9日夜。今ごろ「AKB総選挙」の話題が茶の間をにぎわしていることだろう。よくもここまで盛り上がる、と不思議な思いの人も少なくなかろう。この騒ぎで語られるべきなのは、大島優子や前田敦子もさることながら、やはり、仕掛け人・秋元康であろう。
放送作家、作詞家、映画監督、脚本家、大学副学長、そしてAKB48の総合プロデューサーと、いわゆる“業界”のすべての相に顔を持つ奇才。通称「業界のサメ」である。
高校時代から放送作家生活に入り、仕事が忙しいので大学は中退。放送作家だけでは未来がないと、作詞にも挑戦し「川の流れのように」など大ヒットも少なくない。“仕掛け”では、「オールナイトフジ」「夕焼けニャンニャン」が思い出されるが、これは彼一人の仕事ではない。多数の女性を使う発想や技術をAKB48に用いた、と言うべきであろう。
この天才的業界人にとってAKB48とは単に「収益素材」である。秋元は、安易に夢を語る男ではない。クライアント、つまりプロダクションやレコード会社に対して、相応の利潤を約束する「プロ」なのだ。だから、08年に話題になった「桜の花びらたち」問題(44種類のCD封入ポスターを集めればイベントに参加できるという企画が、レコード会社内で問題視され、契約が解除された)のようなギリギリのところまで踏み込む。今回の「総選挙」でも“投票権”を得るために何枚ものCDを買ったファンがいるのは、周知の通り。
秋元が仕掛けたAKB48の方法論を見ると、かなり低俗な物言いかもしれないが「キャバクラ式」と言えないか。身近に思える女性を自分の力でその店のナンバーワンにできるという幻想を与えるやり方。そこは「自分」を明確に意識できる場なのである。間違っても「銀座のクラブ」的発想ではない。「銀座のクラブ」は、手の届かない高根の花を我がものにと思いながらも無視を装い、金を使うシステムと言えよう。自我を殺す場である。つまり「昭和のスター時代」のファンのあり方だ。
上層下層の二極分化した社会の中で、孤立する若者の個を認める文化的受け皿として、秋元はAKB48という「キャバクラ」を設定した。その慧眼(けいがん)が、秋葉原という小さな街を飛び出し、日本中に注目されているのが今なのではなかろうか。
以前、「なぜサメなのか」と秋元の仕事仲間に聞いた。「泳ぎ続けないと死ぬから」との答えだった。秋元の豊饒(ほうじょう)の海は今後も無限に広がっているのだ。【専門編集委員・川崎浩】=第2、4木曜日に掲載
毎日新聞 2011年6月9日 東京夕刊