルビオンの反乱勢力と内通しており、それがバレてアルビオンへ逃げ込んだのだが……。
 反乱勢力が共和国の体裁を為す過程で、そこからも追い出されたらしい。旅の途中で私は偶然、落ちぶれたコイツに出会ったこともある。
 まあ彼の現状はともかく。問題は、この裏切者が私の婚約者であったということ。といっても、私が小さい頃に決まった婚約関係であり、憧れっぽい気持ちはあったものの、恋愛感情なぞなかったわけだが……。

「姫さま!? それは大きな誤解です! そういう理由で旅に出たわけではありません!」

 くにの姉ちゃんに言われたから、旅に出たのだ。ワルド子爵は無関係である。
 姫さまに誤解されるのも嫌だが、もっと気になるのは、後ろでニヤニヤしているキュルケやサイトたち。彼らには、あとでちゃんと説明しておかないと……。

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! ごまかすのは、やめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの! わたくしにだけは、どうか本心を打ち明けてくださいな!」

 うーむ。
 姫さまがそう思い込んでいるのであれば、訂正するのは難しそうだ。
 ……というより。
 今度は、私がハッとする番であった。
 気づいたのである。姫さまが、ウェールズ王子の名前から、失恋傷心旅行を連想したということは……!?
 
「姫さま。もしかして……ウェールズさまと、今……?」

「私が連絡をとりたい相手は、ウェールズさまではありません」

 姫さまは、私の質問とは少し違う答を——少し前の質問に対する答を——返す。
 続いて、寂しげに微笑みながら。

「ウェールズさまは……昔のウェールズさまとは違うのです。なんだか……冷たくなってしまわれました」

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 かくて……。
 私は真夜中の王宮で、ドロボーの真似をやることになったわけである。
 こういう仕事には向いてなさそうなサイトは、『魅惑の妖精』亭においてきた。一応、姫さまを護衛するという意味もあるし、こっちはサイト無しでも大丈夫だと思う。 
 代わりというわけではないが、『アンロック』とか『レビテーション』とか必要になるであろうと考えて、キュルケにも一緒に来てもらっている。
 早速、その彼女の出番だ。

「じゃ、お願い」

「わかったわ」

 闇色の服に身を包み、二人は潜入開始。『レビテーション』の術で、正門そばの歩哨たちの頭上をゆっくり通り過ぎ、黒々とそびえる壁にヤモリみたいにはりつきながら、こそこそ上へと昇っていく。
 正門の上にて、王宮の様子を一望する。幼少の頃に姫さまの遊び相手だった私は、この王宮にも何度か来ているわけだが、それも昔の話。自分の記憶と姫さまから聞いた間取りと実際に目で見たものを重ね合わせて……。

「誰のところに行くつもり?」

 私の隣に身をひそめるキュルケが、小さな声で聞いてきた。

「……将軍よ。さすがに大后さまのほうは、警備が厳重すぎて無理だろうし。侍従長も、姫さまの身近な人間として、チェックされてるだろうし」

 姫さまが言った三人は、マリアンヌ大后とラ・ポルト侍従長とド・ポワチエ将軍。マリアンヌ大后は姫さまの母親、ラ・ポルトは昔からの侍従だから当然として、ド・ポワチエの名前は、私には意外だった。
 ド・ポワチエは、トリステインの将軍の一人。階級は、たしか大将だったかな? しかし勝利よりも自身の出世を優先する愚将だときく。そんな男が動乱の中で姫さまの味方をするというのは、噂とイメージが合わない気がしたのだが。

『彼は、どの派閥にも属していないのです。……その意味では、信用のおける人物です』

 ……姫さまの言葉で、私は納得せざるを得なかった。
 立身出世しか考えていないから、お家騒動にはノータッチ。誰がトップであれ、そこに媚びへつらうだけ。
 そんな将軍くらいしか味方がいないとは……。おいたわしい話である。
 ともあれ。
 私とキュルケは、その将軍が泊まっている建物へ。ある程度まで近づいたところで、いったんストップ。芝生の上に身を伏せて考え込む。

「どうするつもり? ここも結構きびしいみたいだけど……」

 キュルケの言うとおり。
 出入口は言うに及ばず、建物の周囲にも歩哨がびっしり。
 ド・ポワチエの部屋は、ここの最上階にあるらしい。が、建物全体が魔法の明かりで皓々と照らし出されており、各階数カ所のベランダにも、やはり見張りが立っている。
 
「キュルケの得意系統は『火』だから……『スリープ・クラウド』は無理よね?」

「無理ね。だいたい、これだけ警備がしっかりしてるんだから、魔力探知もあるって考えるべきよ。これ以上は『レビテーション』も危険だわ」

「……そうよね。でも、ここで留まってるわけにもいかないし……」

 結局。
 私たちは、外から『レビテーション』で大回りして、屋根の上に降り立った。バレるかな……と少し心配だったが、探知されずに済んだらしい。

「魔法を使うのは、これで最後にしましょう」

 天窓のひとつを『アンロック』で開けて、ようやく内部に侵入。廊下には兵士がいるかと思いきや、屋内の警備は意外に手薄だった。

「罠かしら?」

「……というより、最上階には要人が泊まっていないんじゃなくて?」

 うむ、その可能性もある。 
 どこの派閥でもないド・ポワチエなど、誰にも相手にされておらず、だからこそ最上階なのかも。
 彼の部屋の前まで、私たちはアッサリと辿り着き……。

 カチャリ。

 姫さまから借りて来た合鍵でドアを開け、すばやく中にすべり込んだ。

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 二間つづきの奥の部屋。外の明かりが差し込むベッドに、ひとりの老人が眠っている。
 あれ? ド・ポワチエ将軍って、たしか四十過ぎくらいのはず……。
 私が不思議に思っている間にも、老人は私たちの存在に気づいたらしい。パチリと目を開けて、首をこちらに向ける。

「刺客……か……? あるいは……姫殿下の手の者?」

 私はキュルケと顔を見合わせてから、質問に質問で返す。

「ド・ポワチエ将軍……ですね?」

 すると老人は、微笑みながら体を起こした。枕元に置いてあった杖を手に取り、小さな窓を魔法で開ける。
 サッと夜風が入り込み、私はブルッと体を震わせた。
 風の寒さだけではない。嫌な予感が背中を駆け抜けたのだ。
 案の定。

「……違います。ウェールズ殿下の侍従、パリーでございます」

 つぶやきながら、杖を振るう老人。
 私とキュルケも隠し持った杖を引き出すが、間に合わない!

 ボンッ!

 杖の先から飛び出す火の玉。さいわい、狙いは私たちではなかった。開いた窓から、炎は外へ。

「何!?」

「やっぱり罠だったんだわ! 人が来るわよ!」

 敵に少し気のきく奴がいたらしい。将軍をべつの部屋に移し、ニセモノを寝かせていたのだ。コンタクトを取ってきた姫様のメッセンジャー——つまり私たち——から姫さまの潜伏場所を聞き出そうという魂胆だ。

「任務失敗! 脱出!」

 もはや部屋の中の老人は無視。私とキュルケは、入ってきたドアから飛び出した。
 先ほどは静かな廊下だったが……。

「何だ!? 今の音はっ!?」

「何があった!?」

「行くぞ! 最上階だ!」

 兵士たちのやりとりと共に、ドヤドヤと階段を上がってくる音が聞こえる。

「キュルケ!」

 一声かけてから、私は反転。偽ド・ポワチエがいた部屋に戻る。

「おや……? 私を相手にするつもりですか? 老いぼれとはいえ、このパリーは殿下の侍従。そう簡単に……」

 ドーン!

 立ちふさがる老メイジを小さなエクスプロージョンで吹き飛ばし。

 ゴグォン!

 それより大きなエクスプロージョンで、開いてた窓を完全に破壊。人が通れるくらいの出口を作った。
 私の意図を察したキュルケが、後ろからついて来ていると信じて……。

「えいっ!」

 夜の闇へと身を踊らせる私。
 警備の兵士たちが真面目に階段を上がってくるなら、外の方が一時的に手薄なはず。
 そう考えたのだが……少し甘かった。

「何者だ、きさまら!」

 げ。
 メイジを乗せたマンティコアが飛んでくる。魔法衛士隊のひとつ、マンティコア隊だ。
 私には空中戦は無理だぞ!?
 ……でも、神は私を見放していなかったらしい。

「ぎゃ!?」

 ちょうど私の落下コースに来たため、こちらを見上げていた衛士の顔面にキックが炸裂。
 そのまま彼を蹴り飛ばした私は、マンティコアには振り落とされるが、キュルケの魔法でやんわりと着地。空中を浮遊してきたキュルケも、私の隣に降り立つ。

「……でもピンチね」

「ま、なんとかなるでしょ」

 私たち二人は、すっかり取り囲まれていた。
 さきほどとは別のマンティコアもチラホラと飛んでおり、そのうちの一匹が、私たちの前に着陸。ごつい体にいかめしい髭面のメイジが、幻獣にまたがったまま声を上げる。

「怪しい奴め! 杖を捨てろ!」

「そう言われても……」

 とりあえず何とか口先で誤摩化すしかない。そう思って口を開いたところで、邪魔が入る。

「何を悠長なことをしているのかね、ド・ゼッサール君」

 言いながら歩いてきたのは、丸い帽子をかぶり、灰色のローブに身を包んだ男。体格は痩せぎす、伸びた指は骨張っており、髪も髭も真っ白である。

「……夜間に王宮へ忍び込んだくせ者だ。捕縛する必要もないであろう。……殺しなさい」

 普通は『捕えて背後関係を吐かせる』というシーンで、問答無用で処刑命令。私達も驚いたが、マンティコア隊の面々も十分驚いたらしい。

「枢機卿!? いくらなんでも、それは……」

 皆が目を丸くして、視線をローブの男へ。
 しめた! わずかな時間ではあるが、皆の注意が私たちから逸れたのだ。他のメイジなら呪文詠唱が間に合わないが、私の失敗爆発魔法ならば余裕!

 ドンッ!

「うわっ!?」

「騒ぐな! 囲みを崩すな!」

 いきなりの爆発で一同が混乱する中。
 爆煙を目くらましにして、小さなエクスプロージョンを連発。キュルケも適当に炎の魔法を操り、さらに撹乱。
 私たちは、かろうじて脱出したのであった。

########################

「……とまあだいたいこんなところです」

 私は紅茶のカップをコトリと置いて、一応の事情説明を終わる。
 『魅惑の妖精』亭に戻って、一夜明けての朝である。

「逃げる時には別の方角から王宮を出ましたし、大きく遠回りしてきましたから、ここがバレるってことはないはずです」

「ああ、ルイズ! あなたとあなたのおともだちを危ない目にあわせてしまって……」

「気にしないでくださいな。トリステインの王女さまに貸しを作るのも、なかなか面白いわ」

 いとも気楽な調子で言うキュルケ。姫さまに対してかしこまった態度をとらないのは、姫さまが身分を隠して潜んでいるからか、はたまた、キュルケ自身の性格なのか。

「ルイズもキュルケも、これくらい慣れっこだもんな!」

 私の後ろに立つサイトが口を挟む。フォローのつもりらしい。
 ちなみにシエスタは、いまだ寝込んだまま。スカロンさんは別の部屋におり、ジェシカは街へ買い物である。

「で、灰色ローブの痩せぎすが、枢機卿って呼ばれていたんだけど……」

 私のつぶやきに、姫さまが反応して。

「マザリーニ枢機卿ですわ。ロマリアから来てくださった人物で、無能な役人や大臣に代わり、現在のトリステインの外交と内政を一手に引き受けてくれています」

 マザリーニという名前は、旅の途中で、私もチラッと耳にしたことがある。
 『光の国』とも呼ばれるロマリアは、始祖ブリミルの弟子を開祖とする国であり、教皇が統治している。マザリーニは、先代教皇の時代には、次期教皇と目されていたこともあったはず。
 だが結局は別の者が教皇になったわけで、いわば権力争いに破れた人物。そんな男が、お家騒動真っ盛りの王国で実権を握っているとは……。

「街では今、こんな小唄も流行っているそうですよ。『トリステインの王家には、美貌はあっても杖がない。杖を握るは枢機卿。灰色帽子の鳥の骨』……」

「姫さま。街娘が歌うような小唄など、口にしてはなりませぬ」

 私は、諌めの言葉を口にした。
 今やトリステインを牛耳るのは『鳥の骨』マザリーニである……。民衆も姫さまも、そう認識しているのだ。
 この状況、古くからの重臣たちは、良くは思っていないはず。マザリーニの力を削ぐ意味でも、早急に王を即位させたいであろう。しかし誰を王にするのか、意見は割れているわけで……。
 ふむ。マザリーニの存在も、お家騒動を加速させている原因の一つかもしれない。

「いいじゃないの、小唄ぐらい。本当のことですから。枢機卿がいなければ、もうトリステインは立ち行かない状態なのです」

 姫さまは複雑な表情をしていた。
 国を運営してもらっていることには感謝するが、国を乗っ取られているような気もして、やはり不快なのであろう。

「……そんなマザリーニ枢機卿をトリステインに連れて来てくださったのも、ウェールズさまなのです」

 言いながら、姫さまがため息をついた時。

 バタン!

 部屋の扉が大きく開いた。

「大変よ!」

 立っていたのは、買い物に出ていたはずのジェシカである。

「……どうしたのです?」

 問いかけたのは姫さまだが、皆の顔にも疑問の色が。
 それを見回しながら。

「今、街で……王宮からの告知が出て……。『昨夜、暗殺者と思われる侵入者たちと接触をしたド・ポワチエ将軍を逮捕した』と……」

「な!?」

 一気に色めき立つ一同。

「『ド・ポワチエ将軍は今回の暗殺騒ぎの重要人物と見られている。厳しい処分がくだされるであろう』と……」

「ひどい話ね。あたしたち、接触できてないというのに」

 口惜しそうに言うキュルケ。そういう問題じゃないと思うが、彼女の言い分も判らんではない。

「失敗したからこそ、こうなったのよ……」

 キュルケに対して一言、それから姫さまに向かって。

「もうしわけありません。私たちが見つかったばかりに……」

「いいえ、そうではないでしょう。身替わりまで用意されており、しかもそれがウェールズさまの侍従であったというなら……」

 姫さまが椅子から立ち上がる。
 その表情から先ほどまでの憂いは消え、何かを決意した人間の顔になっていた。

「……これ以上、事態を見守っているわけにもいきません。動くときが来た、ということです」

「それって……」

「はい。王宮に戻ります。……あなたも一緒に来てくれますね、ルイズ?」

「……もちろんです」

 私だけではない。
 サイトやキュルケも、力強く頷いていた。





(第二章へつづく)

########################

 「スレイヤーズ」ではアメリアとアルフレッドがいとこ、「ゼロ魔」ではアンリエッタ王女とウェールズ王子がいとこなので。

(2011年5月27日 投稿)
   



[26854] 第四部「トリスタニア動乱」(第二章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/05/30 22:31
   
「門を開けなさい! アンリエッタ・ド・トリステインが、戻ってまいりました!」

 鮮やかな紫のマントとローブを羽織った姫さまが、毅然とした態度で言い放った。
 歩哨に立った兵の一人が、あわてて通用門から中に飛び込んでいく。
 そして……。
 きしんだ重い音を立て、王宮の門は奥へと開く。
 堂々とした足取りでまっすぐ進む姫さま。その後ろにつき従うは、私とサイトとキュルケの三人。

「……こ……この三人は……?」

 私たちを見とがめて、兵士の一人が姫さまに聞く。
 私とキュルケは、黒いマントに、白いブラウス、グレーのプリーツスカート。つまり典型的な学生メイジのスタイルであり、兵士にしてみれば、なぜ学生が王宮に連れられて来たのか、不思議に思ったのだろう。
 さらにサイトは、もっと怪しく思われたはず。いつもの青と白の服を来ているが、これはパーカーという異世界の着物である。ハルケギニアの者の目には異様に映る。しかもサイトは、魔剣デルフリンガーを背負っているのだ。

「わたくしのおともだちです。失礼のないように」

 姫さまがピシャリと言い放つ。これで、もう兵士たちは何も言えなくなった。
 私たちは、広場をずんずん進んでいく。

「姫殿下だ!」

「姫殿下がお戻りになったぞ!」

 口々に呼ばわりながら、次々と集まってくる兵士たち。
 姫さまは、彼らに対して優雅に手を振りながら、民衆向けの営業スマイルを返す。
 だが……。
 突然、姫さまの表情が強ばった。自然に、その足も止まる。
 彼女の視線の先にいるのは、凛々しい金髪の若者だった。後ろには老メイジを従えている。昨日の偽ド・ポワチエ、たしか名前はパリー。
 ということは、この若者が……。

「ウェールズさま……」

 つぶやく姫さまの声が聞こえたかのように、彼が両手を広げて駆け寄ってくる。

「おお、アンリエッタ! ようやく戻って来てくれて、嬉しいよ! 君がいなくなって、僕がどれだけ心配したことか……」

 人目も憚らずに、姫さまを抱きしめようとするウェールズ王子。姫さまは、それをソッと押しのけて。

「およしになってくださいな、こんな場所で……」

 姫さまは少し頬を染めているが、なんだかんだ言っても恋人同士。本心から嫌がっているようには見えなかった。若い王族二人のロマンスに、誰も口を出せない中。

「……それで、後ろの方々は?」

 わざわざ尋ねたのは、灰色ローブに丸帽子の男。
 いつのまにか来ていた、マザリーニ枢機卿だ。
 かげでは『鳥の骨』と呼ばれているそうだが、なるほど、昼の陽の光の下では、いっそう痩せぎすに見える。この男から、人々が鶏ガラを連想するのも無理はない。

「わたくしのおともだち。ルイズとキュルケさんとサイトさんです」

「ルイズ……? ほぉう、あなたが、ラ・ヴァリエール公爵家の末娘の……あの『ゼロ』のルイズ」

 姫さまの紹介に、マザリーニは面白がるような声を上げた。
 さすがに王宮までは『ゼロ』の噂も届いていないと思ったのだが……。このマザリーニ、事情通な男である。昨夜の侵入者の一人が私であることも、顔を隠していたとはいえ、バレているのかもしれない。

