Record 01 : エルヴィス 二十五回忌 (2002.8.16)
今年(2002年)はエルビス“没後二十五周年”ということで、普段よりも盛大に各地でイベントが開催されているようです。グレースランドへの墓参が例年よりも多いと、テレビのニュースが伝えていました。その年に「A Little Less Conversation」が英国などで一位を獲得したというのも凄い出来事でした。この25年間は、エルビスとしては“旧譜ビジネス”をしてきたわけで(笑)、ま、せざるを得ないわけですがネ、彼の場合は・・・。
なんでも“英国”での《一位獲得数》はビートルズを抜いたそうで、いかに英国人はエルビスが好きか、ということですね。(ビートルズ陣営も巻き返しを企画しているようですが)
二十五周年だから特別、というわけでもないのですが、86年に放送したNHKーFMの「エルビス・フォーエバー」を聞き直してみたら無性にエルビスが聞きたくなり、更に改めていろいろなことを再検証しましたが、それで気がついたのが“イギリス”のヒットチャートです。アメリカでは62年の「グッド・ラック・チャーム」から69年に「サスピシャス・マインド」が1位になるまで7年間も首位獲得曲がないのですが、イギリスではその間、「あの娘が君なら」「心の届かぬラブレター」「悲しき悪魔」「涙のチャペル」が1位になっています。それどころかアメリカでは1位にならなかった「ロッカ・フラ・ベイビー」「マリーは恋人」、更に本国ではシングル・カットのなかった「さらばふるさと」まで首位を獲得していたのです。
これではビートルズの1位記録を破るのも当然かな、とも思いますが、思い起こせばその《1位獲得数》のそれまで一番だったエルビスの記録を抜いたのがビートルズだったんですよね。それを、しかも“死後”、抜き返すんですから“快挙”というよりも《怪談》ですな、季節的にいうと。(笑)(小林信彦さん流に宛て字で“快談”、とでもしますか)
当時はアメリカのチャート情報が中心だったのでイギリスのチャートにまでは目が届きませんでした。今年の「おしゃべりはやめて」のヒットも、サッカーのCMがヒットの大きな要因ですが、イギリスでは以前からそういう強力な下地があったということも忘れてはならない事実ですね。(66年の『カリフォルニア万才』主題曲「Spinout」のB面がA面にひっくり返されて、その「All That I Am」が“18位”にまでランクされていたとは正直、腰が抜けるほど驚きました。これは英国人の“エルビス・マニア度”を象徴している現象の最たいるものだと思います)
それから、あのNHKーFMでは“否定的”なニュアンスで伝えていた64年からの旧譜リリースですが、テリー・スタフォードの「サスピション」の大ヒットがエルビス陣営にとっては大ヒントになったのですね。これ以降から3・4年間の《旧譜のシングル・カット》の連続は、ポップス史に前例はありませんし、後続も皆無です。エルビスのディスコグラフィーをみても「サスピション(A面:キス・ミー・クイック)」以前に旧譜のシングル・カットはありませんでした。(サン・レコードのものはこの場合の“旧譜”とは意味合いが違います)また68年以降はこれほどの旧譜の積極的なリリースは行われておりません。64年からの4年間ぐらいがエルビスの《嵐の旧譜リリース》の時代でしたが、丁度“ビートルズ旋風”が吹き荒れていた時でもありました。
放送の中でも私は、当時一般的な見方でもあった“ビートルズ時代にエルビスは旧譜で凌いだ”という表現をしておりますが、今となっては“間違い”でしたね、この見方。ただ当時は「ビートルズがエルビスの記録を抜いた」とか、常にそういう対比した表現・報道が多かったことは事実です。
しかしビートルズがアメリカのチャートに登場した64年、その10月にリリースされたエルビスの『青春カーニバル』はアルバム・チャートで“一位”になっていたことから考えると、エルビスは“エルビス”で、単独で行動していたんですね。多少、例えば「レディー・マドンナ」の一節を歌ってみたりとか、全く気にしていないわけではなかったようですが(“無視”は出来ないですよね、いかにエルビスといえどもあの頃は)ヒットパレード史的にいわれているような“ライバル”ではなかったのですね。(“若い”時は、このへんが分かりませんでした)
ここが《時代》というものの面白さでもあります。その時は“ライバル”などと評されていても、時間が経つと実は全く“別の”存在で、たまたま同時代だったので並べて捉えられた、というケースは他にも結構あります。これが今わかったのは“25年”という歳月と、亡くなっても再評価され続ける《エルビス》の凄さ、ですね。まさにエルビス“こそ”がKING!!!冗談抜きで本当に凄い。その凄さに、また改めて感じ入っている昨今なのです。
“生きていたのに”旧譜をカットし続けたんですからね。それもスゴイの一語。(もちろん、サントラ等の新曲リリースも一方では継続されてはいましたが)
