6月27日、下北沢SHELTERで「脱原発を考えるトークライブ」が行われる。田中優さん(未来バンク事業組合理事長)と、飯田哲也さん(NPO法人環境エネルギー政策研究所所長)に加え、アンプラグドで演奏をするのがFUNKISTだ。FUNKIST自身も、以前から日常の些細な物語から世界中の様々な問題までを、等身大の自分の言葉で歌い、地球規模の大切なメッセージを伝えてきた。そんな彼らが、今一番お話を聞きたいという田中優さんとのイベントが実現した。どんな話をしてくれるのか、そしてその言葉を会場に来れなかった人たちにもどう伝えることができるのか。日本だけでなく、世界中を巻き込んでしまった原発の問題をわかりやすく丁寧に、そして、今後どうしていけば良いのかを一緒に考えていくきっかけのイベントになるだろう。自分の子供、そして孫、さらにその先の子供たちがみんな笑顔で暮らせる世界になればという願いが込められた1日になる。今回はFUNKISTのボーカル・染谷 西郷にお話を伺った。(interview:上江洲修/下北沢SHELTER店長 text:やまだともこ)
音楽で世界を変えたいと思った
── 3月11日の地震が起こる前から、FUNKISTの皆さんは環境問題などに関しても活動をされてますが、きっかけは何だったんですか?
染谷西郷:僕の母親が南アフリカ人で、南アフリカって貧富の差もあるし、アパルトヘイトもあったし、自分が生まれて来た意味とか、理由とかそういうのを見失っていた時期に音楽をやり始めて、簡単に言えば音楽で世界を変えたいという思いから始まっています。それから、ヨーロッパに1人でギターを持って旅したり、沖縄に行って戦争の話を聞いたり、長崎・広島をツアーで回った時には『はだしのゲン』の作者の方に話を聞いたりして、自然と出会いができていろいろな方の考えを聞く機会が増えて行ったんです。何年か前には、沖縄からベトナムまで、5日間だけピースボートに乗せてもらったことがあったんです。南アフリカのこととか音楽とかカルチャーを若い人に繋げるというところでオファーもらい、ピースボートの人に田中優さんの話はぜひ聞いてほしいって公演を録画したものを見せて頂いたんですけど、それがすごく衝撃的だったんです。エコをひとつとっても、すごくわかりやすく話をされていて、この話をもっと多くの人に聞いてもらいたいって思ったんです。優さんの話っておだやかで、希望も優しさも感じるんですよ。
── 優さんのイベントに出演たいと思ったのは、自分たちのお客さんも優さんの話を聞くきっかけを作りたかったんですか?
染谷:それが一番大きくて、震災があった直後に原発大丈夫かというのを思って、優さんどう思ってるかなってすごく聞きたくて電話したんです。それで、一緒にイベントをやりたいということを伝えて、一番は僕たちを応援してくれてる人たちが優さんの話を聞いて、Twitterとかブログで発信してもらう。前にネイキッドで行った『南アフリカの貧困問題』(2009年3月2日:FUNKIST / 田中優)に出演した時に、優さんが「インプットよりも大事なのはアウトプットだ」と言っていて、何かを得た時にそれをどう発信するかでその人の価値は決まるって話をしていたんです。だから、今回シェルターは限られた人数しか来られないけれど、その人たちが自分の思いを乗せて発信する番だと思っています。ただ、インターネットをやらない世代の人もたくさんいると思うんですけど、このイベントで今こういう現状で、こうしたらもっと良くできるっていうのをキャッチして帰ったらお父さんお母さんにそれを伝えたくなるだろうし、そこから会社でとかご近所でこういう話あるみたいよって人と人の繋がりで広まっていくものがきっとあると思う。諦めず希望を持ってやれば、何かが動くきっかけになるかもしれないですから。スケジュール的にはツアーの真っ只中でしたけど、ここは絶対に優さんとイベントをさせてもらうことに意味があると思ったので、僕たちはアンプラグドで出演させて頂くことにしました。以前『雨の日の秋』という曲をリリースしているんですけど、それは優さんの話とかに刺激を受けて、自分たちなりの言葉で書いた曲なんですけど、音楽に乗せてメッセージを届けられたらなと思っています。
実際に現地に行ってわかること
── 以前ネイキッドで行ったイベントでもアンプラグドで演奏して頂きましたが、すごく印象に残るライブでした。
染谷:あのイベントがすごく良かったんですよ。電力に関する話もあって、ライブはアンプラグドでって話だったんですけど、優さんとイベントをやる時のアンプラグドっていうのは必然な気がしたんです。お客さんと一対一でなんなら舞台の上も下もなく、集まって話してるみたいな空気感で行きたいなって思ったんです。
── 御自身では震災があってから歌う事に対して、メッセージが強くなったりはしましたか?
染谷:震災直後は歌うことに意味があるのかとか自問自答をしていました。僕自身、予定していたライブがなくなり、家で震災の時はニュースを見続けていて気持ちが落ちてしまい、一度テレビを止めて好きなバンドの音楽をかけたんです。そしたら、震災から3日経ってようやく前を向けたというか、音楽が元気づけてくれたんです。それで、もしかしたら自分たちが音を鳴らす事で俺みたいに下を向いてる人が、前を向けるきっかけになるんじゃないかって。そしたら、音楽は意味があるなと改めて認識できて、風潮的にはこんな時に音楽なんてっていうのも少なからずあったと思いますけど、こんな時だからこそ音楽にしかできないことがあると思い始めたんです。でも、東北のことを知らないでライブをするということに無理を感じていて、今までもそうですけど実感として感じた事しか歌えないんです。実際これまでに、南アフリカ、カンボジア、インド、ベトナムに行って、そこで人と知り合ってその人たちの事を歌にして伝えてきていて、これは行かなきゃだめだなって、4月の上旬に石巻市と女川町に行ってきたんです。
── 写真では見ましたが、それでも言葉が出て来なかったので、実際は想像を遥かに超えているんですよね、きっと。
染谷:最初は、すさまじい光景に心が理解してくれないというか、道路に船が倒れていたり、家が逆さになっていたり、車が歩道橋に当たって板みたいにぺちゃんこになって電柱に巻き付いているとか、作り物の世界じゃないかというぐらいリアリティーを感じられなかったんですが、何日か経つと徐々に悲しみとか苦しみが締め付けてくるというか。石巻市にある湊小学校に行って掃除をしたり、支援物資を仕分けしたんですが、帰る時に「アンプラグドでライブさせてください」って言ったら、子供たちとおかあさんとおばあちゃんが集まってくれたんです。何を歌って良いかの迷いはあったんですけど、海外ツアーに行った時にエイズで余命数日という人が集まる施設でライブして、少なくとも俺らが音楽をやってる間はその人たちに笑っていて欲しいと強く感じたんです。みんなで一緒に歌って笑いあえる時間を作ろうって。湊小学校で歌った時は、90歳のおばあちゃんが1曲歌い終わるたびに拍手してくれて、「来てくれてありがとう」って言ってくれたんです。だから、今もあのおばあちゃんに会いたいし、助けたいという思いで歌っています。出会いが力をくれた。子供たちもライブが終わったら飛びかかってきて、あの子たちのためにもどうにかしたいってすごく力をもらいました。僕たちが行った時期は震災から1ヶ月経ってなかったので、音楽は後回しでも良かったんです。でも、たくさんの人と出会えたことで、自分たちがアクションを起こす原動力になっているのも事実です。