「ちょうどよかったですわ、あなたまで来てくれて。……枢機卿、ド・ポワチエ将軍を解放してあげてください」

 大勢の人々の前で、いきなり姫さまが用件を切り出した。
 しかし、マザリーニはあっさり受け流す。

「……それはできかねますな。なにしろ将軍は、昨夜忍んで来たくせものと、どうやら接触を取った様子。一連の暗殺事件と大いに関係があると思われ……」

「何を言うのです。昨日のあれは、わたくしが放った密偵ですわ」

「……み……」

 いとも当たり前のように言う姫さまに、さすがのマザリーニも言葉に詰まった。
 周りの兵士たちもザワザワしている。
 私やキュルケも、ちょっと驚いた。まさか馬鹿正直にそんなこと言うとは思ってもいなかったのだ。

「密偵とは……また何で……」

「それは言えませんわ。これは王家の問題です」

 言い切って、再び歩き出す姫さま。その傍らにはウェールズ王子が寄り添っているが、彼が話しかけてきても、姫さまは、そっけない言葉を返すだけ。
 建物に入るところで、後ろを振り返り。

「面倒な手続きがあるでしょうが、それは、わたくしのほうでやっておきます。ルイズたちは、王宮の見物でもしていてくださいな。……ここに来るのは、久しぶりでしょう?」

「はい、姫さま」

 内心の心配は見せずに、私は頷いた。
 私たちは一応、姫さまの護衛である。できれば姫さまから離れたくないのだが……。まあ周りには兵士たちもいることだし、まっ昼間からの襲撃もないだろう。

「誰かに案内させますわ。えーっと、こういう場合は……」

「ならば、私が」

 申し出たのは、マザリーニ。
 一同、しばし言葉を失う。
 マザリーニは、現在のトリステインの政治を取り仕切る男。色々と忙しいはずだが、はてさて。

「そうだな。枢機卿にとっても、たまの骨休めになろう」

 ウェールズ王子が、マザリーニに賛成する。
 ……そちらが、そう来るのであれば。

「そうですね。では、よろしくお願いします」

 言って私は、にっこり微笑む。
 チラッと見れば、キュルケも異存はない様子。サイトは何も考えていない様子。
 ……さて、茶番の始まりである。

########################

 白い石造りのゆるい階段をのぼり、開け放たれた大扉をくぐると、巨大なアーチ状の空間が広がっていた。

「ここが王宮に設置された神殿です。もちろん、まつられているのは始祖ブリミルです」

 マザリーニが指さしたのは、始祖ブリミルの像。始祖が腕を広げた姿を抽象化したものである。始祖の容姿を正確にかたどることは不敬とされているので、ハッキリとした顔はない。

「ここの左右にひとつずつ建物があって、左が巫女、右が神官たちの詰所になっています」

 ロマリアの枢機卿であるマザリーニは、ある意味、私たち以上に敬虔なブリミル教徒であるはず。だからこそ最初に私たちを、王宮に設置された神殿へ連れて来たのだろうし、これをロマリアの寺院や神殿と比較したり、聖職者らしくアリガタイおはなしを始めたりするかと思ったのだが……。
 彼は淡々と語るだけ。始祖ブリミルに対する敬意も感じられないほどだ。私は小さな違和感を覚えた。

「この先が今言った、詰所への入り口になっています。さらに行けば、本宮へと続く渡り廊下があり……」

 かなり一方的な説明をしながら、ずんずん先へ歩いていく。これではゆっくり辺りを見る暇もない。私は小さい頃に来たことあるからいいが、初めてのサイトやキュルケは、もう少し色々見てみたいだろうに。
 ……しかしこの男、案内をわざわざ自分から引き受けたところからして、何らかの魂胆があるに違いない。昨夜の態度——いきなりの「殺しなさい」発言——から考えて、ただの宗教家でも政治家でもない。かなり胡散臭い人物である。
 などと思ううち一行は、本宮へと続く、屋根つきの渡り廊下へとさしかかった。

「いい天気だな」

 のんきな言葉をもらすサイト。
 つられて、私も外へ目を向ける。

「……そうね」

 空はきれいに青く済み、日ざしは程よくあたたかい。こんな状況でなければ、芝生の上でひなたぼっこでもしたいところ。
 思わずほけーっと景色を眺めているうちに、マザリーニの歩くペースに取り残されて、少し離れてしまっている。老人のくせに、足は遅くないのだ。ふと我にかえり、私はペースを速めた。
 が……。
 おかしい。
 いくら歩みを速めても、先を行くマザリーニやサイトやキュルケの背中は少しも近づかない。それどころか、どんどん遠ざかっていく。
 三人の姿はみるみるうちに小さくなり、やがて豆粒ほどと化し、消える。
 ……すでにこの時、私は敵の術に嵌っていた。

########################

 振り向いてみたが、前にも後ろにも、ただ延々と人のいない渡り廊下が続くのみ。その先には、もはや神殿も本宮もない。

「……空間が歪んだ?」

 自分を落ち着ける意味で、口に出してみる。
 ……まあ確かに、使い魔召喚だって、空間の因果法則を狂わせることにより、離れたところと自分の場所とを繋ぐのだ。その応用なのかもしれないが……。
 いや。ならば『ゲート』のようなものを通るはず。今回のケースとは違う。

「うーむ。では……どういうこと……?」

 私たちの常識では考えられない魔法だとしたら……。まだ私の知らない虚無魔法か、エルフなどが扱う先住魔法か、あるいは……。
 なんであれ。
 かなり厄介な敵のようである。
 嫌な想像が頭に浮かんで、私が顔をしかめた時。
 廊下の奥、はるか彼方から、重い足音が近づいてきた。

########################

 やってきたのは、黒く巨大な塊。

『ギーッ』

 耳障りな声で鳴くと、触覚のような器官をあたりに巡らせる。
 それは一匹の虫……。
 いや、虫のような姿の何かだった。いくらなんでも、小柄な竜ほどもあろうかというサイズの虫がいるわけはない。
 甲虫のたぐいを思わせる、真っ黒くつややかな肌。左右四対、計八本のガッシリとした足。背中には大きな、しかしこの体を宙に浮かせるには小さな一対の羽根。体のあちこちに輝く、ルビー色をした半球体……。

「何よ、これ……!」

 私じゃなかったら、パニックに陥っていたかもしれない。
 こういう時こそ、冷静にならねば。
 どう見ても、この『虫』はハルケギニアに生息する生き物ではない。ならば、サイトのように異世界から召喚されたものか、あるいは……魔族だ!

 ヴン!

 攻撃はいきなり来た。
 正面きって対峙した『虫』の背中がかすんで見えた……。そう思った瞬間、私はまともに弾き飛ばされ、渡り廊下の手すりに叩きつけられていた。

「……!」

 衝撃でしばし息ができない。
 この『虫』、外見とは裏腹に、俊敏な動きである。
 『虫』がその顔をこちらに向ける。その口が大きく開き。

『ガギイッ!』

 その鳴き声と同時に、私はとっさに横に跳ぶ。
 はるか後ろで思い爆音。
 ちらりと振り向けば、渡り廊下の途中に大きな穴が開いていた。『虫』の放った衝撃波だろう。生身で食らっていたら、ひとたまりもない。
 逃げ続けるのは無理だろうが、ならば反撃するまで。最初の衝撃からは回復し、呼吸も出来るようになった。つまり、呪文を詠唱できるということ!

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ……」

 失敗魔法バージョンではなく、虚無魔法の『爆発(エクスプロージョン)』をお見舞いする。

『ギグアァァァァァッ!』

 虫の全身が激しく震え、その口からは空気を震わせる絶叫がほとばしる。
 だが……。

「……嘘でしょ!?」

 脚の二、三本は吹き飛ばしたようだが、それだけだった。本体にさしたるダメージはなく、不気味に黒光りしている。しかも、その触覚の先端には雷光が灯っていた。
 ……やばいっ!
 本能的に感じ取ったとおり。
 広範囲の電撃が……来た!
 ギャンッと悲鳴が喉の奥ではじける。体中が痺れて、私は前のめりに倒れ込み……。

########################

「ルイズ!」

 私の体は、しっかりと受け止められていた。
 ボーッとした頭のまま、見上げれば……。

「……サイト?」

 目の前にあるのは、我が使い魔の心配そうな顔。
 ゆっくり首を動かし、周囲の景色も確認する。私は元の、ごく普通の渡り廊下へと戻っていた。
 私は今、サイトに体を預ける形で、彼の腕の中。サイトの後ろにはキュルケの姿も見えるが、彼女も深刻な表情をしている。

「元のルイズに戻ったようね。心配したわよ。うつろな目をして、体もブルブル震えていたから……」

「驚いたぜ。隣を普通に歩いているのに、左目はお前のピンチを映し出して……」

 なるほど。キュルケやサイトの言葉から判断するに、二人の認識としては、私は『いなくなった』のではなく、ずっと横にいたことになっているようだ。
 それでも『ガンダールヴ』であるサイトには、御主人様である私の危機がわかった。だから、救いの手を伸ばしてくれたらしい。

「どうしたのですか、みなさん。そんなところで立ち止まって……」

 少し先から、マザリーニが声をかけてくる。不思議そうな声と顔だが、どうせ演技だろう。こいつが、今の怪現象にも一枚かんでいるはず。

「いえ、なんでもありません。ちょっと躓いただけです」

 適当に言う私だが、その声は少しかすれている。先ほどの電撃の後遺症だ。

「ルイズ、歩けるか? なんだったら……」

「大丈夫。歩けると思う。でも……」

 不安そうなサイトに笑顔を作ってみせながら、私は手を伸ばした。
 意図を察してくれたらしく、サイトは私の手を握りしめる。もう私が、一人でおかしな空間に引きずり込まれないように。
 これが功を奏したのか。
 王宮見学ツアーが終わるまで、それ以上の怪現象は起こらなかった。

########################

「やー、疲れた疲れた」

 言って私は、ベッドに身を投げ出す。
 寝室としてあてがわれたのは、姫さまの寝室から少し離れた客室だった。私たちは一応、姫さまの護衛のつもりなので、こうして同じ建物内に泊まらせてもらったわけだ。もしも姫さまの部屋で何かあれば、すぐさまそれを察知して駆けつけられるように、である。
 姫さまは王族であり、そんじょそこらの貴族では、これほど近くの部屋はもらえなかったかもしれない。が、そこはヴァリエールの名前が効いたのであろう。
 キュルケは姫さまと私の友人ということで私の隣の部屋、サイトは私の使い魔なので私と一緒。サイトに関しては、王宮の人々から「えっ、同室ですか?」と驚いた顔をされたが……何故かしら? 使い魔である以上、同じ部屋に寝泊まりするのは当然のはずなのに。

「おーいルイズ、寝るんじゃないぞぅ……」

「……わかってるわよ……」

 言いつつ私は身を起こし、ナイト・テーブルに腰かけたサイトと向かい合う形で、ベッドの上にちょこんと座る。
 世に言う作戦会議というやつである。
 キュルケも交えて話し合うつもりだが、彼女は今、ちょっと外出している。『魅惑の妖精』亭においてきた使い魔フレイムを引き取りに行ったのだ。いきなりサラマンダー連れで王宮に入るのは遠慮したわけだが、ちゃんと話を通したので、サラマンダーも泊めてもらえるらしい。

「そうだ。今のうちに聞いておこうかしら」

 黙ってキュルケを待つのもバカらしいので、彼女抜きでも構わない話を始める。
 私は、ジーッと彼を見つめて。

「……な、何だ……?」

「サイト。どうやって、あの空間から私を助け出したの?」

 昼間の『虫』事件で、歪んだ空間から私を救ってくれたのはサイトである。あの異空間から脱出するのは、さすがの私でも無理だった。今後のためにも、詳細を知っておきたいのだが……。
 サイトは、うーんと唸りながら、首を傾げる。

「俺にもよくわからねえ」

「はあ? 何よ、それ!?」

「視界の共有だけじゃなくてさ、隣のルイズに手を伸ばしても触れられないから、ともかく異常事態だと思ったんだ。……で、左手で背中のデルフの柄を握りながら、左眼にも意識を集中しながら、その状態で右手を伸ばしたら、今度は捕まえることができた」

 なんじゃそりゃ。そんな説明では私にもサッパリわからん。

「相棒はガンダールヴだからな。主人が危機で、しかも隣にいるとなりゃあ、手を伸ばせば届くのは当然だぜ」

 私たちの困惑を見て、デルフリンガーが補足する。これもあんまり説明になっていないが、今は『ガンダールヴだから』と納得するしかなさそうだ。

「それよりさ、ルイズ。俺も聞きたいんだけど……」

 今度はサイトが尋ねる番だった。

「……俺たち、姫さんが狙われるからついてきたんだろ。じゃ、なんで姫さんじゃなくてルイズが襲われたんだ?」

 うーむ。
 これは難しい質問だ。
 色々と考えられるが、はてさて……。

「そりゃあ、王位継承を巡る争いの一環だぜ。娘っ子、おめえさんも王家の遠い親戚なんだろ?」

 黙り込む私に代わり、意見を述べるデルフリンガー。
 サイトはわかっていない顔をしているが、ヴァリエール公爵家の源流は昔の王様の庶子だ。トリステインの者ならば知っていて当然の話だが、魔剣デルフは、人間的な常識ではなく、私が虚無の担い手であることから推測したのだろう。

「なあ、娘っ子。この国の王家にゃあ、もう、王様の血を引いてるのは二人しかいないんだぜ。その二人が殺されちまったら……」

「おい、デルフ。二人じゃなくて、三人じゃねえの? あのウェールズっていう王子さまは、アンリエッタ姫さまのいとこだよな?」

 ふむ。
 どうやらデルフリンガーは、今まで会話に参加こそしてこなかったが、ちゃんと話は聞いていたらしい。バカ犬サイトよりも、よっぽど事情を理解している。

「サイト、あんた勘違いしてるわ」

 御主人様として、使い魔の知識を訂正する私。

「ウェールズさまは、姫さまの父王——先代トリステイン王——の兄君アルビオン王の長男よ。トリステイン王家の血を引いているのはマリアンヌ大后であって、先代トリステイン王ではないわ。だからウェールズさまには、トリステイン王家の血は流れていないの」

「……ん? つまり、あの姫さんは、二つの王家の血を引いてるってことか? ……すげえ! 王族のサラブレッドじゃん!」

 なんだか感動しているサイト。私には理解不能な感動ぶりだが、とりあえず、正しく理解してくれたらしい。
 それから、少し冷静になって私を見つめる。

「じゃ、デルフの言うとおり……」

 しかし私は、首を横に振って、サイトの言葉を遮った。

「そうね。王位継承権はあるはずだけど……。でも、だいぶ遠いから、違うと思うわ」

「じゃあ、何なのさ。ただの宣戦布告か? アンリエッタ姫が腕の立つ護衛を連れて来たから先にやっつけよう……ってこと?」

「まあ、それなら話は簡単なんだけど……」

 うーん。
 ちょっと複雑だから、キュルケが来てから話し合うつもりだったが……。
 まあ、いいや。こうなったからには、先に始めてしまおう。サイトは話し相手としては物足りないが、デルフリンガーが参加するならば、少しは有意義な議論になるかもしれない。

「そもそも。……あの襲撃は誰の仕業? あんなふうに空間を歪めるなんて、誰が出来るの?」

「あの場で怪しいのは、どう考えてもマザリーニっつう老人だろ。あいつじゃねえの?」

 私は再び、首を左右に振った。

「……それじゃ話が合わないのよ。昨日の様子から見て、私もマザリーニは怪しいと思う。でも……彼がお家騒動に関わる動機がないわ」

 そう。
 マザリーニにしてみれば、現状維持がベスト。今現在、実質的にトリステインを仕切っているのは彼なのだから。
 その意味では、むしろマザリーニは早くゴタゴタを解決したいはず。
 ……そう私が説明すると、サイトは考え込む。

「そうか……。マザリーニは『このままでいいよ派』になるわけか……」

「あえてどこかの陣営に入れるとしたら、ね。……でも最近騒ぎだした『アンリエッタに婿を迎え入れてそれを王様にするよ派』が勝ったところで、それほど困らないと思うわ」

 その派閥はウェールズを王にするつもりであり、マザリーニは、そのウェールズが連れてきた人物である。彼とは、それなりに太いパイプがあるはず。
 では、もしも『マリアンヌに即位してもらうよ派』や『アンリエッタに即位してもらうよ派』が勝った場合はどうなるか。……マリアンヌ大后や姫さまが女王になったところで、それでも、マザリーニがいきなり失脚することはなかろう。今のトリステインは、どうやら彼抜きでは成り立たない状況らしいから。

「……というわけ。態度だけ見てればクロだけど、マザリーニが積極的にゴタゴタに関わっても、彼は得しないわ」

「待てよ。今の話だと……マザリーニよりも、あの王子さまが一番怪しいんじゃねえか? 騒ぎの発端っぽい派閥は、ウェールズ王子を推してるんだろ? しかも昨夜の偽将軍も王子さんの侍従だったんだし……」

「そうね。でも……それもちょっと辻褄が合わないでしょ? 考えてごらんなさい。彼をトリステイン王にするためには、姫さまに生きていてもらわないと困るのよ」

 ウェールズを王にしようとしている連中は、少なくとも、姫さま暗殺など試みないはず。そしてウェールズ自身としても、おとなしく姫さまと一緒になればいいのだ。そもそも、姫さまとウェールズ王子は、昔からの恋人同士で……。

「だけどさ。あの姫さん、今じゃ王子さんを避けてる感じがしてたぞ? もう二人の恋は終わったんじゃねえかな」

「まだ『終わった』とは言えないと思うけど……」

 そう、わからないのは、そこなのだ。
 かつては私を影武者に仕立て上げてまで、ウェールズ王子と密会していた姫さまだ。その姫さまが、そう簡単に心変わりするとは思えない。
 あまり立ち入ったことは聞くべきじゃないと遠慮していたが、今にして思えば、王宮に来る前にもう少し突っ込んで聞いておくべきだった。こうして王宮に入ってしまうと、幼馴染みの私でも、話をする機会は少なくなるのね……。

「……だいたいさ。これって……普通のお家騒動とは違うよなあ」

 サイトがポツリとつぶやいたので、私は頭を切り替える。

「どういう意味?」

「ほら、いわゆる『お家騒動』って、『俺が王になるんだ!』って感じで、王位継承権を持ってる者同士が争うもんだろ?」

 なるほど、それが異世界から来たサイトのイメージなのか。

「……でも、今回のケースだと、姫さんにしても姫さんのお母さんにしても、自分から王様になる気はなさそうだ。周囲が勝手に誰を王にするかで揉めてるだけで……」

「相棒。家督争いっつうのは、そういうもんなんだよ。本人よりも家臣の方が必死なのさ」

 デルフリンガーが、久々に口を開く。こいつはこいつで、剣ではあるが、それなりに世間を見てきたのだろう。

「……そうなの?」

「そうね。……ま、でもサイトは一つ、ポイントをついてるわね。確かに『普通』とは少し違うわ。だって、このまま王は空位でもいい……なんて主張してる派閥もあるくらいだから」

 絶対に誰かを王にしないといけない……。もしも皆がそう言い合っているならば、少なくとも終着点はある。しかし『このままでいいよ派』が存在し、そこが優勢である限り、解決したのかどうかハッキリしない。一度は終わったように見えて、また再燃するかもしれないのだ。
 ある意味、終わりの見えない騒動なのだが……。

「姫さま暗殺を企むヤカラだけは、とっ捕まえて処罰しないとね。とりあえず、それまでは、私たちもここに留まらないと……」

「娘っ子の言うとおりだ。そこが話の落としどころだな」

 魔剣も賛成する。
 ……なんだか話し疲れた。サイトも私と同じらしい。

「キュルケ遅いなあ。……もう寝ようか」

「そうね」

 十分な広さがあるので。
 私とサイトは、一つのベッドに入った。

########################

 キンッ!