これを支えていたのは61・2年のアルバム『歌の贈り物』や『ポット・ラック』の頃の、エルビス本人とナッシュビル・サウンドの充実ぶりです。当時のナッシュビルは“ポップス”の中心地でした。「イッツ・ナウ・オア・ネバー」などの大ヒットの横で、シングル曲にするには地味ながらも完成度の高い楽曲を数多く録音していました。「サッチ・ア・ナイト」や「サスピション」は、当時の他のシングルからすると地味めでしたが、二・三年後に丁度良くなったのですね。ビートルズの『FOR SALE』(64.12)などはまさにナッシュビル・サウンドそのものといってよく、『HELP』(65.8)もまだその流れにありました。ですからエルビスの60年代初期の作品は中期に於いても全く古くなかったのです。逆にビートルズがエルビス・サウンド再評価の要因となっていた、という見方も出来ます。
64年からの旧譜リリースは“お茶濁し”ではなく、《生存中に再評価》が始まっていた、ということだったんですね。よって“没後の再評価”が行われるのは必然。
そしてcome back!といわれた68年のNBCのTVスペシャル。調べてみると68年というのはエルビス《33才》だったんですね。(それでcome back!というのもねぇ・・・)
更に、何でも“我が田に水引く”と自々共に認める“わたくし”の“33才”は1981年でした。
33才じゃ“まだまだ”どころか“これから”ですよね。そこでcome back!ですから、次にON STAGEとかON TOURという流れになるのも当然だったといえます。エルビスにとっての68年はまさにターニング・ポイントで、エルビス・サウンドの本拠地をそれまでのナッシュビルから“メンフィス”に移しました。(69年の『FROM ELVIS IN MEMPHIS』)この頃はSTAX、Hi、アメリカン・サウンドなど、メンフィスがポップスの新たな中心地になっていましたのでまさに的を射た、適切な処置、有効な戦略、でありました。
今回はシミジミと、“深く”理解出来ましたよ、エルビスが。
さて、エルビスには《GOLDEN RECORDS》というBEST盤があります。エルビスの入門書として、更には愛聴盤として最高のものですが、そのVOL.1、VOL.2、VOL.3までは何の文句のつけようもない完璧な構成です。しかしVOL.4は完成度という意味合いでイマイチです。特にこの時代は“わたしの”時代でもありましたから。
そこでワタクシ個人的にエルビスBEST盤を作りました。私家版にするのもナンなので、ここに公開しようと思います。VOL1とVOL2はあのままでいいのです。最高の選曲と曲順です。
VOL3もそれ自体はいいデキですが、私は1960年、つまり軍隊から復帰(この人は何度もcome backしている人ですね)した年からほぼ一年おきのコンピレーションを作ってみました。
興味のある人は、この曲順でテープなりMD・CDを作って聞いてみて下さい。
each'sなんでも“英国”での《一位獲得数》はビートルズを抜いたそうで、いかに英国人はエルビスが好きか、ということですね。(ビートルズ陣営も巻き返しを企画しているようですが)
二十五周年だから特別、というわけでもないのですが、86年に放送したNHKーFMの「エルビス・フォーエバー」を聞き直してみたら無性にエルビスが聞きたくなり、更に改めていろいろなことを再検証しましたが、それで気がついたのが“イギリス”のヒットチャートです。アメリカでは62年の「グッド・ラック・チャーム」から69年に「サスピシャス・マインド」が1位になるまで7年間も首位獲得曲がないのですが、イギリスではその間、「あの娘が君なら」「心の届かぬラブレター」「悲しき悪魔」「涙のチャペル」が1位になっています。それどころかアメリカでは1位にならなかった「ロッカ・フラ・ベイビー」「マリーは恋人」、更に本国ではシングル・カットのなかった「さらばふるさと」まで首位を獲得していたのです。
これではビートルズの1位記録を破るのも当然かな、とも思いますが、思い起こせばその《1位獲得数》のそれまで一番だったエルビスの記録を抜いたのがビートルズだったんですよね。それを、しかも“死後”、抜き返すんですから“快挙”というよりも《怪談》ですな、季節的にいうと。(笑)(小林信彦さん流に宛て字で“快談”、とでもしますか)
当時はアメリカのチャート情報が中心だったのでイギリスのチャートにまでは目が届きませんでした。今年の「おしゃべりはやめて」のヒットも、サッカーのCMがヒットの大きな要因ですが、イギリスでは以前からそういう強力な下地があったということも忘れてはならない事実ですね。(66年の『カリフォルニア万才』主題曲「Spinout」のB面がA面にひっくり返されて、その「All That I Am」が“18位”にまでランクされていたとは正直、腰が抜けるほど驚きました。これは英国人の“エルビス・マニア度”を象徴している現象の最たいるものだと思います)
