Record 02 : ELVIS LIVES (2004.1.13)
今年の1月4日、MXテレビで『ELVIS LIVES』という番組が放送されました。私は偶然に見たのですが、いやーーーー、面白かった!!!
資料を見ると、2002年11月にNBCで放送した「エルヴィス・トリビュート・スペシャル」に『2ND TO NONE』のフィルム素材もいれた日本独自の編集版、とありました。
昨年暮(2003年12月)、坂本龍一君に久しぶりに声をかけられまして、NHK−FMの彼の特番にゲスト出演しましたが、テーマは《50年代》ということでした。
私の捉え方、あるいは大方の評論家もそうであるように、50年代は“前半と後半”に別けられます。
前半が《Before ELVIS》
後半が《After ELVIS》
で、1956年の“ハートブレイク・ホテル”でのエルヴィス登場まで、いかにしてロックン・ロールの要素が“エルヴィス”に集結したのか、を、足早に解説してみました。与えられた時間が短いということもあり、今回メインのテーマにしたのが“ロックのセクシャリティー”です。ドミノズの「SIXTY MINUET MAN」からクライド・マックファターの「サッチ・ア・ナイト」、そしてエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」と続けてみました。
日本に於ての“ロックンロール論”や“エルヴィス論”で、ややもすると欠け気味なのがこの“セクシャリティー”のことなんですね。(私も“敢えて”今までは強調したりはしませんでしたが、私自信はよーーーーく分かっていることです)(特に日本では、いかに平成の世になったとはいえ、性的なことは“秘するが花”という美観が、まだまだ支配的ですし、私自身もそう考えていますので、敢えて強調はしないで来ました)
ただ、端的にロックを語れ!となると、もう“ここ”しかテーマはないんですね。ラジオでは婉曲な表現・会話に終始しましたが“おとな”には分かるように語ったつもりです。
しかし!このテレビ番組は、“それ”を直接的に、しかも“的確に”捉えている人達がぞろぞろ出て来て語っていました。これを見ながら、何度ヒザを叩いたことか!
そして、最後に例の「ラバーネッキン 〜 ポール・オークンフォールド・リミックス」、これのプロモーション・ビデオを初めて見て驚きました!
『新春放談』では“聞くに耐えない”的な発言をしましたが(ドラムはブレインではなく、ジーン・クリスマンでしたね。訂正します)このプロモを見て考えを改めました。
これは、もしエルヴィスが生きていたら、昨今の“ラップ”も難なくこう取り入れてヒット曲を出していただろう、というコンセプトだったんですね。リミックスの“音”を聞いただけでは、なんかエルヴィスをおちょくっているように感じたのですが、“絵”をみて「エルヴィスに対する愛に溢れている」と感じました。
現在の“ラップ”のリズムは、60年代中期の、特にSTAXやマッスル・ショールズ、その後のアメリカン・スタジオ系、更にアラン・トゥーサンのニューオーリンズ系、が作ったものが基本となっています。69年のメンフィスで作られたサウンドが“現在の音”である《ラップ》に合うのは当然なんですね。“元”なワケですから。
しかし、このテの番組を見て、いつも驚かされるのは、向うの連中は、特に若い連中が、しっかりとした“歴史観”を持っているということですね。しっかりと“エルヴィス”を歴史の根幹として捉えている。
ロックを“教条主義的”に、つまり“文字(アタマ)”で捉えたりしている人は、これを見て“汗”を流して欲しいですナ。
ロックとは、“そう”(IT)いうこと、なんです。“基本”はネ。
P.S.
但し、これは本国・米国と英国の捉え方(歴史観)なんですね。“我が”日本にも「エルヴィス、輸入の歴史」というのがあるのですが・・・。(フランスにもイタリアにもドイツにもありますけどね。他にもこういう国は沢山あるんでしょうね)
この番組内で“最悪”と槍玉に挙げられた「DO THE CLAMB」!それの変形(異形)である「スイム・スイム・スイム」が、この頃の“日本の夏”のBGMだったんですよね。「ナイヤガラ音頭でぇ踊りゃんセ〜〜〜」ですなぁ!