 ぶつかり刃物と刃物の音。
 それに続いて、刃物が叫ぶ。

「娘っ子! 起きろ! 敵襲だぞ!」

 これが私を目覚めさせた。慌てて飛び起きると……。

「何者だっ!?」

 サイトが、黒ずくめの暗殺者と対峙していた。両目以外の部分は全て覆われていて、表情も読み取れない。
 寝る前に閉めたはずの窓が大きく開いており、夜の空気が吹き込んでくる。外から無理矢理こじ開けて、そこから入り込んできたらしい。
 かなりの使い手のようで、気配はほとんど感じられない。それでも気づいて目を覚ましたサイトは、さすが私の使い魔だ。

「……お前はターゲットではない。だから名乗らぬ。名乗るのは……依頼主と……死にゆく者に対してのみ……」

「俺は問題外……ってことか!?」

 言うと同時に、サイトが動いた。
 身軽に身をかわす暗殺者だが、ガンダールヴのスピードには勝てない。
 サイトの魔剣が一閃、暗殺者はバッサリと斬られた。
 それでも暗殺者は倒れない。むしろサイトの方が動揺している。

「えええっ!? 女だったのか!」

 刀傷は、肩から腰にまで及んでいた。ダラダラと血が流れているが、同時に、破けた服の隙間から出てきたのは女性の胸。サラシか何かを巻いて隠していたようだが、その布が切られたことで、ポロリとこぼれ出たのである。
 暗殺者は、血まみれの乳を隠そうともせず、また、痛がる素振りも見せず。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 これは『スリープ・クラウド』の呪文だ!
 杖は手にしていないが……まさか、あのナイフを『杖』として契約しているのだろうか!?

「サイト! 逃げなさい!」

「え? でも、こんなやつ……」

 青白い雲が出現し、私たちを包み込む。
 強烈な眠気が襲ってきた。
 虚無のメイジである私は、その強靭な精神力でもって耐えようとしたが……。
 無理だ。これは……耐えられない!

「サイト……」

 見れば、すでにサイトは床に倒れて、寝息を立てている。
 失敗した。サイトに逃げろと言うくらいなら、私が逃げればよかった。いや、適当な呪文を唱えて、失敗爆発魔法で反撃するべきだった。
 でも、もう遅い。眠くてたまらない。今さら呪文も唱えられない。
 立っていられず、私も膝をつく。垂れ下がる瞼で視界も狭まる中、暗殺者が歩み寄るのが見えた。

「……貴様は死にゆく者。ならば名乗ろう。我が名は……『地下水』……」

 『地下水』ですって!?
 私でも聞いたことがある、有名な暗殺者だ。
 誰も知らないまま足下を流れる地下水のように、不意に姿を現し、目的を果たして消えていく闇のメイジ。狙われたら最後、命だろうがモノだろうが人だろうが、逃げることはできない……。
 そんな大物に狙われるとは、思わなんだ。これには驚いたが、私の眠気を完全に吹き飛ばすには、衝撃の度合いが足りなかった。

「せめて……眠りながら逝くがよい……」

 言いながら、『地下水』がナイフを持った手を伸ばす。
 その時。

「!?」

 バッと飛び退く『地下水』。
 それまで立っていた場所を、巨大な炎の蛇が舐めた。
 この魔法は……!

「はーい、ルイズ。遅くなったわね。……取り込み中みたいだけど、出直してきたほうがいいかしら?」

 窓から入ってきたのはキュルケ。フレイムも一緒であり、火トカゲは早速、『地下水』へと飛びかかる。
 体を捻ってかわす『地下水』だが、サイトに斬りつけられた傷からの出血は続いている。この状態で戦うのは、さすがに不利だと悟ったらしい。
 ドアに体当たりして、壊し開けて退却していく。
 そこまで見届けて……。
 睡魔に負けた私は、意識を失った。

########################

「あたしが来なければ、あなた死んでたわね。感謝しなさいよ」

「ええ。あんたの言うとおりね。ありがとう」

 素直に礼を言う私。
 『地下水』撤退後、キュルケが私とサイトを叩き起こしてくれた。色々と恩着せがましい事を言われたが、今回ばかりは仕方がない。ヴァリエールの女だって、スジが通っているならば、ちゃんとツェルプストーの女に頭を下げるのだ。

「じゃ、おやすみなさい。あたしは隣の部屋だから、何かあったら、また来るわ」

 軽く手を振って、キュルケはフレイムと共に出ていった。
 再び二人きりになったところで、サイトが口を開く。

「……面目ない」

 彼は私と並んで、ベッドに腰かけていた。両手は膝の上で、シュンと肩を落とした状態である。
 気落ちした彼に、剣が追い打ちをかける。

「相棒はガンダールヴなのに、な。……まったく、情けない話だぜ。心を震わせりゃ、あの程度の魔法で眠りこけることもなかろうに……」

 ますます落ち込むサイト。
 ああ、もう! 何よ、これ!? これじゃ私が慰め役に回らなきゃならないじゃない!

「そんなに気を落とさないで。私も悠長に見てたのがいけなかったんだわ。サッサと呪文の一つでも唱えるべきだった。……だからサイト、顔を上げて。……ね?」

 私は優しい声を投げかけるが、デルフは、まだサイトを責めていた。

「なあ、相棒。おおかた、あれだろ。相手が女だとわかって、油断したんだろ?」

 おや? サイトの表情が、少し柔らかくなったような……。

「……そりゃ、仕方ねえだろ。だってさ、あんなふうにイキナリおっぱいがポロリと出てきたら……なあ?」

 私に同意を求めるな。その気持ちは私にはわからん。
 しかし……。
 少しにやけたサイトの顔を見ると、ちょっとイラッとする。
 おまけに。
 こいつ、私の表情の変化に気づいたようで、目を逸らす意味で視線を下げやがった。私の胸の辺りを見つめながら、何か考え込むような——頭の中で何かと比べるような——顔をしてやがりますよ!?

「……サイト……あんた……」

 低く冷たい私の声に、サイトはハッとして。

「え? ち、違う! 何でもない、俺はそんなこと思っちゃいない!」

 慌ててバタバタ手を振りながら、必死になって否定する。

「そ、そう言えばさ! あの暗殺者が来て目が覚めた時、俺……」

 なんとか話題を変えようとするサイト。
 ……ん? 何の話を持ち出そうというのだ? まさか……。

「……ルイズに抱きつかれてたみたいなんだけど?」

 あ。
 私の顔が、サッと赤くなる。
 それを見たサイトが、ニヤニヤと。

「もしかして、ルイズって……いつも俺が寝てる間に、俺に抱きついちゃってんの?」

「そ、そんなことないわよ!」

 今度は私が否定する番だった。
 たしかにサイトの言うとおり、私はサイトを抱き枕にしている。ほぼ……いや、たぶん……いや、間違いなく、毎日。
 これも御主人様と使い魔の正常な関係だと思うが、それをサイトに言っても理解してもらえないと思うし、だから言いたくない。知られたくなかった。

「またまた〜〜。照れちゃって……」

「わ、わ、私があんたに、そ、そんなことするわけないでしょ!」

 真っ赤な顔で呪文を唱え始める私。

「わっ、バカ! 照れ隠しのエクスプロージョンはやめろ! 王宮の中だぞ!?」
 
 わかっている、ここは姫さまの王宮だ。私だって、ちゃんと手加減している。
 それに……。

「て、照れ隠しなんかじゃないんだから! これは……私をちゃんと守れなかった、お仕置きなんだからね!」

 ちゅどーん。

 こうして、王宮の夜は更けていく……。





(第三章へつづく)

########################

 ラブコメ要素をゼロにしてしまうと「ゼロ魔」じゃなくなりそうですが、やりすぎると「スレイヤーズ」ではなくなってしまうので、難しいです。そもそもルイズ一人称では、サイトの心情もルイズの推測でしか書けないので、そこも難しいわけで。

(2011年5月30日 投稿)
  



[26854] 第四部「トリスタニア動乱」(第三章)
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/02 21:57
  
「おはよう、キュルケ」

 私は片手をひょこっと上げ、芝生の上のテーブルでお茶しているキュルケに挨拶を送る。
 ……どうもまだ眠くていけない。
 昨日の襲撃のあのあと。
 サイトは私の魔法ですぐに眠りに落ちたが、私は違う。ベッドに入っても、色々と考え込んでしまった。
 私たちの部屋は、姫さまの寝室から遠くはない。建物自体には、厳重な警備体制がしかれている。その中を『地下水』は、数人の見張りを他の者には気づかれぬように倒した上で、私の部屋を襲撃したのだ。
 しかし……なぜ? 姫さまや王宮の大臣たちが狙われるというのであれば、まだ話はわかるのだが……。

「おはよう、ルイズ。もう元気になった?」

「うん。私もサイトも、ほら、このとおり!」

「……って、あんまり元気そうには見えないけど。まあ、あなたなら大丈夫でしょうね」

 気楽に言うと、彼女は紅茶をくいっと飲み干す。
 私はサイトと共に、キュルケの向かいに腰掛けた。
 メイドが一人、スッと歩み寄って、紅茶を注いでくれる。

「まだ王女さまとは話をしてないの?」

「そう。姫さま、ここに戻ると結構忙しいみたい」

 紅茶を一口含みながら私は答えた。口の中に広がる甘い香りが、私をリフレッシュさせる。これは『紅茶』というよりむしろ『香茶』というべきかも。
 ……私たちがこんなところをうろついているのは、別に怠けているわけではない。
 姫さまの護衛として王宮に来たわけだが、表向きは『おともだち』である。つまり、姫さまの客。姫さまの護衛は王宮の魔法衛士隊がやっており、私たちは手持ち無沙汰となった。
 そこで、である。
 私はサイトを連れて、堂々と大っぴらに聞き込みをすることにしたのだ。
 正直、誰がどの派閥なのかよく判らないし、どの派閥が姫さま暗殺を企てているのかも不明だが、私たちが動き回れば悪い奴らへのプレッシャーになる……と考えたのである。

「……というわけよ。で、キュルケは?」

「あたし? まあ、あたしも似たようなものかしら。あたしはあたしで、独自に調べているわ」

 私の説明に対して、ウインクで返すキュルケ。
 こいつ……。
 おそらく、また男漁りを始めたな?
 キュルケの二つ名は『微熱』。これは彼女の魔法の炎を意味するだけでなく、情熱の炎を示すものでもあった。

「ルイズ、何か言いたそうな顔ね?」

「……なんでもないわ。気にしないでちょうだい」

 トリステインの王宮内で恥ずかしい真似は止めて欲しいのだが、どうせキュルケに言わせれば、色仕掛けを用いた調査ってことになるんだろう。
 言うだけ無駄とわかっていたので、私は敢えて口にはしなかった。
 そんなことより。

「ねえ、キュルケ。ちょっと聞きたいんだけど……」

 昨晩キュルケとするはずだった相談を、ここでしようか。私たち三人以外に、給仕のメイドも控えているが、たぶん大丈夫。
 そう思って、私が話し始めた時。

「おや、みなさん! こんなところにお集りでしたか!」

 横手からかけられた声。
 私たちは一斉に声の主へと顔を向けた。
 そこに立っていたのは、一人の老メイジ。ウェールズ王子の侍従、パリーであった。

########################

「ここの席……失礼してもよろしいですか?」

 私が頷くと、彼は私の左隣の席に座った。
 すかさずメイドがティーカップを追加し、紅茶を注ぐ。
 老メイジは、それで口を湿らせてから。

「実は、みなさまに折り入ってお願いしたい事があるのです」

 深刻な表情で私たちを見回す。
 こうして見ると、善人にしか見えない老人であるが……。一昨日の夜、ド・ポワチエ将軍の偽物を演じていたのは、彼なのだ。なんらかの陰謀に関わっているとみて間違いない。
 どうせ彼の方でも、私とキュルケがあの晩の『密偵』だって気づいてるんだろうなあ。しかし、お互い、それは口にしない。ちょっとした腹の探り合いである。

「……何かしら、パリーさん? あたしたちに頼みたい事というのは?」

 どこか芝居がかった調子で言いつつ、キュルケが髪をかき上げる。そのポーズが妙に決まっているが……。まさかキュルケ、こんな老人に対して色仕掛けをかますわけじゃあるまいな!?

「他でもありません、ウェールズ殿下のことです」

「ウェールズさまの……? でも、それなら私たちより、あなたの方が……。あるいは、姫さまにでも頼んだ方が……」

 聞き返したのは私。
 キュルケに会話の主導権を握らせては、とんでもないことになりそう、と思ったからだ。どんな頼み事だか知らんが、下手に『微熱』のキュルケに任せたりすると、ややこしい結果になりそうな気がする。

「……そこなのです。どうやらアンリエッタ姫殿下は、ウェールズ殿下に対して、よい感情を抱いておられぬ御様子。昔は、あんなに仲睦まじかった御二人だったのに……」

 むむむ。
 どうやら話は、恋愛沙汰のようだ。どう考えても、これは私の専門分野ではない。待ってましたと言わんばかりに、キュルケが身を乗り出す。

「ああ、そのことね。それは、あたしたちも気になってたのよ。……ねえ、ルイズ?」

「そう。パリーさん、何か御存じないですか? 私も姫さまの態度、ちょっと変だな……って思ってたんですけど」

 パリー侍従は首を横に振る。

「わかりません。……侍従の私が申し上げるのも何ですが、ウェールズ殿下は紳士でございます。姫殿下に嫌われるような言動は一切していないはずなのですが……」

 やはり姫さまに直接聞いてみるしかないようだ。

「……ですから! 殿下と姫殿下との話し合いの機会を作っていただけないでしょうか? 御二人が腹を割ってじっくり話し合えば、また昔のような蜜月状態に戻るはず。そうなれば……」

 老侍従の顔に、ニンマリとした笑みが浮かんだ。

「……殿下と姫殿下が結ばれて、ウェールズ殿下はトリステインの王にもなれて、万々歳でございます」

 ……おいおいおいっ!
 大胆といえばあまりにも大胆な発言に、私とキュルケは、思わず慌てて辺りに視線を走らせてしまう。
 給仕のメイドは少し離れたところに立って「私は何も聞いてません」という空気を発しているが、それでも顔が少し青ざめていた。
 なにしろ。
 今の発言は、すなわち……。

「え? それって……この国を乗っ取る気があるってこと?」

 ここで突然、会話に参加するサイト。こいつのことだから、たぶん本気で聞き返してるんだろうが……。わざわざ確認するのは、ちょっといやらしいぞ。
 それでも、パリー侍従は平然と。

「もちろんです」

 悪びれることなく、ハッキリと言い切った。

「トリステインは王位がカラのままでも何とかなる国のようですが、そもそも歴史ある国なのです。王がいないというのは異常な状況。しかしマリアンヌさまもアンリエッタさまも、王になる気はない御様子。ならば……その気のある者が、王位に就くしかないでしょう?」

 そうきたか。
 つまり彼は、事態を収拾するためには『アンリエッタに婿を迎え入れてそれを王様にするよ派』が最善……と主張しているわけだ。だから、私たちにも手伝え、と。
 とんでもない提案をされたようにも思えるが、しかしこの話、けっこう理にかなっている。
 私たちから見れば、姫さまの身の安全が第一なのだ。姫さまが幸せに結婚して、その結婚相手——この場合はウェールズ王子——がトリステインの王になるというのは、それはそれでハッピーエンドである。
 ただし……。

「ねえ、ルイズ……」

「ええ。わかってるわ、キュルケ。だから、今は何も言わないで」

 これには条件がある。
 ポイントは『姫さまが幸せに結婚』ということ。
 もしもウェールズ王子やその取り巻きが、トリステインを手に入れるだけのために姫さまを利用しようとする悪漢であるならば……。私は、その企てを断固として阻止しなければならない。
 そして。
 私たちの前で今、好々爺のような顔をしているパリー侍従は、何か裏があるであろう人物なのだ。一昨日の遭遇を、私もキュルケも忘れてはいない。
 それでも。

「わかりました」

 私は作り笑顔で、表面上は彼の意見に賛成してみせる。

「私たちから姫さまに、一応話してみましょう」

「おお! ありがとうございます!」

 彼はいきなり席を立ち、私に握手してから。

「……それでは私も、ウェールズ殿下にその話をしてきます!」

 言ってすぐさま、駆け出していく。
 あとには私たち三人と、まだ少し怯えた表情のメイドがとり残される。
 しばしの沈黙の後。

「ま、仕方ないわね。とりあえず、これで事態も変わるでしょう」

 他人事のような口調で、キュルケが肩をすくめた。
 私もサイトも、それに対して何も言わない。
 サイトは私を見て、少し顔を曇らせていた。

「ルイズ、どうした?」

「なんでもないわ……」

 そう返しながらも、わずかに体を震わせる私。
 おのれの右手に、視線を落とす。特に何も変わった点はないが……。
 冷たい感触が残っていた。
 老侍従パリーの手から伝わった冷気。いくら年寄りとはいえ、彼は、あまりにも体温が低かったのだ。
 私は、ふと姫さまの言葉を思い出す。たしか姫さまは、ウェールズ王子をこう評していたはずだ。

『なんだか……冷たくなってしまわれました』

 と……。

########################

「どうやら話がついたみたいよ、ルイズ」

 ランチタイムの小さな食堂。来客用のここには、私とサイトとキュルケ、そして給仕のメイドの他には誰もいない。
 ウェールズ王子や彼の侍従がいないということは、彼らが『来客』扱いではないということを意味している。

「……話って?」

 キュルケと顔を合わせるのは、朝のティーテーブル以来。いきなり言われても何のことやらわからなかった。

「呆れた……。もう忘れたの? お姫さまと王子さまの会談のことよ」

 ……ポテッ。

 思わずスプーンをシチューの中にとり落とす。
 クラゲ頭のバカ犬サイトじゃあるまいし、忘れるわけがあるまい!? ただ、こんなに早く事態が進行するとは、あまりにも予想外だったのだ。

「へえ。すごいな、キュルケ。どうやったんだ?」

 あっけらかんと尋ねるサイト。
 午前中、私とサイトは結局、姫さまとは接触できなかった。ならばキュルケがつなぎをつけたということになる。幼馴染みの私を差し置いて……。

「あら、普通にお願いしただけよ。魔法衛士隊の隊員さんにね」

 言いながらキュルケは、艶かしく髪をかき上げる。
 なるほど。姫さまと直に話をするのは無理でも、護衛の者を色仕掛けで手なずければ、言づてを頼むくらいは出来るわけか。

「王位継承問題で動いてる連中を刺激したくないから、秘密裏に話し合うことになったそうだけど……。あたしたちも同席してかまわないらしいわ。どうやら、二人っきりというのは嫌なようね」

 キュルケの説明を聞きながら、私はテーブルの上に視線を戻す。
 落っことしてしまったスプーンは、もはやシチューの中に沈みこみ、影も形も見えはしない。

「そう。それはお手柄ね、キュルケ……」

 適当な言葉を返しつつ、フォークでシチュー皿の底をかき回す。
 コツンッと指先に伝わる硬い手ごたえ。
 瞬間。

 ザビュッ!!

