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安藤文薫のブログ

大震災からもうすぐ3か月。。。仙台空港を復興に貢献した米軍について。。

ノンセクション2011年06月07日 18:39 | フォルダ : 

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 東日本大震災から約3か月、東北の玄関・仙台空港が再開してから約2か月…。
今日は、米軍について少し書きたい。。。

 仙台空港は、地震による大津波で、空港ビルや管制塔が冠水し、滑走路には土砂・がれきなどが膨大にたまり使用不能……。
 事実上の破壊だったけど、たった1か月で再開にこぎつけたのは驚異的だといわれているよね。
 
 この復旧活動に大貢献したのが「トモダチ作戦」に参加した米軍1万8000人と20隻の戦艦、原始空母「ロナルド・レーガン」。。。そして空港で直接作業した米空軍沖縄特殊作戦部隊20人超と、米海兵隊260人。


 4月13日に復旧した空港から民間機が最初に飛び立ったときには、この280人超の米軍はたった一人も残っていなかった。。。。
 というか、米軍がいた形跡さえも残していなかった。


 しかも空港再開のニュースは盛んに報道されたけれど、陰にあった米軍の救援活動はほとんど報じられていなかったよね。。

 実はそれを望んだのは米軍で、ある少佐は米国のメディアに
「我々の目的は、我々が(仙台空港に)いたことさえ気づかないようにすることだった」と語っている。。。

 彼らは、米軍基地を抱える日本の立場を考慮して、目立たないように、そして米軍がそこにいて最も重要な救援活動に従事していたことをほとんど知らせないように行動したらしい。。

風のようにやってきて、風のように去る。。。。

 ある関係者は、「東北の窓口という重要なポイントの復旧を日本人自身が自らだけで成し遂げたという形の方が、日本人にとっても自信につながる」とも語る。


 なぜ仙台空港復旧を急いだのか?

 地震後の被災地の惨状から、素早い援助が必要で、そのために「仙台空港を米国の援助のハブとする」ことを計画したからだ。
 しかし、日本側には早い復旧の術がないと判断。ノウハウを持った米軍が手がけることを決めたという。

米軍の行動は早かった。

3月12日…大地震翌日の米軍ヘリコプター調査では、同空港滑走路は2メートルの水の底。

3月13日…米軍は政府の現地対策本部に仙台空港の使用許可を申請し、「自衛隊や米軍が離着陸できるためなら」と了承される。

3月16日…米軍はC130輸送機で重機を持ち込み、これに自衛隊も加わり、数週間にわたって、津波で押し流されてきた約5000台の車両を移動し、空港周辺に並べた。3000メートルの滑走路のうち1500メートルの土砂・がれきを取り除き、支援物質を積んだ輸送機を発着。。。
米軍は空港に、200万トン以上の食糧・水・毛布を持ち込み、自衛隊と連携して被災地にそれらを運んだ。
米軍個々にっては、大変な作業だったと思う。。。

3月20日…C130の3倍の積載量を誇る大陸輸送機C17が40トンの支援物質を積んでアラスカから到着。物質は被災地に運ばれた。


以降、4月13日まで…管制塔が破損していたので、米軍は数週間、バックパックラジオで軍用機の管制を行い、少しずつ管制は日本側に移行。。


当初、米軍たちは被災地の日本人たちに受け入れられるかが心配だったという。。

でも、米軍が去るときに、空から見えるくらい地上に大きく

「THANK YOU USA」

という文字が書かれていて、彼らはそれに感じ入ったらしい。。。

 沖縄の米軍基地の問題や、政治的な意味合いはここでは触れない。。。

 ただ、被災地支援において、少なくても個々の米軍たちは純粋に被災地のためにがんばってくれたと僕は思う。


 彼らの素早い行動、働きがなかったら、現状までこぎつけられなかったのは事実なのだから。。。

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