資料を見ると、2002年11月にNBCで放送した「エルヴィス・トリビュート・スペシャル」に『2ND TO NONE』のフィルム素材もいれた日本独自の編集版、とありました。
昨年暮(2003年12月)、坂本龍一君に久しぶりに声をかけられまして、NHK−FMの彼の特番にゲスト出演しましたが、テーマは《50年代》ということでした。
私の捉え方、あるいは大方の評論家もそうであるように、50年代は“前半と後半”に別けられます。
前半が《Before ELVIS》
後半が《After ELVIS》
で、1956年の“ハートブレイク・ホテル”でのエルヴィス登場まで、いかにしてロックン・ロールの要素が“エルヴィス”に集結したのか、を、足早に解説してみました。与えられた時間が短いということもあり、今回メインのテーマにしたのが“ロックのセクシャリティー”です。ドミノズの「SIXTY MINUET MAN」からクライド・マックファターの「サッチ・ア・ナイト」、そしてエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」と続けてみました。
日本に於ての“ロックンロール論”や“エルヴィス論”で、ややもすると欠け気味なのがこの“セクシャリティー”のことなんですね。(私も“敢えて”今までは強調したりはしませんでしたが、私自信はよーーーーく分かっていることです)(特に日本では、いかに平成の世になったとはいえ、性的なことは“秘するが花”という美観が、まだまだ支配的ですし、私自身もそう考えていますので、敢えて強調はしないで来ました)
ただ、端的にロックを語れ!となると、もう“ここ”しかテーマはないんですね。ラジオでは婉曲な表現・会話に終始しましたが“おとな”には分かるように語ったつもりです。
しかし!このテレビ番組は、“それ”を直接的に、しかも“的確に”捉えている人達がぞろぞろ出て来て語っていました。これを見ながら、何度ヒザを叩いたことか!
そして、最後に例の「ラバーネッキン 〜 ポール・オークンフォールド・リミックス」、これのプロモーション・ビデオを初めて見て驚きました!
『新春放談』では“聞くに耐えない”的な発言をしましたが(ドラムはブレインではなく、ジーン・クリスマンでしたね。訂正します)このプロモを見て考えを改めました。
これは、もしエルヴィスが生きていたら、昨今の“ラップ”も難なくこう取り入れてヒット曲を出していただろう、というコンセプトだったんですね。リミックスの“音”を聞いただけでは、なんかエルヴィスをおちょくっているように感じたのですが、“絵”をみて「エルヴィスに対する愛に溢れている」と感じました。
現在の“ラップ”のリズムは、60年代中期の、特にSTAXやマッスル・ショールズ、その後のアメリカン・スタジオ系、更にアラン・トゥーサンのニューオーリンズ系、が作ったものが基本となっています。69年のメンフィスで作られたサウンドが“現在の音”である《ラップ》に合うのは当然なんですね。“元”なワケですから。
しかし、このテの番組を見て、いつも驚かされるのは、向うの連中は、特に若い連中が、しっかりとした“歴史観”を持っているということですね。しっかりと“エルヴィス”を歴史の根幹として捉えている。
ロックを“教条主義的”に、つまり“文字(アタマ)”で捉えたりしている人は、これを見て“汗”を流して欲しいですナ。
ロックとは、“そう”(IT)いうこと、なんです。“基本”はネ。
P.S.
但し、これは本国・米国と英国の捉え方(歴史観)なんですね。“我が”日本にも「エルヴィス、輸入の歴史」というのがあるのですが・・・。(フランスにもイタリアにもドイツにもありますけどね。他にもこういう国は沢山あるんでしょうね)
この番組内で“最悪”と槍玉に挙げられた「DO THE CLAMB」!それの変形(異形)である「スイム・スイム・スイム」が、この頃の“日本の夏”のBGMだったんですよね。「ナイヤガラ音頭でぇ踊りゃんセ〜〜〜」ですなぁ!