 音さえ立てて、皿がシチューを吹き上げた。……いや!

「だああああああああっ!?」

 思わずのけぞる私たち。
 別に皿がシチューを吹き上げたわけではなかった。
 皿の中から、シチューと同じ色をした、数十本もの、ねらりと長い触手のようなものが飛び出してきたのだ。

「ルイズ! これも虚無魔法なのかよ!?」

「あたしの手柄を褒めてくれるのはいいけど、こういう祝いかたは、やめて欲しいわね!?」

「私がやったんじゃないわよっ!」

 三人が叫ぶうちにも、皿から生えた細長い触手は、ワッシとテーブルにはりつき、底を支えに、皿の中にある本体らしきものを抜き出そうともがく。
 その隣では、ハチミツを塗ったローストチキンが縦に裂け、中から何かの両手がせり出してくる。

「あんたのところのおすすめメニューはこんなんかっ!? 姫さまに言いつけるわよ!」

 私が食ってかかったそのとたん、給仕のメイドは無責任にも床に崩れ落ち、ひとかたまりの塩と化す。

「ああ、もったいない。けっこう可愛いコだったのに……」

 こら、サイト! そんなこと言っている場合ではないっ! ちょっと問題発言な気もするが、私も怒っている場合ではないっ!
 触手の本体は、すでに姿を現していた。
 それは、ふたかかえはあろうかという大きさの、ぷよんぷよんした球体。てっぺん辺りからは、数十本の細長い触手が生えている。
 ローストチキンから生まれた方も、はや半ば以上を現していた。こちらは、人の形をした巨大ワカメをさらにデフォルメしたような形状。

「どうするの、ルイズ!?」

「とりあえず逃げてみましょ!」

「俺も賛成!」

 敵に後ろを見せない者を貴族と呼ぶ……なんてセリフは、この際、適用外。こいつらは『敵』以前のシロモノじゃ。
 私は、二つある扉のうち、手近な一つに飛びつく。が、開いたとたんに絶句。

「どうしたのよ、ル……」

「なんだよ、二人して……」

 隣に駆け寄ったキュルケとサイトも、やはり同じく絶句する。
 扉の向こうには、どこかで見たような部屋があり、テーブルひとつに料理が多数。奇妙なシロモノが二匹。奥の方には開いた扉。その前に茫然と佇む三つの後ろ姿。
 ……そう。私たち自身である。

「サイト、後ろ!」

 キュルケの声に、向こうの部屋のサイトがこちらを向く。

「はぁ〜〜い!」

 明るい声で手を振るキュルケ。

「バカなことやってんじゃないわよっ!」

 言うなり私は扉を閉める。

「……空間を歪められたわ! このぷっくりもっくりたちを倒さないといけないみたいね!」

「娘っ子の言うとおりだ。ま、おめーたちならすぐ終わるさ」

 サイトの背中から声がする。ずっと持ち歩くよう、サイトに言っておいて良かった。
 私とキュルケは呪文を唱え始める。サイトは魔剣デルフリンガーを抜き、ふにょふにょ動く触手をかいくぐり、『球体』の部分に斬りつける。
 
 ぽみゅっ。

 やたらと間の抜けた音がして、剣の刃は素通りした。

「……な……なんだぁっ!?」

「相棒! もっと心を震わせろ! でなけりゃ、こいつらは切れねーみたいだ!」

 剣が剣士にアドバイス。
 うむ、どうやら精神力をこめないと通じない敵のようだ。つまり……こいつらは魔族!
 しかし、ならば人間の精神力を用いた系統魔法は効果あるはず。
 早速、キュルケの杖から躍り出た炎の蛇が、ワカメ人間にかぶりついた。
 メラメラと燃えるワカメ人間だが……この一発では消滅しない!?
 キュルケの炎の蛇は、私も詳しくは知らないが、トリステイン魔法学院において、とある有名な火メイジから教わった技のはず。かなり強力な火炎魔法なのだが、それでも倒せないとは……。

「ルイズ!」

 キュルケの催促の声。私のエクスプロージョンでとどめをさせって意味だろう。
 でも。

 チュドーン!

 私が爆発させたのは、シチュー皿だった。
 キュルケが非難の叫びを上げる。

「何やってんのよ!? 遊んでる場合じゃないでしょう!」

「違うわ! よく見なさい!」

 私は気づいたのだ。シチュー皿からもう一匹、別のが姿を現しかけていたことに。
 間一髪まにあわなかったようで、シッポと腕がいっぱい生えたトマトみたいのが、こちらに向かってモソモソと這い寄ってくる。

「そいつは任せたわ!」

 言って私は、再び爆発魔法を放った。
 今度の標的はローストチキン。そこからも、別の一匹が出ようとしていたのだ。そいつごとエクスプロージョンで消滅させたが、悪い奴らはタダでは死なないらしい。死に際に黒い塊を飛ばしてきた。

「うげっ!?」

 身をかがめる私。ハラリとひるがえったマントに当たっただけで、私自身に被害はナシ。
 サイトの方はと見てみれば、なんとか触手つきボールは倒したようで、ちょうど、焦げかけワカメ人間にとどめの一太刀を浴びせるところだった。やはり精神力さえこめれば、剣も通用するのだ。

「ちょっと、ルイズ! ボーッと見てないで、こっちを助けてよ!」

 おっと危ない。
 キュルケがしっぽトマトに苦戦していた。
 それはクニョクニョしたおかしな動きでキュルケの炎をかいくぐりつつ、自分のしっぽを切り飛ばす。

 ヴッ!

 しっぽは途中ではじけて散ると、無数の黒い塊となって私たちを襲った。
 サイトは体をひねり、キュルケは床に転がって、私はテーブルを盾がわりに、何とかこれをやりすごす。

「このっ!」

 斬り掛かるサイト。
 しっぽトマトは巧みに避けるが、その動きを見計らって……。

「ウル・カーノ・ジエーラ・ティール・ギョーフ!」

「エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ!」

 キュルケと私が、魔法で挟撃。
 さすがのトマトもかわしきれず、ついに消滅した。

「……やっと終わったわね」

「気が抜ける外見のわりには、妙に疲れる相手だったわ……」

 私とキュルケは、ぐったりと椅子に腰かける。

「何が『すぐ終わる』だよ。けっこう大変だったじゃねえか」

「わりい。ちょっと読み誤っちまったぜ」

 非難の言葉と共に剣を背中にしまいつつ、サイトも腰をおろした。
 そのとたん。

「……あのぅ、何か不都合でもございましたか?」

 いきなりかけられた声に思わず身構える三人。
 いつのまにか。
 そこには心配顔のメイドが立っていた。
 ……どうやら、まともなところに戻れたらしい。

「よかった。無事だったんだね、君……」

「サイト」

 相好を崩して言いかけた彼を、私が押し止める。

「……この人は何も知らないのよ。あえて言う必要はないわ。それに彼女にとっては、あれから全然時間は経ってないみたいだし」

 部屋の様子は、異変が始まる前と全く変わってはいない。
 テーブルの上のシチュー皿とハチミツローストチキンさえ。
 ただひとつ。
 私のマントにのみ、その痕跡を残していた。
 ……あの黒い塊を当てられたところに大きな穴があいている。マントを織りなす繊維自体がボロボロに崩れ、風化したような感じだ。
 そうやって私が分析している間に、キュルケが何やら、サイトに小声で話しかけている。

「あなた、さっき『もったいない』とか『可愛いコだったのに』とか言ってたけど……。ああいう子が好み?」

「……え? いや、別にそういうわけじゃなくて……」

 ふと見ると。
 サイトは少しニヤケ顔。その視線は、少し離れたところに立つメイドへ。特に、適度に豊かな胸へと向けられている。
 それから。
 彼は、私の方を振り返った。
 ……比べるような目で。

「あ。……いや、ごめんルイズ。別にそういう意味じゃなくて……」

「どういう意味よ!」

 私は、思いっきりサイトの足を踏んづけてやった。

########################

「ああ、愛しのアンリエッタ! ようやく君とたっぷり話ができる!」

 自分は席にすらつかぬまま、ウェールズ王子は開口一番、両手を広げて言った。
 私たちの襲撃があった、その日の夜のことである。
 本宮から少し距離を置いた一軒のはなれ。はなれと言っても、普通の民家ほどの大きさはあるのだが、その一室に、私たち六人は集まっていた。
 姫さまとウェールズ王子、王子の侍従パリー、そして姫さまの付き添いとして、私とサイトとキュルケ。
 姫さまを警護している魔法衛士隊は、今はこの部屋の外である。

「やめてください、ウェールズさま。今は……そのような場合ではありません」

 半ば顔を背けつつ、姫さまは、抱きつこうとするウェールズ王子を拒絶する。別に彼はイヤラシイ感じではなく、親族として抱擁しようとしただけっぽいのだが。

「……今日の昼、わたくしのおともだちが、おかしな魔法で襲われました。それは既に聞きおよびのことと思います。あなたとわたくしが、昔のように愛を語らっていられる状況では……」

 説いて聞かせる姫さまだったが、ウェールズ王子の次の一言で、彼女は固まる。

「……風吹く夜に」

 そして。

「……水の誓いを」

 彼の言葉に応じるかのように、彼女の口から小さな声が漏れた。
 恋人同士の、昔の合い言葉か何かなのだろうか。
 ……考えてみれば。
 かつて姫さまと王子がデートを重ねていたのは、ラグドリアンの湖畔。湖に住む精霊の前でなされた誓約は、たがえられることがないという。姫さまのことだから、永遠の愛を誓ったりしたんだろうなあ。
 実際。
 あれほど王子を嫌がっていた姫さまの表情が、今の言葉を交わしただけで、少し柔らかくなっていた。遠い日を思い出したようで、恋する乙女の瞳になっている。

「アンリエッタ。こうして王家がもめている今こそ、僕たち二人の力が必要なのだよ。僕と君が一緒になり、婿入りした僕が、トリステインの王に即位する。……これで万事解決するじゃないか!」

「ウェールズさま……」

 彼は彼なりに、スジの通った話をしている。でも、それを聞くうちに、姫さまの瞳から輝きが失われていった。

「……やはり、あなたは変わってしまわれましたわ。昔のウェールズさまは、そのようなことを言うお人ではなかった……」

「何を言うんだい!? 僕は昔のままだ。水の精霊の前で、あの日、誓ったように……」

「やめてください。……わたくしにしか判らないのでしょう。でも、わたくしには判るのです。あなたは、もう昔のウェールズさまではないのだ、と……」

 姫さまは、哀しげに顔を伏せた。
 ふむ。
 私にも、少し話が見えてきた気がする。
 どうやら姫さま、理屈とは違う部分で、異質なものを感じ取っているらしい。だから幼馴染みの私にも詳しく語ってはくれないわけだ。きっと言葉では説明できない、恋人だからこそ気づく違和感……。

「ああ!」

 大げさな身振りと共に、立ち上がるウェールズ王子。ウロウロと辺りを歩き回りながら。

「僕の方こそ、君がわからない! 昔の君は、こんなに理不尽に僕を拒絶することはなかったのに……」

 カコンと拳を壁に叩き付ける。
 イライラしたので八つ当たり……。そんな感じであるが、王族の立ち振る舞いとしては、褒められたものではない。
 ……が、それよりなにより。

「姫さま。そして、ウェールズ殿下」

 私は口を挟んだ。王族同士の会話に割り込むのは不遜……などとは言わせない。

「何かね?」

 聞き返すウェールズ王子に対して、私は一言。

「お気をつけ下さい」

「……どういう意味だ?」

 私だけではない。キュルケやサイトも気づいているだろう。
 はなれの周囲にいたはずの魔法衛士隊の気配は消えて、かわりに、針のような殺気がいくつか。

「刺客です」

 私はアッサリと言った。

########################

「刺客ぅ!?」

 すっとんきょうな声を上げたのは、老侍従のパリーである。

「そ……そんな不敬な! ここには殿下や姫殿下もおられるというのに……」

「だからこそ……だよ、パリー。僕やアンリエッタを亡き者にすれば、二人を王に推す派閥は困るが、逆にそれこそ大歓迎という派閥もあるってことさ」

 アルビオンの主従の会話を耳にしながら、私は気配をうかがう。
 相手は複数。どうやらかなりの使い手ばかりのようである。魔法衛士隊でも腕の立つ連中が数人、護衛についていたはずなのに、みんな声すら立てられぬうちに倒されているのだ。
 昨夜の『地下水』が相手の中にいるかどうか、まだわからないが……。あれだけ大きな手傷を負わせたのだ。まだ回復しておらず不参加だと願いたい。

「どうしましょう、ルイズ」

「慌てることはないですわ、姫さま」

 ここは、いかにも『密談に最適』と言わんばかりの部屋である。
 窓はなく、扉は一つ。天井近くに通風口があるが、人の出入りできる大きさではない。
 しかしそこから魔法をぶち込まれる可能性はあるわけで、それを考えれば、ここに立てこもるのは愚策。かといって扉の向こうでは、まず間違いなく待ち伏せしていることだろう。

「サイト。テーブルで扉の内側からバリケード作って」

「ちょっと、ルイズ。そんなことしたら袋のネズミよ!?」

「いいから!」

 キュルケの言葉を制しつつ、私は、この建物の間取りを頭に思い浮かべる。

「姫さま。この壁の向こうは庭ですよね?」

「ええ、そうですけど……」

 扉のある反対側の壁をコンッと叩いて、私は確認を取る。うん、この厚さならば大丈夫。

「壁こわします」

 アッサリ言って呪文を唱え始める。その間にも男たちは、今まで座っていた八人掛けのテーブルを何とか動かし、扉に押しつける。
 内側への開き戸である。これで、少々のことでは開かないだろう。
 簡易バリケードが出来るのと同時に、私は杖を振り下ろした。

 ゴガァッ!

 耳が痛いほどの爆音と共に、壁の一部が崩壊し、人が通るに十分な大穴が開く。
 もうもうたる埃の外は夜の庭。主要な建物とは逆方向だが、今の破壊音は遠くの警備兵たちの耳にも届いたはずである。

「こちらへ!」

 ほこりっぽいのは我慢して、先頭きって庭に飛び出す。
 そのとたん、頭上に殺気!

「ちっ!」

 慌てて私は身をかわす。
 サンッと小さな音がして、足下の地面に何かが突き立った。
 部屋から漏れる光に照らされて、ぬらりと青白く光る。手のひらを広げたくらいの長さの短剣だ。おかしな輝きを放つのは、おそらく塗られた毒のせい。
 続いて飛び出たサイトがその短剣を引き抜き、大地を一転しながら上へと投げ返す。
 屋根の上、空を背にして浮かぶ黒い影はこれをこともなくかわし、サイト目がけてその身を闇に躍らせる。

「甘いんだよ!」

 叫びつつ、サイトが剣を一閃。
 しかし刺客は魔法で浮いているのだ。その身はヒタリと宙に止まり、サイトの一撃は虚しく空を切る。

 ボンッ!

 すかさず第二撃として、私の爆発魔法。
 これをもかわした刺客の体に、炎の蛇がからみついた。私の背後からコソッと放たれた、キュルケの魔法である。
 黒コゲになって落ちて来た刺客に、サイトがとどめを刺した。
 これで脱出口は確保。私とサイトとキュルケに続いて、姫さまとウェールズ王子とパリー侍従も出てくる。
 その時。

 ドウン!

 部屋の扉が爆発し、転がり込んでくる人影二つ。
 バリケードのテーブル上を一転しつつ、それぞれ二条の銀光を放つ。
 狙いは姫さまか、あるいは、ウェールズ王子か。……いや、私だ!?