それから、あのNHKーFMでは“否定的”なニュアンスで伝えていた64年からの旧譜リリースですが、テリー・スタフォードの「サスピション」の大ヒットがエルビス陣営にとっては大ヒントになったのですね。これ以降から3・4年間の《旧譜のシングル・カット》の連続は、ポップス史に前例はありませんし、後続も皆無です。エルビスのディスコグラフィーをみても「サスピション(A面:キス・ミー・クイック)」以前に旧譜のシングル・カットはありませんでした。(サン・レコードのものはこの場合の“旧譜”とは意味合いが違います)また68年以降はこれほどの旧譜の積極的なリリースは行われておりません。64年からの4年間ぐらいがエルビスの《嵐の旧譜リリース》の時代でしたが、丁度“ビートルズ旋風”が吹き荒れていた時でもありました。
放送の中でも私は、当時一般的な見方でもあった“ビートルズ時代にエルビスは旧譜で凌いだ”という表現をしておりますが、今となっては“間違い”でしたね、この見方。ただ当時は「ビートルズがエルビスの記録を抜いた」とか、常にそういう対比した表現・報道が多かったことは事実です。
しかしビートルズがアメリカのチャートに登場した64年、その10月にリリースされたエルビスの『青春カーニバル』はアルバム・チャートで“一位”になっていたことから考えると、エルビスは“エルビス”で、単独で行動していたんですね。多少、例えば「レディー・マドンナ」の一節を歌ってみたりとか、全く気にしていないわけではなかったようですが(“無視”は出来ないですよね、いかにエルビスといえどもあの頃は)ヒットパレード史的にいわれているような“ライバル”ではなかったのですね。(“若い”時は、このへんが分かりませんでした)
ここが《時代》というものの面白さでもあります。その時は“ライバル”などと評されていても、時間が経つと実は全く“別の”存在で、たまたま同時代だったので並べて捉えられた、というケースは他にも結構あります。これが今わかったのは“25年”という歳月と、亡くなっても再評価され続ける《エルビス》の凄さ、ですね。まさにエルビス“こそ”がKING!!!冗談抜きで本当に凄い。その凄さに、また改めて感じ入っている昨今なのです。
“生きていたのに”旧譜をカットし続けたんですからね。それもスゴイの一語。(もちろん、サントラ等の新曲リリースも一方では継続されてはいましたが)
これを支えていたのは61・2年のアルバム『歌の贈り物』や『ポット・ラック』の頃の、エルビス本人とナッシュビル・サウンドの充実ぶりです。当時のナッシュビルは“ポップス”の中心地でした。「イッツ・ナウ・オア・ネバー」などの大ヒットの横で、シングル曲にするには地味ながらも完成度の高い楽曲を数多く録音していました。「サッチ・ア・ナイト」や「サスピション」は、当時の他のシングルからすると地味めでしたが、二・三年後に丁度良くなったのですね。ビートルズの『FOR SALE』(64.12)などはまさにナッシュビル・サウンドそのものといってよく、『HELP』(65.8)もまだその流れにありました。ですからエルビスの60年代初期の作品は中期に於いても全く古くなかったのです。逆にビートルズがエルビス・サウンド再評価の要因となっていた、という見方も出来ます。
64年からの旧譜リリースは“お茶濁し”ではなく、《生存中に再評価》が始まっていた、ということだったんですね。よって“没後の再評価”が行われるのは必然。
そしてcome back!といわれた68年のNBCのTVスペシャル。調べてみると68年というのはエルビス《33才》だったんですね。(それでcome back!というのもねぇ・・・)
更に、何でも“我が田に水引く”と自々共に認める“わたくし”の“33才”は1981年でした。
33才じゃ“まだまだ”どころか“これから”ですよね。そこでcome back!ですから、次にON STAGEとかON TOURという流れになるのも当然だったといえます。エルビスにとっての68年はまさにターニング・ポイントで、エルビス・サウンドの本拠地をそれまでのナッシュビルから“メンフィス”に移しました。(69年の『FROM ELVIS IN MEMPHIS』)この頃はSTAX、Hi、アメリカン・サウンドなど、メンフィスがポップスの新たな中心地になっていましたのでまさに的を射た、適切な処置、有効な戦略、でありました。
今回はシミジミと、“深く”理解出来ましたよ、エルビスが。
さて、エルビスには《GOLDEN RECORDS》というBEST盤があります。エルビスの入門書として、更には愛聴盤として最高のものですが、そのVOL.1、VOL.2、VOL.3までは何の文句のつけようもない完璧な構成です。しかしVOL.4は完成度という意味合いでイマイチです。特にこの時代は“わたしの”時代でもありましたから。
そこでワタクシ個人的にエルビスBEST盤を作りました。私家版にするのもナンなので、ここに公開しようと思います。VOL1とVOL2はあのままでいいのです。最高の選曲と曲順です。
VOL3もそれ自体はいいデキですが、私は1960年、つまり軍隊から復帰(この人は何度もcome backしている人ですね)した年からほぼ一年おきのコンピレーションを作ってみました。
興味のある人は、この曲順でテープなりMD・CDを作って聞いてみて下さい。
ELVIS' GOLDEN RECORDS