「あぶねえっ!」

 すかさずサイトが私の前に出て、魔剣を一振り。飛んでくるナイフを全て弾き飛ばした。
 そして、入ってきた暗殺者たちはというと。

「なにぃぃぃっ!?」

 二人まとめて、水の壁に吹き飛ばされていた。
 やったのは……。

「私だって……水のトライアングルメイジです」

 震えながらも、しっかり杖を握った姫さま。
 傍らでは、ウェールズ王子が満足そうに微笑んでいる。

「それでこそ、僕のアンリエッタだ!」

 呪文を唱える姫さまに合わせて、ウェールズ王子も詠唱。選ばれし王家の血が、トライアングル同士の息をピタリと一つにする。
 ヘクサゴン・スペルだ。『水』、『水』、『水』、そして『風』、『風』、『風』……。水の竜巻が、二人の周りをうねり始めた。
 夜の湿気が、姫さまの味方となっているらしい。
 あいにく水辺の近くではないので、最大限の威力を発揮するまでにはいかないが、それでも巨大な六芒星が竜巻に描き出されている。あの程度の暗殺者二人、軽く片づけられるであろう。
 だから、そちらは姫さまたちに任せて……。

「……そこね!?」

 私は、あさっての方向に小さなエクスプロージョンを炸裂させた。
 会合場所の建物から少し離れた、何もないところ。
 夜の闇と同じ色をした暗殺者が、スーッと姿を現す。

「さすがだな……。我の存在に気づくとは……」

「ほとんどカンだったけどね。あんた元々気配を消すのが上手なうえに、お仲間まで連れて来られちゃあ、完全に紛れてたんだけど……」

 私の本能が教えてくれた……としか言いようがない。

「……だいたい、これだけ騒いでも本宮から兵士も来ない。素直に考えれば、そっちも刺客にやられた……ってことだわ。といっても、さすがに王宮の全員を殺すなんて、いくら稀代の暗殺者でも無理でしょうし……」

 おそらく今頃、ここの警備兵たちは、みんなグッスリおやすみ中であろう。

「おい、ルイズ。あいつは……」

「そうよ、サイト。つい最近、そういう敵が出てきたでしょ。『スリープ・クラウド』を得意技とするメイジ。……『地下水』だわ!」

 言って私は、漆黒の暗殺者を睨みつけた。





(第四章へつづく)

########################

 「スレイヤーズ」のズーマは『ダーク・ミスト』が得意技。「ゼロ魔」の『地下水』は「タバサの冒険」において『スリープ・クラウド』を使っていたので、それを『ダーク・ミスト』の代わりに。

(2011年6月2日 投稿)
   



[26854] 第四部「トリスタニア動乱」(第四章)【第四部・完】
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/05 21:39
  
 姫さまとウェールズ王子の会談中、刺客に襲われた私たち。
 しかし、あいつらは半分陽動のようなものだったらしい。
 本命は、今、目の前にいる暗殺者。…………『地下水』!

「でもさ、ルイズ。こいつ……なんだか昨日とは、少し雰囲気が違うぞ!?」

「細かいことは気にしないの! 気になるなら、サッサと倒して、あいつの素顔を見てやりなさい!」

 サイトに言葉を投げつけながら、私は冷静に状況を考える。
 姫さまとウェールズ王子は、はなれの部屋から出たところ、壁の近くで、入ってきた暗殺者と戦闘中。ウェールズ王子の侍従のパリーも、当然、そちらに加勢しているはずだ。
 ……となれば『地下水』と戦うのは、私とサイトとキュルケの三人。

「あら〜〜。あたしが来ただけで逃げ帰った、ゆうべの負け犬じゃないの。こんなの恐れることはないわ」

 敵の気勢をそぐためだろう、あえて見下したような言葉をはくキュルケ。
 相手は暗殺者、つまり闇に生きる者。こうした軽口には応じないかと思いきや、意外にも。

「……昨日とは違う。我を侮るな。死にたくなければ、どけ」

 自信満々な『地下水』。
 暗くてよくわからないが、昨夜の傷も完治しているようだ。バッサリ斬られたはずだったのに。……腕のいい水メイジと知り合いなんだろうなあ、きっと。

「あんたこそ、死にたくなければ……サッサと帰りなさい!」

 短く詠唱して、私は杖を振り下ろす。
 小さなエクスプロージョンが『地下水』を襲うが、奴は身軽にかわして、私に向かって間を詰める。
 弧を描くような、一見ゆったりとした動作だが、速い。私は慌てて身を退き……。

 キン!

 鋭い刃物同士がぶつかる澄んだ音。
 サイトが、私の前にすべりこんでいた。

「お前……何者だ? 昨日の奴とは、明らかに違うじゃねえか……」

 ……おや?
 剣を交わしたサイトは、何か見抜いたらしい。

「我が名は『地下水』……」

「うそこけ! 昨日戦った『地下水』は、オッパイのきれいな女だった! でも……お前は男じゃねえか!」

 なんと!
 では……こいつは昨夜の暗殺者とは別人なのか!?

「……性別など関係ない。我は暗殺者だからな。それより……」

 おいおいっ!
 ツッコミどころ満載の言葉を、サラリと口にする『地下水』。

「……どけ。我の標的は、その娘のみ」

「そうはいかねえ。俺はルイズの使い魔だ!」

 剣を構えるサイトは、『地下水』から私をかばう位置。
 私とキュルケは杖を握って、魔法を放つタイミングを見計らっていた。不意をつかねば、また軽くよけられてしまうからだ。
 じりっと『地下水』が動く。
 暗殺者も、私たち三人の力量は見抜いている。うかつにしかけてはこない。それどころか……。

「何ぃっ!?」

 馬鹿正直に叫んだのはサイト。目にした光景に、驚いたようだ。
 なんと『地下水』は、持っていたナイフを懐にしまったのである!
 ……なんだ? そんなに大切なナイフなのか!?
 かわりに他の武器を出すわけでもない。杖や剣を手にした私たちを相手に、素手で戦おうというのか。普通ならば自殺行為であるが……。

「イル・ウォータル・スレイプ・クラウディ」

 青白い雲が現れ、『地下水』を中心に広がっていく。
 私とサイトは走り出したが、逃げ遅れたキュルケは『雲』に取り込まれ、その場に倒れた。

「キュルケ!?」

「大丈夫、眠っただけだわ!」

 呪文のことなどわからぬサイトに、私は解説する。
 ……しかし。
 サイトと違って私はメイジなので、正直、驚いていた。あまりにも予想外、これじゃキュルケが逃げ遅れたのも無理はない。
 『スリープ・クラウド』は系統魔法であり、行使するには媒介となる杖が必要なはずなのに、『地下水』は杖もなしに使ってみせたのだ。
 なんちゅう非常識なバケモン……。

「相棒! もっと頭を使え!」

 叫んだのは、サイトの手の中のデルフ。
 私も一瞬、意味がわからなかったが、すぐに理解する。私とサイトは……別々の方角に走り出していた! なんという失態!
 これを見逃す『地下水』ではない。
 青白い霧の中から、飛び出してきた! 
 
「ルイズ!」

 サイトの声に応じている余裕はない。とりあえず爆発魔法を『地下水』へお見舞いする。
 直撃はしなかったが、牽制程度には……。
 ……ならなかった!
 こいつ、小さく体を捻るだけで、私の魔法をかわしやがった。そのまま減速せずに、一気に私のもとへ。
 黒い手が、私の喉に伸びる。呪文を唱えられないよう、声帯を潰す気だ!

 パヂュッ!

 濡れた音。苦痛、そして空気が漏れる音。
 ……でも!
 すでに私は、呪文は唱え終わっている!

 ゴウゥッ!
 
 これだけ接近していれば、はずしようがない。
 私のエクスプロージョンをモロに食らって、『地下水』が吹っ飛ぶ。
 そこに!

「男なら……容赦しねえぞ!」

 駆け寄ったサイトが魔剣を一閃。
 立ち上がりかけていた『地下水』は、うまく体を捻ったが……。
 足がもつれた!
 ……先ほどのエクスプロージョンで、右脚を痛めていたらしい。
 
 ガツッ!

 デルフリンガーが『地下水』の右肩を捕える!
 左脚だけで飛び退く『地下水』にサイトは返す刀で斬りつけるが、これは暗殺者の上着を浅く薙いだのみ。
 しかしサイトの一撃は、『地下水』の右腕をその肩口からズッパリと斬り落としていた。
 もはや勝負はついたも同然。戦っても負けは確実と判断したか、『地下水』は退却にかかった。大きく後ろ向きに跳び……。
 この瞬間を私は待っていた。

「ニガサナイワ!」

 奴が大地を蹴った瞬間、その軌道を読んで、ダメ押しのエクスプロージョンが炸裂!
 これはよけられるわけがない……のだが!
 よりにもよって『地下水』は、エクスプロージョンの光を、残った左手ではたく!
 ……そんな無茶な!?
 左腕を完全に消滅させながらも、暗殺者は夜の闇の中へ溶け込み、完全に姿を消した。

「……逃げられちゃったな」

 ポツリとつぶやいたのはサイト。
 近づく彼に向かって、私は一応、コクンとうなずく。
 
「ソウネ……」 

「ん? なんだか声がおかしいぞ、ルイズ。大丈夫か?」

「大丈夫ジャナイ……」

 さっきやられた喉笛が、今になってひどく痛み始めていた……。

########################

 そして翌日。
 一見いつもと変わらぬ警備態勢、いつもと変わらぬ人の動き。しかし皆の心の中では、今まで以上に不安や心配が渦巻いていることであろう。
 あれだけの騒ぎが、誰にも知られぬはずがない。
 姫さまとウェールズ王子の極秘会談、そこに現れた暗殺者たち、歯が立たなかった魔法衛士隊……。そうした噂が、水面下で広がっていた。

「でもよ。両腕を失って、脚もケガしたんだろ、あいつ。さすがにもう、あの暗殺者の心配は、しなくていいよな……?」

「そうね。このまま夜も何もなければいいけど……」

 私とサイトは、部屋のベッドに並んで腰かけている。
 すでに外は暗くなっていた。
 王宮に来て三日目。一昨日や昨日とは異なり、今日は平穏無事に、一日が終わろうとしていた。

「昨日は、とんでもなかったからなあ」

「……うん」

 サイトの言葉に、私もうなずく。
 あの後。
 治療所の水メイジを叩き起こして、私は急いで喉を治してもらった。第二波の襲撃があるかもしれない……と恐れたのだ。
 でも、さすがにそれは考え過ぎ。昨夜は、あれで終わりだった。
 さいわい、姫さまやウェールズ王子にケガはなく、むしろ暗殺者二人を返り討ちにしたくらい。生かしたまま捕えて黒幕を白状させるのがベストなのだが、そんな手加減が出来るほど、姫さまたちは器用ではなかった。

「なあ、ルイズ。今日一日、色々と聞いてまわったみたいだけど……収穫はあったのか?」

 突然、話題を変えるサイト。本日のおさらいという意味ではよいが、言い方が、いかにもサイトである。
 私は、呆れたような声で。
 
「『みたい』って……。あんたも一緒だったでしょ?」

「だってさ。ほら、俺には、よくわかんねーし」

「はあ……。ま、いいわ。それじゃ教えて上げる」

 私とサイトは、今日も聞き込み。特に目新しいネタが手に入ったわけではないが、なーんとなく見えてきたことがある。
 どうやら。
 トリステインのお家騒動、ちまたで噂になっているほど激しいものではないらしい。

「……あれ? でもよぅ、姫さんが狙われてるとか、家臣同士が殺し合ってるとか……」

「そうね。そういう話を聞いていたから、私も、もっとギスギスしたもんだと思ってたんだけど……」

 実際に、王宮内の人間と話をしてみると。
 たしかに、ここは今、四つの派閥に別れている。
 このままでいいよ派。マリアンヌに即位してもらうよ派。アンリエッタに即位してもらうよ派。アンリエッタに婿を迎え入れてそれを王様にするよ派……。
 しかし、それは「何が何でも!」という狂信的なものではない。民衆が井戸端会議で、なんとなく政治信条を語る。……そんな感じなのである。
 王宮の役人が、政治に関わることなど皆無の大衆と同じレベル。それはそれで困った話であるし、だからこそ『鳥の骨』マザリーニのような余所者に国を乗っ取られてしまうわけだが、これだけ他人事な連中が、血みどろの権力争いなどするわけがない。

「……だいたい、犠牲者が出始めたのは、ウェールズ王子たちが来てからなのよ。街の噂では『彼らが来たことがキッカケになった』ってことになってるけど……。もっと素直に考えたほうが良さそうだわ」

「っつうことは、あの王子さんが騒動の黒幕?」

 昨日の襲撃だって、被害者づらするためにウェールズ王子は、敢えて自分たちを襲わせたのかもしれない。
 たしか彼は途中で壁をドスンと叩いていたが、あれが何らかの合図だったのかもしれない。
 それに刺客二名を生け捕りではなく殺してしまったのも、力量不足で仕方なく、ではなくて、口封じだったのかもしれない。
 ……などと色々想像は出来るのだが、サイトに複雑な話をしても混乱させるだけ。だから私は、単純に言う。

「たぶん。根拠は私のカン……というより、姫さまのカンね」

 姫さまは、腹芸の出来る人間ではない。王宮内で政争に巻き込まれるうちに、いずれは裏表のある人物になるかもしれないが、少なくとも今の姫さまは、素直な少女である。
 だから、昨日の会合での態度が全てなのだと思う。
 すなわち。

「言葉じゃ説明できないけど、なんか怪しい。……ってことか。ま、女性の直感、なんて言葉もあるくらいだしなあ」

「ただの女のカンじゃないわ。姫さまは、ウェールズ王子の恋人なのよ?」

 姫さまの様子を見ていればわかる。
 恋心が醒めて、見方が変わった……なんて話ではない。姫さまは、今でもウェールズ王子を愛しておられる。
 昔の合い言葉を交わした時もそう。ヘクサゴン・スペルを用いた時もそう。
 特に後者は、あからさまだった。
 姫さまは、明らかに高揚していた。慣れない戦闘のせいもあるだろうが、それだけじゃない。あれは、恋する乙女の表情。ヘクサゴン・スペルという共同作業で、愛する人との一体感を感じたのだ……。

「……あれ? 噂をすれば何とやら、だ」

 その口調が、あまりにのんびりしていたため、うっかり聞き逃すところだった。
 サイトの視線は、窓の外に向けられている。
 私もそちらに顔を向けると……。

「姫さま!?」

 レビテーションで夜空を浮遊する、姫さまとウェールズ王子!

「なんだよ……。なんだかんだ言って、仲いいじゃん、あの二人。夜の空中デートか……。あれってさ、お姫さまだっこだろ? 姫さまが、お姫さまだっこ。うん、これこそ本物のお姫さまだっこだな……」

「バカ言ってんじゃないわ! ウェールズ王子の腕の中で、姫さま、意識を失ってるじゃないの! あれはデートじゃなくて……誘拐よ!」

########################

 警護の魔法衛士隊は何をやっていたのか!?
 部屋を飛び出した私とサイトが目にしたのは、廊下で眠りこける警備兵たち。

「おい、起きろ! 姫さまが誘拐されたぞ!」

 サイトが揺さぶったり叩いたりしても、彼らが起きる様子はない。どうやら『スリープ・クラウド』なんかよりも強力な、私の知らぬ魔法か秘薬で眠らされたらしい。
 私は私で、隣の部屋の扉をドンドンと叩く。弱っちい魔法衛士隊なぞより、キュルケの方がよほど戦力になるのだが……。
 ダメだ。どうやらキュルケは留守のようだ。ったく、どこ行ってるんだか。

「サイト! 時間がもったいないわ! 私たちだけで追うわよ!」

「娘っ子の言うとおりだぜ、相棒」

「お、おう! そうだな!」

 飛んでいった方角から見て、姫さまたちは厩舎へ向かったらしい。馬に乗られては、人間の足では間に合わなくなる!
 私たちも厩舎へ。
 しかし。

「……あそこだ!」

 サイトが指さす闇の中。
 ぐったりとした姫さまを前に乗せて、馬を駆るウェールズ王子。もう正門から飛び出していくところだった。

「私たちも!」

「ああ! でも俺、馬に乗るのは、あんまり……」

「だったら私の後ろに乗りなさい!」

 貴族の私ならば、それなりに馬も操れる。急ぐ状況では、たぶん、これがベスト。
 一頭の馬を拝借し、私たちはウェールズ王子を追った。
 ……この時、私は姫さまのことで頭がいっぱい。だから思い至らなかったのだ。
 こうして多くの者が眠らされている中、なぜ私たちだけは除外されていたのか、という理由に……。

########################

 夜のトリスタニアの街を抜けて、街道を少し行った辺りで、ようやく私たちは追いついた。
 いや。
 追いついたというよりは……むこうが待っていた、というべきか。
 意識のない姫さまを抱くウェールズ王子。傍らには、侍従のパリーもいる。
 そして彼らを従えるかのように、前に立っていたのは……。

「あんたが一連の騒動の黒幕だったのね……」

「黒幕などという無粋な呼び方は、やめていただきたいものですな」

 灰色帽子の鳥の骨、マザリーニ枢機卿!
 ……ここは林がとぎれ、街の一区画ほどの草原が広がった場所である。
 森の中だというのに、鳥の声ひとつ、虫の声すらも聞こえない。
 夜の静寂というだけではないだろう。まるで今から始まる死闘を予感し、立ち去ったかのようだ。

「戦うには都合のいい場所……。そこまで私たちをおびき寄せたのね」

「……え? どういうことだ?」

「サイト、まだわからないの!? 姫さまは、私たちを誘い出すためのエサにされたのよ」

 ようやく悟った私。
 敵の狙いは姫さまではなく、私たちだったのだ!
 ……考えてみれば。
 私たちが王宮に来て以来、おかしな『虫』やら魔物やら暗殺者やらに襲撃されたのは、いつも私。理由はともあれ、姫さま暗殺など二の次といった感じになっていた。

「いやいや。あなたたちを葬った後、この王女も殺しますよ。……ここならば、彼女の死も誰にも知られないでしょうし」

 平然と言ってのけるマザリーニ。
 その内容は私を激昂させるべきものであったが、なぜか私は、逆に冷静になった。
 頭が冴える。
 まさか……こいつは……。

「なるほどね。ただ姫さまを殺したいってんじゃなくて……それを秘密裏に行う必要があるわけね……」

「おや? 何か気づきましたか? さすがは『ゼロ』のルイズですな」

「おい、ルイズ! 何か判ったんだったら、俺にも教えてくれよ!?」

 口元を歪めるマザリーニと、大声で叫ぶサイト。
 二人を無視して、私は呪文を詠唱する!

「ウル・スリサーズ・アンスール・ケン……」

 ウェールズ王子とパリー侍従めがけて、私は杖を振るった。
 姫さまも巻き込む形だが、これは『解除(ディスペル)』だ。大丈夫、彼女に害は及ばない。むしろ……。

「……ここは? わたくし、たしか……」

 私の予想どおり。
 ウェールズとパリーは倒れ、投げ出された姫さまは目を覚ました。魔力で眠らされていたのだろうが、それも一緒に『解除』されたらしい。

「……! ウェールズさま!?」

 意識を取り戻した姫さまは、ウェールズに気づいて、慌てて助け起こそうとする。
 でも。

「そんな……」

 もはや手遅れと悟る姫さま。
 ……ウェールズは、完全に事切れていた。

「サイト。これが答えよ」

「だから何なんだよ!? 俺にはサッパリわからんぞ!?」

「よく見なさい。アルビオンの二人は、とっくの昔に死んでいたのよ……」 

「いっ!?」

 少し前、私やサイトは、死体を操る敵と戦ったことがある。その際は『アンドバリの指輪』という魔道具が使われたのだが……。

「この程度の術、驚くことはないでしょう。かつての王都トリステインでも、生ける屍の研究を行い、それで街を騒がせた貴族がいたと聞いております。だから私も、ちゃんと人間のやり方に従ったまでのこと」

 淡々と語るマザリーニに対して、姫さまが涙で濡れた顔を向ける。

「あなた……何者です?」

 厳しい表情で睨みつけながら、姫さまは立ち上がった。
 ……最愛の人、ウェールズ王子。その死を冒涜し、操り人形にしたマザリーニを許せないのだ。

「そうよ。そこまで話したんなら、正体も明かしなさい!」

 私もマザリーニに言葉を叩きつけた。
 普通は『ちゃんと人間のやり方に従った』なんて言わない。そんなことを言うのは……人間以外の者のみ!

「……そうだな。もはや、この名と姿を借りる必要もなかろう」

 マザリーニの姿が異質なものに変わってゆく。
 トレードマークの灰色帽子は頭に張りつき、中央がトサカのように盛り上がる。背中の肉は盛り上がり、薄く大きく広がって、左右一対の大きな翼が形成された。全身を覆う服も、ゴツゴツとした硬質なものに変わり、まるで鳥のあばら骨がむき出しになったかのように……。
 同時に、彼の声質や口調も変化する。

「俺の名前はカンヅェル。……見てのとおり、人間どもの世界で働く、魔族の一人だ」

########################

「魔族……ですって!?」

 姫さまは茫然としている。
 そりゃあ、そうだろう。
 魔族なんて伝説やおとぎ話の中に出てくる、空想の産物……。そう思っている人間が多いのだ。
 でも、私やサイトは違う。以前に魔族と戦ったこともある。だから、冷静に問いただした。

「ロマリアで教皇になろうとして失敗して……今度はトリステインを手に入れようってわけ!?」

「いや、違うな。俺が『マザリーニ』になったのは、ロマリアの一件の後だ」

 カンヅェル=マザリーニが、肩をすくめてみせる。

「人間の名前や姿形が必要だったから、使わせてもらっただけだ。それなりに名のある人物の方が、王宮に入るには手頃だと思ってな。……本物のマザリーニは、野に下って、適当に生きてるはずだ」

 かつて私たちの前に現れたヴィゼアという魔族も「クラヴィルという人間の名と姿を借りていた」と言っていた。魔族の間では、そういうのが流行っているのだろうか?
 ……それはともかく。
 こいつの場合、本物の枢機卿を殺して成りかわったわけではないらしい。もっとも、本物が現れたら殺すつもりでしょうけど。ただ単に、わざわざ探し出すのが面倒だったんでしょうね。

「トリステインを手に入れるって話は、否定しないのね」

「ああ。それが、俺が受けた最初の命令だからな」

 色々と辻褄が合わない部分もあったが、この男がウェールズ王子の死体を操っていたというのであれば、話はスッキリする。
 今でもトリステインは、実質的にはカンヅェル=マザリーニのもの。だが、王になるであろう人物が彼の操り人形であるならば、彼の権力は、より盤石となる。
 このままでも良し。ウェールズが王となっても良し。
 そして姫さまが女王になっても構わないように、彼女もコッソリと殺して、操り人形にするところだった……。
 私たちが介入したのは、そういうタイミングだったらしい。

「姫さまの次は、マリアンヌさまも死体人形にするつもりだったのかしら……」

「ちょっと待てよ、おかしいじゃんか。こいつが魔族だっていうなら……あれだけ大きな騒ぎを起こしたりせず、もっと上手くできたんじゃねーの? 凄い力を持ってんだろ? ……だいたい、すでにトリステインはコイツが動かしてんだから、わざわざ騒いで、それをフイにするような真似は……」

 サイトにしては頭を使っている。ならば、ちゃんと教えてあげねばなるまい。

「魔族だからこそ、よ」

「そのとおり。我ら魔族が何を糧にして生きているのか、きさまは知っているようだな」

 冷笑……いや、狂気にも似た笑みを浮かべながら、カンヅェル=マザリーニが私を見る。

「我らが力の源は瘴気。すなわち、生きとし生けるものの生み出す負の感情!」

 つまり。
 王都トリスタニアに住まう人々の不安を煽って、それを食事としていたのだ。

「恐怖、怒り、悲しみ、絶望。それこそが、我らにとっては至上の美味! ……見ろ!」

 カンヅェル=マザリーニが、姫さまを指し示す。

「アルビオンの反乱で、すでに死んでいたウェールズ。その事実を知った今、どう思う? その死体を俺が利用していたと知って、どう思う? ……くふははははははっ! なんという美味! なんという快楽!」

 こいつ!
 姫さまの負の感情を……食っていやがる!

「姫さま、落ち着いてください! それでは思うつぼ……」

 私の制止が届くはずもなかった。
 姫さまは杖を振り下ろし、カンヅェル=マザリーニの足下から、水の柱が吹き上がる!
 が……。

「さすがは王家のトライアングルメイジ……と言いたいところだが」

 水の柱に拘束されながらも、しかしカンヅェル=マザリーニは、わずかに表情を歪めたのみ。

「……我らには、はるか及ばん」

 カンヅェル=マザリーニが言うそのとたん、水の柱は四散。細い鞭となって、逆に姫さまを襲った!

「きゃっ!?」

 地面に叩きつけられる姫さま。
 反対側にいる私とサイトは、駆け寄ることも出来ない。遠目で見る限り、命に別状はないようだが……。

「なんだ、もう意識を失ってしまったのか。つまらん、後で殺す前に、もう一度食らうとするか……」

 カンヅェル=マザリーニは、ゆっくりと私たちに向き直る。

「では……」

 先ほどの攻防。
 私はヘタに手を出すのではなく、じっくり観察させてもらった。カンヅェル=マザリーニの実力を見極めて、どう戦うかを考えたかったのだが……。
 強い。こいつは強い。
 はてさて……どうしたら倒せるか?

「……次は、おまえたちだな」

 カンヅェル=マザリーニが翼を動かす。
 瘴気を伴う風が吹き付けるが、私とサイトは踏みとどまった。
 その隙に、カンヅェル=マザリーニの攻撃が来る。四条の、糸のように細い魔力光!

「させるかっ!」

 私の前に立ちはだかるサイト。ガンダールヴとして主人の盾になりながら、デルフリンガーで魔力光を叩き落とすつもりだ。

「サイト!」

 私は叫ぶ。サイトは動かない。そして魔力光は……。
 サイトの間合いに入る直前で、やおらその進路を大きく変える!

「なっ!?」

 よける暇もあらばこそ。
 光はサイトを迂回し、私の足を貫いた。

########################

「!」

 声にならない悲鳴を上げて、私は草の上に転がる。
 やられたのは両脚の腿と足首。たいして大きな傷ではないし、出血も全くないのだが、かすかに動くだけですら、突き抜けるような痛みが走る。

「ルイズ!」

 まともに顔色を変えて叫ぶサイト。

「……大丈夫! ダメージ自体は少ないわ」

 無理に笑顔を作ってみせる。

「当たり前だ」

 言ったのはカンヅェル=マザリーニだった。

「そういうふうにしたのだからな。いきなりとどめを刺したりはせん。苦痛でショック死するか、狂い死ぬか。いずれにしろ、楽には死ねんと思うがいい」

 冗談ではない!
 よりにもよって、なぶり殺し!?

「どうした? 不満そうだな」

「当たり前だ!」

 カンヅェル=マザリーニと同じセリフだが、今度はサイト。怒りの声で、私の気持ちを代弁していた。
 なぶり殺しにしてやる、などと宣言されて喜ぶ人など、あまり世の中にはいないだろう。
 そんな私たちを見て、カンヅェル=マザリーニは笑う。

「くふふ。いいぞ……。いいぞ! やはり苦痛こそが、もっとも有効な手段だな!」

 こいつはトリステインを手に入れようとしている。だから今まで、わざわざ暗殺者を雇ったり、空間を歪めたりして、他の人間を巻き込まないようにしていた。
 でも、ここでなら本気を出せる。私をじっくりといたぶれる。
 つまり……。
 カンヅェル=マザリーニは食うつもりなのだ。
 私の絶望と恐怖を。そしてサイトの怒りと悲しみを。
 しかし……その自信と油断が命取り! 私は既に呪文を唱え終わっている!

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

「なっ!? しまっ……」

 ガグォォン!

 赤い光が魔族を包み、続いてカンヅェル=マザリーニの体が大爆発した!

########################

 竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)は、この世界の闇を統べる赤眼の魔王(ルビーアイ)、シャブラニグドゥの力を借りたものである。
 かなりの力を持つ魔族でも、これを食らえばひとたまりもない。
 それがまともに決まった。しかも、いい気になって油断しているところに。

「……やった、わ」

 脚の痛みをこらえつつ、私はサイトにウインク。

「ああ。やった」

 彼は、草の上にへたり込んだままの私に手を差し伸べ……。

「全く……やってくれたものだな」

 かすれた声は、サイトの後ろから聞こえた。まだ消えやらぬ爆煙の中から。
 そのまま硬直する私たち。
 
「今のは、さすがにこたえたぞ……」

 やがて薄れゆく煙の中から、ゆるりと歩み出す人影ひとつ。
 トサカも翼も失って、全体が水死人のような色になっている。耳や鼻や口さえもない顔にあるのは、ただ、普通の人間よりも二回りは大きな、見開かれた二つの目。
 カンヅェル=マザリーニ!
 おそらくは、これこそが本当の姿。今までの鳥のバケモノのような格好は、私たちの恐怖心を煽るためにやっていただけ。『鳥の骨』というニックネームに引っ掛けて作ったのだろう。

「困るではないか。王宮に戻る際には、また『マザリーニ』の姿にならねばならんというのに……」

 そうだ。
 こいつは、私たちを殺し、姫さまも殺し、その後、何食わぬ顔で『マザリーニ』を続けるつもりなのだ。
 そうはさせない! ……しかし、あの術をまともに受けて、まだ動き回れる相手だ。どうやって倒せというのか!?
 私には『重破爆(ギガ・エクスプロージョン)』という秘奥義もあるが、今の私の状態では制御できないだろう。しかもあの魔法、制御に失敗したら世界が滅亡するらしい。

『金色の魔王よみがえる時、ハルケギニアは空へと浮かび、世界は全て滅びるだろう』

 という言い伝えを聞かされているのだ。真偽のほどは不明だが、試してみようとは思わない。
 そもそも大量に生体エネルギーを消耗する技である。今使えば成功失敗に関わらず、たぶん私の命はない。
 ……などと考えていると。

「……どうやらきさま、我ら魔族を甘く見すぎていたようだな」

 カンヅェル=マザリーニは言う。どこから声を出しているのかは判然としないが。

「いかにシャブラニグドゥの力を借りた術とはいえ、しょせんは人間という器を通しての術。まがりなりにも中級魔族の俺には効かん……とは言わんが、一撃必殺には程遠い」

 言いながら、ゆっくりと近づいてくる。

「寄るな!」

 魔剣デルフを構えたままで、カンヅェル=マザリーニの前に立ちはだかるサイト。剣を大きく振りかぶり……。

「おまえは小娘の次だ。その方が、いい味が出そうだからな。……どけぇいっ!」

 カンヅェル=マザリーニの伸ばした左手が宙を薙ぐ。生み出された魔力の衝撃波を、サイトは光の剣で受け止める。
 しかし。

「相棒! これは無理だ!」

 デルフが叫んだとおり。
 押し負けて、そのまま弾き飛ばされる。
 私とカンヅェル=マザリーニの間を阻むものは、もう何もない!

「くふぅ……」

 至福の笑みを浮かべつつ、カンヅェル=マザリーニの手が上がる。
 ほとばしる青白い魔力光!

「!」

 脇腹に生まれた灼熱感に、私は声もなくのけぞった。

「やめろぉっ!」

 サイトが走る。左手のルーンを光らせて。
 その間にも、なおも数条の蒼光が、私の体を次々と貫く。
 すべて急所を外している、宣言どおり、私をなぶり殺しにするつもりだ。

「やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろっ! やめろぉぉぉっ!」

 狂ったように叫びながら、絶望の表情で斬りつけるサイト。
 だが。
 輝く刃がカンヅェル=マザリーニに当たる直前、黒い何か——おそらく魔力の塊——がその部分に集結して盾となり、サイトの攻撃をことごとく弾いている。

「くふははははははっ! 感じる! 感じるぞ! きさまの怒りを! 絶望を!」

 哄笑を上げるカンヅェル=マザリーニ。
 そして。

「そうだ、相棒! 心を震わせろ! ガンダールヴの強さは、心の震えで決まる!」

 ……煽ってどうする。
 サイトの感情が高ぶれば高ぶるほど、カンヅェル=マザリーニの腹が満たされるだけ。どう頑張っても斬れないのであれば、ガンダールヴのスピードも意味がない。今度ばかりは、デルフのアドバイスも役立たず……。
 いや! 違う!
 そうだ、デルフだ! これが……私たちの切り札!
 私は何とか痛みに耐えて、上体を起こす。

「ほぉう」

 サイトの剣戟をいなしながら、感嘆の声を上げるカンヅェル=マザリーニ。

「たいした精神力だな。しかしすぐに、また悲鳴を上げさせてやる」

 蒼い光条が、再び私を襲う。
 意識がとびそうになるが、なんとか踏みとどまって、呪文を唱え始める。
 そう何発も撃てる魔法ではないし、さっき放ったばかりだが……。やはり、これしかない!

「……黄昏よりも昏きもの……」

 カンヅェル=マザリーニの顔に浮かぶ侮蔑の色。

「またシャブラニグドゥの呪法か」

 サイトの手の中で、輝く剣が叫ぶ。

「相棒! てかずを増やせ! 娘っ子を攻撃する暇を与えるな! 虚無の担い手が呪文詠唱の時間を作ることこそ、ガンダールヴの仕事だ!」

「おう!」

 サイトのスピードが上がり、斬撃の数もアップする。

「……血の流れより紅きもの……」

「最期のあがきだな、見苦しい。……失望したぞ」

 カンヅェル=マザリーニの手が閃き、サイトが弾き飛ばされる。

「……時の流れに埋もれし……」

「あと一発や二発、耐えられんことはないが……」

 すぐさま起き上がり、サイトは走る。カンヅェル=マザリーニに向かって。

「……偉大な汝の名において……」

「ここで死ぬきさまらとは違って、俺には、この後もあるからな。もう一度『マザリーニ』に化けるだけの力は、残しておかねばならん」

 魔剣デルフを振り上げるサイト。

「……我ここに闇に誓わん……」

「もう少し食いたかったが……。仕方ない。そろそろ消えてもらうとするか」

 闇の壁に、デルフの光る刃は虚しく弾き返される。

「……我等が前に立ち塞がりし……」

 カンヅェル=マザリーニが手をかざし、まばゆいばかりの蒼い光が灯る。今までとは比較にならない、強力な魔力だ!
 再び剣を振り上げるサイト。

「……すべての愚かなるものに……」

 ……呪文が間に合わない!?
 その瞬間。
 空から現れた炎の蛇が、魔族に食らいつく!

「ぐごわぁぁぁぁぁぁっ!?」

 悲鳴を上げるカンヅェル=マザリーニ。

「……我と汝が力もて……」

 呪文詠唱を続けながらチラリと見上げれば、夜空に浮かぶのは一匹のマンティコア。王宮に忍び込んだ夜に見た隊長さん——たしか名前はド・ゼッサール——の後ろにいるのは、言わずと知れた『微熱』のキュルケ!
 この瞬間。

「……等しく滅びを与えんことを!」

 私の呪文が完成した!
 サイトが振りかぶったデルフリンガーへ向けて、私は杖を振る。

「竜破爆(ドラグ・エクスプロージョン)!」

「無駄だと言った!」

 叫ぶカンヅェル=マザリーニ。
 その目の前で。
 ガンダールヴの魔剣が、ひときわ輝きを放つ。
 血の色に等しい赤い光を。

「なにぃっ!?」

 思わず叫ぶその瞬間……。
 今度こそ、デルフリンガーは魔族の体を上下に両断していた。
 返す刀で、サイトはさらに斬りつける。
 再び放たれたキュルケの炎の蛇、そして残りの全精神力を叩き込んだ私のエクスプロージョンが、だめ押しでとどめを刺す。
 カンヅェル=マザリーニの体は灰色の塵となり、地に落ちるよりも早く、風の中へと溶け消える。

「……終わった……なんとか……」

 やはり気が抜けたのだろうか。
 その瞬間、私は意識を失っていた。

########################

「……ところでルイズ、結局お前、なんであいつに命を狙われてたんだ?」

 サイトは、ベッドの上でヒマを持て余している私に尋ねた。
 カンヅェル=マザリーニとの死闘を演じた、その翌日のことである。
 あの戦いの後、私は王宮の治療所に担ぎ込まれたらしい。そこいらの記憶は全然ないのだが。
 運んでくれたのは、キュルケと一緒だったマンティコアの隊長さん。
 ちなみに、あの二人がナイスタイミングで現れたのは、全くの偶然だったそうな。どうやら隊長さんが昨夜のキュルケの御相手で、二人で夜空をデートしていたら、たまたま現場に出くわしたとか。
 それはそれとして。
 もはや傷は完治し、体調もほぼ完璧なのだが、一応大事を取って、ということで、いまだ私はベッドの上である。

「ああ……それね……」

 私は多少口ごもる。

「わたくしには聞かせられない話ですか? ならば席を外しましょうか……」

 口を挟んだのは姫さまである。ちょうどお見舞いに来てくれたところだった。
 その隣にはキュルケも座って、生温かい目で私たちを眺めている。

「いいえ、そうではありません」

 私が慌てて否定すると、姫さまはホッとしたような顔を見せた。

「よかった。……わたくしとあなたはおともちだち。そう思っていたけれど実は一方的だったのかと、少し心配しましたわ」

 何でも腹を割って話すのが女の友情。……そう思っているんだろうなあ、きっと。
 とりあえず。

「私にもよくわからないのです。ただ……誰かにそういう命令を受けていただけ、みたいで……」

 明言こそされなかったが、そういうニュアンスだった。少なくともトリステイン乗っ取りの件に関して『最初の命令』と言っていたから、同じところから別の命令もあったのは確実。どうやら、それが私を標的とした暗殺指令だったっぽい。

「でもよ、あいつ魔族だったんだろ? 魔族に命令を下せる奴なんて……」

「……きっと魔族のお偉いさんね」

「それって……まさか……伝説の魔王……赤眼の魔王(ルビーアイ)シャブラニグドゥ……」

「いいえ、姫さま。それは違います」

 これは断言できる。理由は簡単。カンヅェル=マザリーニが、シャブラニグドゥを敬称略で呼んでいたからである。

「そうだよな。赤眼の何とかは、俺たちが倒したもんな」

「……え?」

 サイトの言葉に、姫さまが目を丸くする。
 それからギギギッと、再び私に顔を向けて。

「本当なの、ルイズ・フランソワーズ?」

「……はい」

「あなた……いったい今まで、どんな旅をしてきたのですか?」

 呆れたような口調の姫さまに、私は、サイトと出会って以降をザッと説明する。
 ジョゼフ=シャブラニグドゥとの戦い。トリステイン魔法学院で巻きこまれたフーケの事件。ジョゼフの仇討ちに燃えたシェフィールド=ミョズニトニルン……。

「まあ! わたくしが王宮で籠の鳥のような暮らしをしている間に……そんな色々な経験を……」

 そして姫さまは、大きく一つ、ため息をついて。

「……決めました。わたくしも、あなたの旅に同行します」

「はあああああ!?」

 三人の声がハモった。
 何を言い出すのだ、このお人は!?

「お母さまに言われたのですよ。おともだちのルイズが王都に立ち寄ったのも、始祖ブリミルが与えてくださった好機。この機会に、あなたも少し世の中を見てくるとよいでしょう……って」

 ……言い出しっぺは、マリアンヌ大后か。
 姫さまも姫さまだが、マリアンヌさまも結構とんでもない人らしい。今回の騒動でも一切顔を出さなかったように、今はなかなか表に出てこないのだが……。
 若い頃はハチャメチャだったそうな。若き日のマリアンヌさまには散々振り回されたと、母さまが、よくこぼしていた。姫さまの小さい頃のお転婆ぶりを見ても「この程度なら、可愛らしいものです」と母さまは言ってたっけ。

「でも、姫さま。現状では、姫さまが王宮を留守にするわけにはいかないでしょう?」

 昨夜の事件を受けて。
 あの『マザリーニ』が偽者だったこと、及び、その『マザリーニ』が一連のゴタゴタを引き起こしていたことは、今朝、公式発表されている。
 もちろん、さすがに『マザリーニ』が魔族だったことやウェールズ王子たちが死体だったことは秘密。昨夜の事件も、『マザリーニ』が偽物であると知った王子たちが殺されて、その仇を姫さまがとった……というシナリオで押し通していた。
 ともかく。
 悪い奴ではあったが国政の中心だったマザリーニ、それがいなくなった以上、もはや姫さまを中心にしなければ、トリステインは崩壊すると思うのだが……。

「それは大丈夫です。お母さまが何とかすると言っておられました。あいかわらず即位は拒んでおられるようですが、それでも、自分が何とかしてみせる……と」

 ふむ。
 マリアンヌ大后が表立って頑張るというのであれば、まだ若い姫さまよりは、マシかもしれん。
 そんな気持ちが顔に出てしまったらしい。

「……ね? だから心配することないのですよ。ウェールズさまの葬儀が終わるまでは、わたくしも動けませんが……。ちょうどルイズも、もうしばらくはベッドの中でしょう? 御葬儀が終わったら、一緒に旅立ちましょう」

 ニコッと笑う姫さま。
 しかし、その笑顔にカゲがあるのを、私は見逃さなかった。
 ……考えてみれば。
 姫さまは、恋人であるウェールズ王子を失ったのだ。かつて姫さまは私の旅を失恋傷心旅行だと誤解していたようだが、今の姫さまにこそ、心の傷を癒す気分転換が必要なのだろう。
 だから。

「……そうですね」

 私も頷くしかなかった。

「いいのかよ、ルイズ!? そんな気楽なこと言って……」

「そうよ! 結局あなた、まだ魔族に狙われているわけでしょう? そんな旅に、国の王女さまを連れ歩くなんて……」

 サイトやキュルケが反対を示すが、姫さまは譲らない。

「あら。今は王女ですけれど、旅に出てしまえば、そんな身分は関係ありませんわ。旅先でお姫さま扱いされても困りますし……そうね、短く縮めて『アン』とでも呼んでくださいまし」

「……説得は無理みたいね。よろしく、アン」

 肩をすくめて、さっそく順応するキュルケ。
 おい、こら。
 姫さまが言っているのは、旅に出てからの話だろうに。王宮内で『アン』は、まずいぞ。

「だけどよ、アンアン。相手は魔族だぞ。それなのに……」

 ちょっと待て。
 サイトはキュルケよりも馴れ馴れしい呼び方をしてるぞ!?
 しかし姫さまは気にせずに。

「あら? あなたがたが一緒ならば、大丈夫でしょう? 守ってくださいますわね、頼もしい使い魔さん」

 手の甲を上に向けて、スッと左手を差し出した。
 ……姫さまったら、また中途半端なことを。
 王女扱いするなと言っておきながら、こういう、いかにも高貴な貴族ですって振る舞いをする。

「え? 何?」

 ほら。 
 こういう習慣に慣れてないサイトは、意味がわかってない。
 仕方ないので、御主人様である私がフォローする。

「お手を許されたのよ、サイト。光栄に思いなさい」

「お手を許すって、お手? 犬がするヤツ?」

「違うわよ。もう、これだからバカ犬は……」

「ルイズは説明が下手ね。あたしが教えて上げるわ、サイト。あのね、お手を許すっていうのは……」

 キュルケがニヤニヤ笑いながら、サイトに何か耳打ちする。
 サイトは、ちょっと驚いた顔をしながら。

「では、つつしんで……」

 姫さまの手を取り、ぐっと引き寄せて……。
 彼女の唇に、自分の口を押しつけた!
 
「え?」

 姫さまの目が白目に変わり、体から力が抜けて、隣のベッドに崩れ落ちる。
 ポカンとするサイト。

「気絶? どうして?」
 
「姫さまに何してんのよっ! このバカ犬!」

「だって……キュルケが『キスしていい』って言うから……」

「あら? 誰も唇にキスしろなんて言ってないじゃない。あの姿勢なら、手の甲にキスするのが当然でしょ。それをサイトったら、思いっきり唇にキスしちゃって……」

「なに言ってんのよ、キュルケ! あんた、わざとサイトが誤解するような言い方したんでしょ!? ……どう見ても確信犯ですって顔よ、それ!」

 火がついたように怒り狂う私。
 ここが治療所であることも忘れて。
 お仕置きエクスプロージョンが炸裂した。

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 数日後。
 私よりも長くベッドで過ごすことになったサイトとキュルケであるが、その二人の傷もすっかり癒えて。
 私たちは、王都トリスタニアをあとにした。
 私とサイトと姫さま、そしてキュルケとその使い魔のフレイム。メンバーは一人変わったが、奇しくも、この街に入った時と同じ人数である。

「ところでルイズ、どこに向かうか決めているのですか?」

 尋ねる姫さまは、私やキュルケと同じく、学生メイジの格好をしていた。杖を持ち歩く以上、これが一番自然であろうと考えたらしい。

「ええ。ちょっと遠いですが……」

 この一件に関わる前は、そろそろ久しぶりに里帰りもいいかな……なんて思っていたのだが、そういう場合でもなくなった。サイトには悪いが、彼を元の世界へ戻す方法の探索も、ちょっと後回しだ。
 一体どういう理由からか、私の人生に魔族がちょっかいをかけてきた以上、彼らのことを色々調査するべき……。そう考えたからである。
 今回、魔族が名を騙った者の出身地。偶然かもしれないが、それは、かつて私が魔王の呪文を学んだ国でもあった。
 だから。
 私は言った。きっぱりと。

「ロマリアへ」

 ロマリア……。
 闇の伝説が眠る地へと……。





 第四部「トリスタニア動乱」完

(第五部「くろがねの魔獣」へつづく)

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 マザリーニを完全な悪役にはしたくなかったので「名前を騙る魔族でした」ということで。すでに第三部でも「ゼロ魔」キャラ(クラヴィル)の名前を騙る「スレイヤーズ」魔族(ヴィゼア)を登場させていましたが、あれは一種の伏線でしたので、一応今回言及しておきました。

(2011年6月5日 投稿)
   



[26854] 番外編短編5「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜」
Name: よむだけのひと◆397a1e58 ID:810debff
Date: 2011/06/08 22:30
   
「あら……? カリンさまじゃないですか?」

 聞き覚えのある名前を耳にして、私はギョッとする。
 『カリン』とは、母さまが若い頃に使っていた名前。『烈風』という二つ名と共に恐れられていた頃の呼び名である。
 旅の途中で母さまと出くわすなんて、そんな偶然あり得ないと思いつつ……。
 振り返った私は、思わず絶句していた。
 声の主は……私を見て「カリンさま」と言っていたのだ!

「あなた、何か勘違いしてるわよ。この子は『ゼロ』のルイズ。……子供に見えるかもしれないけど、私と二つしか違わないわ」

 隣でキュルケが私を紹介するが、向こうは、首を傾げている。

「でも……髪の色も同じで、顔つきも体格もそっくりなのに……」

 どうやら彼女、私を母さまと間違えているらしい。しかし私とソックリとは……母さまの若い頃だろうか?
 でも、それにしては少し変。彼女は、私と同じくらいの年齢なのだから。
 肩ほどに黒い髪を切りそろえた少女である。垂れた目とちょっとふくよかな顔は、男受けが良さそう。美人というよりは人懐っこい可愛らしい感じだが、ちゃんと出るべきところは、顔と同じくふっくらしている。

「人違いですから。ごめんなさいね、カリンじゃなくて。……では」

 ペコリと頭を下げて、私は体を元に向きに戻して……。

「人違い? 人違いって……誰と?」

 背中からかけられた声に、思わずずっこけた。
 起き上がった私は、少女に向き直る。

「だあぁぁっ!? あんたが私のことを『カリンさま』って言ったんでしょ!?」

「まあ! あなた、カリンさまを御存知なんですか?」

「ああぁぁっ、もう! あんたがその名前を持ち出したのよ!?」

「そうでしたっけ……?」

「ともかく! 私はカリンじゃないから! カリンに用事があるなら、他をあたって! そんじゃ!」

 母さまの昔の知り合いっぽい感じもするが、年齢的には辻褄が合わないから、おそらく噂か何かで知っただけだろう。きっと『烈風』カリンの熱烈なファンなのだ。
 話で聞いた外見の特徴に似ているからって、私に声をかけたに違いない。
 そんな奴に、これ以上つきあってられん。

「さあ、キュルケ! こんな子ほっといて、行くわよ!」

「え〜〜。なんだか面白そうじゃない。もうちょっと相手してみましょうよ。……あなた、何か用があるんでしょう?」

「用ですか? そうですねえ……」

 黒髪の少女は、やたら呑気な口調で。

「……では、妹を助け出してもらえますか? 悪い貴族に誘拐されて、地下牢に閉じこめられているんです」

 待て。
 かなりオオゴトだぞ。それは。
 ……さすがに聞き捨てならない。私はキュルケと顔を見合わせてから、ちょっと真面目な態度で少女に対応する。

「とにかく立ち話もなんだから、詳しい話は、何か食べながらにしましょうか」

「食べながら……? まあ! 食べていいんですか!?」

 パッと顔を明るくする少女。
 ……なんだ? 誰かに食事制限でもされてるのか?
 そんなことを思ったのも束の間。

「では、いただきます!」

 少女が飛びかかってきた!
 街の往来の真ん中で、私は押し倒される。 

「はえ? はえ? はえ?」

 なんだか慌てていると、彼女は器用に私の服を脱がせにかかった。あっという間に上着が剥ぎ取られ、下着に手がかかる。

「あらま、大胆ね。ルイズの言った『食べる』は、そっちの意味じゃないと思うけど……」

 まったく他人事の口調なキュルケ。
 私は気が動転して、まともに対応できない。

「ちょ、ちょっと、ちょっと……」

 やめて!
 ここは公衆の面前よ!?
 そもそも私にソッチの趣味はないの!

「なんだ、なんだ!?」

「お! こんなところでストリップか!? 野外レズビンアンショーか!?」

「うひょ。けっこう美少女じゃん! いいぞ、もっとやれ!」

 街の人々が囃し立てる中。

「安心してください。汗をいただくだけですから」

 彼女の舌が、私の首筋に伸びる。それが私の肌に触れた瞬間。

「……いいかげんにせえぇぇっ!」

 私は、彼女を蹴り跳ばした。

########################

「あーっ、恥ずかしかった……」

 町外れの森。
 誰もいない場所まで走って逃げて、そこでようやく私は一息ついた。

「あら、別にいいじゃないの。見せたって減るもんじゃないし。だいたい、ルイズの胸はこれ以上減りようがないでしょ」

「どういう意味じゃああ!」

 ふん。
 まだキュルケをはっ倒す元気くらいは残っているのだ。
 夕飯もまだの状態で、街を出ることになっちゃったけど。
 さて。

「……で、どういうこと? 妹さんがさらわれたとか監禁されたとか言ってたけど?」

 手頃な岩に腰かけて、私は、あらためて黒髪少女に問いかける。
 キック一発でノビてしまった彼女を放置するわけにもいかず、私たちは彼女も連れてきていたのだ。

「まあ。あなた、私の妹を御存知なのですか? そういえば、あの子どこ行っちゃったのかしら……」

「違うでしょ!? 地下牢に捕まってるって、あんた言ってたじゃない!」

「地下牢? ……そうでした! 私も妹も、あいつに捕まっちゃって……。……く、んぐ、……うえ」

 少女がボロボロと泣き出す。何やら思い出してしまったのか。

「ダメじゃないの、ルイズ。女の子泣かしちゃ……」

「冗談言ってる場合じゃないわよ」

 私は、少女の肩にソッと手を置いて。

「いったいどういうことなのか、話してちょうだい。こう見えても私たち、けっこう腕は立つのよ。悪い奴なんてやっつけて、妹さんを取り戻してあげる!」

「……その前に、とりあえず、あなたの名前を教えてくれない?」

 キュルケに聞かれて。
 彼女は、泣きじゃくりながら名乗った。

「はい。私は……ダルシニと申します」

########################

 夜陰に紛れて、私とキュルケは街に戻った。
 ダルシニの話によれば、妹が監禁されているのは、『新宮殿』と呼ばれる屋敷の地下牢。下水道が秘密の通路に繋がっているのだが、通路には『番人』と呼ばれる恐ろしい敵が潜んでいるという。

「でも……『新宮殿』なんてないわね」

「南の端に、使われなくなった屋敷があるそうよ。それらしき怪しい建物は、そこだけね。……それのことかしら?」

 メシ屋で遅めの夕飯を食べながら、私たちは、聞いて回った情報を持ち寄る。
 ちなみに、ダルシニは森に置いてきた。野宿は慣れているから大丈夫と彼女が言うし、連れて来ても足手まといになりそうだったからだ。

「とりあえず、そこに行ってみましょうか」

 眠くならない程度に腹を満たした後。
 私とキュルケは、街の南ブロックへ。
 この辺りはまだ繁華街なのだが、すぐ裏側は、ちょっと緑の多い地域となっていた。朽ち果てた屋敷の敷地である。

「あれがそうだとしたら……下水道から入っていけるはずね?」

 古い屋敷を遠目に見ながら、路地裏に立つ私たち。
 すぐ右手の石壁には、下水道に通じる穴があった。

「……あたし、なんだか気が進まないわ。下水道なんて臭いし汚いし……」

「今さらそんなこと言わないの!」

 キュルケを叱りつける。
 私だって、同じ気持ちなのだ。敢えて考えないようにしているのに、ワザワザそれを口にするなんて!
 自分を叱咤激励する意味で、私は言う。

「一度引き受けた仕事を途中で放棄するなんて、貴族のするべきことじゃないわ!」

「ルイズったら、胸はないくせに、プライドだけは一人前なんだから……」

 小声でつぶやいたつもりだろうが、しっかり聞こえている。
 私は、下水道の鉄蓋を開けて。
 ツンとすえた腐臭の中に、キュルケを蹴り跳ばした。

########################

 中は思ったよりも広かった。
 腐水が流れているのは中央の深くなった部分だけであり、私たちは足を汚すことなく、その左右を進んでいく。

「秘密の通路なんて、本当に……」

「しっ!」

 しゃべろうとしたキュルケを制する。
 それだけで彼女も察したらしい。
 私たちの進む先から……殺気が近づいてくる!
 どうやら『番人』とやらが、むこうからお出ましのようだ。

「おや……?」

 響いて来た声は、私のものでもキュルケのものでもない。
 淡い魔法の明かりと共に、その姿が現れる。
 三人組のメイジだ。見た感じ、年は私やキュルケと同じくらい。三人とも学生メイジの格好をしているが、先頭の大男は青いコートを羽織っている。後ろの二人のうち、痩せぎすの方は黒いシルクハットをかぶり、小太りの方は坊主頭だった。

「女でやんすか……」

「ちょろいもんざます」

「おい、油断するな。相手の力量くらい、ちゃんと見抜け」

 仲間の二人を、青いコートの大男が叱責した。
 服の上からでもわかるくらい、筋骨隆々としている。がっしりと骨でも噛み砕きそうな大きな顎に、金髪を後ろに撫でつけた、岩のようにごつい頭……。
 しかし、ただの体力バカでもなさそう。こいつが三人のリーダーであろうか。
 ……ともかく。こいつらが、ダルシニの言っていた『番人』なのだ!

「ならば先手必勝ざます!」

 気持ち悪い言葉遣いと共に、シルクハットの男が杖を振るった。
 水の鞭が飛んでくるが、すでにキュルケも呪文を唱え終わっている。『ファイヤー・ウォール』だ。炎の壁が出現し、細い水鞭を蒸発させる。

「バカもん! もっと頭を使え! こういう場所では……」

 金髪の大男が仲間を怒鳴りつけ、続いて呪文を詠唱する。
 ……この呪文は!? まずいっ!

「キュルケ! 逃げるわよ!」

 言って私は、適当な呪文を唱えて爆発魔法を一発。
 私に言われるまでもなく、すでにキュルケは逃げ出していた。私も彼女を追って、撤退する。
 あの大男が唱えていたのは『ウォーター・フォール』。大量の水を降らせる魔法であり、ここで使えば一気に凶悪な技と化すのだ。
 ……なにしろ、ここは下水道。汚水を頭からぶっかけられては、たまったものではなかった。

########################

 下水道から出て少し走ったところで、私たちは、ようやく立ち止まる。
 繁華街の裏通り。もう夜も遅いが、宿や酒場、すけべえ屋さんなどは、ちょうど今がかきいれどきなのかもしれない。まだチラホラと人通りがあった。
 どこかの店の裏に並んだ木箱に腰をおろして、私たちは一息つく。

「ああ恐かった……。あぶなくゲロゲロのグチョグチョにされるところだったわ……」

「さすが『下水道の番人』ね。あんなのがいるんじゃ、何か別のテを考えないと……」

 下水道の番人ではなく、秘密の通路の番人だったような気もするが、細かいことは気にしない。キュルケの言葉に頷いた私は、顔を上げて、ボーッと辺りを見渡したのだが……。

「……あれ?」

 少し離れたところを歩く、黒い巫女服の少女。それは、ここにいるはずのない人物だった。

「ダルシニ!?」

 私が叫び、キュルケも気づく。

「ホントだ、ダルシニじゃないの。ダメじゃない、ちゃんと森で待ってなきゃ……」

 私たちの声で、彼女もこちらを向いた。
 間違いない、ダルシニだ。しかし、彼女の顔には困惑の色が浮かんでいる。

「あの……?」

 またボケたか。「どこかでお会いしましたか」なんて言うつもりか。
 そんな私の予想を裏切って。

「もしかして……姉を御存知なのですか?」

 姉って……。
 ……ということは!?
 私は目を丸くして、キュルケと顔を見合わせた。
 それから、再び彼女に顔を向けて。

「あんた、ダルシニの妹さん!?」

「はい。妹のアミアスです」

 驚いた。
 どっからどう見てもダルシニにしか見えない。
 確かにダルシニは「一目見ればわかります」と言っていたが……。双子なら双子と言って欲しかったぞ、紛らわしい。
 それはともかく。

「よかった。私たちは、あんたを探して……」

 その時。

「ここにいたか!」

 声のする方へ振り向けば、立っていたのは例の三人組。

「あ! 下水道の番人!」

「誰が下水道の番人だ!? そう言うお前たちの方こそ……」

 指さした私に対して、真っ赤な顔を見せる金髪大男。当人にしてみれば『下水道の番人』ではなく『通路の番人』だと主張したいわけか!?

「ウオォッ! あの二人の後ろにいるのって、もしかして……」

「あたしも、そう思うざます……」

 大男の背後で、二人が何やら言葉を交わしている。
 しまった。
 どうやらアミアスの存在も気づかれたらしい。
 地下牢に捕えられているはずのアミアスが、どうやって自力で脱出できたのか。それは疑問だが、とりあえず後回し。その地下牢の番をしていた連中にしてみれば、何としても彼女を取り戻したいはず。

「さがって! アミアス!」

 私とキュルケは、彼女をかばうように、その前に並び立つ。

「えっ、えっ? これは、いったい……」

 混乱したような声が聞こえてくる。
 あのボケボケのダルシニの妹だけあって、状況が理解できていないのか!? 少し前まで捕まっていたなら、事情を知っていて当然なのに!
 仕方がないので、連中の魂胆を教えてあげる。でも余裕がないので、チラッと振り返りながら、サッと早口で。

「あんたを捕えて、売りとばすか奴隷にするかペットにするか……って寸法よっ!」

「なんですってぇぇぇぇっ!」

 私の言葉に、まともに顔色を失うアミアス。
 そして、金髪大男も。

「ちぃぃぃぃっ!」

 図星を突かれて頭に来たのか、『ブレイド』を唱えて杖に水を纏わせ、私たちに向かって突っ込んでくる。
 ……下水道とは違う。近くに大量の汚水があるわけじゃないので、戦法を変えてきたようだ。私もキュルケも接近戦は苦手だから、距離を詰められる前に魔法で迎撃するのみ!
 しかし、私たちが呪文を唱えるよりも早く。

「石に潜む精霊の力よ……」

 背後から聞こえてきた声に、ギョッとして振り返る。
 アミアスの言葉だが、これって……まさか!?
 私の心配したとおり。

「ぎょええええええっ!?」

「うぎゃああああああ!?」

 突然、足下の石畳が隆起。
 想定していたはずの私でも、体が対応しきれない。
 巨大な石塊は、私やキュルケや三人組を乗せたまま、宙で爆発。吹き飛ばされた私たちは、意識を失った。

########################

「おーい、ねえちゃん。大丈夫か?」

「こんなところで寝てると、風邪ひくぞ」

「それとも、誰かにお持ち帰りされたいってか? ヒッヒッヒ……」

 道ゆく人々の下卑た囃し声で、私は目を覚ました。
 ベチャッと潰れたカエルのような格好で、往来の真ん中でうつぶせに倒れていたらしい。
 ……なんてこと! 私カエル大嫌いなのに!

 ちゅどーん。

 とりあえず、やじ馬の一人に軽く爆発魔法を食らわせてから、冷静に状況判断。
 どうやら、かなり飛ばされたようで、三人組どころかキュルケの姿も見えない。
 もちろんアミアスもいない。あれをやったのは彼女なのだから、当然、私たちが気を失っている間に逃げ出したのであろう。
 まずはキュルケと合流するのが一番か……。
 と、そこまで考えた時。

「ここにいたのね、ルイズ!」

 キュルケの方から、私を見つけてくれた。
 聞けば、彼女も気づいた時には一人であり、ここまで来る途中、アミアスにも三人組にも出会わなかったという。

「それより、ルイズ。あのアミアスって子が使った魔法、あれって……」

「ええ。あれは……先住魔法ね」

 先住魔法。
 私たちが用いる系統魔法とは異なり、自然界に存在する精霊の力を借りるというシロモノだ。ただし、人間には使えない。それを使用できるのは、亜人のみ。
 アミアスが亜人であれば、双子の姉妹であるダルシニも当然、亜人。人間にしては少し変な彼女の言動も、亜人であるというなら納得である。

「亜人といっても、外見は人間と同じだったから、オーク鬼やトロール鬼ではないわね」

 背中に翼があることを除けば人間とそっくりな翼人。細身の長身であるが、特徴的な耳さえ隠せば人間にも見えるエルフ。そして姿形は完全に人間と変わらない吸血鬼……。

「まあ、何にせよ。これで、あの二人が狙われる理由もわかったわ」

「いつの世にも、バカな好事家がいるのよねえ」

「……うん」

 一般に、亜人は恐怖と嫌悪の対象であるが、それを飼い馴らしたいと考える者もいる。実際、昔のトリスタニアでは、吸血鬼をペットにしていた貴族もいたそうな。
 特にあの姉妹は外見的には可愛い少女なのだから、生きたまま捕獲すれば、闇の社会では高値で取り引きされるであろう。

「だけど……」

 事情は理解できたが、それでも腑に落ちないことが一つ。

「アミアスは、なんであの三人だけじゃなくて私たちまで一緒に吹き飛ばしたのかしら? 敵も味方もまとめてぺぺぺのぺい、って性格なのかな……」

「まさか。ルイズじゃあるまいし」

「……どういう意味?」

「そのままの意味よ。……ちょっと、殴らないで! だいたい、あなたが誤解を招くようなこと言うから悪いのよ!」

「へ?」

 振り上げた拳を止める私。

「あなた言ったでしょ、売りとばすとか奴隷にするとか。……いかにも『悪だくみしてます』って顔で」

「はあ!? そんな顔してないわよ、私は! ちゃんと優しく、無理して笑顔で……」

 いや。
 状況が状況だったから、作り笑顔も少し引きつっていたかもしれない。それが……悪人顔に見えたのか!?

「しかも……あなた、主語抜きだったでしょ」

 主語……?
 ようやくキュルケの言いたいことを理解する私。

「どああああっ! ひょっとしてっ!?」

「たぶんアミアス、あたしたちのことも誘拐魔だって勘違いしたのね」

 言われて私は、頭を抱える。
 さっき私は、あの三人組の意図を懇切丁寧に説明した。
 でも『あいつらが』という当然の一言を省略したせいで、それをアミアスは『私とキュルケが』と解釈してしまったのだろう。
 せっかく地下牢から逃げ出してきたところで、新たな誘拐グループ出現! ……なんて思ったら、そりゃ精霊呪文も使うわ。

「……どうしよう……」

 憂鬱な口調でつぶやく私に対して、キュルケはアッサリ。

「さっきの連中、いまだに彼女を狙ってるに違いないわ。となれば、アミアスを追うしかないでしょうが」

「そうね……」

「でも、どっちへ行ったかわからないから、困ってるのよねえ」

 腕組みしながら考え込むキュルケ。
 が、ここで私が立ち直る。

「大丈夫、それなら心当たりがあるわ」

「……どこ?」

「ダルシニのいるところよ」

########################

 ダルシニは、村を出て少しの森にいる。それをアミアスは知らないだろうが、亜人特有の不思議な能力で、何となく察するかもしれない。

「……何その根拠のない説」

「いいのよ。かりにアミアスに出会えなくても、ダルシニがいるんだから。アミアスだけじゃなくてダルシニも狙われてるってわかった以上、もう彼女を一人で放っておけないもん」

 そう説明しながら、街を出る。
 私たちはラッキーだった。森の手前で、街道をトコトコと歩く少女の姿を発見したのだ!

「……アミアス、待って!」

「まっ……また来たのですか、この誘拐魔!」

 彼女はビクンと体を震わせ、続いて呪文を口にする。

「枝よ。伸びし森の枝よ……」

 森の木々が、私たちへとその枝を伸ばす!
 私も急いで呪文を唱えて、杖を振り下ろす!

 ボンッ!

 私の軽い爆発魔法は、まともにアミアスに直撃していた。

「うーん……」

 目を回して倒れ込むアミアス。

「あいかわらず乱暴ね、ルイズ。助けたい相手を攻撃してどうすんの……」

「だって、むこうも魔法使ってきたんだもん。防御魔法を使おうと思ったけど、先住魔法に有効な防御魔法なんてわからなかったし」

「……じゃなくて、あなたの場合、何を唱えても爆発魔法になるだけでしょ」

 ちなみに。
 今の攻防は、ある意味、相打ちである。
 私もキュルケも、手足や腰を木の枝に掴まれ、身動きが取れない状態。
 とりあえずアミアスが逃げ出すのは防いだが、こっちも何も出来ない。
 この騒ぎを聞きつけてダルシニが来てくれれば、誤解をとくのも簡単なのだが……。

「……そうそう都合よく、物事は運ばないわね」

 私がつぶやいた瞬間。

「見つけたぞっ!」

 後ろで男の声がした。
 かろうじて動く首を回せば、そこには例の三人組の姿。
 まずいっ!
 アミアスは気絶しており、私たちは拘束されている。目の前で彼女がさらわれるのを、みすみす見逃すしかないのかっ!?
 ……そして状況は、さらに悪化する。

「あら……アミアスじゃない……」

 のほほんとした声が聞こえて、前に向き直れば。
 タイミング悪くやってきたダルシニ!
 最悪! 姉妹まとめて捕まえよう、って連中の前に、一緒に姿を現すとは!
 再び振り向くと、三人組の視線は既に、ダルシニへと注がれていた。

「ダルシニ! 逃げてっ!」

 この時……。
 なぜか私とキュルケと三人組のセリフは、見事にハモったのだった。

########################

「……は?」

 思わず顔を見合わせる私たち。
 そこに、ダルシニが間延びした声をかけてくる。

「あら……? カリンさま……それにバッカスさんじゃないですか?」

 おい。
 最初の展開に戻っているぞ!?
 なんだか一つ知らない名前が加わっているが、彼女の視線は私だけではなく、三人組のリーダー格にも向けられている。

「違うったら!」

「バッカスはオヤジだって言ったじゃないっすか!」

 私と金髪大男のセリフ。
 ……あれ? まさか、こいつも……。

「あんた……あの通路の番人じゃなかったの……?」

「ちげーよ! さっきも否定したじゃんか! ……番人はお前たちの方だろ!?」

 あ。
 あの時の「誰が下水道の番人だ!?」も、『下水道』ではなく『番人』を否定していたわけか。

「……ふっ……なるほど……そういうことだったのね……」

 いつのまにか意識を取り戻したアミアスが、ワケ知り顔でつぶやいた。

「どういうことなのよ?」

 思わず尋ねるキュルケ。
 アミアスは、呪文を唱えて私たちの拘束を解きながら。

「つまり姉さんは、あなたたち両方に、私を助け出してくれ、って依頼したんです」

「……え? でも……」

「私たち、こう見えても吸血鬼なんです」

 いきなり話が飛ぶ。
 ハルケギニア最凶の妖魔ともいわれる吸血鬼。見つけ次第殺せ、というのがハルケギニアの常識だが、何ごとにも例外があることくらい、私もキュルケも旅の途中で学んでいる。
 三人組もそれなりの場数を踏んだメイジらしく、いつでも攻撃できるように杖を構えたものの、それ以上の動きは見せずに、おとなしく話を聞いていた。

「……だから、外見と実年齢は全く違うんです。吸血鬼だけど仲良くしてくれる人間もいたから、おかげで、すっごく長生きできて……」

「あの……話が見えないんだけど……」

「つまり……」

 キュルケの横槍に対して、アミアスは沈鬱きわまる表情を見せる。

「若ボケよ」

 言いながら、ダルシニの肩にポンと手を置いた。

「私たち姉妹は、もともと殺生が出来ない性格なの。だから血も少しばかりわけてもらうだけで……。場合によっては、血の代わりに汗ですませてしまうくらい」

 どうやら、かなり小食な吸血鬼姉妹らしい。

「……でも、それじゃ脳に十分な栄養が行き届かないみたいで。私はまだ大丈夫なんだけど、姉さん最近、なんかの欠乏症みたいにボケてきちゃって……」

 説明しながら、一人で頷いている。

「今回だって、自分が夜行性なのすら忘れて、昼間に一人で徘徊し始めて……。昔の知り合いに似たあなたたちを見かけて、当時を思い出しちゃったのね。二人で悪い奴らに捕まってた時のこと……。それで私が側にいないんだ、って自分を納得させてたんだわ」

 なるほど。
 だから『新宮殿』やら『通路の番人』やら、彼女の証言どおりのモノがなかったわけだ。時代も場所も全く違う話だったのである。

「……そういう事情で、とっくの昔に解決してる事件を、あらためて頼んでしまったんです。みなさんには迷惑をかけてしまい、ごめんなさい」

 私たちにペコリと頭を下げてから、ダルシニの腕を取るアミアス。

「さ、行きましょう。姉さん」

「あら、アミアス。今夜のパーティ、楽しかったわね!」

「……今夜のパーティ?」

「アミアスったら、もう忘れちゃったの!? カリンさまのシュヴァリエ就任のお祝いよ!」

「ああ、はいはい。うん、楽しかったわね。……今夜じゃなくて、二十年くらい昔の話だけど」

 などと会話を交わしつつ。
 吸血鬼の姉妹は、手に手を取って、森の中へと消えていく。
 あとに残されたのは……。

「なんだったのよ、いったい……」

 やり場のない怒りを胸にした私とキュルケ。
 そして。

「せっかく『お嬢さんのためなら』って思える美少女に出会ったのに! 美少女に仕えるという、親子二代にわたる夢がかなうと思ったのに!」

「……落ち込まんでください、リーダー。もっと相応しい少女が、どこかにいるでやんすよ」

「そうざます。力仕事に、深夜の散歩、ゲテモノ料理の名コック……。三人それぞれの得意技を持ち寄れば、なんでも出来るざーます!」

 泣き崩れる大男と、それを慰め励ます仲間たち。
 なかなかに見苦しい光景である。……ただでさえ私はイライラしてるというのに。
 そんな中、ポツリとキュルケがつぶやく。

「美少女だったら、ここに二人もいるじゃないの。ちょうどいいわ、今日からあなたたち、こき使ってあげる!」

 豊かな胸を突き出しながら髪をかきあげ、ポーズを決めるキュルケ。
 しかし顔を上げた三人は、「何を言ってるんだコイツ?」といった表情。
 まずはキュルケに。

「安っぽい色気を強調したような娼婦もどきは……こっちから願い下げだなあ」

 続いて、視線を私にスライドして。

「美少女じゃなくて……微少女?」

 おい。
 一瞬の静寂の後。
 私とキュルケは、顔を見合わせてから……。

 ドグォーンッ!

 ……炸裂する爆発と火炎。
 三人が私たちの『やり場のない怒り』の捌け口となったことは、言うまでもない。





(「いもうとクエスト 〜お嬢さんのためなら〜」完)

########################

 「スレイヤーズ」では若ボケはエルフでしたが、そのままではあんまりなので、「ゼロ魔」の「烈風の騎士姫」キャラを利用して吸血鬼に変更。
 第四部でチラッと「烈風の騎士姫」原作イベントに言及しましたし、第五部でも言及する予定なので、このタイミングで。

(2011年6月8日 投稿)
   


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